消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(143) 新しい金融秩序への期待(143) 大きな国家(12)

2009-04-25 07:02:39 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(20) ミューチュアル・ファンド(Mutual Fund)は、米国のオープンエンド型の投資信託のことをいう。その呼び名は、一九四〇年代の投資会社法制定の時期に、「ファンドの投資家は損益を均等にシェアする」と言う意味でミューチュアル(相互に)という言葉が使われたことに由来する。ミューチュアル・ファンドには、会社型と契約型とがあり、会社型においては、投資家はその株式を買うことにより株主としてファンドに投資することになり、一方で契約型においては   一方で契約型においては投資家とファンドの設定者との間での契約により受益証券を買う仕組みとなっている。米国では、会社型が大半を占める(http://www.ifinance.ne.jp/glossary/fund/fun074.html)。受益証券は、投資信託の利益を受ける権利(受益権)を証券化したものをいう(http://dictionary.goo.ne.jp/index.html?kind=
jn&mode=0&kwassist=0)。

(21) MBS(Mortgage Backed Security)は、モーゲージ(住宅ローン)を証券化したものモーゲージバック証券とも呼ばれている。不動産担保融資の債権を裏付けとして発行された証券のことで、オリジネーター(不動産の原所有者で、証券化のために不動産を仕組みの中に供給する人)が、住宅ローンを貸し出し、この住宅ローン債権を証券発行体に売却をする。証券発行体は、これをもとにしてモーゲージ証券を発行する。発行された証券は、元利金支払の保証がされるなど信用力や格付が高められた上で、投資家に販売される。米国においてモーゲージ証券の大部分は、政府系の機関であるジニーメイ(連邦政府抵当金庫)、ファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)、フレディマック(連邦住宅金融抵当金庫)により発行されている。モーゲージ証券は、米国国債と並ぶ高い信用力を有しているが、期限前償還のリスク(貸付期間が短くなることにより償還金額が減る)があり、よって投資家は一般的な債券より比較的高い利回りを享受することができる。モーゲージ証券の代表的な例として、同じ種類の債券を集め証券化したパススルー証券(pass- through entity)、期限前償還リスクを緩和すべく、担保となる証券やローンと異なる何種類ものキャッシュフローをもつ別々の債券として発行されるCMO(Collateralized Mortgage Obligation)や、住宅ローンを担保として発行される証券、RMBS(Residential Mortgage-Backed Securities)がある。

(22)世界四大会計事務所の一つ。プライスウォーターハウスクーパーズの前身、プライスは、ロンドンにて一八四九年に創設。一八七四年、合併してからプライス・ウォーターハウスとなり、一八九〇年にニューヨークに進出。一九九八年、クーパーズ・ライブランド(Coopers & Lybrand)と合併後、現在の社名になる。一方の、クーパーズ・ライブランドの前身、クーパー(Cooper)は、同じくロンドンで一八五四年に創設。一八九八年にニューヨークに進出。一九五七年、ニューヨークの会計事務所と合併して、クーパーズ・ライブランドとなる。新会社は、ニューヨークを本社とした。〇七年度の収益は二五〇億ドル、一五〇か国に事務所があり、従業員総数は一四万六〇〇〇人と、世界第三位の規模である。四大会計事務所とは、同社の他に、KPMG、アーンスト・ヤング(Ernst & Young)、
 デロイト・トウーシュ・トウマツ(Deloitte Touche Tohmatsu)である(Wikipediaより)。

  米国には、会計監査とコンサルタント業務との相反関係を禁止する企業会計改革法がある。二〇〇二年七月に成立した、サーベーンズ=オクスリー法(Sarbanes-Oxley Act of 2002)がそれである。同法を実施する責務は、米国証券取引委員会(Securities and Exchange Commission=SEC)にある。企業会計改革法は、二〇〇一年一一月のエンロン(Enron Corporation)や二〇〇二年六月のワールドコム(WorldCom)等の会計不正による企業破綻を契機として制定された包括的な証券改革立法である。同法は、会計事務所に対する監督強化のための公開企業会計監督委員会(Public Company Accounting Oversight Board=PCAOB)の設立、会計監査人の独立性の強化、コーポレート・ガバナンス(Corporate Governance)の強化等の企業責任の強化、企業のディスクロージャー(disclosure)の強化、企業犯罪への罰則強化等、広範な内容を含むものとなっている。しかも、同法の適用が、米国内だけでなく、外国の会計事務所に対しても拘束できる規定を含んでしまっていることから、同法はつねに紛争の種になっている(http://www.fsa.go.jp/news/newsj/15/sonota/f-20030918-1b/213-216.pdf)。

