消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(137) 新しい金融秩序への期待(137) 大きな国家(6)

2009-04-19 07:01:24 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 五 闇の金融組織(Shadow Financial System)(24)


 いま、米国で起こっていることは、闇(shadow)の金融機関の崩壊現象である。闇の金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかの情報を絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。投資銀行を代表として、一九八〇年代から米国で急速に進んだ金融自由化によって雨後の筍のごとく輩出した金融組織がそれである。

 金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという旧い型の商業銀行であった。この種の商業銀行とは、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにするものであった。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものだったのである。もしも、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。救済されるという保証を得るために、銀行はすべての活動を表に出していた。そして、当局の監督に服していたのである。つまり、商業銀行は、影のない世界だったのである。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。この組織が破綻した。破綻するときに、約束違反の当局による救済を求めた。救済資金を出す代わりに監督を開始するという意図をもつ当局と、救済はして欲しいが当局による介入は嫌だという闇も組織とのせめぎ合いが二〇〇八年の米国の金融状況であった。

 大理石の重々しい建造物で、重々しく佇んでいた銀行マンは、預金者の金を企業に回せなくなってしまった。金は闇の金融機関に集中するようになっていたのである(Krugman[2008])。つまり、金は非預金組織(nondepository  institution)に集まっていたのである。ベア・ターンズやリーマンがそうした非預金組織であった。

 こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、金融危機の発現によって、闇の組織の方がリスク軽減に優れているわけではなかったことが明らかになった。真のリスクは隠され続けてきたのである。投資している人からリスクは見えなくさせられていたのである。

 闇の金融組織がパニックに陥った。しかし、預金者たちが取り付けをするために、銀行の閉ざされた扉を激しく叩く光景は見られない。闇の組織は、預金など受け入れていないからである。けたたましく電話が鳴り、神経質にコンピュータの画面をクリックする行員の姿だけが見られる。窓口に人が殺到していないのである。

 表面に現れた光景は異なるものの、信用が急激に収縮し、資産価値が急速に減価していることは、一九三〇年代と同じものである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとした。膨大な公的救済資金が注がれた。しかし、それは、買収する組織を助けるだけのものであった。株主のこと、納税者のことなど念頭にはない。しかも、当局の救済に当てられるべき資金は枯渇してしまっている。ファニーメイやフレディマックを救済しても、それが、米国の財政破綻を招くことになるであろうとの意識はない。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある。

  必要なことは、いかに、新しいルールを早急に作るかにある。それなくして、公的な資金を垂れ流しても意味がないであろうとクルーグマンは述べている(Krugman[2008])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった。ローンを証券化し、その証券をさらに、別の形の証券化に組み替えるという際限なき手続きが闇の金融組織の常套手段であった(Roubini[2008])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸付に対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる。この組織が輩出するようになってまだ一〇年そこそこしか経っていない(Tett & Davies[2007])。

  彼らの手法は、ほとんど外部の人間には知られていなかった。SIVs(Structured Investment Vehicles)にしても、CDOs(collateralised debt obligations )という用語にしても、サブプライム・ローン問題が表面化した二〇〇七年夏以降のことでしかなかったのである。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである(25)。


野崎日記(136) 新しい金融秩序への期待(136) 大きな国家(5)

2009-04-18 07:05:33 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 四 AIG経営危機は、垣根を失った金融機関の当然の帰結


 FRBは、〇八年九月一六日、資金繰りが悪化したAIGの株式約八〇%を担保に八五〇億ドル(約九兆円)のつなぎ融資に応じると発表。この日までに、米政府は、既述のように、投資銀行大手ベア・スターンズや、米連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)の破綻回避のため巨額の公的資金を投入していた。

 これも、すでに述べたように、一九九七~九八年のアジア通貨危機のさいには、米政府は、資金不足の企業を救済しようとしているとしてアジア各国政府を非難したのにである。〇六年九月一八日付『ニューヨーク・タイムズ』は、アジア通貨危機当時、韓国に二〇〇億ドルを融資する条件として経営不振の銀行や企業を救済せず、そのまま破綻させるように、IMFが指示したという、当時、IMFの交渉に深く関わった韓国のエコノミスト、高麗大学のパク・ユンチュル(Yung Chul Park)の話を伝えた。

 二〇〇三~〇六年にIMFの主任エコノミストを務めたラグラム・ラジャン(Raghuram Rajan)も、「当時、米国がアジア(の地元企業の救済)に融資することに反対していた米政府の一部の専門家も、今回は基本的に政府の多様な介入を求めている」と米国の身勝手さを指摘している。

