消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(18) 新しい金融秩序への期待(18) 恐慌の足音が聞こえる

2008-11-28 01:52:33 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


恐慌の足音が聞こえる―投資銀行の消滅と日本経済への影響

 はじめに

 米国で、「金融経済安定化法案」(金融安定化法案)が〇八年一〇月三日に成立したにもかかわらず、世界的な株価暴落が止まらない。連日、戦後最大の下げ幅を記録したのが、法案成立後の〇八年一〇月の世界の株式市場であった。金融崩壊と実物経済の縮小がスパイラルを描き始めた。そして、素材価格の暴騰という典型的な世界的スタグフレーションが姿を整えつつある。その暴騰の火種を加えているのが、米国政府による巨額の資金散布である。

 一 恐慌の荒々しい足音

 経済指標と大荒れの相場が、世界の主要経済国のリセッションに結びつき始めている。金融危機が世界経済の危機に拡大している証拠が、毎日のように増えている。〇八年一〇月二日に発表された米国経済指標では、週間の失業保険新規申請件数が予想以上に増え、八月の製造業受注は予想をはるかに下回った。米サプライ管理協会(ISM)が〇八年一〇月一日に発表した九月の製造業景況調査では、製造業の活動が二〇〇一年以来の低水準に落ち込んだことが示された。

 FRBが発表した一〇月一日までの一週間におけるコマーシャルペーパー(CP)市場の残高は、前週比九四九億ドル減少し一兆六〇七〇億ドルとなった。二〇〇一年にFRBが
統計を開始して以降では、最大の落ち込みだった  (http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/media/djCKK4824.html)。

 一方、上院を通過した修正金融安定化法案は、三日に下院で再採決された。しかし、この救済策を講じても、七〇〇〇億ドルの不良資産処理計画が、特効薬にはならないことがはっきりしてきた。恐慌がくるのが先か、システム改革が間に合うのか。間に合わないだろう思われる。

 二 消滅した投資銀行

 いま、米国で起こっていることは、「闇の金融機関」(shadow banking sysytem)の崩壊現象である。闇の金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかを絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。投資銀行がその代表である。

 金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという旧い型の商業銀行であった。この種の商業銀行は、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにする義務を当局から課されている。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものである。その見返りとして、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。つまり、「プライベート」(private)である。こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、金融危機の発現によって、闇の組織の方がリスク軽減に優れているわけではなかった。真のリスクは隠され続けてきたのである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとしている。膨大な公的救済資金が注がれた。しかし、それは、買収する組織を助けるだけのものであった。しかも、当局の救済に宛てられるべき資金は枯渇してしまっている。ファニーメイやフレデリックマックを救済しても、それが、米国の財政破綻を招くことになるであろうとの意識はない。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある(Krugman[2008])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった。ローンを証券化し、その証券をさらに、別の形の証券化に組み替えるという際限なき手続きが闇の金融組織の常套手段であった(Roubini[2008a])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸し付けに対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる(Tett & Davies[2007])。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである。そして、彼らが消滅した。投資銀行主要五社のうち、二社が破綻し(ベアとリーマン、残り三社は、FRBの監督に服する商業銀行に衣替えさせられた(メリル、モルガン・スタンレー、ゴールドマン)た。巨大なヘッジファンドから出資者が資金を急激に引き揚げている。モルガン・スタンレーは、一〇月二日時点で、顧客のヘッジファンドからの預かり金の三分の一を解約された。眼前に展開しているのは、「闇でうごめく銀行システム」(shadow banking system)の音を立てての崩壊である。

 三 倒産被害をモロかぶる日本の地方銀行

 米国金融の痙攣は、サムライ債(円建て外債)を通じて、日本の金融機関に波及する。二〇〇八年九月までに発行されたサムライ債の金額は二兆五〇〇〇億円で、過去最高だった二〇〇〇年の二兆八五六七億円に迫っていた。ところが一転、リーマン破綻ショックでこの市場がパニックに陥っている。

 大手邦銀は、リーマンに対する融資で推計二七億ドル(約二九〇〇億円)の債権をもっていたが、リーマンの破綻によって、その一部しか回収の見込みはない。大手以外の日本の金融機関ももリーマンが発行した一九五〇億円のサムライ債の大部分を保有していた。中堅地方銀行、生命保険会社、年金基金がそれである(Hall[2008])。

 日本は、金融機関や企業が数日間で巨額の資金を調達できる世界でも数少ない市場の一つであった。欧米の信用市場では資金供給が激減し、日本市場がそれに代わる資金調達先として浮上していた。米小売り大手ウォルマート・ストアーズ(WMT)、スイスの金融大手UBS、ドイツの自動車大手ダイムラー(DAI)、オーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ、本社:メルボルン)などが、サムライ債を発行していた。

 その結果、サムライ債の発行額は、二〇〇八年に入って急増していた。新生証券の推計では、二〇〇八年八月までに発行されたサムライ債は約二兆四〇〇〇億円で、すでに、二〇〇七年通年の発行額二兆二五〇〇億円を上回った、二〇〇八年九月、米銀大手シティグループ(C)は過去最高額の三一五〇億円のサムライ債を起債した。

