野崎日記(35) 新しい金融秩序への期待(35) ついに買い手がいなくなった米国債―米国発金融恐慌の行き着く先(11)
注
(15) サムライ債とは、海外の企業が日本国内で円建てで発行する債権のことを指す。1970年にアジア開発銀行が60億円の債権を発行したのが日本初のサムライ債となっている。当初は国や州などの公的なものが中心であったが、時間を経て様々な発行主体や形態のサムライ債が登場するようになった。日本では近年金利の低い状態が状態が続いており、海外の発光体にとっては低金利で資金調達をすることができるのが魅力となっている。また、日本国内の個人投資家も預金金利の低下を背景に資産運用の手段としてサムライに注目をしている。このように発効体と個人投資家の双方の要望に答える手段として発展していく市場であると考えられている。
サムライ債は発展途上国が発行体となっている場合も多く、そのようなケースでは利回りは高い一方でリスクも高くなる。二〇〇一には、経済危機の際にアルゼンチン債がデフォルト(債務不履行)になっている。類語としては、海外の企業が日本国内で外貨建てで発行するショーグン債がある(
http://m-words.jp/w/E382B5E383A0E383A9E382A4E582B5.html)。
米国第四位の証券会社リーマンブラザースがサブプライムローン損失で経営不安に陥り同社の株価が二〇〇八年九月九日に四五%急落したとき、米国のシティグループは 日本の個人投資家向けに三一五〇億円のサムライ債(期間三年、利回り年三・二二%固定金利)を売出すと発表した。シティーグループの格付けは、当時まだAAマイナス(S&Pによる)と信用度が高く、三年以内(償還前)に債券を売却しない限り 為替変動の影響を受けずに、元本と利息が確保されるので、日本の投資家が競って買い、翌日の一〇日には、完売した。定期預金は安全だがインフレヘッジできない。株や外貨預金や外債はリスクが高い。このように考える人が多い中で、運用先に悩む日本の個人投資家が殺到したのである(
http://hakuzou.at.webry.info/200809/article_6.html)。
(16) ベーシススワップとは、変動金利と変動金利のスワップ取引のこと。異なるリスクを持つ変動金利をスワップする取引、異なる期間を持つ変動金利をスワップする取引、異なる通貨の変動金利をスワップする取引などがこれにあたる(
http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_2712.html)。
(17) 一九三三年銀行法のこと。このグラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act P.L. 73-66, 48 STAT. 162)の下で、一九九九年の金融近代化法ができるまでの六六年間、まがりなりにも機能していた。米国社会には、ジェファソニアン・デモクラシー (Jeffersonian Democracy) の伝統がある。州権の尊重、 金融独占に対する反発、 コミュニティ重視等々がその内容である。
その原則に基づいて、世界大恐慌以降の米国の預金金融機関制度は、一九七〇年代半ばに至るまで、一九三三年銀行法 (グラス・スティーガル法) による厳格な規制下に置かれてきた。 この規制の骨子は三点あった。
①預金金利規制。世界大恐慌以前の米国の銀行は、 預金獲得のために、ハイリスクの融資先に貸し付けていた。一九二九年一〇月二四日の株価大暴落と、 それに続く世界大恐慌の中でこうした銀行の多くが破綻に追い込まれたため、 一九三三年のグラス・スティーガル法では、 要求払い預金 (いつでも引き出せる預金) に対する付利を禁止し、 さらに連邦準備制度理事会 (Board of Governorsof the Federal Reserve System : FRB) の前身である連邦準備局 (Federal Reserve Board) に対して、 同制度加盟銀行定期預金上限金利を規制する権限を付与した。 FRB (「一九三五年銀行法」 Banking Act of 1935 P.L. 74-305, 49STAT. 684 により連邦準備局を継承) は、 連邦準備制度法に基づく 「レギュレーションQ(Regulation Q)」 によりこの規制を成文化し、金利競争が過熱しないよう上限金利を低く抑制してきた。
