消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.188 原油価格の高騰と中国の石油外交

2007-11-07 01:52:57 | 日本


 本稿は、宮崎政則氏のご論考(宮崎[2007])を紹介する形で、日本における資源外交の不在を憂うものである。

 2007年「世界企業10傑」(the Economist, 1st of September, 2007)によると、1位エクソン・モービル、2位GE、3位と4位に中国企業が顔を出している。3位は中国商工銀行、4位はペトロチャイナであった。石油関連では、8位がロイヤルダッチ・シェル、9位がプーチン・カンパニーのガスプロムであった。

 かつてセブンスターズと恐れられていた1970年代の欧米メジャーの凋落は著しく、世界10傑には、1位のエクソン・モービルと8位のロイヤルダッチ・シェルの2つしか入っていない。しかも、この2社が保有する鉱区の石油埋蔵量は全世界の3%程度しかない。かつてと異なり、外国資本による鉱区所有は困難になっているので、保有鉱区がこの3%という小ささはやむを得ないのだが、それでは、流通支配はどうかと見ると、なんと10%程度しかないのである。これは、無数の新興石油会社が台頭してきたことの帰結である。

 そして、中国とロシアの国有メジャーが世界的大企業にまで躍進してしまった(宮崎[2007]、192ページ)。

 スーダンの状況も様変わりを見せている。戦乱で困難の極みに達していると思いきや、大変な経済成長を実現させているのである。Los Anzels Times(August 27, 2007)は、米国から「テロ支援国家」と呼ばれているスーダンの首都ハルツームの5つ星ホテル、「アル・サロム・ロタナ・ホテル」のプールサイドで中国系豪商のくつろぐ姿を撮影している。

 スーダンは、おかしなことに、経済制裁を受けた96年から経済が躍進し、2006年には13%もの経済成長をしてしまった。これは、同国への外国からの投資はわずか10年足らずで4倍以上になったことによる。

 中でも、中国は、スーダンの石油施設に70億ドルを投じたとされている。20万人が虐殺され、「世界最大の人道危機」で苦しんでいるはずのスーダン(首都、ハルツーム)の独裁政権に対して、中国は、武器を援助し続けている。西側陣営はこれに反発し、北京オリンピックのボイコット運動も起こっている(同、193ページ)。

 中国の旺盛な資源需要は、これまで、中国の人権問題に先鋭な批判を繰り返していたオーストラリアの態度をも変えさせた。

 2007年時点で、オーストラリア産の鉄鉱石の40%が中国に輸出されている。しかも、2003年から2007年までに中国向け輸出は3~4倍に増大した。中国は、87年から2007年までに合計100億ドルにも及ぶ鉄鉱石をオーストラリア西部から輸入した。

 東部のシドニーやメルボルンが不況、西部が好況になったのも、中国の対オーストラリア投資が、重要な要因である。西部に進出した中国の鉄鋼会社の数は、2007年時点で12社あった。2007年9月、胡錦濤がAPEC会議のついでにバース近郊の鉄鉱石採掘現場を訪れたときには、大歓迎を受けた。

 このAPEC会議の直前、中国国有企業のペトロチャイナが、490億ドルに達する2つの協定をオーストラリアの企業と結んだ。

 1つは、オーストラリア最大の資源開発企業であるウッドサイド社とのLNGの共同開発である。これは、2013年から開始され、中国向けの生産が行われる。

 2つは、3つの巨大LNG基地を建設する協定である。江蘇省、河北省の唐山、遼寧省の大連に建設される予定である。この建設にオーストラリア企業が参加することになった。2010年の完成予定である。天然ガスはイランから25年の長期契約で輸入されることになっている(同、193ページ)。

 天然ガスのパイプライン建設にも中国は邁進している。トルクメニスタンからカザフスタン、そして、中国新彊ウィグル自治区を経由して広州につながる全長7000キロメートルのガスパイプラインの敷設工事が決まり、2008年に着工する。すでに、カザフスタン─新彊ウィグル─上海のガスパイプラインは完成している(同、193ページ)。

 北朝鮮とは、実質的に経済交流係を中国は深めている。米国は資源探査衛星を使って、北朝鮮に膨大なウラン資源が埋蔵されていることを確認した模様であるが、中国は、すでに、石炭、鉄鉱石、レアメタルの鉱山開発権利を確保している。ラジン、ソンボンの港湾改修工事も中国企業が行っている。これは日本海の出口である(同、194ページ)。

 中国が石油輸入を開始したのは、1993年からである。中国は、国有石油会社を3つもっている。ペトロチャイナ、シノペック、CNOOC(中国海洋石油)がそれである。しかし、遅れて国際石油開発に参入した中国に残されている良好な鉱区は少なかった。ミサイルを売って、サウジアラビア、イラン、イラク、ベネズエラ、ボリビア、ブラジルに鉱区を確保した。サウジアラビアを除いて、これら諸国が、ベネズエラのチャベス大統領を先頭に反米の大合唱をしているのである(同、194ページ)。