 ピーターソン国際経済研究所(Peterson Institute for International Economics)のアジア専門家、ニコラス・ラーディー(Nicholas Lardy)は、「AIGが破綻していたら、主に欧州の銀行が大きな影響を受けていただろう。米国はAIGの破綻を回避することで世界に対する大きな役割をはたした」といい、「いま、われわれが目の当たりにしているのは、世界の金融システムの中心にある企業だ」とアジア通貨危機との違いを強調した(http://www.afpbb.com/article/economy/2519830/3360418)。

 『ビジネス・ウィーク』誌のAIG救済策への批判は厳しかった("The Unraveling of  AIG," BusinessWeek, September 19, 2008)。

 保険会社はリスクの専門家であるはずなのに、AIGは、自社が抱えるリスクに対して、あまりに無頓着すぎた。住宅ローン担保証券(MBS)(21)などの取引による損失拡大の泥沼化にあえいでいる。

 二〇〇八年九月一五日、過去一年間で七〇ドルをつけたこともあるAIGの株価は、四・七六ドルまでに落ち込んだ。わずか一年足らずで、時価総額にして一七六〇億ドルもの資本が消えた。格付け機関による相次ぐ信用格下げにより、AIGの資金調達は厳しさを増した。〇七年度は一一〇〇億ドルの収益を上げ、資産一兆ドルという巨像、業界トップ企業のAIGが、突然転落したことに、従業員や顧客、多くの業界関係者が衝撃を受けた。 一体どれほどの資金を注入すれば、AIGがこの苦境を脱して、保険会社として存続できるのか、いまだに不明なままである。AIGは、〇八年五月、新株や社債の発行で二〇〇億ドルの資本増強をおこなっていたが、焼け石に水であった。

 〇八年九月一五日、デビッド・パターソン(David Paterson)・ニューヨーク州知事(Governor of New York)が保険規制を緩和し、子会社の資金の利用を承認するという措置をAIGに対して講じた。この措置で、AIGは、新たに二〇〇億ドルの資本金の利用が認められた。

 だが、それでも不十分であった。パターソン知事は、ニューヨーク州の措置が呼び水となり、連邦政府が直接支援するか、ほかの企業にも支援を要請したのである。そして、その数時間後、FRBは、ゴールドマン・サックスとJ・P・モルガン・チェースに対し、AIGへの七〇〇~七五〇億ドルの融資を要請した。それでも不十分であった。それでも不十分であった。

 AIGは、サブプライム・ローンのリスクを過小評価しすぎていた。AIGは、クレジット・デリバティブ(金融派生商品)の一種であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS、詳細は、第三章)でつまずいた。

 保険の基本とは、リスクの分散にあるはずである。AIGは、そうした心得を無視して、サブプライム・ローンの引き受け、借り手への不動産ローン保険の販売、サブプライム関連の債務担保証券(CDO)のデリバティブ取引、保険預かり金の住宅ローン担保証券(MBS)への投資など、サブプライム層の住宅ローンに偏重した事業展開に傾斜してしまった(これも詳細は第三章)。

 AIGの住宅ローン保証部門であるユナイテッド・ギャランティー(United Guarantee、)は二〇〇七年以来、巨額の損失を計上していた。そして、AIGの監査法人であるプライス・ウォーターハウス・クーパーズ(PricewaterhouseCoopers)(22)から、デリバティブ取引の評価に関する会計処理方法を変更するよう指摘を受けた。このことによって、AIGのデリバティブ取引の累積評価損が、〇七年九月三〇日時点の三億五二〇〇万ドルから〇七年一一月三〇日には五九億六四〇〇万ドルまで増加していたことが明らかになった。

 AIGは、カリスマ的存在だったハンク・グリーンバーグ("Hank" Greenberg )(23)前CEO(最高経営責任者)を辞任に追い込んだ不正会計問題で、すでに、大きな打撃を受けていた。そのうえさらに、深刻化する住宅ローン危機による損失の規模に多くのアナリストが疑念を抱くようになり、経営の健全性に厳しい目が向けられることとなった。

 〇八年、AIGの株価は下落を続けた。CEOの首が次ぐ次にすげ替えられた。八月には〇八年第二・四半期決算が発表され、デリバティブ取引の評価損は累積で二五〇億ドルに達したことが明らかになった。五月に実施した二〇〇億ドルの資本増強も一瞬で消え去った。

 損害保険事業の営業利益が五四%の減益となるなど、中核の保険業務の一部においても低迷が明らかになった。そして、二〇〇八年九月一六日、米政府とFRBによる救済が発表されたのである。