 サムライ債の発行体の多くは格付けも高い有名金融機関や企業で、日本の投資家は安全な投資先と考えて債券を購入していた。しかし、この信頼も、もう通用しなくなった。リーマンのサムライ債は、アルゼンチン政府がサムライ債の償還不能に陥った二〇〇一年一二月以来、初めてのデフォルトとなった。投資家たちは、ほかの米証券会社が発行したサムライ債を売却して現金化し、これ以上の損失拡大の阻止に努めるようになった。そして、サムライ債の価格を当初の投資額の二割に設定する投資家も出始めている。全国一六四の信用組合を傘下にもつ、全国信用協同組合連合会(全信組連)は、リーマンのサムライ債に五五〇〇万ドル(約五八億円)を投資していたBusinessWeek, September 19)。

 いよいよ、日本でも信用収縮が本番になった。


 文献

Hall, Kenji[2008], "Lehman Collapse Hits Japan Bond Market," BusinessWeek, September 19.
Krugman, Paul[2008], "Financial Russian Roulette," New York Times, September 14.
Roubini, Nouriel[2008], "NYU professor predicting a whale of a bear market," Financial Week,
          February 28.                
Tett, Gillian & Paul J Davies[2007], "Out of the shadows: How banking's secret system broke
          down," Financial Times, December 16


野崎日記(17) 新しい金融秩序ねの期待(17) 『金融権力』の韓国語版著者序文

2008-11-27 00:41:56 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 世界は、1930年代を上回る深刻な金融恐慌に陥った。金融危機が実体経済にどの程度影響し、どれほど多くの失業者があふれるようになるのかについては、いまのところ明言できない。しかし、"shadow banking system"(影の銀行組織)という金融体制が音を立てて崩壊し、その力学の変化から、アメリカ単独時代の終わりがきたということだけは確かである。 

 金融当局の厳しい管理下に置かれているものの、危機時には当局の支援を約束されている「表」、「公」(パブリック)銀行組織が、商業銀行(預金銀行)である。これに対して、基本的に当局の管理に服さず、営業内容もほとんど当局に報告せず、多くのことを秘密裏に処理できる投資銀行(非預金銀行)は、「影」、「私」の性格を濃厚にもつ。秘密裏に行動することが許されている分だけ、投資銀行は危機時にも自己責任で当局の保護を受けない。それが約束事であった。その約束事をアメリカの金融当局は無視し、膨大な公的資金を投資銀行に投じた。しかし、そのかいもなく、巨大投資銀行は、歴史からあえなく消滅した。あるものは倒産し、あるものは商業銀行に買収され、あるものは商業銀行に転換した。

 そもそも、「影の銀行組織」(投資銀行)は、債権を証券化してリスクを転売する手法を次々と編み出して、大儲けをしてきた金融機関であった。それは、巨大なヘッジファンドと化していた。

 業界トップのゴールドマン・サックスは、2005年から07年までのわずか2年間でトレーディング・自己投資部門の粗利益を1.8倍に拡大し、07年は収益全体の3分の2以上を占めた。その業務を支えていたのは、金融工学を核とする先端金融技術の発展であり、その柱は、証券化、デリバティブ、レバレッジであった。とくにレバリッジがひどかった。破綻前の投資銀行は自己資本の30倍近い借り入れを集めて巨額の投資活動を展開していたのである。

 証券化には、債務不履行時に支払いを保証するCDSの存在が不可欠であった。しかし、その額はあまりにも巨大すぎた。民間のCDSは08年にはアメリカで60兆ドルあったとされる。なかでもAIG,、ファニーメイなどの政府支援企業(GSE)などの保証額が多かった。これら組織がいち早く金融当局の管理下に置かれたのも当然であった。ウォーレン・バフェットは、CDSを「大量破壊兵器」だと決めつけていた。

 証券化商品は、さらに様々な金融商品やデリバティブに組み込まれて、その数十倍の規模で世界中の金融市場に拡散されている。デリバティブの残高は08年で500兆ドルを超していた。これは、世界のGDPの10倍近い法外なものである。投機の象徴であるヘッジファンドだけでも、その資産規模は、この数年間で3倍になった。07末には約2兆ドル、レバレッジを加えれば、5兆ドルである。いまや、こうした投機市場が臨界点に達したのである。金融革命のスローガンの下に、1980年代以降の世界経済を引っ張ってきたアメリカ型投資銀行のビジネスモデルは崩壊した。

 ことは、アメリカだけの現象ではない。アメリカ的な金融風土は、世界中に拡大してしまっている。伝統的な銀行業やマーチャントバンクが中心だったシティーは、この10年間で第2のウォール街に変貌していた。アメリカのファンドは世界の土地を買い漁った。しかし、イギリスでは、不動産価格が07年半ばから突然20%近くも下落した。他のヨーロッパ地域でも同様であった。

 ヨーロッパの金融機関は、アメリカ的投資銀行になろうとして、つねに、アメリカのヘッジファンドや投資銀行がつまずく都度、負の直撃を受けてきた。ヨーロッパの銀行は、自前のビジネスをするのではなく、アメリカの投資銀行やヘッジファンドに依存し、アメリカ投資銀行ビジネスの連合艦隊に組み込まれていただけであった。アメリカの投資銀行ビジネスの凋落は、ヨーロッパの金融界を震撼させ、いずれヨーロッパ経済全体にも深刻な影響を及ぼす。

 ここへきて、主としてイギリス、フランスの首脳からアメリカ一極集中的な世界の金融体制への批判が強く打ち出され、「新ブレトン・ウッズ」の構想のアドバルーンが上げられている。従来のG7だけでなく、広くBRICsやアラブ諸国も金融恐慌阻止の会議に招集されるようになった。韓国大統領も中日政府に国際金融会議を呼びかけている。

