塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

本職以外のポジションを担うこと

2020-02-17 14:27:23 | 日記
 ウルグアイ代表FW、エディンソン・カバニの心中は今、どんな形でしょうか。

 「どうしてアトレティコへの移籍は実現しなかったのだろう」
 「不本意なライト・ウイングで我慢した時期もあった」
 「それなのに、こんな簡単にお払い箱なのか」

 と気分が落ち込んでいると、「勝手に」推測します。

 彼のように、クラブ事情で本職でないポジションで起用される選手は、物凄く高いリスクを背負っています。

 本職で新聞の評価が辛い、のは我慢できるでしょう。

 しかし、コンバートされた時点で従来よりも学ぶべき点、場数が必要にも拘らず批判され、点数が低いのであればそれは嫌でしょうよ。

 それはクラブ事情で受け入れてもらったわけですから、指揮官やSDが

 「彼に猶予を与えてほしい」
 「彼は今、奮闘しているから」

 と庇う、尊重する点が必要ではないでしょうか。

 アンドレア・ピルロのように、自分で自分が適正があると判断した際、指揮官に直談判する事例もありますが、それはごくわずかです。

 例えば絶対的な個性が、ここでも選手を護るという事例はあります。

 誰もがイブラヒモビッチをリベロにコンバートするなど考えませんよね。

 誰もがファン・ダイクをセンターフォワードで起用するとは考えませんよね。

 こうした絶対的な個性を持つ人物は、選手でなくとも羨望のまなざしではないでしょうか。

 仮に今夏、カバニがアトレティコに移籍すれば、シメオネは2トップを彼とジョアン・フェリックスで組むのではないでしょうか。

 それは実に素晴らしい2トップのように思えますし、インテルはイカルディのフッキを希望しないでしょうから、実現の度合いは高いと感じます。
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