消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(183) 新しい金融秩序への期待(161) 地域金融(3)

2009-06-23 06:26:21 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


──エネルギー問題といえば、最近も天然ガスをめぐる紛争が起きましたが、今後の経済の下降を考えると、古いタイプの戦争のリスクが昂じるような気もしますが、いかがでしょうか。

 ずばり、国家の再登場ですよね。昨年、原油価格の高騰が話題になりましたが、実際には圧倒的多数の原油取引は市場でなく、政府間、企業間取引です。市場価格は高騰しても、ここの価格動向は違うということは、表立って報道されてないし、分析もされませんでした。今後は政府間、企業間の価格の方が動き始めると思います。

 それと一番大きな地殻変動が、ロシアと天然ガスの問題です。天然ガスは大陸棚の深い所にあって、これを掘削する技術はロシアにはあってもアメリカにはどうもないらしい。今後、主流エネルギーが石油から天然ガスへ移行することが予想されるなかで、アメリカに代わりロシアが台頭してくるでしょう。そのとき、天然ガスはパイプラインで通すものですから、古い形の地政学が生まれてくると。いま、ウクライナや東欧で起きているような、エネルギーを持った大国の政治が世界地図を塗り替えていくでしょう。今のところ日本はアメリカべったりですが、エネルギーの地殻変動から、財界側からロシアに近づこうとする動きは当然出てくるでしょうし、そこに「エコ」が絡んでくるということだと思います。

 最近の本で経済ナショナリズムについて触れましたが(註4)、その後の急速な展開を見ていると、事は経済に留まらない様子がはっきりしてきたように感じています。特に対米という点でいうと、私はアメリカの政治経済や学問を批判してきましたが、一方で日米開戦前の鬼畜英米ではないけれども、アメリカと対決姿勢に入っていくときの日本人のメンタリティは非常に危ういものがあると思います。一気に激してしまって、いい意味でのプラグマティズムがないんですよ。

 日米関係は、それぞれの国の政治家や省庁間、企業家のなかにも様々な対立点があり、互いに自分の利害にかなった相手と手を結ぼうとするわけです。たとえば対日本という意味では、小泉・竹中的な一派と手を結んで構造改革を強行したのは、ルービン(クリントン政権期の財務長官)一派です。オバマ政権もルービン本人こそ入閣しませんでしたが、十分に息がかかっています。

 つまり、日本にもアメリカにも多様なものがあり、結果出てきたものにはそれぞれの統治者の思惑が一つの線で結ばれている、そうした時代を常に我々は経験してきました。日米は必ずしも単一の流れできたんじゃないし、そういうミクロな部分も抑えておかないといけないでしょう。


──危機はまだまだこれからだと思いますが、現時点で今後どのようなシナリオがあり得るか、お伺いできればと思います。


 今ごろになって、マスメディアが雇用悪化のニュースを盛んに流していますが、これから雇用問題、クビ切りが容赦なく、ものすごい勢いで進んでいくと思います。当座予想されるのは地方銀行の破綻であり、地銀から融資を受けていた企業の突然の倒産劇でしょう。また、資本はさらに使い捨てできる労働力を求めて海外へ流出する可能性が強い。そうなると日本政府も金が必要になるわけで、実際、すでに錆び付いたファンド経由での日本向け投資を無税にすると決めたようです。かつてのアメリカがやったような形で、生産者が逃げていくなかで、世界の金を日本に持ってきてもらいそれを買うという、非常に危険な選択肢にすがろうとしている。

 何だかんだ言っても、アメリカは広大な国であるし、ヨーロッパはそれぞれの国が多様でありながら、伝統的に支え合う文化は、衰えつつも何とか保持しているかもしれない。それに比べると日本の孤立は本当に深刻だし、誰が手を差し伸べてくれるのか冷静に考えてみるべきです。そういう意味で、ものすごい危機が来ていると見るべきでしょう。これは、景気を回復させるといった言葉でごまかされてはならないと思います。日本の場合、社会的なセーフティネットが失われているのであって、街に失業者が溢れるといった意味で、これから本格的な恐慌に突入するのではないでしょうか。アメリカのレイオフであれば、切った順番から戻す、日本はそれすらもないし、報道もされませんから。



──最後に、展望や活路があるとすれば、どのような方向だとお考えですか


 これから我々が迎えるのは、偏狭なナショナリズムになっていくような気がします。それを避けながら孤立せずに生きていくためには、国内外を問わずローカルな地域主義、ローカルな共生の思想や営みを排他的にならずにどう創り出せるかだと思います。

 私はESOP(従業員株式所有制度)という、地元の人間が地元の企業を育てるために株式を持ち合う制度を提唱していますが、今すべきことは、各地方の地元企業がもつマーケットや技術を地域に還元するような一大運動だと思います。それから国際的なレベルでは、企業が海外へ逃げるのを防ぐために、チャーチ委員会(註5)のような多国籍企業委員会を日本に作って監視することでしょう。労働組合もそういう問題を視野に視点をもって徹底的に闘ってもらいたいと思いますね。


##プロフィール

もとやま・よしひこ/1943年生まれ。経済学者。大阪産業大学教授、京都大学名誉教授。著書に『格付け洗脳とアメリカ支配の終わり』(ビジネス社)、『金融権力─グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書)、『民営化される戦争─21世紀の民族紛争と企業 』(ナカニシヤ出版)、共著に『金融危機の資本論』(青土社)など。


脚注


(註1)経済発展が見込まれるブラジル 、ロシア 、インド、中国の頭文字を合わせた四ヶ国の総称。

(註2)市場原理を重視し、自由放任主義的な新古典派経済学の価格理論や経済思想を伝統とする経済学の学派。

(註3)脱温暖化ビジネスを広げていきながら、環境と経済の両方の危機を同時に克服していこうというもの。オバマ大統領が当選直後に方針表明した。

(註4)『金融危機の資本論─グローバリゼーション以降、世界はどうなるのか』(青土社)、萱野稔人氏との共著。

(註5)米上院の外交委員会の多国籍企業小委員会。上院議員のチャーチが委員長に就任、チリのアジェンデ政権崩壊に関与した企業やCIA、他にはロッキード事件の追及などで知られる。


野崎日記(182) 新しい金融秩序への期待(160) 地域金融(2)

2009-06-22 06:21:11 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


──当時、構造改革に対抗する動きは「抵抗勢力」「守旧派」といった言葉で括られ、メディアを巻き込んでの一大キャンペーンが展開されていたと思います。今でこそ貧困や格差に気づき始めたわけですが……。


 たしかに格差や貧困というのは、九〇年代には殆ど認識されていなかったし、深く静かに潜行して、ふと気づいて仰天したというのが多くの人の偽らざる実感ではないでしょうか。ただ、そこに大きな思想改造が働いていたのは確かだと思います。アメリカ型の経済・経営をモデルに、外資系企業やMBAが持てはやされ、マルクス経済学の追放とビジネススクールの設立が相次ぎました。かつては金融論というのは、管理通貨体制論といって、いかに金融を合理的に統制するかがテーマだったのに、シカゴ学派(註2)的なイデオロギーが浸透して、資本があらゆる国家的規制から自由であるのが当然という流れにメディアはもちろん、学者までもが呑み込まれてしまったんですね。アメリカは、実に巧妙に日本の知的レベルを占領したと思います。

 雇用の問題も、高度成長期は経営者がとてつもない高給を得ることは稀だったし、労組と対話のできる労務屋が会社の経営者になるというパターンが多くあったわけです。ところが今は、ビジネススクール出身で、企業業績や株価を上げられる、財務に長けた者が一流とされていて、雇用を守るなんてことは一切の評定項目にならない。時価会計基準や時価総額経営が前提化されるなかで、非正規雇用が増えたのは当然の帰結だったと思います。

 しかし、あれだけ国家を否定し、民営化や自己責任を主張していた連中は何なんでしょう。今こそ自己責任なんじゃないかと言いたいですね。これは金融犯罪として厳格に裁くべきですよ。それから今、何か、解雇や雇い止めを極めて安易に発動してしまう社会心理が醸成されていますが、はっきり言ってこれは後になって気づいても遅いことです。この五年間くらいの景気の上昇局面で企業という企業は、分厚い内部留保を持っていたはずです。それがたった三ヶ月くらいで、人を切るところまでいってしまっている。長いこと資本主義がなぜ安定していたかといえば、一定以下の賃金にはできなかった、賃金の下方硬直性というものが資本主義の安全弁だったわけです。日本では最近まで労働組合=悪みたいな刷り込みがすっかり浸透していたわけですが、いま大事なのは、労働組合を通じて何がなんでもストライキをやる、そうすることで資本主義も生き返るし、際限なく消費が落ちていく悪循環を防ぐことにもなるでしょう。


