消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(42)新しい金融秩序への期待(42)金融機関救済資金が生むハイパーインフレーション(1)

2008-12-31 11:52:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 はじめに

 米国で、「金融経済安定化法案」(1)が〇八年一〇月三日に成立したにもかかわらず、世界的な株価暴落が止まらない。連日、戦後最大の下げ幅を記録したのが、法案成立後の〇八年一〇月の世界の株式市場であった(菊川[20080926]、http://www.afpbb.com/article/economy/2435657/3375181)。

 金融崩壊と実物経済の縮小がスパイラルを描き始めた。そして、素材価格の暴騰という典型的な世界的スタグフレーションが姿を整えつつある。そ暴騰の火種を加えているのが、米国政府による巨額の資金散布である。


 一 心肺機能が停止した米国金融市場

 金融機関が心肺の停止に陥りつつある。金融工学の計測値によれば、三・四%超の一日当たりでの株価下落は、八八年間に五八日程度のわずかな日数だけで(実際には一〇〇一日)、四・五%以上の下落は六日程度(実際には三六六日)、七%超は三〇万年に一日しか起こらない(実際には四八日)とされてきた。ところが、EESAが上院を通過した〇八年一〇月一日の翌日のニューヨーク市場の株価は四%、下院を通過した同月三日には三%、六~七日には、ピークから三〇%も下げた。それこそ、計算上は何十万年に一回、歴史的実績からしても数十年ぶりの大暴落が続いたのである(計測値と実勢値については、東洋経済編集部「20080906]、三九~四〇ページ)。

 〇八年一〇月の第一週は、MMF、インターバンク、クレジット、CP等々のすべての金融市場の崩壊現象が見られた。まさに、心肺機能停止寸前にまで金融システムは追い込まれれていたのである(Roubini[20081003])。

 三〇〇社を超える不動産貸付業者が倒産した。SIVは毀損した。SIVブローカーの主要五社のうち、二社が破綻し(ベアとリーマン、残り三社は、FRBの監督に服する商業銀行に衣替えさせられた(メリル、モルガン・スタンレー、ゴールドマン)。巨大なヘッジファンドから出資者が資金を急激に引き揚げている。モルガン・スタンレーは、一〇月二日時点で、顧客のヘッジファンドからの預かり金の三分の一を解約された。

 しかも、投資銀行だけではなく、商業銀行からも預金が流出している。しかし、EESAが成立するまでは、全預金の六三%しかFDICの保証を受けていなかった。二〇〇八年第二・四半期のFDICの報告によれば、米国の全預金は七兆三六〇億ドルあった。うち、FDICが保証できるのは、四兆四六二〇億ドルであった。法案成立後も、預金保護の上限、一〇万ドルを二五万ドルに増額したが、それでも、全預金の七三%をカバーできるだけであった。一兆九〇〇〇万ドルがまだ保証されていない。現実的にも二五万ドル以下の保証では意味をなさないであろう。どんな小規模のビジネスも二五万ドル以上の現金を使用しているし、大規模なビジネス、とくに外国取引では数百万ドルの現金を投入していなければならないからである。外国の銀行とのインターバンク取引では八〇〇〇万ドル達している。二五万ドル以下の預金保証ではほとんど意味をなさないのである。眼前に展開しているのは、「闇でうごめく銀行システム」(shadow banking system)の音を立てての崩壊である。

 金融機関だけではない。企業も、CP市場が崩壊してしまっているために、通常の運転資金の調達に困難を覚えている。金融システムの崩壊が資金調達の重要な手段であったCP発行を阻止している。CPによる企業の資金繰りの悪化が続けば、金融の混乱が実物経済の崩壊を生み出してしまう可能性が非常に大きくなる。〇八年九月、一年以内に満期になり、借り換えが必要な資金は全米で五〇〇〇億ドルあった。しかし、九月中にCP市場の縮小幅は二〇〇〇億ドルになった。市場規模の縮小率は毎週八・七%のスピードで進んでいる。

 大恐慌の足跡が確実に近づいている。預金者の資金が銀行を通じて間接的に企業に融資される間接金融システムに比べて、資金市場から証券を発行して資金を調達するという直接金融システムは、金融崩壊時にははるかに脆弱なものであったことが、〇八年の金融危機が示した。

   金融の構造変化を果敢に遂行するのではなく、短期資金を市場に放出するだけの救済(bailout)手段では、米国発の金融恐慌のグローバル化は阻止できないのである(Roubini[20081006])。


野崎日記(41)新しい金融秩序への期待(41)追いつめられる日本の医療

2008-12-30 01:12:39 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  はじめに

  2年前に書いた「姿なき占領」という本で、「75歳以上の高齢者向けの医療保険制度が、他の世代から独立して2008年に新設されることになった。この新制度に関して、保険料の徴収義務だけが市町村に委ねられるが、運営は都道府県単位で全市町村が加盟する広域連合が担うことになった。」と警告したのに、世間が騒ぎ出したのはつい最近のことで残念だ。すべての保険体系から75歳以上を独立させることは大変なことで、ずばりこれで日本社会は崩壊すると言える。以前から医療問題に真剣に取り組んできたが、今日は、経済学ではこんな事を考えているのかと是非分かってもらいたいと思う。

  米国の経済学者は政府に“よいしょ”する者が多いが、米国にポール・クルーグマンという学者がいて、彼は非常に数少ない政府批判をする学者だ。「我々はもう一度革命を起こさなければいけない」と最近の論文で述べている。反・反革命である。

  クルーグマンは、米国が最下位から2番目の貧困国になった現在の状態を、全てフリードマン的な自由主義の経済が原因だと訴えた。つまり、アダムスミス的自由主義がケインズ的管理通貨体制になり、それをひっくり返してお金は自由にしろというのがフリードマンだから、今世界が救われる為にはフリードマン的なお金の自由な動きを止めなければいけない。これが反・反革命をやるとういう事なのである。今やらなければならない事は、そのお金の自由奔放な動きに歯止めをかける事である。ところが一層そのお金を自由にさせる方向になってきているのだ。

  日本は物凄く赤字だと言われているがこれは嘘で、一生懸命米国を支え、米国の国債を世界一買っている。しかも、買った米国の国債は日銀にあるのではなく、米国の連邦銀行の一つにあるのだ。こんな屈辱的なことはない。日本は、ドルで米国に援助をしており、そのドルを民間から調達することが出来ないから政府が円の国債を発行する。円の国債を発行してその円を調達してきて、その円でドルを買う。買ったドルで米国の国債を買う。その結果、日本の国債が発行されているから日本は借金。一方その借金の反対側には資産(債権)がある。それがドルだ。

  ところが政府の行う統計は、日本の資産のドルの方は外し、円ばかり出す。だから借金が多くて大変なのだという。例えば日本にしかない概念である国民負担率。「これ以上社会保障の国民負担率が上がっていくと日本は大変な事になります。だから皆さん国民負担率を下げましょう」と言う。その結果どうなったかというと、国民負担率の定義を意図的にごまかしているのである。皆さんに払わなければならない医療費というのは、国、企業、個人の三者が負担していて、この時政府の言う国民負担率というのは、公的な物の負担だけを見る。これを下げた分だけ個人と企業の負担が増えるのだ。小泉内閣になってから企業側の負担がどんと減り、国の負担率を下げた。そうすると皆様が個人で支払う負担率が上がるのは当たり前なのである。国民負担率を下げなければ大変な事になると言いながら、その個人の負担率を大幅に上げていくという詐欺を平気で国がやっているのである。

  「1、老人医療制度改悪の真の狙い」

  2006年の問題の小泉政権下医療制度改革法、08年4月から老人保健制度に変わる75歳以上を対象にした新制度が始まった。そこにタイミング良く外資系の保険金融資本が日本の医療分野に進出し、特にがん保険という特定分野に参入しそのシェアを拡大。圧倒的な宣伝攻勢(入れます宣伝)で医療保険に高齢者を取り込んでいるのは明らかである。今、公的医療保険が民間の医療保険に姿を変えつつある。公的医療保険では集めたお金の98%近くが支払いに当てられ、我々のお金はそのまま医療費に回されていくが、民間の医療保険では利益が優先されてしまう。医療保険の支払いは費用であり、医療の民営化の怖い所はここにある。日本の医療制度は非営利原則・公的医療保険を軸に社会保障制度として運営されてきたが、資本の営利の対象になった。米国という国は儲けるだけ儲けたら即去っていく。米国の保険会社は、医療問題で米国で叩き出されて日本に進出し、日本で大きく宣伝している保険会社は、日本一国で全世界の7割を売上げているのである。