 金融恐慌は現在の私たちにとって、辛い試練であるが、それは世界が多極化していく産みの苦しみである。少なくとも、後世の人々は現代を多極化の始まりの時期であったと呼ぶようになるだろう。

 最高の翻訳者に恵まれた本書が、韓国の方々の、みずみずしい感性に受け入れられることを祈っている。

                                          2008年10月23日 神戸御影にて
                        本山美彦

野崎日記(16) 新しい金融秩序への期待(16) 地域のお金を地域産業振興のために使おう

2008-11-26 21:01:51 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

地域のお金を地域産業振興のために使おう―米国サブプライムローン騒ぎからの教訓

 日本の妻たちは「奥様」と呼ばれています。家の奥の台所で家計のやり繰りをするからです。

  男どもはいとも簡単に飲み代に使ってしまうのに、奥様方はバーゲンに目の色を変えます。

  このような奥様が財布の紐をきつく握っているからこそ、日本人の預貯金は諸外国に比べて多いのです。

  ところが、これまでは、世界で有数の日本人の豊富な貯蓄が、米国の怪しげなサブプライムローンの元手になっていました。

  金融狂騒曲の主たる犯人はわが日本の豊富な貯蓄だったのです。この貯蓄が私たちを雇用する大事な地元産業に回されずに、あくどい米国の金融ゲームに流されていたのです。

  サブプライムローン問題が深刻になるにつれて、米国の金融政策責任者たちは、金融ゲームの担い手である投資銀行を取り締まろうとするようになりました。

  つまり、預金者から預金を集め、それを企業に融資する商業銀行による間接金融の方が、怪しげな証券を売りまくる投資銀行による直接金融の方よりも、貸し手責任が明確であるという当たり前のことがやっと米国で認知されるようになったのです。

  貯蓄は雇用を増やすために使う体制を遅まきながら米国人も考えるようになったのです。はやく、日本人もそれに気付いて欲しいものです。

野崎日記(15) 新しい金融秩序への期待(15) P・クルーグマンによる「私」型金融システムの批判

2008-11-25 20:37:36 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 辛口の批評家として知られているプリンストン大学教授、ポール・クルーグマンが、〇八年三月二一日付『ニューヨーク・タイムズ』のコラムで述べている。

 あらゆる規制をくぐる抜ける「陰の銀行システム」が作り出されていた。それは政治家に規制緩和政策を採用させることによって実現したシステムである。「陰の銀行システム」は、複雑な金融システムを次々に開発していった。そして、規制に縛られている旧金融システムを凌駕した。規制されていない銀行システムが旧いシステムの銀行よりも有利な条件の金融商品を顧客に提供できたからである。

 その一方で、規制のない自由なシステムの危険性を危惧する人たちは、将来の希望を見ない時代遅れのものたちとして馬鹿にされた。しかし、いまや陰の銀行システムから現金が引き出されている。その結果が、「金融収縮の悪循環」である。それは三世代前に生じた金融恐慌の再来である。以上が、クルーグマンの見解である。

 「陰の金融システム」という言葉は、巨大債券運用会社のPIMCO(パシフィック・インベストメント・マネジング・カンパニー)の最高投資責任者(CIO)のビル・グロースによるものである。ここで、「陰」というのは、取引内容がすべてオープンになることを強制されている商業銀行(表の銀行システム)に対して、取引内容が表に出ないということを意味した言葉である。

 ニューヨーク大学スターン・ビジネス・スクールのヌリエル・ルービニ教授は、「陰の銀行システム」より広く、「陰の金融システム」と言った方がよいと主張している(〇八年二月五日付RGEモニター)。

 
証券の支払い保証を専業とする保険会社の「モノライン」、会員制投資クラブの「ヘッジファンド」、証券を販売する投資目的会社の「SIV」(ストラクチュアード・インベストメント・ビークル)、銀行ではない金融機関の「ノンバンク」なども「陰」の部分だからである。


 ごまかしであった直接金融礼賛

 「陰の金融システム」こそ、「私」型金融システムそのものである。預金者の金を企業に商業銀行が仲介する「間接金融システム」よりも、企業が投資銀行を通じて資本市場から資金を調達する「直接金融システム」の方が優れていると金融の専門家や実務家たちは、これまで、声高に語ってきた。その声は、「金融ビッグバン」、「金融における規制緩和」として実現された。しかし、そこには陰のシステムによるトリックがあった。公を理由に規制で縛られて自由度の小さい「表の金融システム」に対して、当局の保護はいらないから自由に泳がせて欲しいという「陰の金融システム」の方が、ギャンブル制が高く、それだけに金余り社会にフィットしただけのことであった。上げ潮の局面では、陰のシステムの方が魅力的であったが、引き潮局面では、破滅的な金融収縮を招くことが、今回のサブプライム問題によって、示されたのである。


 金融収縮の連鎖

 史上最悪の住宅不況に現在の米国は喘いでいる。すでに、一〇〇〇万世帯が家を手放し、鍵を封筒に入れて住宅を担保に取っている銀行に郵送しなければならなくなった(ジングル・メールという)。

 サブプライムの内容であるRMBS(住宅ローン担保証券)やCDOs(債務担保商権)の価値暴落が止まらない。サブプライム・ローンは、「忍者ローン」と呼ばれる、頭金ゼロ、はじめの二~三年間の低金利、所得・勤務先・資産に関する証明書の提出不要、等々の無謀なローンであった。〇五年から〇七年までに契約されたローンの六〇%が忍者ローンであった。