──今後、資本主義はどのような方向へ行くべきとお考えですか。



 よく社会主義は人権を蹂躙すると言われましたが、資本主義でも同じようなことが起きているでしょう。そういう意味で、今回の危機によってある種、資本主義の原点に戻る契機を得たようにも思いますし、長い歴史で見たらプラスだとは思います。資本主義の下では恐慌は起きないという神話が解体されたのも大きなことです。トヨタが空前の収益を上げたのが昨年の八月ですよ。それが直後にガクンと沈んで、凄まじい数のクビ切りが行なわれているわけで、こんなつるべ落としの経済は史上初めてでしょう。アメリカが自分たちの力以上に消費してくれるから、我々はそこにぶら下がってしまったけれども、あくまでバブルにおんぶにだっこの経済に過ぎなかったわけです。

 市場絶対主義に対抗する、様々な主義主張があって然るべきだし、資本主義は何かということを、現在のイメージの向こう側に突き抜けて、歴史に遡って見直さないといけないと思います。あえて言えば、アメリカの市場絶対主義者が振りまいたイデオロギーは「個人」だということですよね。マルクス主義や社会主義は階級/集団であり、個人の自由を抑圧すると。そのときの個人とは、私益を得ることに合理的選択をする存在であり、資本主義は集団化に対してはそれを阻止できる力を持つものだと、アメリカはこれを前面に打ち出してきました。ただ、社会主義でなくとも共同や共生、連合といった思想に基づく協同組合方式に基づく社会的市場主義のような立場があり得るし、私個人は人間の顔と顔を合わせられる範囲での経済・社会編制を追求するローカルな地域主義が大事だという立場です。

 昨年まで福井の大学にいたんですが、いろんな中小企業を回って感銘を受けたのが、社長が社員の顔を覚えられないだけの人数を抱えてはいけないという話でした。社員の顔が互いにわかった上で、初めて一つの事業を運営しているという意識を会社は持つことができるという話を経営者から聞いて、本当にそうだと思いますし、これからの社会がそういう方向へ行けばいいと思っています。


──いま、アメリカも日本もグリーン・ニューディール(註3)が唱えられてますが、それについてはどう受け止められていますか。


 これを言うとすぐに陰謀史観だといって茶化されるんですが、歴史を遡ると鉄道王であったり、石油王であったり、そして最近では金融王になり、メンバーシップは若干ずれながらも、世界で一握りの人的結合が世界を支配してきたと私は思っています。こういう連中が、次の権力を発動しようとしたら、もう金融ではないことだけは確かでしょう。金融の復権は当分ないと思います。それほど傷ついてしまっている。では次は何かといえば、それは「エコ」ですよ。とりわけ温暖化対策における、排出権の国際的な取引や価格設定、量などを確定していく過程で巨大な利権が創出され、新たな草刈り場になっていくでしょう。ここ最近の官民あげた「エコ」の大キャンペーンの肝は結局そういう話だと思います。

 つまり、人々が公に批判できないものが「エコ」で、エコファシズムといってもいい状況が出来上がりつつある。言うまでもなく環境保全は大切です。ただ、総論は正しくても各論、具体論になってくると、慎重に吟味し、見極めるべき問題が多いわけで、そこで常に誤解と混乱が起きるわけです。連中の戦略としては、まず総論的な、誰も反対できないような雰囲気づくりをすると。そうすることで、具体的な問題、排出権取引やエコビジネスの話を簡単に片付けることができる。そういう意味で、「エコ」については無条件に賛成できないし、内側ではかなり危ういことが起こっていると思います。


野崎日記(181) 新しい金融秩序への期待(159) 地域金融(1)

2009-06-19 07:04:36 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


──改めて今回の危機の引き金の部分からお話いただけますか。


 一言でいえば、やってはならない禁じ手に手をつけたことが、未曾有の危機を引き起こしたのだと思います。具体的には「債権の証券化」というのがそれで、よく言われるサブプライム・ローンというのは、そのなかの一事例でしかありません。

 一般的に、銀行が金を貸すとき、銀行は借り手の返済能力などをきちんと審査した上で融資を行い、最悪返済不能となれば、最終的には銀行が責任を負うのが金融の世界のモラルでした。債権の証券化というのは、貸した金を返してもらう権利(債権)を商品に仕立てて他者に転売することです。しかも一つだけではなく、沢山の債権を集め、パッケージしたものをまとめて転売する。売れ残れば、もう一度リスクに応じて組み直して売りに出すと。

 これは言い換えれば、貸した金が焦げつくリスクを売り買いすることですから、ババ抜きゲームのように、買い取ったらさっさと転売して差額を得るといったマネーゲームが延々と繰り返されるわけです。転売が繰り返されることで、投資銀行が膨大な額の手数料を易々と手に入れる仕組みがつくられたわけです。一般の商業銀行も、預金以外のところで簡単に儲けられるということで、どんどん乗り出していきました。


──商業銀行と投資銀行の違いとは何でしょう?


 ふつうの銀行、我々から預かった預金を運用して融資を行うのが商業銀行で、投資銀行というのは個人向け業務は行わず、実態としては法人向けの証券会社と思えばわかりやすいと思います。アメリカで「発明」されたもので、ゴールドマン・サックス、メリルリンチ、モルガン・スタンレーが三大投資銀行とされてます。特にクリントン政権下の一九九九年に「金融近代化法」が成立して、金融機関の銀行・保険・証券の兼業規制が撤廃され、殆ど何をしてもいい状態になりました。今回の危機は、会社が倒産すれば儲かるといった保険金殺人のような金融派生商品が出てきてしまったこと、それが多数開発されて大量破壊兵器のように撒き散らされていった、そういう流れからの必然的な帰結だと思います。

──リスクが高まっていたなかで、昨年九月一五日のリーマン・ブラザーズの破綻を機に突如として崩壊が訪れたわけですが、どうしてそのようになったのでしょうか。


 私個人は、リーマンを潰すところまでは金融当局の意図が働いていたと見ています。リーマンはいま述べた三大投資銀行の外にあって、リスクの高い、非常に際どい商売に手を染めていました。それから債権の証券化という投資銀行のビジネス自体がどうもヤバいという危機感が少しずつ浸透してきていて、ひとまずリーマンを潰してお灸をすえようという感じだったのではないかと思います。あくまで推測ですけれども。

 ところが、いざ蓋を開けて中を覗いてみると、リーマンが抱えていた負債があまりに巨額であったのと、今後はもう金融機関の救済はしないのかという心理的な混乱を招いた。さらにこの破綻によって、投資銀行の秘密業務であったクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)という手法の複雑なメカニズムや、その危険性に急に皆が目覚めて、大きな騒ぎになっていったわけです。

 リーマン破綻の翌々日に、CDSの主な売り手だった証券大手AIGの救済措置が発表されて、なぜリーマンを潰しておきながらAIGが救済されるのかと、世界中が事の異変に気づき、信用不安が世界中に伝播していきました。

 投資銀行というのはそもそも闇の金融機関のようなもので、本来は当局の監視監督から自由であり、同時に救済の対象にもならないといった存在でした。ただ今回は、とにかく状況を放置すれば世界中がパニックになるということで、「緊急経済安定化法」で投資銀行を商業銀行に模様変えさせて、巨額の公的資金を注入したわけです。


──自動車産業を救済するか否かみたいな議論にまで発展しています。


 日本のトヨタが過去最高の収益を上げたのが昨年の八月です。それが直後に奈落の底に沈んで、凄まじい数のクビ切りが断行されているわけですが、これは九月になって不況で売上台数が突然激減したといった話ではなく、主に自動車ローンなど金融絡みの話です。

 これがアメリカのビッグ3になると、さらにCDSの問題が大きく絡んできます。いろんな債権がパッケージされ、ばら撒かれていくなかで、いったい全体のなかで不良資産がどれくらいあり、どこにどれだけのお金を注げばいいのかがわからなくなっている。そのため当初は金融機関だけの話だったのが、あらゆる企業を倒産させないようにという方向へ転換しつつあります。しかし、GDPの半分以上もの巨額の公的資金を注入して、いったいこれだけの国債をどうやって回収していくのか、次の問題はそこでしょう。