 ただし、政治的にはともかく、経済的にもこれら諸国が米国から離れるようなことはないだろう。むしろ、冷戦時代と同じく、これら諸国は、中国と米国とを競争させることによって、経済交渉を有利に進めようとしているだけのことである可能性がきわめて高い。

 アフリカもまた、資源争奪戦の主たる戦場になってきた。Time(June 11, 2007)は、アフリカは、もはや暗黒大陸ではなく、資源大国、ペトロ大陸になった書いた。中国の石油輸入に占めるスーダンのシェアは8%で、イランの12%に次ぐ大きさである。スーダンでの中国企業の石油採掘量は日量50万バレルで、その3分の2が中国に向けられている。

 現在、アフリカで479か所で石油井が掘られている。5億ドルが新開発事業に投じられている。まだ3万個所も開発可能な井戸があるという(International Herald Tribune, May 24, 2007、同、195ページ)。

 米国も、アフリカに注目するようになった。ロシア、中央アジアのナショナリズムの台頭と、中東の混乱から、米国は本格的にアフリカの油田開発に積極的になっている。

 北海油田やメキシコ湾に匹敵する可能性のある東アフリカ、つまり、ケニアからマダガスカルまでの海底資源は、まだ未開発である。そして、ウガンダとマダガスカルで膨大な石油埋蔵が確認された。マダガスカルの石油は、2007年夏から採掘が開始され、推定埋蔵量は100億バレルである。

 タンザニアでも、ガスが確認された。ロイヤルダッチ・シェルは、タンザニアの自治区であるザンジバルの海底油田が開発可能と判断した。ただし、輸送面で困難であるとの認識も示した。欧米資本は、建設しやすいナイジェリア、アルジェリア、アンゴラなど少数の地域にのみインフラ建設を行ってきたに過ぎず、それ以外の地域には、欧米資本は進出していなかったのである。これが、未開発地域におけるパイプライン建設ラッシュにつながった。

  エクソン・モービルは、ウガンダのアルベルト湖近くで2009年から石油の採掘を開始した。コンゴでは、カナダのヘリティジ石油と英国のタロー石油が軽油を生産している。タロー石油は、20億ドルを投じて、内陸部のウガンダからケニアのモンパサ港までの1300キロメートルのパイプライン建設を計画している。

 タンザニア沿海部では、ブラジルの国有企業「ペトロブラス」とノルウェーの「スタットオイル」、「アミネックス」(欧米多国籍企業)が進出している(同、196ページ)。

 2007年3月、タンザニアでアフリカ石油開発サミットが開催され、石油探査計画が検討された。その会議では、中国がもっとも積極的であったという。

 2007年4月、エチオピアの石油探査基地で74名が反政府ゲリラによって殺された。うち、9名が中国人技術者であった。それでも、シノペッックは引き揚げていない。この基地には、4兆立方フィートのガスが確認済みである。周囲には、英国の「ホワイトナイル」、マレーシアの「ペトロナス」、スウェーデンの「ルンディンペトロ」等々の石油採掘会社がひしめいている。その多くが、エチオピアのオガデン地方で活動している。北京とアジスアベバには直行便がある(同、196ページ)。

 ナイジェリアの首都ラゴスにも、ドバイ経由による北京からの便がある。ナイジェリアには5万人の中国人が住み、中国語新聞も発行されている。

 中国政府は、2006年秋には、アフリカ53か国から42人の国家元首を含む1700人も招待した「中国.アフリカ.サミット」という巨大イベント開催した。胡錦濤主席と温家宝首相は、手分けして、アフリカ諸国を歴訪した。2007年時点で、中国は、46か国に大使館を設置している。ちなみに、日本はアフリカでは、24か国にしか大使館を設置していない。

  ナイジェリアは中国にとってアフリカで第2位の貿易相手国である。2006年4月、オバサンジョ前政権との間で、「戦略的パートナーシップ」の覚え書きが交わされた。中国が結んだ高いレベルの覚え書きとしてはアフリカで最初である。

 2001年には、両国間の貿易は、10億ドル未満であったものが、2002年20億ドル、2006年30億ドルとなった。石油以外の品目では4倍以上にもなった。

 これまで、ナイジェリアは、欧米メジャーとの関係を重視して、中国との石油契約をしなかった。しかし、武装ゲリラに襲撃されて生産が半減し、メジャーも撤退の気配を見せている。その間隙を縫ったのが中国のペトロチャイナであった。同社は、2005年に8億ドルの契約をナイジェリア政府と交わした。2006年には、CNOOCが40億ドルの鉱区開発権をナイジェリア政府と交わしている。

 中国はナイジェリアに5億ドルの貿易信用枠設定して、水力発電所建設、製油施設改修など7つのプロジェクト契約を結んだ(同、196ページ)。さらに、中国政府は、ナイジェリア前国防相が保有していた海底油田鉱区を買い取った。また、日量11万バレルを精製できるカドナ精油所をも買収しようとしている。ただし、後者の取引は、前政権の汚職絡みで裁判中である(同、197ページ)。

