消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(320) オバマ現象の解剖(65) レフトビハンド(7)

2010-08-31 15:38:11 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 

(1) LaHaye & Jenkins[1995]は、シリーズ物である。第一巻は、全米で六五〇万部、シリーズものすべての合計で全世界で六〇〇〇万部売った。ティム・ラヘイ(Tim LaHaye)は、二三歳で牧師資格をとり、二五年間、サンディエゴの「サドルマウンテン・バプティスト教会」(Suddle Mountain Baptist Chrch)というメガ・チャーチの牧師を務めている。クリスチアン・ヘリテージ大学(Christian Heritage University)も創設している。このラヘイのアイデアを基に、ジェンキンズが書き下ろしたのが、この小説である。

 Warren[2002]も二三〇〇万部という超ベストセラーになった。オバマ大統領の就任祈祷会の司祭を務めたウォーレン(Rick Warren)も、カリフォルニア州レークフォレスト(Lake Forest)のメガ・チャーチ、「サドルバック・バレー・コミュニティ・チャーチ」(Suddleback Valley Community Church)の創設者であり、後述するが、ブッシュ大統領の名代として、ウォーレンは、しばしば韓国を訪れ、朝鮮当局とも接触しようとしている。

 Osteen[2004]も、二五〇万部を売っている。オスティーンは、おそらく、全米で最大のメガ・チャーチ「レイクウッド・チャーチ」(Lakewood Church)の司祭である。週末の集会には一〇万人を集める自信があると、オースティンは『ビジネス・ウィーク』誌に語った(Symonds[2005], p. 46)。

(2) ウォーレンは、自著の販売方法を「連続花火的マーケッティング」(pyro marketing)と呼ぶ。つまり、「もっとも乾いた火のつきやすい層」(driest tinder)にまず、売り込む。彼らが、それに夢中になってくれて、自らの感動を他人に伝えたく、世界中にそれを広げてくれる、というのである。これが急速にベストセラーを生む方法である。

 ウォーレンがいうには、一二〇〇戸を超える福音主義教会が、この本の唱える四〇日間の魂の内省儀式をおこなう場所として、自分たちの教会を提供した。そして、これら司祭たちが、集会参加者たちにこの本を配った。司祭たちが配るために購入した数は四〇万部であった。定価二〇ドルのものを七ドルで出版社は司祭たちに提供した。内省儀式に参加し、司祭から本を配られた教会参加者たちは、一人平均五冊を定価で買い、友人に配った。この連鎖で、この本は世界の一六二か国の二万戸の教会で説教用に使われた(Symonds[2005], p. 50)。

 マーケットリサーチ会社のアービトロン(Arbitron)によれば、宗教関係書の売り上げは、一九九八年二六億ドルであったが、二〇〇四年には三三億ドルにまで増加した。こうした売上増加には、キリスト教伝道のラディオ局の激増も寄与した。ラディオ局数は、一九九八年には一〇八九であったが、二〇〇四年には二〇一四にまで増えた(Symonds[2005], p. 46)。

(3) クリスチャンの中には、将来イエス・キリストが再臨するが、再臨前に「大艱難時代」(Tribulation)がくる。そうした大艱難が始まる前にイエス・キリストを心から信じた信者たちがイエスの下に招き入れられる(この世から消える=携挙)。イエスの御子たちに苦しみを与えないためのイエスの心から出たのがこの携挙である。

 『旧約聖書』に当たる「エゼキエル書」第三八、三九章には、北の果てから敵の大軍が、ペルシャ、リビア、エチオピアという敵側同盟軍を引き連れてイスラエルに攻めてくるが、神の御業によって、敵軍は壊滅し、その武器は燃料になり、敵側兵士は鳥の餌食になり、敵の死体は大きな墓に埋葬されると預言されている。

 「イザヤ書」第九章第一、二節では、メシアが主としてガリラヤで宣教するが、「彼はさげずまれ、のけ者にされた悲しみの人である」と書かれている。「詩編」では、メシアが裏切られ、銀三〇枚で売られるとの預言が記されている。

 新約聖書「コリント人への手紙」第一、第一五章五一~五七節には、いわゆる携挙のことが書かれている。これは、使徒パウロが、コリントという町の教会のクリスチャンに宛てた手紙である。そこでは、イエスが、「私はまたきて、あなた方を私の元に迎えます。私のいる所にあなた方を置くためです」とある。パウロもいう。「私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちは皆が眠ってしまうのではなく、変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです」。

