塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

俳優が台本を読み込まないと聞いて

2024-07-09 21:14:18 | 日記

 映画、演劇、ドラマに主演する俳優には、サッカークラブのようなランクがあります。

 

 一般の方がエキストラ出演の際は、基本台詞は発生しません。

 

 ただ俳優ならば、端役と脇役、主役では映像の映り込みも台詞の量も段違いですよね。

 

 一方で近年、主役に指名される俳優も、脚本家から渡された台本を、熱心に読まないといいます。

 

 それは推測ですが

 

 助監督や監督からの、突然の設定変変更に対応数るため、

 アドリブを設けることで、受けとった台本の内容に厚みをもたらすための処置

 自縄自縛にならないため

 

 という意味合いがあると考えています。

 

 しかし、俳優はあくまで「監督」が求める演技をしなくてはいけませんから、台本を最低限読むことはしていると思いますが。

 

 サッカーもそうですよね。

 

 イビチャ・オシムは日本代表選手たちに

 

 戦術はあくまで机上の理路なんだ

 だから試合中に、君たちが融通を聞かせない

 

 と説きました。

 

 ただ、これがアリゴ・サッキやラファ・ベニテスのように

 

 自分の戦術が勝敗を左右する

 自分の戦術が、選手の体力を無駄に消費せず、勝ち点3に近い

 

 と思っている場合は別でしょうね。

 

 ACミランとサンプドリアを行き来した、1987年のバロンドール受賞の利¥ルート・グリット。

 

 彼ほどの名手は遺跡を繰り返したのが、権威主義の権化、ファビオ・かペロがACミランに指揮官だった時代ですから。

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