 
  「2、格差による病気」

  WHOが「格差症候群」という言葉を使っている。2006年に「健康の社会的決定要因に関する委員会」をマイケル・マーモット(英)を長として組織した。これは、健康は収入格差、地位格差によって違ってくる。つまり死亡率は収入の低い人が高く、金持ちは長生きをする。しかし許し難いのは、階層的差別、つまり会社にとって地位の低い階層の死亡率が高いという結果が出ていることだ。マーモットはこれまでの知見を総括して、「格差症候群の最大の原因は不平等に起因する慢性的ストレスにある」と結論づけた。特に、「自分の人生・暮らしを自分でコントロールすることができるかどうか」は重要で、人種差別や地位的格差を始めとする「慢性的ストレス」が健康被害の原因になっていると述べている。

  
  「3、医療費」

  国民一人あたりの医療費は、日本は世界でも低い国であり、米国は最も高い国である。ところが、日本の平均余命は世界1位なのに米国は26位。しかも乳幼児死亡率は日本が出生者1000人あたり2.8人世界3位に対し、米国は6.8人世界29位。米国の医療ほど効率の悪い国はない。理由の第一は「民」を主体とした医療保険制度。第二の理由は、格差社会に暮らす事がもたらす健康被害にある。この10年間で日本は、経済成長率はOECD加盟国中最低になり、私達の企業利益に占める人件費率は70%から50%にまで下がり、それに対しGDPに占める企業の利益率は大きく上がる一方で人件費は非常に下がってきているということである。

  問題は医療費の負担率。日本の企業の負担は世界でも最低ランクで、貧困層における共働き(出稼ぎ)世帯の割合が日本は突出して高い。女性も自立する為に仕事を持つのではなく、食べていけないから仕事を持つという状況が本当に増えている。貧困が日本に累積しているのである。

 
  「4、減り続けてきた事業主負担」

  国民負担率が大きい国ほど事業主負担率も大きく、フランスは日本の2倍ある。事業主負担が大きくなると国際競争力が低下すると言うが、ヨーロッパではそういう議論はしない。社会保障費用が高いから国際競争力が低下したなど、口が裂けても言うことはない。

  自営業者の日米比較では、700万円の課税収入がある50歳4人家族で、所得税は日米同じぐらいで住民税が米国の方が安い(日本70万円、米国37万円)。日本の国民年金保険料は17万円、米国115万円。日本では国民年金保険料は義務ではなく払わなくても犯罪ではない。しかし米国では税金であり、払わなければ脱税となる。医療保険を見ていくと、上限額が日本は現在62万円、米国は242万円で日本の4倍近い。つまり、租税および年金・医療保険料負担の総計は日本が246万円、米国は493万円で、政府の言う国民負担率は米国の方が小さく米国並みにしろと日本政府は言うが、本当に個々の国民が払わなければならないお金は米国の方が2倍以上ある。この点を踏まえて、医療費の損失額を考えて欲しい。

  つまり私達は公的保険という時に、我々が賭けたお金が我々の医療費に回ってくるのだと当たり前のように思っていている。公的だから儲けてはいけない。それに対して「民間」は儲けなければいけない。ということは民間保険は、我々に支払う医療費を少なくする。そして儲けた企業ほど良い企業だとなり株が上がり、株の上がらない会社をのっとり、あっという間に保険会社による病院の独占的経営が成り立っていくのである。医療と教育は絶対に儲けてはいけない分野である。


  「5、姿なき占領」

  日本市場をこじ開けようとするUSTR(米国通称代表部)の日本担当者がチャールズ・レイクであった。USTRは「年次改革要望書」、「日米投資イニシアティブ報告書」を始め、日本政府に次々と構造改革を迫る文書を作成し、そうした文書に沿って日本政府を動かしてきた組織である。2003年にレイクがアフラック・ジャパンの社長に就任した。USTRの日本担当の最重要人物としてアフラックにスカウトされたのは単なる偶然だろうか。日本をこじ開けた最大の功労者がアフラックという会社に入った時、アフラックの狙いは何なのだろうか。

  レイクは対日交渉の過程で、当時の大蔵省の「護送船団方式」を基本的に守るというスタンスが、新設された金融庁の「自己責任原則による金融行政」というものに変わり、これで日本の金融もやっとグローバルスタンダードになったと語った。その上で「簡保」を変えなければ良い金融行政にはならないと強調した。民間企業は「簡保」に比べ保険市場で不利な立場にある。これらを放置すれば、「構造改革」は成功しないと強く訴えた。「自己責任原則による金融行政」の具体化とは、つまるところ「簡保」の廃止である。

  この2、3年の外交を見ていると、連戦連勝は英国であり、英国がロシアや朝鮮を動かしている。これで米国の時代は終わったのだと感じる。どこにおいてもアングロサクソンの天下であり、米国が駄目になったら次は英国だという事になっている。むしろ米国の金融機関は英国に移り始めている。こういう流れが来ていると、世界は物凄く劇的に動いているのだなと思う。英国は庶民の立場を代表する色んなグループを持っている。ところが、私達の日本は、労働組合は無くなるし、国民の声を代弁する場所が全く無い。これからは医療が本当に主役になるので頑張って頂きたい。そして経済学をやっている私達との連携を切にお願いしたいと思う。


野崎日記(40) 新しい金融秩序への期待(40) 株価暴落が起こる理由―借金のつけ

2008-12-28 02:55:02 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 日経平均という統計がある。東京証券取引所第一部に上場する約一七〇〇銘柄の株式のうち二二五銘柄を対象として算出された株価の水準(指数)である。日経二二五ともいう。この日経平均が〇八年一〇月の一か月間で一万一三六八円台から二六八二円と二三%強下げた。過去最大の月刊下落率である。その間、株価は激しい乱高下を繰り返した。三〇九一円の急落(最初の七日間)、その後、一二七一円急騰(二日間)、そして、一〇八九円(一日)、八四七円上げ(三日)、二一四三円下げ(四日)、一八六六円上げ(三日)、四五二円下げ(一日)と、急上昇、急下落を繰り返した。これは、株式市場の怯えを反映したものと簡単に説明されている。

 しかし、この説明は納得できるものではない。株価が急落しているとき、私たち素人は大幅な損をするのが嫌だから、手持ちの株を売らずに塩漬けしてしまうはずである。それなのに、株のプロたちは、大損を出してまで、なぜ狼狽売りするのであろうか。このことが金融恐慌の真の意味を理解する基本的な鍵がある。

 レバリッジがそれである。レバリッジとは梃子のことである。自己資金に他人から借りた巨額の資金を加えて(レバリッジをかけて)投資して、いくばくかの謝礼を貸してくれた人や企業に払うだけで、大半の儲けは自分のものにする。儲かれば、自己資金だけで投資するよりも、借入資金を援用したレバレッジド投資は何十倍もの利益を生み出す。

 こうした投資をしてきたのは、主として投資銀行である。投資銀行がファンドや商業銀行からカネを借りて投資をしている。ファンドとは金持ちの会員組織で、会員名は匿名である。金持ちしか参加できない。商業銀行は個人の預金を貸し付ける。

 ここで、商業銀行と投資銀行の違いを説明しておきたい。商業銀行とは、預金を受け入れ企業に貸す銀行であり、営業内容を事細かく政府の金融監督局に報告する義務がある。そうした義務を課せられてた見返りに商業銀行は当局の保護を受けることができる。破綻しそうになれば、預金保護や資本補填などのための公的資金援助を受けられるのである。しかし、投資銀行はそうではない。営業内容を当局に報告する義務を負わない。その代わりに、破綻の怖れが出てきても当局からの援助は受けない。そういう了解の下に、投資銀行はあらゆる規制から自由であった。これが米国が推し進めた金融自由化の真の内容である。金融自由化とは投資銀行育成策に他ならなかった。自由な活動を許された「闇で動く銀行組織」(シャドウ・バンキング・システム)として投資銀行は、様々の新しい金融手段を開発して、我が世の春を謳歌してきた。これがひっくり返り、約束に反して当局からの資金援助を受け、米国から投資銀行が完全に消滅した。これが〇八年九月のわずか一か月間で生じたことである。その余波を受け手て世界的株価大暴落が一〇月に生じた。なぜか?