 さらに聖書では、「反キリスト」(the AntiChrist)の悪魔のペテン師が現れ、多くの人たちの心を掴み、世界的指導者と自称して地上に戦乱を巻き起こすと預言されている。イエスはいった。

 「私は私の父の名によてきましたが、あなた方は私を受け入れません。他の人がその人自身の名によってくれば、あなた方はその人を受け入れるのです」と。
 ヨハネ「黙示録」では、携挙の日から七年間、残されたもの(レフトビハインド)の苦難が続く、その期間は、最初の一年九か月の「封印の審判」、その後に続く同じく一年九か月の「ラッパの審判」、そして残り三年半の「鉢の審判」となる。これは、「大艱難時代」(トリブーレイション)といって、もっとも過酷な時代である。艱難は、時を追って厳しくなる。この七年を生き延びたとき、イエスが救済にくる。そして平和な「先年王国」(ミレニアム)がイエスによってもたらされるといわれている。

 「黙示録」第五章に、「七つの封印のある巻物」のことが書かれている。七つの封印のうち、最初の四つは、白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめる馬である。第一の封印の白い馬は、それに乗る反キリストを暗示する。「反キリスト」が平和を人類に約束しながら体制を整える一か月から三か月間を指す。第二の封印である赤い馬は戦争である。戦争自体は三か月から半年で終息する。第三の封印は黒い馬で、飢饉を意味する。そして、第四の封印が、飢饉と疫病の結果、生み出される死を暗示する青いざめた馬である。

 「黙示録」第六章第八節に「私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、その後にはハディスが付き従った。彼らに、地上の四分の一を、剣と飢饉と死病と地上の獣によって、殺す権威が与えられた」とある。

 五つめの封印は、回心したユダヤ人の布教者たちの殉教、第六の封印は聖者たちの虐殺、そして、第七の封印は「黙示録」第一一章三節から一四節に記されている二人の証人の反キリストによる虐殺である。

(4) イスラエルのどのような非道をも、米国のメガ・チャーチに拠点をもつ福音主義者たちは、米国政府とともに、即座に支持する。

 レバノンのシーア派(Shi'a)民兵組織「ヒズボラ」(Hezbollah)とイスラエル軍の戦闘について、当時のブッシュ大統領とコンドリーザ・ライス国務長官は、イスラエルには自衛権があり、ヒズボラのゲリラ行為に対処せずに戦闘を停止することは、永遠の平和には通じないと述べた。そして、二〇〇六年七月一八、一九の両日、福音派キリスト者三五〇〇人以上が、イスラエル支持のためにワシントンに集結した。「私たちはイスラエルのために主張するようイザヤに命令されている。イスラエルにあらゆる手段で応じる能力があって欲しい」と、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)で会員一万八〇〇〇人のメガ・チャーチ、「コーナーストーン・チャーチ」(Cornerstone Church)を主宰するジョン・ハギー(John Hagee)牧師はいった。

 同年七月二〇日、米下院は、対ヒズボラ交戦でイスラエルを支持し、その敵を非難する決議を四一〇対八で採択した。下院の与党共和党指導者、ジョン・ベイナー(John Baner)議員が、イスラエルと米国の「独特な関係」によるものだと語った。このように、ブッシュ政権時代では、米政府と福音派キリスト者の双方が、中東論議や紛争の際には、即座にイスラエルとその行動を支持する傾向があった(「世界キリスト教情報」、第八一四信、二〇〇六年八月七日、http://cjcskj.exblog.jp/m2006-08-07/)。

 もっと衝撃的なことがある。インド洋沿岸諸国を襲った大津波は、イスラム教徒に対するイエス・キリストの怒りであると受け止める人が、米国南部の福音主義者たちの半数を超え、カトリックでは一割あったという調査結果が出た(GMI, January 19, 2006)。

 バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr.)は、今度は福音派のリベラル分子を活用した。イラク戦争には自分は基本的に反対であったとして、ブッシュとは正反対の立場ではあれ、同じくキリスト教信者に依存したのである。二〇〇二年一〇月二日のシカゴ反戦集会で、当時無名であったイリノイ州議会議員であったオバマが演説した。「私が反対しているのは愚かな戦争です。私が反対しているのは、拙速な戦争です。私が反対しているのは、リチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツらの政策遂行者による冷酷なおこないです」。この演説は、宗教界の大物、ジェシー・ジャクソン(Jesse Louis Jackson,Sr.)師の前でおこなわれたのである(渡辺[二〇〇九]、二四六~四九ページ、三〇六~〇八ページ)。

