消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(316) オバマ現象の解剖(61) レフトビハンド(3)

2010-04-20 21:07:27 | 野崎日記(新しい世界秩序)


二 福音主義者たち


 米国の「福音派キリスト者」(Evangelical Christianity)は、イスラム過激派集団「ハマス」(Hamas)の指導者アハメド・ヤシン(Sheikh Ahmed Yassin)をイスラエルが殺害したことを、イスラエル人自身より強く支持していることが、世論調査で明らかになった。

 ヤシンは、イスラエル人側に死者三七五人、負傷者約二一〇〇人を出させたテロ攻撃を四二五回にわたって指揮したとされている。

 調査は福音派のIFCJ(キリスト者とユダヤ人国際フェローシップ=International Fellowship of Christians and Jews)によって、二〇〇四年三月二二、二三の両日、福音主義者を対象に、インターネットを通じておこなわれたものである。回答者一六三〇人のうち、八九%の一四五七人が、ヤシンを殺すというイスラエルの決定を支持した。反対は四一人(二.五%)、「どちらともいえない」が一三二人(八.一%)であった。

 一方、イスラエル人側への調査は、イスラエル紙『マアリヴ』(Ma'ariv)が受け持った。その結果は、ヤシン殺害支持が六一%、反対が二一%であった。結果は、両者ともに二〇〇四年三月二三日に発表された(「世界キリスト教情報」、第六九三信、二〇〇四年四月五日、http://cjcskj.exblog.jp/m2004-04-05/)。

 EP通信によると、こうした雰囲気を敏感に察知した子ブッシュ大統領は、「全世界反ユダヤ主義認識法」(Global Anti-Semitism Awareness Act)に署名した。この法案は、米議会ではただひとりのホロコーストの経験者、民主党のトム・ラントス(Tom Lantos)議員が提出していたものである。この法律は、国務省が特別コミッショナーを任命して、世界中で反ユダヤ主義の動向を調査させ、年次報告をおこなうというものである(「世界キリスト教情報」、第七二二信、二〇〇四年一〇月二五日、http://cjcskj.exblog.jp/m2004-10-25/)。

 二〇〇四年の大統領選挙ではっきりしたのは、キリスト教のとり込み、とくに福音主義者をとり込めた子ブッシュが、米大統領に再選されたということである。主要な宗教グループのほとんどが共和党を支持した。それまでは民主党の強力な支持層だった黒人プロテスタントにまで共和党は食い込んだ。

 PBSテレビの「週刊・宗教と倫理ニュース」番組(Religion & Ethics NewsWeekly)がおこなった出口調査によると、教会に通う人ほど、子ブッシュに投票し、無宗教の人はほとんどがジョン・ケリー(John Kelly)に投票した。これは前回二〇〇〇年の選挙でも示されていた傾向である。

 「宗教ギャップが一層明確になった。これは今後数年間の米政治の特色になろう」と、アクロン大学(University of Akron)のジョン・C・グリーン(John C. Green)教授が同番組で語った。二〇〇四年の選挙でのブッシュの勝利は、福音派とカトリック信徒を中心にした広範な「宗教連合」(Coalition Religion)の支持をとり付けたことにある。

 さらにブッシュは、福音派だけでなく、主流プロテスタントのとり込みにも成功した。プロテスタントの過半数がブッシュに票を投じた。これも二〇〇〇年のときと同じであった。しかし、実数としては、二〇〇〇年のときよりは微減した。

 大きな変化が起こったのは「黒人プロテスタント」(black Protestant)の動きであった。これまでは、この層には、圧倒的に民主党支持の伝統があった。黒人プロテスタントの一六%がブッシュ支持に回った。これは、二〇〇〇年のときの倍である。

 カトリック票を見ると、二〇〇四年、ブッシュが五二%を獲得、自身がカトリック教徒のケリーは四八%であった。二〇〇〇年の選挙では、カトリック教徒ではない、バプテスト(Baptist)のアル・ゴア(Albert Arnold Gore, Jr.)ですら、カトリック票の半分を獲得し、子ブッシュが四六%であったことからも、二〇〇四年には、カトリックを味方につけたこともブッシュに勝利をもたらした。一週間に一度以上教会に通うカトリック信徒の五八%はブッシュに投票した。ケリーを支持したのは、年間数回しかミサにいかないカトリック教徒だけであった。

 伝統的に民主党支持のスペイン系カトリック信徒の票の五八%はケリーが獲得した。しかし、ブッシュは、ここでも二〇〇〇年の三〇%から二〇〇四年には三九%へと大きく得票を伸ばした。

 同様に民主党の有力基盤であるユダヤ人社会にも共和党が食い込んだ。二〇〇〇年、ブッシュの得票は二〇%であったが、二〇〇四年には二四%に上昇した。

 当然だが、もっとも劇的に変化したのは、イスラム教徒の動向であった。九二%がケリーに投票、ブッシュはわずか六%であった。二〇〇〇年の選挙では、イスラム教徒の大部分がブッシュに投票していたのである。

 「ロナルド・レーガン大統領(Ronald Reagan)が始めた福音派プロテスタントの政治的動員は、この四半世紀に米国の選挙戦に起きたもっとも重要な変化である。信仰者の多くが、自分たちの要求や関心を受け止めてくれる唯一の党は共和党だと見なすようになった」と、クレムソン大学(Clemson University)のローラ・オルソン(Lora Olson)准教授は断言した。

 多くのアナリストが、民主党と宗教界の大グループとの間の溝の大きさを指摘する。

 「米国人の約四〇%が、毎週教会に通うことからすれば、民主党は、その人たちの関心にもっと敏感にならなければ、大統領の選出に苦労することだろう」と、カルバン大学(Calvin University)ヘンリー研究所(Henry Institute)「政治学におけるキリスト教徒」(Christians in Political Science )部門でペッパーダイン大学(Pepperdine University)において、スティーブン・モンスマ(Stephen V. Monsma)が講演した。


野崎日記(315) オバマ現象の解剖(60) レフトビハンド(2)

2010-04-19 21:02:10 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  一 聖書に従う歴史認識


 米国では、「レフトビハインド現象」(Left Behind Phenomenon)と取り沙汰されている現象がある。メガ・チャーチの司祭、ティム・ラヘイ(Tim Lahaye)と有名スポーツ選手の伝記でベストセラーを連発したジェリー・ジェンキンズ(Jerry Jenkins)の共著になる『レフトビハインド』(Left Behind)が空前のベストセラーになり、以後、宗教関係の書物のヒットが相次ぎ、聖書に書かれている通りに歴史は進行するという観念を米国人に植え付けることに、これら宗教本が大きく寄与した。相次ぐ宗教関係のベストセラー(1)、ベストセラーの作り方(2)、キリスト再臨に向けてのキリスト教徒の義務(3)、結果的にそうした集合的力がブッシュ大統領と共和党を支える基盤となっているという現象が「レフトビハインド現象」といわれているものである(4)。

 ベストセラー『レフトビハインド』の第一巻と第二巻の粗筋を説明しておきたい。現在の米国民のかなりの部分を捕らえている観念が、ここには象徴的に示されているからである。話は荒唐無稽のものである。大した内容ではないのだから、一笑して放置しておけばよいものを、ここでわざわざ取り上げるのは、これが、ベストセラーになり、著者が米国大統領、子ブッシュの名代となってキリスト教による外交を展開するだけでなく、聖書が現実の歴史的事件を預言するという観念を米国民に植え付けたことを重視したいからである。

 小説は、経済破綻に苦しむロシアが、繁栄するイスラエルを攻めたが、神の怒りに触れて殲滅されてしまったという書き出しで始まる。以下の叙述は、本章の注(3)を参照しながら読んで頂きたい。

 イスラエルが繁栄するようになったのは、ハイム・ローゼンツバイクというユダヤ人植物学者が開発したミラクル肥料のお陰である。わざわざ灌漑しなくても、ミラクル肥料に水を加えるだけで、砂漠を肥沃な土壌に変えることができるようになったという設定である。この肥料のお陰で、イスラエルの大地には穀物が稔り、穀物輸出によって、イスラエルは、世界有数の富裕国になった。イスラエルは、周囲の石油輸出国よりも豊かになった。世界の国々がミラクル肥料の製法を知りたがったが、イスラエル政府はこの重要機密を外部に公開しなかった。開発者のローゼンツバイクは、外国勢による誘拐を防ぐために、イスラエル政府の厳重な警備体制下に置かれていた。

 ロシアがこの肥料を略取するために、イスラエルに夜襲をかけた。ロシアは核弾頭を装備したミグ戦闘爆撃機や大陸間弾道ミサイルを大量にイスラエルに送り込んだ。奇襲はロシア版パールハーバーと呼ばれた。誰もがイスラエルは瞬時に破壊され尽くすだろうと覚悟した。

 しかし、奇跡が起こった。戦闘機やミサイルのことごとくが空中で爆破されて、建物の上でなく、空き地に、墜落して炎上した。これは、イスラエル軍のミサイルで打ち落とされたものでなく、神の御業によるものであった。地上が燃え盛り出したとき、大きな霰が、降ってきた。それで地上の炎熱地獄が解消され、つぎに雷鳴とともに激しい雨が降ってきた。それによって、火災は完全に収まった。ロシアの戦闘機とミサイルは一機残らず壊滅した。ロシア人の死体とともに、エチオピア人、リビア人の死体も混ざっていた。これはロシアが中東諸国と同盟を結んでいたことの、なによりの証拠であった。しかし、イスラエル国民はかすり傷一つ負わなかった。

 戦闘機の残骸の中に残された燃料は、イスラエルの六年間分の燃料に匹敵するものであった。死体はハゲタカの餌食になった。疫病の蔓延を防ぐために、死体は急いで大きな墓に埋められた。これは、聖書の言葉を基に作り出された荒唐無稽な小説である。

 ここに、「レフトビハンド現象」が集約されている。米国人の心理を脅かす国際的なテロリズムが存在する現実を前にして、米国人には強烈な仮想敵国への憎しみの感情がある。中近東諸国に追いつめられている(と見なす)イスラエルへの連帯感がある。荒唐無稽なこの種の小説のシナリオが「あり得る」という感情を米国人の多くが持つ。そうした感情に訴えたのがこの小説である。現在の眼前で展開されている恐怖は、すでに、聖書、とくに「黙示録」で預言されていたものである。預言通り、歴史は進行している。米国人よ、そして、米国を中心とするクリスチャンよ、いまこそ、悪と闘う正義の戦争に立ち上がろうと、この小説は米国人に呼びかけている。

 ロシアの攻撃が神によって封じ込まれた後、一瞬のうちに、敬虔なクリスチャンたちがこの世から消え去った。いわゆる「携挙」(The Lift)である。取り残された者たち(レフトビハインド)は、そのために、世界中で大混乱に陥った。