 中国政府は、ナイジェリア政府に「レッキー自由貿易地区」の設置をもちかけている。150平方キロメートルの敷地に50億ドル投資予定である。2006年5月に大枠の内容が発表された。この自由貿易地区では、3万人の雇用が期待されている。

 ただし、これまでの実績からすれば、ナイジェリアで設立された中国の繊維企業は労働者も中国から連れてきたので、現地雇用を増やさなかった。それどころか、ナイジェリアの民族系繊維企業は65社が倒産、15万人がレイオフ(米国ジェームズタウン財団発行のChina Brief, May 31, 2007)されてしまった。そのせいもあって、現地住民の間では、反中国感情が大きくなっている。アンゴラ、アルジェリア、南ア、ボツワナでも同様である。ウリという港町では中国人の自動車に爆弾がしかけられ、これは、中国人への警告であるとの犯行声明が出された。「われわれの命と生活を守る資源を中国が盗もうとしている」というのが声明の内容であった(Financial Times, 1st of May, 2006)。

 米国はナイジェリアにおける人身売買や少女売春などの人権問題を糾弾している。シェブロンは相次ぐ武装襲撃.誘拐に悲鳴を上げて逃げ出そうとしている。そうした状況下で、中国政府が、ナイジェリア政府に武器供与、軍事技術供与を続けているのであ(同、197ページ)。

 中国の石油政策が、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の反米姿勢を支えている。南米の反米路線が、世界の新らしい多極化の幕開けを告げるものか、単なる援助を受ける額を増やすための、冷戦時代に見られた駆け引きの再現に過ぎないのかは、まだ不明である。しかし、チャベスの反米キャンペーンが、南米諸国の人々の共感を呼んでいる事実は無視できない。

 米国の石油輸入の12%はベネズエラからのものである。チャベスは、200億ドルを投じて、ブラジルへのパイプラインを建設中である。チャベスは、自分になびくニカラグア、ボリビアなどの周辺国に年間60億ドル程度の援助をしている。その額は、米国の40億ドルよりも大きい。

 チャベスは、南米反米同盟を創設しようとし、チリ、アルゼンチンにもパイプライン建設を計画中である。ボリビアでは、モラリスが大統領になるや否や、石油とガスの国有化を宣言してしまった。エクアドル政府は、自国内で操業しているオキシデンタル石油に対して、石油代金が値上がりすれば自動的に増税することを通告した。

 南米諸国における反米路線を修正させるべく、米国は懸命になっている。2007年3月8日から14日まで、ブッシュ大統領は、いまでは、親米政権をもつペルーはもとより、ブラジル、ウルグアイ、コロンビア、グアテマラ、メキシコを歴訪した。

 同時期に、チャベスは、アルゼンチン、ボリビア、ニカラグア、ジャマイカ、ハイチを歴訪して反米を叫んで拍手を得た(同、198ページ)。

 チャベスは、自らをマオイスト(毛沢東主義者)であると広言するほど、自らの反米の姿勢への支援を中国の保守路線に仰いでいる。北京を4回訪問している。
 
 チャベスは、国内ガソリン価格をリッター20セント、つまり24円程度の低さに抑さえているように、ベネズエラの福祉を充実させている。しかし、新油田の開発費用に石油受け取り代金を回していないので、いつかは、石油収入の落ち込みはあると思われる。このときが、チャベス大統領の退陣のときなのであろう(同、197ページ)。
 
 ただし、南米では、反米感情と並んで反中感情も同時に高まっている。ブラジルでは、資源だけを買い、中国製品で溢れさせている中国の政策への非難が高まっている。コロンビアでも、中国繊維が溢れ、中国からの繊維製品が2001年から5倍になった。コロンビアには、数年以内に国内繊維産業が壊滅するのではないかとの恐怖があるBloomberg News, April 3, 2007)。コロンビアでは、過去3年間で綿糸製品工場から1万4000人が解雇された。これは先進国での原産地割当枠を潜り抜けるための中国系企業の進出の結果である(同、198ページ)。

 グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、ドミニカの中米6か国はCAFTAを米国と結んでいる。繊維製品をこれら諸国から米国に輸出するさいに、数量、特恵面で優遇されるという特別枠が米国から供与されている。にもかかわらず、これら6か国の米国での繊維繊維販売額は、低下し続けている。14億ドルあったこともあったのに、2006年時点では8億5000万ドルに低下している。中国製品に押されているのである(同、199ページ)。こうして、国内の企業との関連からこれら諸国の反中感情は高まっている。

 中国は、中央アジア5か国にもすでに地歩を築いてしまっている。これら5か国は、いずれも、イスラム諸国である。豊富な地下資源に恵まれているために、これら諸国は世界中から熱い視線を向けられている。トルクメニスタンはガス、カザフスタンは石油、ウズベキスタンはガスとレアメタル、タジキスタンはレアメタル、キルギスもレアメタルを武器としている。そして、これら諸国は、中国を主役とする「上海協力機構」に参加している。

 たとえば、カザフスタンにおいて、中国は、武器輸出と引き替えにすでに利権を確保している。カザフスタンと新彊ウィグル自治区との間の鉄道も90年に再開されたほどである(同、199ページ)。

