消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(166) 道州制(8) 橋下大阪府政と関西州(8)

2009-05-29 07:04:32 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 四 リゾート法と第三セクターの悲惨な結末


 全国の自治体を崩壊させる結果を生み出した主な要因は、「リゾート法」である。通称の「リゾート法」の正式名は、「総合保養地域整備法」で、一九八七年六月に成立した法律である。これは、多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者を活用して、総合的に整備することを目指した法律である。所管は総務省、農林水産省、経済産業省、国土交通省等々等と、省庁横断的である。施設は、産業再配置に関する各種法律と同じく、税制上の支援、政府系金融機関の融資などの優遇措置が受けられる。そうした優遇措置につられて、ほとんどの都道府県が、開発構想の策定を競い、大手企業の参加を求めた。そして、第三セクターが輩出した。企業を開発事業に巻き込むことが、当時の行政担当者の腕の見せ所であった。

 ところが、事業途中で、企業撤退による跡地の処分問題など、その爪跡に自治体は苦しむことになった。

 この法律が作成されたのは、一八八六年に作成された『前川レポート』(15)をきっかけにしたものである。

 日米貿易摩擦に苦しむ米国は、ドル安・円高を強制するプラザ合意を日本に押しつけた(一九八五年)。そうした米国からの圧力を受けて、内需拡大をスローガンに作成されたのが『前川レポート』である。それは、企業の目標を輸出から国内開発に向かわせようとするものであったが、結果的には日本国内に未曾有のバブル経済を生み出しただけで終わった。

 リゾート法の制定当時は、バブル経済を背景にしたカネ余りもあって、地域振興策に悩む地方のほとんどが計画策定に取り組んだ。その一方で、環境面からの問題が当初から指摘され、またバブル崩壊もあいまっての計画の破綻など、リゾート法とそれを根拠としたリゾート開発については法成立当初からはもちろんのこと、実施後もさまざまな批判が寄せられていた。

 まず、発想の貧困さがあった。一斉に開発構想が出されたが、画一的でありすぎた。山間地ならスキー場・リゾートホテル・ゴルフ場。海洋リゾートならマリーナ・海を望むゴルフ場・リゾートホテルといった「三点セット」に終始した。

 地元がまずリゾート開発企業(パートナー)となる企業を見つける努力をして、その後、官が地元の協力取り付けやインフラ整備をおこなった。しかし、開業後、想定していた利用者数を確保できず、数年のうちにリゾート施設を廃業し、惨憺たる姿をさらす例が続出した(ウィキペディアより)。

 日本弁護士連合会は、すでに、一九九一年一一月一三日、「リゾート法の廃止を求める決議」をおこなっている。それによれば、

 「これまでも、全国各地で、ゴルフ場建設などによる森林伐採や農薬汚染などの環境破壊が問題とされてきた。ところが、このリゾート法による開発競争の結果、さらにいっそう、全国的な規模で広大な地域の優れた自然が破壊されつつある。そもそも、大規模な開発をおこなう場合には、自然環境保護の理念に基づく十分な環境アセスメント制度が不可欠である。ところが、リゾート法は、これをまったく欠いており、規制緩和措置などの誘導策により開発のみを強力に推し進めようとするものである。このようなリゾート法の下での開発を継続するならば、日本の豊かな自然は取り返しのつかない損失を被ることとなり、かけがえのない自然を次の世代に引き継ぐこともできなくなる」(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/1991_2.html)。

 こうした、大規模開発を推進するために設立されたのが、第三セクターであった。第三セクターとは、国や地方公共団体と民間の共同出資(都道府県や市町村などの出資金や支援金は地元住民の税金)によって設立される事業体で、本来、国や地方公共団体がおこなうべき事業を、民間の資金と能力を導入して共同でおこなうことが目的である。形式上は株式会社となる。第三セクターは、主に、リゾート施設や都市再開発会社などの地域開発や、地方鉄道などの分野で設立されている。

 もともと、公企業を第一セクター、民間企業を第二セクターと呼ぶことから、こうした共同事業体を第三セクターという(ただし、本稿の(一)のように、総務省の第三セクター定義は異なっている)。多くは自治体幹部の天下りの受け皿になっているばかりか、民間企業側も「最後には行政が面倒を見てくれる」とのいわゆる「官民もたれあい」という双方の悪い点が顕著に表れ、経営情報の公開が極めて不十分なこととあいまって、その多くが多額の負債を抱え、倒産や経営不振にあえいでいる(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/1991_2.html)。

 膨大な債務を抱え破綻する第三セクターが続出している。東京都や大阪市の臨海開発関連の会社などがその代表格である。また、〇六年に表面化した北海道夕張市の財政破綻は観光開発を担う第三セクターの赤字に引きずられたものである。

 平成の市町村合併は、ある一面では市町村行政の総点検ともいうべき作業であったが、第三セクターの点検・処理については「先送り」されることが多かった。市町村合併は「特例法」に定める期限があったことから、市町村合併の成就を何よりも優先させた結果、他の自治体の事務にくちばしを挟むのを遠慮してきたからである。

 自治体等の信用力と民間企業の柔軟性・増収意欲の双方の利点を持った組織として、成果を期待された第三セクターであったが、実際には、行政の「経営能力の欠如」、「無責任」、「先送り」と、民間企業の「不安定性」を兼ね備えるという、双方のマイナス要素ばかりが目立つ結果となった。地域金融機関をはじめとした地元主要企業に「奉加帳方式」で出資させ、行政からの天下り職員が牛耳るといった運営が続いた結果、多くの第三セクター企業が破綻、または、自治体からの運営費補助という生命維持装置で生きながらえている状態に陥っている。

 行政職員はローテーションで二~三年で転任するため、第三セクターの運営について長期的な展望を持ちづらい。また、地元の金融機関が出資していることも多いが、採算性など見込めないのに、地方政界、財界とのお付き合いで仕方なく、しかも横ならびで出資しているようなケースが多い。金融機関は、付き合いで小額を出資しているだけであって、あとは行政に任せっきりとなっている。自治体の指定金融機関・指定代理金融機関として地方自治体に服従してきたために、本来はたすべき金融の監視という役割も発揮できない。多くの地方自治体は、豊富な行政経験を生かすという名目のもと、都合のいいOBの送り込み先となっている。そして、「地域貢献のためにしているのであって、少々の赤字は仕方ない。それを埋める行政の資金支援は当然」という感覚に慣れてしまいかねない。

 適切か否かといった吟味が不十分なまま、第三セクター方式は見切り発車された。バスに乗り遅れるな、他の自治体に負けるなといった動機から第三セクターの多くが設立されてきたのである(ウィキペディアより)。


野崎日記(165) 道州制(7) 橋下大阪府政と関西州(7) 

2009-05-28 06:55:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 大阪府は、支援策として、府関係事務所などをそのまま入居させ続け、融資(無利子)した六三億円全額を債権放棄し、さらに公共性の高い「国際会議場」と「てんぼーるりんくう」の運営維持のために、同じ第三セクターの「臨海・りんくうセンター」に運営を委譲し、「臨海・りんくうセンター」(当時)を通じて運営資金として、「りんくうゲートタワービル株式会社」に、一〇年間で約三〇億円を支払うことになった。

 この手法の要である「大阪都市開発」も大阪府が出資する第三セクターである。一九六五年に設立され、「泉北高速鉄道」、「りんくう国際物流事業」などを営んでいる。株式の四九%を大阪府が持ち、関西電力と大阪ガスが一八%ずつ保有している。

 物流を担うべく設立された「大阪都市開発」は、旅客鉄道事業を営む意図はなかった。もともとは、南海電車に新路線新設を大阪府が要請していたのに、断られたためにやむなく経営に乗り出したのである。 