 「反キリスト」のルーマニア人、ニコライ・カルパチアが、一夜にしてルーマニアの大統領になり、その後、日をおかずして国連事務総長に、世界の国連大使の満場一致で推挙された。彼は、国連の公用語をすべて話し、世界統一政府を作るために、各国がそれぞれの保有武器の九割を廃棄し、一割を国連に供出し、国連の本部もイラクのバグダッド近郊のバビロンに移し、その地をニュー・バビロンと呼ぶという大構想を掲げて、国連事務総長の地位を得たのである。

 小説は、「黙示録」の文言を忠実になぞりながら、ストーリーを展開し、さりげなく、父ブッシュ(George Herbert Walker Bush)を褒め、通貨統合、環境保護、世界政府を唱える勢力を「反キリスト」として断罪していく。恐怖を煽り、米国に反対する世界の「反キリスト」をクリスチャンの米国人は打倒しなければならないと、保守的心理を強めている米国人に、正義の戦争へ参加するように、煽るのである。ちなみに、恐怖、災害、新自由主義のイデオロギーとの相乗作用を批判的に描いたのが、ナオミ・クライン(Nomi Klein)である(Klein[2007])。

 世界最大の金融業者の主導者の力を背景に、瞬く間に国連事務総長の地位も手に入れた白馬の騎士、カルパチアは、イスラエルと七年間の平和協定を締結し、イタリアに世界統一宗教を設立させた。バビロンは、金融王からの膨大な融資で都市開発がおこなわれ、ニュー・バビロンとなった。国連事務総長就任演説で、カルパチアは世界共通言語、そして世界統一政府の建設を宣言した。

 そして、カルパチアは、国連事務総長としての披露の席で、恩人の金融王を、多くの人が見ている前で射殺した。さらに、臨席者たちの記憶を改造して、世界の金融王者が自殺したと思い込ませることに成功した。居合わせた人のうち、小説の主人公になる、世界的ジャーナリストのキャメロンだけは、神に祈っていたので、そうした催眠術にはかからなかった。このことが、キャメロンをしてカルパチアとの闘争を決心させた。

 国連事務総長になり、イスラエルの神殿建設を支援し、ミラクル肥料の開発者の斡旋もあって、イスラエルのミラクル肥料を自由に利用できる権利を得たカルパチアにとって、金融王は邪魔になったのである。しかも、金融王の遺産相続者は、カルパチアだけであった。こうして、彼は、世界の金融も支配することに成功する。彼は、現代の救世主として世界中の人々から称賛を受けるようになる。携挙があって、わずか一か月後である。まさに、聖書の預言通りであった。

 カルパチアこそは、「反キリスト」だと喝破したのが、ニュー・ホープ・ビレッジ教会のブルース・バーンズ牧師であった。携挙を自ら操縦する飛行機の中で目の当たりに見、妻と息子を携挙された機長のレイフォードと、その娘、クローイ、そして、ジャーナリストのキャロルが「反キリストへの戦い=大艱難に抗する戦士」(トリビュレーション・フォース)として立ち上がることを約束する。キャロルは、イスラエルを攻撃したロシアの戦闘機が一瞬のうちに炎上した事件の目撃者でもある。

 イスラエルと七年期限の平和条約に調印した最大の悪魔=反キリストのカルパチアは、国連を「グローバル・コミュニティ」(世界共同体)に変え、世界の武器の一〇%を独占し、世界の金融機関とメディアを掌握し、事実上の世界政府の主権者になっていた。

 イスラエルのミラクル肥料の管理権をイスラエル政府から得たカルパチアは、イスラエルとの和平を条件として、その魔法の肥料を各国に与えた。さらに彼は世界統一宗教の樹立に成功し、自らをメシアとして世界の宗教に君臨するようになった。その上で、イスラエルに、イスラムが占拠する岩のドーム寺院を撤去して、イスラエルの神殿建設に協力するとまでいい切った。米国大統領ですら、カルパチアを世界政府の指導者として宣言させられてしまった。

 しかし、米国大統領は、すぐさまカルパチアの偽物性に気づき、カルパチアが滞在していたワシンントンのホテルをミサイルで爆破した。難を逃れたカルパチアは、報復として米国の主要都市を攻撃し、米国と同盟していた英国とエジプトにもミサイルをニュー・バビロンから撃ち込んだ。ここに、第三次世界大戦が始まった。二番目の赤い馬に乗った戦争がやってきたのである。イラクに設立されたニュー・バビロン(世界政府の首都、しかもイラクにある)が米国民にとっての主要な敵になる。

 「嘆きの壁」で聖書の預言通り、イエスこそが真のメシアであると説く二人の証言者が、メシアはまだ生まれていないというユダヤ教を非難し、すでにイエス・キリストがメシアとして降臨されていた事実を認めよと説く場面が、小説には出てくる。つまり、カルパチアはメシアではないと人々に訴えていたのである。証言者たちは、ヘブライ語で話しているのに、ヘブライ人以外には、自国の言語で聞こえるような話し方をしていた。米国人には英語で聞こえるように、スペイン人にはスペイン語で聞こえるように説教した。

 これら証言者たちに、自動操縦をもったひとりの若者が襲いかかる。そこでは、イスラム教徒への剥き出しの憎悪が記される。

 「金のネックレス、もじゃもじゃの黒い髪と髭。凶悪なその両目をかっと見開くと、男は空に向かって二、三度、発砲した」。

 男は、まっすぐに証言者たちに向かって進み、自らをアッラーの使者だとわめいた。発砲しているのに、二人の証言者には弾丸が当たらず、二人はどしっとして動揺しなかった。接近したとき、男は透明の壁に跳ね返されたように、体が後ろに飛ばされ、男の頭が潰された。証言者の一人が口から火の柱を吹いた。男は瞬時に黒こげの骸骨になってしまった。銃は熔け、金のネックレスも滴になった。

 イスラムへの憎悪は、ユダヤの伝説の中にもあると小説は紹介する。ユダヤ民族には、この世の終わりのとき、エリヤがユダヤの民を、東の門から神殿に導き、ユダヤの民に勝利を与えるという伝説がある。しかし、司祭であるエリヤは、墓地を通れば汚れて神通力を失う。それを知ったイスラム教徒たちが、エリヤの進路に墓地を作ったといういい伝えがそれである。

 カルパチアは、ユダヤ教の最高権威者のシオンというラビに、イエスではなく、カルパチアがメシアであると証言させたく、金と権力を駆使して自らの膝下に完全に掌握したメディアの前で語らせた。

 しかし、ラビのシオンは、カルパチアがたんなる政治的指導者であって、メシアではないと証言してしまった。そのさい、小説では、シオンに、イスラエルの地が、なににも増して尊い聖地であることを、熱っぽく語らせている。つまり、米国人の福音派に対して、イスラエルは、他の国と同じ扱いをされるのではなく、特別の国、特別の地であることを掻き口説いているのである。

 シオンによれば、アダムの罪深い種を受け継ぐ男子の種によってではなく、処女からしか、メシアは生まれない。メシアを生む処女は、しかし、イスラエルの父祖の血を受け継ぐものでなくてはならない。預言者ミカが説いたように、ユダヤ人の中でもベツレヘムのエフラテ族からしかメシアは生まれない、等々のことを、シオンは強調した。
 イエスが七年後に再臨されるが、それまでは苦しみの日々が続くとの言葉でシオンはテレビでの演説を終えた。それは、カルパチアへの明確な反抗声明であった。

 カルパチアを偽物だと見破っていたブルース・バーンズが「トリビュレーション・フォース」(艱難期に反キリストと戦う部隊)を組織した。件のシオンもその戦列に加わる。嘆きの壁の二人の証言者もシオンと行動を供にすることになった。彼らの説教を聴きにくる群衆が日を追って激増した。

 このようなシナリオで構成されるこの小説は、メガ・チャーチの自己宣伝の書となっている。つまり、世界政府、世界宗教を樹立するという輩はキリストの敵である。彼らとの闘いで宗教の側から立ち上がっているのが、メガ・チャーチである。正しいことを話すから、教会はこのように多くの信者を抱える巨大なものに成長した。巨大に成長したことこそが、メガ・チャーチの正しさの証左である。そして、メガ・チャーチはユダヤ教を敵に回すのではなく、その良心分子を見方に惹き付けることに心がけている。なぜなら、イスラエルはメシアを生んだ聖地だからである。イスラエルを攻撃する国の人々は反キリストである。彼らは、正義を叩き潰そうとする悪魔たちであるということになる。宗教国家の米国民の心を掴むメガ・チャーチの仕掛けが、この小説には施されている。

  メガ・チャーチを押し立てて、反キリストから聖地イスラエルを守ろう。イラクに拠点を置く悪魔を葬り去ろう。「トリビュレーション」時代を米国民は率先して戦おう。こうした荒唐無稽な話に米国人の多くが陶酔するようになってしまった。


野崎日記(314) オバマ現象の解剖(59) レフトビハインド(1)

2010-04-18 20:51:30 | 野崎日記(新しい世界秩序)


終章 イラク攻撃に向けて作られたレフトビハンド現象


 はじめに


 USTR(米通商代表部=United States Trade Representative)が毎年の春に発表する『外国貿易障壁報告』(National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers =NTE)が、米国の通商政策の強力な武器であることは、つとに知られている。しかし、外交政策についても、『世界の宗教の自由に関する年次報告書』(Annual Report to Congress on International Religious Freedom)があることは意外に知られていない。米国にとってのやっかいな国を、米国政府が威嚇する手段として、この報告書が使われているのである。この報告書は、米国防省(U.S.Department of State)によって毎年発行されている。

 たとえば、二〇〇五年一一月に出された報告書は、世界一九七か国の宗教の自由に関するものであった。二〇〇五年版で七回目の年次報告書になる。毎年、七月から翌年六月までを調査対象期間にしている。

 二〇〇五年の報告書は、ミャンマー(報告書ではBurmaと表記されている)、中国、エリトリア(Eritrea)、イラン、朝鮮(North Korea)、サウジアラビア、スーダン、ベトナムの八か国を「とくに懸念のある国」(Countries of Particular Concern)に指定して、状況の改善を強く求めている。『外国貿易障壁報告書』で指定された国には、「通商法スーパー三〇一条」を発動して経済制裁が科されるのと同様に、『世界の宗教の自由に関する年次報告書』で「懸念のある国」に指定されると、経済を含むあらゆる政策への圧力が科されるのである。

 報告書は、朝鮮について、弾圧が続き、事態が悪化しており、「宗教の自由は存在しない」と指摘した。対テロ戦争の同盟国であるサウジアラビアに関しても、宗教的自由の法的保障がまったく存在しないと断言し、政府が公認した宗派以外のものに対する宗教警察の摘発も増えていると指摘した。