 破綻する危険性が強まった投資物件を処理しようにも、無価値になってしまっているのだから買い手がいない。しかし、投資で借りたレバリッジ資金の返済日が容赦なくやってくる。やむなく、危ない物件に投資した人や組織は、返済資金(現金)を得るために、手持ちの優良な株式を損失覚悟で売らなければならない。売り圧力によって、株価は下落する。

 そこに、そうした株価下落を儲けの対象にする別の投資家が出てくる。空売り屋である。空売りとは、株式を借りてそれを現物市場で売る。売り浴びせて十分に株価が下落した時に安値で株を買い戻し、その株を返済する。つまり、売りで現金を得、安い価格で買い戻して現金を支払うが、差益は株価の下落分だけ大きくなる。結果的に株価は暴落する。金融恐慌という地獄のさなかにあっても、三途の川を渡る駄賃を稼ぎ出すのが倫理なき投機の世界である。

 レバリッジの存在が株式市場を崩壊させたのである。そのレバリッジを加速させたのが、CDOという、返済を得る権利を売るべく証券にしたものである。それは、債務担保証券といわれる。これは、相対取引といって、市場で売買されるものではなく、投資銀行から言い値で買わされた証券である。〇八年一〇月二九日、ソフトバンクが日本で初めてCDOの損失可能性750億円を公表した。これは金融恐慌の第二合目にしかすぎない。

野崎日記(39) 新しい金融秩序への期待(39) ハイパーインフレーション(3)

2008-12-27 13:23:05 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

野崎日記(39) 新しい金融秩序への期待(39) 金融機関救済資金が生むハイパーインフレーション(3)


 

(1) "the Emergency Economic Stabilization Act of 2008"。文字通り邦訳すれば、「緊急経済安定化法案」となるはずだが、日本のジャーナリズムでは、各自が異なった訳語を当てている。読売は、「緊急経済安定化法案」と「金融安定化法案」の二通りを併用し、朝日は、「緊急経済安定化法案」と「金融救済法案」を使っている。毎日、日経、時事、NHKは「金融安定化法案」で通している。米国のジャーナリズムでは「米国金融制度救済」(a bailout of the U.S. financial system)という表現が一般的に使われている。この名称は、財務省の最初のものでは、「財務省が住宅ローン関連資産を買い取るための法案」(Legislative Proposal for Treasury Authority to Purchase Mortgage-Relatede Assets)、それを短くした「不良資産救済法」(Troubled Asset Relief Act of 2008)であった。〇八年九月一九日にポールソン財務長官が声明で使ったTARP(Troubled Asset Relief Program) とか"bailout plan"という言葉が一般的に使われている。ブッシュ大統領は、"bailout"という用語より"rescue"を使って欲しいとしていた(New York Times, Sept. 28, 2008: Oct.2, 2008)。"bailout"には揶揄的な意味が含まれているからではないだろうか。本論では、EESAと表現する(詳しくは、鳥居[20081007])。

(2) 「ジングル・メール」とは、住宅の鍵を封筒に入れて、それを不動産ローンを供与してくれた銀行に送りつける、つまり、住宅を返還するという意味である。日本と異なり、米国ではローンは人に付くのではなく、担保に出した住宅に付くために、鍵を返却してしまえば、ローンの受け手は借金返済から免れる(BBC[20080212])。

(3) ピムコ(PIMCO)のアナリスト、ビル・グロス(Bill Gross)によれば、"Shadow banking system"という表現を最初に使ったのは、同じピムコのポール・マッコーレー(Paul McCulley)であった(Gross[20071127])。ピムコ(Pacific Investment Management Company LLC)は、 債券専門の運用会社として一九七一年に、カリフォルニア州にて設立された。安定した高いパフォーマンスが信頼を集め、設立以来三〇年を経て、世界最大級の債券運用会社に成長した。米国をはじめ、東京、シドニー、シンガポール、ロンドン、ミュンヘンに拠点を設け、グローバルにビジネスを展開し、世界中の投資家の資金を運用している(http://www.smam-jp.com/image/wn/about_pimco.html)。


 引用文献

BBC[20080212], "'Jingle mail:' The Awful Sound Of "Voluntary" Foreclosure,"News
          (http://www.cbsnews.com/blogs/2008/02/12/couricandco/entry3822384.shtml).
Gross, Bill[20071127], "Beware our shadow banking system," Fortune, November 27.
Hudson, Michael[20080926],"The bailout is a giveaway that will cause hyperinflation and dollar
          collapse," the Real News, Sept. 26, 2008.
Keoun, Bradley[20080729],"Merill Sells S8.55 Billion of Stock, Unloads CDOs," Bloomberg,
          July 29, 2008.
Krugman, Paul[20080914], "Financial Russian Roulette," New York Times, September 14.
Reddy, Sudeep[20080928],"The Real Costs of of the Bailouts," the Wall Street Journal, Sept.
     28, 2008.
Roubini, Nouriel[20081003], "Financial and Corporate System is in Cardiac Arrest: The Risk of
          the Mother of All Bank Runs," RGE monitor
         (http://www.rgemonitor.com/roubini-monitor/253853).
 ―             [20081006],"The Fed keeps on wasting time whole the mother of all bank runs
              is underway," RGE monitor(http://www.rgemonitor.com/blog/
             roubini/253907/the_fed_keeps_on_wasting_time_while_the_
             mother_of_all_bank_runs_is_underway).
  ―            [20080205],"The Rising Risk of a Systemic Financial Meltdown: The Twelve
              Steps to Finanial Disaster," RGE monitor(http://www.rgemonitor.
              com/blog/roubini/242290).
 ―            [20080228], "NYU professor predicting a whale of a bear market," Financial
             Week,  February 28. 
Salmon, Felix[20071127],"Countrywide's FHLB Bailout,"(http://www.portfolio.com/views/
              blogs/market-movers/2007/11/27/countrywides-fhlb-bailout).
Tett, Gillian & Paul J Davies[20071216], "Out of the shadows: How banking's secret system
          broke down," Financial Times, December 16
菊川弘之[20080926]、「金融安定化策(TARP)の行方が短期的な焦点」、『AFBBBNEWS』
          (http://www.afpbb.com/article/economy/2435657/3375181)。
東洋経済編集部[20080906]、「不確実性とは何か」、『週刊東洋経済』二〇〇八年九月六日
     号。
鳥居英晴[20081007]、「[54]Bailout、Rescue、TARP、EESA 金融救済法と政治用語」、『日
     刊ベリタ』(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200810070059262 )。


新著紹介

2008-12-26 09:52:05 | information

 【目次】


1.金融危機を資本主義の歴史からみる

 金融危機とは何か――その歴史的構造
 世界恐慌から軍事ケインズ主義の成立へ
 戦後体制の転換――軍事ケインズ主義から変動相場制へ
 アメリカ経済の国際競争力の低下とオイルダラーの活用
 徴兵の停止と軍事の経済的性格の変化


2.アメリカの 「世界の金融センター」 化と日本

 アメリカの戦略と対日政策――ニクソン・ショックからプラザ合意まで
 BIS規制によってつぶされた日本の銀行
 BIS規制をめぐる日米間の対応の違い
 間接金融から直接金融への転換
 長期金融から短期金融への転換によって何がおこったのか
 「年次改革要望書」 とアメリカ通商代表部
 戦後日本の資本主義
 時価会計の衝撃
 談合とアメリカ
 地域間格差をもたらすもの


3.「世界の金融センター」 アメリカのしくみと手法

 「金融権力」 とは何か
 投資銀行はなぜ消滅したのか
 投資銀行の買収と新しいルールの可能性
 ファンドの存在
 債権の証券化とは何か
 CDSとシンセティックCDO
 CDSとソフトバンクの損失
 拡散されるリスクと蓄積されるリスク
 オフバランスというトリック
 オフバランスとアメリカの戦略
 先物取引のメカニズム
 通貨先物市場の成立におけるイデオロギー
 財政政策の変容とマネタリズムの誤り
 投入された公的資金はどこへいくか


