ディオゲネス・ラエルチオスの『ギリシャ哲学者列伝』によれば、
「ピタゴラスは宝石細工師、ムネサルコスの息子で、ヘルミッポスの言うところによれば、サモスの人であり、アリストクセノスの言うところによれば、アテナイ人たちがチュルレノス人たちを追払って占領した島々の一つから出たチュルレノス人である(山本光雄編訳[1958]、14ページ)。
サモス島は、エーゲ海で、アテネの対岸にある。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスのいたミレトスの目と鼻の先にある。チュルレノス人は、アテネ人に追い出され、アテネ人に対して反目するところがあったらしい。ピタゴラスは生年没年とも不明で、一般的にはサモス島を去りイタリア半島のクロトンへと渡っBC532年を盛年(アクメー=40歳)と見て、572年前後の生まれとされている。
ディオゲネス・ラエルチオスの『ギリシャ哲学者列伝』には、
「サラピオンの息子ヘラクレイトスの言うところによれば、大多数の人々の言うところでは、ピタゴラスの死は享年90歳であった」(同上書、14~15ページ)、
とあるから、BC480年前後まで生きたとされている。
ピタゴラスの師匠については、ディオゲネス・ラエルチオスの『ギリシャ哲学者列伝』によると、
「彼はシュロスのペレキュデスに師事したが、彼の死後サモスに帰り、クレオピュロスの子孫で、すでにかなりの歳であったヘルモダマスに師事した。」(同、14ページ)。
シュロスはエーゲ海に浮かぶ島の一つで、アテネとサモスの中間にある。ペレキュデスは生没年不明。神学者で、ダマスキオスの『第一原理についての疑問と解決』の著者で、古代ギリシャ哲学のアルケーを神話の文脈押し込んだ人である。
このことは後のピタゴラスの思想形成に大きな影を落とすことになったと思われる。ピタゴラスがミレトスの三賢人と違うのは、数学者でありながらも同時に神学者でもあったことだ。科学と神学との共存がピタゴラスを特徴付けるものであり、おそらくこのことが「哲学の祖」とされる一つの理由であろうと、 http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/pitago.htmlはいう。
前回の叙述に反するが、ピタゴラスはクロトンで結構、政治的影響力をもっていた。
テオドロスによると、シュバリス人たちの間で内紛が起こった。テリュスが首謀者となって、有力なシュバリス人の市民のうち、富裕な人々五百人を財産を没収して追放した。追放された人たちがクロトンに逃げてきた。彼らはクロトンの祭壇に逃げ込んだ。テリュスはクロトンに使を派して、逃げ込んだ人々を引き渡せ、さもなければクロトンを攻めると脅迫してきた。クロトンの民会は戦争を恐れて、救いをもとめてきた逃亡者たちをテリュスに引き渡そうとする方向に傾いたが、ピタゴラスが断固戦うべしと主張し、クロトンは戦争に踏み切った。戦争はクロトン人の圧勝に終わり、クロトン人たちは、シュバリスを攻略した(同上書、17~18ページ)。
ことほどさように、ピタゴラスは市民に戦争を命じるほどの有力者であった。
ちなみに、この箇所の日本語訳をそのまま引用すると以下のようになる。
「シュバリス人たちのところでテリュスが民衆指導者になって、有力な市民たちを弾劾し、市民たちのうちの非常に富裕な人々五百人を追放して、彼らの財産を没収するように説得した。追放者たちはクロトンにやってきて、市場の祭壇の下に逃げ込んだので、テリュスはクロトン人たちに使を派して、追放者たちを引き渡すか戦争を受け入れるか、そのいずれかを択べと命じた。そこで民会が召集され、救いを求めて来た人々をシュバリス人たちに引渡すか、それとも自分たちよりも有力な人々に対する戦争を敢えてするかについて討議がなされたが、召集された評議会員も民会員も策に窮したので、最初には大多数の意見は戦争をきらって救援者たちの引渡しに傾いた。しかしその後哲学者のピュタゴラスが救うことを忠告した時、意見は変わって、彼らは救援者を救うために戦争を択んだ。‥‥クロトン人たちは怒りのために一人も捕虜にすることを望まず、逃走中彼等の手中に落ちた者は皆殺しにしたので、その大多数の者が惨殺された。その国を劫略して、これを完全に破壊した」。