──G20金融サミットでドル基軸通貨体制の維持が確認されましたが、今の状況を見ていると取って代わる何かが提示できるような状況にないという感じでしょうか。

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 現在の局面は、各国がアメリカにドルを供給する段階を経て、各国がアメリカからドルを供給してもらうために、通貨の交換が始まっています。昨年の夏まではデカップリングといって、アメリカの単一支配の時代は終わり、BRICs(註1)など独自の経済圏が成立しているという話が説かれたわけですが、今回の件でそこまでの力はない、彼らの方が被害は大きいことが分かってしまいました。

 けっきょくアメリカを中心とする資本が、新興国になだれ込んで経済を浮揚させていたけれど、危ないとなると一斉に引き上げて、ロシアに至っては七〇パーセントも株が下がりました。アメリカの原資は殆ど日本の円なので、日本だけドル安円高になっていますが、他はほぼすべてドル高で移行しています。

 もっとも、これはドルが強いからではなくて、世界から先に崩壊する形で本国に逆流しているだけで、いずれ国債の問題が確実に生じますから、あくまで過渡期の話です。では、次に何が考えられるかというと、やはり二九年の大恐慌時の経験と同じで、あのときはドルを大幅に切り下げましたが、同じことをオバマはするんじゃないか、新ドル発行が現実味を帯びてきていると思います。


──アメリカの単一支配は冷戦の終結を受けて顕在化したと思うのですが、日米関係という意味でポイントとなるのはどのようなことでしょうか。


 単純化して申しますと、戦後、非軍事化・民主化を皮切りに、GHQの民政局により基本的な諸制度が作られ、しかし間もなく、いわゆる「反共の防波堤」として対日政策の見直しが行われていく。アメリカは日本の復興を最優先に、産業を育成・支援しながら子分として糾合し、そうすることでアジアの後進国に向けて、「共産主義に行くな、日本を見習え」と言うことができた。日本の産業を支援するためにアメリカ資本も入れないようにして、ビッグ3などは最後まで進出してきませんでした。

 ただ、ベトナム戦争の最中、固定相場制から変動相場制へ移行した頃から、アメリカは日本を経済的に抑えこむ方向へシフトします。日本は高度成長期を経て、製造業でアメリカを上回り、次第にアメリカの市場を脅かしていきました。それで、いろいろな方法を試した上で、最終的には日本の銀行システムがターゲットになったと。さらに九〇年代に入ると、脅威であったソ連が崩壊したことで、日本だけ特別扱いできるかって話がいよいよ決定的になっていきます。

 具体的に、三つのことが焦点になりました。

 まず、銀行を抑える上で決定的だったのがBIS規制というもので、これは国際業務を行う銀行は自己資本の一二・五倍以上の貸付をしてはいけないという取り決めです。それまでは預金高の多い銀行こそが良いとされていたのが、BIS規制によって貸付を減らす必要が生じ、貸し渋りや貸しはがしが行われ、日本の銀行はガタガタになりました。アメリカの銀行も条件は同じなんですが、彼らはちゃっかり規制の対象外である投資銀行やファンドなどのノンバンクに流れていったんですね。

 二つ目は、アメリカが日本の強い企業をM&A(合併・買収)に巻き込み転売したいと。そのときに障害となるのが、日本型の企業福祉社会、具体的には、年功序列型賃金と終身雇用体制、そして労働組合です。そのため、まず国鉄の民営化などを通じて労働組合を分裂させ、雇用の流動化といった言葉で、派遣労働の規制緩和を促進して、長いことタブーだった製造業への非正規解禁を強行してしまいました。

 三つ目は、郵政民営化ですね。政府がコントロールできる巨大な財源である郵便貯金を切り崩し、日本のもう一つの安全弁だった「国民皆保険」的な医療保険制度に手をつけて、簡易保険を民営化した。アフラックやAIGといった企業が市場を完全に支配したわけですが、今回の件で本家がコケたから、日本の国民皆保険もなくすというシナリオはひとまず崩れたといっていいでしょう。ただ、アメリカ企業が跳梁跋扈できる土俵の設定は完成寸前のところまでいっていたと思います。以上の三つが、構造改革の柱だったと私は考えています。


野崎日記(180) 道州制(22) 橋下大阪府政と関西州(22)

2009-06-18 06:58:35 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


(4) 首相官邸のホームページによると「『沖縄政策協議会』は、一九九六年九月一〇日に閣議決定された『内閣総理大臣談話』に基づき、米軍の施設・区域の集中により負担を抱える沖縄の地域経済としての自立や雇用の確保など県民生活の向上に資するよう、沖縄に関連する基本政策を協議することを目的としています」とある。構成員は閣僚と沖縄県知事からなる(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/okinawa/index.html)。これは、SACO設置に関連した会議である。

 (5) 二〇〇八年一二月五日放映のNHK特別番組「基地とカネ」では以下のことが説明された。沖縄に基地関連で国から落ちる予算は年間約二〇〇〇億円。うち、軍用地主への借地料が約一〇〇〇億円、基地に勤める軍雇用員への給料が約四七〇億円、残りが沖縄県や市町村への補助金である。そして、新たなヘリポート建設に合意したことから、名護市は、国庫補助金一〇億円を、防衛施設庁事業、郵政省事業、北部振興策事業費用として得た。関連企業が建設され、約八〇〇人の雇用が創出されたが、地元商店街は寂れる一方で、空き店舗率は一七%、建設業でも五四億円の負債を抱えて倒産が増加し、生活保護世帯も一・七倍に増えたという。

 また、二〇〇六年四月四日に発表された名護市職員労働組合の論文「基地と振興策」は、次のような見解を出した。

 「二〇〇六年二月七日、任期満了で退任する岸本建男市長は集まった職員や市民に『人口を増やし、定住条件をつくりあげる。この二つが重要だ。人口の拡大がなければどんな計画も始まらない。この点を目標にすえて頑張ってほしい』と語った。岸本市長が条件付きで米軍普天間飛行場の代替施設の受け入れを表明したのは、一九九九年一二月。その前後から地域振興策の名目で名護市にマルチメディヤ館や国立沖縄工業高等専門学校(国立高専)など、さまざまな施設が建てられた。『毒を飲んでまでも地域の発展を目指した』のか、岸本市長はその翌月に死去した。名護市には、北部振興策や国立高専の設立などを含め約四〇〇億円の巨費が投入された。人口は約二五〇〇人、新規雇用も情報関連分野を中心に一〇〇人以上増えた。一方で市の財政指標は悪化の一途をたどる。経常収支比率が九五%という硬直した財政構造である。国への依存度は一層深まり、自立への展望は見えにくくなった。『箱物ばかりが増えた』。政府に頼りきった地域振興はいずれ行き詰まる」(http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_okinawa31/jichiken31/4/4_4_r_02/4_4_r_02.htm)。

(6) 本稿第一〇章は、川崎[2009]に大きく依拠している。

(7) 「建築基準法」(一九五〇年五月二四日法律第二〇一号)は、国民の生命・健康・財産の保護のため、建築物の敷地・設備・構造・用途についてその最低基準を定めた法律。前身は「市街地建築物法」(一九一九年法律第三七号)(ウィキペディアより)。

(8) 空中権売買が認められる制度を「特例容積率適用区域制度」という。これは、都市計画区域内のある一定の区域を定めて、その区域内の建築敷地の指定容積率の一部を、複数の建築敷地間で移転することができる制度である。この場合、一方の建築延べ面積は指定容積率を超過し、もう一方は指定容積率未満となるが、それらの合計延べ面積は現に定められている各敷地の指定容積率に対応する建築延べ面積の合計を超えることはできない。制度的には、日本では「容積率移転」、アメリカでは「移転開発権」(TDR=Transferable Development Rights)、開発事業的には「空中権売買」と呼ばれる。

 容積率の移転については、特定街区制度、地区計画制度、高度利用地区制度、一団地認定制度、総合的設計制度等によって、原則として隣接する建築敷地間で実質的におこなうことができるが、特例容積率適用区域制度では、その区域内ならば隣接していない建築敷地間で実施できることが特徴である。ただし適用により交通やライフライン等に問題が生じないように地区全体の道路率や公共交通機関の整備率が極めて高い地区に限定される。

 この制度の最初かつ唯一の適用は、二〇〇二年に指定した東京都千代田区の「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用区域」である。東京都は東京駅周辺地区の都市開発・整備・保全を誘導・制御するために、大手町・丸の内・有楽町地区(一一六・七ヘクタール)に「特例容積率適用区域」及び「地区計画地区」を都市計画として定めて、この区域内では一定の制限(容積率や高さの上限等)の下に、東京都の許認可によって、各建築敷地間で容積率の移転ができることとした。