4.金融危機のあとに――資本主義のゆくえ

 ドル基軸通貨体制と石油
 ルーブルを基軸通貨にしようとするロシアの戦略
 オバマ新大統領で経済政策はどうなるのか
 ドルの新しい使い道としての資源開発とCO 排出権取引
 第一回金融サミット(G20)の成果とは
 アジア共通通貨圏の可能性
 国家主導の金融危機?
 金融は国家から独立したものなのか?
 市場主義の誤謬と価格決定メカニズム
 市場原理主義をささえた人間像の崩壊
 金融危機によってもたらされる歴史的な転換
 資本主義と国家の関係をみなおすこと
 経済的ナショナリズムという立場
 経済的ナショナリストの提言

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野崎日記(38) 新しい金融秩序への期待(38)ハイパーインフレーション(2)

2008-12-25 18:21:27 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

野崎日記(38) 新しい金融秩序への期待(38) 金融機関救済資金が生むハイパーインフレーション(2)

 第九段階は、「闇でうごめく銀行システム」(3)が崩壊する局面。米国の現段階がこの局面である。

  闇でうごめく金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかを絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという、旧い型の商業銀行であった。

  この種の商業銀行とは、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにするものであった。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものだったのである。

 
もしも、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。救済されるという保証を得るために、銀行はすべての活動を表に出していた。そして、当局の監督に服していたのである。つまり、商業銀行は、影のない世界だったのである。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。これが、「プライベート」(private)である。このプライベート組織(投資銀行など)が破綻した。しかも、約束違反を冒して、当局による救済を求めた。救済資金を出す代わりに監督を開始するという意図をもつ当局と、救済はして欲しいが当局による介入はいやだという闇も組織とのせめぎ合いが〇八年の米国の金融状況であった。

 金は闇の金融機関に集中するようになった(Krugman[20080914])。つまり、金は非預金組織(nondepository  institution)に集まった。こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、真のリスクは隠され続けてきたのである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとしている。膨大な公的救済資金が注がれた。ファニーメイやフレデリックマックの救済は、米国の財政破綻を招くことになるであろう。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある。必要なことは、いかに、新しいルールを早急に作るかにある。それなくして、公的な資金を垂れ流しても意味がないであろうとクルーグマンは述べている(Krugman[20080914])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった(Roubini[20080228])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸し付けに対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる。

 この組織が輩出するようになってまだ一〇年そこそこしか経っていない(Tett & Davies[20071216])。彼らの手法は、ほとんど外部の人間には知られていなかった。SIVsにしても、CDOsという用語にしても、一般に知られるようになったのは、サブプライム・ローン問題が表面化した二〇〇七年夏以降のことでしかなかった。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである。

 第一〇段階はニューヨーク株式が大暴落する局面。そして、世界の株式市場の大混乱。モノラインの行き詰まりが引き起こす金融市場のパニック。世界は、この段階に入りつつある。

 第一一段階は金融市場から流動性が枯渇する局面。中央銀行による大量の短期資金散布もほとんど効果がないことが知られるようになる。

 第一二段階は恐慌の発現。損失の連鎖、資本の毀損、極度の信用収縮、強制的な企業整理、資産の投げ売り、等々が連鎖する。そして、世界恐慌の発現。ゴールドマン・サックスの試算によれば、金融機関の二〇〇〇億ドルの損失は、二兆ドルの信用収縮をもたらす。自己資本の一〇倍の貸出を金融機関がしているからである。

 こうした悲劇を阻止するには、政府の適切な機動性ある政策が不可欠であるが、現在の政府にそうした能力があるとは思われない。社会は最悪の事態の到来を覚悟しておくべきであるというのが、一二段階を想定したルービニの結論であった(Roubini[20080205])。


 三 「緊急経済安定化法」(EESA)が生むハイパーインフレーション


 大統領府の経済救済措置は、多くの問題点を抱えている。七〇〇〇億ドルの資金量で金融機関の不良債権を購入する権限を財務長官に付与したEESAは、多くの修正を加えられた。

  まず、最初に下院に提案された法案は、ブッシュ大統領とポールソン財務長官の連名によるものであった。

  〇八年九月に作成された最初の案は、わずか三ページの短さであった。これが、下院に提出されたときには様々の修正を加えられて一一〇ページにまで増やされた。しかし、〇八年九月二九日、下院で否決された(賛成二〇五票、反対二二八票)。今度は上院に提出するてめに、法案は、さらに預金保護や一五〇〇億ドルの予備費を加えた修正によって、四五一ページの大部のものになった。〇八年一〇月一日、賛成七四票、反対二五票で可決された。そして、同月三日、下院を通過したのである。この程度の救済策では、事態深刻さを打開できないとルービニは批判した("Nouriel Roubini: History shows the bail-out won't solve the banking crisis," Guardian, Oct. 2, 2008)。

 流動性を失った不良債権のモーゲージ証券(MBS=Mortgage Backed Security)を財務省が買い上げると言っても、実際の適正価格の算定は非常に難しい。適正な価格で購入した証券を適正価格で転売することは、値動きが激しい不良債権に関するかぎり、至難の技である。たとえば、メリルリンチは、突然に、自己の保有する二〇〇八年第二・四半期のMBS価格を二二%にまで下げた(Keon[20080729]).。下落幅を大きくする一方の不良債権を公的資金で安定化させることは現実的には不可能に近いのである。

 効果のほどが疑われるにしても、七〇〇〇億ドルは巨額である。米国の人口は三億五〇〇万人である。したがって、一人当たり二二九五ドルの負担となる。働いている人口は一億五一〇〇万人である。働き手一人について、四六三五ドルである。

 七〇〇〇億ドがいかに法外な大きさであるかは、国家予算との比較でも分かる。〇八年度の連邦政府予算は二兆九〇〇〇億ドルである。EESA予算はその二四%である。合計、三兆六〇〇〇億ドルは〇九年度予算規模、三兆一〇〇〇億ドルを大きく上回る。大統領府が金融機関救済のために用意する資金の総額は一兆ドルを超える。米国のGDPは一四兆円である(Reddy[20080928])。

 しかし、これだけの巨額の資金が散布されてしまえば、ハーパー・インフレーションを生み出す不安感が日々強くなっている。それは、ドル崩壊をもたらしかねない(Hudson[20080926])。


野崎日記(37) 新しい金融秩序への期待(37) ハイパーインフレーション(1)

2008-12-24 10:44:49 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

野崎日記(37) 新しい金融秩序への期待(37) 金融機関救済資金が生むハイパーインフレーション(1)


 はじめに

 米国で、「金融経済安定化法案」(1)が〇八年一〇月三日に成立したにもかかわらず、世界的な株価暴落が止まらない。連日、戦後最大の下げ幅を記録したのが、法案成立後の〇八年一〇月の世界の株式市場であった(菊川[20080926]、http://www.afpbb.com/article/economy/2435657/3375181)。

 金融崩壊と実物経済の縮小がスパイラルを描き始めた。そして、素材価格の暴騰という典型的な世界的スタグフレーションが姿を整えつつある。そ暴騰の火種を加えているのが、米国政府による巨額の資金散布である。


 一 心肺機能が停止した米国金融市場

 金融機関が心肺の停止に陥りつつある。金融工学の計測値によれば、三・四%超の一日当たりでの株価下落は、八八年間に五八日程度のわずかな日数だけで(実際には一〇〇一日)、四・五%以上の下落は六日程度(実際には三六六日)、七%超は三〇万年に一日しか起こらない(実際には四八日)とされてきた。ところが、EESAが上院を通過した〇八年一〇月一日の翌日のニューヨーク市場の株価は四%、下院を通過した同月三日には三%、六~七日には、ピークから三〇%も下げた。それこそ、計算上は何十万年に一回、歴史的実績からしても数十年ぶりの大暴落が続いたのである(計測値と実勢値については、東洋経済編集部「20080906]、三九~四〇ページ)。

 〇八年一〇月の第一週は、MMF、インターバンク、クレジット、CP等々のすべての金融市場の崩壊現象が見られた。まさに、心肺機能停止寸前にまで金融システムは追い込まれれていたのである(Roubini[20081003])。

 三〇〇社を超える不動産貸付業者が倒産した。SIVは毀損した。SIVブローカーの主要五社のうち、二社が破綻し(ベアとリーマン、残り三社は、FRBの監督に服する商業銀行に衣替えさせられた(メリル、モルガン・スタンレー、ゴールドマン)。巨大なヘッジファンドから出資者が資金を急激に引き揚げている。モルガン・スタンレーは、一〇月二日時点で、顧客のヘッジファンドからの預かり金の三分の一を解約された。しかも、投資銀行だけではなく、商業銀行からも預金が流出している。しかし、EESAが成立するまでは、全預金の六三%しかFDICの保証を受けていなかった。