(5) この集会で、グラハムは、次期民主党大統領候補と目されるヒラリーを持ち上げたし、集会の前日に、NBCテレビのケイティー・カーリック(Katie Curlick)とのインタビューで、自らを生涯の民主党員だと明らかにした。これに、福音派指導者のロブ・シャンク(Rob Shank)が不快感を表明した。

 シャンクは、グラハムの伝道学校に出席したり、巡回伝道者会議に参加したこともある。シャンクはいった。「私の二五年間にわたる手本ともいうべき人が、妊娠中絶と同性間結婚の拡大を認める党の党員資格を保持していたことには失望した。グラハム氏の後任者は、この最高の道徳的な問題で明確な基準を持つべきだ」といった。

 それでもシャンクはクルセードにワシントンから参加したが、その第三夜、グラハムがマイクをビル・クリントン(Bill Clinton)前大統領に手渡したことに、シャンクは衝撃を受けたという。グラハムの行為は、講壇近くに座っていたヒラリー(Hillary Rodham)・クリントン上院議員を支持していることを示唆したものと受けとられた。クリントン一家が「老グラハム」を利用するのを見て、シャンクは説教を聴くのに堪えられず、クリントン一家をグラハム氏が称賛している中、会場から出たという。
 「これは二〇〇八年の大統領選で福音派の票を分割し、ヒラリー勝利を確実にするクリントン一家の慎重で狡猾な、まったく政治的な動きだ」とシェンクはいった(「世界キリスト教情報」、第七五六信、二〇〇五年六月二七日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-06-27/)。

 オバマが勝利したという結果から見れば、シャンクは正しかった。保守的な福音主義者を敵に回してしまったことから、二〇〇四年の大統領選に敗れた民主党は、福音主義者の切りとりに大きなエネルギーを割いたのである。福音主義教会が民主党に近づいたのではなく、民主党が福音教会に近づいたのである。オバマが接近したのは、福音派牧師のジム・ウォーリス(Jim Wallis)であった(渡辺[二〇〇九]、一七六~七七ページ)。


野崎日記(319) オバマ現象の解剖(64) レフトビハンド(6)

2010-08-30 15:33:10 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  おわりに


 米アラバマ(Alabama)州フローレンス(Florence)の「神の第一教会」(First Church of God)は、青年たちに生きた金魚を飲み込ませるという苦行を強いている。これを同教会は、「恐怖の要素」宣教と称している。青年たちに恐怖というものを教え込もうというのである。教会の青年担当アンソニー・マーチン(Anthony Martin)牧師はいう。

 「私たちは、聖書が恐怖に関して記していることを実際に受け止め、学校で私たちの信仰を共有することを恐れないようにする必要がある。私たちはそんな恐怖に人生を支配させられない用意をしておくべきである」(「世界キリスト教情報」、第七七一信、二〇〇五年一〇月一〇日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-10-10)。

 これぞ、「レフトビハンド現象」である。イエス・キリストの再臨があるまで、キリスト教徒たちは、トリビュレーションの艱難に苦しまなければならない。世の中は恐怖と苦難に満ちている。それと戦う強い気持ちを持たなければならない。恐怖を克服する意志を持たねばならない。こうしたメッセージを出して、メガ・チャーチの指導者たちは、次々と恐怖を製造するのである。

 実際、米国の権力は、米国福音派教会のこうした姿勢を最大限利用してきた。
 あまりにも不興を買ったために廃止されたが、二〇〇四年四月、占領政府はイラクの新国旗を作成した。これは、非常にイスラエル国旗と似たものであった。田中宇は、これを「米占領軍が米国内のキリスト教右派に向けて、イラクがイスラエルの一部になったことを示すために、こんな旗を作ったのではないか」と書いた(「キリストの再臨とアメリカの政治」、二〇〇四年七月二一日、http://tanakanews.com/e0721secondcoming.htm)。

 米軍がイラクを占領した直後、米軍はイラク人の各派を集めて開催された最初の地が「ウル」(Ur)であった。ウルは、聖書によるとアブラハムの故郷である。イスラエル人の始祖であるアブラハムは、ウルからカナンの地(イスラエル周辺)に移住したのち、神からナイル川からユーフラテス川までの中東一帯の支配を任されたと聖書にはある。田中宇によれば、これも、米軍による米国福音派へのメッセージである。つまり、米軍が聖地イスラエルの領土をとり戻したということを米国の福音派にアッピールしたのであると、田中宇はいう。