(23) モーリス・グリーンバーグ。愛称、ハンク(Maurice R. "Hank" Greenberg )。一九二五年、ニューヨーク生まれ。〇五年にAIGを追放された後、金融会社C・V・スター(C.V.Starr & Co.)を設立。この会社名は、AIGの創始者、バンダー・スター(Cornelius Vander Starr)の名にちなんだもの。陸軍で活躍後、弁護士になる。一九六二年、乞われてAIG創業者のスターからAIGの子会社で苦況にあったノース・アメリカン・ホールディングズ(North American holdings)の経営を任され、一九六八年に本体のAIGでスターの後継者に指名され、〇五年までCEO。取って代わったのは、サリバン(Martin J. Sullivan)。

 アジア展開で、グリーンバーグの相談相手は、キッシンジャー(Henry Kissinge)である。一九八七年、グリーンバーグはキッシンジャーをAIGの国際顧問にしている。

 彼は、米国外交問題評議会(Council on Foreign Relations=CFR)の名誉副議長兼理事を務めた。デービッド・ロックフェラー三者委員会(David Rockefeller's Trilateral Commission)メンバーでもある。一九八〇年代、レーガン政権からCIA副長官就任を要請されたが、丁重に断った。米韓経済会議(US–Korea Business Council)、米中経済会議メンバー。ニューヨーク証券取引所理事、大統領貿易委員会顧問(the President's Advisory Committee for Trade Policy and Negotiations)、ニューヨーク連銀議長、副議長、理事を歴任(past Chairman, Deputy Chairman and Director of the Federal Reserve Bank of New York)。

 〇五年三月一四日、AIG取締役会がグリーンバーグに会長職辞任を要求。ニューヨーク州司法長官(Attorney General)のエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)は、グリーンバーグ親子が共謀して、AIGを食い物にしていると糾弾した。
 ニューヨーク州司法当局は、保険仲介業で米最大手のマーシュ・アンド・マクレナン(Marsh & McLennan Companies=MMC)を民事提訴した。ニューヨーク州最高裁に提出した訴状によると、マーシュは特定の保険会社に大量の契約を回す見返りに、高額な成功報酬を受け取っていたという。仲介業者は顧客に代わって有利な契約先を探すのが仕事だが、懇意の保険会社に偽りの見積もりを出させて競争入札があったかのような演出もしていた。この会社のCEOは、ジェフリー・グリーンバーグ(Jeffrey W. Greenberg)。ハンク・グリーンバーグの息子であり、AIGでの勤務経験がある。訴状によると、不正取引に加担していたのはAIGやエース(ACE Limited)などであった。そして、このエースのCEOもハンクの息子のエバンズ・グリーンバーグ(Evan G. Greenberg)で、この息子もAIGの元監部であった。このスキャンダルによって、ハンクはAIGを追われたが、スピッツアーも売春スキャンダルで、〇八年に司法官を辞職している(Wikipediaより)。

 〇五年、五億ドルの架空の損失引当金計上による粉飾、保険および証券法違反などの容疑でモーリス・グリーンバーグは起訴された。モーリス・グリーンバーグは会長を辞任し、後任はマーチン・サリバン(Martin Sullivan)。サリバンも〇八年六月一五日にサブプライム問題で辞任、後任のシティグループのバンカーであったロバート・ウィルムスタッド(Robert Willumstad)も、わずか三か月後の九月一八日に辞任(http://jp.reuters.com/article/topNews/idUSN1543003120080616)。後任にはエドワード・リディ(Edward M. Liddy)が就任した。

(24)ピムコ(Pacific Investment Management Company LLC=PIMCO)のアナリスト、ビル・グロス(Bill Gross)によれば、"Shadow Banking System"という表現を最初に使ったのは、同じピムコのポール・マッコーレー(Paul McCulley)であった(Gross[2007])。

 ピムコは、 債券専門の運用会社として一九七一年に、カリフォルニア州にて設立された。安定した高いパフォーマンスが信頼を集め、設立以来三〇年を経て、世界最大級の債券運用会社に成長した。米国をはじめ、東京、シドニー、シンガポール、ロンドン、ミュンヘンに拠点を設け、グローバルにビジネスを展開し、世界中の投資家の資金を運用している(http://www.smam-jp.com/image/wn/about_pimco.html)。

(25)Blackburn, Robin, "The Subprime Crisis,";http://www.newleftreview.org/?getpdf=NLR28403&pdflang=en は、サブプライム問題の世界的な波及を綿密に叙述した秀作である。