 二〇〇八年第二・四半期のFDICの報告によれば、米国の全預金は七兆三六〇億ドルあった。うち、FDICが保証できるのは、四兆四六二〇億ドルであった。法案成立後も、預金保護の上限、一〇万ドルを二五万ドルに増額したが、それでも、全預金の七三%をカバーできるだけであった。一兆九〇〇〇万ドルがまだ保証されていない。現実的にも二五万ドル以下の保証では意味をなさないであろう。どんな小規模のビジネスも二五万ドル以上の現金を使用しているし、大規模なビジネス、とくに外国取引では数百万ドルの現金を投入していなければならないからである。外国の銀行とのインターバンク取引では八〇〇〇万ドル達している。二五万ドル以下の預金保証ではほとんど意味をなさないのである。眼前に展開しているのは、「闇でうごめく銀行システム」(shadow banking system)の音を立てての崩壊である。

 金融機関だけではない。企業も、CP市場が崩壊してしまっているために、通常の運転資金の調達に困難を覚えている。金融システムの崩壊が資金調達の重要な手段であったCP発行を阻止している。CPによる企業の資金繰りの悪化が続けば、金融の混乱が実物経済の崩壊を生み出してしまう可能性が非常に大きくなる。〇八年九月、一年以内に満期になり、借り換えが必要な資金は全米で五〇〇〇億ドルあった。しかし、九月中にCP市場の縮小幅は二〇〇〇億ドルになった。市場規模の縮小率は毎週八・七%のスピードで進んでいる。

 大恐慌の足跡が確実に近づいている。預金者の資金が銀行を通じて間接的に企業に融資される間接金融システムに比べて、資金市場から証券を発行して資金を調達するという直接金融システムは、金融崩壊時にははるかに脆弱なものであったことが、〇八年の金融危機が示した。金融の構造変化を果敢に遂行するのではなく、短期資金を市場に放出するだけの救済(bailout)手段では、米国発の金融恐慌のグローバル化は阻止できないのである(Roubini[20081006])。


 二 金融危機の諸段階

 ヌーリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)は、金融危機が進行する局面を一二段階に分けている(Roubini[20080205]。その段階区分からすれば、〇八年一〇月の金融危機は第九段を過ぎ、第一〇段階に突入しつつある。そして、最終段階の恐慌の発現は目前なのである。

 第一段階は住宅価格の下落局面。住宅価格は、〇七年二月時点でピーク時の価格の二〇~三〇%下落し、それだけで家計の損失額は四~六兆ドルとなった。三〇%の住宅価格下落とは、一〇〇〇万世帯が「ジングル・メール」を出すということである(2)。

 第二段階は安易な貸付行動の付けが回る局面。頭金なし、所得証明なし等々の安易なローンがサブプライムローン問題を深刻化させた。しかし、ルーズな貸付は、プライムローンにも波及していた。これを忍者ローン(NINJA loans)という。すべてのローンの六〇%がそうした貸付競争に起因するものであった。〇八年二月段階で、ゴールドマン・サックスは、米国が住宅ローン取引で四〇〇〇億ドルの損失に見舞われたと推計した。当然、銀行の財務内容は悪化した。

 第三段階は、デフォルトが一般の消費者金融にも波及する局面。クレジット・カード、自動車ローン、学資ローンなどでデフォルトが多発する。

 第四段階は、モノライン会社の資金繰り悪化の局面。ローン証券の支払いを保証していたモノラインが支払い不能に陥る。モノライン自体の格付けも下げられる。そうすれば、購入した証券価格も暴落する。金融システム内で相互警戒感が高まる。

 第五段階は商業施設への波及局面。商業施設の新規建設も停止してしまう。

 第六段階は中小の銀行が破綻。米国ではFHLB(the Federal Home Loan Banks=連邦住宅貸付銀行)による住宅金融会社への支援が広がっていた。 すでに、〇七年一一月には、カントリーワイド(Countrywide)という住宅ローン会社がFHLBから五五〇億ドルの支援を受けていた(Salmon[20071127])。

 第七段階は、レバレッジによる損失の巨額化が表面化する段階。

 第八段階は実物経済への危機の波及。金融危機の直撃を受けて、実物経済を担う企業の倒産が激増する。米国の企業のデフォルト率は、一九七一~二〇〇七年平均では三・八%であった。〇六年と〇七年の二年間は非常に低かった。しかし、〇八年に入って、一〇%を超えるようになった。デフォルト率が高くなると、支払い保証をデリバティブとして売買するCDS市場が打撃を受ける。五兆円の証券額に対して、CDS取引は名目でその一〇倍の五〇兆ドルもあるという異常な事態が存在していた。このことによる損失は二五〇〇億ドルは下らない。


野崎日記(36) 新しい金融秩序への期待(36) ついに買い手がいなくなった米国債(12)

2008-12-23 02:53:56 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 野崎日記(36) 新しい金融秩序への期待(36) ついに買い手がいなくなった米国債―米国発金融恐慌の行き着く先(12)

 

(18) MMF(MMM=Money Market Mutual Fund)は、一九七一年に創設されたオープンエンド型の投資信託。高利回りの短期証券(CD、CP、TB、BAなど)で運用するもの。換金が自由なほか、小切手の振り出しも可能なことから、銀行預金の強力な対抗商品として急成長した(http://ten-navi.com/fin/glossary/a/52.php)。

 オープン・エンド型(open-end type)とは、いつでも換金可能なタイプの金融商品。CD(negotiable certificate of deposit)は、譲渡性預金証書の略称。第三者に譲渡可能な銀行の預金証書。日本では、一九六一(昭和三六)年に米銀によって導入された。日本のCD市場は、一九七九(昭和五四)年に証券会社の債券現先取引に対抗して創設された。銀行が企業の余裕資金を吸い上げる手段として考え出された取引で、日本の自由金利商品の先駆けとなった。

 CPは、コマーシャルペーパー(Commercial Paper)の略。信用力のある優良企業が割引方式で発行する無担保の約束手形。日本では、一九八七(昭和六二)年に創設された。

 日本のTB(Treasury Bills)は、短期国債、短期割引国債、割引短期国債などと呼ばれている。TBは、一九七〇年代後半から大量に発行された国債の、償還・借換えを円滑におこなうための資金繰りとして、一九八六(昭和六一)年から公募入札方式で発行されている。米国では財務省証券のこと。

 BA(Banker's Acceptance)は、銀行引受手形。輸出入業者などが貿易決済のために振り出し、銀行が引き受けた期限付為替手形。銀行は、自らを支払人として期限付為替手形を引き受け、BA市場で売却して資金を調達する。市場では、投資家やディーラーに転売される。BA市場は、ニューヨークやロンドンでは発達しており、主要な短期金融市場となっている。円建BAは、円建期限付為替手形。日本では、一九八三(昭和五八)年一〇月の「総合経済対策」で円建BA市場の創設が検討され、一九八四(昭和五九)年五月の「日米円ドル委員会報告書」で円建BA市場の創設が決定され、一九八五(昭和六〇)年六月に円建BA市場が創設された。創設直後には五八七億円の残高(一九八五年六月末)があったが、現在、取引はほとんどない(http://www.findai.com/yogo/0035.htm)。

(19) ミューチュアル・ファンド(Mutual Fund)は、米国のオープンエンド型の投資信託のことをいう。その呼び名は、一九四〇年代の投資会社法制定の時期に、「ファンドの投資家は損益を均等にシェアする」と言う意味でミューチュアル(相互に)という言葉が使われたことに由来する。ミューチュアル・ファンドには、会社型と契約型とがあり、会社型においては、投資家はその株式を買うことにより株主としてファンドに投資することになり、一方で契約型においては   一方で契約型においては投資家とファンドの設定者との間での契約により受益証券を買う仕組みとなっている。米国では、会社型が大半を占める(http://www.ifinance.ne.jp/glossary/fund/fun074.html)。受益証券は、投資信託の利益を受ける権利(受益権)を証券化したものをいう(http://dictionary.goo.ne.jp/index.html?kind=
jn&mode=0&kwassist=0)。