 損失は全不動産担保証券に及んでいる。ゴールドマン・サックスの推計では、損失額は四〇〇〇億ドルに達している。

 不動産担保証券を買うための資金調達手段であるABCP(資産担保コマーシャル・ペーパー)の発行ができなくなった。モノラインも支払い不能になってしまった。クレディット・カード、自動車ローン、学資ローン、等々の商業債務支払いも困難になっている。不動産ローンから商業ローンへ、さらに銀行融資へと金融危機が連鎖している。あらゆる証券の価格低落が加速している。地方債も例外ではない。ファンドなどが保有する資産のNAV(純資産価値)は低落の一方である。

 住宅を失って、多くの住民に去られてしまった街は、ゴーストタウン化している。こうした街で事務所、商店、ショッピングモール、ショッピングセンター建設に乗り出す業者がいなくなった。事実、デフォルト(支払い不能)率の高さを示すCMBX(商業モーゲジ担保証券のデフォルト・スワップ)指標はそのことを示している。

 商業モーゲジ証券を購入していた銀行は破産に追い込まれている。預金の取り付け騒ぎが始まった。金融機関が資金繰りに困り、FHLB(連邦住宅貸付銀行)の貸出も急増した。

 借入金を増やして、それを投資に回すというLBO(レバリッジド・バイ・アウト)の手法が火傷を大きくした。大規模のLBOがCLO(ローン担保証券)市場を破壊してしまった。


 経済パニックの本格化

 今後、企業倒産が激増するであろう。一九七一年から〇七年の年平均デフォルト率は三・八%であった。しかし、〇六年と〇七年はわずか〇・六%であった。この二年間はジャンク・ボンドと国債との利子率の開きはほとんどなかったほど、金融の超緩和状態にあったからである。その局面が急激に反転したのである。それだけに経済パニックが大きくなる。

 ジャンク・ボンドと国債利率の差が最近では開いている。デフォルト・スワップ指数であるiTraxxとかCDX指数も、デフォルト急増の現実性を示している。おそらく、デフォルト率は〇八年内に一〇%を超すことになるだろう。

 支払い保証の対象である証券は五兆ドルであるが、保証を売買するCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)市場はその一〇倍の五〇兆ドルもあると言われている。この損失額は二五〇〇億ドルになると推計されている。

 支払い保証の買い手だけが損をしているだけではない。モノラインの倒産に見られるように、保証の売り手までもが支払い保証約束を履行できなくなってしまった。陰の銀行システムの断末魔である(ヌリエル・ルービニ「高まる金融システム溶解の危険性―金融崩壊の一二の段階」、『RGEモニター』〇八年二月五日参照)。


 野崎日記(14) 新しい金融秩序への期待(14) 「私」型金融システムの破壊

2008-11-24 20:48:45 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 金融のおかしな世界

 サブプライム・ローン危機が出現するまでは、おかしな世界がまかり通ってきた。M&Aという企業買収・転売のあり方がそれである。

 ファンドが、企業を買収し、その企業の従業員を解雇したり、強引な手法で債務を削減したり、債権を早期に回収したり、様々な形でその企業を切り刻む。企業を転売しやすくするためである。身軽にさせられ、現金を充実させられた企業が、ファンドによって転売される。ファンドは買収価格よりもはるかに高い価格でその企業を転売する。

 大儲けしたファンドの陰で、首を切られた多くの従業員とその家族が泣き、企業の取引先が顧客を失い、企業内部に蓄積されてきた技術が無惨に消失する。

 この世界がおかしいというのは、M&Aでは、情報の不公平さが利用されているという点にある。ファンドは、小魚に襲いかかる鮫である。ファンドは会員制の高級投資クラブである。とてつもなく大きな資金を動かせる億万長者の出資によって組織されているのがファンドである。

 会員数は秘密を守るために一〇〇名以内に制限されている。一つのファンドが動かせる資金は何十億ドルもの巨額なものである。この巨大な鮫に襲われたら小魚などひとたまりもない。


 金融における「私」と「公」 

 ファンドは「私」(プライベート)型金融の典型である。金融システムの中で「私」型金融組織は、誰が会員であるか、どれだけの資金を動かしているのか、どれだけ会員に儲けさせたか、儲けの手口はどのようなものなのか。そもそも正確な財務内容はどのようなものであるのか。こうした情報をファンドは金融監督当局に明らかにしなくてもよい。

 彼らが「私」(プライベート)という主体だからである。「私」であるかぎり、すべては自己責任になる。よしんば破綻してもファンドは監督当局から公的資金の供与によって救済されることはない。何をしてもいいが、失敗しても泣きつかないという了解が、「私」型金融組織と監督当局にはある。

  救済を求めないかわりに、一切の規制から自由に泳がせてもらいたいのが、ファンドなどの「私」の組織である。

 ファンドのメンバーも、組織が破綻しても、自分たちを救済してもらうつもりはない。それより秘密を守って欲しい。すべては覚悟の上である。これが「私」型金融組織の基本的な特徴である。

 鮫に襲撃される小魚である企業は、自社が発行する株式を、非常に多くの人と組織に買ってもらっている。小魚の株主のうち、圧倒的多数は資産家ではない人たちである。そうした人たちは、企業や銀行が破綻したときに救済されなければならない。