 リーマン・ブラザーズ破綻に次ぐ、米国発金融危機の焦点となっていたAIGの救済により、米政府は危機回避を狙った。公的救済を受けられず破綻したリーマンとは異なる対応となった。

 過去のルールは、モラルハザードとの批判を避ける意味で、元本が保護される預金取り扱い金融機関のみを救う、というものだった。それが〇八年三月の米証券大手ベア・スターンズで、証券会社救済にまで広がったのは、AIGが、クレジット・デリバティブの市場で金融機関やヘッジファンドの取引の相手方になっていたためである。これに対して、リーマン・ブラザーズはこの間、クレジット・デリバティブの取引の相手としては、ポジションが小さくなっていた。つまり、まず、AIG救済ありきだったのである。

 AIGは、クレジット・デリバティブの市場で非常に大きな存在感をもつ企業であった。AIGは、世界中で、証券化商品や不動産に投資をおこなっていた。なかでも、子会社のAIGFP(AIG Financial Products、一九八七年創設の金融サービス会社)による、証券化商品の保証やクレジット・デリバティブの業務が大きかった。資金繰り難も、元はといえば、この子会社が原因である。

 この子会社は、二〇〇八年第二・四半期決算の開示資料によれば、四四一〇億ドルものCDOやCLOに関連したCDSの取引をおこなっていた。格付け機関に格下げをされたことで、追加担保が発生し、資金繰り難に陥った。もし、AIGが破綻するようなことがあれば、このCDSの取引を通じて、世界中の金融機関がパニックに陥る危機に瀕していたのである(大崎[2008]明子=東洋経済オンライ、「米保険大手AIGは、なぜ政府によって救済されたか」、『週刊東洋経済』、〇八年九月一七日)。

 二〇〇八年一〇月一日時点ですでに、融資策の約七割にあたる六一二億ドル(約六兆四〇〇〇億円)をFRBから借り入れた。ほとんどは、取引先への担保差し入れなどの資金繰りに当てられた。ただ、FRB融資は、金融機関同士の貸し借りの基準になるロンドン銀行間取引金利(LIBOR)に八・五%も金利を上乗せされる。負担は重く、なるべく早く返済しなければ経営再建はおぼつかない。このため、資産売却で返済資金を調達するよう、リストラ圧力がかかっている。AIGは、日本を含む二五か国以上で生命保険事業を展開する子会社であるアリコについて、売却する意向を示した。日本での支社であるアリコジャパンは通信販売と金融機関窓口販売などを通じ、医療保険を中心に事業を展開している。保険料等収入では国内生保業界で五位。

 このほかの資産売却の候補としては、AIG傘下の米航空機リース大手、インターナショナル・リース・ファイナンス(International Lease Finance Corp.)や、再保険会社、トランスアトランティック(Transatlantic)の保有株式、資産運用会社、AIGインベストメンツ(AIG Investments)
などである(http://www.asahi.com/business/update/1003/TKY200810030247.html)。


野崎日記(135) 新しい金融秩序への期待(135) 大きな国家(4)

2009-04-17 07:08:41 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


三 一九九九年金融近代化法のつけ


 AIGの経営危機が、米国流闇金融(shadow financial system)(ポール・クルーグマン、Paul Hrugmanによる命名、後述)に歴史からの退場を命じた。一九九九年から解禁になった、銀行、証券、保険業務の兼営が、AIGの命取りとなていたのである。一九九九年に成立した金融近代化法が、それまでグラス・スティーガル法(18)で禁じられていた三つの業務の兼営を解禁したのである。その解禁をフルに利用してきたのが、AIGであった。そのAIGが兼営に傾斜して一〇年足らずで経営危機に陥ったのである。

 金融近代化法は、法案審議を主導した各委員長の名前を取って、「グラム・リーチ・ブライリー法」(Gramm-Leach-Bliley Act of 1999=GLBA)として知られている。この法律によって、戦後体制は一挙に大恐慌以前の体制に戻された。銀行、保険、証券を分離するという、恐慌を経験した後の「グラス・スティーガル法」(一九三三年銀行法、Glass-Steagall Act)による金融業務を分けていた垣根が撤廃され、これら金融機関の相互提携・相互参入が可能になったからである。

 金融に関するあらゆる業務が、金融持株会社を創設することで、一つの母体で運営されることが可能になった。六六年間続いてきた米国の金融制度がこの法律によって大転換した。以降、米国のみならず、世界中で、金融コングロマリットが誕生することになった。