斯学*の権威者に対して失礼だが、これは、意味不明の日本語である。翻訳と直訳とはまったく異なるものである。民衆の言葉で書かれたギリシャの古典哲学が邦訳されるや否や晦渋な謎の文章になってしまう。悪しき翻訳の習慣がギリシャ哲学を人々に縁遠いものにしている。
*(しがく、この学問の意味)
ここで依拠したウェブでは、次のような結論が出されている。
「ここからわかるのは、ピタゴラス教団自体がクロトンを支配していたのではなく、クロトンの民会や評議会は独立して存在していたのだが、教団はその議論をひっくり返すだけの影響力を持っていたということだ。
ピタゴラスが逃げてきた裕福なシュバリス人を救出する動機は十分にあった。つまり、彼等を信者になることを条件に救出すれば、その財産はみなピタゴラス教団のものとなるからだ。
逃走するシュバリス人に対し殲滅戦を指揮したのもピタゴラスの命令であった可能性が否定できない。教団にそむくことの恐ろしさを広く他国にも示すことができるからだ」。
アリストテレスの『自然学』によると、
「ピタゴラスの徒たちも、また空虚は存在する、そしてそれは無限な気息から宇宙のうちに入ってくる、宇宙がまた空虚をいわば吸い込むので、そしてその空虚は、あたかもそれが連続しているものの項を何か独立させるもの、区分するもののように、諸本性を区別する。そしてこのことはまず第一に数においてなされる、何故なら空虚が数の本性を区分するゆえ、と言っている。」(同上書、23ページ)。
ここからは、依拠したウェブから離れて私見を述べる。
この日本語を理解できる人はいるのだろうか。またして謎の不可思議な言葉の羅列である。アリストテレスの『自然学』(Physica)の英訳は以下の通りである。
”The Pythagoreans, too, held that void exists, and that it enters the heaven from the unlimited breath – it, so to speak, breathes in void. The void distinguishes the natures of things, since it is the thing that separates and distinguishes the successive terms in a series. This happens in the first case of numbers; for the void distinguishes their nature.”Aristotle[1958]).
英訳にすれば分かりやすい。おそらくは、主語を明示する英語の習慣が、邦訳の晦渋さを回避させているのであろう。
「ピタゴラス学派の人々も空(くう)(void)の存在を主張している。空が天(heaven)を作った(enter)のである。空の中で無限の呼吸が息吹いていた。この無限の呼吸を通して天が生みだされたのである。事物自然は空の中から生み出されたものである。無限の連なりを分割し、性格を与えるものこそ事物である。そうしたできごとはまず数字の世界で生じる。空が数字の本性を作り出すからである」。
無限定な茫漠たる世界を、分割することから自然とそれに対する人間の認識が始まる。認識を生むために分割させるため究極の手段が数字なのである。数字こそ、自然を生み出す根源的力である。このように、アリストテレスはピタゴラス学派の教義を解釈していた。アリストテレスの文章はこう理解すべきなのであろう。しかし、ピタゴラスのいう空は、こうしたアリストテレスのエセ科学とは似て非なるものである。
ピタゴラスの空は、今日の仏教でいう空と同じものである。空を食うとして慫慂として受け入れること、ここにピタゴラスの空(ケノン)はあった。光輝く世界史か見ようとしなかったアリストテレスにはこうした世界が認識できなかった。
私がピタゴラスにこだわるのは、アリストテレスによるピタゴラスのこうした貶めへの怒りからである。それにしても、失礼な言い方で申し訳ないが、日本の斯界の権威者はこのことに気づいておられたのであろうか。こうした意味不明の翻訳ですませる事態に直面するかぎり、大いに疑問である。