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命がある限り希望を持つということ

依存症の真実(2)

2008-05-13 12:44:12 | 依存症
帚木蓬生(ははきぎほうせい)という作家で
精神科医の方が書かれた「ギャンブル依存とたたかう」(新潮選書)
という本を読んで、目からうろこが落ちるような思いでした。

それまでダンナに対して
借金を借りかえる手助けをしたり
生活のこと、自分たちや子供たちの将来のことを
説明し、嘆願し、説得してきた二十年近い歳月。

それらがまったく何の意味も持たなかったどころか
事態を悪いほうへ、悪いほうへと助長してしまったという現実。
依存者の側には必ず依存を助ける共依存者がいる。
そしてギャンブル依存は覚醒剤やアルコールと同様
どんな常識も理屈も通用しない。
更にはこの病気は完治することはないという絶望的な事実の前で
本当に途方に暮れてしまいました。

すでに200万人はいると言われるギャンブル依存症。
そして一人の依存者の周りには
必ずそれに巻き込まれている家族が何人かいるわけですから
実際は一千万近い人たちが
この病気のために苦しんでいるのではないでしょうか?

夫が、妻が、あるいは我が子が依存症で
そういう家族の多くは
私と同じように多額の債務を抱えて
自殺とか心中を思わない日はないという
切羽詰った状況に追い込まれているような気がします。

「ギャンブル依存とたたかう」の中に
こういう記述があります。

<精神科の受診の際、家族の付き添いがあるのが普通ですが
その時の家族の表情が、ギャンブル依存症の場合は独特です。
(中略)何百回何千回、何万回となくだまされ、裏切られているので
憎しみと怒りが充満し、かつ一方では
どうにもならないのだという諦念が同居しています。
そして連れられて来ている患者のほうはといえば、
深刻味のない、どこか他人事のような顔をして、家族から罵られようと
蛙の面に小便の顔つきを崩しません。その対照の際立ち方が
強い印象として主治医の記憶に長く刻まれるのです。>

この本で書かれているギャンブル依存者の家庭の状況が
まるで我が家と瓜二つ、そっくりそのままなのには
ちょっと愕然とします。

依存者本人が「どこか他人事のような」状態なのは
一つにはアルコールや覚醒剤と違って
社会生活に支障をきたすような身体症状が現れないことがあります。
普通に仕事もしてる、職場での人間関係も人並みにこなしてる。
本人にはこれが重大な心の病気なのだという自覚がありません。
そういう意味では年月が経つに従って
体に症状の出るアルコールや
法的な制裁という最後の歯止めのある覚醒剤よりも
もっとやっかいで大変なものだということができます。