 米国発の金融の自由化とは、グラス・スティーガル法を撤廃する動き以外のなにものでもなかった。大恐慌の教訓は、大胆にも踏みにじられてしまった。
こうした厳しい金融規制が、一九八〇年から次第に緩和され、ついに、一九九九年、規制のすべてが撤廃されてしまったのである。

 「一九八〇年預金金融機関規制緩和・通貨統制法](Depository Institutions Deregulation and Monetary Control Act of 1980)で、レギュレーションQの、六年以内での段階的廃止を決めた。

 「一九九四年リーグル・ニール州際銀行支店設置効率法」(Riegle-Neal Interstate Banking and Branching Efficiency Act of 1994)で銀行の地理的業務規制がなくなった。そして、業務規制を定めていた「グラス・スティーガル法第二〇条」が、一九八七年以降、相次いで修正され、金融機関の業務範囲も大幅に拡大させられた。そして、ついに、一九九九年の「グラム・リーチ・ブライリー法」(によって、巨大金融コングロマリット形成の道が掃き清められたのである。その目玉は、銀行持株会社に加え、保険会社と証券会社を子会社にする金融持株会社(financial holding company)の認可である。

 グラス・スティーガル法が廃止されてきた経緯を見ると、規制の網をくぐり抜ける新金融商品が市場を掴み、それに引きずられて、その事実に合わすべく法が変えられてきた、ということが分かる。

 金利規制については、一九七〇年代に登場した金利規制外のCP(Commercial Paper)やMMMF(19)等の証券新商品に向かって、金利規制のある預金金融機関から資金が流出したことによって、法に風穴が空けられた。つまり、証券化の進行が銀行規制を破壊したのである。証券に対抗して、銀行は、一九七八年にMMCの発行が認可された。

 地理的業務制限の緩和は、州銀行法が独自に規制緩和してしまえば、連邦法もそれに併せて変えられてしまうという、米国独特の構図から生じたものである。つまり、州間の銀行獲得競争の結果である。これには、「一九七七年地域再生法」(Community Reinvestment Act of 1977=CRA)の成立が大きく影響していた。CRAは、一九七〇年代、米国で吹き荒れた市民運動、公民権運動、消費者運動が、勝ち取った法律である。それは、地域の経済発展や地域に居住する低・中所得者層への与信といった融資の地元還元を預金金融機関に対して奨励した法律である。

 十分な資本に裏付けられ、適切に運営されている銀行が、他州の銀行を取得して、それを支店とすることが、一九九四年の上記の法律で認められるようになったが、それでも、認可条件にCRAの検査を受けることが義務づけられていたのである。また、預金量の集中制限もこの時点では課せられていた。銀行は、全米預金量の一〇%以内、州預金量の三〇%以内という預金量制限もまだ存在していた。しかし、こうした市民の側に立っていた法律も次第に形骸化していった。

 業務制限については、伝統的な預貸業務では利益が上がらなくなった銀行側の事情から、緩和されるようになった。一九八五年、銀行監督当局は、銀行持株会社の子会社ならば、ミューチュアル・ファンド(Mutual Fund)(20)の仲買(ブローカレッジ、brokerage)業務が認可された。ミューチュアル・ファンドは、株価上昇を受けて貯蓄商品として市場の人気をさらっていた。さらに、預金金融機関がその保有する金銭債権を分離し、証券化して発行するという債権の証券化が隆盛を見ることになった。とくに、住宅証券が大きな比重を占めるようになった。

 こうして、「銀行の証券業務への参入やその保有債権の証券化の進展は、銀行が、自らリスクをとって貸出を行う伝統的な間接金融から、投資家がリスクを負担する直接金融にその業務をシフトさせていることを意味する」(樋口[2003]、五九ページ)。

 樋口修氏の上記論文には、銀行収益の中身の変化が示されている。Federal Reserve Bulletinから採られた数値である。一九八五年の米国の商業銀行の粗収入に占める融資収入(ローン)の比率は六五・七%であったが、二〇〇二年には五二・二%にまで下落した。他方で、証券を扱う「その他の非金利収入」の比率は、同期間に、一〇・四%から二〇・四%に増大した。証券化の流れが、銀行業務を追いつめたのである。

 二〇〇八年の米国の金融恐慌は、こうした証券化の流れが自然かつ合理的なものであるので、その流れに沿うことは不可避であるといえなくなったことを意味している。生産と雇用確保につながらない、単にカネ儲けをするだけの証券化を、新金融商品として、金融当局が認可する必要性などそもそもなかったはずである。銀行が、証券の膝下に屈するということは、いわゆる「銀行と証券の利益相反問題」の次元を超えて、銀行が証券の利益を擁護する事態を招くだけであった。結果的に生産に資金が回らなくなった。これは、金融の進化ではなく退化である。