 当時のコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)国務長官(Secretary of State of U.S. Dept. of State)は、二〇〇四年に、法律や政策を修正して、宗教の自由を尊重することを目指す措置をとった国もあるとし、ベトナムなどは、このまま改善が進めば、近い将来指定を撤回する可能性があることを示唆した(「世界キリスト教情報」、第七七六信(週刊・総合版)、二〇〇五年一一月一四日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-11-14/)。

 サウジアラビアが「懸念のある国」に指定されたのは、二〇〇四年が最初である。これは、対イラク戦争面でサウジアラビアを特別扱いされているのではないかとの世論に配慮したものであろう。

 二〇〇四年の年次報告書も紹介しておこう。それは、二〇〇四年九月一五日に発表された。

 宗教弾圧をおこなっている「とくに懸念のある国」には、二〇〇三年に引き続いて、朝鮮、中国、ミャンマー、イラン、スーダンの五か国が指定され、さらに、二〇〇四年にサウジアラビアとベトナム、エリトリアが新たに加えられ、指定国は計八か国となった。

 また、イラクについては、二〇〇三年版では「とくに懸念のある国」に指定されていたのに、この年、米軍によるイラク占領が実現し、米国が事実上管理する暫定政府ができたことから、イラクには状況変化があったとして、二〇〇四年版では指定が解除された。

 さらにこの年、ラオスとキューバが、「宗教的信条、活動を統制しようとする全体主義、独裁主義」(Totalitarian or Authoritarian Actions to Control Religious Belief or Practice )の国とされた。

 サウジアラビアは、米国にとって、対テロ戦の遂行上もっとも重要な中東の主要同盟国ではある。しかし、政府が認めたイスラム教の宗派しか宗教活動ができないうえ、モスクでは、政府に雇われているイスラム教指導者たちがユダヤ教やキリスト教を攻撃していると、報告では非難された。ただし、石油利益のためにサウジアラビアを大目に見ているという批判を回避する狙いがあって「懸念のある国」に指定されたのであるが、実際には、なんらの制裁も科されていない。

 ベトナムについては、政府が宗教活動を管理し、一部のキリスト者や仏教徒の活動を厳しくとり締まっていると指摘された。

 気功集団「法輪功」や新疆ウイグル地区のイスラム教に対する中国の強圧政策も批判されている。

 朝鮮については、報告書は「キリスト者が投獄、拷問され、生物兵器の実験の対象にもなっている」とする脱北した人権活動家の証言を掲載した。しかし、そうした証言の信憑性を裏付ける根拠は、明示されなかった。

 米国には、宗教担当大臣(Ambassador at Large for International Religious Freedom)がいる。二〇〇四年当時の担当大臣は、ハンフォード(John V. Hanford, III)であった。彼は、年次報告書発表の記者会見で、「世界では、宗教的理由で投獄されている人がもっとも多い」と批判した。

 この年次報告書は、一九九八年の「国際的宗教自由法」(IRFA=International Religious Freedom Act of 1998)に基づき、一九九九年から刊行されている(「世界キリスト教情報」、第七一七信、二〇〇四年九月二〇、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-09-20)。

 しかし、ここで、注意されなければならないことは、「宗教の自由」とは、宗教全般のことではないということである。事実上は、キリスト教徒とユダヤ教徒に限定されている。キリスト教徒とユダヤ教徒たちが、自由に自らの信仰を保持し、伝道する自由をもって「宗教の自由」というのである。彼らが、どれほど非キリスト教徒、非ユダヤ教徒たちを弾圧しても、そうした行為に対して、米国の「国際的宗教自由法」は発動されない。

 ちなみに、二〇〇六年の第一一〇連邦会員議会選挙までは、米国史上、ユダヤ教徒とキリスト教徒以外に上院はおろか、下院でも連邦議員になった人はいなかった。この年の選挙で、ミネソタ州選出のキース・エリソン(Keith Ellison)が初のイスラム教徒、ジョージア州選出でアフリカ系米国人のハンク・ジョンソン(Hank Johnson)とハワイ州選出のメイジー・ヒロノ(Mazie Keiko Hirono、 日本名、広野慶子)が初の仏教徒として下院の議席を得た(渡辺[二〇〇九]、三〇三~〇四ページ)。

 そして、二〇〇五年八月一九日、子ブッシュ(George Walker Bush)米大統領は、朝鮮の人権問題を担当する特使(President Bush's Special Envoy for Human Rights in North Korea)にジェイ・レフコウィッツ(Jay Lefkowitz)元大統領副補佐官(Deputy Director of Domestic Policy)を起用すると発表した。同氏は熱心なキリスト教保守派として知られ、ジュネーブの国連人権委員会(United Nations Commission on Human Rights)の米代表団メンバーも務めてきた。今後、人権問題や宗教の自由の改善を朝鮮に求めていくという(時事通信、二〇〇五年八月二〇日付)。

 見られるように、ブッシュ大統領の外交政策、とくに、彼のいう「ならず者国家」(Rogue States)に対する外交は、米国流キリスト教の伝道の自由を要求することを大きな梃子にしたものであった。こうした米国大統領府の外交姿勢に大きな影響力を発揮したのが、米国のメガ・チャーチであった。

 以下、米国の新しい宗教的傾向である、米国に対抗する国の指導者たちを「反キリスト」(the AntiChrist)として糾弾するメガ・チャーチ(Megachurch)とその司祭たちの政治的イデオロギーを紹介する。


野崎日記(312) オバマ現象の解剖(57) サブリミナル(8)

2010-04-15 22:46:22 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 

 
(1) 本名は、ヘンリー・ジョン・ドイチェンドルフ・ジュニア(Henry John Deuschendorf. Jr.)である。ジョン・デンバーは、一九四三年、ニューメキシコ州(New Mexico)に生まれ、一九六九年、シンガー・ソング・ライターとしてソロデビューした。一九七〇年代に、「ロッキー・マウンテン・ハイ」(Rocky Mountain High, 一九七二年)、「太陽を背に受けて」(Sunshine on My Shoulders, 一九七三年)などのヒット曲で人気カントリー歌手の地位を確立した。一九八五年にソ連(当時)を訪問して、米ソの文化交流に尽力したり、一九九四年五月、ベトナム戦争終結後、米国の大物歌手として初めてベトナムで公演をおこなった。一九九七年一〇月、カリフォルニア州(California)モントレー空港(Monterey Peninsula Airport)から、自分の操縦する単発の自家用軽飛行機で離陸した直後に、海岸から約百メートルの海上に墜落して亡くなった(http://www.fmstar.com/movie/j/j0589.html)。

(2) 「ジオデジック・ドーム」(Geodesic Dome=測地線ドーム)とは、一般に、球面に内接する三角形の面で構成された多面体構造を指す言葉として用いられている。空間において一直線上にない任意の三点で一つの平面を定めることができる。そこで球面上の任意の三点を頂点とする三角形の組み合わせで球面に内接する多面体を構成することができる。この三角形で構成された構造が、厳密ではないが、慣習として「ジオデジック・ドーム」と呼ばれている(http://fukuoka.cool.ne.jp/domefactory/ss01/ss01.html)。バックミンスター・フラーは、この型の建造物を、一九四〇年代末に発明した。

(3) ちなみに、米国の紙幣は一二の地区の連銀が発行しており、どの地区の連銀が発行したものかが分かるように、アルファベットでA~L、そして数字で一~一二が、紙幣に印刷されている。これらは、肖像画がある面の左端に印刷されている。一九六六年以前の旧紙幣には、丸で囲まれた中にアルファベットが記されており、それ以降の新紙幣は、連銀の紋章の左上にアルファベットと数字が印刷されている。これら紙幣を発行している連銀と、対応するアルファベットおよび数字(括弧内に入れる)は以下の通りである。ボストン(Boston)連銀(Federal Reserve Bank)(A1)、ニューヨーク(New York)連銀(B2)、フィラデルフィア(Philadelphia)連銀(C3)、クリーブランド(Cleveland)連銀(D4)、リッチモンド(Richmond)連銀(E5)、アトランタ(Atlanta)連銀(F6)、シカゴ(Chicago)連銀(G7)、セントルイス(St. Louis)連銀(H8)、ミネアポリス(Minneapolis)連銀(I9)、カンザスシティ(Kansas City)連銀(J0)、ダラス(Dallas)連銀(K11)、サンフランシスコ(San Francisco)連銀(L12)(鈴木隆一、http://forexpress.com/columns/m2j/sd10.htm)。

(4) "'Wall"(壁)は、オランダ人によって築かれた木材の壁を意味する。"Heere"とはオランダ語の壁のことである。オランダ人がのちの「ニューヨーク」となる地区に入植し、「ニューアムステルダム」(New Amsterdam)と名付け、同じく入植していた英国人との間に紛争が絶えず、「アムステルダム砦」(Fort Amsterdam)を築いたのだが、この砦の周囲が木材の壁であった(http://www.nnp.org/newvtour/regions/Manhattan/wall-street.html)。

(5) ジョン・デンバーの述懐によると、自分はオルフェウス(Orpheus)の生まれ変わりであると思おうとしていた。オルフェウスは、太陽神アポロン(Apollo)と人間の少女との間に生まれた男の子であった。オルフェウスは竪琴を奏で、美しく歌った。オルフェウスが死んだとき、叙情詩と音楽の神であった父アポロンは、地上に降りて竪琴を手に取り、天空に投げ上げた。これが琴座となったという神話がある(http://www.bekkoame.ne.jp/~nisenora/j-jd-index.html)。

(6) スターシードとは、地球外の生命で、地球に送り込まれて人間の姿をしたものを指す。UFO(未確認飛行物体=Unidentified Flying Object)の存在を信じる人たちにそうした思考がある。米国では、ブラッド・スタイガー(Brad Steiger)がUFOウォッチャーとして有名である。スタイガーは、一九三六年二月にアイオワ州(Iowa:)フォート・ドッジ(Fort Dodge)に生まれ、UFOを含む超常現象に関する一五〇冊を超える著作がある(http://www.bradandsherry.com/brad.htm)。邦訳としては、以下のものがある。吉野博高訳『青い惑星が危ない』二見書房、一九八二年。秋山真人訳『アメリカ・インディアンのスーパーチャネリング―驚異の古伝的超脳技術』騎虎書房、一九九一年。『ハリウッド・スーパーナチュラル―映画スターと超自然現象』扶桑社ノンフィクション、一九九八年。『ペットたちの不思議な能力』扶桑社ノンフィクション、一九九八年。

 UFO観察者の多くは、創造主が最後の審判を地球人に対しておこない、善人を破滅する地球から救うと信じている。スタイガーは、そうした考え方をアメリカン・インディアンから教えてもらったという。ただし、UFO観察者がすべてそう信じているわけではない。異星人が地球を支配するために、軍団を地球に送り込んでいるのだと考え、ナチスなどがその異星人であるとする人たちもいる(「ブラックメンの示威活動」『UFOS & SPACE』、一九八二年八月号、http://www.asura.com/sora/bd12/msg/1031.html)。