 この制度を活用して、JR東日本は東京駅丸の内側の赤レンガ駅舎(一九一四年建設、一九四七年修復)の復原的保全をおこなうこととした。赤レンガ駅舎を戦前の三階建てに復原しても、その建物規模は敷地の指定容積率に対応して建設可能な上限床面積におよばないので、残余容積率相当分の床面積を分割して他の敷地に移転することで、保全の資金調達を図っている。〇七年時点での容積率の移転先は、丸の内側の「東京ビルディング」、「新丸ビル」、「丸の内パークビルディング」、八重洲側の「グラントウキョウ」等の各超高層ビルである。その移転先ビルにJR東日本は、床を所有して経営し、そのビル所有者等に床を売却している(ウィキペディアより)。

(9) 首相官邸のホームページにある「都市再生本部」の説明によれば、

 「都市再生本部は、環境、防災、国際化等の観点から都市の再生を目指す二一世紀型都市再生プロジェクトの推進や土地の有効利用等都市の再生に関する施策を総合的かつ強力に推進することを目的として、二〇〇一年五月八日、閣議決定により内閣に設置されました。・・・その後、二〇〇二年六月一日、都市再生特別措置法が施行され、都市の再生に関する施策を迅速かつ重点的に推進するための機関として、法律に位置づけられました。・・・二〇〇七年一〇月九日、地域の再生に向けた戦略を一元的に立案し、実行する体制をつくり、有機的総合的に政策を実施していくため、地域活性化関係四本部を合同で開催することとし、四本部の事務局を統合して『地域活性化統合事務局』を新たに設置しました」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tosisaisei/index.html )。


 引用文献

伊藤達也[2005]、『検証岐阜県史問題―なぜ御嵩産廃問題は掲載されなかったのか』ユニ
     テ。 
川崎一朗[2009]、『災害社会』京都大学学術出版会。
ましこ・ひでのり[2008]、「『岐阜県史』問題再考─産廃行政に関する「県史」等の記述の
     政治性―」、大橋博明ほか『地域をつくる』勁草書房。
田村明[2005]、『まちづくりと景観』岩波新書。


野崎日記(179) 道州制(21) 橋下大阪府政と関西州(21)

2009-06-16 06:51:39 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 キーマンである堺屋太一の道州制構想の特徴は、以下の点にある。

 ①国と道州の住み分け。国は皇室、外交、防衛、通貨、通商政策、移民政策、大規模犯罪、国家プロジェクト、大規模災害、高等司法、究極的なセーフティーネット、全国的な調査統計、民法商法刑法等の基本法に関すること、市場競争確保、財産権、国政選挙、国の財政税制、等、一七業務に限る。それ以外を道州に移管する。

 ②道州内の地域の調整は道州がおこなう。道州間調整は「道州間調整委員会」がおこなう。道州間調整のための財源として、租税の一部を「道州調整基金」に入れる(国税または地方税から出すのではない)。

 ③国の行財政には道州の意見が、道州の行財政には国の意見が反映されることが望ましい。このために「国・道州協議会」を設ける。

 ④国は市町村に直接命令や指導はおこなわない。

 ⑤国家公務員の規模は、自衛官を除き現行の 四分の一程度とする。道州公務員の国への出向と国家公務員の道州への出向は同数同級を原則とする。

 ⑥道州の起債は市場において自由におこなう(自由金利制でデフォルトの可能性もある)。

 ⑦租税、社会保険などの徴収は、道州に一元化する(http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/doushuu/dai4/4siryou1.pdf)。

 この堺屋構想を忠実になぞるのが、橋下徹・大阪府知事の政策である。知事は、〇八年度に大規模な教育・福祉関係予算を一一〇〇億円削減した。〇九年度も、医療費の自己負担増、文化施設の廃止等、福祉切り捨ての度合いを強めている。

 そして、関西州を目指して、市町村補助金の大幅な削減を進めている。福祉切り捨てで浮かした財源を「ベイエリア開発」につぎ込んでいる。

  最近では、知事と関西財界との一体ぶりが目立つた。知事は、関西経済連合会など経済三団体との意見交換会を定期的におこなうようになった。関西州やWTCへの移転、「新エネルギー都市構想」などは財界の要望そのものである。

 知事は、小泉路線の踏襲者である、元大阪大学教授の本間正明、慶応大学教授の上山信一を特別顧問に起用しただけでなく、さらに「自分と同じ価値観を持っている人が必要」として、要職に外部の人材を二、三十人登用するという。かなり、露骨な思想誘導が今後おこなわれるようになるだろう。

 膨大な血税がゴーストタウン化が必須の「ベイエリア開発」に注がれている。しかし、それは確実に「災害社会」に向かう施策である。廃墟の上に、膨大な借財だけが大阪府民に残されることになるだろう。

 

(1) 本稿の第八章と九章は、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」の『日本の進路』地方議員版四号、「地方分権一括法をどう見るか」『日本の進路』地方議員版編集部、http://www.kokuminrengo.net/giinban/g4-local-ikkatuho.htmに大きく依存している。

(2) 巻町は、新潟県西蒲原郡(にしかんばらぐん)に属していた、日本海に面した町。町域にあった三根山藩(みねやまはん)は長岡藩に米百俵を送ったことで有名。二〇〇五年一〇月一〇日に新潟市に編入合併された。一九九六年、角海浜(かくみはま)への巻原子力発電所の建設の是非を問う、全国で初めての住民投票がおこなわれ、原発反対派が大差で勝利した。これは、その後の日本全国の反原発運動や住民運動に大きな影響を与えた。

 角海浜は、巻地区の海岸部に所在する、三方を山で囲まれた海岸線五〇メートルほどの小さな砂浜海岸で、現在は廃村になっている。一九六〇年代半ばまでの角海浜には、鳴き砂があった。鳴き砂は、原理的には砂に含まれる石英粒相互の衝突と摩擦によって音を発するものであるが、角海浜の砂には鳴き砂海岸として有名な京都府京丹後市琴引浜(ことひきはま)に次いで格段に高温石英(水晶よりも高温で結晶した石英)の含まれる割合が高いという。今日では角海の鳴き砂を復活させようという運動が起こっており、「角海の鳴き砂をよみがえらそう会」が活動している。

 角海浜は、一九八二年に東北電力より原子炉設置許可申請がなされ、巻原子力発電所の建設予定地となっていたが、一九九五年に建設賛成派の佐藤莞爾町長のリコールを請求する署名活動が始まり、佐藤町長が辞職、反対派の笹口孝明が町長に当選して、巻原発建設の是非を問う住民投票がおこなわれた。これは、条例制定による日本初の住民投票となった。その結果、建設反対が約六割を占めた。一九九九年、笹口町長が巻町の町有地を議会に諮ることなく反対派へ売却した。これについて原発推進派町議らが所有権移転登記の抹消を求めていたが、二〇〇三年には最高裁が上告を受理せず、推進派の敗訴が確定した。同年、東北電力より発電所計画が撤回され、翌二〇〇四年には原子炉設置許可申請は取下げられた(ウィキペディアより)。

(3) 御嵩町は、岐阜県可児郡(かにぐん)の町である。岐阜県中南部木曽川南岸に位置し、町内には一級河川の可児川が流れている。かつては石炭の一種である亜炭の一大産出地であった。一八六九年に炭脈が発見されて以後、一九四七年頃をピークに一〇〇を超える炭鉱が開山、最盛期には全国産出量の四分の一以上を占め、炭鉱の町として栄えたが、一九六八年にはすべての炭鉱が閉山された。

 御嵩町では、一九九一年以降、産業廃棄物処分場計画で大きく揺れ動いた。九五二月、町と寿和(としわ)工業が、住民への説明なしに振興協力金名目で三五億円の支払を盛込んだ協定を締結。 同年二月、町が県に出していた建設反対への意見書を「やむを得ない」に変更。同年四月、町長選で、処分場反対派の元NHK解説委員・柳川喜郎が初当選。同年九月、町が県に許可手続きの一時凍結を要請。九六年一〇月、柳川町長が襲撃され、一時意識不明の重体となる。そして、九六年一二月、住民請求により処分場建設の賛否を問う「住民投票条例」制定の直接請求。九七年一月、御嵩町議会が「住民投票条例」案を可決。九七年六月、産廃処分場計画を争点に全国初の住民投票実施。投票率八七・五〇%で、反対七九・六五%。九七年六~七月、柳川町長宅電話盗聴容疑等で岐阜県警が興信所所長らを逮捕。