 「かつてアメリカが入植・建国されていく過程で、イギリスからアメリカ大陸への移住を、イスラエルの再建になぞらえたキリスト教徒の勢力がいくつもあった。彼らは、自分たちの行動力でアメリカにイスラエルが再建され、それをきっかけにして歴史が聖書の記述通りに展開してイエスの再臨が起き、千年の至福の時代を早く実現させたいと考えた」(同)。

 聖書に書かれている通りに歴史が動くなら、早く千年王国が到来するように、聖書の預言を自分たちで実現させよう、つまり、戦争を起こそうというのである。再び、田中を引用しよう。

 「大昔から自然に形成された伝統のある社会に住む日本人など多くの国の人々にとって、歴史は『自然に起きたこと』の連続体であるが、近代になって建国されたアメリカでは『歴史は自分たちの行動力で作るもの』という考え方が強い」(同)。

 その意味において米国は特殊な存在なのである。つまり、彼らは、自分たちの行動力で国際政治を動かし、最終戦争状態を作り出そうとしているのである。キリストの再臨を促すのは、イスラエルをまず強大にさせ、敵のイスラムへの攻撃を誘発し、最後に米国とイスラエルの共同戦線によって、中東からイスラム勢力を一掃することがキリスト教徒の責務となるという歴史観に福音派は浸っている。そんな馬鹿なという思うのが常識というものであろう。しかし、レフトビハインド現象の蔓延、福音派による露骨なイスラエル支持、さらには、米国の権力者がイスラエルを支えることによって米国内の福音派の支持を得るという構造を見るとき、荒唐無稽なシナリオが、米国民の心の奥底を捉えてしまっているのではないかとの恐怖感を、私などは抱いてしまう。

 しかし、米国内にも冷めた目があることを急いで付け加えなければならない。『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、ビル・ケラー(Bill Keller)が、二〇〇四年五月一七日、「神とジョージ・W・ブッシュ」という題の記事を書いていて、そこでは、キリスト教右派の影響力はすでに無に等しいと断じた。これが、米国の良識というものだろう。しかし、オバマは、再度、福音派のメガ・チャーチの集票力を利用した。二〇〇九年一二月一〇日、オスロでのノーベル平和賞受賞講演で、「正義の戦争」がるといい切ったオバマに私は心から恐怖を感じる。


野崎日記(318) オバマ現象の解剖(63)レフトビハンド(5)

2010-08-29 15:19:58 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 米国民の過半数が「創造説」を信じているといわれる米国では、公立学校で創造説を教えることの是非が問われてきたが、憲法には政教分離原則が盛り込まれており、一九八七年に最高裁が「聖書の創世記を授業で教えることは、政教分離に反する」との判断を示して以来、公立学校で「生命は神が創った」とは教えられない。同時に、公然と進化論を教えることにも抵抗があり、生命誕生問題は、公教育の現場ではタブーとなっている。

 しかし、「創造説」へのこだわりは大きく、最近では、生命の誕生にはなんらかの知的計画が関与したとする「インテリジェント・デザイン」(intelligent design=知的計画)を授業で教えようとする動きに米国で出てきた。

 ダーウィン(Charles Robert Darwin)の進化論では生命誕生のなぞに答えられない、「時間をかけたからといって、複雑な生物は生まれ得ない」、「より高度な『力』が、生物を創造した」など、生物が誕生して固有の形をもつようになった背景には、なんらかの知的計画があると主張するのが、インテリジェント・デザイン説である。

 この説は、「神」や「創世記」といった言葉を用いてはいないものの、創造説の一つであることは間違いない。進化論支持派は、インテリジェント・デザインについて天地創造説の「神」を「知的計画」に置き換えただけだと批判している。

 二〇〇五年一一月八日、東部ペンシルベニア州と中部カンザス州でこの問題に関して、対照的な、二つのできごとがあった。

 ペンシルベニア州南部のドーバー(Dover)市では、教育委員会の選挙でインテリジェント・デザインを支持する八人が落選した。二〇〇四年、この町で、生物の授業において、「進化論には『穴』があり、インテリジェント・デザイン説は穴を埋める理論の一つだ」とする文書を教師が読み上げることを教育委員会が決めた。しかし、これは、政教分離の原則に反するとして法廷論争が続いていた。

 一方、カンザス州の教育委員会は、同じく八日、公立学校を対象とした「生命誕生をめぐる科学的な論争」を教えるとするカリキュラム改訂案を賛成六、反対四で可決した。直接言及していないが、授業で進化論だけでなくインテリジェント・デザイン説も合わせて教えようとしたものである。創造説を授業に取り入れるかどうかは、各学校の判断に委ねられるが、福音主義者の圧力があったことは確かである(「世界キリスト教情報」、第七七六信、二〇〇五年一一月一四日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-11-14/)。