(7) エアハルトの最初のESTは、一九七一年一〇月、サンフランシスコのジャック・タール・ホテル(Jack Tar Hotel)で、一〇〇〇名の参加者を得て開催された。手法としては、座禅が取り入れられていた。ESTは、一九九一年に終了し、参加者の延べ人数は七〇万人であった(http://skepdic.com/est.html)。

(8) アレイスター・クローリーは、自ら「黙示録」(Revelation of St. John the Divine; the Apocalypse)の「獣六六六」(Beast 666)を名乗り、麻薬や性などの領域における魔術研究をおこなった。「汝の意志するところをおこなえ」(Do What Thou Wilt)という「テレマ」(Thelema)主義を唱えた。一八七五年英国生まれ、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(Trinity College, Cambridge University)中退、世界放浪中に仏教とヨガを学ぶ、一九〇二年カラコルム(Karakorm)・K2登山(失敗)、一九〇四年、カイロで霊界から『法の書』を授かったと自称、一九〇五年ヒマラヤ(Himalaya)・カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)登山、一九二〇年「テレマ僧院」(Thelema Monastery)開設、一九四七年死亡(http://www七.ocn.ne.jp/~elfindog/Crowley.htm)。

(9) 「宇宙船地球号」の呼称の発明者は、フラーなのか、ケネス・ボールヂング(Kenneth Boulding)なのかは、正確には分からない。ボールディングの「来るべき宇宙船地球号の経済学」の初出が、一九六六年(Boulding[1966])であり、フラーが、「宇宙船地球号」のタイトルをつけた書物を執筆したのは一九六九年(Fuller[1969])だったのだから、ボールディングに用語の創始者の栄誉が与えられるように見える。しかし、「宇宙船地球号」のタイトルの論文は発表しなかったものの、地球の有限なエネルギーを象徴するのに、フラーは、一九三〇年代からそうしたニュアンスの言葉をすでに駆使していたので、やはり、フラーが創始者のように思われる("Who Is Buckminster Fuller? Fuller's Influence,"http://www.bfi.org/fullers_influence.htm)。

(10) フラーは、ユニット・バスの原型であるプレハブ式の浴室を一九三八年に特許申請した。しかし、それは、潜水艦の中の設備のような、あまりにも合理的、機械的なものであったので、米国人はそれに関心を示さなかった(柏木博「日常品の思想・ユニットバス」、『日本経済新聞』一九七五年五月四日)。日本では、一九六三年、ホテル・ニューオータニにTOTOが初めて設置した(http://www.arainodendo.com/konjaku/12bath_all.html)。

(11) なかでも、次の二冊が著名である。Critical Path, St. Martin's Press, 1981.; Cosmography: A Posthumous Scenario for the Future of Humanity, Macmillan ,1992.

(12) ヒューストンの「コンパック・センター」は、コンピュータ会社のコンパック(本社はヒューストンにある)が所有していた建物である。売却先を同社が探す過程で、同社は同名の「コンパック・センター」をカリフォルニア州サンノゼ(San Jose)に二〇〇一年に移転している。この移転は物議を醸し出したものである。サンノゼのコンパック・センターは、元は、「サンノゼ・アリーナ」という名前を持っていた。サンノゼ市が、一九九四年に市民の税金で建設し所有していたものである。プロアイスホッケーチームのシャンノゼ・シャークス(San Jose Sharks)の本拠地で、二〇〇〇年には、NHL(National Hockey League)のオールスターゲームやフィギュアスケートの国内チャンピオンシップ、また、オフシーズンには、コンサートや各種催し物などが開かれ、サンノゼ市の目玉ともなっていた。それを、コンパック社が、今後、一五年にわたり、毎年約三〇〇万ドル、合計四七〇〇万ドルを支払うことで、命名権を買い取った。サンノゼ・アリーナの名称変更は、市議会で八対二で可決されたが、市民の大多数は、この変更に対して反対であった。サンノゼ市の人口は約九二万人だが、市会議員は一〇人しかいない。全米で一一番目、州内三番目の都市人口を持ち、シリコンバレーの中心地となりつつあるにもかかわらず、サンフランシスコ、ロサンジェルス、サンディエゴといった知名度の高い街に隠れて陰が薄い。それだけに、地元では数少ない有名な「サンノゼ・アリーナ」は市民には愛着があったのである(http://www.intellisync.co.jp/svnow/svnow20010319.html)。

(13) この設計は、フラーの「シナジー幾何学」(Synergetics)の具体化である。「シナジー」とは、結合された状態となったときに初めて現れる、部分からは予測できない性質や振る舞いのことである。「シナジー幾何学」とは、自然に先天的に備わっている、複数の作用が共同して作り出すそのようなシナジー的なパターンを組織化し、理解する学問である。シナジー幾何学の世界は、一般の数学の常識の通用しない、一+一=四(二つの三角形から、四つの三角形の面を持つ正四面体が生み出される)の世界であるが、それこそが宇宙の実際の数学であるとフラーは主張する(dir.yahoo.co.jp/Arts/Design_Arts/Architecture/
Buildings_and_Structures/Domes/)。

(14) 一九六五年、フットボールおよび野球場として、世界で初めて作られたドーム型競技場である。巨大スコアボードや人工芝を採用したのもアストロドームが初めてであった。メジャーリーグのヒューストン・アストロズ(Houston Astros)の三五年にわたる本拠地であったが、一九九九年に球場ではなくなった。しかし、以後も、ヒューストンのシンボルとして、コンベンションなどを中心に多目的に利用されている(http://www.kajima.co.jp/gallery/const_museum/kuukan/main/m_list/11.html)。アストロという名前がついているが、ヒューストンから連想されただけであり、宇宙とは関係ない。

 


野崎日記(311) オバマ現象の解剖(56) サブリミナル(7)

2010-04-14 22:32:05 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  六 頻繁な信者の離合集散


 メガ・チャーチの特徴は、マスコミや出版物を通して、カリスマ的な人気のある司祭たちが、単独で教会を設立し、抜群の経営センスをもって長期間教会を独裁的に運営していることである。創設者たちは、平均一五年間教会を支配している。しかし、少なくともメガ・チャーチの創設者の三分の一は、伝統的な教会で訓練を受けたことも、神学校で学んだこともない人たちである。先述のハイベルズは、一度も訓練を受けたことのない司祭であった(Niebuhr[1995a])。

 メガ・チャーチは、フルタイムの助手的司祭を一〇~二〇人抱えている。さらに、フルタイムの事務員を三〇から二五〇人抱え、ボランティアも二〇〇〇人はいる。もっとも小さい、メガ・チャーチでも、年間予算は二〇〇万ドルある。「ウィロー・クリーク」は、一九九五年で一二三五万ドルあった。六三%が二六〇人いる従業員の給料に、残りが施設維持費と活動費に使われた。建築の総額は三四三三万ドルであった(Niebuh[1995b])。これは、もはや教会ではない。れっきとした企業である。

 「カルバリ・チャペル」に集まる信者たちの年齢は四〇歳前後が多い。参加者の六〇~七〇%は女性である。六〇%は既婚者であり、総じて、中産階級である。教育水準も高い。参加者の三八%は大卒であった(Miller[1997], p.196)。

 「レイクウッド・チャーチ」では、参加者の四〇%が白人、三〇%がアフリカ系米国人、三〇%がヒスパニックであることが売りの一つである。同じく、ヒューストンの「ブレースウッド・アッセンブリ・オブ・ゴッド」(Braeswood Assembly of God)では、参加者は、出自が四八か国、話される言語が二二であることを誇りにしている(Vaughan[1993], pp. 100-01)。

 しかし、参加者たちは、積極的に自己をさらけ出さない。教会側も、そうしたことに配慮している。

 「ウィロー・クリーク」を観察したラッセル・チャンドラー(Russell Chandler)はいう。
 「ここでは、求道者は名乗らなくてもよい。ここでは、なにも話さなくてもよい。唱えなくても、サインをしなくてもよい」(Chandler[1989])。

 しかし、元来が、神の救済を求めながら、教会の中で活動することを窮屈に感じて教会から離れている人を引きつけることをメガ・チャーチが方針にしたということは、折角集めた参加者がすぐにでもこなくなってしまうことを意味する。そもそも、メガ・チャーチは、びっくりするような多数の参加者を集めることによって世間の耳目を集め、それがまた参加者を増やすという相乗効果を狙っていた。しかし、メガ・チャーチでは、リピーターが少ない。すぐに参加しなくなってしまう人が、これまでの伝統的な教会に比べると、圧倒的に多い。冷やかしの参加者をいかにすれば減らせるかがメガ・チャーチの成功の鍵となる(Iannaccone[1992], pp. 272-73)。少なくとも、参加者の半数は毎回入れ替わってしまう。しかし、彼らを排除してしまっては、メガ・チャーチの個性がなくなる。「フリーライダー」と呼ばれる人たちを、より積極的な信者に変えさせるか、しからずんば、排除するかといった政策をメガ・チャーチは採用できない。参加者をとにかく多くしなければならないのである(Stonebraker[1993], pp.231-32)。

 この二五年間で急成長したメガ・チャーチに参加した人たちのほとんどは転向組である。そもそもが、メガ・チャーチはそうした人たちをターゲットにしていたのだから、当然である。アルコール中毒者撲滅運動をスローガンにしたメガ・チャーチへの参加者を調べたペリン(Perrin)の研究によれば、一三%が最初からの無宗教者であった。幼少の頃には月に一度程度は教会に通っていたが、その後はまったく教会に行かなくなった人たちが二九%あった(Perrin[1992], p. 126)。これは、転向組が圧倒的に多いことを示している。

  おわりに
 

 こうしたメガ・チャーチの隆盛は、米国社会の底流の変化を反映したものであると思われる。メガ・チャーチの活動は、郊外のショッピング・モールのようなものである。同じ町内の商店ではなく、郊外の巨大スーパーで、人間的なつきあいのない店頭で、好き勝手に買い物をする。少し立ち寄っては、また別のコーナーを冷やかす。いろいろな買い物をし、映画を見、お茶を飲み、食事をして自家用車で帰宅する。そうした生活スタイルがそのままメガ・チャーチに持ち込まれる。教会側も限りなく郊外スーパーの営業形態を模倣する。

 大病院で生まれ、大きな学校で育ち、巨大スーパーで買い物をして育ってきたベイビー・ブーマーの人々にとって、群衆の中にいるということが安心感を与えるのかも知れないという理解の仕方をした調査もある(Roof[1993])。

