さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

キリスト集会(1)

2008-03-23 23:59:57 | Sunday 集会・生活
(キャベツのひとりごと
数年前にも見かけた 1)んですが・・・

「キリスト集会」っちゅうのはですね、
「キリストさんがぎょうさん集まる会」

ではないですから、ネ(^_-)。


 (一応、念のため


                        



【注】
1)「○○キリスト集会所」という看板や電信柱の広告を見て、「大勢のキリスト様がそこで集会やっとるんかな」という、お声がありましたが・・・
 (一番最初にそれが投稿されていたのは、千葉県のK集会の電信柱の広告について、だったっけな...)
  ちなみに、昔は「伝道所」「福音館」という名称のほうが用いられていたようにも聞く。このクリスチャンの群れの集まりは、日本においても太平洋戦争前からあるが・・・あ、ふむふむ、府中は昭和23年頃だったのか…
(cf.「雲のごとく」(滝川晃一編,伝道出版社,1987年))



「キリスト集会(2)」へ続く) 

                            

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キリスト集会(2)

2008-03-23 23:58:59 | Sunday 集会・生活
「キリスト集会(1)」の続き)

では、なぜ「キリスト集会」? 「教会」ではないの?

 と言われたら、簡単に1つ。


           .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*


 1.もともと、日本語で「教会」と訳されていた原語(「εκκλησια エクレシア」@古代ギリシア語)の意味が

    「集会」 1)という

   意味だった、という点。

           .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*


 (ちなみに、もうひとつには・・・この集まりが、「キリストの御名(みな)のもとに集う」ものだから。

  「ふたりでも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる
              (新約聖書・マタイの福音書18章20節)」


   と、イエス・キリストが約束なさったが、事実、クリスチャンは他の誰のことでもなく、ただキリストにあって集まり、祈り、礼拝するものだから


 そんなわけで、「教会」というより「(キリスト)集会」といい、
 中には、「○○(地名)にあるキリストの御名に在って集まる集会」というように、長くご丁寧な名を示されるところもございます 3)。

           .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*


 そして、基本は新約聖書の使徒行伝2章にあるとおり、悔い改めて救われた者たちが、

 教えを堅く守り、
 交わりをし、
 パンを裂き、 2)
 祈りをしていた』


 という感じデス。



 ともかく、素朴ながら、神様中心、聖書中心に忠実に歩んでいこうとするクリスチャンの集まりってことでご了承ください。



                       


【注】
1)もっと厳密に言うと「呼び出されたもの」(←昔は議会などの集まりは「召集されて」行われていた)。

2)パンを裂く:パンとぶどう酒をもって、キリストの十字架の死と復活を記念して行うこと。パンはキリストのからだを、ぶどう酒はキリストが流された血潮を象徴して


3)少なくとも、日本に存在しているキリスト集会(と称している群れ)の99.5%が、本部や中央組織を置かず、それぞれの地域に独立して存在している。交流はあっても、それぞれがそれぞれを支配することは、聖書的ではないと考えているため。

 というわけで、たとえば、ひとつの集会が、全国のあちらこちらに支部を設けていることは、本来ありえない。

 また、そこで現されるべきは「主(しゅ)」(=救い主,神様,キリスト)であり、人間を現すべきではない、という点から、どんなに賜物があり用いられている 4)人物であろうと、特定のクリスチャンについて紹介するのは眉をひそめられることもある(「『○○さんの集会』ではなくて、『主の(御名のもとに集う,or主のご臨在なさる)集会』だ!」ってね)。

 (だから、たとえば、HP上で大々的に特定の人物の名を挙げて紹介している集会
    (←そもそも、実は、けっこう古くから存在している集会の過半数は、
      まだHPをもっていないし、インターネットの利用に対しては慎重...)
  があると、「あそこ、大丈夫かなぁ・・・」「変な感じになっていないかしら」と、それだけで心配されることもある。)

 (逆に、人の名がとんと出てこないので、世間一般の方は「姿がわからない」と不安がるかもしれないけれど

 (また、責任の所在という点などから、名をちらっと出すところもある。)


4)賜物(たまもの)がある  =才能、能力などなど。
 用いられている       =活躍している。


                                             
 
【参考・引用文献】
◇聖書(新改訳),第2版,日本聖書刊行会,1987年
◇J・B・カリー編;集会の真理と行動,伝道出版社,1975年
◇台豊著    ;Q&A 聖書が語る「教会」の姿,牧草社,1999年
◇滝川晃一著 ;暗闇から光へ,伝道出版社,1998年


                          

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サムソン ~その壱(士師記)~

2008-03-23 00:33:15 | Sunday 聖書
その昔、士師(しし;さばきづかさ)の時代が、イスラエルにあった。
モーセによりエジプトから脱出し、
約束の地カナン 1)に入ったあと、
そして、サウルがイスラエル初代の王として立てられる前。
すなわち、『めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた』(士師記21章25節、他)時代である。


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 この頃、時に応じて、神様が「さばきづかさ」を起こされて 2)いた。
 オニエテル、
 左ききのエフデ、
 シャムガル、
 女預言者デボラとバラク、
 (そのあと、名も記されていないひとりの預言者が遣わされたり)
 疑り深い(または、とっても慎重な)ギデオン、

 トラにヤイル、誓願をたてたギルアデ人エフタにベツレヘムの出のイブツァン、エロンにアブドン、

 ・・・・そして、生まれながらナジル人 3)のはずのサムソン、である。


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 このサムソンさん、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・女に泣かれるのに弱かった、というべきだろうか・・・(続く)


                          


【注】
1)カナン:現在のシリヤおよびパレスチナを指す。旧約聖書時代、「乳(ちち)と蜜(みつ)の流れる地 Land of Milk and Honey」と言われた実り豊かな土地であった。
 (ちなみに、WWⅡ後は荒れ果てた土地だったところを、キブツと呼ばれるイスラエル特有の農業共同体が中心になって、農牧地を大規模に整備した)


2)「さばきづかさ」を起こす:イスラエルを直接治める人を選ぶ(いや、「直接的に」神様が、なんだけど)。だれが選ばれるかは、神のみぞ知る。


3)ナジル人:人種でも、民族でもなく、
       『主(しゅ;神さま)のものとして身を聖別(せいべつ)するため特別な誓いをし』(旧約・民数記6章2節)た人のこと。それには、確実に3つのことが要求されました。

  1.断酒(ぶどう酒、強い酒は厳禁)(=自分を楽しませたり喜ばせたりするものから遠ざかる、ということかと。)

  2.頭にかみそりを当ててはならない。(=主の聖なるものの象徴であるらしい)

  3.死体に近づいてはならない。(=穢れるから。日本でも、葬式のあと盛り塩など行うように、律法においても、死に近づくことは穢れることだった)

自分を一定の期間、神様にささげるため、それにふさわしく聖(きよ)くあることを求められていたわけです。


【参考】
◇聖書(新改訳),日本聖書刊行会,第2版,1987年
◇ジョン・ドレイン編集;ビジュアル聖書百科,いのちのことば社,1999年
他・・・ふつう~に教えられていること@集会(ex.ナジル人のこと)

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