徒然草 featuring Mr.松山

松山の松山によるすべての人々のためのブログ

ダイクマ田奈店

2009-12-08 22:43:52 | 地元ネタ
皆さんはダイクマをご存じだろうか?量販店のさきがけ的な存在の店で、ビバホームやヤマダ電機、クリエイトなどが台頭する前は品揃えと安さで怒涛のごとき勢いを誇ってた店である。一時期はいたるところに店舗があったが、前に挙げたような店の台頭によって現在はかなり店舗が少なくなっている。

小生の地元にもかつてはダイクマがあった。ダイクマ田奈店。ずっと青葉区に住んでいる人ならば懐かしい響きの店だと思う。今でもそうだが、田奈という街は田園都市線の沿線でも断トツでひなびた街だ。しかしダイクマがあったころはその存在がゆえに一目置かれていた感があったと思う。そしてこのダイクマ田奈店がすごかったのはその商圏の広さ。。当時店から5キロくらい離れた藤が丘にあった我が家はもとより町田のあたりまで商圏だったし、遠方に住んでいる人でも近くに来る用事があればついでにここのダイクマには寄って行くというほどの存在だった。

商圏が広ければ駐車場も広い。最盛期はたしか7つくらい駐車場があったのだが、99%一番近い第一駐車場には入れずだいたい第6か第7の駐車場に停めていた覚えがある。店まで徒歩10分!それでもその駐車場もいつも満車だった。

今思えば、ダイクマの品ぞろえが特別すごかったかというとそんなこともないのだが、当時は近隣に雑貨があれだけ手に入る量販店は皆無だったから、ダイクマ田名点は絶大な影響力を放っていたのである。なお、小生の出身小学校の校歌の替え歌には「ダイクマ」という文言が入っていた。そのことからもダイクマの影響力の大きさがうかがえる。

そんなダイクマ田奈店も2000年代に入ってから家電量販店やクリエイトのような類の薬局が次々と出店したため急速に衰退。今から5年くらい前に閉店してしまった。小生が閉店の広告を見たとき、ひとつの時代にが終わったなと少しさびしい思いになったのを覚えている。当時もうダイクマに行く人は周りにもほとんどいなかったが、きっとみなその広告を見て同じ感情になったのではないかと思う。

個人的にはダイクマのコンセプトは時代遅れではないと思う。単純に店を巨大化しすぎた店をスリム化できなかったのが衰退を招いた原因ではないだろうか?ダイクマという会社はまだあるのだから、今後また地元にダイクマができないかと、ひそかに期待しているのだった。

長津田

2009-08-26 21:58:58 | 地元ネタ
田園都市線を利用する人間にとって長津田という駅は比較的なじみのある役名だと思う。横浜線と交わり急行も止まるうえ長津田行きの電車も多いから存在感は計り知れない。しかし、長津田駅で乗り換えをしたことがある人は多いかもしれないが長津田駅の外に降りたことのある人というのは住民を除けば意外と少ないのではないだろうか??

おそらくそれは偶然ではなく必然である。そう、あれだけ大きな駅でありながら長津田の駅前にはごちゃごちゃした商店街と、これまたごちゃごちゃしたバスターミナル(というよりただの車用のスペース)があるだけなのだ。これでは長津田という街に用があって下車する人間は少ないだろう。実際、小生も終電で寝過したときと、20分歩いたところにあるヴィレッジヴァンガードに行く時くらいしかこの駅では下車しない。

地上げ屋に言わせれば長津田はこれほどの交通の要所にありながら土地が有効活用されていない典型例と言えるだろう。確かに有効活用という見地から見れば不合理と言わざるを得ない街だが、周りの街が合理化の渦に巻き込まれ一見同じような街になってしまっている中で、長津田は田園都市線沿いにおいてはもしかしたら唯一人間味の残っている街といえるかもしれない。駅を降りると農協とパチンコ屋があり、バスの転回場には交通整理のおじさんがいるとおいう光景は少なくとも田園都市線沿いでは長津田でしか見られない。「田園都市」の中のエアポケットがそこにはあるのかもしれない。再開発もよいが個性はあってほしい。人間味のある街を作るのは乙なものだ。