 大阪府は「泉北ニュータウン」への連絡路線建設にあたり、一九六九年、地元を走る「南海電気鉄道」に新路線建設を打診した。しかし南海は、一九六〇年代後半に立て続けに大事故を起こし、当時の運輸省(現在の「国土交通省近畿運輸局」)から厳重注意を受けていたため、新車両の購入や線路の復旧などへの投資が急務であった。そのため、多額の投資が必要で採算が当分見込めない新路線の建設にまで手が回らず、やむを得ず大阪府が、既存の第三セクター会社を活用して鉄道運営に当たることになった。これが「泉北高速鉄道」であり、一九七一年に開業した。いまでは、「南海高野線」の「中百舌鳥(なかもず)駅」から分岐して「和泉中央駅」までを営業している。

 「大阪都市開発」は、本来の事業として流通センター事業を営んでおり、長距離を走る大型路線トラックと市内を走る小型集配車を中継する役目などを持つトラックターミナル、荷物の一時保管をおこなう流通倉庫などが併設された流通センターとして、「東大阪流通センター」 (大阪府東大阪市)と「北大阪流通センター」 (大阪府茨木市)を持っている。また、泉佐野市で関西国際空港発着の航空貨物との中継をおこなう物流拠点として設けられた、「りんくう国際物流センター」(RILセンター)の運営会社にも出資している。

 ところが、〇八年四月になると、大阪府が、橋下知事の意向で、「大阪府都市開発」株の大阪府保有分を放出すると表明した。売却には他の株主との調整が必要なうえに、「大阪府都市開発」は府に対して年間一億二〇〇〇万円の配当を出す黒字企業であることから、府議会から異論が出ている。また、この動きに対し、南海が株式の取得に意欲を見せている。かりに南海が「大阪府都市開発」を吸収合併するとなると、和泉市に本社を置く企業が一社減ることになるので、和泉市に入る法人税収入が大きく落ち込むことになる(ウィキペディアより)。

 大阪府も大阪市も大阪湾を取り巻く巨大開発に失敗した。しかし、橋下府政は、さらに積極的に大阪湾(ベイエリア)開発を推し進めることによって、死に体である大阪市を踏み越えようとしている。

 大手家電メーカー「シャープ」(大阪市)が、〇七年(平成一九年)一二月から堺市堺区の堺浜地区で計画を進めている「液晶コンビナート」について、進出企業一八社が〇九年一月までの約一年間で、大阪府内の企業に発注した工事費などの総額が約二四〇〇億円にのぼることが〇九年三月二日、府の調査で分かった。これは、府が公共工事などに使う年間予算に匹敵する巨大な規模である(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/227289)。

 大阪府が、道路工事や河川整備などの公共事業のために、〇九年度の予算案に計上した建設事業費は、二二七四億円であった。堺区に進出する企業の工場着工時から〇八年一二月までに延べ約二七〇万人、一日平均約七〇〇〇人がコンビナート建設作業に携わった。

 府の〇九年度当初予算案では、企業業績の悪化などで法人二税(「法人事業税」、「法人住民税」)が前年度比約二〇六〇億円(三八・三%)減少した。しかし、先述の「シャープ」は、世界最大規模の液晶パネル工場を中心に、薄膜太陽電池工場などを、堺区で、二〇一〇年三月までの稼働を目指している。

 大阪府内のベイエリアでは、液晶コンビナートのほか、「パナソニック」が大阪市住之江区にリチウムイオン電池、「三洋電機」が貝塚市に太陽電池の新工場をそれぞれ建設中で、この地区を、橋下知事は、新エネルギー産業の拠点にしようとしている(http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090301/lcl0903012003000-n1.htm)。

 橋下知事が「ベイエリアにエネルギーを注ぎたい」と期待するのも頷ける。しかし、財界のそうした動きについていくことで成功するのなら、これまでの「ベイエリア開発」で成功していたはずである。多くの失敗という経験からすれば、財界が動くといっても、失敗の後始末を自治体に丸投げしてきただけのことではないのか。これからも、そうした構図が繰り返される恐れは本当にないのだろうか。

 生活基盤の充実と、工場を主体とした「ベイエリア開発」とは必ずしも両立しないものであったことが、これまでの経験が示す教訓ではなかったのか。そうした教訓とは、本稿注(13)で示した産業再配置に関する一連の立地法に加えて、リゾート開発と第三セクターの持つ基本的な欠点を知ることである。

野崎日記(164) 道州制(6) 橋下大阪府政と関西州(6)

2009-05-27 23:32:07 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


二 「テクノポート大阪」の失敗

 「テクノポート大阪」に関する工事進捗の時系列を見る。 

一九五八年、大阪南港建設のための埋め立て造成事業が開始される。

  七一年、「南港フェリー埠頭」より最初の就航船。

  七四年、「港大橋」開通。

  七七年、「南港ポートタウン」の「まちびらき」。 

    八〇年、南港埋立完了。

  八一年、新交通システム、「ニュートラム南港ポートタウン線」開業。

  八五年、「テクノポート大阪」の基本構想発表。

    八八年、南港北地区の愛称を「コスモスクエア」とする。「テクノポート大阪」基本
      計画策定

  九三年、「大阪国際見本市会場」(インデックス大阪)の増改築完成。

  九四年、ATCオープン。

  九五年、「WTCコスモタワー」、オープン。

  九七年、沈埋式海底トンネル(「地下鉄中央線延伸」)開通。

二〇〇八年九月一九日、平松邦夫・大阪市長は、「テクノポート大阪」構想を廃棄すると明言。

 以上が「テクノポート大阪」事業の時系列であるが、一九八九年に策定された基本計画では、咲洲の一部、舞洲、夢洲の計約七七五ヘクタールの規模であった。舞洲にスポーツ施設、夢洲に巨大住宅地、咲洲は国際交易・研究施設を建設する壮大な計画であった。しかし、五輪誘致に失敗(12)するなど、計画は行き詰まってしまった。

 夢洲は、舞洲の南西部に作られた人口島で、大阪五輪の選手村の跡地を住宅地にする予定であったが、進展せず、産業区域に変更し、ロジスティックセンターに模様替えすることになった。そこで、、夢洲南部に水深一五メートルの大型コンテナ船が接岸できる高規格コンテナターミナルが二つ建設されたが、広大な空き地が広がっただけである(ウィキペディアより)。

 大阪湾の大規模開発に反対する活動をしている「大阪湾会議」という市民団体は、すでに、〇一年一一月二五日時点で、地下鉄・「北港テクノポート線」、舞洲トンネル、夢洲開発事業、の中止を政府に申し入れていた。「北港テクノポート線」には、住民のいない不採算路線になることが必至である。夢舞大橋に加えて、一〇〇〇億円を投入する夢洲と舞洲をつなぐ舞洲トンネルは必要ない。夢洲開発では四万五〇〇〇人もの巨大住宅地が成立する可能性が乏しい。これら三事業はバブル期に策定されたものなので、バブル崩壊後は即刻中止すべきであるとした(http://www.jimmin.com/2001b/page_118.htm)。

 「南港コスモスクエア新都心計画」も悲惨な状態になってしまっている。ATC、「ミズノ本社」、「コスモタワー」、「ハイアットリージェンシー大阪」などが完成しているが、「コスモタワー」北部に五本以上の高層オフィスビルを建設するという計画は立ち消えた。この地は、オフィス需要の高まりが期待されて追加的に埋め立てられた土地であるが、いまだに空き地のまま放置されている。

 バブル経済真っ盛りの時期に、大阪市は、大阪府が進めていたりんくうタウン計画に負けじと大阪南港に新都心建設に邁進した。しかし、バブル崩壊とともに、無惨な結果になってしまっている(http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/baburu/nannkou.htm)(13)。

 こうした巨大開発事業の失敗が、大阪市を深刻な財政難の地獄に突き落としたのである。

 以上が大阪市の事業であるが、大阪府も「りんくうタウン」という巨大プロジェクトによって大火傷を負った。


 三 「りんくうタウン」を受け継ぐ「ベイエリア開発」


 「りんくうタウン」とは、関西国際空港の開業に合わせて大阪府などによって開発された副都心計画である。沖合の「空」港を「臨」む(臨空)対岸地区にあることから発想された名称である。大半の施設の運営・管理は第三セクターである「大阪府タウン管理財団」がおこなっている。ほぼ一〇〇%が大阪府の出資である(http://www.pref.osaka.jp/shusshihojin/zaiseisaiken/41.pdf)。