 日本は、やっと2007年5月に、初めてカザフスタン詣をしたにすぎない。それほど、日本は、この地における資源争奪戦への参加面で大幅な遅れをとっっている。カザフスタンが世界第2をウランを埋蔵しているからである。日本は、原子炉建設の見返りにウランを確保しようとしている。

 東芝が、自社の保有すウェスティングハウス(WH)株の10%をカザフスタン国営原子力事業会社「カザトムプロム」に譲渡し、そこで原発を作り、見返りにウランを得ようというのである(同、199ページ)。さらに、東芝は丸紅からカザフスタンのウラン鉱山権利を取得した。カザフスタン南部のハラサン鉱区である。これには、東京電力、中部電力、東北電力も参加している。これで、2014年から40年間ウランを取得できるという。これは、日本の精錬ウラン原料需要の25%が賄える分量である(同、200ページ)。

 中国は、イランに近いパキスタン南部の寒村、グアダールを大規模な港に変えようとしている。中東原油の中継地にしようとしているのである。

 この港の近くには、米軍のディエゴ・ガルシャ海軍基地があるので、米国側を苛立たせている。しかし、現地の開発工事に従事する中国人たちの不道徳な行状が、現地の敬虔なイスラム教徒たちをもっと苛立たせている。2007年イスラマバードで、「赤いモスク」に立てこもる数百人がパキスタン政府から殺害されるという事件があったが、殺害された宗教家たちは、中国人への反発、そして、中国と結託して企業利潤の奴隷になっている政治的指導者への反発から蜂起したものであった(同、201ページ)。

 資源争奪戦を注視するとき、否が応でも、日本の存在がゼロに近いことに気付かざるを得ない。マレーシアは、石油会社のペトロナスを躍進させている。ベトンムも、沖合海底油田開発に懸命になっている。ミャンマーも、中国からの援助で沿海の海底油田開発に着手している。カンボジアとミャンマーの沖合に海底油田が発見されたのである。バングラデシュの沖合にも海底油田が発見された。

 そうした動きの中で、中国が着々と地歩を固めている。しかるに、日本は世界から買うだけで、資源に関しては、受け身の姿勢しかとれないでいる(同、201ページ)。

 引用文献

宮崎政弘[2007]、「アフリカ.南米、2大陸を蹂躙する中国エネルギー戦略」『諸君!』2007
          年11月号。


福井日記 No.187 安定株主の必要性

2007-11-03 02:57:37 | 日本

  
 日本の至宝である中小企業の金型技術が、納入先の親企業によって、漏洩させられている。親企業が海外で生産する環境を整えるために、日本の金型技術を現地企業に教えているからである。結果的に日本の金型を作る中小企業が廃業に追い込まれている。こうした理不尽な情況を岩瀬政則氏が告発しておられる(岩瀬[2007])。本稿は、岩瀬氏の論文の紹介をしながら、安定株主の必要性について考えてみたい。

 岩瀬氏は、中国が組織的に日本の機密を蒐集していることの警告から論を進められる。

 2004年5月、上海日本国総領事館の電信官が自殺した。重要国家機密を扱っていた同官の遺書には、「これ以上のことをすると、国を売らねければならない。どうしてもそんなことはできない」とあった。自殺の翌日、杉本信行総領事は、「彼は卑劣な脅迫によって、死に追い込まれた」と涙ながらに追悼した。

 2007年には会場自衛隊警護艦「しらね」の2等海曹が、イージス艦の「特別防衛秘密」を含む重要資料を隠しもっていたとして逮捕された。それが発覚したのは、2006年12月、2等海曹の中国人妻が「不法残留」をしたとして、入国管理局に自首してきたからである。この中国人妻は、以前から密出入国を繰り返しており、2等海曹と結婚したのは、自首した日のわずか2か月前であった。機密情報を握って、任務が完了したのであろう。自首すれば日本政府の費用で帰国できると考えたのだろうか。奇妙な事件であった(岩瀬[2007]、180ページ)。

 2006年1月には、ヤマハ発動機無人ヘリ輸出事件があった。
 2007年3月には、デンソーの中国人エンジニアが同社のホームページから13万件以上の製品図面のデータをダウンロードして愛知県警に逮捕された。
発覚した2日後には、そのエンジニアは、中国に一時帰国した。データを中国に渡すために一時帰国したのであろう(同、180~81ページ)。

 日本の技術が海外に漏洩されるのは、外国人によるスパイ行為だけではない。れっきとした日本の大企業が、日本の納入業者の金型技術を海外に漏洩しているのである。

 金型とは、特殊鋼などでできた凸型と凹型の「型枠」のことである。枠の間に、プラスチックや軽金属などの液体を流し込んだり、金属板やゴムなどの固体を型枠の間に挿入したりして金型は作られる。百円ショップのプラスチック容器などの簡単なものから、パソコン、デジカメ、携帯などの精密製品、あるいは、自動車、航空機、スペースシャトルなど、製品には必ず金型が使われている。1000分の1ミリの精度をもつ日本の金型は世界一であると言われている。超精密金型になると数千万円もする。