とはいえ現在の長津田駅の乗り換えは少々不便。再開発云々の問題の前にこちらをどうにかしていただきたいものだ。

文教堂閉店

2009-02-08 20:52:36 | 地元ネタ
青葉台にある文教堂が閉店することになったようだ。ブックファーストが青葉台スクエアに進出して以来めっきり客が減っている様子だったが、まさか閉店するとは思ってもみなかった。かつては青葉台駅前だけで4軒も存在した文教堂が5年ほどで0になってしまうとは驚きである。以前はどんなマニアックな本でも青葉台で手に入らない本はないのではないかというほど本屋が多い街だったが、これも過去の話になりそうである。ただし、残ったブックファーストも相当デカいので日常生活には不自由することはなさそうである。

そういえば、青葉台の街も本屋に限らず以前ほどの勢いがなくなってきているような気が最近する。5年ほど前までの青葉台は近隣では町田に次ぐくらいの集客力がある「商都」であり、青葉台に行くことはわくわくすることだった。それがここ数年はそんな感情もあまり起こらない。理由はおそらく、近隣にグランベリーモールやららぽーとなど大きな商業施設がどんどん出来ているからであろう。新たなタイプの大きな商業施設が乱立するとそれら同士で淘汰が起きることはないが、既存の商業施設や商店街が大きな被害を被る。その影響が青葉台にも少しずつ出てきているのだと思う。今後たまプラーザの再開発が進むとさらにその勢いはそがれるだろう。個人的な見解ではあるが、石丸電気はそろそろ危ないような気がする。

とはいえ、これだけ青葉台を取り巻く環境が厳しくなっているのに、一気に状況が悪くならないのは、青葉台のポテンシャルすなわち青葉台の人口と駅の乗降客が依然伸び続けているからに他ならない。ゆえに、テナントの撤退があってもその後が埋まらないことは現状ではないようだ。事実、これだけ商店街の過疎化が叫ばれている昨今においても環状4号沿いに伸びる2キロ以上ある商店街(一つの商店街ではないが)に空きテナントはほとんどなく、人通りも非常に多い。
ひところに比べれば勢いがなくなり「商都」としての役割は薄くなってきているものの今後も青葉台は地元に根ざした街として生き残っていくのであろう。

阿藤快崩壊

2009-01-29 13:31:48 | 地元ネタ
タイトルにある「阿藤快崩壊」というフレーズ、お笑い芸人ジョイマンの脱力系ラップの中でよく出てくるフレーズである。全くもって意味不明なのであるがなぜか頭に残ってしまうフレーズのひとつであり、はまってしまう人が多いお笑いのネタであるといえる。

まあ、かくいう小生もはまってしまっている人間の一人で最近は定期的にジョイマンの動画を見ているのだが、今ひとつ素性の知れない芸人だったゆえ、さっきウィキペディアでジョイマンを検索してみた。その結果判明したのがジョイマンの出身が青葉台であり、出身中学校が谷本中学校であるという事実。小生が生まれ育った町のすぐ近くではないか!もっとも、人間の多い町だからひとつの中学校でお笑い芸人の一人くらい生まれてもおかしくはないのだが、たまたまウィキで調べた芸人が地元出身だと非常に驚いてしまう。

それに引き換え、わが母校は知名度はある割りに著名人が少ないのは気のせいだろうか?個人的には地道に平凡な人生を送っていく人間になりたいと思うが、仲間に一人くらい超有名人がいるのも面白い気がする。変なお願いだが、このブログの読者の方が有名人になった暁にはぜひご一報いただければと思う。。


里山とニュータウン

2008-10-13 18:54:07 | 地元ネタ
今日天気がよかったので久しぶりに近所を散歩してみた。そろそろ稲刈りも終わっていると思い自宅から数キロの地点にある寺家ふるさと村というところに行ってきた。寺家ふるさと村は昔からの里山をがんばって保全している地区であり、横浜市にありながら、里山がほぼ完全な形で保存されている。

里山といっても横浜市内であるからまだ紅葉は始まっていないのだが、稲刈りは終わっており「日本の秋」の光景をみることができ、なかなか心が和んだ。

ところで、訪れるたびに思うことは、よくこれだけ広大な里山が宅地化の波に飲まれず残ったなあということである。寺家ふるさと村がある寺家町は確かに駅からは遠く宅地化には適さないといえば適さない立地なのだが、実際寺家ふるさと村から一本川を渡れば巨大な住宅団地があり、寺家がこの宅地群に飲み込まれなかったのが不思議なくらいである。

21世紀になり幸か不幸か日本も人口減少社会に入り、また昨今は都心回帰の風潮が強いから、もう寺家が宅地に飲み込まれる心配はないだろう。さらにいえば、寺家ふるさと村は横浜市によって保全されているからなおのこと安心である。