(20) MBS(Mortgage Backed Security)は、モーゲージ(住宅ローン)を証券化したものモーゲージバック証券とも呼ばれている。不動産担保融資の債権を裏付けとして発行された証券のことで、オリジネーター(不動産の原所有者で、証券化のために不動産を仕組みの中に供給する人)が、住宅ローンを貸し出し、この住宅ローン債権を証券発行体に売却をする。証券発行体は、これをもとにしてモーゲージ証券を発行する。発行された証券は、元利金支払の保証がされるなど信用力や格付が高められた上で、投資家に販売される。米国においてモーゲージ証券の大部分は、政府系の機関であるジニーメイ(連邦政府抵当金庫)、ファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)、フレディマック(連邦住宅金融抵当金庫)により発行されている。モーゲージ証券は、米国国債と並ぶ高い信用力を有しているが、期限前償還のリスク(貸付期間が短くなることにより償還金額が減る)があり、よって投資家は一般的な債券より比較的高い利回りを享受することができる。モーゲージ証券の代表的な例として、同じ種類の債券を集め証券化した「パススルー証券」、期限前償還リスクを緩和すべく、担保となる証券やローンと異なる何種類ものキャッシュフローをもつ別々の債券として発行される「CMO」(Collateralized Mortgage Obligation)や、住宅ローンを担保として発行される証券「RMBS」(Residential Mortgage-Backed Securities)がある。

(21)世界四大会計事務所の一つ。プライスウォーターハウスクーパーズの前身、プライスは、ロンドンにて一八四九年に創設。一八七四年、合併してからプライス・ウォーターハウスとなり、一八九〇年にニューヨークに進出。一九九八年、クーパーズ・ライブランド(Coopers & Lybrand)と合併後、現在の社名になる。一方の、クーパーズ・ライブランドの前身、クーパー(Cooper)は、同じくロンドンで一八五四年に創設。一八九八年にニューヨークに進出。一九五七年、ニューヨークの会計事務所と合併して、クーパーズ・ライブランドとなる。新会社は、ニューヨークを本社とした。〇七年度の収益は二五〇億ドル、一五〇か国に事務所があり、従業員総数は一四万六〇〇〇人と、世界第三位の規模である。四大会計事務所とは、同社の他に、KPMG、アーンスト・ヤング(Ernst & Young)、

 デロイト・トウーシュ・トウマツ(Deloitte Touche Tohmatsu)である(Wikipedia)。
  米国には、会計監査とコンサルタント業務との相反関係を禁止する企業会計改革法がある。二〇〇二年七月に成立した、サーベーンズ=オクスリー法(Sarbanes-Oxley Act of 2002)がそれである。同法を実施する責務は、米国証券取引委員会(SEC)にある。企業会計改革法は、二〇〇一年一一月のエンロンや二〇〇二年六月のワールドコム等の会計不正による企業破綻を契機として制定された包括的な証券改革立法である。同法は、会計事務所に対する監督強化のための「公開企業会計監督委員会」(PCAOB)の設立、会計監査人の独立性の強化、コーポレート・ガバナンスの強化等の企業責任の強化、企業のディスクロージャーの強化、企業犯罪への罰則強化等、広範な内容を含むものとなっている。しかも、同法の適用が、米国内だけでなく、外国の会計事務所に対しても拘束できる規定を含んでしまっていることから、同法はつねに紛争の種になっている(http://www.fsa.go.jp/news/newsj/15/sonota/f-20030918-1b/213-216.pdf)。

(22) モーリス・グリーンバーグ。愛称、ハンク(Maurice R. "Hank" Greenberg )。一九二五年、ニューヨーク生まれ。〇五年にAIGを追放された後、金融会社CVスターC.V.Starr & Co.)を設立。この会社名は、AIGの創始者、バンダー・スター(Cornelius Vander Starr)の名にちなんだもの。陸軍で活躍後、弁護士になる。一九六二年、乞われてIG創業者のスターからAIGの子会社で苦況にあったノース・アメリカン・ホールディングズ(North American holdings)の経営を任され、一九六八年に本体のAIGでスターの後継者に指名され、〇五年までCEO。取って代わったのは、サリバン(Martin J. Sullivan)。

 アジア展開で、グリーンバーグの相談相手は、キッシンジャーである(Henry Kissinge)である。一九八七年、グリーンバーグはキッシンジャーをAIGの国際顧問にしている。

 彼は、米国外交問題評議会(CFR=Council on Foreign Relations)の名誉副議長兼理事を務めた。デービッド・ロックフェラー三者委員会(David Rockefeller's Trilateral Commission)メンバーでもある。一九八〇年代、レーガン政権からCIA副長官就任を要請されたが、丁重に断った。米韓経済会議(US–Korea Business Council)、米中経済会議メンバー。ニューヨーク証券取引所理事、大統領貿易委員会顧問( the President’s Advisory Committee for Trade Policy and Negotiations)、ニューヨーク連銀議長、副議長、理事を歴任(past Chairman, Deputy Chairman and Director of the Federal Reserve Bank of New York)。

 〇五年三月一四日、AIG取締役会がグリーンバーグに会長職辞任を要求。ニューヨーク州司法長官(Attorney General)のエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)がグリーンバーグ親子が共謀して、AIGを食い物にしていると糾弾したのである。

 ニューヨーク州司法当局は、保険仲介業で米最大手のマーシュ・アンド・マクレナン(Marsh & McLennan Companies=(MMC)を民事提訴した。ニューヨーク州最高裁に提出した訴状によると、マーシュは特定の保険会社に大量の契約を回す見返りに、高額な「成功報酬」を受け取っていたという。仲介業者は顧客に代わって有利な契約先を探すのが仕事だが、懇意の保険会社に偽りの見積もりを出させて競争入札があったかのような演出もしていた。この会社のCEOは、ジェフリー・グリーンバーグ(Jeffrey W. Greenberg)。ハンク・グリーンバーグの息子であり、AIGでの勤務経験がある。訴状によると、不正取引に加担していたのはAIGやエース(ACE Limited)などであった。そして、このエースのCEOもハンクの息子のエバンズ・グリーンバーグ(Evan G. Greenberg)でこの息子もAIGの元監部であった。このスキャンダルによって、ハンクはAIGを追われたが、スピッツアーも売春スキャンダルで、〇八年に司法官を辞職している(Wikipedia)。

 〇五年、五億ドルの架空の損失引当金計上による粉飾、保険および証券法違反などの容疑でモーリス・グリーンバーグは起訴された。モーリス・グリーンバーグは会長を辞任し、後任にはマーチン・サリバン(Martin Sullivan)。サリバンも〇八年六月一五日にサブプライム問題で辞任、後任のシティグループのバンカーであったロバート・ウィルムスタッド(Robert Willumstad)も、わずか三か月後の九月一八日に辞任(http://jp.reuters.com/article/topNews/idUSN1543003120080616)。後任にはエドワード・リディ(Edward M. Liddy)が就任した。

(23)ピムコ(PIMCO)(24)のアナリスト、ビル・グロス(Bill Gross9によれば、"Shadow banking system"という表現を最初に使ったのは、同じピムコのポール・マッコーレー(Paul McCulley)であった(Gross[2007])。

(24) ピムコ(Pacific Investment Management Company LLC)は、 債券専門の運用会社として一九七一年に、カリフォルニア州にて設立された。安定した高いパフォーマンスが信頼を集め、設立以来三〇年を経て、世界最大級の債券運用会社に成長した。米国をはじめ、東京、シドニー、シンガポール、ロンドン、ミュンヘンに拠点を設け、グローバルにビジネスを展開し、世界中の投資家の資金を運用している(    http://www.smam-jp.com/image/wn/about_pimco.html)。

(25)Blackburn, Robin, "The Subprime Crisis," http://www.newleftreview.org/?getpdf=NLR28403&pdflang=en は、サブプライム問題の世界的な波及を綿密に叙述した秀作である。


