それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

フジテレビ「千葉ヒャダこじらせ男子旅」:リアルが充実、の謎

2015-10-11 22:05:53 | テレビとラジオ
 月に一回、知り合いがやっている室内楽のコンサートに行っている。

 その打ち上げに毎回参加していて、そのスタッフの学生さんたちや同業者やら音楽家やらの人たちとご飯を食べている。

 とても楽しいので、出来る限り行くようにしている。

 この間は学会を一日飛ばして、こちらに参加した(そして翌日ちゃんと学会に参加)。

 その食事の席で、私の同業者が「なんか生活が乾いていて、それで遂にフルート始めちゃった」と言っていたので驚いた。

 研究者というのは、そもそも趣味がそのまま仕事になったようなもので、それでも生活が乾くってどういうことかなあと考えていた。

 そしたら、僕もこっちに引っ越してきてから、そう言えばずいぶんと乾いているな、と思った。それで、自分だってカラオケにひとりでよく行っているじゃないか、と思ったのである。

 そりゃあ、好きなことだって仕事にしたら本当に大変ですよ。

 そんな私のちっぽけな日々のなかで、ふと見た「千葉ヒャダこじらせ男子旅」なのである。



 この番組は「久保みねヒャダこじらせナイト」のスピンオフ番組だ。

 準レギュラーの千葉雄大と、友達のヒャダインが仙台を旅した模様を放送した。

 根暗な二人だからこそ出来た奇跡のドキュメンタリ。

 千葉雄大が異常に可愛い。まず、この番組のコンセプトのほぼすべてがそこに集約されている。

 ヒャダインの言動不審と自意識の混濁も信頼のクオリティ。

 千葉とヒャダインの関係は一種のBLプレイで、それがファンのハートをわしづかみにしたうえで、握りつぶすハイレベル。

 名所や名物を食べただけでも、どういうわけか萌えに次ぐ萌え。BL好きでもないのに萌えるのは何故だ。それは千葉雄大の偉大さ、ヒャダインの不思議さ。

 千葉雄大の母校の学園祭への乱入は、見ているものに沢山のトラウマと、あり得なかった青春の一ページを心に押し付けてくる、地獄/天国の嵐(これはもはや言葉にしたくないsomething)。



 学会やら論文執筆やら何やらで孤独に疲弊する私に、このVTRは何かを流し込んできた。

 私も充実したリアルを送りたい!という気持ち。

 しかし、一体何をどうしたら充実したという気持ちになるだろうか。

 この前の翻訳合宿はかなり充実していたけれども、マジで死ぬほど疲れた。復帰が困難なほど、マジの合宿だった。

 あの時はリアルが充実した感じがしたが、もっと楽しい方に傾きたい。

 でもちょっとだけ疑っていることがある。

 どんなに楽しくても、すぐにリアルって乾いちゃうんじゃないかって。

 イギリスで生活していた三年目って、死ぬほど笑って死ぬほど泣いたけど、でもそれも忘れちゃってる。その記憶がここに文字として残っているだけなのだ。

 だから、正直よく分からないけど、とにかく千葉ヒャダのこじらせ旅をこれからも続けてもらって、それで私のバーチャルな方のライフを潤しておいてほしい。

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