注
(1) LaHaye & Jenkins[1995]は、シリーズ物である。第一巻は、全米で六五〇万部、シリーズものすべての合計で全世界で六〇〇〇万部売った。ティム・ラヘイ(Tim LaHaye)は、二三歳で牧師資格をとり、二五年間、サンディエゴの「サドルマウンテン・バプティスト教会」(Suddle Mountain Baptist Chrch)というメガ・チャーチの牧師を務めている。クリスチアン・ヘリテージ大学(Christian Heritage University)も創設している。このラヘイのアイデアを基に、ジェンキンズが書き下ろしたのが、この小説である。
Warren[2002]も二三〇〇万部という超ベストセラーになった。オバマ大統領の就任祈祷会の司祭を務めたウォーレン(Rick Warren)も、カリフォルニア州レークフォレスト(Lake Forest)のメガ・チャーチ、「サドルバック・バレー・コミュニティ・チャーチ」(Suddleback Valley Community Church)の創設者であり、後述するが、ブッシュ大統領の名代として、ウォーレンは、しばしば韓国を訪れ、朝鮮当局とも接触しようとしている。
Osteen[2004]も、二五〇万部を売っている。オスティーンは、おそらく、全米で最大のメガ・チャーチ「レイクウッド・チャーチ」(Lakewood Church)の司祭である。週末の集会には一〇万人を集める自信があると、オースティンは『ビジネス・ウィーク』誌に語った(Symonds[2005], p. 46)。
(2) ウォーレンは、自著の販売方法を「連続花火的マーケッティング」(pyro marketing)と呼ぶ。つまり、「もっとも乾いた火のつきやすい層」(driest tinder)にまず、売り込む。彼らが、それに夢中になってくれて、自らの感動を他人に伝えたく、世界中にそれを広げてくれる、というのである。これが急速にベストセラーを生む方法である。
ウォーレンがいうには、一二〇〇戸を超える福音主義教会が、この本の唱える四〇日間の魂の内省儀式をおこなう場所として、自分たちの教会を提供した。そして、これら司祭たちが、集会参加者たちにこの本を配った。司祭たちが配るために購入した数は四〇万部であった。定価二〇ドルのものを七ドルで出版社は司祭たちに提供した。内省儀式に参加し、司祭から本を配られた教会参加者たちは、一人平均五冊を定価で買い、友人に配った。この連鎖で、この本は世界の一六二か国の二万戸の教会で説教用に使われた(Symonds[2005], p. 50)。
マーケットリサーチ会社のアービトロン(Arbitron)によれば、宗教関係書の売り上げは、一九九八年二六億ドルであったが、二〇〇四年には三三億ドルにまで増加した。こうした売上増加には、キリスト教伝道のラディオ局の激増も寄与した。ラディオ局数は、一九九八年には一〇八九であったが、二〇〇四年には二〇一四にまで増えた(Symonds[2005], p. 46)。
(3) クリスチャンの中には、将来イエス・キリストが再臨するが、再臨前に「大艱難時代」(Tribulation)がくる。そうした大艱難が始まる前にイエス・キリストを心から信じた信者たちがイエスの下に招き入れられる(この世から消える=携挙)。イエスの御子たちに苦しみを与えないためのイエスの心から出たのがこの携挙である。
『旧約聖書』に当たる「エゼキエル書」第三八、三九章には、北の果てから敵の大軍が、ペルシャ、リビア、エチオピアという敵側同盟軍を引き連れてイスラエルに攻めてくるが、神の御業によって、敵軍は壊滅し、その武器は燃料になり、敵側兵士は鳥の餌食になり、敵の死体は大きな墓に埋葬されると預言されている。
「イザヤ書」第九章第一、二節では、メシアが主としてガリラヤで宣教するが、「彼はさげずまれ、のけ者にされた悲しみの人である」と書かれている。「詩編」では、メシアが裏切られ、銀三〇枚で売られるとの預言が記されている。
新約聖書「コリント人への手紙」第一、第一五章五一~五七節には、いわゆる携挙のことが書かれている。これは、使徒パウロが、コリントという町の教会のクリスチャンに宛てた手紙である。そこでは、イエスが、「私はまたきて、あなた方を私の元に迎えます。私のいる所にあなた方を置くためです」とある。パウロもいう。「私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちは皆が眠ってしまうのではなく、変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです」。
さらに聖書では、「反キリスト」(the AntiChrist)の悪魔のペテン師が現れ、多くの人たちの心を掴み、世界的指導者と自称して地上に戦乱を巻き起こすと預言されている。イエスはいった。
「私は私の父の名によてきましたが、あなた方は私を受け入れません。他の人がその人自身の名によってくれば、あなた方はその人を受け入れるのです」と。
ヨハネ「黙示録」では、携挙の日から七年間、残されたもの(レフトビハインド)の苦難が続く、その期間は、最初の一年九か月の「封印の審判」、その後に続く同じく一年九か月の「ラッパの審判」、そして残り三年半の「鉢の審判」となる。これは、「大艱難時代」(トリブーレイション)といって、もっとも過酷な時代である。艱難は、時を追って厳しくなる。この七年を生き延びたとき、イエスが救済にくる。そして平和な「先年王国」(ミレニアム)がイエスによってもたらされるといわれている。
「黙示録」第五章に、「七つの封印のある巻物」のことが書かれている。七つの封印のうち、最初の四つは、白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめる馬である。第一の封印の白い馬は、それに乗る反キリストを暗示する。「反キリスト」が平和を人類に約束しながら体制を整える一か月から三か月間を指す。第二の封印である赤い馬は戦争である。戦争自体は三か月から半年で終息する。第三の封印は黒い馬で、飢饉を意味する。そして、第四の封印が、飢饉と疫病の結果、生み出される死を暗示する青いざめた馬である。
