塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

人間が寂しく、誰かを恋しく思う時

2020-04-13 18:48:43 | 日記
 もし僕が今春から大学生になったとすれば、電話は携帯電話で賄った事でしょう。

 僕が山梨学院大学に入学したのは1996年。

 この年はアトランタ五輪で日本代表がセレソンに1-0で勝利し、世紀の番狂わせを起こした年でもありました。

 携帯電話は普及し始めたころで、僕は車と共に所有せず、何かあるときは今では契約数がどんどん減少傾向にある「固定電話」を用いていました。

 ちなみに僕が愛用したテレビは、これまた今では見ることのできない、テレビとビデオ一体型の
 
 「テレビデオ」

 で、中古でサッカーやバスケットボールのビデオが入手できると、差し込んで視聴していたものです。

 当時、映像は「配信」されるものではなく、自分で買う、借りるが当然でしたからね。

 三五館出版の「クリスティアーノ・ロナウドの心と体をどう磨く?」を、昨日から再読していますが、彼が故郷のマデイラ島から、スポルティング・リスボンに在籍するため、一人で旅立つ場面。

 ホームシックや本国ポルトガルでは通用しない、マデイラ独特のポルトガル語など、彼が両親、兄弟を思って寂しく、泣いていた場面が記されます。

 僕は高校時代学校に馴染めず、大学でもサークル活動はしませんでしたから、固定電話で話をする人物は非常に限られていたものです。

 両親から電話がかかってくることもありましたが、僕から話しかけることも多かったと思いますね。

 一度電話をした後に、カレンダーを毎日眺めて

 「あとどれくらいの日数を空けてから連絡しようか」
 「頻繁に電話すると、金もかかるが余計な心配が生まれるだろうからな」

 と感じていたものです。

 高校2年生の修学旅行、長崎県の旅館から「テレホンカード」で両親に電話し、安堵したこともよく覚えています。

 出発する前は、「そんなに電話はしないよ」と伝えましたが、そうはいきませんでしたね。
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僕が思うサッカースパイクの形

2020-04-13 13:58:25 | 日記
 1986年、コンバースは名品「ウエポン」を発売し、全世界で400万足を売り上げます。

 ウエポンには「Yバー」と呼ばれる、選手の足首を捻挫から保護する機能がついており、マジック・ジョンソンとラリー・バードが愛用したことでも知られています。

 1992年、リーボックは「Ⅾ-タイム」と呼ばれるバッシュを制作しまs。

 リーボックの契約選手であるボストン・セルティック所属のディー・ブラウン。

 彼がその年のオールスター、スラムダンクコンテストの際、自分の番になると当時愛用していたポンプシューズ(オムニゾーンだったと記憶しています)のポンプの部分を押して空気を注入しなおす。

 彼は空気を注入しなおすこと、つまりフィット感を調節していただけに「過ぎない」のかもしれませんが、結果カメラがブラウンの動作を逐一伝えることにより、

 リーボック=ポンプシューズの第一人者

 という図式が成立しました。

 よくスラムダンクでリョーチンとゴリがコンバースを愛用していることが話題になりますが、海南大学付属高校の牧はリーボックのポンプを愛用しているという設定でした。

 この2ブランドに対して、ナイキはフォースとフライトという2軸を提案し、ガード用のフライト、フォワード用のフォースというように、ポジションにおける特性を考慮して靴を開発します。

 これら過去のバッシュを考慮しながら、今のスパイクを見てみますと、アディダス、プーマ、ナイキのいずれも

 「軽さと足首の保護、靴紐によるフィット感を同時に行えるスパイク」

 を開発しているように見えます。

 つまり、ニット素材による軽量化、プーマにみられる、何パターンも個人で結べるシューレースの通り、そしてインナーブーツによる足首の保護というように、集大成のような作りを見せている。

 ように見えます。

 ニューバランスやアンブロも様々な機能を持つスパイクを投入していますし、日本市場ではガビックやアスレタも知名度が上昇しています。

 バッシュもスパイクもより、大きな競争原理が生じることは間違いないと考えます。
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お姉さんの誕生日を祝福しながら

2020-04-13 10:28:28 | 日記
 昨日、親戚のお姉さんに電話をしました。

 今月誕生日を迎えることもあり、毎年この時期には電話をして祝福するんですよ。

 一方で僕の誕生日当日には、お姉さんは毎年メールでお祝いしてくれます。

 冒頭で誕生日の事を話した後は、自然と現在のコロナ・ウイルスの話に変化してしまいました。

 「マスクはどうなの」
 「僕は多少でも食料は備蓄しているよ」

 などと会話が続いた中で、お姉さんが

 「享年の台風で皆が苦しんでいることに、今回のような疫病が起きなくてよかったね」
 「体育館の中で発生してしまったら、どうしようもないもの」

 と漏らしたことが印象的でした。

 お姉さんと我が家はいずれも被災しませんでした、近距離にあるのでそれなりに行き来はあるんですよ。

 それでも、千曲川があれだけ増水し荒れ狂う姿を見たことは、本当に初めてでしたから。

 僕は車の免許を持たない母のために、行きたい場所に同行しますが基本はひとりで外出します。

 ですから人口密集地に出かけるとすれば、長野パルセイロの試合観戦くらいで、ライブハウスやナイトクラブは出かけません。

 観戦終了後に長野東急百貨店、平安堂長野店で洋服や書籍を購入、眺めることを楽しみにしていましたが、当然今は長野市には出かけていませんが。

 サッカーは多くの暴力行為やホンジュラスとエルサルバドルとの間で戦争を引き起こしたことさえあります。

 2009年には一つのハンドをめぐり、フランスとアイルランドの間で国交問題にすら発展しかねない事態とさえなりました。

 でも、サッカーがあってよかったと思える日常が必ず戻ってくる、それまで辛抱したいと考えています。
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スマートフォンは命を預ける形なのか

2020-04-13 10:12:39 | 日記
 今の時代、どれだけスマートフォンを有意義に活用できるか。

 それは店舗で利用できる割引クーポンの配信や、災害時における緊急メールの受信など、利用方法は多岐にわたります。

 長野パルセイロも今季より、Jリーグが推進するデジタル・チケット、入場者入り口でスマートフォンをかざすと入場可能、という取り組みを実施予定だったと聞きます。

 ボランティアの方が取り組む業務の軽減にもなりますし、これは観戦者である僕らが配慮すべき事柄です。

 しかし、コロナ・ウイルス発症の地と伝えられている武漢では、このスマートフォンにおいて

 ウイルス保持者との接触を避けるため、健康の方は緑、それ以外は赤で区別をする
 バスや地下鉄でスマートフォンをかざし、自分が何者でどこから来たかを伝達

 という形で、感染経路の把握を行っています。

 つまり、スマートフォンが

 「自分の命を守る道具」

 に変化しているわけですね。

 僕は現在のスマートフォンを購入して今年で4年になりますが、どう贔屓目にみてもすべての機能を使いこなせてはいません。

 むしろ我が家では

 1・業務で利用するため、弟がタブレットを所有しているが、僕と両親は利用したことがない
 2・父は折り畳み式携帯を所有しているが、母は現在まで所有すらしたことがない

 という形で、武漢の光景とは全くかけ離れています。

 今、ペイペイはオリガミ・ペイに代表される、スマートフォンをかざす支払方法のガイドブックも数多く出版されています。

 サッカーでも戦術に時流があるように、僕もこれらのガイドを購入しようか検討中です。

 僕はワオン、ナナコで3割、現金7割くらいの形で会計をしていますが、今後この比率を増やそうとは思っていますが。
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