 ドーバーで、創造説的なインテリジェント・デザイン説を支持する人たちが教育委員会選挙に八人も落ちたことをロバートソンは激怒し、一〇日には、ドーバー市が「神」を拒絶したと批判し、「神が怒りを下すだろう」と語った(Reuter, November 11, 2005)。

 ロバートソンは、一九九八年に、フロリダ州オーランド(Orland)市が同性愛者団体の活動を許可したことを批判し、同市にハリケーンや地震、テロ攻撃などの災害が発生するであろうと警告した。

 彼は、二〇〇五年八月二二日にも物議を醸す発言をした。米国との対立が深刻化しているベネズエラ(Bolivarian Republic of Venezuela)のチャベス(Hugo Rafael Chávez Frías)大統領を暗殺すべきだとまでいってしまったのである。

 同氏は自分の番組「七〇〇クラブ」で、チャベス大統領を「共産主義とイスラム原理主義を米大陸に広めている」と批判したうえで、チャベスが繰り返し言及してきた「米国によるチャベス暗殺計画」に触れ、「もしそれが本当なら、われわれは暗殺を実行すべきだ」、「独裁者を始末するのに(イラクのように)二〇〇〇億ドルも使って戦争をやる必要はない。秘密工作員に仕事をやってもらう方がずっと楽だ」、暗殺には情報機関の数人の活動で十分なはずであると述べたのである。

 ベネズエラのホセ・ビセンテ・ランヘル(Jose Vicente Rangel Vale)副大統領は、翌二三日の会見で「米国は対テロ戦争を説く一方、このような影響力のある人物にテロリスト的発言を許している」、「この発言は明らかな犯罪だ」と米国に対処を求めた。

 これに対しマコーマック(Sean McCormack)米国務省報道官(Department of State Spokesman)は同日、「不適切な発言だが、米政府の政策ではない」と、ローバートソンの発言をたんなる一市民のものにすぎないと強調した。

 ロバートソンの発言は、予想以上に波紋を広げ、二四日、ロバートソンは記者会見で謝罪した。しかし、謝罪はしたものの、イラクのフセイン(Saddam Hussein)元大統領やヒトラーを引き合いに出し、「無実の傍観者の群れに車が突っ込もうとしているとき、ただ惨劇を待つことはできない。ドライバーからハンドルを奪い取らねばならない」と、比喩的にチャベス大統領を改めて批判した。

 南米最大の産油国ベネズエラは、米国にとって原油の主要な輸入国だが、チャベスは南米でもっとも目立つ反米主義者で、米州自由貿易構想をはじめ、イラク戦争のほか、米国の政策にことごとく反発してきた。ロバートソンの発言は、チャベス政権に対する米国内の保守派の苛立ちを示したものであろう(「世界キリスト教情報」、第七七五信、二〇〇五年八月二九日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-08-29/)。
 パット・ロバートソンは、過激な発言のゆえに、『タイム』では選ばれなかったが、福音派拡張の大きな力であったという事実は否めない。

 ロバートソンと同じく『タイム』の選に漏れたジェリー・フォルウェルも、これまたロバートソン同様、米国の著名なテレビ説教者である。フォルウェルは、一九七九年に「モラル・マジョリティ」(Moral Majority)を創設した。これが、保守的な道徳観念を米国民に与えた影響も、共和党が躍進する大きな原動力であった。そのフォルウェルが、「二一世紀のモラル・マジョリティの復活」(21st century resurrection of the Moral Majority)と銘打って、新組織「モラル・マジョリティ連合」(Moral Majority Coalition)を二〇〇四年一一月に打ち上げた。新組織は、中絶反対の判事を任命し、同性間結婚禁止への連邦レベルでの法修正を実現させ、二〇〇八年の保守派大統領選出にとり組むなどの政治活動を展開するはずであった。当時、七一歳であったフォルウェルは、二〇〇八年までの四年間は新組織の全国委員長としての役目をはたすと語っていた(「世界キリスト教情報」、第七二五信、二〇〇四年一一月一五日、http://cjcskj.exblog.jp/m20004-11-15/)。しかし、これも爆発的なオバマ現象で腰砕けになってしまった。

