それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

連絡をもらう

2011-01-13 21:28:30 | 日記
昨日は日本にいる私の師匠からたまたま連絡がきて、この間メールで送った論文について一言もらった。

ほんの一言で、彼はまだまったく読んでいないのだけれども、僕はとても嬉しくなってしまったのである。

僕はこの師匠に対しては本当に犬的であり、これは自分がいた大学でも有名であった。

彼に対する尊敬や忠義の気持ちというものは、おそらく今まで自分が抱いたことのない類のもので、僕はそれをどう捉えて良いのか分からない。

よく誤解されるのだけれども、それは彼の学問的天才への尊敬という単純なものではなく、人格全体への想いなのである。

そういうわりに、案外彼からの仕事の依頼を雑にこなしたりしたこともあって、そういうところは「やっぱり猫だな、自分」と思ったりもする。



思いがけない連絡と言えば、今日、学部時代につきあいのあった友達から連絡がきていた。

この人はとても変わった人で、頭がきれるという感じではないのだが、ものすごくストレートにものを考える、素直な人だった。

そして、素直さというものが時に他人にとっては「ナイフ」(毒舌)になるのだなと、沢山笑わせてくれた人でもあった。

その人が去年の最初の方に出版した僕の論文が収録されている本を発見したので、それを買うべきかどうかでメールがきたのだ。

学術書というものは、一般読者を想定しているものと、そうでないものがあり、僕が関わったこの本は限りなく一般読者を想定していない、ものすごくレベルの高いものだったので、買わないようにとメールした(笑)

むしろ、次に僕が関わっている本が今年の末か来年の初頭に出るので、そちらを買ってくれと連絡した(一般の人とは言っても、彼女は新聞記者だが・・・)。

次の本は一般読者を想定しているのだ。そして、予定では部数も多くなるはず・・・。



今書いている博論が終わったら、日本語で色々出したいと思っている。

そのためにも、今取り組んでいるプロジェクトは腰の据わったものにしたい。

毎日格闘中。

これが生み出すことの大変さなのか、と思う日々。

今日は一日精神的には良くなかったが、研究はほんの少しずつ進んでいる。

それが僕の毎日。静かな僕の日々なのだ。