人口減少社会とは街と自然の立場が入れ替わったことも意味する。今後、むしろ心配しなければならないのは団地が里山に飲み込まれることであろう。団地の自然回帰という響きは一見いいものにも聞こえるが、要するにゴーストタウン化、コミュニティの崩壊を意味する。人と自然は共生しなければならない。日本においては人が自然を侵略する時代はほぼ終わった。今後は里山の侵略によって街が崩壊しないようにすることも少しは考えなければならないだろう。

変わりゆくあざみ野

2008-09-10 16:11:43 | 地元ネタ
ちょこちょこブログにもそれっぽいことを書いているが小生はあざみ野でバイトをしている。そんなわけであざみ野にはお世話になっているわけだが、この街のすごいところは街がどんどん進化していくところ。。シュリンキングシティや過疎化、都心回帰などが叫ばれる昨今において、一郊外タウンに過ぎないあざみ野が発展し続けるのは異例のことといえるかもしれない。

ここであざみ野の進化10年史をつづってみようと思う。
<1998年当時>
すでに市営地下鉄は乗り入れていたが、田園都市線の急行は通過。利用客が急増していて、朝の各停はあざみ野で超満員になっていた。当時の乗降客数は11万人で今より3万人くらい少なかった。ちなみにホームの屋根も5両分くらいしかなかった。街も貧弱で駅周辺にあるファーストフードはKFCとミスド(飲茶なし)のみ。当時のあざみ野名物はダイオー(現存せず)と山内図書館だった。

<2002年>
この年田園都市線の急行があざみ野に停車するようになる。これによってあざみ野の地位がぐっと向上する。

<2004年>
田園都市線のあざみ野駅に折り返し設備開設。運転上も重要駅となる。

<2005年>
河合塾ができる。学生の街の様相を呈し始めるも、若者が集える施設はなし

<2007年>
専修大行きの直行バスが開設され、さらに元石川高校へのバスが開設される。ますます学生の街の要素が強まるもやはり学生向けの施設は少ない。が、そんな中松屋あざみ野店が開店!あざみ野の食事情が劇的に改善!!

<2008年>
なんとびっくりあざみ野にサイゼリヤ出店!喜ばしい限りである。。そして今月末には田園都市線下りホームにベビーカステラ屋ができるらしい。ついでに来年駿台も進出。数年後には不本意ながら慶応の中学校もやってくる。若者の街に変貌できるかあざみ野??といったところ。

これを書いていて思ったのが、「あざみ野学生多いな」ということ。今後あざみ野がどのような路線を歩むのか気になるところである。

体がかゆいと思ったら、蚊がいる模様泣
卒論は何とかなると信じ今日はそろそろ撤収したいと思う。。
 

青葉台スタイル

2008-04-27 18:57:45 | 地元ネタ
夕べ、夢に小学校時代の友人が現れた。小1から小4まで同じクラスだったやつだが、小5でクラスが変わって以来ほとんど話していない。そういえば小学校時代のやつは皆元気なのだろうか?学生時代のうちに一回くらい当時の友人達と会ってみたいが、なかなか難しいのだろう。。

小学校時代のことを思い出したついでというわけでもないが今日はかつて住んでいた青葉台にとことこ歩いていってみた。目的は追憶に浸るためはなく石丸電気の閉店セールに行くため。。なんでも売り尽くしセールであるゆえ相当安いらしいと聞き、期待を胸に行ってみた。結論から言うと確かに安かったのだが、何しろ商品がもうすでにずいぶんなくなっており、結局買いたい商品は見つからなかった。まあ、閉店セールだししょうがないのだろう。ちなみに6日までの期間中CDは基本的に半額です!!興味のある人はぜひどうぞ!

さて、ゴールデンウィークである。金の許す限り遊びたいと思う!