 この金型を支えたものこそ、大田区や東大阪市の中小企業であった。しかし、この地域の中小企業の倒産が相次いでいる(同、184ページ)。

 中国に進出する日本の大手メーカーが、零細金型企業に圧力をかけ、日本の貴重な財産である金型技術を中国に横流しするようになってしまったからである。金型職人の勘、.経験、.技、などを凝縮した金型の設計図面を、大手メーカーが、日本の零細金型企業に受注をちらつかせて中国企業に渡しているのである(同、184~85ページ)。

 中小零細金型企業が大手から受注するのは容易なことではない。まず納入先企業の審査を受けなければならない。経理状態や、本来企業秘密であるはずの金型技術の隅々まで開示させられる。受注寸前になると、今度は繰り返し法外なコストダウンを要求される。あまりの低価格に受注を逡巡している間に、交渉は打ち切られてしまう。しかし、渡した設計図は企業に返還されず、中国に渡されてしまう。

 大手企業の契約書には、「発注者は受注者のもつ技術に対して守秘義務を有する」とは書かれていない。不当な方法で技術を漏洩させられて涙を流した中小企業は1000社を上回るだろうと、岩瀬氏は憤慨されている(同、185ページ)。

 倒産した日本の金型企業の元技術者に中国から誘いがかかる。いさんで中国に渡った技術者も、中国側が技術をマスターするや否や解雇されてしまう。

 技術が漏洩されるのは、日本の中小企業だけではない。日本では巨大会社に属する鉄鋼会社ですら、納入先の自動車会社によって、自己の宝である技術を漏洩されてきたのである。

 世界最大の鉄鋼会社、ミタルが新日鐵を狙っている。新日鐵の技術が欲しいからである

 ミタルとタタというインド資本が欧州の鉄鋼を飲み込んでしまった。ラクシュミ・ミタルの個人資産は4兆円で、ビル・ゲイツと並ぶ世界一の大富豪である。父親から譲られた小さなスクラップ工場を元手に、1976年にインドネシアで事業を始めた。自社の時価総額を高めてM&Aを繰り返してきた。メキシコ、中欧、東欧の鉄鋼会社をつぎつぎに買収し、そして、2006年、欧州最大の鉄鋼メーカー、アルセロール社をTOBによて買収してしまった。世界最大の鉄鋼メーカー「アルセロール・ミタル」となった。年間粗鋼生産量は1億1800万トン、新日鐵の3200万トンの3倍以上もある。

 世界の鉄鋼企業を買収しまくっているインド資本は、ミタルだけではない。タタ一族もいる。現在の総帥はラタン・タタである。祖先は、120年前にペルシャからインドに逃げてきたゾロアスター教徒である。

 
財閥創始者のジャムジェドジー・タタは、繊維商人から出発し、1907年に鉄鋼会社のタタ・スティールを設立した。いまでは、化学・電力・自動車などのあらゆる分野に進出している。インド最難関のインド科学大学(IIS)はタタ財閥が設立したものである。

 タタ・スティールは、年間粗鋼生産460万トンと中規模の会社であった。ところが、2007年1月、アルセロールと並ぶ欧州きっての名門鉄鋼メーカー、コーラス社を買収した。コーラスの年間生産量は1800万トンもある。まさに小が大を飲み込んだのである(同、186ページ)。

 アルセロールと新日鐵は技術提携をしている。アルセロールは、フランスのユジノール・サシローと他の欧州中小メーカーの統合によって誕生したものである。元々、新日鐵はユジノール・サシローと提携していた。この関係が合併後にも引き継がれたのである。契約はアルセロールだけに限定されていた。ところが、ミタルは新会社ににも適用せよと迫ったのである(同、187ページ)。

 日本の鉄鋼会社の技術力は、他国を圧倒的に凌駕している。自国内で登録した特許件数(2001~2005年)を比較すればそれは一目瞭然である。

 日本の高炉4社は1万2028件あった。ところが、他のメーカーは非常に少ない。アルセロールが189件、コーラスが86件、USスティールが10件、ミタルが80件である(同、187ページ)。

 技術料で劣るミタルは、過去、20数回の買収をすべて成功させてきた。このことは、NHKで紹介された(スペシャル「『敵対的買収』を防げ」(2007年5月7日放送)。

 ミタルの買収の成功は、ひとえに買収先会社の株主の不安定さを要因にしたものである。ミタルがアルセロール株の公開買い付けを発表する前は、アルセロール株は22.2ユーロ程度であった。TOB発表直後は発行株式の40%を保有する個人株主のほとんどが、ミタルの提示した30ユーロで株式を提供した。法人も手放した。最後まで株式を手放さなかったのは、5%を保有するベルギー政府だけであった。ヘッジファンドは、それよりも高い38.5ユーロでミタルに売却した。

 ミタルは、新日鐵の技術をM&Aによって確保しようとしている。新日鐵の防衛策は、安定株主作りである。同社は、住友金属、神戸製鋼所、世界第3位の韓国ポスコと株式持ち合い。個人を工場見学させて、日本の技術を守ろうと訴えた。

