それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

Tさん来る

2011-01-17 22:14:07 | 日記
午後、緊張の糸がとけて、ぼんやりとした午後を過ごしていたら、Tさんから遊びに行ってもいいかと連絡が。

もちろんどうぞ、と返す。ありがたい。

ツナのクリームパスタと、パンのドーナッツ風おかしを振る舞う。

その後、ふたりで飲みに行った。色々話す。いつもどおり最高に面白い。

今日出た彼の名言。

僕がパーティをしているイギリス人たちの三角帽(パーティ用)を見て、「ヨーロッパのひとたち、あれ、好きですよね」と言うと、彼が

「あれは結局、王冠のメタファーなんですよ・・・。」

最高。爆笑しながら納得。

今は帰ってきたばかり。帰りのバスで久しぶりに僕の部屋の前の住人と出会う。嬉しくなった。

明日からもう一回研究モードに入り、月末少しブレイクしよう。

面談終える

2011-01-17 12:59:50 | 日記
さっきまで指導教官との面談であった。

うまくいった。良かった。

今回提出した章は二人にとってもとても面白かったらしく、議論が盛り上がった。

自分でも今回書いた章はとても大事なことが書いていると思っていたので、それが伝わり何よりうれしい。

どうしても指導教官の指示を絶対視しがちな僕だけれども、「決定は君の意志だから」と毎回言われてしまう。

これは子供の頃からの指示待ち症候群か、それとも日本の権威主義の後遺症か。



今度こそ長期休暇をとるようにと強く薦めてきた二人。

日本式とはやはり違うイギリス式の指導であります。

3月に一時帰国すると言ったらとても喜んでいた。

休暇をとって喜ばれるなんて、素晴らしい国だ。

日本は頑張り過ぎだと思う。

でも僕は英語や異文化の壁を乗り越えるために頑張っている。

日本にいるときより頑張らなくてはいけないのだ。

その意味をヨーロッパの人は分からないだろう。

勝手ながら、僕は僕で「こいつ大したことないだろう」という視線に負けまいと、日本や東アジアを背負っているような気になるのだ。

この気持ちは、そういう視線にさらされた人にしか分かるまい。

留学の本当の醍醐味は軽く差別されたり、なめられたりすることだ。

真の理解はその先にある。