『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(二〇〇七年一二月二一日付、International Herald Tribune, Dec. 21, 2007)にポール・クルーグマン(Paul Krugman)が、「何も見ずにバブルに突っ込んでしまった」(Blindly into the bubble)というエッセイを寄稿している。金融の自由市場という信仰がバブルを発生させたのであり、その点でのアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)の罪は重いと断罪したのである。
以下、クルーグマンのエッセイを紹介する。
FRB議長のベン・バーナンケ(Ben Bernanke)が住宅金融産業について、「市場の規律がなくなっていたところもあり、適切な貸し出し手続きが損なわれた面もある」として、住宅金融に緩やかな規制を加える必要があると言った。これは暴れ回る馬を馬小屋に閉じ込めたいということであろうが、現実には、馬小屋から馬が脱出してしまい、馬小屋には暴れる馬がいなくなってしまっているのに、馬小屋の扉をバタンと閉めるようなものである(locking-the-barn-door-after-the-horse-is-gone)と、クルーグマンは揶揄する。
こんなことで、「とてつもない大災害」(unmitigated disaster)を解決できるわけではない。数年前から進行していた「革新的な」(innovative)住宅金融ローンの爆発によって、米国は未曾有の危機に追いやられた。バーナンケは、率直に前任者のグリーンスパンを批判すべきである。グリーンスパンの在任中は、暴れ馬はまだ馬小屋の中にいた。このときに、グリーンスパンは、馬小屋の扉をバタンと閉ざすべきであった。住宅ローンが真っ盛りのまさにそのときにローン規制を発動すべきであった。住宅金融が崩壊してしまった後になって規制を行おうとしても時すでに遅しなのである。
米国の住宅金融の方式を擁護する人たちは、ローン規制のなさがリスクを生むとしても、持ち家比率が高くなる利益の方が大きいとうそぶいている。グリーンスパン自身も新著でそのようなことを書いている。
二〇〇四~二〇〇六年でいかがわしいサブプライム・ローンが隆盛を極めた。しかし、その間、持ち家比率が大きくなるどころか、その比率は二〇〇三年水準にまで下がった。いまや何百万人の人たちが元利支払いを滞らせている。
おそらくは、ブッシュ政権のスタート時点よりも、ブッシュ政権の終わり時点の持ち家比率は低下しているであろう。
バブルが進行している間、年々、何百万人もの人が支払い能力を超えるローンを組まされてきた。そして、不適切なトリプルAのラベルに欺されて投資家が莫大な資金をサブプライム関連の証券に投資させられてきた。おそらく、米国の一〇〇〇万世帯が自宅の価値以上の負債を抱えて行き詰まるだろう。投資家も四億ドル前後の損失に苦しむであろう。
事態は、大恐慌以来最悪のものである。監督当局はどうしていたのか。彼らは自由市場信仰のイデオロギーに毒されていたのである。彼らは、何ごとにも拘束されない自由な資本主義を賛美していたのである。
一九六三年にグリーンスパンは明言した。業者が自由に動き回れるようになれば、彼らは、危険な食料や薬、怪しげな証券や粗雑なビルディングを売りつけるようになるであろうという受け取り方は、「集産主義者」(collectivist)の神話である。グリーンスパンは言う。逆である。業者の「利己心」(self-interest)は、正直な取引を行い、良い品質の商品を作る人であるという評判を得たいというものであると。
FRBのメンバーの中には、エドワード・グラムリッチ(Edward M. Gramlich)のように、欺くような融資行動を警戒する意見の持ち主もいた。しかし、グリーンスパンは、そうした警告を一切無視した。グリーンスパンの脳裏には、消費者に毒の入った玩具とか汚染された魚介類を売りつけるようなことは生じず、詐欺的な融資もあり得ないという意識しかなかった。
社会の人々を守るのではなく、自己のイデオロギーをその上に置く通貨監督の責任者は、グリーンスパンだけではなかった。
サブプライム・ローンが猛威を奮い始めた二〇〇三年六月、ある新聞が、銀行の規制緩和の是非をめぐる紙上討論を企画した。政府関係者からは五人が出席した。五人すべてが、程度の差はあれ、銀行規制強化論への攻撃を行った。中でも、貯蓄機関監督局(the Office of Thrift Supervision)のジェームズ・ギルラン(James Gilleran) の規制論に対する反感は強烈であった。まるで、チェーンソーを用いて、一群の規制強化論を刈り取ってしまう激しさであった。後の四人は、チェーンソーではなくて大鎌を使用する違いはあったが、規制強化論で摘み取る点では同じであった。