 新日鉄の時価総額は約5兆9000億円だが、世界中のヘッジファンドが運用するマネーは、200兆円である(同、188ページ)。

 ただし、鉄鋼メーカーの売上額は減少している。日本の4社を合わせてもトヨタ1社に及ばない。鉄鋼業界として世界第2位の新日鐵ですら、世界シェアは3%にすぎない。自動車産業は、上位6社がシェア80%を占める。

 原料も寡占化が進んでいる。鉄鉱石メーカーは10数社あったが、最近では、BHPビリトン、リオチント、リオドセの3社でシェア80%である。まさに鉄鋼メーカーは、仕入れ先と売り先を巨大企業に挟まれている。これがミタルの行動を生んでいる(同、189ページ)。

 表面処理鋼板がさびない鉄。これが自動車を一変させた。鋼板を薄くもした。北米は日本の鉄鋼にダンピング非難をした。抗しきれず、日本メーカーは、技術を渡してしまった。得をしたのは、北米メーカーだけではなかった。米国に進出した日本の自動車メーカーも得をした。結局、日本の鉄鋼会社は、北米における市場を失った(同、190ページ)。

 欧州勢に技術を供与せざるを得なかったのも、ユーザーである日本の自動車会社の圧力であった。ミタルは2007年4月に来日し、ある自動車メーカーと会談をもったとNHKは報じた(同、190ページ)。

  得をするのは自動車メーカー、損をするのは、巨大装置産業であるがゆえに、世界に展開できない鉄鋼会社である(同、 191ページ)。

 引用文献

岩瀬政則[2007]、「中国企業の貪欲すぎる『技術喰い』」『諸君!』2007年11月号。


福井日記 No.186 日本食ブームの落とし穴

2007-11-01 02:56:15 | 日本


 『諸君!』2007年11月号には、青沼[2007]、[2007]、宮崎[2007]からなる「中華スパイラル経済が世界を呑み込む」という特集論文が掲載されている。

 3つの論文は、いずれも刺激的な内容を含んでいる。本稿を含む以下3つの論考は、それに刺激されて、3論文の内容紹介をしながら、日本があまりにも安易に米国に寄りかかりすぎて、生き馬の目を抜く、したたかな大国の戦略に対応できぬ、ひ弱な国になってしまったことを歎くものである。

 日本の食料自給率が40%を割ることの危険性を2003年に警告していた
青沼陽一郎氏は(青沼[2003])、日本食ブームの落とし穴を青沼[2007]で指摘している。

 日本の食料自給率は、2006年についに40%を割り、39%になった。これは、先進国の中では異常なことである。第2次世界大戦前の英国も、自給率が50%を下回っていた。植民地で食糧生産をさせていたからである。しかし、ドイツ海軍のUボートによる攻撃で食糧危機で苦しんだ経験から戦後一貫して自給率の向上に努めた結果、いまでは、70%を上回るようになった。

 日本も戦後は懸命に自給率を向上させてきた。戦後の食糧難に喘いできた日本は、1960年には79%にまで向上した。しかし、1960年に事情は一転した。日本政府は、日米安保条約に明記された「日米相互の経済協力」に従って、1961年に「農業基本法」を制定し、食糧輸入の「選択的拡大」路線に転換して、コメを除く食糧は、飼料も含めて米国から輸入することになった(青沼[2007]、167ページ)。

 近年、日本の食料輸入先に大きな変化が生じた。中国の台頭である。
 1990年には、1位米国31.9%、2位台湾7.6%、3位オーストラリア6.9%、4位中国6.6%、5位タイ5.3%、上位5か国で58.4%であった。

 しかし、2006年になると、1位米国22.2%、2位中国18.3%、3位オーストラリア9.2%、4位タイ5.5%、5位カナダ4.6%、上位5か国59.8%になった。中国は、1990年の6.6%から18.3%と3倍のシェアにまで上昇した(同、168ページ)。

 きっかけは、1985年9月のG5における「プラザ合意」である。これを契機として日本経済は戦後の工業生産の自給体制を大転換させた。農業も同じ途を歩んだ。強い円で開発輸入に踏み切ったのである。

  流通大手が、シイタケとネギの開発輸入を開始した。日本人の求める野菜を中国で調達するようになったのである(同、169ページ)。その結果、冷凍食品、出来合いの総菜「中食」等の、大量の野菜流入が日本の農家を直撃した。

 2002年に、中国産冷凍ホウレンソウと冷凍枝豆から残留農薬が検出されて、日本の食卓に衝撃が走った。じつは、中国人はホウレンソウを食べないのである。日本の商社が、ホウレンソウの種を中国に持ち込み、怪しげなブローカーが、日本の農薬を魔法の薬だとして契約農家に売りつけてきた。中には、禁止農薬もあった。その危険な農薬に毒されたホーレンソウが、ブーメランとして日本に戻ってきたのである。