 こうした、自らのアイデンティティを持ちにくい人々、しかし、心のよりどころを求めているベービー・ブーマーたちに、保守的なイデオロギーではあるが、柔軟に彼らのニーズを掴むことに成功した教会が加速度的に巨大化していったのであろう。そして、巨大化が教会の武器になる。巨大化するがゆえに、人々はそうした評判の教会の催しに参加するのである(Roof[1993] p. 213)。

 ただ、「レフトビハインド現象」の不気味なエネルギーは、米国民の深層でなにか基本的な大変化が起こっていることも示している。

 宗教が政治的目的に使われたのは、子ブッシュ政権だけでなない。オバマ現象の渦中のオバマの大統領選挙戦術は、まさに、メガ・チャーチの踏襲そのものであった。

 オバマは、キリスト教会が組織する「コミュニティ・オーガナイズ」(Community Organize)をフルに活用した。コミュニティ・オーガナイザーはボランティアではない。地域社会の改善のために、住民を団結させ、その要求を自治体にぶつけてコミュニィの改善をはたすべく行動する組織であり、資金はキリスト教会から出ている。その活動は地域の人間関係の密接な構築を最大の手段とする。

 渡辺将人は、そうした活動家の声を拾っている。

 「教会に深く入り込んでいこうと思ったら、教会の実体的側面とともに精神世界にも関心を持たなくてはなりません。それで私たちは教会の信仰生活が、教会の地域社会へのコミットと、社会正義へのコミットという意味でいかに深く関係しているかを知るようになったのです」(渡辺[二〇〇九]、一六九ページ)。

 こうした意識を持つコミュニティ・オーガナイズのプロを、オバマ陣営は、大統領選挙のキャンペーンのボランティア訓練の講師に投入した。キャンプ・オバマという三日間の集中合宿で選抜された一〇〇〇人規模のリーダーを鍛え、現場に放った。各州でキャンプ・オバマが開かれ、オーガナイザーは各地を飛び回った(渡辺「二〇〇九]、一八一ページ)。経費と人間を提供したにはキリスト教会であった。オバマ万歳の付和雷同に堕して、米国政治のこうした構図を軽視してはならないのである。


新著予告

2010-04-13 23:42:22 | information

本山美彦の待望の新著二冊がこの春、
                                           堂々と上梓される。


本山美彦
  『オバマ現象を解読する─金融人脈と米中融合
  ナカニシヤ出版、400ページ、2500円、ソフトカバー
 2010年4月末刊

本山美彦
 『韓国併合と同祖神話の蹉跌─雲の下の修羅
  御茶ノ水書房、80ページ、900円、ハードカバー
 2010年5月刊

 詳しくは、後日お知らせします。


                                
編集部


 

 


野崎日記(310) オバマ現象の解剖(55) サブリミナル(6)

2010-04-13 22:21:36 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  五 保守的新福音主義


 メガ・チャーチは、表面の派手さに比し、教義面では、かなり保守的である。宗派に属するメガ・チャーチですら、本部よりも保守的である(Stevenson[1993], pp. 6, 8)。というよりも、メガ・チャーチは二〇〇〇年にわたる神学の発達を無視し、オドロオドロシイ黙示録に重点を移す。世界は、ハルマゲドンに突入しつつあり、サタンが、甘い笑顔で近付いているとなど、あらゆるオカルトが利用される。しかし、福音主義者たちの企業的宗教活動は、当然、互いの市場を食い合うことになる。

 メガ・チャーチの経済活動について詳細に分析した、ペンシルバニア州立大学社会学教授のロジャー・フィンクとロドニー・スタークの著作がある。『米国の教会化、一七七六~二〇〇五年、わが宗教経済の勝者と敗者』がそれである(Finke & Stark[2005])。

 その研究によれば、米国には既成宗派の確実な低落傾向が読み取れる。カトリックにおいて、新ローマ法王はカトリックの膨大な宣伝をおこなっているが、世界的な凋落傾向に歯止めを掛けることができないでいる。米国では、カトリック教徒が増加している。しかし、これは、主としてメキシコ人移民によるものであり、従来からの米国民に限れば、カトリック信者は減少傾向を辿っている。カトリック神父による相次ぐセクハラ事件がこの傾向に拍車を掛けている。資金不足から、カトリック教会やカトリック学校の閉鎖が続いている。

 二〇世紀の米国を主導したプロテスタント正統も同様の衰退傾向を辿っている。その衰退ぶりはある意味において、自動車メーカー、GMの惨状の宗教版である。統一メソディスト教会(United Methodist Church)や監督教会(Episcopal Church)などの、かつて主流であった大宗派は、この数十年間信者数を減少させてきた。この一〇年間だけでも一〇〇万人は減少させた。今日、プロテスタントの主流派に属する信者は人口の一六%前後であるとされる。

 それに対して、新たに台頭してきた新福音主義派の教会は、難しい教義を説教せず、オカルト的雰囲気を醸し出し、現代の文化風潮にも寛容である。バチカンのような絶対的な支配力もなければ、官僚組織もない。入会の敷居は低い。

 現在、米国の白人の福音主義者の数は、米国人口の四分の一は占めているといわれている。ただし、福音主義者の定義は曖昧である。聖書が神の言葉であると信じる人が福音主義者とされているが、この定義だけでは曖昧模糊としたものである。南部のバプティストや非主流派、ルター派(Lutherans)やメソディスト派も福音主義者である。黒人のプロテスタントも二五〇〇万人いて、自らを福音主義者だとしている。

 保守的な新福音主義的クリスチャンが激増したことによって、米国の政治的社会的風土は劇的に変化した。これまでの米国のエリートは、プロテスタント主流派であった。しかし、今日、ブッシュ大統領や下院議長(House Speaker)のデニス・ハスタート(Dennis Hastert)など議員の新福音主義者は一二人は下らない。

 重要なことは、共和党右派に新福音主義者たちが増えていることである。共和党系司祭たちは、市場経済的には革新的だが、政治的には保守である。一九六〇、七〇年代の著名な福音主義者であるビリー・グラハム(Billy Graham)は、リチャード・ニクソン(Richard M. Nixon)大統領の精神的アドバイザーであった。

 ジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell)の登場が、この傾向をさらに推し進めた。一九八〇年代初め、彼は、保守派の政治的スローガンである「道徳的多数派」(Moral Majority)運動を展開したのである。今日の新福音主義者の政治的目標は、このスローガンを継承・拡張することである。その目標が企業国家米国(Corporate America)へと拡張された。

 富者は、日本の密教のように、認知された。富者は、天国に入ることが難しいといったイエスの言葉は、無視された。

 実際、オスティーンやけばけばしいクレフィオ・ダラー(Crefio A. Dollar)などは、「金持ちになる教義」(prosperity gospel)なるものを説いている。クレフィオ・ダラーは、ジョージア州(Georgia)カレッジ・パーク(College Park)の「国際世界変革教会」(World Changers Church International)の司祭である。彼らは物的繁栄を称揚する。そして、神は人々が豊かになることを欲していると説教する。オスティーンはいう。ブロンドの妻、「ビクトリア(Victoria)が金のないときに、意匠をこらした家を買ってくれとねだった。私はそんなことはできないと答えた。彼女は信念を持っていた。きっと私たちはそれを手に入れることができると。そして、彼女が信じたように、その数年後、私たちはそうした家を手に入れた」。

 気恥ずかしくなるような、こうしたカネ賛美が、宗教の世界で堂々と話されるようになった。

 ダラーは、ロールスロイスを二台持ち、「ガルフストリーム3」という自家用ジェット機で移動する。「私は自分の説教通りに行動している。神は、私が豊かになることを願い給う」。四三歳のダラーは淡青のストライプの入ったスーツにフランス風カフスをつけた服装でそのように語る(Symonds[2005], p. 50)。

 毒々しい物質主義は、シンクレア・ルイス(Sinclair Lewis)の小説中の人物、エルマー・ガントリィ(Elmer Gantry)かタミー・ファイエ・バッカー(Tammy Faye Bakker)のような宗教的金儲け主義の亡霊(specter of religious hucksterism)を彷彿とさせると嘆く福音主義者もいるにはいる。そのひとりが先述のウォーレンである。ベストセラーを出したウォーレンはいう。「私たちは、教会を企業に変えるのが目的ではない」。彼は、巨額の印税を得たが、それを私物化せず、依然として質素な生活を継続し、印税のすべてをサドルバック・チャーチに寄贈して一〇年になる。

 カリフォルニア州パサデナ(Pasadena)の「フラー・セオロジカル・セミナリ」(Fuller Theological Seminary)の理事、コーションズ・カート・フレディクソン(Cautions Kurt Frederickson)も警告する。「私たちは、司祭が最高経営責任者(CEO)になろうとし、あまりにも市場志向的になりすぎることを警戒しなければならない。丁度、ウォルマート(Wal-Mart)を警戒するのと同じ意味でメガ・チャーチを警戒しなければならない」と。

 メガ・チャーチは、「ブランド・ロイヤルティ」(Brand Loyalty=消費者が好む高い商標)を獲得している。たとえば、ウィロー・クリークの名がブランドになっている。このメガ・チャーチの名は、著名ブランド二五〇のうち、上位五%にランクされている。これは、ナイキ(Nike=スポーツ・シューズで世界のトップ・メーカーになった。ジョギング用シューズは一九七二年から製造開始)やジョン・ディア(John Deer=本社、イリノイズ州モリーン(Moline)、一九五八年設立。世界最大の農業機械メーカー。John Deer(一八〇四~八六年)によるグレート・プレーンズ(Great Planes=大平原)で使う鋼製の鋤(plow)の開発にさかのぼる)と並ぶブランドである。

 ちなみに、消費者が選好するするブランドに関する調査方法は、エリック・アーンソン(Eric Arnson)によるものである。この手法をマッキンゼー社(McKinsey)が買い取り、その手法を同社は「ウィロー・クリーク」に無償で提供したのである(Symonds[2005], p. 48)。

 メガ・チャーチは、フランチャイズを設立している。「ライフ・チャーチ」(Life Church)は、オクラホマ州に五つの教会を展開させている。さらに、アリゾナ州(Arizona)の州都フェニックスへの進出も計画しているという。司祭のグレシェル(Groeschel)は、フェニックスには効率的な教会がほとんどないとの市場調査の結果を得て、直ちに現地調査をしにアリゾナに飛んだのである。

 先述のアトランタのダラー司祭は、アフリカ系米国人であるが、彼は、ナイジェリア(Nigeria)や南アフリカ(South Africa)など五か国に教会を展開させている(Symonds,
p.50)。

 信者数の激増によって、巨大教会には莫大な現金が流れ込んでいる。伝統的なこれまでの教会は、せいぜい二〇〇人程度の信者した獲得できていなかった。そのために、年間予算も一〇万ドル程度でしかなかった。ところが、巨大教会は平均四八〇万ドルの予算を確保している。これは、巨大教会に関する数少ない研究者のひとり、ハートフォード・セミナリー(Hartford Seminary)の調査による。この巨額の収入で巨大教会は建築ラッシュに沸いている。

