さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

懐かしい話が聴こえる

2011-12-03 23:54:06 | Sunday 集会・生活
 今日は、エズラとコリントと元ネタ「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」(の シンプルVer.)だった。

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真っ暗闇の中で

2011-12-03 23:00:50 | 日々の雑感
(DIALOG IN THE DARK)

 私たちは、目が見える。
 目が見えるから、誰かもまた、これを読んでくれている。

 だが、そうではなく、目が見えない人々もいる。

(だが、それを知らずして、または、思いやることなく語ることは、本当にコワいことだ)

 そんな理由もあり、ひさしぶりに、見えない世界を味わった。


   **************

 それは、誰でも“知って”いることだ。

真っ暗闇の中では、
目の前に何があるのか、わからない。
真っ暗闇の中では、
目の前の、数十センチが安全かどうかさえ、わからない、と。



 ただ、ことばでは知っているのと、味わっているのとでは異なる。
(医療系でしばしばあるような、眼鏡やら何やらの「盲目体験」より、以前、内容の質は上…だった)

一寸の光さえない闇の中、
歩き、
橋を渡り、
草の匂いを感じ、
水に触れ、
土や藁(わら)を手にし、
ベンチに座り、
音を聴き、
階段を上り、
ドアに触れ、
クレヨンに触れ、はさみをもちい、
カードにたぶんみみず文字のような文字を書き、
・・・ただし、ちょっと今回は慌ただしかったかな。

周りの人と、声でお互い距離を知り、場所を知る、そんなひととき。

真っ暗闇の中、
もし食べていたのが、ホットコーヒーとチョコではなく、
スパゲッティだったら、目も当てられないほど服を汚していただろう。

渡されたカードに何が書いてあるのか、真っ暗やみの中では
わからない。
「明るいところに戻ったら、読んでみてくださいね」
と、ガイドの人は明るく言った。

・・・だが、私たちは明るいところに戻れば物が見えるのとは裏腹に、
彼らは、たとえ明るいところでも、文字を読むことはできない。
彼らの見ている世界が、私たちが感じた、真っ暗闇の世界であるのか、それとも、
どのようなものなのかさえ、本当には、伺い知ることができない。


   ***************

「私タチハ、目ガ見エル」
と自認している人々の、無意識にある(他者への)傲慢さや配慮の無さが
見えない方々への躓(つまず)きやケガの元となりませんように、と願いつつ。 ヨ9:39-41,へブル12:13

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パリサイ人と律法学者

2011-12-03 22:13:53 | Sunday 集会・生活
 ある人曰く、
「それが、万人祭司として解放されている今、
『パリサイ人と律法学者』の問題は、(語る人々すべてに)潜在的に内包されている」と。

…表面的な意味ではなく、根本的もしくは普遍的な意味で。

…思い当たるコトが無い人は、どうぞスルーしてください。
 私は、たぶん時々、思い巡らしておりますが。



 (語るモノではないにせよ、自戒と祈りを込めて)

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