 それまでは、日本の商社は、ブローカーを通していた。日本商社が、契約農家に技術指導をしていたが、生産された野菜は、農家の手によって、ブローカーに渡されていた。野菜は、ブローカーによって、加工工場に運び込まれ、冷凍加工されていた。生鮮野菜とは異なり、冷凍野菜には明確な残留農薬規制はなかった(同、170ページ)。

 冷凍ホウレンソウにショックを受けた日本の商社は、農家の直轄管理に乗り出すようになった。村単位で契約農家を選定し、冷凍加工場も商社が管理するようになった。指令通りの農薬を散布させ、肥料を施させる。農薬と肥料は他の業者を介入させず、商社が責任をもって配給する。中国では、この種の農地は「基地」と呼ばれている。収穫時に企業が残留農薬検査をする。しかし、依然としてブローカーは暗躍していて、アウトサイダー取引が行われている。

 日本政府は、2006年に入って、検査を厳しくするようになった。界一厳しい「ポジティブリスト制度」が2006年5月29日に施行された。それまでは検査対象は250種類であったが、これに新たに799種が追加された。リストに載っていなくても0.01ppmを超えると販売が禁止される。企業も独自検査施設をもつようになった。そのために、数億円の追加費用が必要になった。しかし、食毒騒動は続いている(同、171ページ)。

 米国のジャーナリズムは、中国産ペット-フードで猫が死んだとか、中国産風邪薬で死者が出たとか、中国製練り歯磨きから毒が検出されたとか、騒ぎ立て、例によって、そうした反中国キャンペーンで米中経済交渉を米国に有利に運ぼうとしている。

 とは言え、中国産食料に残留農薬が多く検出されているのは確かである。日本では、2006年の違反事例が658件あった。うち、中国は234件であった。内訳は、ウナギ46件、ショウガ31件、キクラゲ28件、ニンニクの芽15件、ネギ11件であった。2007年前半(1~6月)では、中国の違反は45件であった。うち、ウナギが20件あった(同ページ)。

 中国からの輸入食料は、金額面では、最大が「鶏肉調整品」、次が「うなぎ調整品」、そして、「冷凍野菜」、「生鮮野菜」と続く。

 数量面では、「生鮮野菜」、「冷凍野菜」が突出している。まさに中国は日本の「野菜基地」となった。

 中国政府による農薬規制も厳しくなった。日本向けはとくに厳しい。中国検験検疫局(CIQ)の指定した池以外でのウナギ養殖は許されていない。ウナギ加工工場も登録池以外から買ってはいけないとされるようになった。CIQの検査は、日本よりも厳しくなっている(同、172ページ)。

 しかし、ことは安全性の問題だけではない。農産物の開発輸入が日本の農家を苦しめているのである。青沼氏は、こうして現状を、間借り国家=日本と糾弾されている(同、177ページ)。

 農水省試算によれば、日本の耕地面積は2006年時点で、約467万haである。日本向けに農産物を生産している海外の農地は、約1200haと推定される。つまり、日本は、日本の農地の2.5倍を海外に依存しているのである。農業には、水が必要である。農産物を輸入することは、現地の水を輸入していることになる。そうした水は、「バーチャル・ウォーター」と呼ばれている。牛肉100グラムを生産するのに必要な水は約2トンである。日本のバーチャル・ウォーターは、年間627億トンである。まさに日本は間借り国家である。このような国家は家主の都合で、大変なことになる。

 そして、世界的な日本食ブームが困った事態を引き起こしている。ブーム自体は、嬉しいことに違いはないが、日本食ブームによって、これまで、日本人しか食べなかった食材が、世界中で外国人によって買い漁られ、日本人が「買い負け」するようになたのである。

 「買い負け」という用語は、2007年の『水産白書』で初めて使用されたものである。食料争奪戦で日本は連戦連敗の惨状にある。

 青沼氏は、バンコック郊外の寿司ネタ工場を紹介されている。これは、日本の企業によって設立されたものである。アフリカの沖合で水揚げされた紋甲イカが冷凍されて、バンコックの工場に運び込まれる。そこで、足と内臓を除去して、1枚の開きにする。表面の薄皮を剥ぎ取り、形を整え、真空冷凍パックにする。

 モロッコ産のタコも巨大な釜で一気に茹で上げ、スライスカッターで一定の厚さと大きさにカットし、数枚ずつ真空パックにする。

 これらの具材が日本に輸送されて、解凍されて、シャリの上に乗せられれば江戸前寿司になる。

 日本の企業が、魚を捌く習慣がなく、包丁も押し切りで使うタイ人に、日本流の包丁の使い方や三枚下ろしの作り方を教え、包丁も現地で作らせたのである(同、174ページ)。

 ところが、そうした食材が、日本だけに向けられるのではなく、欧米に大量に輸送されるようになってしまったのである。

  青沼氏は、バンコック郊外にあるたこ焼き工場も紹介されている。これは、1990年に日本の総合商社が設立したもので、従業員は2200人、うち40%がミャンマーからの出稼ぎである。従業員の80%は女性で、従業員の平均年齢は20歳である。