 大阪府が六〇〇〇億円の費用をかけてこの地を造成した。関西国際空港の対岸、泉佐野市の海岸沿い地域に五〇棟を越す超高層ビルや百貨店などを建設する計画があったが、バブル崩壊後、ほとんどの計画が凍結された。建設されたのは、「りんくうタウン駅」、同駅舎内のショッピングモールの「りんくうパピリオ」、駅に隣接する「りんくうゲートタワービル北棟」「りんくう総合医療センター」、「りんくう現代美術空間」、「りんくうパパラ」のみであった。いまだに、広大な造成地の大部分が空き地のままである。地元の泉佐野市も一五五〇億円もの費用を投じて多くの公共施設を建設したが、維持管理費の負担にあえぐこととなった。

 進出した企業が相次いで撤退した。その一つが、第三セクターの「りんくうゲートタワーホテルビル株式会社」であった。

 繰り返し触れるが、同社の経営する「りんくうゲートタワービル」は、一九九六年に竣工した五六階建ての超高層ビルで、日本で二番目の高さを誇る。総工費は約六五〇億円。

 二四時間空港である関西国際空港の宿泊客を見込み、「全日空ゲートタワーホテル大阪」が核施設として一~六階と二八階~五四階に入居している。ホテル六階には、「りんくう国際会議場」と通常の会議場、七階は「セントラルスポーツ」によるプールを併設したフィットネスクラブ、九階に展示場があり、八階と一〇~二六階はインテリジェントオフィスとなっている。二八階屋外では夏季限定でビアガーデン「スカイビアサロン・パティオ」を「全日空ゲートタワーホテル大阪」が開設し、地上高では日本一となる地上一三〇メートルのビアガーデンとして売り出した。

 しかし、バブル経済期にりんくうタウンが開発され、現在と比べると高価格な地価と建築費が重荷となり、大阪市内からほど遠い当地のオフィスも空室が目立ち(入居者は民間企業が主体だが大阪府関係の事務所も存在する)、賃料収入も低調な状態で開業以来毎年赤字の状態が続き、さらに前記ホテルの利用者数も低調であった。

 「全日空ゲートタワーホテル大阪」の経営会社、「ゲートタワーホテル株式会社」とその親会社で第三セクターの「りんくうゲートタワービル株式会社」が債務超過状態に陥った。そこで、〇四年一一月二九日、大阪府は、「大阪府都市開発」傘下に「大阪りんくうホテル株式会社」を設立した。この新設会社に、負債を切り離した上で、「ゲートタワーホテル株式会社」の施設と一部の未収金を無償で譲渡させ、従業員の再雇用をおこない、〇五年二月一日より経営を引き継いだ。

 そして、〇五年四月、元経営会社の「ゲートタワーホテル株式会社」が特別清算(特別清算については、後述)された(負債額は七七億円。親会社の「りんくうゲートタワービル株式会社」も同月、会社更生法を申請し認可された。負債額は、約四六三億円(累積赤字は〇四年度で約六二四億円)であった。その後、「新生銀行」と「ケネディクス」の企業連合(14)がスポンサーとなり、四五億円という総工費・負債額の一〇%未満の価格でビルが売却された。


野崎日記(163) 道州制(5) 橋下大阪府政と関西州(5) 

2009-05-22 07:00:48 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


(6) 昭和初期に住之江沖に計画された埋立地には国際空港を作る構想もあった。埋め立ては戦後本格化し、大阪市が何度も誘致を試みた「日本万国博覧会」の会場にする動きもあった。その後、弁天埠頭に代わるフェリーターミナルやコンテナ埠頭を設けた。「ポートタウン」の名称のもとで団地建設が進み、学校、商業施設、公園、「なにわの海の時空館」がオープンした。しかし、新たに追加された埋立地に計画された「コスモスクエア」の整備計画は、バブル期に過大な規模にまで拡大された結果、テナントの撤退や土地の分譲不能など思惑がはずれ、その事業費が事業者である大阪市(港湾局)の大きな負担となっている。主な施設は、「国際フェリーターミナル」、「コスモフェリーターミナル」、「大阪南港フェリーターミナル」など(ウィキペディアによる)。

(7) 咲洲とは、大阪市住之江区にある人工島。大阪南港に造成された埋立地で、総
面積は九三七万平方メートル。咲洲北部は「咲洲コスモスクエア地区」と呼ばれ、ATCや、WTCなどの大規模な施設が集積している。バブル全盛期の一九八八年に決定された「テクノポート大阪」計画に基づき、大阪市主体で数々の巨大施設が建設された。しかし、九〇年代の不景気でそのほぼすべてが破綻し、第三セクターによるムダ遣い、ハコモノ行政の象徴となったうえ、大阪市の財政に大きな負担を与えている。

 咲洲は、一九九七年一〇月一七日に開通した海底トンネルの「咲洲トンネル」によって、大阪港天保山地区と結ばれている。このトンネルは、トンネル本体となる沈埋函を海底に沈める沈埋工法で建設された。沈埋工法のトンネルとしては日本初の道路・鉄道併用トンネル(ちなみに日本初の沈埋トンネルは、一九三五~四四年にかけて建設された「安治川トンネル」)で、複線の鉄道線(「大阪市営地下鉄中央線」)の両側を各二車線の道路が通る構造になっている。延長は道路部分が二、二〇〇メートル、鉄道部分が二、四〇〇メートルある。大阪市中心部から南港地区への最短経路である(ウィキペディアより)。

(8) 彩都(さいと)とは、国際文化公園都市の愛称である。一九八六年に事業が開始された、大阪府茨木市と箕面市の北部山間部に開発中のニュータウン。都市再生プロジェクトの一つとなっているほか、「バイオメディカル・クラスター創成特区」に指定されている。「都市再生機構」(UR)が、「特定土地区画整理事業」として施行している。

 茨木市と箕面市にまたがる西部地区、茨木市北部に位置する中部地区と東部地区の三つのクラスターからなり、三地区を合わせた総面積は計七四三ヘクタール、居住人口五万人、昼間流入人口二万四〇〇〇人が予定されていた。すでに造成の終わっている西部地区(三一三ヘクタール)は既存のニュータウンである「粟生間谷住宅」や「大阪大学箕面キャンパス」(旧・大阪外国語大学)と隣接し包み込む形になり、将来予定されている東部地区は既存のニュータウンである「茨木サニータウン」(山手台)と隣接している。

 住宅地だけでなく、主に生命科学・医療・製薬などの研究施設や関連企業なども備えていることが特徴。将来的には人文学系の研究機関や大学、博物館なども予定されている。近隣の「千里ニュータウン」や「万博記念公園」などにある「大阪大学吹田キャンパス」、「千里ライフサイエンスセンター」、「国立循環器病センター」、「生物分子工学研究所」、「大阪大学箕面キャンパス」、「国立民族学博物館」、「国際協力機構(JICA)大阪国際センター」などの研究施設がある(ウィキペディアより)。

 彩都は、橋下知事にとって、「負の遺産」の一つになっている。彩都をめぐっては土地区画整理事業の主体となる独立行政法人・都市再生機構が東部地区からの撤退を発表。府はこれまで西部地区の府道、「大阪モノレール」などのインフラ整備に約一七五億円を投じてきた。さらに、西部と中部、東部の各地区をつなぐ府道とモノレールの整備事業費用として約一八六億円の出資を見込んでいる。しかし、中部地区は〇六年、「武田薬品工業」の研究施設の誘致に失敗し、未着工の状態である。同じく未整備の東部地区についても「都市再生機構」が、〇八年四月に入り、「土地区画整理事業」から撤退する方針を示したばかりで、いずれも開発のメドが立っていない。