  零細な株主、あるいは預金者を保護するために、そういう人たちを顧客とする組織は、監督当局によって営業内容が厳しく取り締まられる。したがって、営業内容のすべてが当局の監視下にある。襲撃してくる鮫には財務内容を明示(開示という)しなければならない。襲撃する側の鮫には開示の義務がなく、襲撃される側の小魚は財務内容等々のすべての営業内容を開示する義務がある。

 当局によって監視されるが、企業が破綻すれば公的資金を注入されて救済される。

 投資銀行と商業銀行

 たとえば、商業銀行の資金繰りが困難になれば救済資金が供与され、それでも銀行が破綻してしまえば、預金者は預金を保護される。これが「公」型金融組織である。

 米国の銀行には「私」型金融組織と「公」型金融組織がある。投資銀行が前者、商業銀行が後者である。投資銀行は当局の監視を受けることなく自由に活動できる。商業銀行は強い監視を受ける。破綻しても投資銀行は当局から救済されないが、商業銀行は救済される。「私」と「公」の差である。

 そして危機の連鎖が始まる。ゴールドマン・サックスによれば、金融機関で二〇〇〇億ドルの損失が発生すれば、二兆ドルの信用収縮が生じるという。一ドルの資本で一〇ドルを金融機関は運用しているからである。サブプライム・ローンに関する現在の損失は一兆ドルある。それは資本の減額となる。とすれば、一〇兆ドルの信用収縮がこれから始まることを意味する。今後、「私」型銀行の倒産が相次ぐであろう。

 金融恐慌の発言に怯えるFRB(連邦準備制度理事会)などの監督当局は、してはならない公的資金の注入を、「私」型金融組織に対して行うであろう。公的資金を受け入れれば、これまで享受していた自由度を「私」型金融組織は失い、当局の管理に従うことになる。

  サブプライム騒動がもたらしたものは、「私」型金融組織の全面敗北なのである。公的資金の注入、投資銀行の監視強化、当局による「私」型金融システムの強引な廃絶というシナリオが、これから作られるはずである。こうして、金融の世界は、一九七〇年以前の世界、つまり、「管理通貨体制の世界に戻ることになる。


野崎日記(13) 新しい金融秩序への期待(13) スティグリッツ書評

2008-11-23 20:42:41 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 ブッシュ政権が気軽に始めたイラク侵略戦争の結果は無惨である。民主主義を根付かせる大義どころか、この侵略は中東全域に未曾有の混乱を引き起こしてしまった。

 今後、長い間にわたってアメリカ国民は人的・物的・精神的な戦争の後遺症に苦しめ続けられることになるだろう。本書が看破するのは、大義のもとで巧妙に隠された戦争の負の連鎖である。直接的な戦費、借金の利子、傷痍軍人に払われる巨額の補償費の合計は少なく見積もっても三兆ドルに達するという。

 こうした結末になることは、戦争開始前から専門家たちには分かっていた。しかし政府は市民に戦争の巨大なマイナス面に気づかせないようにしていた。本書はその情報伝達面での周到な虚偽を、徹底的に暴いていく。開戦から五年間も、直接的な対イラク戦費は議会への詳細な説明責任を伴う予算ではなく、自然災害対策的なものとして、緊急予備費から賄われた。その額は少なく報告され、本来、戦費に支出する性格のものではない国防費からも補填された。

 今回の戦争は、戦争請負企業の従業員を多用した。彼らに支払う巨額の出費への説明責任も国防総省は果たさなかった。人々の吟味に耐える戦争会計を政府はついに作成しなかった。戦争は、大義ではなく金銭的欲望で動く請負兵士によって担われ、そのことを利用して政府は戦闘の負担を多くの若者に担わせることを避けた。

 多くの国民は戦争の悲惨さを知らされず、大義のみが大げさに喧伝された。国民は、自国が戦争をしているという意識すらもたないように誘導された。軍事請負会社とその社員だけが勝者であった、という著者の指摘は衝撃的だ。

 アメリカ国民は、長い時間をかけてこれら巨額の費用を払い続けなければならないのである。

 二〇〇一年度ノーベル経済学賞受賞者によるアメリカの良心を具現化した感動的な好著である。


 野崎日記(12) 新しい金融秩序への期待(12) USTR―目指すは医療保険市場

2008-11-22 19:03:14 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 USTRは、日本が規制改革と市場開放を一層進めて、日本の全国民の利益となるような「新しい革新的な製品やサービスの開発を促すこと」が大事であるとのプレスリリースを出した。

 そのプレスリリースでは、医療分野が米国の最大の関心事項であることが強調されている。


 「今年の要望書で特に重点的に日本に求めているのは、医療機器および医薬品分野の技術革新を支援するさまざまな政策を実施すること」、「新しい日本郵政グループ各社が」競合する民間企業を圧迫しないこと、「銀行における保険商品の窓口販売の完全自由化を予定通り実施すること」であるとしている。

 この短い宣言に、日本の医療市場の米国への開放、しかも、医療保険とのセットで開放されるべきであるとの米国の強い意志が集約されている。

 そのためにも、日本の公的な医療保険制度は廃止されなければならない。周知のように、米国には、公的な医療保険制度はほとんどない。映画「シッコで完膚無きまで批判されたのが、米国の医療保険制度である。米国は、日本もまた、公的な保険制度を縮小して、民間保険を拡充せよと迫っている。要望書は言う。

 「共済は日本の保険市場において民間と直接競合する保険商品を提供し、相当な市場シェアを有している」、共済は、「民間の競合会社に比べて大幅な有利な立場」にある。そのためにも、「共済の監督や検査に関する規則と規制の徹底的な見直しを行う」べきであると。

