塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

エスパルスの監督交代を僕なりに考察する

2014-08-05 20:38:22 | 日記
 エスパルスは3-0で勝利したレイソル戦の直後に、ゴトビ監督解任を報じました。

 識者の多くが

 「ワールドカップの期間中にすべきだったのでは?」
 「大榎監督の人望はわかるが、もっと時間をあげるべきだった」

 と語っており、監督自身もこのタイミングでの要請は考えていなかった模様です。

 ただ、スポーツナビのコラムやサッカー・ダイジェストの記事を読みますと、監督解任のXデーは、確実に迫っていたと言う事です。

 レイソル戦、ゴトビ氏は

 「ラインをもっと高く設定しろ!」

 と叫んだそうですが、選手たちは自分たちの意思でラインを落ち着かせ、結果、完封勝利を得たことでゴトビ氏も黙るしかなかったと言います。

 もう、これは

 「越権行為か否か」

 と言う問題を超えていますね。

 2002年の日本代表が、現状のフラット3では打破できないと判断し、ラインをあげすぎないことでトルシエの戦術を逸脱した例は、非常にしれれたエピソードです。

 エスパルスも2002年の代表も

 「監督の意見よりも、我々の方が理に適った行動ができる」

 と判断したことでの勝ち点3であり、もう監督とは決別するしか方法が残されていませんでした。

 僕も日々の業務で

 「主任の面子がつぶれないように」

 と思います。

 それは最後に責任を取るのが主任であり、責任を取ってもらうならば、僕たちはケアレスミスではなく、全力を尽くした、知恵を出し合った上のでもミスでなければ、主任は単なる

 「お飾りの存在」

 でしか無い為です。

 一方で主任はこうお考えだが、実際はこうした方が良いと思うがと、胸に言葉を飲み込むこともしばしばありまして、そこがジレンマなのも確かです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マックでコーラを飲みながら... | トップ | 木村元彦氏の著作を購入して »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事