 カービヨン・カードウェル(Kirbyjon Caldwell)という司祭がいる。彼は、ウォートン(Wharton)のMBAである。彼は、一九九〇年代半ば、神学校(seminary)に入る前にファースト・ボストン(First Boston)の社債を売り払い、その収益で貧民支援組織を作った。ヒューストン近郊の貧困にあえぐ一万四〇〇〇人を組織して、「ウィンザー・ビレッジ・ユナイテッド・メソディスト・チャーチ」(Windsor Village United Methodist Church)を作った。彼自身が司祭長になった。この施設は、元は、Kマートのものであった。彼は、これを買い取り、教会と民間企業とをミックスしたような施設に改造した。従業員は二七〇人である。キリスト教学校はもとより銀行まで経営している。老人施設、小売店、公立学校を要する巨大センターの建設すら計画している。

 メガ・チャーチを核として、教会間のネットワークも作られている。それは、「疑似宗派」(quasi-denominational association)の様相を呈している。たとえば、「カルバリ・チャペル」(Calvary Chapel)や「ビニャード・クリスチャン・フェローシップ」(Vineyard Christian Fellowship)などは、数百の教会と連携している。その中には複数のメガ・チャーチも含まれている。司祭や経営陣が、頂点に立つメガ・チャーチから送り込まれている(Parrot & Perrin[1991])。「サドルバック・チャーチ」は、「娘教会」(daughter church)と呼ばれる身内の教会を二七持っている(Vaughan[1993], p. 112)。「ウイロー・クリーク」は、一九九二年時点ですでに七〇〇の関連教会を持っていたが、それからわずか四年後の一九九六年には一四〇〇に激増させている。異なる宗派が七〇あった(Gilbreath[1994])。

 それは、ピラミッド組織ではなく、近代経営組織と同じようなソフトな横組織であり、説教内容、ビデオ、教材、聖歌隊等々の資源の共有に重点を置いた組織である。ただし、こうした教会間の連合はつねに流動的であり、離合集散を繰り返している。先の「カルバリ」には、一九九一年の一年間、七六の新しい教会の加入があったが、去ったのも三五あったという報告もある(Brasher[1992], p.15)。


野崎日記(309) オバマ現象の解剖(54)サブリミナル(5)

2010-04-12 17:07:47 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 四 メガ・チャーチの出現


 米国の福音主義者たちは、「対抗文化」運動を自己の領域に取り込むことに成功した。これは、「文化適合」(cultural contextualization)と呼ばれている。教会音楽にロック(rock in roll)を採用し、非伝統的なスタイルで群衆を集める布教活動が組織されるようになった。小さかった教会が短時間で何万人もの会員を擁する大教会になることが頻繁に見られた。それは、経済の世界で、株式交換を通じるNAMによって、巨大企業が一夜で出現するという現象の宗教版であった。企業合併と同じく、新しく巨大になった教会もまた、メディアを最大限に利用している。

 マーケティング理論や社会学は、「教会成長理論」(Church Growth Theory)といった新しい学問のジャンルを見出した。若者の心を掴む新しい教会音楽は、「コンテンポラリー・ゴスペル」(contemporary gospel)や、「ワーシップ・ソング」(worship song)と呼ばれて、社会的に受け入れられ、若者の心を掴む手段となった。そうした音楽を販売するレコード会社が輩出している。宗教組織は、昔から多かれ少なかれ巨額の資金を吸収するシステムを持ってはいたが、それを明確なビジネスとして明示したのは、キリスト教右派である。新しい宗教が、「ニュービジネス」(new business)になった。そのニュービジネスに政治家たちが群がる。その構図が米国の対外戦争を支えている。にもかかわらず、宗教が聖域であるだけに、政・財・官・学の各界にまたがる強力な人脈の分析はいまだ進んでいない。   

                                                             
 米国の中南西部には、「聖書ベルト」(Bible Belt)といわれる地域がある。文字通り、キリスト教会がひしめく地帯である。そうした地帯の中のヒューストン(Houston)に全米で最大の教会がある。レイクウッド・チャーチ(Lakewood Church)がそれである。司祭はジョエル・オスティーン(Joel Osteen)。彼の熱い説教を聞くために、毎週末、何万人もの人々が集い、周辺道路は、ひどい交通混雑をきたしていた。いまでは、より大きな新教会が繁華街にできてその混雑はなくなったが。

 まだ四〇歳代のオスティーンは、「神は、あなた方に授ける富を豊富にお持ちである」と参集者に語りかける。一九九九年、父の死去によって説教壇に立つようになってからの彼は、参集者数をほぼ四倍に増やした。テレビに頻繁に出演している。毎日曜日、七〇〇万人の人がケーブル・テレビを通して、彼の説教を聴いている。この放送のために、レイクウッド・チャーチは、年間一五〇〇万ドルも使っている。彼は、二〇〇四年秋、Your Best Life Now(『いま、あなたに最高の人生を』)を出し(Osteen[2004])、少なくとも二五〇万部売れた。レイクウッド・チャーチは、二〇〇四年時点で、年間五五〇〇万ドルの献金を集めた。献金も一九九九年の四倍になった(Symonds[2005], p. 46)。

 オスティーンは、ヒューストン市の繁華街にある巨大な建造物のコンパック・センター(Compaq Center)を九〇〇〇万ドルで買収した。このセンターは、地元のプロバスケット・チーム、ヒューストン・ロケッツ(Houston Rockets)の本部であったビルである(12)。

 これを改造して、これまでの教会よりもさらに巨大な教会をオスティーンは作った。二〇〇五年七月にオープンした新教会は、座席数一万六〇〇〇、テレビで放映するフィルムを撮影するハイテク設備を備えている。オステーンは、参集者はすぐにでも、一〇万人に達し、レイクウッドの本部よりも大きくなるであろうと豪語した。

 オスティーンを取材したシモンズ(Symonds)は、彼を「福音主義起業家」(evangelical entrepreneurs)と呼んでいる。事実、オスティーンは、ビジネス・スクールが開発した様々な手法を堂々と取り入れている。オスティーンだけでなく、全米の福音教会が、宗教を成長するマーケットとして、多くの信者を獲得しようとしている。

 「南部バプテスト会議」(Southern Baptist Convention)という会員一六四〇万人の巨大組織がある。この組織は、経営学が唱えるニッチ市場論をそのまま踏襲して、新しい教会を一八〇〇も作った。たとえば、大牧場のカウボーイ向けの教会、オートバイの愛好者のためのバイク向け教会などがそうしたニッチ教会である。

 実際、宗教の影響力が薄れているという常識を裏切るかのように、米国では巨大教会(メガ・チャーチ)が隆盛ぶりを誇っている。それが、米国民の保守的イデオロギー形成の母体となっている。

 メガ・チャーチとは、週末の集会に平均二〇〇〇人以上を集めることのできる教会を指す(Thumma, Scott,"Exploring the Megachurch Phenomena: their charateristics and cultural context, "Hartford Institute for Religion Research, " http://hirr.hartsem.edu/bookshelf/thumma_aticle2.html)。

 サイズだけではない。メガ・チャーチは、従来のものとはまったく異なるタイプの教会である。おそらくは、この新しさがいまの米国のカルチュアーに適合しているのであろう。

 メガ・チャーチが輩出したのは、一九八〇年代になってからである。この年代には、年率五%の比率で巨大教会の新設があった。

 とにかく、メガ・チャーチは、巨大化するのに、それほどの時間を要しなかった。著名なメガ・チャーチの一つ、「アナハイム・ビニャード・チャーチ」(Anaheim Vineyard Church)などは信者ゼロから三〇〇〇人にするのに、五年しかかからなかったと、創設者のジョン・ウィンバー(John Wimber)は語っている(Wimber[1982], pp. 19)。二一世紀に入って、週末には全米で二〇〇万人がメガ・チャーチに通っている。これらメガ・チャーチは、一九八〇年に五〇しかなかったが、今日、八八〇もある。二日に一つの教会が建設されているという(Vaughan[1993], pp.40-41, 50-55)。

 ひとたび、二〇〇〇人の参加者を得れば、その数値だけで、メガ・チャーチの魅力は増す。突然に、群衆が教会に参集しだすと、周囲の人々も興味を持って教会を覗き、そこでの大群衆の雰囲気に魅了されてしまう。社会の関心を集めることに成功すれば、さらに巨大化に拍車がかかる。

 アトランタの「ワールド・チェンジャーズ・ミニストリー」(World Changers Ministries)のクレフロ・A・ダラー(Creflo A. Dollar)は、信者席を八〇〇〇に増設した。それだけで、近隣の人々の耳目をそばだたせ、新聞、ラジオ、テレビで報道され、さらに多くの人々が見にくるという相乗作用を生み出したのである(Came[1995])。

 規模と並んで、メガ・チャーチの地理的位置も重要になる。メガ・チャーチの七五%は、サン・ベルト州(Sunbelt stetes)に立地している。そのまた半数がその地帯の南東部にある。

 一九九二年のデータによると、カリフォルニア州がもっとも多くのメガ・チャーチを擁し、そのあとに、テキサス、フロリダ、ジョージアの各州が続く。つまり、米国で人口の増加率の大きい州の州都にメガ・チャーチが集中しているのである(Vaughan[1993], pp.77-80)。

 不規則に急拡大する町を、米国ではスプロール・シティ(Sprawl cities)という。ヒューストン、オーランド(Orlando)、ダラス、ロサンゼルス、アトランタ、フェニックス(Phoenix)、オクラホマ・シティ(Oklahoma City)などがそうした町である。メガ・チャーチは、そうした州都の郊外に位置し、高速道路を使うと容易にいける場所にある。メガ・チャーチ間では適当な距離が取られている。

 郊外は、開発面で都市の中心部よりもはるかに規制が緩く、多目的な複合ビル建設も可能であり、駐車場もたっぷりと確保できる。そして、米国では、郊外こそが中間階層の集まる地域なのである。

 メガ・チャーチの大半は、既成の宗派の系列教会ではなく、独立系である。宗派に属している教会ですら、本部の教会からは、かなり自立している。メガ・チャーチの二〇%は、「南部バプティスト」(Southern Baptist)に属し、さらに同じ系統である「アッセンブリ・オブ・ゴッド」が九%ある。より緩やかな宗派に属しているメガ・チャーチは一〇%ある。さらに、アフリカ系米国人の属する教会も一〇%ある(Hadaway[1993], p.353)。