  後に、寿和工業会長より興信所所長に対する金銭の受渡が発覚(ただし、一連の事件との関連は不明)。九七年七月、町が県に「住民投票の結果を尊重する」と伝える。九八年六~七月、別の盗聴グループを岐阜県警が逮捕。九八年一一月、町などの呼びかけで「全国産廃問題市町村連絡会」設立。二〇〇五年四月、古田肇・岐阜県知事が、柳川町長と会談(知事と町長の会談は一〇年ぶり)。二〇〇八年三月、古田知事・渡辺公夫町長(柳川前町長の後継者)・清水道雄・寿和工業社長が県庁にて三者会談。寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで合意。

  なお、御嵩町では市街地の約四割に廃亜炭鉱の空洞が広がっていて、近年、空洞を支える柱の劣化により町の至る所で陥没事故が発生するようになった。大規模地震が発生したさいには町全体が陥没する可能性があり、町は対策に追われているが、予算不足などもあり、抜本的な解決には至っていない(ウィキペディアより)。資料として、伊藤[2005]、ましこ[2008]がある。


野崎日記(178) 道州制(20) 橋下大阪府政と関西州(20)

2009-06-15 06:39:00 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 九四年、「建築基準法」が再度改訂され、空中権売買が可能になった。容積率を使い切っていないビルの容積率を隣に建てるビルが買い取って使えるという制度である。これによって、さらに超高層ビル建設が可能になった(8)。

 九七年には、橋本龍太郎内閣によって、「新総合土地政策推進要綱」が出された。これによって、「優良事業の容積率の割り増し」などが制度化された。都市大規模再開発には容積率を大きくすることが認められたのである(http://tochi.mlit.go.jp/w-new/tocsei/shinyoko.html)。

 二〇〇〇年、堺屋太一・経済企画庁長官の提唱で、「経済戦略会議」が設立された。この会議の提案によって、「都市再生推進懇談会」(東京圏)は、「東京都の都市再生に向けて-国際都市の魅力を高めるために」を、同じく「都市再生推進懇談会」(京阪神地区)は、「住みたい街、訪れたい街、働きたい街」と題する報告書を作成した。要点は土地の高度利用と都市基盤への集中投資であった。

 二〇〇一年には、小泉純一郎首相を本部長とする「都市再生本部」(9)が、公共工事の大都市への集中、環状道路体系の整備を打ち出した。

 〇二年には、一〇年の時限立法として、「都市再生特別措置法」が制定され、「都市再生緊急整備地域」の事業に対して大幅な基準の緩和が図られた。同年七月に閣議決定された「都市再生基本方針」の第一条一には、紋切り型のスローガンにの末尾に「都市再生は、土地の流動化を通じた不良債権問題の解消に寄与する」というキーワードが配置されていた。つまり、一九九〇年代に進行したバブルの解消策として、超高層ビル建設が推奨されたのである(同書、一二七ページ)。

 〇八年現在、東京では、一五〇メートル以上の超高層ビルは八〇棟を超える。大阪でも二〇棟を超える(同書、一三二ページ)。

 川崎一朗教授は警告する。

 「次の東南海・南海地震の時には、長周期地震によって多くの超高層ビルの内部は破壊されるであろう。そのため倒産する企業が続出すると、地震被害で疲弊している日本経済に対する直撃となるであろう」(同書、一三四ページ)。

 〇八年一月、兵庫県三木市のE-ディフェンスで、超高層ビルの三〇階(ほぼ一五〇メートル)を想定した振動実験がおこなわれた。最大加速五〇〇ガル、最大一・五メートルの揺れ幅で、ビルの増幅効果を試した結果、三分間にわたって家具が床を走り回った(同書、一三一ページ)。

 ロンドンでは、一九九八年、「都市諮問委員会」(Advisory Committee)が、ロンドンは、世界都市であるために必ずしも超高層ビルを必要としない。必要としているのは、権威づけのための二等の都市であるとの報告書を出した(田村[2005])。

 ところが、東京と大阪は超高層ビル建設が国際化のシンボルとなってしまっている。しかも、大阪府は、堺市沖の埋め立て地を防災拠点にしている。「堺泉北広域防災拠点」がそれである。じつに、地盤が劣悪で孤立化の高い場所に防災拠点が作られている。WTCへの大阪府庁移転構想などは、同様の意味において、とんでもないことである。

 「民間大企業への国有地の払い下げと超高層ビルの建設を強引に推し進める政治や行政の動きは、『公』が先頭に立って社会の災害脆弱化を加速していると言わざるをえない」(同書、一四四ページ)。



 おわりに



 大阪府の橋下徹知事が主張する「関西州」構想について、橋下知事を除く近畿二府四県の知事、政令市長計九人のうち「早期に実現するべきだ」と考えているのは京都、大阪、堺の三市長に止まっていることが、〇八年九月二〇日付の共同通信のアンケートで分かった。

 このほかの知事、市長には慎重・反対論が目立ち、橋下知事との温度差が浮き彫りになった。「早期に設置すべきだ」と回答した門川大作・京都市長は「地域主権を確立するためには道州制導入で東京一極集中を排し、国や道府県の権限、財源を基礎自治体に移譲することが必要」との見解を示した。平松邦夫・大阪市長、木原敬介・堺市長も道州制導入と関西州設置に賛同を示した。

 一方、唯一「反対」と回答した井戸敏三・兵庫県知事は「国の地方機関の権限のみが移譲されるなら、かえって中央集権が強化される。州都から離れた地域で行政サービスが低下する懸念がある」とした(http://news.shikoku-np.co.jp/national/social/200809/20080920000264.htm)。

 しかし、最近、道州制への動きは急ピッチになっている。

 〇八年七月三〇日、「関西広域機構」(秋山喜久会長)は、関西広域連合(仮称)の設立準備を進めることで基本合意した。

 〇八年九月二三日、自民党の麻生太郎・総裁と公明党の太田昭宏・代表との党首会談で連立政権の継続を確認。その中で、道州制をめぐっては「道州制基本法」(仮称)制定に向け内閣に「検討機関」を新設することで合意した。

 〇八年九月二九日、麻生首相は臨時国会の所信表明演説で地域の再生を強調。「国の出先機関の多くには、二重行政の無駄がある。国民の目に届かない。これを地方自治体に移す。最終的には、地域主権型道州制を目指すと申し上げる」と表明した。

 〇八年一〇月二日、麻生首相が衆院代表質問で、都道府県をブロックごとに再編するための「道州制基本法」(仮称)制定に向け、内閣に検討機関を設置し、法案の作成に乗り出す方針を正式に表明した。これは、公明党の大田代表、社民党の重野安正・幹事長の質問に答えたものである。

 〇八年一一月一三日、「自民党道州制推進本部」は、その総会で、「道州制基本法」制定に向けた「道州制基本法制定委員会」を設置、基本法案の骨子を年内にまとめることを決めた。委員長は、同本部長代行の杉浦正健衆議院議員

 〇八年一一月一七日、政府の「ビジョン懇談会」の江口克彦座長は、「道州制基本法」の骨子を年内にまとめる意向を明らかにした。「ビジョン懇二〇一〇年」に基本法原案を示す予定だったが、政府・自民内での動きが加速してきたため取りまとめを前倒し、次期通常国会での成立を政府に促す方針を示した。

 〇八年一一月一八日、日本経団連は、道州制導入で明治以来の中央集権体制から地域の実情や地域の経済戦略に基づき立案・実施する地域自立体制へと国の姿が変わるとし、経済効果として地方公務員の総人件費削減や公共投資の効率化により計五兆八四八三億円の財源を生み出すことが可能とする試算を示した。新たな財源に基づく地域独自の施策によりグローバルな地域間競争に勝てる力をつけることが可能となるとしている。

 〇九年一月二六日、作家の堺屋太一と政府の「道州制懇談会」座長の江口克彦・PHP総合研究所社長が発起人代表となり、道州制実現に向けた国民運動を展開する「地域主権型道州制国民協議会」が発足した。会長に江口を選出、「関西道州制推進連盟」も参加した。江口は一月一六日に自民党を離党した渡辺喜美・衆議院議員と江田憲司・衆議院議員らと脱官僚、地域主権、国民生活重視を旗印に新グループ結成を発表しており、国民協議会発足日にあわせ、同協議会主催で渡辺、江田両議員によるタウンミーティング特別講演会を東京・新宿のホテルで開催、約六〇〇人が参加、連携活動をスタートさせた。

 〇九年一月二九日、政府の地方分権委員会の丹羽宇一郎委員長と「道州制懇談会」の江口克彦座長が会談、道州制を目指し、連携していくことを確認した。なお、「道州制懇談会」は〇八年末にも「道州制基本法」案骨子を提出するとしていたが、鳩山邦夫・総務相が地方分権改革を優先させる方針を示したことから見送った(http://www.kansaishu.net/pages/doukou.html)。


