4 辺野古新基地協定 ― 結集される沖縄民衆の怒り
ソマリアは、資本主義システムの闇の世界に追いやられた典型であるが、こうしたシステムからこぼれ落ちた地域と人々は世界の至る所に存在している。沖縄とグアムもそうである。
09年1月、オバマ政権が発足したが、その直後の2月16日に、ヒラリー・クリントン国務長官が来日し、翌17日に中曽根弘文外務大臣と会談した。このクリントン・中曽根会談、海兵隊のグアム移転・辺野古での新基地建設・普天間基地返還の三点セットがパッケージとして決められた。パッケージというには、三つのうち一つでも実現しなければプロジェクトそのものが凍結されるというものである。
沖縄の米海兵隊8000人をグアムに移す。嘉手納基地以南の普天間基地などを返還するが、辺野古には新しい基地を作る。この三点がパッケージとして協約となった。
この協約には、おかしなことが多々ある。まず、沖縄には1万8000人の海兵隊が存在し、沖縄の負担を減らすために、うち、8000人をグアムに移すというのである。しかし、沖縄県の基地統計資料など各種統計で見ると、海兵隊の現員は1万2~3000人でしかない。1万人を沖縄に残すのなら、せいぜい、2~3000名程度しかグアムに移転しない。数値のごまかしがまずこの移転案にはある。
実際にグアムに移るのが何名かが確定されないまま、8000人分の住居が日本の費用で作られる。その費用は6100億円である。協定では、そのうち2800億円を真水部分としてまず支出される。しかし、おかしなことである。グアムは米国の国連委任統治領であり、米国の支配下に属する地域である。この米国の支配地域に日本の税金で施設が建設される。受注した日本の設計事務所が国会に提出した設計書では、単身者用住居を何棟作るのかは黒塗りである。米軍の家族住宅は3500棟作ることは以前の国会において明らかにされているが、建設費だけで1棟当たり7000万円もかかる。そこには土地代は入っていない。現地では上物だけだと5~600万円で建設できるはずであるという。にもかかわらず、日本の建設計画によれば、上物だけで七〇〇〇万円もかかる。限りなく不透明な日本の支出額である。
辺野古の新基地問題も不透明である。新基地建設は、本来の手続きであれば、環境アクセスにパスしなければならない。海を埋め立てる許認可権は県知事が持っている。もし、知事が許可を出さなければ協定違反になる。これは、米国大使館のメアー総領事が明言したことである(衆議院外務委員会への発言)。結局、政府が沖縄県の意向を無視して、環境アクセスもせず、公有水面の埋立許可も必要ないということで押し切る姿勢である。
グアムでは、現地人が土地を米軍に接収されている。沖縄で起こったことがグアムで再現させられている。建設労働者もフィリピンや米国、沖縄から連れていき、現地への経済効果は非常に小さい。住民が増えるための光熱費の高騰も馬鹿にならない。
米議会がグアム移転関連予算を否決してしまえば、すでに真水部分として出してしまった2800億円が返却されない可能性もある。
新基地建設の最大の問題は土木工事の巨大さにある。辺野古基地建設には2100万立方メートルの土砂が必要である。そのためには、延べ525万台の10トンダンプが動員されなければならない。沖縄の海からこれだけの土砂を採集するということは大変なことである。深さ1メートル、幅100メートル、長さ170キロメートルに渡って海岸線から採集しなければならない。170キロメートルというのは沖縄本島の海岸線の3分の1にもなる。これは、日本全体の海砂採取量の13年分に匹敵する。これだけの量を2014年までにとり尽くさなければならないのである。
漁業はもとより、魚の産卵場所の破壊など深刻な環境破壊問題が発生するのは明らかである。これだけの破壊事業が環境アクセスの対象になっていない。砂は業者から買うので対象にならないというのが、政府の見解である。
しかし、日本には海砂採取を禁止している自治体が結構ある。兵庫、和歌山、岡山、広島、徳島、香川、愛媛といった瀬戸内の各県は禁止している。禁止していない県でもすべて総量規制がある。たとえば、熊本県では年間20万立方メートルに制限されている。
ところが、沖縄県では総量規制すらない。事実、07年では121万立方メートルが採取された。もし、沖縄県が年間総量規制を100万立方メートルに新たに制限することにすれば、計画の1700万立方メートルを沖縄だけで調達すると17年はかかることになる。沖縄県の住民が辺野古新基地建設に抵抗するには、県議会で海砂採取日法を強化すればよい。それは、地元で抵抗できる有力な手段になりうる。