討論会には、規制緩和のロビー活動をしている金融機関関係者が出席していた。しかし、消費者の立場から発言した人はゼロであった。
この討論会があった二か月後、規制強化論を大鎌で摘み取る役割をはたしている通貨監督局(the Office of the Comptroller of the Currency)が、国法銀行(national banks)に関しては、消費者を怪しげな融資から保護するために銀行に課せられた州の規制を免除するということを決定した。ニューヨーク州が州民を融資の餌食になることから保護しようにも、それが許されなくなったのである。
しかし、金融に関するあらゆることが悪化してしまった。人々は、いまや、自由市場が完全であるという考え方に疑問を抱くようになってきた。
事態の悪化が表面化したとき、グリーンスパンは、救済に政府の出動を求めた。とにかく大量の資金を用意すること、金融危機に十分に対処できるだけの豊富な資金を政府が用意することの必要性を表明した。しかし、これは国民の血税ではないか。
ただ、不思議なことに、二〇〇八年の大統領選挙戦において、民主党は住宅担保金融を支配している上記のようなイデオロギーを批判していない。このイデオロギーこそは、共和党の背骨を形成しているものである。したがって、共和党を攻撃するのに、これほど分かりやすいものはないのに、民主党は、このイデオロギーを攻撃していないのである。
以上が、二〇〇七年一二月二一日に発表されたクルーグマンの金融自由化イデオロギー批判の大要である。
クルーグマンの歯切れのよいエッセイをもう一つ紹介しておきたい。
例によって、クルーグマンらしい、いささかキザではあるが、しかし、小気味のよい論題をつけている。「まず返済を見直せ、業界の救済ではない」(Workout, not Bailout)というもので、『ニューヨーク・タイムズ』(二〇〇七年八月一七日付)に掲載された。
住宅問題の混乱は、数か月どころか、数年は続くであろう。ウォール・ストリートからは、苦境に陥っているファンドを救済すべく、価値毀損で売れなくなってしまった住宅担保証券をFRBに買い取って欲しいという声が上がっている。しかし、それは、自業自得で倒産したエンロン(Enron)や ワールドコム(WorldCom)を納税者の負担によって救済しろと要求することと同じ意味になる。住宅バブルは悪しき行動の当然の帰結である。
エンロンやワールドコム事件では、会計事務所がスキャンダルにまみれた顧客の言いなりになっていることから生じた。住宅バブルの破裂も同じようにムーディーズ・インベスターズ・サービスなどの格付け会社が同じような役割をはたしてしまったのである。以前には、会計事務所が疑わしい損益報告書にお墨付きを与えていた。住宅バブルにおいては、格付け会社が怪しげな住宅担保証券にトリプルAという最上級の等級を与えたのである。
誰が加害者か誰が被害者かを見定めるべきである。ローンの借り手がバブルの犠牲者なのである。
ローンが証券化されていなかった昔なら、住宅ローン返済に困難をきたした債務者たちに対して、貸し付けた銀行は支払い条件の見直し(workout)を申し出ていた。債務者がデフォルトに陥ってしまうと、貸し付け側の銀行にも支払い停止の痛手とか、担保にとっていた住宅の再販売などのコストがかさむことを銀行側は考慮していたからである。
しかし、いまでは、事情が異なる。住宅ローンという債権と、他の分野の債権とを合わせて、債権の束にして、その束が投資銀行に売却されるようになった。投資銀行は、その束を輪切りにして、輪切りにしたそれぞれにムーディーズやS&Pといった格付け会社から格付けをしてもらって、それを投資家に売るのである。格付け会社は、そうした輪切りの証券に喜んでトリプルAを与えた。その結果がいまである。誰もその証券を買わなくなってしまった。
いまこそ、政府は住宅ローンを借り入れた何十万人を救済すべく、市場に介入すべきである。そして、返済の見直し(workout)を行うべきである。
そのためにも法律家、金融の専門家、住宅を買い上げる政府機関等々が動員されるべきである。ローンを証券化したものを買い上げるべきではない。元々のローンを買い上げるべきである。大幅に値引いて。そうすれば債務者も支払いが楽になるであろう。それができなければ事態を放置してもよい。してはならないのは、証券を扱った機関から証券を買い上げることである。
以上が、クルーグマンの主張である。至言である。
サブプライム問題は、諸悪の根源が債権の証券化にあることを明らかにした。証券化は次の証券化を生み、さらに細かい証券化が続くという、長い連鎖を形成している。それは、サブプライム・ローンだけに止まらない。金融のグローバリズムの花形であるデリバティブのすべてに巣くらう宿痾が証券化、つまり、リスクの無限の転売なのである。