消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(235) 新しい金融秩序への期待(180) システム崩壊を生み出したもの(13)

2009-10-28 04:13:08 | 野崎日記(新しい世界秩序)

質問23 これからも大変なことをしちゃってるアメリカの影響を絶対に受けるであろう日本にいる私たちですが、私は今まで自分だけがお金がないと思っていたのですが、皆も日本もお金がないことを知ることが出来ました。ほとんどないお金をなにに使えばよいのでしょうか。これから具体的になにをすればよいのでしょうか。私はまずは人間の価値観を変えることだと思います。マネーゲームはツマンナイッて思えばいいと思います。

本山先生

 まず人間の価値観を変える。ほんとうにそう思います。関西のテレビで森田実が電通の悪口を言って、長いこと干されたのです。いい笑顔というので昨日かNo.1になりました。万歳をいいました。そうなのです。顔を見るなりイヤな顔をするというあの連中でなく、ニコニコしている連中が大事なのであって、そういう人たちが愛されて評価される社会にもっていかなければならないのです。これは人間改造の問題です。京都人は、六本木ヒルは作りませんでした。うなぎの寝床、一見私ども、お金はありません。これが美意識なのです。ニコニコ、「きついこと言わはるわぁー」とかいって。京都人は人が悪いけど、がめつい顔した京都人はおりませんよ。アメリカ人の顔で円満な顔を見たことがありますか。みんな鷹のような顔をして、「人を殺してやろう」という顔をしています。日本の保守政党の代議士、あの顔をみてごらんなさい。あれが東大出だと思いますか。そういう連中たちを変えるためには、日本の昔の柔らかい日本人をもう一度作っていく。大事なことだと思います。

質問24 本山さんの話を聞いて頭にくるのを通り越して唖然としました。金融権力をやめさせない限り、まともな社会にはならないと思います。私たちはだけど抵抗できないのではないでしょうか。

本山先生

 だから抵抗しようじゃないですか。京品ホテルは守れませんでした。でもあの心は生きのびました。少なくとも閉鎖命令が出てから、少なくとも呑み屋さんは繁盛していた。皆さん、そう思いませんか? 全国チェーンの呑み屋さんはみな衰退している。その中で昔からおじいちゃん、おばあちゃんのやっている呑み屋さんはちょっと高いですけどおいしいのです。この文化を守りましょうよ。話が少し違うかもしれませんが、地元の金は地元で還元しましょう。京品ホテルの従業員たちの英雄的闘いはずっと継承していきましょう。ずっと語り継ぐべきだと思います。自主管理といえば、むかしヤシカというカメラメーカーがありまして、結構続いたことがあるのです。やりましょうよ、ぜひ。会社はのっとったらいいんやから。のっとるために株を持とう。これが私の提案なのです。労働者が株を持とう。がたがた言う経営者はほったらかせ。株式のすごさはそこにあるのだ。何で縁もゆかりもない金融機関が株をもたなければいけないのか。関連の人間たちが株を持とう、それが私のイソプなのです。『ESOP』という本がありますのでぜひお読みになってください。七年ほど前に書いた本です。

質問25 恐慌になる危険性はあるのでしょうか。

本山先生

 恐慌になる危険性はある。これが一番言いたかった事です。脅かすのではなく、なります。資本主義はいく度も危機を乗り越えてきました。なぜ乗り越えてきたのか。労働者の抵抗です。これ以上賃金を下げる事ができない、だから最低の需要というものがあったのです。そこで生産能力は最低の需要にあわせたところで反転していったのです。逆説的ですが、労働組合が強いから資本主義は破滅しなかったのです。今、誰が抵抗しているのですか。無茶苦茶、賃金が下がっている。どうやって飯を食うのですか。セクハラだと言わないでくださいよ。むくつけき男は雇われないのです。呑み屋さんに行っても女の子ばっかりです。男は店長だけです。そうすると男はヒモになる。離婚して、生活保護を受けている女性のヒモになる。だから私たちはすくなくとも労働組合に、ストライキを打つことのできる労働組合に頑張ってもらいたい。これ以上の人の切り方をしないようにしてほしい。そのために労働者は抵抗するのだと。昔の経営者は労働組合との対決で育ちました。労務担当重役が社長になったのです。その連中たちが今、一番同情してくれている。今の社長さんたちは例外なく経理畑です。人を見たらコストだと思っている。こいつ、いくらぐらいかかるかなと。それだけなんです。こんな経営者を首にしましょうよ。首にするためにはできるところから、とにかくできるところからストライキをやっていく。本当に大事なのです。