 また、府は大阪モノレールを運営する第三セクター「大阪高速鉄道」に九四億六三〇〇万円(出資比率六五・一%)を出資している(『産経新聞』〇八年四月一三日付)。

 橋下知事の「財政再建プログラム試案」は、大阪府の「改革プロジェクトチーム」自身が「非常に厳しい試案」と認めたように、府立施設や出資法人の見直しだけでなく、高齢障害者、乳幼児のための医療費助成や私学助成(授業料軽減)のカットなど、府民の痛みを伴うものであった。

 大阪府の「改革プロジェクトチーム」(PT)は、〇八年四月一一日、橋下徹知事の指示で検証を進めていた「負の遺産」とされる三つの主要事業を特定した。三事業とは、府の産業用地「りんくうタウン」(泉佐野市、泉南市、田尻町)、府が開発したニュータウン「箕面森町(しんまち)」(箕面市)、新産業施設の誘致・集積などを図る第三セクター「泉佐野コスモポリス」(泉佐野市)。失敗の原因として、「りんくうタウン」については「バブル崩壊後も関空開港のインパクトへの過度の期待があった」、「箕面森町」は「住宅公社による用地先行取得に性急に踏み切った」、「泉佐野コスモポリス」は「実務上の責任者不在などの状況を的確に是正できなかった」などとした(『産経新聞』〇八年四月一二日付)。

(9) 「公共施設等整備基金」は、大規模な公共施設、ならびに、庁舎およびその周辺の整備、ならびに、府が所有する建築物の耐震化を図るために積み立てられた基金のことである(http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2010360001.html)。

(10) 「財政調整基金」は、年度間の財源の調整を図り、財政の健全な運営に資するために積み立てられた基金のことである(http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2010360001.html)。

(11) 「特定調停」とは、簡易裁判所を利用して負債を圧縮する手続で「支払不能には至っていないが、このままだといずれ行き詰ってしまう」といった状況にある債務者の経済的再生を図る手続で、二〇〇〇年(平成一二年)二月から施行された新しい債務整理手続である。簡単に言えば裁判所を利用した任意整理。特定調停利用の目安は任意整理と同様に利息制限法で引き直しをした後の債務を三年以内に返済できるかどうかポイント(http://www.cooling-off.biz/jikohasan/tokutei1.html)。

 破綻状態に陥った大阪市の第三セクターであるATC、WTC、MDC(湊町開発センター)の三社によって申し立てられていた「特定調停」の第五回調停が、〇四年二月一二日、大阪地裁で開かれ、大阪市や金融機関など二四の債権者が地裁の調停委員会の示した調停案に同意し、調停が成立した。金融機関側は貸付金残高の約四五%に当たる九二六億円の債権を放棄し、市は追加出資など約四七〇億円を支援することになった。市によると、株式会社の第三セクターで特定調停の成立は全国初という。三社は、いずれも巨大ビルの経営会社である。今後、三〇~四〇年計画で経営再建を目指す。各社の社長は辞任した。後任は民間から選ばれた。市の支援の内訳は、追加出資一〇四億円のほか、貸付金の株式化三二九億円など。調停案には三社が倒産した場合、金融機関に発生した損失を市が補償する条項(後述)も盛り込まれたため、二次破綻すれば市の負担はさらに増える(http://www.47news.jp/cn/200402/cn2004021201000940.html)。

 大阪市は、〇四年四月一日、市議会にWTCについて、次のように報告した。
 「会社は事業の継続に支障をきたすことなく返済期にある債務を返済することが困難な状態にあり、また開業一年目の一九九二年から累積損失を計上し、二〇〇〇年三月期では約二三六億円の債務超過状態にある。会社としては、これまで会社の自立的・継続的な存続に向けた抜本的な経営改善策について、大阪市や市中金融機関と協議を重ねてきましたが、関係者の合意には至らなかった。会社の再建は社会的にも注目を集め、関係当事者も多数に上り、その影響も決して小さくない点を考慮し、今後事業の再建策をまとめるために、公平性・透明性を保持できる公正な手続を経ることが望ましいと考えられたことから、特定調停法に基づく特定調停の申立を行うこととしたものである」(http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/kanridantai/saiken.html )。


 引用文献


総務省自治財政局地域企業経営企画室[各年]、『第三セクター等の状況に関する調査』。
地方自治制度研究会編(松本英昭監修)[2006]、『道州制ハンドブック』ぎょうせい。
帝国データバンク[各年]、『第三セクター経営実態調査』。
廣瀬信己[2008]、「企業立地と地域経済の活性化-大阪府、福岡県の取組みを中心に-」、
          レファレンス』二〇〇八年八月号。


野崎日記(162) 道州制(4) 橋下大阪府政と関西州(4) 

2009-05-21 07:00:00 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

(3) 第三セクターには、いろいろな定義がある。総務省「第三セクター等の状況に関する調査結果」(〇七年一二月二七日、http:// www. soumu. go.jp/s-news/ 2007/ pdf/071227_2_00.pdf)によれば、第三セクターとは、「自治体が出資している会社法法人及び民法法人」のことを指し、上記の意味における第三セクターに地方三公社と地方独立行政法人を加えたものを、「第三セクター等」と称している。第三セクターに関するデータについては、総務省自治財政局地域企業経営企画室[各年]、帝国データバンク[各年].。

(4) 関西州は、「関西州(産業再生)特区構想-地方分権の社会実験、関西の多様性を生かした広域行政-」として、〇四年六月三〇日に、「分権改革における関西のあり方に関する研究会」(略称「関西分権改革研究会」)によって、発表された構想で、福井県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、徳島県を包含しようという構想である。研究会のメンバーは、自治体側からは、上記府県の副知事、京都市、大阪市、神戸市の副市長・助役。学会からは、大阪大学、慶應義塾大学、龍谷大学、同志社大学、近畿大学、関西学院大学、徳島文理大学、京都大学の教授陣。経済団体からは、大阪商工会議所、京都商工会議所、神戸商工会議所、関西経済同友会、関西経営者協会、関西経済連合会。検討課題は、①「自治体が独自の政策を自己決定するためには財政的にも自立することが不可欠であるとの観点から、関西として税制、交付税制度、補助金制度をどう改革すべきかを明らかにする」、②「関西が独自の政策を自己決定するために、地方に任せるべき権限や事務を明らかにする。また、府県と市町村の役割分担(府県ごとに異なることもありうる)についても検討する」、③「地方のことは地方にまかせる(広域行政についても国が介入しない)時代の地方の広域行政制度について、関西において広域的に取り組む課題を明確にした上で、望ましい体制を明らかにする」とうものである(http://www.kankeiren.or.jp/pdf/kansaishu_image.pdf)。

 関西州は、道州制構想の一貫である。道州制とは、北海道以外の地域に数個の州を設置し、それらの州に現在の都道府県より高い地方自治権を与える将来構想上の制度を指す。ほとんどの案で北海道はそのまま道として存続するため「州制」ではなく道州制と呼ばれる。

 一九八九年から一九九二年にかけて、臨時行政改革審議会が置かれ、都道府県の広域連合とともに道州制の検討を答申した。一九九四年には地方自治法改正により県の広域連合が制度化された。国会においても地方分権の決議が採択され、道州制の論議が高まることとなった。さらに二〇〇四年の地方自治法の改正により、都道府県の合併が申請によって可能となった。

 二〇〇四年に招集された「第二八次地方制度調査会」は、〇六年に「道州制のあり方に関する答申」をおこない、都道府県の廃止と新設となる道州による道州制導入を打ち出した。道州には九道州・一一道州・一三道州の三例である。とくに、北海道は〇四年に道州制を先行実施する提言をし、それに特区制度をもって政府は応え、〇六年に「道州制特区推進法」を公布した。