 引用文献

Bloomberg, Michael & Matthew Winkler[1997], Bloombern by Bloomberg, John Wiley & Sons.
Gross, Bill[2007], "Beware our shadow banking system," Fortune, November 27.
Hall, Kenji[2008], "Lehman Collapse Hits Japan Bond Market," BusinessWeek, September 19.
Krugman, Paul[2008], "Financial Russian Roulette," New York Times, September 14.
Roubini, Nouriel[2008a], "NYU professor predicting a whale of a bear market," Financial Week,
          February 28.                
Tett, Gillian & Paul J Davies[2007], "Out of the shadows: How banking's secret system broke
          down," Financial Times, December 16
Tokayer, Rabbi Marvin(トケイヤー、ラビ)[2006]、加瀬英明訳、『ユダヤ製国家日本―日
     本・ユダヤ封印の近現代史』徳間書店。
田畑則重[2005]、『日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記―』新潮新書。
樋口修[2003]、「米国における金融・資本市場改革の展開」、『レファレンス』平成一五年
     一二月号。


野崎日記(35) 新しい金融秩序への期待(35) ついに買い手がいなくなった米国債(11)

2008-12-22 00:04:23 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
野崎日記(35) 新しい金融秩序への期待(35) ついに買い手がいなくなった米国債―米国発金融恐慌の行き着く先(11)

 

(15) サムライ債とは、海外の企業が日本国内で円建てで発行する債権のことを指す。1970年にアジア開発銀行が60億円の債権を発行したのが日本初のサムライ債となっている。当初は国や州などの公的なものが中心であったが、時間を経て様々な発行主体や形態のサムライ債が登場するようになった。日本では近年金利の低い状態が状態が続いており、海外の発光体にとっては低金利で資金調達をすることができるのが魅力となっている。また、日本国内の個人投資家も預金金利の低下を背景に資産運用の手段としてサムライに注目をしている。このように発効体と個人投資家の双方の要望に答える手段として発展していく市場であると考えられている。

 サムライ債は発展途上国が発行体となっている場合も多く、そのようなケースでは利回りは高い一方でリスクも高くなる。二〇〇一には、経済危機の際にアルゼンチン債がデフォルト(債務不履行)になっている。類語としては、海外の企業が日本国内で外貨建てで発行するショーグン債がある(http://m-words.jp/w/E382B5E383A0E383A9E382A4E582B5.html)。

 米国第四位の証券会社リーマンブラザースがサブプライムローン損失で経営不安に陥り同社の株価が二〇〇八年九月九日に四五%急落したとき、米国のシティグループは 日本の個人投資家向けに三一五〇億円のサムライ債(期間三年、利回り年三・二二%固定金利)を売出すと発表した。シティーグループの格付けは、当時まだAAマイナス(S&Pによる)と信用度が高く、三年以内(償還前)に債券を売却しない限り 為替変動の影響を受けずに、元本と利息が確保されるので、日本の投資家が競って買い、翌日の一〇日には、完売した。定期預金は安全だがインフレヘッジできない。株や外貨預金や外債はリスクが高い。このように考える人が多い中で、運用先に悩む日本の個人投資家が殺到したのである(http://hakuzou.at.webry.info/200809/article_6.html)。

(16)  ベーシススワップとは、変動金利と変動金利のスワップ取引のこと。異なるリスクを持つ変動金利をスワップする取引、異なる期間を持つ変動金利をスワップする取引、異なる通貨の変動金利をスワップする取引などがこれにあたる( http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_2712.html)。

(17) 一九三三年銀行法のこと。このグラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act P.L. 73-66, 48 STAT. 162)の下で、一九九九年の金融近代化法ができるまでの六六年間、まがりなりにも機能していた。米国社会には、ジェファソニアン・デモクラシー (Jeffersonian Democracy) の伝統がある。州権の尊重、 金融独占に対する反発、 コミュニティ重視等々がその内容である。

 その原則に基づいて、世界大恐慌以降の米国の預金金融機関制度は、一九七〇年代半ばに至るまで、一九三三年銀行法 (グラス・スティーガル法) による厳格な規制下に置かれてきた。 この規制の骨子は三点あった。

 ①預金金利規制。世界大恐慌以前の米国の銀行は、 預金獲得のために、ハイリスクの融資先に貸し付けていた。一九二九年一〇月二四日の株価大暴落と、 それに続く世界大恐慌の中でこうした銀行の多くが破綻に追い込まれたため、 一九三三年のグラス・スティーガル法では、 要求払い預金 (いつでも引き出せる預金) に対する付利を禁止し、 さらに連邦準備制度理事会 (Board of Governorsof the Federal Reserve System : FRB) の前身である連邦準備局 (Federal Reserve Board) に対して、 同制度加盟銀行定期預金上限金利を規制する権限を付与した。 FRB (「一九三五年銀行法」 Banking Act of 1935 P.L. 74-305, 49STAT. 684 により連邦準備局を継承) は、 連邦準備制度法に基づく 「レギュレーションQ(Regulation Q)」 によりこの規制を成文化し、金利競争が過熱しないよう上限金利を低く抑制してきた。

 ②地理的業務規制。銀行の過度の拡張主義を防ぐため、 銀行の支店設置可能な地域は、 「一九二七年マクファーデン法」 (Mc-Fadden Act of 1927 P.L. 69-639, 44 STAT. 1224)及びグラス・スティーガル法によって、 国法銀行・州法銀行いずれの場合においても州銀行監督当局により規定されるものとされた。 大部分の州では、 州銀行法によって州境を超える支店(州際支店) の設置を禁止しており、 また商業銀行の州内への支店設置も認められなかったため (これを単店銀行制度 (Unit Banking System)という)、 この規定は銀行の営業範囲を厳格に規制するものとなった。 結果として、 米国は欧州・日本と比べて、 小規模な銀行が多数存在する金融構造をもつことになった。

 ③業務範囲規制。世界大恐慌時の株価暴落に伴って、 高リスク、 高利回りの不健全な証券へ投資をおこなっていた銀行は経営危機に陥った。 また、 銀行が証券業務に参入することは、 系列証券会社の関与した証券の売却を促進・成功させるため、 銀行の当該証券の発行者に対する与信判断が甘くなったり、 あるいは倒産寸前の融資先企業に系列証券子会社を通じて社債を発行させ、 調達された資金を融資の回収に充当して倒産リスクを投資家に転嫁するといった利益相反が発生する懸念があった。このためグラス・スティーガル法では、 以下の四か条により、 銀行業と証券業との分離を厳格に規定していた (この四か条をとくに 「グラス・スティーガル条項」 といい、 狭義では同条項のみを指して 「グラス・スティーガル法」 の語を用いることがある)。(1)銀行本体で証券業務をおこなうことを禁止する。 米国債や州の一般財源債などの「適格証券」 を除き、 株式・社債 (これを「非適格証券」 という) の引受けやディーリングを、 銀行が自己勘定でおこなうことはできない。(第一六条)。(2)銀行は、 銀行本体でおこなうことができない証券業務に主として従事する会社と系列関係をもつことができない (第20条)。証券会社は預金受け入れをおこなうことができない (第21条)。(3)銀行の役員は証券会社の役員を兼任してはならない (第32条)。またグラス・スティーガル法では銀行が保険業務その他の一般事業会社を所有することの禁止が明文化された。

 グラス・スティーガル法はこうした規制を通じて金融制度の安定化を図る一方で、 連邦預金保険公社 (FDIC) を設立して預金保険制度を創設した。さらに 「一九五六年銀行持株会社法 (Bank Holding Company Act of 1956 P.L. 84-511, 70 STAT. 133 )」では、 ある州に本社を置く銀行持株会社が、 他州の銀行を取得することが明確に禁止された。 ただし、この一九五六年の法にある、ダグラス修正条項 (Douglas Amendment) により、 進出先の州法が明示的に許容している場合には取得が認められた。 この場合には銀行持株会社を利用して複数の州の銀行を子会社として傘下に置くことによって、 州際業務をおこなうことが可能であった。この法では、 当初、 複数銀行持株会社 (二つ以上の銀行を傘下にもつ持株会社) のみを規制し、単一銀行持株会社 (傘下に一つしか銀行を持たない持株会社) を規制の対象外としていた。 このため1960年代末には、 単一銀行持株会社の形態を取って、 銀行が一般事業に進出することが盛んになった。 しかし、この抜け穴は、「一九七〇年銀行持株会社法修正法」 (Bank Holding Company Act Amendments of 1970 P.L. 91-607, 84 STAT.1760)によって塞がれた。一九三〇年代に確立した米国の金融制度は、 以後約半世紀にわたり継続した。