 ストライキをやるときに闘争資金が要る。闘争資金が要るからできたのが、労働金庫だったはずなのです。そういうものがなければダメだぞ、という形にもっていって、新しく作るのではなくて、昔に適応した社会の組織をもう一度復活させようと。無尽組織を復活させようと。こういうものがものすごく大事なのです。あるいは、私の住んでいる神戸でたくさんある生活協同組合。「一人は万人のために、万人は一人のために」。これがものすごく大事なのです。

 実は賀川豊彦という男が、川崎大争議をやりました。日本の歴史に残る大争議です(一九二一年、川崎、三菱造船争議。争議団一万三〇〇〇人)。闘争しているときに社長さんと仲良くなってしまって、そのときにつくられたのが神戸生協(灘神戸生協)なのです。私が最初に勤めたお坊ちゃん学校といわれた甲南大学。実はあのときに、御影岡本とか現在の高級住宅街ですが、関西の成金たちが大挙やってきたのです。神戸はまだ田舎であった。そのときに豪邸がいっぱい建った。住民の反対運動に火をつけられる。そういうときにどうしたらいいのか。まず病院を作ろう、学校をつくろう、昔は旧制中学、旧制高校、旧制大学、これをなくそう。中学・高校とひっつけようと。七年制中学の第一期が甲南中学です。そして甲南病院もつくりました。神戸生協も作りました。そこで、二人たちが死にました。あとをどうするか。灘の酒です。酒屋がお金を出して、経営しているのです。菊正、白鶴、白鹿。菊正は甲南大学。白鶴は天下の灘高。講道館の創始者でもあります。白鹿が甲陽。素敵でしょう。

*1ESOP―株価資本主義の克服 (SPRINGER EXECUTIVE EDUCATION SERIES―トップ・マネジメント教育叢書) (単行本) 2,520円 2003年12月刊

 ぼんぼん大学ではあります。私も経営者だったら自分の子どもを甲南大学に入れます。理由は、創業者・お金持ちは、大会社はちがいますよ、マナーの習得、ご飯の食べ方、喋り方、付き合い方、マージャンの仕方、ゴルフの仕方、やっぱり帝王教育があるのです。そういう意味で甲南大学は一番よろしい。私は残念ながら経営者とはちがいますから、いられませんでしたが。甲南大学は大好きです。おしめをいっぱい干している3DKの公団住宅に、ある大会社、といっても中小企業の社長の御曹司が来たときに、「先生、初めて公団住宅を見ました」。「どう思う?」「私の人生、間違っているかもしれません」。深刻に考えるようないい子でした。会社の二代目になっていますけど本当にいい子です。そういう意味でぼんぼん大学というのは価値があるのですね。私は実はそう思っております。そのあと京都大学に行ったら恐かったですよ。実は神戸では甲南出身者のほうが幅が利く。呑みに行くにもレストランに行くにも、経営者は、大体甲南出身者。ああいう大学を賀川豊彦が作ったのだということを覚えて置いてください。それを菊正宗が引き継いだのだと覚えていてください。関西の文化はなんと素敵でしょう。このイメージがあるから私は地域、地域というのです。できますよ。ちなみに御影は酒蔵の町です。私はジョギングで出ます。帰ってきたら真っ赤かです。利き酒、ただ、無料。東京でそんなのがありますか。

質問26 現在は十八世紀初頭の資本主義に戻った、という先生の現状認識に大変共感します。そのような歴史的な捉えかえしがぜひとも必要だと思いました。と同時に、このような現実がなぜ生み出されたかの原因について、とりわけ反対運動の現実についての考えをお聞かせください。