野崎日記(177) 道州制(19) 橋下大阪府政と関西州(19)

2009-06-12 06:46:27 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 一〇 防災に無防備な日本の大都市



 「ミュンヘン再保険会社」(Munich Reinsurance Company)という災害保険を扱っている会社がある。この会社グループ(Munich Re-Group)は、世界の地震被害の大きさ予想ランキングを発表している。二〇〇三年の年報(Annual Report)では、世界でもっとも危険な地域は東京地域、その次がサンフランシスコ湾地区、第三位が大阪湾地区であった。そして、東京地域は際だって危険であるとされた(http://www.munich-re.com/en/ir/agm/archive/2004/documents.aspx)(6)。

 海溝型巨大地震の可能性が大きく、活断層が数多くあるという「危険因子」、さらに湾岸地帯の二、三キロメートルもある分厚い軟弱堆積層の存在といった「増幅要因、住宅密集、老朽化したライフライン、超高層ビルの乱立等々、「地震に対する人為的な脆弱性」といった複合的な要因が集中しているので、東京、大阪が危険であると指摘されたのである。これを『災害社会』の著者、川崎一朗教授は、「海溝型地震の危険因子が社会の脆弱性に出会う場所」と表現した(川崎[2009]、第二章のタイトル)。

 静岡県沿岸五〇キロメートル沖、紀伊半島・四国沿岸一〇〇キロメートル沖を南西南に走る、深さ二キロメートルほどの南海トラフ(深海峡谷)に向かって、年間三~五センチメートルの速度でフィリピン海プレートが沈み込んでいる。この沈み込みによって、南海トラフの日本寄りの上盤が北西方向に引きずり込まれている。それが限界に達するとき、上盤が南東に向かって一気に跳ね上がる。これが海溝型巨大地震を引き起こす。東海地震や南海地震が予想されているのはこの理由である。

 一七〇七年一〇月二八日(宝永四年一〇月四日)、日本史上最大の地震が起こった。駿河湾沖から四国沖までの五〇〇キロメートルものプレート境界線が一気に裂け、マグニチュード八・六、最大一〇メートルの大津波が太平洋岸を襲った。宝永地震と呼ばれている。

 一八五四年一二月二三日(安政元年一一月四日)には、同じ地域にマグニチュード八・四の安政東海南海地震、三〇時間後の一二月二四日に同規模の安政南海地震が起こった。

 一九四四年一二月七日、遠州灘から熊野灘にかけてマグニチュード七・九の昭和東海地震が発生した。濃尾平野の飛行機製造工場が大打撃を受け、敗戦を早めた言われている大災害であった。五メートルを超す津波によって約一二〇〇人の死者が出た。

 そして二年後の一九四六年一二月二一日、潮岬沖から四国沖にかけてマグニチュード八・〇の昭和南海地震が起こった。

 今後、三〇年以内に同規模の東海地震が起きる確率は六〇~七〇%、南海地震は五〇%であると計算されている(川崎[2009]、二四~二七ページ)。発生確率を実感するには、一人の人間が今後三〇年以内に交通事故で死ぬ確率が〇・〇二%、自分の家が火事になる確率が二%。ガンで死ぬ確率が七%であるという数値と比較すればよい。五〇%超というのはとてつもなく大きい確率なのである(同書、四八ページ)。

 一九九五年一月一七日の阪神淡路大震災のときには、数日も待てば救援がきた。しかし、津後の東海・南海地震は、西日本全体が被災地となって、何週間も救援が到着しないという事態が考えられる(同書、三二ページ)。

 南海地震が恐ろしいのは、長周期震動である。

 時計の振り子は、長さ二五センチメートルで往復に一秒かかる。これを物体の「固有周期」という。この振り子に〇・五秒間隔や二秒間隔で力を加えて大きく揺らそうとしてもほとんど大きく揺れない。ところが、一秒間隔で外部から力を加えると振り子は大きく揺れる。これが「共振」という現象である。

 高さ一五〇メートルの超高層ビルの固有周期は二五秒である。しかし、免震構造が採用されているので、固有周期は三~四秒に大幅に短縮されている。固有周期三秒の超高層ビルに周期三秒の地震が襲うと、ビルは大きく揺れることになる。

 軟弱地盤の共振が、特定の長期周期の地震から巨大な被害を与えることを示したのは、一九八五年のメキシコ地震であった。

 メキシコの太平洋岸では、南海トラフと同じく、ココス・プレートが年間約四センチメートルの速度で東に向かって沈み込んでいる。一九八五年九月、首都メキシコ・シティから四〇〇キロメートルも離れたミチョアカンの浜辺でマグニチュード七・九の地震が起こった。四〇〇キロメートルというのは、駿河湾から大阪湾に至る距離である。震源地から遠く離れたメキシコ・シティが大被害を受けた。六階建てから一五階建ての中層ビルが一〇〇棟前後倒壊し、約九五〇〇人の死者が出た。メキシコ・シティはアステカ湖を埋めて造成された軟弱な堆積地盤の上に作られた盆地の椀状の都市である。ここに、周期二~三秒の地震波が繰り返し襲った。盆地の外での揺れは大したものではなかったのに、盆地内では大きく揺れ、一~二分もの間、揺れ続けた。中層ビルの倒壊は、この二~三秒の地震周期にビルが共振したためである。同じ型の被害が東海・南海地震では予想されるのである(同書、八四~八五ページ)。

 にもかかわらず、東京にせよ大阪にせよ、日本を代表する二大メガポリスで、こうした地震被害への認識を無視した超高層ビル建設ラッシュが国策として称揚されている。

 二〇〇八年現在、一六階建て以上の超高層分譲マンションは、全国で四〇〇棟を超えた。うち、八〇%以上が二〇〇〇年以降に建設されたものである。地震が起きて、倒壊しないまでも内部が破壊されれば、放置されるマンションが大都市圏では数多く生まれることになるだろう。川崎一朗教授は言う。

 「痛 「痛恨の思いがするのだが、日本が超高層ビル・バブルに浮き足立っている間に、ライフラインは老朽化し、格差が拡大し、生活保護受給人増は急増し、国民健康保険の納付率は九〇%を切るまで下がり、セイフティネットは痩せ細った」(同書、一三五~三六ページ)。
 一九六二年、「第一次全国総合開発計画」が策定された。その第二条第二項では、「適切な産業立地体制を整える」とあった
http://r25.jp/b/wp/a/wp/n/)。この年、「建築基準法」が改定され、一九二三年の関東大震災の教訓から設定されていた建築物の三一メートルの高さ制限が撤廃され、代わりに容積率と建坪率(けんぺいりつ)が採用された(7)。
 日本で最初の超高層ビルは、官庁が入居する霞ヶ関ビルである。高さ一四七メートル、一九六五年起工、六八年完成。
 六八年には一九一八年の旧「都市計画法」が改正され、新しい「都市計画法」として、土地の用途別に全国一律の容積率、建坪率が設定された。そのさい、外国に比べて容積率を大きくして、以降の高層ビル建設を促進させた(川崎[2009]、一一六ページ)。

 一九八二年、中曽根内閣の下で、「規制緩和による民間投資の推進」をスローガンに、大都市への投資の集中を謳う「アーバン・ルネッサンス」が提唱された。それに応えた東京都は、副都心構想を公表した。実際に、品川駅東口の国鉄跡地(品川超高層ビル街に変貌)、紀尾井町の司法研究所跡地(城西大学紀尾井町キャンパスになる)、新宿西戸山公務員宿舎跡地(西戸山タワーガーデンに変貌)等々、公の土地が民間に相次いで売却された(同書、一二〇ページ)。


野崎日記(176) 道州制(18) 橋下大阪府政と関西州(18)

2009-06-11 06:32:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 この地方分権改革は、地方が立ち上がって勝ち取ったものではなく、財界主導で上から下へと中央集権型で進められたものであった。

 「民間政治臨調」(一九九二年一二月の提言)では、事務事業の地方自治体への移行が主張された。

 「国内政治・行政構造の分権化こそ、中央政府の国際社会への対応能力を高める手法である。政府は外交・防衛・司法と国土の根幹にかかわる計画調整・予算・立法など限定した行政を受け持ち、それ以外の各省庁の事務事業を都道府県と市町村に移行すべきである」。

 経済同友会(九三年五月の提言)では、道州制が打ち出された。

 「我が国の行政は、法令の明文規定に基づかない行政指導が頻繁におこなわれ透明性に乏しく、また、民間の個別分野に広範囲に介入している。・・・その一方、外交、安全保障等、本来おこなうべき重要な役割を十分にはたしていける状況とは言えない。・・・中央行政の役割の重点を、国内全般に関わり、かつ、市場機能に任せられないものと、外交や安全保障など、広く世界に目を向けたものに置く一方、道州制の導入の検討を含めて、地方分権を推進する必要がある」。