「黙示録」第六章第八節に「私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、その後にはハディスが付き従った。彼らに、地上の四分の一を、剣と飢饉と死病と地上の獣によって、殺す権威が与えられた」とある。
五つめの封印は、回心したユダヤ人の布教者たちの殉教、第六の封印は聖者たちの虐殺、そして、第七の封印は「黙示録」第一一章三節から一四節に記されている二人の証人の反キリストによる虐殺である。
(4) イスラエルのどのような非道をも、米国のメガ・チャーチに拠点をもつ福音主義者たちは、米国政府とともに、即座に支持する。
レバノンのシーア派(Shi'a)民兵組織「ヒズボラ」(Hezbollah)とイスラエル軍の戦闘について、当時のブッシュ大統領とコンドリーザ・ライス国務長官は、イスラエルには自衛権があり、ヒズボラのゲリラ行為に対処せずに戦闘を停止することは、永遠の平和には通じないと述べた。そして、二〇〇六年七月一八、一九の両日、福音派キリスト者三五〇〇人以上が、イスラエル支持のためにワシントンに集結した。「私たちはイスラエルのために主張するようイザヤに命令されている。イスラエルにあらゆる手段で応じる能力があって欲しい」と、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)で会員一万八〇〇〇人のメガ・チャーチ、「コーナーストーン・チャーチ」(Cornerstone Church)を主宰するジョン・ハギー(John Hagee)牧師はいった。
同年七月二〇日、米下院は、対ヒズボラ交戦でイスラエルを支持し、その敵を非難する決議を四一〇対八で採択した。下院の与党共和党指導者、ジョン・ベイナー(John Baner)議員が、イスラエルと米国の「独特な関係」によるものだと語った。このように、ブッシュ政権時代では、米政府と福音派キリスト者の双方が、中東論議や紛争の際には、即座にイスラエルとその行動を支持する傾向があった(「世界キリスト教情報」、第八一四信、二〇〇六年八月七日、http://cjcskj.exblog.jp/m2006-08-07/)。
もっと衝撃的なことがある。インド洋沿岸諸国を襲った大津波は、イスラム教徒に対するイエス・キリストの怒りであると受け止める人が、米国南部の福音主義者たちの半数を超え、カトリックでは一割あったという調査結果が出た(GMI, January 19, 2006)。
バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr.)は、今度は福音派のリベラル分子を活用した。イラク戦争には自分は基本的に反対であったとして、ブッシュとは正反対の立場ではあれ、同じくキリスト教信者に依存したのである。二〇〇二年一〇月二日のシカゴ反戦集会で、当時無名であったイリノイ州議会議員であったオバマが演説した。「私が反対しているのは愚かな戦争です。私が反対しているのは、拙速な戦争です。私が反対しているのは、リチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツらの政策遂行者による冷酷なおこないです」。この演説は、宗教界の大物、ジェシー・ジャクソン(Jesse Louis Jackson,Sr.)師の前でおこなわれたのである(渡辺[二〇〇九]、二四六~四九ページ、三〇六~〇八ページ)。
(5) この集会で、グラハムは、次期民主党大統領候補と目されるヒラリーを持ち上げたし、集会の前日に、NBCテレビのケイティー・カーリック(Katie Curlick)とのインタビューで、自らを生涯の民主党員だと明らかにした。これに、福音派指導者のロブ・シャンク(Rob Shank)が不快感を表明した。
シャンクは、グラハムの伝道学校に出席したり、巡回伝道者会議に参加したこともある。シャンクはいった。「私の二五年間にわたる手本ともいうべき人が、妊娠中絶と同性間結婚の拡大を認める党の党員資格を保持していたことには失望した。グラハム氏の後任者は、この最高の道徳的な問題で明確な基準を持つべきだ」といった。
それでもシャンクはクルセードにワシントンから参加したが、その第三夜、グラハムがマイクをビル・クリントン(Bill Clinton)前大統領に手渡したことに、シャンクは衝撃を受けたという。グラハムの行為は、講壇近くに座っていたヒラリー(Hillary Rodham)・クリントン上院議員を支持していることを示唆したものと受けとられた。クリントン一家が「老グラハム」を利用するのを見て、シャンクは説教を聴くのに堪えられず、クリントン一家をグラハム氏が称賛している中、会場から出たという。
「これは二〇〇八年の大統領選で福音派の票を分割し、ヒラリー勝利を確実にするクリントン一家の慎重で狡猾な、まったく政治的な動きだ」とシェンクはいった(「世界キリスト教情報」、第七五六信、二〇〇五年六月二七日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-06-27/)。
オバマが勝利したという結果から見れば、シャンクは正しかった。保守的な福音主義者を敵に回してしまったことから、二〇〇四年の大統領選に敗れた民主党は、福音主義者の切りとりに大きなエネルギーを割いたのである。福音主義教会が民主党に近づいたのではなく、民主党が福音教会に近づいたのである。オバマが接近したのは、福音派牧師のジム・ウォーリス(Jim Wallis)であった(渡辺[二〇〇九]、一七六~七七ページ)。