 道州制の論議が活発になった背景には、国家の債務が膨大になって、地方交付税や補助金や公共事業の削減で、地方が国の失政の尻拭いをさせられている点がある。国は「小さな政府」と称しつつ、地方への統制の強化と合理化を進めている。これは、市町村を大量に削減し、次いで広域自治体である県を大量に削減しようという発想としての道州制で、中央集権の強化という色が濃い。政府の道州制論議や、その前段階の三位一体の改革では、国の行政機関・機能・財源を都道府県に委譲するのを拒み、都道府県や市町村の「住民自治」の部分のみを「小さな政府」として、国は依然として統制権の強い「大きな政府」に留まろうとする意見が散見されるために、全国知事会では反発がある(ウィキペディアより)。

 ソネット・ブログの『ビジネスニュース』に掲載された記事を以下に引用する。

 「関西の政財界を中心に関係者が意見を交わす「第四七回関西財界セミナー」が、〇九年二月六日、京都市の国立京都国際会館で開かれた。道州制を題材にした分科会に出席した福井県の西川知事は『地方分権の努力は続けなければならないが、道州制は中央集権的になりがち。国政として避けなければならない』と反対の姿勢を示し、バランスの取れた国土政策の必要性を強調した。西川知事は、県のアンケート調査で道州制が受け入れられていない現状を紹介した上で『現在の都道府県でも十分に仕事はできる。空想的な改革主義に陥ってはならない』と、道州制ありきの論議にくぎを刺した。
 さらに北海道と九州を比較し、地域間格差が進んでいる北海道の実態を説明。『格差の解消は広域的な方法では解決できない。東京一極集中の解決にもならず、より深刻で大きな州間対立につながる』と指摘。『(道州制になり)一〇〇〇万人を超える地域で、どうやって民意を反映させるのか』と疑問を投げた。これに対し、自民党の松浪健太衆院議員は『少子高齢化、人口減少の中で経済成長と社会保障をどう両立させるか。道州制がどういう役割を果たすかの視点が欠落している』と西川知事の意見を批判。全国一律の医療、介護、教育体制の解消や、州ごとに法人税見直しを行うプランを示した」(
http://masakkahigeki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-21)。
 道州制に関するより詳しい論議は、地方自治制度研究会編(松本英昭監修)[2006]。

(5) 二〇〇七年に大阪府が「シャープ」を堺市に誘致したことにより、ベイエリア地区では、フラット・パネル・ディスプレイ(FPD)関連の産業集積の動きが見られる(廣瀬[2008])。

  ベイエリア開発推進論の中村智彦「関西における大阪湾ベイエリアの重要性-今、大阪湾ベイエリアではなにが起こっているのか、課題は何か?-」、『O-BAY』(財団法人大阪湾ベイエリア開発推進機構広報誌)第三八号、二〇〇九年冬号(http://www.o-bay.or.jp/obay.html)のベイエリア開発期待論を個条的に要約する。

①「シャープ」、「パナソニック」の〇八年進出計画によって、この地域は、「パネルベイ」という名称が付けられた。②この二〇年間、衰退してきた関西経済にやっと風が吹き始めた。③生産開始後の波及効果も加えると、数兆円規模に上る。④大阪湾岸地域は、重厚長大型産業の衰退と工場の縮小、撤退などが相次ぐと同時に、遅れて完成した工場用地が、未利用地としてその面積を増加させてきた。⑤関西地区の製造品等出荷額は一九七〇年代をピークに低下しつづけ、一九八〇年代に入るとその地位を東海地区に抜かれた。⑥〇八年の後半に発生した急激な世界経済の悪化で、大手各社は、相次いで工場新設計画や生産計画の見直しや凍結などを発表した。しかし、一時的な計画のスローダウンはあったとしても、いずれ回復する。⑦キーワードは、「環境」、「エコ・エネルギー創出」、「国際競争」である。太陽光発電パネル、リチウムイオン電池、水素燃料電池などがそれである。⑧必要なことは、交通インフラ、とくに、「ミッシングリング」の解消。⑨工業用地そのものの整備の必要。港湾に近い地域に広大な土地空間の存在の解消。⑩大阪湾岸地域を広域特区として管理し、東は京都、滋賀、福井、西は姫路、徳島、岡山、広島など関連産業の集積が存在する地域との連携が不可欠である。

野崎日記(161) 道州制(3) 橋下大阪府政と関西州(3)

2009-05-20 07:02:22 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 そこに、大阪府がWTCの買収を突如打ち上げた。これは、WTCには致命的な打撃となった。新たなテナントの募集ができなくなってしまったからである。

 また売却するにも、大阪府はWTCの価値を九五億円と鑑定したが、大阪市は一五三億円と両者で五八億円もの差が出ている。不動産の鑑定はことほどさように、買い手と売り手の鑑定、つまり、雇われた不動産鑑定士の判断が大きく食い違うのである。

 橋下知事は、意図していたのか否かは定かではないが、WTC買収話を突然に持ち出すことによって、そして、経済団体のお墨付きをもらうことによって、大阪市からすべての交渉手段を奪ってしまったのである。ここからも、関西州に向かう橋下府政の強引な手法を見て取ることができる。

 WTCビルは、一九九五年に総事業費一一九三億円も投じて完成されたものである(『朝日新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。これが、〇八年八月の橋下知事の構想によって、わずか一〇%の一〇〇億円前後で売却されてしまうのである。そして、こうした状況下では、大阪府が買収しなければ、それこそ、WTCビルは二束三文で、買い叩かれてしまうことになる。

 橋下知事が提出した議案は、WTCビル購入費一〇三億四二〇〇万円を盛り込んだ〇九年度一般会計補正予算案と、移転条例案の二つ。一般会計補正予算案は、出席議員の過半数、移転条例案は三分の二の賛成が必要である。

 府議会の会派は、知事与党である「自民党」が四九人、同じく与党の「公明」が二三人である。野党は、「民主」二四人、「共産」一〇人、「府民ネットおおさか」三人、「豊中ネット」一人、「社会民主党クラブ」一人、「フロンティア大阪狭山」一人である。つまり、知事与党が七二人、野党が三九人である。この配置では、与党全員が賛成しても、三分の二には届かない。

 『讀賣新聞』(二〇〇九年三月一〇日夕刊)が、WTC移転に関する大阪府議の賛否を、〇九年二月一九日~三月一〇日までに実施した聞き取り調査の結果を報告した。それによると、「自民」四九人のうち、賛成の意思を表明したのは、半数以下の二二人しかなかった。そして、与党のはずの「公明」は二三人中、わずか一名しか賛成していなかった。「民主」からは一名の賛成表明があった。

 反対は、「自民」一三人、「民主」一六人、「共産」一〇人(全員)と、三九人であった。三九人というのは、府議の三分の一を超える。この反対票が切り崩されないかぎり、WTC移転は不可能となる。態度未定と回答拒否は四三人であったが、この層が全員賛成に回っても移転法案は成立しないことになる。最終的な決定は、〇九年三月二三日の本会議でおこなわれる。

 「民主党」は、平松・大阪市長の与党であり、府によるWTC移転によって、大阪市が最悪の状態から脱することができるとの受け取り方をすれば、本会議では賛成に回る可能性も強かった。

 〇九年三月一六日時点では、橋下知事は、WTCへの移転を白紙撤回する可能性も見せていた。

 府議会では「府庁移転は遷都に匹敵するような重要な問題だ」などという意見があり、この府議会で早急に結論を出すべきでないとの声もあがってきた。大阪市長側も結論を大阪府が早期に出すことを要請し、府への売却にためらいが生じていた。大阪市長が結論を急ぐ背景にはWTCの処理を急ぐからである。「大阪市特定団体再建検討委員会」が〇八年二月にまとめた案によると、現状では二〇一〇年度には資金ショートする恐れがあり、法的整理や民間への売却、大阪市による買い取り策などが示された。既述のように、〇四年の「株式会社大阪ワールドトレードセンタービルディング」、大阪市、債権者(金融機関)の間で特定調停による合意があり、再建が進められていたが結局、ふたたび破綻する危機を迎えている。