本山先生

 本当にきつい言い方でございます。イデオロギーとか理論とかいうものは、本当に意味がありません。がんばろうというときに人を引っ張っていけることが必要です。ドイツ語やフランス語や飛び出してきて、見るだけで神経質そうなインテリゲンチャはいらない。とにかく常民の心が判った上で、「怒りを持つよな、がんばろうよな」と一緒に安酒を飲んで、「美味いよな、この焼酎」とか、そういうものが運動の原点なのであります。それが日本の運動はインテリの運動であった。それが破壊してきた。正直そう思います。だからもっと農民運動の過去を調べて、どんな連中たちがリーダーになれたのかということをぜひ学んでください。お願いいたします。大塩平八郎というようなすごい人が大阪にはおりました。すごいですよ、ああいう人間を出してきているのですから。アチャラ語の横文字を立て文字に直して、翻訳がどうのこうのというツマラン、訓詁学はやめましょう。そのためにわれわれはどれだけ重大な歴史を失ってきた事か、と思います。

 話が長くなりましたが、日本の明治、大正デモクラシーのときに、官僚たちが利潤を分配制度を提唱しました。アメリカのようになってはいけない、日本は日本だと。そのためには、利潤の五十%は法律で労働者に渡せ、これは国会でも審議されたのですよ。すごかったですよ。戦後でも経済安定本部ができた。かなり大きな左翼集団だった。戦後の審議委員会、--東大ばっかりで気に入らないけど――ほとんどマルキストであった。大内兵衛をはじめとして。アメリカ帰りではなかった。こういったことを思い出してください。彼らが人の心をつかめたのです。それがいつの間にか戦後に--私は実は経済学ではなくて哲学をやりたかったのです。経済学が好きになったのは、海が好きでしょっちゅう泳いでいましたが、そのときに突然海が埋め立てられた。神戸の海というのは白砂青松、本当にきれいでしたよ。あれがなくなったのです、石油で。そのとき、子ども心ながら、闘っている男がいると。

 三井三池の向坂逸郎だと。何をやっているのか。経済学だ。俺も…という形で、闘える経済学はどうかなと思って入ったらアカの巣窟だった。それが京都大学だった。アカはアカでもチョッと私の嫌いなアカだったので困りましたが、それでも置いてくれたのですよ。これが東京大学だったら置いてくれなかったでしょうね。こいつはイデオロギー的に違うとなると、ポイ!ですから。そこに京大の柔軟性があったと思います。はっきり申しますが、私は正統派ではございません。トロツキストと言われていました。正統派からは蛇蝎のごとく嫌われました。それを置いてくれた大学だということを分かってください。

本山美彦

 最後にソマリアへの自衛隊派兵問題について述べます。ソマリアの海賊は、海外の親族たちからの送金が米国によって停止されたことから生まれたものです。ろくな産業も、きちんとした政府もないソマリアに住む人々にとって、海外からの送金が最大の収入源でありました。。年間五億ドルほどの海外からの送金は、ソマリアのGDPの四十%に相当していました。外国からの援助は年間六千ドルほどでした。ところが、九・一一事件後、アメリカはソマリアへの送金業務を行っていたアルバカラット銀行を閉鎖させた。これで、ソマリアへの海外に住む親族の送金はゼロになった。送金の窓口が強制的に閉鎖されたのだから、親族だけでなく、海外からのNPOの送金も全面的に閉ざされた。こうした、アメリカの得手勝手な政策への何らの批判なしに、武力勢力を派遣しているのである。必要なことは問答無用の武力行使ではなく、ソマリア人が生きていける環境を用意することであるはずです。ここのところを私たちは理解すべきなのです。世界のことを知らないことは罪です。

 本当にみなさんありがとうございました。レベルの高いご質問で、あとでまた質問をタイプしてくださるそうなのでよろしくお願いいたします。

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1 コメント

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Ignorance (Orwell)
2009-10-30 23:37:22
当方、市場原理主義に対するささやかなレジスタンスを試み、ブログとして雑文を書いておりますが、本山先生のすばらしいブログがあることを今日の今日まで知りませんでした。今朝岩波新書の中でそれを知り、早速リンクを貼りました。勉強します。ありがとうございます。ご指導を賜りますようお願いいたします。
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