 タコは地場産、タコ切りは手作業、そして、たこ焼き鍋でできあがったタコ焼きをベルトコンベアに乗せる。冷凍されたタコ焼きが日本に空輸され、大手スーパーにならべられる。そして、日本人はチンするだけ。

 広島流お好み焼きもタイで作られている。鉄板と串の作業が女工さんに作られる(同、176ページ)。

 このタコやイカでも困ったことが起きている。タコやイカが途上国の戦略物資になった結果、倍々ゲームのような値上がりぶりとなった。世界で水揚げされるタコとイカの30%が日本人に胃袋に収まっていた。これにも、異変が生じているのである(同、177ページ)。

 そして、アジフライ。タイ周辺の海でとれるアジは脂乗らず、骨は硬くて太い、処分されていた代物であった。これを逆手にとって日本の企業が、現地で工場を設立した。骨をとり、フライにして脂を足すというアジフライを考案したのである。欠点を利点に変えたのである。いまや日本人はアジフライに骨がないのが当たり前と思うようになっている(同、175ページ)。これもアジの値段の高騰で従来通りにいかなくなってしまった。

 そもそも、アジは日本人しか食べなかった。昔は格安で独占的に購入できた。国連は、食料援助として安価なアジをアフリカ諸国に送っていたほどである。ところが、アフリカの所得水準が高まるとともに、アジフライの美味を知ったアフリカ人が積極的にアジを買い付けるようになった。いまやアジの買い付けで、日本のバイヤーは、アフリカ勢に買い負けるようになってしまった。日本ではアジは高値では食ってくれないので、セリ負けするのである(同、175ページ)。

 日本食ブームによって、魚の美味しさを世界中が理解するようになった。多くの種類の魚介類が、米国、中国、アフリカに買い負け留用になってしまった。

 EUは、2013年までに欧州産ウナギの稚魚の漁獲量の60%削減することを決めた。そしてウナギは、ワシントン条約の国際取引規制の対象になった。欧州ウナギの稚魚は中国で養殖され、日本に輸出されている。日本のウナギは6割が中国からのものでるし、その中国は25%が欧州ウナギ稚魚である。これが規制されることになったのである(同、177ページ)。

 養殖のエビを使い、タイで作られたエビ天ぷらも米国に出荷されるようになった。これも、剥き身、衣、コンベアの網、油、等々、手作業である。温度管理は徹底しており、尻尾の破損点検も完全である。そもそも、尻尾のないエビを日本人が食べないからである。

 ところが、米国で日本食ブームが起きた。ホームパーティでエビ天ぷらが好まれるようになった。2000年に日本資本が撤退するや否や、日本企業から工場を買い取った現地資本が、出荷先を欧米に切り換えた。それまでの出荷量が2200万トンであったのに、2006年時点では1万トンを超える。厳しい品質管理を欧米が評価し、日本よりも高値で引き取っている。かつては、80%を占めていた日本向けは35%にまで低下した。文句ばかりをつけ、安値でしか引き取ってくれない日本がアジを扱う業者から見捨てられ始めたのである。ここでも日本は買い負けをしている(同、176ページ)。

 オーストラリアは、日本の「6Pチーズ」とか、「スライス・チーズ」の原料となるチェダー・チーズの生産を減らした。脱脂粉乳の生産に切り換えたのである。中国人が保存の効く脱脂粉乳を高値で買い取るようになった。脱脂粉乳は加工が簡単で利益率も高い。結局、オーストラリアの生産者は脱脂粉乳に傾斜し、日本向けのチェダー・チーズ生産を縮小させた。2002年になってからである。日本のチーズ・メーカーは、値上げせずに重量を下げた。結局、10%ほどの実質的値上げとなった。消費者は気づかなかった(同、178ページ)。

 食糧を、軍事、石油に次ぐ第3の武器として宣言したのは、1974年8月のCIA報告である(『世界の人口.食糧生産.気候傾向の潜在的意味』、同、178ページ)。

 ニクソン大統領による大豆禁輸がその直後にあった。以後、米国は、食糧を武器として使うようになった。2007年の米国の中国食料批判キャンペーンは、「米中経済戦略対話」に合わせたものであったことは明白である。2330億ドルの対中赤字と人民元切り上げ問題が中心的なテーマではあるが、その交渉を有利に運ぶキャンペーンが米国の対中食料批判であった。自給率128%の米国は、中国の食料を必要としていない。しかし、人民元が切り上げられると、日本の食料輸入は大打撃を受ける(同、179ページ)。

 いよいよ、食料争奪時代の幕開けである。

 引用文献

青沼陽一郎[2003]、「『食料植民地』ニッポンの危険な食物」『文藝春秋』2003年6月号。
青沼陽一郎[2007]、「中国産<毒菜>がいやなら日本人は飢えて死ぬしかない」 『諸君!』
     2007年11月号。
岩瀬政則[2007]、「中国企業の貪欲すぎる『技術喰い』」『諸君!』2007年11月号。
宮崎政弘[2007]、「アフリカ.南米、2大陸を蹂躙する中国エネルギー戦略」『諸君!』2007
          年11月号。