 ロバートソンやフォルウェルよりもはるかに目立つ福音主義者がビリー・グラハムである。二〇〇六年八月一四日号の『ニューズウィーク』(Newsweek)が、グラハム特集を組んだ。キリスト教徒の多くが、イスラム教やヒンズー教などの異教徒でも神によって救済されるという考え方を「万人救済論」であるとして警戒している。グラハムにはつねにそうした危惧がつきまとうという非難が存在するが、グラハムは最大のカリスマになっている(神学的意味におけるカリスマではなく、通俗的表現としてのカリスマ)。彼は、「ビリー・グラハム伝道教会」(Billy Graham Evangelistic Association)の創設者である。二〇〇六年三月一二日、その前年にハリケーンの大被害を受けたニューオーリンズで伝道集会を開いたさいには、会場に一万六三〇〇人、会場に入ることができなかった人数も一五〇〇人いた。このとき、彼は、これが最後の伝道になるだろうといった。八七歳であった(「世界キリスト教情報」、第七九四信、二〇〇六年三月二〇日、http://cjcskj.exblog.jp/m2006-03-20/)。

 二〇〇五年六月二四日から三日間、グラハムは、ニューヨークで大勢の前で伝道をおこなった。会場となったクイーンズ(Queens)地区のフラッシング・メドウズ・コロナ公園(flushing meadows Corona Park)には、約六万人が参加し、三日間で延べ二三万人が彼の説教を最後のものとして聴いた。世界の十数か国から七〇〇を超えるメディアが集まった。

 グラハムは高齢のうえ、前立腺がんやパーキンソン病を患っている。この集会が彼がおこなった大衆伝道の四一七回目であった。伝道前の六月二二日の記者会見では「健康と体力の衰えで私のできることは限られてきた。伝道の日々はまもなく終わる」と述べた。
 グラハムは世界一八五か国を訪問、約二億人に伝道した。一九九二年と九四年には朝鮮を訪れ、当時の金日成主席とも会談した。またトルーマン以来、ブッシュ父子を含め米歴代大統領とも親密な関係を築いた。ブッシュ大統領はグラハムとの出会いが信仰を深める転機になったといった(「世界キリスト教情報」、第七五六信、二〇〇五年六月二七日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-06-27/)。ただ、グラハムは、政治的な問題に関しては、歴代大統領と一定の距離を置いてきた(5)。

 米国の出版社、パトナム(Putrnam)が、グラハムのこの六月にニューヨークでおこなわれた最後のクルセード(伝道)のメッセージ(説教)集、『神の愛に生きる=ニューヨーク・クルセード』(Living in God's Love, New York Crusade)を出版した(Graham [2005])。グラハム自身が序文とあとがきを執筆した。事実上の著者は息子である。編集はペンギン(Penguin)・グループのジョエル・フォティノス(Joel Fotinos)宗教書部長(Director of Religious Publishing)が担当した。パトナムはアライブ・コミュニケーションズ(Alive Communications)のリック・クリスチャン(Rick Christian)から版権を獲得した。

 二〇〇四年一一月一八日から二一日までの四日間、グラハムはロサンゼルスで「カリフォルニア・クルセード」を開いた。この伝道集会には延べ三一万人が参加し、一万一〇〇〇人を超える人々が洗礼の決意を示した(「世界キリスト教情報」、第七二七信、二〇〇四年一一月二九日、http://cjcskj.exblog.jp/m2004-11-29/)。

 以上に見られるように、著名な福音派の指導的牧師たちは、総じて積極的に共和党の党勢拡大の活動をおこなってきたが、次第に内部の亀裂が大きくなっていた。オバマ陣営はこの間隙を突いたのである。


野崎日記(317) オバマ現象の解剖(62) レフトビハインド(4)

2010-08-25 22:02:56 | 野崎日記(新しい世界秩序)
 この反省を受けて二〇〇八年の大統領選挙に成功したのがオバマ(Barack Hussein Obama, Jr.)であった。オバマは、それまではそれほど注目されていなかったキリスト教会のコミュニティ・オーガナイザー(Community Organizer)組織をフル動員することに成功した。

 コミュニティ・オールガナイザーは、慈善奉仕活動家ではない。彼らは、教育、公衆衛生、雇用、治安などの地域が直面している問題を改善するために、役所など担当部署を突き動かすために運動を起こし、運動の担い手を発掘して育てる組織である。オーガナイザーは、住民の運動の手伝いをするだけで、運動の中心的リーダーにはならない。運動の担い手はあくまでも運動の中心にいる地元住民である。コミュミティ・オーガナイザーは、地域社会の人間関係の構築から作業を始める。オーガナイザーは職業である。給料はキリスト教会から出されている(渡辺[二〇〇九]、一五二~六二ページ)。