②地理的業務規制。銀行の過度の拡張主義を防ぐため、 銀行の支店設置可能な地域は、 「一九二七年マクファーデン法」 (Mc-Fadden Act of 1927 P.L. 69-639, 44 STAT. 1224)及びグラス・スティーガル法によって、 国法銀行・州法銀行いずれの場合においても州銀行監督当局により規定されるものとされた。 大部分の州では、 州銀行法によって州境を超える支店(州際支店) の設置を禁止しており、 また商業銀行の州内への支店設置も認められなかったため (これを単店銀行制度 (Unit Banking System)という)、 この規定は銀行の営業範囲を厳格に規制するものとなった。 結果として、 米国は欧州・日本と比べて、 小規模な銀行が多数存在する金融構造をもつことになった。
③業務範囲規制。世界大恐慌時の株価暴落に伴って、 高リスク、 高利回りの不健全な証券へ投資をおこなっていた銀行は経営危機に陥った。 また、 銀行が証券業務に参入することは、 系列証券会社の関与した証券の売却を促進・成功させるため、 銀行の当該証券の発行者に対する与信判断が甘くなったり、 あるいは倒産寸前の融資先企業に系列証券子会社を通じて社債を発行させ、 調達された資金を融資の回収に充当して倒産リスクを投資家に転嫁するといった利益相反が発生する懸念があった。このためグラス・スティーガル法では、 以下の四か条により、 銀行業と証券業との分離を厳格に規定していた (この四か条をとくに 「グラス・スティーガル条項」 といい、 狭義では同条項のみを指して 「グラス・スティーガル法」 の語を用いることがある)。(1)銀行本体で証券業務をおこなうことを禁止する。 米国債や州の一般財源債などの「適格証券」 を除き、 株式・社債 (これを「非適格証券」 という) の引受けやディーリングを、 銀行が自己勘定でおこなうことはできない。(第一六条)。(2)銀行は、 銀行本体でおこなうことができない証券業務に主として従事する会社と系列関係をもつことができない (第20条)。証券会社は預金受け入れをおこなうことができない (第21条)。(3)銀行の役員は証券会社の役員を兼任してはならない (第32条)。またグラス・スティーガル法では銀行が保険業務その他の一般事業会社を所有することの禁止が明文化された。
グラス・スティーガル法はこうした規制を通じて金融制度の安定化を図る一方で、 連邦預金保険公社 (FDIC) を設立して預金保険制度を創設した。さらに 「一九五六年銀行持株会社法 (Bank Holding Company Act of 1956 P.L. 84-511, 70 STAT. 133 )」では、 ある州に本社を置く銀行持株会社が、 他州の銀行を取得することが明確に禁止された。 ただし、この一九五六年の法にある、ダグラス修正条項 (Douglas Amendment) により、 進出先の州法が明示的に許容している場合には取得が認められた。 この場合には銀行持株会社を利用して複数の州の銀行を子会社として傘下に置くことによって、 州際業務をおこなうことが可能であった。この法では、 当初、 複数銀行持株会社 (二つ以上の銀行を傘下にもつ持株会社) のみを規制し、単一銀行持株会社 (傘下に一つしか銀行を持たない持株会社) を規制の対象外としていた。 このため1960年代末には、 単一銀行持株会社の形態を取って、 銀行が一般事業に進出することが盛んになった。 しかし、この抜け穴は、「一九七〇年銀行持株会社法修正法」 (Bank Holding Company Act Amendments of 1970 P.L. 91-607, 84 STAT.1760)によって塞がれた。一九三〇年代に確立した米国の金融制度は、 以後約半世紀にわたり継続した。
米国の預金金融機関には大別して①商業銀行、 ②貯蓄金融機関、 ③クレジットユニオンの三種類があり、 商業銀行はさらに、 連邦法免許の国法銀行 (National Bank) と各州銀行法免許の州法銀行 (State Bank) の二種類に分けられる ( 「二元銀行制度」 という)。国法銀行は連邦準備制度・連邦預金保険制度への加盟が義務づけられるが、 州法銀行の両制度への加盟は任意である。 ただし連邦準備制度に加盟した州法銀行は、 連邦預金保険制度にも加盟しなければならない。連邦準備制度に加盟していない銀行に対しても、 一九三五年、 連邦預金保険公社 (Federal Deposit InsuranceCorporation : FDIC) に定期預金の上限金利規制権限が付与され、 レギュレーションQと同水準の金利上限規制が適用された(樋口[2003]に依拠)。