田園の憂鬱

2008-01-24 15:37:46 | 地元ネタ
みなさんは佐藤春夫の田園の憂鬱という本をご存知だろうか?おそらく知らない人が多いと思うし、そもそも僕もその本は読んだことがない。

ただ知っているのはものすごい田舎が舞台となっていて、その話は佐藤春夫の実体験が元になっているということである。ネットで探してみたところ田園の憂鬱の一節にこんな描写があった。

・・・一筋の平坦な街道が東から西へ、また別の街道が北から南へ通じているあたりに、その道に沿うて一つの草深い農村があり、いくつかの卑下(へりくだ)った草屋根があった。それはTとYとHとの大きな都市をすぐ六七里の隣にして、たとえば三つの劇(はげ)しい旋風(つむじかぜ)の境目にできた真空のように、世紀からは置きっ放しにされ、世界からは忘れられ、文明からは押流されて、しょんぼりと置かれているのであった。

これを読む限り舞台となった場所は相当田舎であることがわかる。それにしても、ものすごいいわれようである。

で、ではその舞台となった場所はどこかというと・・・なんと、小生の住む街が舞台である。ちなみに文中にあるTYHの3つの都市はそれぞれ東京、横浜、八王子のことであり、東から西へ向かう街道は今の国道246号、北から南へ通じる街道は県道横浜上麻生線のことのようだ。

もちろん、この本が書かれたのは90年位前のことだから、今のわが町が上記の描写のような有様であることはない。今の我が家は多摩田園都市の一角にある家しかないようなところである。佐藤春夫も作品の中で皮肉たっぷり描いた田舎の象徴的な場所が、いまや日本を代表する住宅地になるとは思いもしなかったろう。佐藤春夫がこの街を見たとしたらどういう感想を述べるか気になるところである。

ところで、家しかなかない現在からしてみれば、自然が多かった当時のことをうらやましいと感じ、利益主義的な開発はよくないと感じる住民も多いのではないだろうか?しかし、聞くところによると50年前のわが町は交通の便は最悪で非常に貧しい上冬の寒さは異常というまさに僻地であったようだ。それゆえ、当時住んでいた住民は大規模開発を非常に歓迎したそうである。

コンパクトシティという言葉が叫ばれる昨今では開発は悪であるという声を聞くが、僕は必ずしもそうは思わない。開発により貧しかった地域の生活水準が上がり同時に開発利益も得られればこれほどすばらしいことはない。大切なのは開発が度を越えないようにすることと、開発した街を放置しないようにすることであると思う。特に後者は忘れられがちである。里山はもとからあった自然に人が手を入れ続けることで維持されている。街も里山も同じではないだろうか?一度作った街は手を入れ続けなければならない。

わが街は50年後100年後果たして手を入れられ続けているのだろうか?100年たってこの街が衰退していたら、少なくとも天国の佐藤春夫にさらにひどい表現でこの街が描写されるにちがいない。

田園の憂鬱 (新潮文庫)
佐藤 春夫
新潮社

このアイテムの詳細を見る

紫色に輝く

2007-11-28 14:53:55 | 地元ネタ
突然だが皆さんの家の周りに「明らかにこの建物地域の景観乱してるだろ!」的な家だとかマンションその他建築物はないだろうか?

我が家の近くというか我が家の二軒となりにはまさにそのような家がある。二軒隣の家のすごいところ―家が紫色!!そう、家全体が紫色なのである。この家が建った5年ほど前、最初は「これぞコンクリート製住宅のなせるわざ」と感心していたが、しばらくみているうちにどう見ても周囲の景観にけんかを売っていることに気づいたw
まあ、家の外観について感じることは人それぞれだろうから、これをよしとする人も世の中にいるのだろう。だが、少なくとも我が家の住人とこの地域の主はいい顔をしていないようだ。

近年では景観も土地の価値を左右する大事な要素。この一軒で街全体の資産価値を下げないように景観に配慮した家を作ることが重要だと思った。

慶応来るな!

2007-11-09 20:38:56 | 地元ネタ
二日酔いの中夕刊を読んでいてこんな記事が目に飛び込んできた。
  「慶応小中一貫校開校へ 横浜市が市有地売却」
最初はへ~横浜に慶応が出来るのかと思って読み進めていたが、どこに出来るかの記述を読んでびっくりした。
  「場所は横浜市青葉区の東急田園都市線江田駅付近で・・・(以下略)」
江田かい!うちのすぐ近くではないか・・・。ネットで調べたところ住所は荏田北とあざみ野南の辺りのようだ。うちからあざみ野への道のところじゃん。その距離600mほど歩いても10分かからないだろう泣 自分の生活圏に慶応が進出してくることに非常に不快感を感じる爆
日吉に直結する港北ニュータウン内に作っとけよ!!

さて、ずいぶんと寒くなってきた。今日インフルエンザのワクチンを投与してきたから、インフルエンザにはならないような気がするが、風邪には気をつけようと思う。