 オバマはシカゴで、一九八五年から一九八八年月まで、教会が主導するDCP(地域振興事業=Developing Communities Project)のマネジャーとして務めた。オバマは同地域の事業所の人員を一名から一三名に増員させ、年間予算を当初の七万ドルから四〇万ドルに拡大させるなどの業績を残した(Ryan[2007])。

 オバマは、教会ベース型オーガナイズに依拠した。教区単位に会長を据え、地域を組織化してもらう。教会の力を借りたオーガナイズは、荒れはてた低所得地域で展開された。教会以外になにもない。地域ビジネスもない。教会だけが資金源であった(渡辺[二〇〇九]、一六四~六五ページ)。

 教会は地域住民の組織化に圧倒的な力を持つ。一つの教会が五〇〇人のメンバーを抱えている。一〇の教会の同意を得ることができれば、五〇〇〇人を組織できる。教会には人とカネがある。オバマは、教会信者をも増やすことに成功した(渡辺[二〇〇九]、一六八~六九ページ)。

 オバマの革命性は、コミュニティ・オーガナイザーを大統領選挙キャンペーンの主力に置いたことである。オバマは、オーガナイザーの組織作りのノウハウを活用した。米国の伝統的な選挙キャンペーンのスタイルであった、陣営が上から指令するのではなく、キャンペーン参加者に主導権を渡した。オバマ陣営に蝟集した若者たちは歴史を創っているとの意識を持たされた。コミュニティ・オーガナイザーのプロをキャンペーンのボランティア訓練の講師に投入した。オバマは、プロのオーガナイザーを通して、各地でキャンプ・オバマという二日間の集中合宿で一〇〇〇人規模ボランティアのリーダーを育て、選挙キャンペーンの現場に放った。

 ただし、オバマはここで巧妙な手を使った。コミュニティ・オーガナイズの運動は、政党活動をしないという条件で、献金額に対しては非課税扱いであった。しかし、オバマはこのオーガナイザーを選挙活動に動員したのである。オバマは実際には、政党活動をおこなわない条件のオーガナイズ組織を正式のオーガナイザーに休職してもらい、個人の資格として選挙ボランティアに使ったのである。オーガナイザーの個人的力量を政治活動に活用したのである。こうして、オバマは政党活動禁止の壁を乗り越えた。オバマが初めて政治目的にプロのオーガナイザーを用いたのである(渡辺[二〇〇九]、一八〇~八五ページ)。

 テキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)のマーク・レグネルス(Mark Regnels)教授は、民主党が国政選挙に勝てる唯一の方法は、妊娠中絶や同性愛者間結婚などの社会問題で、基本路線を再考することだとして、「党員にはショックをかもしれないが路線を修正すべきだ。二〇〇四年回の傾向から見ると、中絶反対の民主党だったら、多くの宗教保守派、とくにカトリック信徒をとり込めただろうに、逆に民主党は彼らを噛み砕いて、吐き出し続けた」と語っていた。事実、そうであった(「世界キリスト教情報」、第七二四信、二〇〇四年一一月八日、http://cjcskj.exblog.jp/m2004-11-18/)。

 二〇〇四年の大統領選では、米国の白人の福音主義者たちの七八%がブッシュに投票した。再選された子ブッシュ大統領は二〇〇五年二月二日に「一般教書演説」(State of the Union address)をおこない、翌三日に「朝食祈祷会」(Breakfast-Pray)を開いたが、「一般教書演説」の草稿を書いたのは、マイケル・ガーソン(Michael Garson)という当時四〇歳の福音主義者であった。翌日の朝食祈祷会の主催者も、同じく、福音主義者のダグラス・コー(Douglas Koh)であった。彼は、当時、七六歳であり、「フェローシップ・ファンデーション」(Fellowship Foundation)の総裁である。〇八年の選挙で、オバマはこの経験を生かした。

 二〇〇九年一月二〇日のオバマ次期大統領の就任式で、サドルバック教会(Saddleback Valley Community Church)のリック・ウォレン(Richard D. "Rick Warren)牧師が祈祷を担当した。本書第六章、および本章注(1)と(2)でも説明したように、サドルバック教会は、代表的なメガ・チャーチであり、ウォーレンはベストセラー作りの達人である。ここに、オバマのしたたかさが現れている。

