四 リゾート法と第三セクターの悲惨な結末
全国の自治体を崩壊させる結果を生み出した主な要因は、「リゾート法」である。通称の「リゾート法」の正式名は、「総合保養地域整備法」で、一九八七年六月に成立した法律である。これは、多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者を活用して、総合的に整備することを目指した法律である。所管は総務省、農林水産省、経済産業省、国土交通省等々等と、省庁横断的である。施設は、産業再配置に関する各種法律と同じく、税制上の支援、政府系金融機関の融資などの優遇措置が受けられる。そうした優遇措置につられて、ほとんどの都道府県が、開発構想の策定を競い、大手企業の参加を求めた。そして、第三セクターが輩出した。企業を開発事業に巻き込むことが、当時の行政担当者の腕の見せ所であった。
ところが、事業途中で、企業撤退による跡地の処分問題など、その爪跡に自治体は苦しむことになった。
この法律が作成されたのは、一八八六年に作成された『前川レポート』(15)をきっかけにしたものである。
日米貿易摩擦に苦しむ米国は、ドル安・円高を強制するプラザ合意を日本に押しつけた(一九八五年)。そうした米国からの圧力を受けて、内需拡大をスローガンに作成されたのが『前川レポート』である。それは、企業の目標を輸出から国内開発に向かわせようとするものであったが、結果的には日本国内に未曾有のバブル経済を生み出しただけで終わった。
リゾート法の制定当時は、バブル経済を背景にしたカネ余りもあって、地域振興策に悩む地方のほとんどが計画策定に取り組んだ。その一方で、環境面からの問題が当初から指摘され、またバブル崩壊もあいまっての計画の破綻など、リゾート法とそれを根拠としたリゾート開発については法成立当初からはもちろんのこと、実施後もさまざまな批判が寄せられていた。
まず、発想の貧困さがあった。一斉に開発構想が出されたが、画一的でありすぎた。山間地ならスキー場・リゾートホテル・ゴルフ場。海洋リゾートならマリーナ・海を望むゴルフ場・リゾートホテルといった「三点セット」に終始した。
地元がまずリゾート開発企業(パートナー)となる企業を見つける努力をして、その後、官が地元の協力取り付けやインフラ整備をおこなった。しかし、開業後、想定していた利用者数を確保できず、数年のうちにリゾート施設を廃業し、惨憺たる姿をさらす例が続出した(ウィキペディアより)。
日本弁護士連合会は、すでに、一九九一年一一月一三日、「リゾート法の廃止を求める決議」をおこなっている。それによれば、
「これまでも、全国各地で、ゴルフ場建設などによる森林伐採や農薬汚染などの環境破壊が問題とされてきた。ところが、このリゾート法による開発競争の結果、さらにいっそう、全国的な規模で広大な地域の優れた自然が破壊されつつある。そもそも、大規模な開発をおこなう場合には、自然環境保護の理念に基づく十分な環境アセスメント制度が不可欠である。ところが、リゾート法は、これをまったく欠いており、規制緩和措置などの誘導策により開発のみを強力に推し進めようとするものである。このようなリゾート法の下での開発を継続するならば、日本の豊かな自然は取り返しのつかない損失を被ることとなり、かけがえのない自然を次の世代に引き継ぐこともできなくなる」(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/1991_2.html)。
こうした、大規模開発を推進するために設立されたのが、第三セクターであった。第三セクターとは、国や地方公共団体と民間の共同出資(都道府県や市町村などの出資金や支援金は地元住民の税金)によって設立される事業体で、本来、国や地方公共団体がおこなうべき事業を、民間の資金と能力を導入して共同でおこなうことが目的である。形式上は株式会社となる。第三セクターは、主に、リゾート施設や都市再開発会社などの地域開発や、地方鉄道などの分野で設立されている。
もともと、公企業を第一セクター、民間企業を第二セクターと呼ぶことから、こうした共同事業体を第三セクターという(ただし、本稿の(一)のように、総務省の第三セクター定義は異なっている)。多くは自治体幹部の天下りの受け皿になっているばかりか、民間企業側も「最後には行政が面倒を見てくれる」とのいわゆる「官民もたれあい」という双方の悪い点が顕著に表れ、経営情報の公開が極めて不十分なこととあいまって、その多くが多額の負債を抱え、倒産や経営不振にあえいでいる(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/1991_2.html)。
膨大な債務を抱え破綻する第三セクターが続出している。東京都や大阪市の臨海開発関連の会社などがその代表格である。また、〇六年に表面化した北海道夕張市の財政破綻は観光開発を担う第三セクターの赤字に引きずられたものである。
平成の市町村合併は、ある一面では市町村行政の総点検ともいうべき作業であったが、第三セクターの点検・処理については「先送り」されることが多かった。市町村合併は「特例法」に定める期限があったことから、市町村合併の成就を何よりも優先させた結果、他の自治体の事務にくちばしを挟むのを遠慮してきたからである。
自治体等の信用力と民間企業の柔軟性・増収意欲の双方の利点を持った組織として、成果を期待された第三セクターであったが、実際には、行政の「経営能力の欠如」、「無責任」、「先送り」と、民間企業の「不安定性」を兼ね備えるという、双方のマイナス要素ばかりが目立つ結果となった。地域金融機関をはじめとした地元主要企業に「奉加帳方式」で出資させ、行政からの天下り職員が牛耳るといった運営が続いた結果、多くの第三セクター企業が破綻、または、自治体からの運営費補助という生命維持装置で生きながらえている状態に陥っている。
行政職員はローテーションで二~三年で転任するため、第三セクターの運営について長期的な展望を持ちづらい。また、地元の金融機関が出資していることも多いが、採算性など見込めないのに、地方政界、財界とのお付き合いで仕方なく、しかも横ならびで出資しているようなケースが多い。金融機関は、付き合いで小額を出資しているだけであって、あとは行政に任せっきりとなっている。自治体の指定金融機関・指定代理金融機関として地方自治体に服従してきたために、本来はたすべき金融の監視という役割も発揮できない。多くの地方自治体は、豊富な行政経験を生かすという名目のもと、都合のいいOBの送り込み先となっている。そして、「地域貢献のためにしているのであって、少々の赤字は仕方ない。それを埋める行政の資金支援は当然」という感覚に慣れてしまいかねない。
適切か否かといった吟味が不十分なまま、第三セクター方式は見切り発車された。バスに乗り遅れるな、他の自治体に負けるなといった動機から第三セクターの多くが設立されてきたのである(ウィキペディアより)。