 米国は、一方で、規制緩和を標榜しながら、他方で、共済を厳しく規制せよと要求しているのである。かつて、日米保険協議において、医療などの第三分野において、日本の大手保険会社は米国の強い要請で一定期間規制された。そのこともあって、日本の医療保険の分野は米国保険会社の独壇場になった。この苦い経験は、忘れられるべきではない。

 公的な共済を失えば、日本の真の宝である国民皆保険制度まで民営化の名の下に廃止されてしまうであろう。保険診療から混合診療へ、そして、医療が保険会社に管理される自由診療へと流れて行くことを米国政府は画策しているのである。

 金持ちだけが高度な医療を受けられ、貧乏人は、支払ったわずかの保険料に見合う貧弱な医療しか受けられないという米国の悪しき制度に向かって、日本の医療制度が突進しているのである。


野崎日記(11) 新しい金融秩序への期待(11) 年次改革要望書

2008-11-20 22:17:34 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 日本の経済政策の多くが、自前のものではなく、米国の要求を忠実になぞるだけのことであったことについては、いまでは多くの人が気付いている。

 郵政改革、商法・会社法改革、法科大学院創設、構造特区、公認会計士の増員、医療保険改革、三角合併、等々、三代前の首相の名を冠された小泉改革のほぼすべてが、米国の要求に応えるものであった。

 米国の対日要求は、多くのルートを通って出されるが、中でも、〇一年から毎年、秋に出される『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書』が大きな圧力となっている。これが世間で有名になった『年次改革要望書である。以下、要望書と表記する。

 前の年の要望書を受けて、日米両国は、上級会合で政策化が図られる。上級会合には、電気通信、IT、医療機器・医薬品、分野横断的問題、の四つの作業部会がある。その成果が次年度の要望書に盛り込まれる。しかし、日本の対米要求はほとんど意味をなしていない。米国の対日要求の強さのみが目立つ。それは、米国の生の対日要求姿勢を表している。最新のものは、〇七年一〇月一八日に提出された。そこでは、とくに、医療機器・医薬品分野が重視されている。

 〇七年要望書の医療分野における記述は、非常に高圧的なものである。
 医療機器・医薬品を扱う節の冒頭には、〇七年八月に米国が日本に示した「産業ビジョン」における「米国の数々の提案を迅速に導入するように促す」という文章が掲げられている。「産業ビジョン」では、主として新薬に関する米国側の要求が盛られたものであった。新薬治験方法、新薬承認審査の迅速化、米国を含む外国製新薬の正しい評価、等々がそこには列挙されていた。

 こうした新薬に対する米国の要求を速く実現させ、医療機器分野にも同様の基準を提供すべきであるというのが、今回の要望書である

 高額医療機器の開発・導入をし易くするような価格算定方法を作ること、革新的な医療機器の導入承認を迅速化すること、血液製剤使用にある規制を緩和すること、栄養サプリメント商品をもっと普及させること、医薬部外品をもっと増やすこと、等々、米国の業界が日本の医療市場における地位を強化するための道筋が明確に示されている。ここで、医療市場というのは、医療機関だけでななく、大量販店などで販売される栄養サプルメントなども含められている。

 要望書は、「高齢化社会の課題を抱えながらも高水準の医療を提供することを目指す日本に対して、米国は」、革新的な医療機器・医薬品の導入・開発に「適切なインセンティブを与えること」、そうすることを妨げている、薬事規制による承認の「遅れを解消することを提言する」と、居丈高な表現で、今後拡大することが確実である日本の医療市場に食い込んで、高額の最新式医療機器・新薬を販売したいという米国の姿勢を堂々と開陳しているのである。

 そして、医療制度改革を審議する場に米国の業界代表をこれまで通り参加させろと迫っている。

 「米国は、日本政府とその諮問機関に対して、医療制度の変更を行う前に、米国業界を含む業界からの意見を十分に考慮するように求める」。

 この居丈高さはなんとしたことか。とても、対等の同盟国に対する要望とは思われない。それはれっきとした強要である。もし、日本政府が、米国政府に対して、米国の審議会に日本の業界代表を加えて、日本側の意見を反映させろと言えば、どうなるかは言うまでもない。このような植民地と宗主国との関係のようなやりとりが小泉内閣成立以降、七年間も続けられてきたのである。

 米国にはUSTR(米国通商代表)という職責がある。大統領直轄の閣僚クラスであり、米国の要求が満たされないときには、通商法の「スーパー三〇一条」を使って、「たすきがけ」制裁の実施を議会に要求できるという恐ろしい権限をもつ閣僚である。

 『要望書』で打ち出された米国の要求内容が実現されていないと判断すれば、USTRは、毎年三月、議会に提出する『外国貿易障壁報告書』の中に、「たすきがけの制裁措置」の提案を盛り込む。ある分野における米国の要求が満たされないときには、その分野だけではなく、日本のもっとも強い分野に制裁を加えるというのが、たすきがけ制裁である。

 米国は、郵政の簡易保険の民営化が行われなければ、自動車の輸入制限に踏み切る可能性があった。日本政府は、これが恐いために、否応なく米国の要求を飲んでしまう。できることと言えば、米国の要求を実施するまでの時間稼ぎをするだけである。三角合併の実施などがそうであった。悲しい現実である。しかも、米国は制裁措置を、国際的な合意に基づくのではなく、米国の国内法で講じるのである。