 小沢一郎(九三年『日本改造計画』)も道州制を提言していた。

 「日本はこれまで、欧米に追いつき追い越せを旗印に中央統制的な方法で国を発展させてきた。しかし、大国になったいま、・・・現在のように中央政府がすべてを抱え込み、なおかつ権限の強化をはかるのはそもそも無理である。・・・したがって、国政改革の第一歩は、国民生活に関する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、たとえば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力を傾けて取り組むのである。・・・現行の市町村制に代えて、全国を三〇〇ほどの自治体に分割する基礎自治体の構想を提唱したい。・・・将来は、いくつかの県にまたがる州を置くことも考えられよう」。

 経団連(九四年一〇月の声明)は、公的規制緩和の必要性を声高に訴えた。

 「本格的な地方分権を進めるに当たっては、まず行政のあり方そのものを抜本的に見直し、国・地方を通じた簡素で効率的な行政を実現する必要がある。このため、国民・企業の自由な活動を制限している公的規制の廃止・緩和、行政組織のリストラを徹底的に進めるべきである。・・・国は、国家の存立に直接関わる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点でおこなわれることが必要不可欠な施策・事業を重点的に担うこととし、それ以外の行政は地方に移管すべきである」。

 強力な国家、安上がりの政府、地方政治の支配、これが財界主導による地方分権の狙いである。地域住民の生活や安全と深く関わる分野では、中央集権が強化された。

 
 九 形を変えた中央政府指令



 地方に権限が委譲されたのではない。中央政府による地方自治体への支配のあり方が変わっただけである。

 たとえば、国庫補助金。国庫補助金は、配分の基準が法令で定められている地方交付税と異なり、政府・中央省庁の判断で配分され、その使途も細部にわたって指図される。国庫補助金を配分してもらおうとすれば、自治体(住民)は政府に従わざるを得ない。つまり、国庫補助金は政府・中央省庁が地方自治体を支配するための強力な武器である。

 たとえば名護市。一九九六年一二月、「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO=Special Actions Committee on Okinawa、一九九五年一一月に設置)が、普天間飛行場の代替施設として海上施設を沖縄本島東海岸沖に建設すること等について合意した。候補地に挙げられたのが名護市であった。

 九七年一月二一日、那覇防衛施設局の嶋口武彦局長が、名護市役所に比嘉鉄也市長を訪ね、普天間飛行場返還に伴う代替ヘリポート問題で、移設候補地のキャンプ・シュワブ水域での調査実施に協力するよう正式に要請した。これに対し、比嘉市長は日米間で合意したシュワブ水域への海上ヘリポート建設に基本的に反対の立場から、新たな基地建設につながる候補地調査への協力を拒否した。当時の名護市では、市議会がヘリポートの県内移設そのものに反対していた(『琉球新報』一九九七年一月二二日付)。

 九七年九月一六日、「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」(宮城康博代表)が、名護市有権者の四六%に当たる署名を基に、比嘉市長に対し「市民投票条例」制定を求める本請求をおこなった(『琉球新報』一九九七年九月一二日付)。しかし、議会は紛糾した。

 そして、市議会は、九七年一〇月二日深夜、与党会派(新政会など)が提案した修正案を賛成一七、反対十一で可決した。初期の原案は、「賛成」と「反対」の二者択一であったが、修正案では、これに、「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」「環境対策や経済効果が期待できないので反対」を加えた四者択一方式となり、投票期日は原案の「施行から六〇日以内に実施」が「九八年一月一八日までに実施」となった(http://www.jlp.net/news/971015b.html)。

 九七年一一月、政府は、普天間飛行場の代替「海上ヘリポート基本案」を沖縄県、名護市、沖縄県漁業協同組合長会へ提示した。九七年一二月六日、村岡兼造・官房長官が名護市内で北部一二市町村の首長らと懇談、普天間代


野崎日記(175) 道州制(17) 橋下大阪府政と関西州(17)

2009-06-11 05:02:19 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
八 財界主導の道州制

 
 日本の近代的な地方制度は、一八八九年の帝国憲法と並んで準備が進められ、一八八八年に市制・町村制、一八九〇年に府県制・郡制が布かれた。しかし、戦前の地方制度は、府県は国の下部組織、府県知事は国が任命する天皇の官吏というように、基本的に天皇制の下に国民を支配する中央集権システムであった(1)。

 戦後、日本の地方制度は大きく変化した。一九四七年五月三日、日本国憲法と同時に地方自治法が施行され、知事、市町村長は、住民の直接選挙で選ばれることになった。建前的には、国と地方自治体とは対等であるというのがこの新制度であった。強大な権限を付与されていた戦前の内務省は解体され、新しい警察法の制定によって自治体警察が置かれ、市町村公安委員会が管理権を持つことになった。教育制度も公選の教育委員会が設置された。

 しかし、一九四八には早くも地方自治法に「法律またはこれに基づく政令に特別の定めがあるときはこの限りではない」との但し書きが挿入された。以後、政府・中央省庁は次々と法令を制定し、この但し書きによって機関委任事務を拡大し、指揮監督権を握って自治体を事実上の下部機関にしていった。さらに国庫補助金を拡大して、資金面からも自治体に対する支配力を強めていった。

 一九五四年までに自治体警察は完全に廃止され、教育委員会の公選制も一九五六年に廃止された。こうして、中央集権システムが再構築されていった。

 一九五五年の保守合同で誕生した自民党は、補助金行政を通じて、地方の農民、商店主、中小企業家などに政治的影響力を強めていった。

 地方自治体は、政府が配分権を握っている国庫補助金を獲得するために、予算編成時には大挙して上京し、各省庁に陳情しなければならない。地元選出の自民党議員への陳情を欠かせない。官僚も政権党の議員の要請に配慮する。こうして「うちの先生のおかげで補助金がついた」となり、補助事業で利益に与る企業や団体は、選挙で「うちの先生」を当選させるために奔走する。

 こうして、自民党、財界、官僚は、互いに癒着を深めながら、地方政治を支配して全国を統治する体制を作りあげてきた。地方自治の実態は、地域の少数の支配層たちが「地方自治」を牛耳り、地域の利益と称して特定の階層の利益を図ってきたものである。

 しかし、産業構造の変化、都市化の進行とともに住民の政治意識も変化し、農村を重要な基盤の一つとしていた自民党は後退した。政府も自治体も住民意識の変化や住民運動に対処を迫られた。自治体の中には、中央政府の意向に従わず、法律の範囲を超える「上乗せ、横出し」の、条例や指導要綱を定めるところも出てきた。公害防止、老人医療の無料化、情報公開などでは、自治体がまず条例を制定し、それが全国に広がって、政府も後追いで制度化せざるを得なくなった。国民の中に地方自治は当然の権利だとする認識が広く形成された。新潟県巻町(まきまち)(2)、岐阜県御嵩町(みたけちょう)(3)の住民投票など、「地方自治を住民の手に」取り戻す闘いとして、さまざまな形で現れている。

 こうした住民運動に危機感を抱いた、自民党の中曽根康弘(首相在位:八二年一一月~八七年一一月)は「ウイングを左へのばす」と農村型政党から都市型政党への転換を主張していた。金丸信は「自民党も社会党も二つに割ってガラガラポン」の政界再編を主張した。だが、自民党自身が個々の議員の政治生命に影響する政治改革を成し遂げるのは容易でない。行財政改革も権益を侵される中央官僚が抵抗する。

 そこで、財界が、民間大労組、マスコミ、与野党議員を巻き込んで、九一年一二月に「政治改革推進協議会」(民間政治臨調)の準備会を発足させ、政治改革に乗り出した。会長は国鉄の分割・民営化を推進した住友電工会長で日経連副会長の亀井正夫であった。また、元・日経連会長の鈴木永二を会長とする第三次行革審も一九九〇年一〇月に発足していた。

 亀井は「政治家に政治改革をやれというのは、泥棒に刑法を改正しろと言うのに等しい」、「政治改革が進まないと行政改革も進まない。行政改革のほうは鈴木永二さんが行政改革推進審議会(第三次行革審)で頑張っておられる。私は政治改革、鈴木さんは行政改革ということで二人三脚でいこうということになっている」(『週刊東洋経済』一九九二年一一月二八日号)と述べている。

