消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(117) 新しい金融秩序への期待(117) 恐慌(3)

2009-03-29 07:34:15 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


二 投資銀行の消滅


 既述のように、〇八年三月末、ベア・スターンズが、米金融当局の指示によって、J・P・モルガンン・チェースによって救済合併された。

 
そうした事情もあって、リーマンが〇八年九月一五日、米連邦破産法十一条の適用を申請したとき、金融界はリーマンも当然救済されるものと思い込んでいた。しかし、ポールソン(Henry 'Hank' Merritt Paulson)米財務長官(United States Secretary of the Treasury)は、救済の意思はないと突っぱねた。

  これで、金融機関はパニックに陥った。次に救済されない銀行はどこか、という疑心暗鬼に駆られたのである。金融機関の相互間で財務状況への相互不信が高まった。銀行間取引での資金のやり取りが急速に縮小した。九月一五日、ポールソン長官の発言が伝えられるや否や、ドルの調達金利は四倍以上に急騰した。

 慌てた金融当局は、翌日の一六日、AIG(American International Group, Inc.)を救済するという決定をした。金融機関の見殺しという政策を中止したのである。しかし、金融機関の混乱は収まらず、欧州の金融機関にも飛び火した。先進国から流れ込んでいた途上国の投資マネーの逆流が生じた。アイスランド、ハンガリー、アルゼンチンなどがそのために通貨危機に追い込まれた。リーマン・ショックこそが、金融不安を本格的な金融危機に現実化させたのである。

 信用は途絶した。企業買収資金、自動車ローン供与、クレジット・カード・ローン、等々、あらゆるローンがしぼんでしまった。

 自己資金だけでなく、その数十倍の借入金で投資することを「レバレッジ(leverage)の投資」というが、投資銀行の投資行動とはこのレバリッジを過信するものであった。レバレッジとは梃子の意味である。投資銀行は、リーマンと同じ軌跡をたどって破綻の危機に瀕した。投資銀行第三位のメリルリンチ(Merrill Lynch & Co., Inc.)は、米大手商業銀行のバンク・オブ・アメリカ(Bank of America)によって買収された。一位のゴールドマンサックス(Goldman Sachs)と、二位のモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)は、銀行持株会社に模様替えし、米国において、投資銀行は消滅した。

 リーマン破綻から〇八年末までの軌跡を整理しておこう。

 〇八年九月一五日、リーマン破綻。
    九月一六日、FRB(米連邦準備理事会、Federal Reserve Board)がAIGに最
          大八五〇億ドルの特別融資を発表。AIGは事実上国有化された。
        九月一八日、FRB、ECB(欧州中央銀行、European Central Bank)、日銀が市
          場へのドル供給を発表。
    九月二九日、米下院が金融安定化法案を否決。株価暴落。
   一〇月 三日、米金融安定化法案が成立。
   一〇月一三日、欧州各国が金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月一四日、米、大手九金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月二九日、FRBが政策金利を〇・五%下げ、年一・〇%に。
   一〇月三一日、日銀が政策金利を〇・二%下げ年〇・三%に。
   一一月 六日、ECBなども利下げを決定。
   一一月一四・一五日、G二〇(5)、ワシントンで金融サミット。
   一一月二三日、米財務省など、米金融大手シティグループ(Citigroup)の追加支援
          策を発表。
   一二月一二日、麻生首相、追加景気対策を発表。改正金融危機強化法が成立。
   一二月一六日、FRBが、政策金利を年〇~〇・二五%に引き下げ。事実上のゼロ
          金利政策と量的緩和を開始。
     一二月一九日、日銀が政策金利を〇・二%引き下げ、年〇・一%に。CP(6)の
          買い切り方針なども表明し、事実上の量的緩和に踏み込む。
               同日、米政府、一七四億ドルの大手自動車会社救済策を発表。
               (「〇八金融危機の軌跡1」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。


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1 コメント

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ありがとうございました (清水哲男)
2009-03-29 09:34:29
本山美彦さま、

今朝、偶然に貴ブログを拝見しましたところ、
私の作詞した福井県立大学学歌をお取り上げになった
貴文章を拝読しました。
ご推察の通りに、私は長い間詩を書いてきた「あの」(笑)
清水哲男です。
嬉しかったので、つい発作的にメールをさしあげてしまいました。
ご多忙のところをお邪魔した失礼をお許しください。

                      清水哲男 拝

P.S.
ブログ記載のメールアドレスに送信したのですが、戻ってきてしまいましたので、場違いで失礼ながら、ここに書かせていただきました。
小生は1964年京大文学部卒業です。

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