しかし、そうすれば、政府は世界に土砂を探すようになるだろう。日米安保体制の問題が海外住民に迷惑をばらまいてしまいかねないのである。ここでも、国家の保護からこぼれ落ちてしまっている貧しい住民の地域が狙われるであろう。こうして問題は国際化し、資本主義の新たな提供力も生み出されることになる。県知事が影響力をもつにのは、公有水面に対してだけではないのである。
辺野古の新基地は、普天間基地の代替であるとこれまでは説明されてきた。しかし、普天間基地は宜野湾市の真ん中にあり、そもそも港などない。ところが、辺野古基地には港を作るという。これは、普天間基地の移転ではない。完全な新しい機能を持つ新基地である。普天間にいた空中給油機は岩国に移転した。ヘリ基地機能だけなら陸上のキャンプシュワブの中にヘリパッドを作ればいいではないか。海の中にわざわざ滑走路付きの基地を作るということは、まったく新しい機能を持つ基地を作ることを意味する。
新基地は護岸の長さが200メートルもある。これは、06年4月に米国が日本に要求していた214メートルの岸壁案の再提出である。この要求を日本政府は公開していなかった。たまたまジュゴン裁判で米国防省が資料を日本の裁判所に出したことからこの214メートルの護岸のことが明らかになった。これは06年4月の日米協議における合意事項であった。人々の追及に応えた日本政府の説明は、ヘリコプター基地に軍港を作るのではなく、ヘリコプターが故障したときに船に積んで出発するためであるという人を食った説明をしただけである。しかし、今回は準備書で政府は200メートルの長さの岸壁を公開した。06年の米国の要求よりも14メートル短いが、海兵隊基地として使われることは明白である。
海兵隊というのは、攻撃用のヘリを積載した船で相手国に近寄って、上陸作戦をするのが任務である。海軍は海に留まるが、海兵隊は海から上陸する侵略体である。上陸用の船は揚陸艦と呼ばれる。佐世保にはジュノーという揚陸艦が停留している。長さ187メートルである。辺野古の新基地にヘリと兵員を乗せる揚陸艦を直接着ける機能を持たせようと米軍はしているのではなかろうか。このような基地を作らせてしまえば、米軍が自由にここを使用できることになる。岸壁が200メートル、陸地内の滑走路が1800メートルの基地に、米国から兵員を積んで輸送してくるであろう。建設の準備書や報告書が出るたびに米軍は基地に新しい機能を付加してくる。普天間基地は返還する。しかし、もっと戦闘的な機能を持つ新基地を沖縄の地に作ろうとしているのである。
給油タンク、飛行機を洗う洗浄設備、使用した薬品による海の汚染、弾薬をヘリコプターに搭載する設備、こうしたことが環境を破壊しないはずがない。
V字型滑走路というのは、飛行機が離着陸するさいに、陸上を飛ばなくてもいいように工夫されたものと説明されてきた。海に向かって離陸し、海から着陸するために滑走路を別々にしたというのである。しかし、普天間基地ではタッチアンドゴーという訓練が1日300回もおこなっているという。これは着陸して停止せずにそのまま離陸するという訓練である。これでは、V字型滑走路は無意味になる。海から着陸してきた飛行機はそのまま陸地に向かって飛び立つからである。住宅上空を弾薬を積んだ戦闘機が飛び回ることは必須である。そして、09年5月15日、住民意見書が締め切られた。09年2月17日の「在沖米海兵隊のグアム移転に関する協定」が実質化される寸前にいまはある。
琉球侵略400年、琉球処分130年、沖縄問題は世界の問題になってくる。
おわりに ― 作ろう新しい世界を
グローバリズムには、「普遍性強制」が決定的にまといついていた。それは、西洋中心史観、最近では米国普遍性史観として人々の心を捕らえていた。しかし、いまや私たちは、公然と、米国的普遍性を「似而非(えせ)普遍性」、米国的グローバリズムを「虚偽の共同性」として拒否することができるようにうなった。
いまでは、真の変革を生み出す人々の真の連合を生み出すことができる。「結」(ゆい)の共同作業による「舫」(もやい)の場を作りだすことができる。
人類は、「アソシエーション社会」の大道を紆余曲折を経ながらも確実に歩んできた。自然と人間、人間と人間、そうした折り合いが世界的に人類史的に実現されようとしている。
私たちは、「資本の商品化」がもたらす金融の暴走を十分に経験してきた。いまや、労働を人間の元に取り返すことが緊要である。国家と市場は残存させざるを得ないだろう。しかし、それには、資本主義を廃棄させるアソシエの介在がなければならない。
人間には人間の行があり、動物には動物の行がある。植物にも、水土にも行がある。そうした「天地人三才の徳」を会得して、私たちは人間の行として「変革のアソシエ」を推し進めよう。
「変革のアソシエ」(仮称)発足記念講演、2009年6月6日午後6時、於:総評会館208号室にて 本山美彦