 しかし、自民党の一党支配は終わった。九三年八月、細川護煕・連立内閣(,新生党・日本新党・新党さきがけ・社会党・公明党・民社党・社会民主連合・民主改革連合の七党一会派)、九四年七月に村山富市・連立内閣(自民党・社会党・さきがけ日本新党の二党一会派)が誕生した。このときに、中選挙区制の廃止、コメ市場の開放、規制緩和などが進められたのは皮肉である。 

 第三次行革審は、行革と地方分権が一体のものであり、国際化に対応する国家体制作りのために地方分権の推進が必要であるとして、九一年七月の第一次答申を皮切りに、「国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する答申」を次々とおこなった。これを受けて、衆参両院は九三年六月、「地方分権の推進に関する決議」を採択した。第三次行革審は九三年一〇月の最終答申で、地方分権に関する立法化の推進を求めた。

 九四年五月、細川連立内閣は行政改革推進本部を設置し、その中に地方分権部会を置いた。村山連立内閣は同年一二月に「地方分権の推進に関する大綱方針」を閣議決定し、九五年五月に「地方分権推進法」を公布した。

 「地方分権推進法」によって、九五年七月に諸井虔・日経連副会長を委員長とする「地方分権推進委員会」が発足した。地方分権推進委員会は中央集権型システムから地方分権型システ

野崎日記(174) 道州制(16) 橋下大阪府政と関西州(16) 

2009-06-10 06:58:53 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 


(16) 二〇〇〇年二月一七日に施行された「特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律」は、「民事調停法」の特例として機能している。これまでの民事調停手続よりも、債務者に有利なものとなった。破産しか立ち直りの機会がなかったものに、「特定調停」という選択肢が増えたと言える。経済的に破綻するおそれのある債務者(特定債務者)の経済的再生に資するため、民事調停法の特例として特定調停の手続きを定めることにより、特定債務者が負っている金銭債務に係る利害関係の調整を促進しようとする目的を持つ。①支払不能に陥るおそれのあるもの、②事業の継続に支障をきたすことなく弁済期にある債務を弁済する事が困難であるもの、③債務超過に陥るおそれのある法人が同法の適用を受ける(http://homepage2.nifty.com/sihoushosi/tokutei.html)。

(17) 政府が、再生を容易にする法律を相次いで成立させた背景の分析として、田中[2008]がある。この論文は、〇二~〇四年にかけてのデータを用いて、自治体の出資比率の高まりや、自治体の損失補償といった要因が、第三セクターの法的再生を過剰化(法的清算を過少化)させる方向に破綻処理の選択を歪ませてきたと結論づけている。

(18) 伯野[2009]は、大鰐町も含む地方のリゾート施設の赤字が地方自治体を行き詰まらせている態様を、「自治体財政健全化法」と「損失補償」との関連性で浮き彫りさせた密度の高いルポルタージュである。

(19) 地方自治体における一般会計とは、福祉・教育・土木・衛生などの市町村の基本的な施策をおこなうための会計であり、主な歳入には、市町村税・地方交付税・国庫支出金等がある。

 特別会計とは、法律で特別会計とすることが決められている国民健康保険会計や老人保健会計などの事業会計や、市町村が独自に設けている交通災害共済事業会計、土地取得会計など。公営事業会計も特別会計の一つである。

 公営事業会計とは、法律の規定により、いずれの団体も特別会計を設けてその経理をおこなわなければならない公営企業や事業に係る会計をいい、次のように分類される。①地方財政法施行令第三七条に掲げる事業に係る公営企業会計、②国民健康保険事業、老人保険医療事業、介護保険事業、収益事業、農業共済事業、交通災害共済事業及び公立大学附属病院事業会計、③上記①および②の事業以外の事業で地方公営企業法の全部または一部を適用している事業に係る会計である。

 公営企業会計には、病院事業や上水道事業などがあり、これらの会計には一般会計と同様の経理をおこなっているものと、地方公営企業法を適用し、民間企業と似た経理をおこなっているものがある(http://www.pref.hiroshima.lg.jp/www/contents/1205301696632/files/0.pdf )。

(20) 橋下府政が発表した「今後の財政収支の見通し(粗い試算)」では、次のように記されていた。

  「この試算は、二〇〇八年度において『収入の範囲内で予算を組む』ため、また将来的にも安定的な財政運営をおこなうためにどれだけの取組額が必要かを試算したものです。試算結果については、上方・下方に相当の幅を持って理解する必要があります。 これまで府は、財政再建団体への転落を防ぐため、減債基金からの借り入れや通常よりも多い府債の借換えといった、いわば『負担の先送り』をおこなってきました。二〇〇七年二月におこなった試算では、こうした手法を活用することを前提に、二〇一一年度までの試算をおこない、二〇一〇年度に単年度黒字になるという見込みを示してきました。しかし、今回、その後の状況の変化を踏まえ、二〇二一年度までの粗い試算をおこなったところ、単年度黒字となるのが二〇一四年度に遅れるうえ、二〇一六年度には実質公債費比率が二五%を超え、財政健全化団体になる見込みとなりました」。

 「自治体財政健全化法では、実質公債費比率が二五%以上となった場合などに、『財政健全化計画』に基づく財政健全化が義務づけられます。その場合、次のような支障が考えられます。①行政サービスの見直しによるサービス水準の低下、インフラ整備の中断や見直し、使用料・手数料の値上げなどが必要になる可能性があります。②『財政健全化計画』を定め、実施状況について総務大臣から勧告される場合もあるなど、府の自主的な行財政運営が一定制約される可能性があります。さらに、実質公債費比率が三五%以上となるなど、『財政再生団体』になると、国の関与による確実な再生が求められます。将来世代への負担の先送りである減債基金からの借り入れなどをやめ、かつ、実質公債費比率を財政健全化団体への転落ラインである二五%以上としないためには、二〇〇八年度で約一、一〇〇億円、二〇一六年度までに総額六、五〇〇億円の改革取組額が必要との見通しとなりました」(http://www.pref.osaka.jp/zaisei/)。

(21)  「地方分権一括法」とは通称で、正式名は、「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」である。地方自治法を主とした地方分権に関する法規の改正に関する法律であり、既存の四五七の法律(一部勅令を含む)について一部改正または廃止を定めた改正法である。地方自治法改正を中心とした大半の施行は二〇〇〇年四月一日だが、一部法律については施行が前後している(ウィキペディアより)。

(22) 「三位一体改革」は、日本において国と地方公共団体に関する行財政システムに関する三つの改革、すなわち①国庫補助負担金の廃止・縮減、②税財源の移譲、③地方交付税の一体的な見直しをいう。三位一体改革は、二〇〇一年に成立した小泉純一郎内閣における聖域なき構造改革の目玉として、「地方にできることは地方に、民間にできることは民間に」という小さな政府論を具現化する政策として推進されているもの。公式文書としては二〇〇四年一一月二六日の政府・与党合意「三位一体の改革について」が初出とされる。

 〇四年度はこの改革によって、国庫支出金が一兆三〇〇億円、地方交付税が二兆九〇〇〇億円、それぞれ削減され、六六〇〇億円の税源移譲がおこなわれた。しかし、実際には、税源移譲額よりも補助金削減額の方が大きかった。加えて、地方交付税と財源対策債とを合わせて約二兆九〇〇〇億円が削減された(削減率一二%)。このため〇四年度の予算が組めず、基金の取り崩しや管理職の給与カット等でしのいだ地方自治体もあった。このような経緯で地方の改革への不信感が募ってきたため、「骨太の方針二〇〇四」で三兆円規模の税源移譲を明記した。それに従って、〇四年一一月、政府・与党が二・四兆円分の税源移譲に合意。〇五年一一月、政府・与党が〇・六兆円分の税源移譲に合意(合計三兆円)。〇六年度税制改正で所得税から個人住民税への税源移譲を実施。〇七年から個人住民税所得割を一律一〇%に(都道府県四%、市区町村六%)。しかし、補助金は大幅に削減され続けている(ウィキペディアより)。


 引用文献


田中広樹[2008]、「第三セクターの破綻処理効率性とガバナンス-法的処理を申請した法
     人別データに基づく実証分析」、『会計検査研究』第三七号、三月号。
地域政策研究会(自治大臣官房地域政策室内)編[1997]、『最新地方公社総覧』ぎょうせ
     い。
伯野卓彦[2009]、『自治体クライシス-赤字第三セクターとの闘い』講談社。
深澤映司[2008]、「第三セクターの破綻処理と地方財政」、『レファレンス』第六八九号、
     六月号。
前澤貴子[2007]、「地方自治体の財政問題と再建法則」、『調査と情報-ISSUE BRIEF』第
     五八五号、五月八日付。