 米国の預金金融機関には大別して①商業銀行、 ②貯蓄金融機関、 ③クレジットユニオンの三種類があり、 商業銀行はさらに、 連邦法免許の国法銀行 (National Bank) と各州銀行法免許の州法銀行 (State Bank) の二種類に分けられる ( 「二元銀行制度」 という)。国法銀行は連邦準備制度・連邦預金保険制度への加盟が義務づけられるが、 州法銀行の両制度への加盟は任意である。 ただし連邦準備制度に加盟した州法銀行は、 連邦預金保険制度にも加盟しなければならない。連邦準備制度に加盟していない銀行に対しても、 一九三五年、 連邦預金保険公社 (Federal Deposit InsuranceCorporation : FDIC) に定期預金の上限金利規制権限が付与され、 レギュレーションQと同水準の金利上限規制が適用された(樋口[2003]に依拠)。

野崎日記(34) 新しい金融秩序への期待(34) ついに買い手がいなくなった米国債(10)

2008-12-21 21:30:25 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
野崎日記(34) 新しい金融秩序への期待(34) ついに買い手がいなくなった米国債―米国発金融恐慌の行き着く先(10)

 

(13) クーン・レーブ商会(Kuhn Loeb & Co.)は、 一八六七年、アブラハム・クーン(Abraham Kuhn)とソロモン・レーブ(Salomon Loeb)によって創設された投資銀行である。その後、クーン家の娘イーダ(Ida Kuhn)とレーブ家のモリス(Morris Loeb)が結婚して一族となっている。 その娘であるテレサ(Teresa Loeb)と結婚したのが、ジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob Henry Schiff)(14)である。 ジェイコブ・ヘンリー・シフはドイツ・フランクフルトのゲットーでロスチャイルド家(Rothschild)と共に住んでいた歴史をもつ。また、日本政府が日英同盟を根拠にして日露戦争の日本公債をロンドンで販売した際、当時世界最大の石油産出量を誇っていたカスピ海(Caspian Sea)のバクー油田の利権を持つロスチャイルド家は購入を拒否、その代わりロスチャイルド家と行動を共にするジェイコブ・ヘンリー・シフを紹介され、その力で日本は、戦費を調達できた。

 一九世紀末から二〇世紀にかけてジェイコブ・シフの下でJ・P・モルガン(J.P.Morgan & Co.)の最大のライバルとして金融界に君臨した名門である。一八七〇年代以降、クーン=レーブ商会は、成長産業と目されていた、当時の鉄道事業に積極的に投資。一八七七年のシカゴ・ノースウェスタン鉄道への資金調達を皮切りに、一八八一年にはペンシルバニア鉄道(Pennsylvania Railroad)、シカゴ・ミルウォーキー・セント・ポール・アンド・パシフィック鉄道への資金調達をおこなった。シフは、一八九七年にユニオン・パシフィック鉄道(Union Pacific Railroad)の事業再建の資金調達を支援した。一九〇一年のモルガン財閥とのノーザン・パシフィック鉄道の買収攻勢防戦劇は当時の大きな話題となった。鉄道債の取引で米国では第二位の地位を確保し続けた。とくに鉄道王のE・H・ハリマン(Harriman)が優良顧客であった。経営陣にはオットー・カーン(Otto Kahn)、フェリックス・ウォーバーグ(Felix Warburg)といった大物が一九二〇年のシフの死後も続いた。また、ウェスティングハウス(Westinghouse Electric Corporation )、ウェスタン・ユニオン(Western Union)、ポラロイド(Polaroid Corporation)など、米国の新興企業と密接な関わりをもち、長期の財政的な後ろ盾となった。またオーストリア、フィンランド、メキシコ、ベネズエラなど一部の外国政府の財政アドバイザーも務めた。ジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller, Sr)へのメインバンク・財政アドバイザーとしても有名で、国内の主要産業への投資のみならず、クーン・レーブは、中華民国や大日本帝国などの公債引き受け等にも参画していた。1911年にはクーン・ローブはロックフェラーと共同で、後にチェース銀行(the Chase Manhattan Bank)と合併するエクイタブル・トラスト社を買収した。

 一時はモルガン財閥と並立する存在になったが、第二次世界大戦後、資金調達の方法が銀行家同士のやりとりから、ウォール街などでの証券市場での取引が中心となって、クーン・レーブの勢いに翳りが見え始め、一九七七年にリーマン・ブラザーズに統合されて、クーン・レーブ・リーマンになり、一九八四年にアメリカン・エキスプレスに買収され、シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス(Shearson Lehman American Express)に改名された際、クーン・ローブの名は消えることとなった(
Wikipediaおよび、            http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/a7a67f1ee50a825c9d4eb2f4c3168047)。

(14) ジェイコブ・ヘンリー・シフ(1847~1920)は、ドイツ生まれ。ドイツ名は、ヤーコプ・ヒルシュ・シフ(Jacob Hirsch Schiff)。フランクフルトの旧いユダヤ教徒の家庭に生まれる。代々ラビの家系で、初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルド時代に緑の盾と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいたことが確認できる。
 一八六五年、一八歳で渡米し、いくつかの銀行を転々とした後、レーブ家の親族となる。当時「西半球で最も影響力のある二つの国際銀行家の一つ」と謳われたクーン・レーブの頭取に就任。シフはユダヤ人社会への強い絆を感じ続けた。ロシアでポグロム(反ユダヤ主義)に苦しむユダヤ人を解放するために尽力し、ヘブライ・ユニオン・カレッジの創立と発展を助け、ニューヨーク公共図書館にユダヤ区画を作った。

 日露戦争に際しては、日銀副総裁であった高橋是清による外債募集に応じ、二億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助し、帝政ロシアを崩壊に導いた。その訳はロシアの伝統的なポグロムに対する報復だったと言われている。日本は、国家予算の六倍以上の戦費をつぎ込み、継戦不可能というギリギリで掴んだ戦勝。その戦費の約四割を調達したのがシフであった。

 日露戦争のときの日本国家予算も外貨準備高も、ロシアの十分の一以下だった。
まさに巨人と小人の戦いだった。

 アルゼンチンが発注して、イタリアのジェノアの造船所で建造中だった二隻の装甲巡洋艦を、日本は、日露戦争(一九〇四年二月八日開戦)の前年一二月三〇日に、アルゼンチンから一五〇万ポンド(商社口銭込み価格一五三万ポンド)で購入した。このとき、日本政府の外貨資金を扱う正金銀行ロンドン支店には一五万ポンドしかなかった。この年の日本国家予算が二億六〇〇〇万円、海軍省予算が二九〇〇万円、巡洋艦二隻一五三万ポンドは当時の日本円で一五〇〇万円以上。「春日」「日進」と命名されて軍艦旗を掲げて日本へ出向した。日露開戦の前年一二月には、日本銀行には一億六七九六万円しかなかった。開戦三か月後の翌五月には、六七四四万円にまで落ち込んだ。国債の売り込みに、一〇〇〇万ポンド調達の任務を帯びて高橋是清が米英を走り回ったが、引き受け手は誰も無かった。日英条約締結(二年前)していたロンドンで、ようやく半分の五〇〇万ポンドの約束を取り付けた(英国銀行団)。締結の晩餐会に臨席したヤコブ・ヘンリー・シフが、残りの五〇〇万ポンドを引き受けてたのである。リーマン・ブラザースも、日露戦中に、シフの呼びかけに応じて、日本の国債を購入している。シフのこの時の滞日日記が出版されている(トケイヤー[2006])。

 シフは天皇から直ちに、勲二等瑞宝章を授与された。その後、戦勝祝いにシフは、招かれ、陪食前に明治天皇から旭日大綬章を叙勲された(トケイヤー[2006]; 田畑則重[2005])。

 シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにもかかわらず、帝政ロシアへの資金提供は妨害した。一九一七年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ二〇〇〇万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。同年にツァーリが倒れると、これで反ユダヤ主義が終息すると信じたシフはケレンスキー政権に対して期待を寄せたが、やがてケレンスキーやレーニンの考えていることが明らかになると、再び「彼らには何も貸すまいと決心するようになった」と言われる。

 しかし、経営者一族がシフの縁戚となっていたファースト・ナショナル銀行ニューヨークは、ロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行、ユダヤ系のJPモルガンと協調して、ソビエトに対する融資を継続していた。

 政治的・世俗的なシオニズムには反対だったが、ユダヤ人のパレスチナ入植には多額の寄付をおこない、ハイファ工科大学の設立をも援助した(Wikipediaより)。