 今回の要望書は、〇七年一〇月一八日、東京で開催された日米貿易フォーラムの会議の冒頭で、ウェンディ・カトラーUSTR代表補によって日本政府に渡されたものである。カトラー代表補は、日本・韓国・APECの担当である。

野崎日記(10) 新しい金融秩序への期待(10) 誰も中身を知らずにCDOに投資した

2008-11-19 00:31:00 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 昨今、マスコミを賑わしている「サブプライム・ローン」という流行語を、昨年初めにはどのくらいの人が知っていたのだろうか。肝心の金融マンですら単語を知らなかったのではないだろうか。なぜいまになって急に流行語になってしまったのだろうか。この当たりにサブプライム・ローン問題の謎を解く鍵がありそうだ。

 例えば、健康補助食品であるサプリメントという言葉を知った途端にサプリメントが氾濫した。 初めは人の噂話で、次いでコマーシャルで、そして、その方面での権威者のお墨付きで、最終的には米国政府からの『年次改革要望書』でコンビニ販売を強要されて、法改正を得て、サプリメントの大市場が出現した。

 サブプライム・ローン危機が大騒ぎされている裏にはなにがあるのだろうか。危機が喧伝されている過程で、誰が損をし、誰が得をしているのか。まだ真相は分からない。しかし、勝者と敗者とを見極めるところから問題の真相に迫ることができるはずである。

 CDOの長い連鎖が続く間に、最初の支払い不能(デフォルト)のリスクがどの証券に含まれているのかが分からなくなってしまう。

 そして、ご存知のように、CDOが売れなくなってしまった。支払い能力に難点のある人たちに、なぜ膨大な貸付をしてしまったのか。債権の証券化はゆき過ぎたのではないのか。格付け会社による格付けは正しかったのかどうか。誰がデフォルトを含むCDOを保有しているのか。そもそも、金融機関の本当の損失額の大きさはどれだけなのか。資金流出でどの金融機関が破綻するのか。モノラインは保証を連発し過ぎて倒産するのではないのか。倒産が相次ぐヘッジファンドの将来はどうなるのか。

 要するに金融界が疑心暗鬼に捕らわれてしまって、信用の連鎖が切れてしまった。これが多くの人が理解しているサブプライム・ローン問題の概要である。

 サブプライム・ローンは金融にまつわるすべての危険性が詰め込まれたリスクの缶詰である。そうした認識を多くの人が共有するようになった。しかし、真の怖さはもっと奥深い所にある。そもそも、このとんでもない金融の不祥事に市場がほとんど関与していないという信じられないことが進行していたのである。

 二〇〇八年二月九日、東京で開催された先進七か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が採択した共同声明で、「証券化商品の格付け手法の透明性確保」が金融機関には必要であることが盛られた。まず格付け会社格付け手法がよく分かっていない。よく分かっていないのに、格付け会社の「勝手格付け」によってトリプルBに満たない評価を与えられてしまえば、その企業の資金調達が困難になって、市場から撤退を余儀なくされてしまう。つまり、格付け会社は企業社会における帝王である。この帝王の寵愛をどうすれば得ることができるのかを懇切丁寧に企業に指導する「助言組織」が輩出する。格付け会社の元調査員たちが設立するコンサルタント事務所がそれである。ニューヨークを本拠にする「カントウェル」がその代表格である(http://www.askcantwell.com/)。

 プライム・ブローカーの金融機関(主としてシティグループなどの金融コングロマリット)がそうした助言組織の助言を得て帝王の格付け会社からの評価を得、さらにモノラインからCDSという金融保証を購入したきてうえで、CDOに価格を付ける。この点が重要である。

 
CDOの価格は、市場によって付けられたものではない。プライム・ブローカーによって人為的に付けられた仮想価格である。仮想価格といっても、高度な金融工学理論によって計算された科学的なものであるというのが売り物である。しかし、市場で―一度も価格付けが行われないまま、CDOが他者に売られる。

 この販売に、「カストディアン銀行」が関与する。「カストディ」とは顧客の依頼で証券などを購入し保管する業務のことである。多くの機関投資家がカストディ銀行のアドバイスでSIVから、サブプライム・ローン関連のCDOを、現物も見ずに、購入したのではないか。とにかく、ハイリターンの金融商品だという触れ込みだけで。CDOを売りつけるプライム・ブローカーの著名度、CDOを格付けした格付け会社の帝王としての風格、モノラインの保証への信用、そうした一流(プライム)という金融のエリートたちが、まさか怪しげな金融商品を売りつけているとは誰も想像できなかったことであろう。

 サブプライム・ローンの受け手が支払い延期に追い込まれるのではないかとの風評が立った。事実、連邦準備制度理事会(FRB)の利上げ決定によって、ローンの延滞の可能性は高まっていた。しかし、それはあくまでも可能性であり、デフォルトが激増したわけではなかった。デフォルトは可能性としての風評であった。ここにきて、CDOの本当の価格はどの程度なのかという疑念がCDO保有者の間に広まった。市場で売ろうにも、そもそもが価格の付いていないCDOは売ることもできないことに保有者たちは気付かされる羽目になった。市場は痙攣した。

 そして、決定的なことが起こった。二〇〇七年一一月、米国の会計基準が突然に変えられた。保有証券が、価格付け方法の差異によって、三つのランクに区分された。「レベル1」は市場で確定した価格をもつ証券である。「レベル2」は金融当局が公的に認知した計算方法に基づいて計算された価格をもつ証券である。そして、サブプライム・ローン関係のCDOが「レベル3」になった。金融機関が勝手に価格を付けたものであるので、その額を定期的に報告しろというものであった。

