消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(120) 新しい金融秩序への期待(120) 恐慌(6)

2009-04-01 07:34:00 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 五 EUの苦境


 〇九年、ユーロも一〇歳の試練に喘いだ。欧州単一通貨のユーロが導入されたのは、一九九九年一月のことであった。〇九年一月一日には、新たにスロバキア(15)がユーロを通貨として採用し、ユーロ圏は一六か国になった(16)。 

 ユーロ圏の人口は約三億二〇〇〇万人で、人口規模では米国を抜き、GDPでは世界の一六%のシェアを持ち、米国の二一%に次ぐ。しかし、ユーロ圏に英国など一一か国を含めたEU二七か国(17)のGDPでは、米国を上回り、世界一である。

 世界の外貨準備に占めるユーロの比率も、発足当時の一八%から二五%超にまで高まった。ユーロの存在感は確実に高まっている。

 ユーロの取引開始時の為替レートは、一ユーロ=一三二円であった。当初の二年間は欧州経済の減速を受けて円高・ユーロ安が進み、一ユーロ=八九円台とユーロは大幅に下落した。しかし、その後は対円、対ドルでユーロ高が進み、〇八年七月には、一ユーロ=一六九円にまで上昇した。

  ところが、金融危機の影響をモロに受け、〇八年末には、ユーロは一二七円台にまで下落してしまったのである。

 欧州の金融機関が米国のサブプライムローン関連投資で損失を被っただけでなく、スペインでは住宅バブルが弾け、国外からの資金流入で高い成長率を実現していたロシアや中東欧経済は、資金の流出によって大きく下降した。こうした地域への輸出で潤っていたドイツ経済も大きく減速した。

 要するに、EUは、経済圏として課題評価されていたと評価が下がってしまい、〇八年七月に入って、ユーロの対円、対ドル価値が急低下したのである。

 ただし、そうした状況下でも、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、ポーランドなどがユーロ採用の意向を示している。

 ユーロに関する判断としては、ユーロが、一国の通貨ではなく、一六五か国(〇九年一月一日現在)の経済力を裏付けとするので、これまでは、信頼感が上がっていたのであるが、金融危機が新規加入国を直撃するに及んで、これら諸国の経済力の弱さから信頼感が下がってしまった。また、ユーロ圏の金融政策は統一されているが、財政政策がばらばらなので、そのことが、ユーロ評価を下げているという側面もある(『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二九日付)。

 EUの一員ではあるが、ユーロを導入していない英国も、ポンドの大幅な安値で苦しんでいる。GDPの三割超を占める金融業界が経済を支えてきた金融立国の英国は、製造業の強いドイツなどよりも、経済の落ち込みが激しく、これがポンド安に拍車をかけた。ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(The Royal Bank of Scotland)やHBOSなどの有力金融機関が経営不振に陥り(18)、経済視聴率はマイナス〇・六%に落ち込んだ。

 国内経済の悪化で、老舗の小売りチェーンが破綻する(19)など、〇七年、〇八年前半の好況を謳歌していたのが嘘のように様変わりした。約八〇〇〇店を持つ老舗小売りチェーンのウールワース(Woolworths)が、〇八年一一月に破綻、身売り先も一部店舗を除いて、決まらず、〇九年一月、ほぼ全店舗が閉鎖された。英国の失業者数は一六八万人と一一ぶりとなる水準にまで悪化した。

 〇七年夏には、一ポンド=二五〇円と対円でポンド高であった。ところが、〇八年十二月には、一三一円台と、一九九五年四月以来の水準まで下落した。対ドルでも三割下落した。

 対ユーロでも、一九九九年のユーロ導入以来、初めてとなる一ユーロ=一ポンドに迫る〇・九五ポンド台までポンド安が進んだ(『讀賣新聞』二〇〇八年十二月二八日付)。