 オバマは、上院議員時代の二〇〇六年にサドルバック教会のエイズ会議に出席。大統領選出馬後にも映像メッセージを送るなど、ウォレン牧師の伝道に協力してきた。ウォレン牧師は、二〇〇八年一二月一八日に声明を発表し、自分が選ばれたことは、同性婚を支持する勢力からの反発を予測したうえでのオバマの勇断を賞賛すると表明した。オバマは、同日のシカゴでの記者会見で、同性婚を支持する自分の立場に変わりはないとしたうえで、「特定の問題で意見が違っても、結束が重要だ」とし、就任式でも米国民の結束をアピールする意向を示した(http://www.christiantoday.co.jp/main/international-news-1948.html)。

 『タイム』(Time, Feburuary 7, 2005)は、初めて、もっとも影響力のある米国の福音主義の指導者二五人を選んだ。本稿、注(1)で扱ったティム・ラヘイも選ばれた。同誌が初めてこのような特集を組んだのは、子ブッシュの再選に福音主義派教会、とくにメガ・チャーチが大きく貢献したと見なしたからである。同誌の表紙は、二五人の顔と十字架が描かれていた。そして、「ブッシュが彼らから受けた恩恵はなにか?」、「民主党に必要なものはより多くの宗教ではないのか?」という見出しが付けられた。オバマは、この特集を意識したのであろう。こうした牧師たちを自分の陣営に招き入れることに成功しつつある。

 上述のマイケル・ガーソン、ダグラス・コー、ティムラヘイの他には、大物の伝道者、ビリー・グラハム(Billy Graham)とその息子のフランクリン・グラハム(William Franklin Graham)、ワシントンに本拠を置く保守系シンクタンク「宗教と自由研究所」(Institute for religion and freedom )の所長、ダイアン・ニッパー(Dian Nipper)などが含まれていた。息子のフランクリン・グラハムは、二〇〇九年一〇月一三日、オバマ政権の意を呈して、訪朝した(http://www.oita-press.co.jp/worldInternational/2009/10/2009101301000835.html)。
 しかし、大物のパット・ロバートソン(Pat Robertson )とジェリー・フォルウェル(Jerry Falwell)の二人は『タイム』の二五人の選に漏れた。

 二〇〇四年時点で、代表的な福音主義者を選ぼうとすれば、パット・ロバートソンを外すことはできなかったはずである。彼は、一九八八年の共和党大統領予備選に出馬した経験があり、二〇〇四年の子ブッシュ大統領再選に大きく貢献した人である。彼は、全米で数百万人の会員を抱える「クリスチャン連合」(Christian Coalition)の創設者でもあり、さらに、国民的人気のあるケーブル・テレビ(クリスチャン放送網=CBN)を運営し、自らも宗教番組、「七〇〇クラブ」(七〇〇 Club)に出演して、福音主義の拡大の原動力になっている人でもある。

 『タイム』の副編集長、スティーブ・コープ(Steve Koup)は、彼を外したことについて、すでに地位を築いた人よりも、これから影響力を増すような新人を選んだと弁明した.。確かに彼は、当時七五歳であったが、選ばれた人の中には、彼よりも年長者が結構いたので、年齢は理由にならない。むしろ、ロバートソンの、数々の、あまりにも過激な米国・イスラエル擁護発言のせいであろうと思われる。

 たとえば、血栓症などで二〇〇五年一月四日に入院したイスラエルのアリエル・シャロン(Ariel Sharon)首相について、ロバートソンは、自らの番組で、聖書の「ヨエル書」を引用して「イスラエルがガザ地区の入植地から撤退したことに神の罰が下ったのだろう」と発言した。これには、米国民はもとより、イスラエル政府も直ちに不快感を表明した。

 ロバートソンは、ガリラヤ湖畔(The Sea of Galilee )に「クリスチャン・テーマ・パーク」(Christian theme park)の建設を企画していた。イスラエル政府も、協力を申し入れていたが、ロバートソンの発言に抗議する意図を込めて、支援の打ち切りと協力の撤回を決めた(「世界キリスト教情報」、第七八五信、二〇〇六年一月一六日、http://cjcskj.exblog.jp/m2006-01-16/)。

 いずれにせよ、福音主義者たちは、ことイスラエルに関するかぎり、一切の批判を許さないという姿勢を堅持していたことは確かである。そして、彼らの支持が子ブッシュの背骨になっていたのである。

 また、ロバートソンは、進化論を支持する人たちを非難したことがある。これまで米国では、進化論支持者と、旧約聖書創世記にあるように神が天地を創造されたとする天地創造説支持者の対立が続いてきた。