 メガ・チャーチは、総じて、派手な活動をする。旧来の控えめなキリスト教会とはその面で大きく異なっている。

 メガ・チャーチの特徴の一つは、教会にきたがらない人、従来の教会に不満を持つ人を、とにかく教会に立ち寄ってもらえる努力をしている点にある。そのためには、いままでに見たこともないような教会であると、人々に認識してもらう必要があった。
 煌々とした明かりで照らされるロビー、御殿のような庭、豪華で座り心地のよい椅子、大舞台、宗教色は最小限の範囲に止めた、まるで劇場である。

 そうした教会のあり方について、宗教の本分から外れているという批判もある。しかし、メガ・チャーチ側からは、「宗教は日常的生活から離れて存在するものではない」という弁明が繰り返しなされる(Goldberger[1995)。

 説教台は、外見は豪華に造っているが、移動可能なプラスティック製で軽量である。そこから語られる聖書の言葉も、実生活に馴染みのある言葉が好んで選ばれる。これも、日常生活を離れて宗教は存在しないという方針の踏襲である。

 現在、カリフォルニア州で最大の教会は、「ウィロー・クリーク・コミュニティ・チャーチ」(Willow Creek Community Church)であるといわれている。この教会が、メガ・チャーチの特徴を典型的に示している。この教会の牧師、ビル・ハイベルズ(Bill Hybels)は、教会を建てる前に近隣の戸別訪問をして、教会がなぜ嫌われているのかを質問して回った。そこで得た結論は、まず教会の持つ威圧性をなくすことであった。説教も、友達に語るようなくだけた口調で、日常生活に関する話題を注意して選ぶのがハイベルズの信念であった。この教会のウェブサイトには、次のようなことが書かれている。

 「私たちは、もっとも今風の言葉、音楽、劇を使って、今日の文化に合う神の御言葉を伝えます。しかし、私たちのメッセージは、聖書と同じ程度に旧いものです。私たちは、すべての教義に関する、歴史的なキリスト教の教えを重視します。イエス・キリストが死で贖って下さったこと、悔い改めることによる救済、神の恵み、受難時の神の御言葉が書かれた聖書を重視します」。

  ハイベルズ自身も語っている。「私たちは、王国の歴史を作りつつある。完全に新しい世代に向けての新しい方法で事に当たっている。私たちは、求道者に好印象を与えるように施設を設計している」と(Chandler[1989])。

 「クレンショー・クリスチャン・センター」(Crenshaw Christian Center)も意図的に巨大施設を設計し、信者の心を捉えている。フラー式の巨大ドームが作られ、内部には信者用の椅子が一万四〇〇個もあるスポーツ広場も持ち、中央に舞台があり、その周囲を椅子がグルッと取り巻いている(13)。アトランタの「ワールド・チェンジャーズ」(World Changers)は、ヒューストンの「アストロドーム」(14)を模したもので、八〇〇〇人が座られる(Winston[1996])。

 レイクウッド・チャーチは、無料のカウンセリング、低価格の大量の食事の提供、性に耽溺する男性向けの「貞節グループ」(fidelity group)を作っている。そして、自助を実現する集会への参加が求められている。多くのメガ・チャーチは、「ディズニー・ワールド」(Disney World)ばりの巨大施設を持つ日曜学校を経営している。古式ゆかしい賛美歌を捨て去り、マスメディアに受けのいいロック風に賛美歌のリズムを変える。そして、離婚、子供の自閉症等々、家庭のあらゆる相談にのる。新参者が入りやすいように、十字架や信者席すらなくす教会もある。教会は古典的な様式から大きなショウ舞台に変えられている。

  それでも、新福音主義者の多くは、従来の教会では満たすことができなかったニーズにメガ・チャーチが応えているのだと弁明する。クレイグ・グレーシェル(Craig Groeschel)は、オクラホマ州エドモンド(Edmond)に「ライフ・チャーチ」(Life Church)という教会の経営に一九九六年に乗り出した。まず、彼がしたことは、地域の教会にいかない人々の調査であった。そこで彼は耳寄りな情報を得た。彼が面接した人々が口々にいったのは、教会は偽善者の集まりであり、退屈な所であるということであった。そこで彼が採用した手法は、伝統的な作法を取り去り、映像を駆使し、ロック・コンサートを開き、教会内にスターバックスのコーヒー・ショップを設置することであった。

 先述の「ウィロー・クリーク」は、コンサルティング業務をおこなうべく、「ウィロー・クリーク協会」を作った。この協会は、九〇の宗派からなる一万五〇〇の教会を会員に集め、マーケッティングや経営コンサルティング業務をおこなった。二〇〇四年の年間所得は一七〇〇万ドルであった。

 この業務を担当しているのは、ハーバード(Harvard)大学MBAのジム・メラド(Jim Mellado)である。創設者のハイベルズは、二〇〇四年に一一万ドルを投じて教会を買収し、そこでの経営問題の専門家を養成すべく、リーダーを派遣した。彼は、スタンフォ-ド(Stanford)大学MBAで、元マッキンゼー(McKinsey & Co.)のコンサルタントであったグレグ・ホーキンズ(Greg Hawkins)をも、教会の経営コンサルタントとして雇っている。この教会の運営ぶりは、ハーバード・ビジネス・スクールのケース・スタディで取り上げられた。

 ハイベルズは、実際的なアドバイスをおこなう。クリスチャンとしてのお金の運用方法について、教会に集まる人々に好んで語る。あるいは、自分たちが必要としないものを売りつけられることへの抵抗方法を説く。日常の悩みについては、Eメールで聴いてやる。要するに、日常の勤務に関する悩み事を明快に解消してしまうのである。これまでの教会の小難しい説教で、消化不良になっていた人々が、そうした単純な明快さに惹かれてこうした新しい教会に参加するのである。

 とにかく、多数の人々を継続的に参加させるべく、メガ・チャーチは、かなりのエネルギーを費やしている。親しみやすい、ゆったりとした雰囲気作りに勢力的に取り組んでいる。自らは積極的に話したがらず、名乗りたがらず、人間関係を作るのが苦手な参加者たちを、教会の雰囲気にとけ込ますべく、たとえば、小グループに分けて、先輩連が親しみやすく話しかけたり、「友達の輪」(Friendship circles)を作ったりしたいる。こうした実例を丹念に収集したのがWuthnow[1994]である。


 あらゆるメディアも動員している。メディアではとくに、家庭問題が取り上げられている。親のこと、夫婦のこと、離婚のこと、子供のこと、生活苦のことなど、日常生活に密着した問題が重点的に取り上げられている。

 ネットワーク化も利用されている。Eメールや電話のホットラインなど、あらゆるIT技術が利用されている。たとえば、「チャペル・ヒル・ハーベスター」(Chapel Hill Harvester)は、電話のダイヤル9を押せば、直ちに葬儀の準備が整えられるといった具合である。信者には、教会の上層部より誕生祝いカードが送られる。

 いずれにせよ、メガ・チャーチの司祭たちは、宗教的なものと世俗的なものとを兼ね備えている。二〇〇四年、テキサス州(Texas)プラーノ(Plano)の「プレストン・ウッド・バプティスト・チャーチ」(Prestonwood Baptist Church)が催したクリスマス祭は派手なものであった。五〇〇人のコーラス、参加者七万人、参加費は、もっとも安いチケットで二〇ドルであった。教会には、一四〇エーカーの敷地に八つの運動場、六つのジムが併設されている。建設費は一億ドルもした。教会の提供するスポーツ・プログラムに、二〇〇四年の一年間で一万六〇〇〇人が参加した。

 メガ・チャーチは、子供たちの心を掴むことを主たる課題にしている。オクラホマ州エドモンド(Edmond)の「ライフ・チャーチ」(Life Church)のメインとなる敷地には、「おんぼろタウン」(Toon Town)がしつらえられている。そこにはロボットの警官が、ルールについて説明をしている。派手派手しいしつらえによって、この教会は、子供の日曜学校への参加者を四倍の二万五〇〇〇人に増やした。

 司祭のスコット・ワーナー(Scott Werner)は、「子供たちがその両親を連れてきてくれるのです」と語った(Symonds[2005], p. 48)。

 メガ・チャーチの司祭たちは、あらゆるメディアを通じて自己宣伝する。用語集に新約聖書の文言を広告として出す。それは、ヒップ・ホップ調であったり、少女ものであったりする。ヒップ・ホップというのは、若者の街頭でのパーフォーマンスをいう。ラップソングやブレークダンス、グラフィティなどがそれである。こうして編集されたキリスト教の音楽は、若者に受けている。つい最近までパンク調のロックに耽っていた若者の次の人気音楽はキリスト教の音楽である。中でも、「スクリーモ」(screamo)という音楽が人気を博している。それは、バイブルの内容を命令口調にして、絶叫調で奏でるものである。

 「焦熱マーケッティンング」(pyro marketing)という手法がある。この手法に則った本作りとして、カリフォルニア州レイク・フォリスト(Lake Forest)にサドルバック(Saddleback)というメガ・チャーチを創設した、リック・ウォーレン(Rick Warren)が二〇〇二年に出した『目標に向かう人生』(The Purpose-Driven Life)という本がある(Warren[2002])。これはノンフィクションもので、二三〇〇万部という超ベストセラーになった。

 次章で説明するが、メガ・チャーチ関係のベストセラーの中でも断トツの売り上げを誇る『置き去りにされし者』(Left Behindというフィクションもある(LaHaye & Jenkins[1995])。これは、「レフトビハインド現象」(Left Behind phenomenon)というものを生み出した作品で、一九九五年の発売以降、六〇〇〇万部もの売り上げを実現している。内容的には、イエス・キリストが天井に戻ったのちに、地上に残された者たちが演じるアクションもので、黙示録的なものが凝縮しており、ページをめくるのももどかしいほど面白いといわれている(Symonds[2005], p. 50)。


野崎日記(308) オバマ現象の解剖(53) サブリミナル(4)

2010-04-11 16:55:37 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 三 陰と陽による諸宗教の統合


 「ニューエイジ」といい、「ハディト」、「ヌイト」といい、これらのキーワードは、アレイスター・クローリー(Aleister Crowley)の『法の書』(Crowley[1926])を想起させる(8)。

 『法の書』は、一九〇四年、新婚旅行先のカイロ(Cairo)で、神「ホルス」(Horus)の使者である「アイワス」(Aiwass)という天使を通じて、クローリーに与えられたとされている。アイワスが口述で自分に、一九〇四年四月八日から三日間かけてその書を書かせたとクローリーはいう。『法の書』は、オカルトそのものであるが、宗教界に、結構大きな衝撃を与えたものである。

 『法の書』を得た一九〇四年から既存宗教の時代が終わりを告げ、「新時代」(New Age=Aeon)が始まると彼は主張していた。

 旧い時代とは、従来のキリスト教に代表されるように、人間が神に従うだけの奴隷の宗教の時代を指す。新しい時代とは、人間自身が自己の内なる神性、つまり真の意志を発見し、神と合体できるようになる時代である。旧い時代を潰し、新しい時代を打ち立てるのが、人がとるべき使命であると、彼は主張した。彼によれば、人には等しく神性がある。人は、修行によって、それを自覚できる。そのことによって、神と人との対話が可能になる(http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/hounosyohtm.htm)。