 〇九年三月五日に配信された知事のメールマガジン「維新通信」では「大阪の将来像をどう描いていくかという非常に大きな問題です。各会派の代表質問では、議員の皆さんから様々な鋭いご指摘を受けました」、「大阪市との連携はもちろん、経済界や国をうまく巻き込みながら、大阪全体が発展できるよう、府民の皆さんにとってベストな結論が導き出されればと思います」などと意欲をのぞかせたが、現実には移転決定に必要な府議会の三分の二以上の賛成を得られるかは混沌としていた。大阪市にとっては結論を急ぐ必要があるが、府の立場では今府議会でどうしても決着をつけなければならないというわけではない(山本ケイ、〇九年三月七日、http://www.news.janjan.jp/government/0903/0903078879/1.php)。


 


(1) WTCと一口に表現されているが、厳密には、「大阪ワールドトレードセンタービルディング」のことを指す。大阪市住之江区南港北にある高さ二五六メートル、地上五五階・地下三階建ての超高層ビルで、愛称は「コスモタワー」。World Trade Centerの頭文字から取った略称「WTC」または、愛称とあわせて「WTCコスモタワー」と呼ばれることも多い(ウィキペディアより、詳しくは後述)。

(2) 大阪市の第三セクター、WTCを大阪府が買い取り、府庁機能を移転するという橋下徹知事の構想。WTCは二〇〇九年度中に二次破綻するのが確実で、府が移転するには必要などハードルが多い。WTCには、大阪市の本庁機能を移す構想はあったが、府庁移転構想が本格的に検討されるのは初めて。府庁が市の第三セクター所有のビルに移るというアイデアは唐突なイメージがあるが、将来の関西州を見据えた州都庁舎にしようというのが、橋下知事の構想である。二〇〇九年現在、WTCの七割は市関連部局が占めるが、この引越し先も、隣にある同じく大阪市の第三セクター、「アジア太平洋トレードセンター」(ATC)の空きスペースの利用も可能でベイエリアに行政機能を集約することもできるというのが、推進派の考え方である。

 市はWTCが二次破綻した場合、金融機関の債権に五〇五億円の損失補償(後述)をしており、一〇〇億円前後の売却など焼け石に水である。さらに府が買い取った場合、現在WTCから入っている年間五億四七〇〇万円(〇七年度)の固定資産税収入がなくなることも問題である(http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080805/lcl0808050130000-n2.htm)。


野崎日記(160) 道州制(2) 橋下大阪府政と関西州(2)

2009-05-19 07:07:16 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  一 WTCの泥沼



 もともと、府庁舎については、一九八九年に建て替えが計画されたのが、財政危機の中で凍結されていた。そして、〇六年、現庁舎の耐震診断があり、上町断層などの地震に対して、現庁舎は、「耐震性がきわめて悪く、大規模地震により倒壊する危険性が高い」と判定された。

 そこで、WTCへの府庁移転が喧伝されるようになったのだが、この地もまた、大地震に関しては危険な個所である。この地は、大阪湾の埋立地であり、震災時に非常事態の役割をはたすには、現庁舎よりも不利な条件となる。この地は、大地震時には機能不全になる危険性がきわめて高い。

 この埋立地に内陸から接近するには、橋と海底トンネルを使うしかない。大阪府の地域防災計画では、震度六弱以上で府職員は府庁舎に参集しなければならないことになっている。しかし、震度五以上、「地下鉄中央線」も、「ニュートラム」も、「阪神高速」も、「咲洲海底トンネル」も、すべてが停止することになっている。これでは、新庁舎が震災の緊急時に機能をはたすことはまずできない。しかも、移転先のWTCビル自体が耐震補強に多額の費用をかけねばならないことが、移転計画発表後に明らかになった。

 耐震補強費を加味した整備費支出は、現庁舎の補修費一四二億円に比べて、WTC移転では、二五〇億円前後になる見通しである。移転にさいしては、現庁舎の跡地四・三ヘクタールを坪単価、三五〇万円以上で売却する目算であるが、昨今の大不況下では、目標達成はほぼ不可能であろう。

 しかし、「関西経済連合会」の下妻博会長は、〇九年一月六日の年頭記者会見で、関西圏の高速道路網整備のうち、大阪市北区と大阪府門真市をつなぐ「淀川左岸線延伸部」など、未着工区間の建設促進に向けて、地元自治体や経済界でつくる協議会を設立する考えを明らかにした。建設促進の対象は、「淀川左岸線延伸部」(延長約一〇キロメートル)のほか、「新名神」の未着工部分(延長約三五キロメートル)、「大阪湾岸道路西伸部」(延長約二一キロメートル、「名神湾岸連絡線」(延長約四キロメートル)の計四か所で、総延長は約七〇キロメートルにもなる。これらの未着工区間の建設が進捗しないのは費用負担に難色を示す自治体が多いからである(『産経新聞』二〇〇九年一月一〇日付)。

 「阪神高速二号淀川左岸線」の延伸工事だけで総事業費四〇〇〇億円ほどかかると算定されている(http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/toshikeiei/s_kaigi/pdf/2007_08_29.pdf)。しかし、「阪神高速道路」は、一九九八年をピークに交通量は減少傾向をたどっている(http://www.rtp.co.jp/gyoumu/road/prediction.html)。

 一九九四年、「アジア太平洋トレードセンター」(ATC)がオープンし、その翌年の九五年四月、「WTCコスモタワー」がオープンしたがいずれも失敗した。橋下知事は、これら施設が立地する「南港コスモスクエア地区」が失敗したのは、交通網などのインフラが伴わなかったからだとして、上記の高速道路網のいっそうの促進を促しているが、現実には、インフラよりも、需要予測に問題があったのである。

 一九八五年、「夢洲・舞洲・咲洲を開発して定住人口六万人・就業人口四万五〇〇
〇人の新都心を作る」
として策定した大阪市の「テクノポート大阪計画」について、平松邦夫・大阪市長が、〇八年九月一九日の記者会見で、この「計画を終焉させる」と明言した。この計画は、五輪誘致をにらんだ構想であったが、需要予測の完全な失敗であった。そのうえで、東アジアや南アジアとの交易拠点としての、ATCやWTCのある咲洲地区の開発に振り返ると話したが、具体策はなにも示さなかった(『産経新聞』二〇〇八年九月二〇日付)。

 そして、橋下知事は、〇九年二月二四日開会の二月大阪府議会に、WTC購入費など一〇五億二〇〇〇万円を計上した二〇〇九年度一般会計補正予算案を提出した。補正予算は、大阪府と大阪市が共同で実施したWTCの建物と土地の鑑定額九九億一〇〇〇万円に、消費税や防災行政無線の再整備事業費などを加えた額である。

 財源確保のために、約五一億円六八〇〇万円の府債を発行するほか、「公共施設等整備基金」(9)から五二億六二〇〇万円、「財政調整基金」(10)から九〇〇〇万円を取り崩すことになっている(『西日本新聞』二〇〇九年二月一四日付)。

 移転先のWTCビルの耐震補強工事に一八億五〇〇〇万円かかる。それに、大阪市の部局の移転費用三〇億円は大阪府が負担する。WTCビルは、日本で第三番目、二五六・〇メートルの高さがある。第一番は、「横浜ランドマーク」(二九五・八メートル)、第二番は、「りんくうゲートタワー」(二五六・一メートル)である。

 WTCは、大阪市が関与する第三セクターであり、これもずっと赤字であったが、大阪市が部局を入居させるなどの支援をしたり、特定調停(11)による事業継続に努力してきたが、もはや継続は困難な事態に追い込まれている。

 WTCの運営会社は、「大阪ワールドトレードセンタービルディング」である。そして、ビルを売却することは、会社を解散させることを意味している。

 WTCも、民間に売却されるのなら、そうした運命をたどるはずであった。その意味では、大阪市は大阪


野崎日記(159) 道州制(1) 橋下大阪府政と関西州(1)

