消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(137) 新しい金融秩序への期待(137) 大きな国家(6)

2009-04-19 07:01:24 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 五 闇の金融組織(Shadow Financial System)(24)


 いま、米国で起こっていることは、闇(shadow)の金融機関の崩壊現象である。闇の金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかの情報を絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。投資銀行を代表として、一九八〇年代から米国で急速に進んだ金融自由化によって雨後の筍のごとく輩出した金融組織がそれである。

 金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという旧い型の商業銀行であった。この種の商業銀行とは、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにするものであった。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものだったのである。もしも、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。救済されるという保証を得るために、銀行はすべての活動を表に出していた。そして、当局の監督に服していたのである。つまり、商業銀行は、影のない世界だったのである。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。この組織が破綻した。破綻するときに、約束違反の当局による救済を求めた。救済資金を出す代わりに監督を開始するという意図をもつ当局と、救済はして欲しいが当局による介入は嫌だという闇も組織とのせめぎ合いが二〇〇八年の米国の金融状況であった。

 大理石の重々しい建造物で、重々しく佇んでいた銀行マンは、預金者の金を企業に回せなくなってしまった。金は闇の金融機関に集中するようになっていたのである(Krugman[2008])。つまり、金は非預金組織(nondepository  institution)に集まっていたのである。ベア・ターンズやリーマンがそうした非預金組織であった。

 こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、金融危機の発現によって、闇の組織の方がリスク軽減に優れているわけではなかったことが明らかになった。真のリスクは隠され続けてきたのである。投資している人からリスクは見えなくさせられていたのである。

 闇の金融組織がパニックに陥った。しかし、預金者たちが取り付けをするために、銀行の閉ざされた扉を激しく叩く光景は見られない。闇の組織は、預金など受け入れていないからである。けたたましく電話が鳴り、神経質にコンピュータの画面をクリックする行員の姿だけが見られる。窓口に人が殺到していないのである。

 表面に現れた光景は異なるものの、信用が急激に収縮し、資産価値が急速に減価していることは、一九三〇年代と同じものである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとした。膨大な公的救済資金が注がれた。しかし、それは、買収する組織を助けるだけのものであった。株主のこと、納税者のことなど念頭にはない。しかも、当局の救済に当てられるべき資金は枯渇してしまっている。ファニーメイやフレディマックを救済しても、それが、米国の財政破綻を招くことになるであろうとの意識はない。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある。

  必要なことは、いかに、新しいルールを早急に作るかにある。それなくして、公的な資金を垂れ流しても意味がないであろうとクルーグマンは述べている(Krugman[2008])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった。ローンを証券化し、その証券をさらに、別の形の証券化に組み替えるという際限なき手続きが闇の金融組織の常套手段であった(Roubini[2008])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸付に対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる。この組織が輩出するようになってまだ一〇年そこそこしか経っていない(Tett & Davies[2007])。

  彼らの手法は、ほとんど外部の人間には知られていなかった。SIVs(Structured Investment Vehicles)にしても、CDOs(collateralised debt obligations )という用語にしても、サブプライム・ローン問題が表面化した二〇〇七年夏以降のことでしかなかったのである。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである(25)。