しかし、自らの営業活動については、秘密のベールに包む。買収される側が、なにもかもさらけ出されるのに、買収する側はなにも開示しないのである。金融の闇のすべてはここから生じている。
金融革命などとの大げさな表現でもてはやされている新金融商品商法は、危険極まりない怪しげな商品を、格付け会社が発行するお墨付きで、売りさばく。リスクを商売にしているのである。
まず最初に借金づけで苦しむ貧乏人がいる。
これまでの借金を返すために、さらに高い金利で借金を続ける貧乏人に貸しつける金融業者がいる。貧乏人ほど高い金利を金融業者から要求される。いつ破産するか分からない限界点にいる貧乏人ほど高い金利を甘受する。
証券業界では、これを「ハイリスク・ハイリターン」商品として称揚する。
「ハイリスク」とは、借金している貧乏人が最終的に破産してしまい、貸し金が返ってこないというリスクのことである。「ハイリターン」とは、貧乏人からむしりとる高利のことである。
逆に「ローリスク・ローリターン」とは、金持ちに貸し付ける場合、金利が安くなければ借りてくれないので、返済は安全であるが、受け取る利息は少ないということである。
カタカナ用語が使用されると、さも新しい革新的なことであるように錯覚してしまうが、実際には、古くからある貸し金業のことである。
「ハイリスク・ハイリターン」とは、つまり、昔からある「高利貸し」のことである。法外な金利をとることができるのは、貸した相手がとてつもなく貧乏だからである。
「ローリスク・ローリターン」とは、貸し借りが仲間内で行われる「共済組合」のことである。お互いが中の良い間柄であるので、なるべく安い金利でカネがやりとりされる。
つまり、カネのやりとり面で信頼関係のないのがハイリスク・ハイリターンであり、信頼関係が強いのがローリスク・ローリターンである。
ハイリスク・ハイリターンに金融が集中するようになれば、社会は木っ端微塵に破壊されてしまう。社会が健全に成長するためには、それこそ「信用」に基づくローリスク・ローリターンの世界が必要であることは言うまでもない。
しかし、金融革新として脚光を浴びる金融の世界では、ハイリスクをいかに多くの人に分散してしまうかという技術が競われる。CDOsという債権担保証券がそれである。
最初に高利で貧乏人に貸し付けた金融業者は、元金と利子を貧乏人から返済してもらう権利をもったことになる。しかし、いかに高い金利をとっても、借り手がいつ破産してしまうかの恐怖心が高利貸しにはある。高利貸しの貸し付け意欲は、無限に続くものではない。高利貸しには自ずと歯止めがかかる。
金融革新としてもてはやされるのは、この歯止めが取り払われたからである。
高利で貸した瞬間に返済される元金と利子を受け取る権利を他に売却してしまえばいいのである。これが昔風の高利貸しと異なるところである。返済される権利を債権という。この債権を証券にして売却するのである。これが、金融の世界ではリスクに価格がつけられて証券化されるという理路で説明される。
この価格付けを後押しするのが格付け会社である。
銀行がこのリスク転売ビジネスに殺到した。銀行があらゆるところからこうした高利貸し債権を買い集める。何百種類もの債権がまとめられる。これをリスクの大きさに応じて輪切りする。リスクの高い部分は、安く売る。つまり、証券を購入した人は、うまく最終的な償還を受けたときには、高利を得ることができるので、安く買った分だけ受け取り現金(リターン)が大きくなる。ハイリスク・ハイリターンの世界である。リスクの大きさを算定するのが格付け会社である。
銀行がいくつかの種別に分けて証券化し、それをさらに転売する。この転売される証券がCDOsである。多くの場合、バランス・シートに載せる義務のない自己の「特定目的会社」(SIV)にそうした証券を買い取らせる。SIVとは、オフショア金融市場というカネの出入りをまったく関知しないという政府をもつ島国で設立された会社である。その多くはペーパーカンパニーという幽霊会社である。そして、SIVが、それをヘッジファンドに売りつける。SIVが絡む取引はバランスシートに載っていないのだから闇の中である。ファンドもまた金融監督官庁に取引内容を詳しく報告する義務がない。ファンドは、また別のファンドに、それを転売する。
こうした証券は危険なものであるために、長期債ではない。長くても三か月程度のものである。ここから本当の怖さが発生する。
証券が売れ続くかぎり、最初の金融業者は貧乏人への貸し付けを拡大させることができる。しかし、米国のサブプライム・ローン問題で明らかになったように、三か月の短期間の証券を売ることによって手に入るカネで、三〇年もの長期の貸し付けが行われるのである。
「二・二八ローン」というものがある。 三〇年ローンのうち、最初の二年間は比較的借り易い金利で借りられる。しかし、三年目になると法外な金利をとられる。そこで、最初の金融業者は、借り手に借り換えを勧める。これを「ピッギーバック」という。物を運ぶ貨車に、これも物を運ぶトラックを乗せるというのが原義であるが、転じて、サブプライム・ローンの上にいくつかの関連ローンを乗せるという意味で使われている。サブプライム問題が底なし地獄の様相を呈しているのは、ピッギーバックが横行したためである。
そして、地獄の連鎖が始まる。ローンが焦げ付けば、末端の証券購入者がババを掴む。そもそもが実体のある商品ではないので、価格自体が、市場の売買で値決めされたものではない。
CDOsの価格は、格付け会社の介入によって付けられた架空のものである。
元の借り手が破産すれば、末端の購入者が買った証券から価格がなくなってしまう。末端の購入者は、ヘッジファンドに出資する法外な金融資産をもつ金持ち層の会員である。三か月期限の会員であるので、会員はヘッジファンドから出資金を引き上げる。そこで、ヘッジファンドは親会社の銀行によって、すぐさま閉鎖される。閉鎖を逃れた独立系のヘッジファンドは、銀行預金を引き上げる。
慌てた銀行は損金処理を急ぐとともに、手持ちの有価証券を売却して預金引き出しに対処しょうとする。もちろん、銀行は最初の金融業者の売り出す証券を買わなくなる。金融業者は貸し金が返済されないために倒産する。こうして、ばたばたと連鎖破綻が生じる。連鎖上につながっていた金融機関が相互に疑心暗鬼となり、信用の連鎖が切れる。
現金を求めて、各金融機関が手持ちの株式を売却し、世界大規模で株価が暴落する。世界の金持ちたちは、金融市場から逃げ、その動向をいち早く見抜いたヘッジファンドが、サブプライム関連の損失を取り返すべく、原油・穀物・金市場に投機的に殺到する。これら商品価格が暴騰する。
市場の混乱があれば、いつも槍玉に挙げられるのが格付け会社であるが、サブプライム・ローン関連では非難されるだけのことがある。
ピッギーバックは安全だとしていた格付け会社、ボロを隠してトリプルAをつけていた格付け会社、銀行と協力してサブプライム・ローン証券の販売に手を染めた格付け会社が非難されるようになっているのも当然であろう。米国の上下院は格付け会社の調査に入った。
そもそも、格付け会社は、金融界で中立を守っていると言えるのだろうか。
格付け会社の出自が信用調査会社であったことに問題はないのだろうか。
格付け会社と情報機関との間に人的関係がまったくないと言い切れるのであろうか。事実は、金融界のつねとして藪の中である。
金融を正常化するためにも、金融界の人的水脈を洗う必要がある。