 レベル3の証券を多数保有している金融機関への不信感を増す効果を改正基準はもった。シティグループがレベル3をさらに拡大解釈して損失として処理した。なぜなのだろうか。それに、急激な株価の低落で莫大な利益をせしめた空売りの仕掛け人は誰なのであろうか。誰が勝者で誰が敗者かはまもなく判明するが、世界的に巨大な金融再編成の幕がやがて切って落とされるであろうことは容易に想像できる。

 先述のハゲタカ・ファンド、ドニガル・インターナショナルのえげつなさを再論したい。一九七九年にルーマニア政府がザンビア政府に一五〇〇万ドルを融資した。一九九九年、ルーマニア政府は困窮したザンビア政府に同情して債務を三〇〇万ドルに減額する約束をした。しかし、どういった事情があったのか、ドニガル・インターナショナルという英国のハゲタカ・ファンドがルーマニア政府からこの一五〇〇万ドルの債権を三三〇万ドルで買い上げた。そして、ドニガルは、ルーマニアから購入した債権の支払い請求訴訟を起こした。二〇年間の利子分や手数料を含めて請求額は五五〇〇万ドルもの巨額であった。そして、英国の裁判所はザンビア政府に一五〇〇万ドルの支払いを命じたのである。

 G8が抱える問題点はすべてこの事件に集約される。サミットでいくら貧困国への債権を減額するとの合意が成立しても、この種の闇取引が政治家とファンドの間で交わされるものである。洞爺湖サミットでは環境ビジネスが正式に認知される。教育開発や社会整備の援助が貧困国に供与される合意もできるであろう。

 しかし、そうした資金の多くが、闇取引でハゲタカ・ファンドの餌食になってきたのである。仏独政府はファンドの規制をG8で訴えるであろう。しかし、両国ともに、サブプライム・ローンで暗躍したヘッジファンドをもっている。本気で取り締まろうとするのではなく、米国に傾斜したファンドの富の再配分を要求することに本意があると見なせるのである。

野崎日記(9) 新しい金融秩序への期待(9) 証券化とハイリターンの出自

2008-11-16 00:43:46 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 証券化とLBOは、ともに、一九八〇年代の米国で生み出されたものである。

 
LBOは、金融と金利の自由化に伴う預金の流出に見舞われたS&L(貯蓄投資組合)という小口預金組織が相次いで破綻したときに多用された。破綻したS&LをLBOによって次々と買収して、まとまて転売するというビジネスが注目された。加えて、海外からの膨大な資金流入が、市場の利子率を下させた。それが住宅価格を上昇させ、LBOを刺激した。借金を梃子とする過剰投資がなされたのである。利子率低下は年金基金の収益を悪化させた。やむなく、危険ではあるが高い収益をもたらしてくれるヘッジファンドに年金基金は資金を預けるようになった。

 債権の証券化は、メキシコのデフォルト危機に対処するために、米国政府によって編み出された手法である。一九八〇年代のメキシコ政府の持続的な債務返済危機によって、米国の銀行は深刻な経営困難に直面した。これを救済したのが、「ブレイディ・プラン」(Blady Plan)であった。ニコラス・ブレイディ(Nicholas Blady)は父ブッシュ政権下の財務長官であった。

 まず、米銀がもつメキシコ政府の債権(ドル建て)を額面から割り引いて「ブレイディ証券」という新証券(ドル建て)に組み替え、それを世界銀行などの国際金融機関や日欧の銀行が買い取る。銀行は、その新証券を、メキシコに進出したい多国籍企業に転売する。新証券を買った多国籍企業は、それをメキシコ政府に買い取ってもらう。

 しかし、メキシコ政府にはそもそも外貨がない。そこで、新証券を株式と交換する。その株式は、民営化された元政府系企業が発行したものである。こうして、メキシコで民営化が実施され、多国籍企業は、民営化された企業の株式を取得することによって、メキシコに足掛かりを掴む。これは当時、「債務の株式化」と言われ、国富の切り売りではないかと批判されたものである。

 しかし、ことは、たんなる債務の株式化で終わらなかった。メキシコ政府は経済支援を受けることと引き替えに、国際金融組織から民営化、金融の自由化、外資導入、等々の構造改革を迫られたのである。「債務の株式化」は、他の途上国の国家資本主義的傾向を、強引に市場化に向けたものに変えた。これが、ワシントン・コンセンサスと言われるものである。一九八〇年代末から一九九〇年代初めにかけて行われた政策である。こうした措置によって、米銀は息を吹き返し、以後、米国の金融は証券化が一般的になったのである。

 理由は分からない。なぜか凄腕の金融マンには慈善事業家や敬虔な宗教家が多い。彼らら収入は、もう想像を絶する多さである。ウォール街では、金などのコモディティを扱うトレーダーは、経験一年目の新人でも一二〇〇万円、中堅クラスで六〇〇〇万円、上級職で二億四〇〇〇万円という途方もない金額が通常の給与以外に臨時ボーナスとして支給されている。債券のディーラーになるとこれよりもはるかに大きく、一〇〇億円を支給される人すらいるという(http://www.mmc.co.jp/gold/market/toshima_t/2007/264.html)。短期間に稼ぐだけ稼いで転身する。政治家と大学教授がその受け皿になっている。とにかく溜息が出てしまう。