2009-05-17 06:55:59 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 はじめに


 橋下徹・大阪府知事と平松邦夫・大阪市長が、二〇〇八年八月五日にWTC(ワールド・トレード・センター)(1)への大阪府庁移転(2)について会談した。橋下知事が働きかけた会談である。WTCとは、大阪市が大口株主として経営に参加していた第三セクター(3)である。

 橋下府知事が府庁のWTC移転を言い出したのは、震災に弱いと判断された現府庁舎の耐震補強工事をするよりも、WTCを買収して、そこに移転する方が費用的に安くつき、財政危機に喘ぐ大阪府としては最適だと判断したからであると、知事自身が建前的に説明している。

 しかし、本音は、かねてより関西財界の主導者たちが求めてきた関西州(4)の州都にするためであろう。すでに破綻してしまっている大阪湾岸(ベイエリア)開発(5)や、そのインフラとしての高速道路建設、鉄道新線建設を推し進めたいという関西財界の要望を実現させるというのが、府庁のWTC移転の確かな意図である。

 事実、橋下知事は、WTCの展望台に立って、「ここで関西を見渡して物事を考えれば、すばらしい行政施策が出てくる」、「州都を視野に入れた場合、淀川左岸線延伸は絶対に必要」と言い、〇八年九月の府議会では、WTCのある南港(6)の人工島・咲洲(さきしま)(7)地区を、「産業集積が進む大阪湾ベイエリアの中心。関西空港と神戸空港のほぼ中間点で、関西の各エリアを結ぶ高速道路ネットワークの結節点」として表現し、さらに、〇八年一一月の記者会見では、ベイエリアを核とする「新
都心構想」を発表した。

 大阪湾を取り囲むベイエリア地区とは、西側から順に、姫路を中心とした播磨工業地区、神戸を中心とした阪神工業地区、そして尼崎と大阪を中心にして、東側の三重県の新興工業地区、南側の和歌山・岸和田・堺の工業地区を抱えるものである。つまり、ベイエリア地区開発とは、太平洋経済圏に向かう物資・サービスの結節点と
して大阪を育成しようとする巨大なプロジェクトである。

 しかし、それは、大阪市の主導性を否定し、大阪府を指揮者とする関西州実現に向かって大阪市を従属させようとする意図をも持っている。

 「現在は南北の御堂筋が大阪の中心だが、主軸を西に広げたい」と、上記の記者会見で、「なにわ筋線」の新設、西梅田と十三(じゅうそう)を結ぶ地下鉄新設、「京阪中之島線」の延伸などの構想を語った橋下府知事の念頭には、大阪市の主導権などまったくない。行政責任から見れば、これらはすべて大阪市が受け持つ範囲であるはずである。ここに、橋下知事の姿勢が如実に表れている。それは、大阪市やその他の府下市町村は、大阪府の指導に従えという居丈高なものである。

 そして、〇九年二月一九日、橋下知事と平松市長が府庁のWTC移転に関する基本的合意が成立した。待ってましたとばかり、「社団法人・関西経済連合会」、「社団法人・関西経済同友会」、「大阪商工会議所」の大阪の経済三団体が、これを歓迎する「緊急アピール」を発表した。以下、個条書きで要約する。


 ①〇九年二月一九日、大阪府知事と大阪市長が共同で関西州を見据えた「都市構想」(案)を発表した。

 ②経済三団体は、「大阪府・大阪市連携」を意欲的な挑戦として高く評価する。


 ③大阪・関西の発展の起爆剤として大阪府庁のWTC移転を支持する。移転は、大阪・関西全体の「新たな発展軸」の形成に寄与する。

 ④WTC移転は、府の財政負担がもっとも小さく、WTCの早期処理など行財政改革の意味から最善の案である。

 ⑤大阪府知事と大阪市長は、リーダーシップを発揮し、残された課題の解決について全力をあげていただきたい。


 ⑥大阪府、大阪市は共同して総合的な「都市構想」を策定すべきであるのに、今般合意された都市構想は、ベイエリア地区と大阪城周辺地区のみが触れられているにすぎない。今後、大阪府、大阪市は共同して、両地区との整合性をとって、梅田北ヤードをはじめとした大梅田地区、中之島地区、阿倍野地区、彩都(8)などを含めて、東西軸と南北軸を包含した総合的な「都市構想」を策定すべきである。

 ⑦経済界は「都市構想」の策定に協力する。大阪府、大阪市が共同して総合的な「都市構想」の策定に取り組むことに対して、経済界は、議論への参画など、応援、協力していきたい(http://www.osaka.cci.or.jp/chousa_kenkyuu_Iken/Iken_youbou/apl090219.pdf)。

 自治体が、大阪の再開発に邁進すべきであるというのは、関西財界のかねてからの念願であった。〇四年(平成一六年)三月一日、「関西経済連合会」の当時の秋山喜久会長が、記者会見で、大阪市の担うべき課題として、市庁の移転の必要性を次のように語った。

 「大阪市役所の土地、建物を売却し、市の中枢機能を南港のWTCなどに移して、南港周辺を吹く都心として整備する。大阪・淀屋橋の一等地にある市役所を民間に売却して、市役所に接する御堂筋を活性化するとともに、売却益を大阪市の第三セクターの負債に充てることを考えてみてはどうか」(http://hirosec.iza.ne.jp/blog/entry/672217/)。

 第三セクターである「WTCの救済ありき」という意図をこの発言が秘めていたことは明らかである。「関経連」にとって、それを実行するのは、大阪府、大阪市のいずれでもよかったのである。第三セクターで完全に行き詰まった大阪市から大阪府に実行主体を変えさせるというのが、「関経連」の意図である。

 事実、橋下知事は語った。

 「関空に降り立ったとき、空港のすぐ前面にWTCがそびえ立っている。それが関西州の州都だという光景は非常にすっきりする」(上記、http://hirosec.iza.ne.jp/blog/entry/672217/)。

 まさに、関西州を目指す象徴的存在としてWTCが知事の脳裏を支配していることは間違いない。一九二六年に完成した府庁本館は、老朽化が進み、震度六以上の地震で倒壊の恐れがあると指摘されたことが、知事には奇貨であった。


野崎日記(158) 新しい金融秩序への期待(158) クレジット・デリバティブという怪物(15)

2009-05-16 07:10:47 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

(24) 対象資産が毀損・消滅した場合や、対象資産が下落した場合などには、投資家に対する元利金の返済ないし償還が困難になる怖れがある。このことに備えて、投資家が許容するリスク水準に応じて、対処資産の信用力を部分的に補完し、投資家に対して当初の契約どおりに元利返済ないし償還される可能性を高める措置を「信用補完措置」いう。信用補完措置には、①優先劣後構造、②超過担保、③スブレット・アカント、④キャッシュ・コラテラル、⑤第三者の保証・保険などがある。①の優先劣後構造については、本文で説明したので、それ以外を説明する。②超過担保とは、SPVが調達する資金の額を超える額の資産を、SPVを作った本体(オリジネーター)からSPVに譲渡することをいう。超過部分については、オリジネーターがSPVに対して延払債権を計上することになる。予想どうりにキャッシュ・フローが生じなかった場合のリスクを延払債権相当額にて吸収することになるから、投資家から調達した資金の元利払の確実性が高まることになる。③スブレット・アカントとは、対象資産から生じるキャッシュ・フローから投資家に弁済する元利金その他の経費を控除した残金を、SPVの現預金として積み立てておくことをいう。④キャッシュ・コラテラルとは、SPVが調達した資金の全部を対象資産の代金としてオリジネーターに支払うのではなく、その一部をSPVの預金とするなどにより、現預金をSPVに留保することをいう。⑤第三者の保証・保険としては、銀行による保証や損害保険会社による保険などがある(http://www16.ocn.ne.jp/~ino/page005.html)。