 『法の書』は、三つの章からなり、それぞれの章が、三位一体的な三つの神を代表している。

 第一章は、星空の女神であるヌイトからの人類へのメッセージが語られている。この女神は、エジプト神話の「ハトル」(Hathor)、ギリシャ神話の「ビーナス」(Venus)に通じるもので、愛、歓喜、繁殖、自由の担い手である。この女神は、すべての事物・精神を包容する象徴としても語られている。この第一章は、女神の時代としてイメージされている。内容的には、エジプト神話の女神「イシス」(Isis)が想起されている。つまり、もっとも古い人類の社会は、女神の時代であったとされる。

 第二章は、神性を代表する太陽神、ハディトの説話である。エジプト神話の「オシリス」(Osiris)と関連づけられたものである。この第二章では、個々人の中に隠されている神性が語られる。ギリシャ神話の「ヘーデース」(冥界の神=Hades)のイメージも重ねられている。つまり、男性の神のイメージである。人間社会は、女神の時代ののちに男神の時代が続くが、この時代も消滅してしまうというのである。

 第三章は、ヌイトとハディトとの合一から生まれる「新しい時代の主」(Lord of the new Aeon)を説いたものである。主とは「ホルス」であり、ヌイトとハディトとの子である。この新しい時代を実現させるホルスの力は、神性という内的エネルギーを実現させる「新時代」(Aeon)である。これは、世界征服を内容としている(http://www11.plala.or.jp/fukinya/demonindex3.html; http://tim.maroney.org/CrowleyIntro/The_Book_of_the_Law.html)。

 ウィリアム・ガーベイは、『法の書』を強く意識していたのであろう。この書にある陰と陽の組み合わせを理解することによって、古今東西のすべての宗教を統合し、人間の実践的能力を高めることができると、ガーベイは意識している。

 『法の書』では、事実、夜空の星の女神と、昼の太陽の男神という陰と陽の世界が繰り返し語られる。「夜」と「昼」、「星」と「太陽」、「女」と「男」、いずれも対極の位置にありながら、互いが互いを照らし出し、互いの存在価値を確認し、互いが互いを必要とする。その集約がヌイトとハディトである。ヌイトとハディトという陰陽の合一によって、新しい生命が生まれるという理解の仕方は、世界の宗教を融合させるのに非常に都合のよい構造を持つ。ガーベイ・センターは、バビロン(Babylon)、エジプト、ローマといった古代宗教や、カトリック、仏教(Buddhism)、等々に見られた「神智論者」(Theosophist)を現代に復権させて、NAMNAMに動員しようとしている。

 瞑想や修行を通じて、自己の内部の神性を引き出し、万物が互いを引き寄せて集合的な力を得るという構造を認識することによって、神との合一を人は目指すべきであるとするのがNAMである。このNAMの特徴は、オカルトと近代科学とを分離するのではなく、古代のオカルトの持つ意味を近代科学によって現代に再生させたいという希望を持っている点に特徴がある(http://www.fmstar.com/movie/j/j0589.html)。バックミンスター・フラーのジオデジック・ドームを、ガーベイが重視するのも、オカルトの持つ「科学性」を強調するためであった。

 そのフラーは、熱烈なNAM運動の指導者であっただけでなく、多大の貢献を現代建築学にはたしてきた人である。フラーが参加しているというだけで、NAMは社会的な認知を得たのである。

 フラーは、「宇宙船地球号」(Spaceship Earth)(Gabel[1975])という言葉を編み出した人である(9)。これだけでも、NAMの存在を人々は意識してしまう。フラーは、人間の生と地球との共存の必要性をいち早く訴えた科学者であった。彼のジオデジック・ドームは、大円に見立てた全体が、三角形によって枠組みされていて、最小限の表面積で最大限の体積を包囲できるドームである。彼は、第二次世界大戦以前から、ガーベイ・センターがのちに設立されることになるウィチタで、その実用化に取り組んできた(後述のウィチタ・ハウス)。

 彼のドームは、「ベルヌーイ効果」(Bernoulli Effect)を初めて建造物に取り入れるという、建築上の革新を実現したものである。ベルヌーイ効果というのは、たとえば、目の前を列車が猛スピードで通過したとき、後ろから強い風で列車の方に吸い寄せ力が生じるという現象のことである。強い気流は、内に引き寄せる力を生むというのが、ベルヌーイ効果である。ドームに当たる太陽光線がドーム内の対流を生み、それによって、新鮮な空気が絶えず屋内に呼び込まれるという作用がジオデジック・ドームにはある。彼の作ったドームとしては、一九六七年の「モントリオール万博」(Montreal EXPO=International Exposition)の米国館ドームがもっとも著名である(火災で焼失)。ちなみに、現在、多くの家庭で実用化されているユニット・バス(Unit Bath)はフラーの発想による(http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/a_j/geodesic.html)(10)。

 古代から、三角形は、人間の尊厳を象徴するものとして人々に意識されていた。何種類もの三角形が多数集まれば集まるほど、堅固かつ巨大なドームを建設できることに、フラーは、人類が向かうべき哲学を夢見た。単独の要素で、モノが建設されるのではなく、多数の要素が上手く組み合わせれば組み合わせられるほど、建造物は巨大、かつ、堅固なものになる。そして、円という巨大な秩序が形成される。そこには、万物の共存と調和が視覚化されているのである。NAMが、フラーのピラドームを強調したのは、じつに、万物の共存を目指す自らの思想がそこに体現させられているからである。

 フラーの出発点は、数学者であった。軍隊に従事したのち、都市や住環境、エネルギーなどの課題を「最小限のもので、最大限の効果を得る」(More for Less)という点に求めた。これは、デザイン・建築界の「モダン・ムーブメント」(Modern Movement)に則ったもので、彼は、その課題を「ダイマクシオン」(Dymaxion)と名付けて追求した。フラーが一九四七年に発表したジオデジック・ドームは、その多面体構造はもとより、最小限の材料で作られ、しかも、輸送や組立が簡単なものであることから、建築界に衝撃を与えた。その構造は、様々な製品、博覧会、軍事施設、宇宙開発に応用されている。また、航空機の流体に倣った「ダイマクシオン・カー」(Dymaxion Car)や,居住環境のプロトタイプを目指し「ウィチタ・ハウス」(Wichita House)と命名された金属製住宅など、大量生産と合理性という数学者的な志向性を明確にしたフラーのデザインは、システマティック建築やプレハブ(prefabrication)、エコロジカル・ファシリティ(ecological facility)など、今日の都市化産業の先駆けとなった(http://www.cc.kurume-nct.ac.jp/LIB/kiyou/kiyou18-2/FUJITA.pdf)。

 フラーは、科学者、哲学者、数学者、建築家、宗教家、自然主義者、芸術家、文学者であった。彼の多くの科学上の貢献は、第二次世界大戦の悲劇に深く悲しみ、地球上に存在するすべての物質、生命の相互依存関係を重視し、そうした共存のありかを表現したものであった(" A short page about Buckminster Fuller (Bucky)," http://www.lsi.usp.br/usp/rod/bucky/buckminster_fuller.html; " Geodesic Domes," http://www.insite.com.br/rodrigo/bucky/geodome.htm)。

 フラーの信奉者で、活動仲間の一人に日系二世のキヨシ・クロミヤ(Kiyoshi Kuromiya)という人がいた。奇しくも、二〇〇〇年、自分の誕生日の五月九日に死去したクロミヤは、世界的なエイズ(AIDS=Acquired Immune Deficiency Syndrome)撲滅運動の指導者であった。クロミヤは、米国で市民権運動、反戦運動、ゲイ擁護運動で著名な活動家であった。彼が創設したエイズ撲滅運動の拠点、「極限の道計画」(Critical Path Project)の理論的・精神的支柱はフラーであった。このプロジェクトは、精神的癒し(therapy)をフラー理論に求めたのである。

 クロミヤは、第二次世界大戦中の一九四三年五月九日に、在米日系人を隔離収容するキャンプ内で生まれた。それは、ワイオミング州(Wyoming:)のハート・マウンテン(Heart Mountain)のキャンプであった。彼は、ペンシルバニア大学(University of Pennsylvania)在学中から市民権運動に邁進していた。一九六八年には、ベトナム(Vietnam)戦争で米国がナパーム弾(napalm)を使っているとして、抗議行動を組織した。一九七八年から一九八三年にかけて、彼はフラーと世界中を旅行した。彼らの世界行脚は、一九八三年のフラーの死によって終わった。フラーの晩年の著作のいくつかは、クロミヤの協力を得たものである(http://www.actupny.org/reports/kiyoshi.html)(11)。逆にいえば、フラーを利用したガーベイたちとは異なり、死ぬまで対抗文化運動とともに歩んだのが、フラーであった。

 センター内に設置しているフラー型ピラミッドの効用について、ガーベイ・センター自身が、説明している(Aho, Barbara,"The Council for National Policy," http://watch.pair.com/cnp.html)。

 ①ピラミッドは、構造的に堅固である。とくに、ジオデジック・ドームはそうである。

 ②世界にはおびただしいエネルギーが交錯している。そうしたエネルギーが、人間の生活に大きな影響を与えている。とくに、電磁波の影響が大きい。実験の結果、ピラミッドの内部で生活することが、有害な電磁波から人の身体を防御するのにもっとも適切であることが判明している。水、土壌、動植物の生育などの面で、ピラミッド内部の生活環境は快適である。

 ③古代から、ピラミッドは宇宙のシンボルであった。それは、地球上の東西南北という方位(four cardinal points of the earth)を示し、万物を象形し、人間の体の四つの部位構造(頭、胴、手、足)を象徴する。

 ④各面は三角形から成り、神性の三位一体を象徴する。生・成長・死といった人生の三つの局面も表現する。

 ⑤米国建国の父たちが、ピラミッドを国璽の裏側に表現した。

 ⑥当センターのスローガンである、「健康」(health)、「福祉」(well-being)、「精神」(mind & spirit)の三目標をも三角形は示している。

 ピラミッドは、NAM運動の「シンボル」(象徴)であり、「コード」(記号)である。

 民衆のエネルギーに時代の進展を委ねるという指向を持つNAMの出発点は、「対抗文化」であり、既成権力の否定であった。にもかかわらず、その運動は、ポピュリズムに傾斜するにつれて、ネオコンサーバティブ的な、むき出しの暴力に支えられる新たな権力を生み出してしまった。こうした、宗教の転生の経緯は分析されるべき重要な課題である。事実として、NAMの人脈が、米国社会の右傾化に強力な貢献をした。