三 ウーォーレン・バフェットによるデリバティブ批判
ウォーレン・バッフェト(Warren Buffet)は、二〇〇二年時点で、デリバティブへの危惧を表明していた(Buffet[2002])。デリバティブを時限爆弾であると断定したのである。それは当事者だけでなく経済社会全体にとっても危険なものである。デリバティブは取引者の間を転々と移り、価値も確定していない。
価値は、つねに、時価評価(mark-to-market)されるといわれているが、確たる担保もなく保証されているわけではない。
時価評価の英語表記には、マーケット(market)という用語が使われているが、実際に市場で価値づけられるわけでもない。ただ、デリバティブの価格設定は、取引相手の信用が作り出す想定価格である。それは往々にして不合理な「思いこみの評価」(mark-to-myth)である。取引は、「モデルによる評価」(mark-to-model)に従っているとされるが、モデル自体が公理になっているわけでなく、取引者がそれぞれのモデルをてんでばらばらに使っている。取引も気まぐれな想定(fanciful assumption)に基づく。
しかも、デリバティブの期間は、しばしば、長期にわたる。ときには二〇年以上になることもある。そして、契約期間が終了する前に損得の可能性が公表される。しかし、儲けに関しては、算定の根拠が明確に示されることなく大げさに公表されがちである。デリバティブ取引の報酬は、契約期限が終了す前に支払われるので、経営陣はさしたる根拠もなく利益を大仰に公表し、多額の報酬をせしめるのである。CEO(Chef Exeptive Officer=最高経営責任者)が多額の報酬を得た後、かなりの時間が経って、公表された利益は嘘であったことが判明する。契約期間が長期であるうえに、利益が現実のものではなく算定されたものであることがこうした悲劇を生み出すのである。
利益が上がるときには、大げさに囃したてるが、悲観局面では、企業倒産の可能性が過剰に報道される。これもデリバティブ取引につねにつきまとう悪弊である。デリバティブでは、ある企業の破綻が、取引相手に連鎖的な破綻を生み出すという怖れが過剰に生じる。デリバティブの世界では、企業は、逆境に立っていると取引者から判断されてしまえば、多額の資金積み増しを要求され、そのことが当該企業の資金繰りを悪化させて破綻への坂道を転げ落ちてしまうのである。
デリバティブはリスクを連鎖させる。取引に膨大な数の企業が参加していて、リスクが短期間に増幅してしまう危険性が大きい。自分は十分に危険を分散させていると豪語する投資家でも、分散相手そのものが何らかの形で連鎖していて、一つの資金回収の途絶がすぐさま他の資金回収を困難にしてしまうのである。
銀行業界には、こうした「連鎖問題」(linkage=リンケージ)が十分に認識されたからこそ、連邦準備制度(FRB)が作り出された。この制度ができる前は、ある弱い銀行の破綻が他の強い銀行の流動性危機をもたらすことが頻繁にあった。Fed(連銀=Federal Reserve Bank)は、弱い銀行が破綻するや否や、まだ健全な銀行がその破綻に煽られて連鎖破綻しないように、破綻の連鎖を断ち切る政策を打ち出す。ところが、デリバティブの世界にはこの遮断システムがない。一つの破綻がすぐさま連鎖破綻を生み出しかねないのである。
デリバティブがシステム・トラブルを減少させると説く論者は多い。リスクを転嫁できるからであるというのがその論拠である。デリバティブこそは、取引の活発化が、個々のリスクを軽減させ、経済を安定化させるというのでる。
ミクロ・レベルではそうであるもかもしれない。しかし、マクロ・レベルでは、膨大なリスク、とくにデフォルト・リスクが少数の大取引業者に集中してしまうのである。少数の大取引業者たちが相互にデリバティブを契約しているために、一つの倒産が全システムを破壊してしまう可能性が高いのである。
こうした危険性は、一九九八年のLTCM(Long-Term Capital Management)の破綻によって十分に認識されていたはずである。このとき、Fedが介入しなければ、LTCMと関係のない金融機関までもが破綻していたであろう。
LTCMが多用していたデリバティブは、「トータル・リターン・スワップ」(total-return swap)と呼ばれていたものである。トータル・リターン・スワップとは、クレジット・デフォルト・スワップよりも、リスクを包括的にカバーする取引のことである。たとえば、プロテクションの買い手は、保有している社債から得られる利子収入をプロテクションの売り手に支払う一方、LIBORベース等の金利をプロテクションの売り手から受け取る。また、契約期間終了時に、当該社債が値上がりしていれば、値上がり分をプロテクションの売り手に支払い、値下がりしていれば、値下がり分をプロテクションの売り手から受け取る。このように、トータル・リターン・スワップの契約を用いると、プロテクションの買い手は、実質的にLIBOR(London Interbank Offered Rate)(5)ベース等の運用をおこなうのと同等の経済効果を享受することができるはずであった(http://money.infobank.co.jp/contents/T500258.htm)。専門家集団ですら、瞬時にしてLTCMを崩壊させたのである。
一九九四年創業し、わずか四年で倒産したLTCMは、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていないことに着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りするもの(Relative Value Trading=レラティブ・バリュー取引)であった。レバレッジを効かせて利益の拡大を図っていた。資本金六五億ドル程度の会社が、各国の金融機関の資金一〇〇〇億ドルを運用するという状態にまでなっていたのである。
しかし、一九九七年に発生したアジア通貨危機と、九八年のロシア財政危機から、同社は、一挙に奈落に転落した。新興国の債券・株式は危険であるという認識が急速に広がり、投資家が、投資資金を引き揚げて先進国へ移し始めた。しかし、同社は、このような動揺は数時間から数日のうちに収束し、いずれ新興国の債権・株式の買い戻しが起こると判断して、それに応じたポジションをとった。これらの経済危機によって生まれた投資家のリスクに対する不安心理は収まらず、むしろますます新興国・準先進国からの資金引き揚げを加速させていった。先進国の債券を空売りし、新興国の債券を買い増していたLTCMの経営は深刻な状態となった。資産総額が下がり始めてから約八か月の間で九四年の運用開始時点の額を下回り、同年九月には誰の目にも崩壊寸前であることが明らかとなった。
LTCMは、一〇〇〇億ドルもの資金を運用しており、さらには一兆ドルに上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。
ニューヨーク連邦準備銀行の指示により、一五行の銀行が、LTCMに三六億ドルの資金を融通し、当面の取引を執行させて緩やかに解体させた。