(25) 債券に支払われる利息のことを、クーポンあるいは利札(りふだ)という。クーポン付きの債券を「利付債」、クーポンのない債券を「割引債」(ゼロ・クーポン債)という。利付債は、毎年決まった時期(半年ごと)に利息が支払われる債券。クーポンによる利息収入を「インカムゲイン」という。債券本体にクーポンという小紙片が付されていて、支払われる利息の金額と利息の支払い年月日が記載されている。クーポンにはミシン目が入っていて、切り取れるようになっている。このクーポンと引換えに利息が支払われる。例えば、一〇年物の国債であれば、利息は、年二回、半年ごとに支払われるので、国債の本体に二〇枚のクーポンが付いている。利付債には、固定利付債券と変動利付債券がある。固定利付債券は、利率は変動しない。変動利付債券は利率は変動する。割引債(ゼロクーポン債)は、額面より少ない金額で発行される債券。つまり、額面金額に対して割引した金額で売り出される債券という意味。一般に、額面と購入価格の差額から、購入時の単価よりも売却時の単価が高いことによる利益をキャピタルゲイン(償還差益)、購入時の単価よりも売却時の単価が低いことによる損失をキャピタルロス(償還差損)という。海外では、割引債のことをクーポン(利息)がゼロの債券であるところから、「ゼロクーポン債」と呼んでいる(http://www.findai.com/yogo/0209.htm)。


野崎日記(157) 新しい金融秩序への期待(157) クレジット・デリバティブという怪物(14)

2009-05-15 07:07:08 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 (19) ランズバンキ銀行はアイスランド第二位の銀行であった。〇八年一〇月七日の国有化と同時に、アイスランド政府は、同行系列のネット銀行アイスセーブ(Icesave)の口座を凍結。アイスセーブには三〇万人の英国民が四〇億ポンドを預金していた。英国のブラウン首相は「アイスランド政府はアイスランド国民だけでなく、英国までも裏切った」と発言し、翌八日、英国民の預金保護を目的として反テロ法を引き合いに出し、ランズバンキ銀行を含む英国内のアイスランド系銀行全ての資産を凍結した。金融危機後アイスランドはロシアに資金提供を求め急接近しており、英国の迅速な対応は、ロシアを嫌悪する英国の思惑もあるとされる。

 アイスランドは〇八年一一月一六日、EUの一部加盟国と、これら諸国の預金者がアイスランドの銀行の凍結口座に保有する預金の返還方法で合意した、と明らかにした。これを受け、滞っていたアイスランドへの数十億ドル規模の資金援助が動き出した。EU非加盟のアイスランドと、加盟国の英国とオランダとの凍結口座をめぐるあつれきにより、アイスランドへのIMF主導の最大六〇億ドルの資金援助は遅延していた。アイスランド政府は声明で「合意したガイドラインに従い、アイスランド政府は欧州経済地域(EEA)法に準拠し、アイスセーブ口座の被保険預金者の預金を保証する」とし、今後の協議はこの「共通の理解」に基づく、と述べた。アイスランドの政府報道官によると、EEA法は、リテール、およびホールセール預金者ともに一口座につき約二万ユーロの支払いを受ける権利を有すると規定している(http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-34937720081116)。

(20) カウプシング銀行は、アイスランドで最大の銀行であり、一時、時価総額は北欧で七番目の規模を誇っていた。国外においてもノルウェーなどの北欧諸国や米、スイス、ベネルクス三国など一三か国で業務を展開していた。〇七年末時点での総資産は、五八〇億三〇〇〇万ユーロであった。〇八年一〇月九日に国有化されたのに、同月一〇月二七日、国有化された銀行としては珍しく債務不履行に陥った。不履行した債券はいわゆるサムライ債(円建て債券)で、金融危機以降、円キャリートレードの巻き戻しによりアイスランド・クローナは日本円に対しては約五〇%下落していた。アイスランドの中央銀行が債務の肩代わりをしなかったのは、クローナ安で膨れ上がった債務支払いに十分な外貨を保有していなかったためだとされる(ウィキペディアより)。

  世界的金融危機の直撃を受け国家破綻寸前とされるアイスランドのグリムソン(Ólafur Ragnar Grímsson)大統領は、〇八年一一月一三日、カウプシング銀行が発行し債務不履行となったサムライ債について、償還は容易でないとの見方を示した。また、行き詰まった金融立国路線に代え、豊富なクリーンエネルギーなどの資源を活用し経済再建を目指す考えを表明した。大統領はアイスランド国内で銀行の株式や債券への投資は保護されなかったことを指摘し、「(日本の債権者は)アイスランド国民が多大な損失を被ったことを理解することが重要」と述べた。カウプシング銀行は〇六年一〇月、五〇〇億円のサムライ債を発行したが、〇八年一〇月末の期限内に利払いせず、事実上の債務不履行となった。〇七年にも三回、計二八〇億円分を発行していた(http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111401000650.html)。

(21) モノラインではサブプライムローン関連が含まれる資産担保証券(ABS)を再証券化した商品ABSCDOのスーパーシニア(最上級格付け)部分に対し、証券会社や銀行を相手に、CDSを使って多くの保証をおこなった。だが、ABSCDOの格下げに伴い、保証しているモノラインの財務にも不安が高まったとして、格付け会社がモノライン自身の格下げを実施した。確実な金融保証をおこなうために、モノラインの経営はトリプルA格付けの維持が前提とされている。格下げとなれば、保証をより確実にするために担保を差し出す必要が生じる。その事態が大量に発生し、モノライン危機が高まった。また、AIGは、子会社のAIGFP(AIG Financial Producs)がモノラインと同じ業務をおこなっていた。〇八年六月末の開示資料では、その想定元本額が四四一〇億ドルと巨額に達していて、ポジションがあまりにも売りに偏りすぎていた。AIGに対する政府融資枠の設定で救われた背景には、CDS市場における存在感の大きさも多分にあったといえるだろう(「AIGを押し潰した”CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)”のカラクリ」〇八年一〇月九日;(http://www.toyokeizai.net/business/international/detail/AC/9d9bb1f676f7e62135444e3f6f6f9dbb/)。

(22) SPV(Special Purpose Vehicle)とは、匿名組合や特定目的会社等のように自らは利益獲得などの目的を有することなく、単に投資家からの資金調達や資産の小口化のための道具立てあるいは器として設立される事業体の総称である。SPVのうち、法人格を有するものはとくにSPC (Special Purpose Company=特別目的会社)とも呼ばれる(http://zai-k.com/2006/01/post_94.html)。そして、SPCとは、金融機関や事業会社が債権や不動産など保有する資産を本体から切り離し、有価証券を発行して資金を調達するために設立するペーパーカンパニーのこと。その多くはケイマンやバミューダなど税制上の優遇措置のある地域で設立されている。特定目的会社とも呼ばれる。SPCは、たとえば、企業等が所有している資産を担保に債券を発行して資金調達する場合などに利用される場合がある。具体的には、資金調達しようとする企業などが担保資産をSPCに一旦譲渡することで、資産を企業から分離し、企業等の倒産リスクから隔離するための役割を担う。金融機関にとっては保有資産を圧縮し、財務体質を強化できるメリットがある。日本では、一九八八年に施行されたSPC法によって、設立が可能となった。二〇〇〇年に証券化できる対象資産を広げる法改正がされ、現在は通常の不動産や企業の売掛債権のほか、ノンリコースローン(返済原資を担保資産に限定する借り入れ)などにも幅広く活用されている(http://m-words.jp/w/SPC.html)。

(23) たとえば、ある格付け会社が、Cypherという会社が発行したシンセティックCDOについて、次のように表現している。「Cypher はシリーズ一〇債券(以下「本債券」)を発行し、投資家より支払われた債券の発行代わり金等で日本国債を購入する」(     http://www.jcr.co.jp/release/pdf/06d511.pdf?PHPSESSID=99a38d664bb8b207c92758e7ae208915)。