映画、演劇、ドラマに主演する俳優には、サッカークラブのようなランクがあります。
一般の方がエキストラ出演の際は、基本台詞は発生しません。
ただ俳優ならば、端役と脇役、主役では映像の映り込みも台詞の量も段違いですよね。
一方で近年、主役に指名される俳優も、脚本家から渡された台本を、熱心に読まないといいます。
それは推測ですが
助監督や監督からの、突然の設定変変更に対応数るため、
アドリブを設けることで、受けとった台本の内容に厚みをもたらすための処置
自縄自縛にならないため
という意味合いがあると考えています。
しかし、俳優はあくまで「監督」が求める演技をしなくてはいけませんから、台本を最低限読むことはしていると思いますが。
サッカーもそうですよね。
イビチャ・オシムは日本代表選手たちに
戦術はあくまで机上の理路なんだ
だから試合中に、君たちが融通を聞かせない
と説きました。
ただ、これがアリゴ・サッキやラファ・ベニテスのように
自分の戦術が勝敗を左右する
自分の戦術が、選手の体力を無駄に消費せず、勝ち点3に近い
と思っている場合は別でしょうね。
ACミランとサンプドリアを行き来した、1987年のバロンドール受賞の利¥ルート・グリット。
彼ほどの名手は遺跡を繰り返したのが、権威主義の権化、ファビオ・かペロがACミランに指揮官だった時代ですから。
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