野崎日記(134) 新しい金融秩序への期待(134) 大きな国家(3)

2009-04-16 07:08:22 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  二 萎んだサムライ債ブーム


 日米欧の中央銀行は、金融不安を和らげるために大量資金供給を実施したが、市場では、ドル資金の出し(供給)が極端に細った状態が続いた。ロイター・ニュースによれば(二〇〇八年九月一六日)、「ドルの短期市場は機能不全に陥っている。長期市場では社債発行もまともにできない状態だ」とバークレイズ銀行(Barclays Bank)の梅本徹が述べたという。

 ドルの短期市場では、期間三か月を超える資金の調達が不可能になっていた。優良行でも一か月物の資金は一度に五億ドル程度しか調達できない。ドルの流動性枯渇は、ドルが既に基軸通貨としての体をなしていない証拠である。

 ニューヨーク連銀によると、銀行間で短期資金を融通するフェデラルファンド(FF)市場では、リーマン破綻を受けた九月一五日の取引で、FFレート(Federal Funds rate)(15)が七%まで急騰し、FRBの誘導目標の三倍を超える水準に達した。

 全米の地区連銀による金融機関向けの窓口貸出(公定歩合を基準とする貸付)は、二〇〇八年九月一〇日時点で過去最高の二三六億ドルに達した。金融機関の間では、同貸し出しに頼ることが、財務の弱さの表れと見なされるから、二〇〇八年の初めには窓口借入を控える傾向があったが、九月になると、背に腹は変えられない状況になってきた。

 一部の欧米投資銀行は、短期資金に頼る部分を減らし、安定的な長期資金調達を増やす動きを見せた。それは、日本でのサムライ債(16)発行増となって現れた。サムライ債は一時、発行ラッシュとなった。

 二〇〇八年九月までに発行されたサムライ債の金額は二兆五〇〇〇億円で、過去最高だった二〇〇〇年の二兆八五六七億円に迫る。

 サムライ債の発行体である欧米金融機関は、ベーシス・スワップ(17)を使って円資金をドルに転換するが、二〇〇八年七月半ばからドルの資金調達コストが急拡大したため、一時的にサムライ債の発行が抑制された。これは、邦銀のドル需要の高まりのせいであった。欧米金融機関のサムライ債を通じたドル資金調達の拡大に加えて、海外業務拡大に伴い、ドル資金調達ニーズが高まった邦銀がドル需要を高めたのである。邦銀は、欧米銀が融資に慎重になるなか、外国企業向けの協調融資を大幅に伸ばしていた。日銀によると、邦銀海外支店の貸出残高は二〇〇八年七月末に三五兆七二二七億円となった。二〇〇七年七月末の二六兆三六四二億円から急拡大した(ロイター日本語ニュースhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/reuters/20080917/170801/?ST=print)。

 しかし、リーマンの破綻によって、日本の金融機関も大きい損失を出した。サムライ債市場そのものが機能を停止した(Hall[2008])。大手邦銀は、リーマンに対する融資で推計二七億ドル(約二九〇〇億円)の債権を持っていたが、リーマンの破綻によって、その一部しか回収の見込みはなかった。大手以外の日本の金融機関もリーマンが発行した一九五〇億円のサムライ債の大部分を保有していた。中堅地方銀行、生命保険会社、年金基金がそれであった。

 リーマンのサムライ債は、アルゼンチン政府がサムライ債の償還不能に陥った二〇〇一年一二月以来、初めてのデフォルト(債務不履行)となった。投資家たちは、ほかの米証券会社が発行したサムライ債を売却して現金化し、これ以上の損失拡大の阻止に努めるようになった。全国一六四の信用組合を傘下に持つ、全国信用協同組合連合会(全信組連)は、リーマンのサムライ債に五五〇〇万ドル(約五八億円)を投資していた(BusinessWeek, September 19)。


野崎日記(133) 新しい金融秩序への期待(133) 大きな国家(2)

2009-04-15 07:05:45 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

  リーマン・ブラザーズの経営破綻がはっきりした二〇〇八年九月一六日、日米欧の中央銀行は相次いで市場への大量の資金供給に踏み切った。

 ちなみに、リーマンは、日露戦争の戦費を日本に提供したクーン・レーブ(Kuhn Loeb)(13)を一時は吸収していたし、日本とは深い関わりをもった投資会社であった。また、クーン・レーブの支配人であったジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob Henry Schiff)との関係は強かった(14)。

 FRBは、〇八年九月一五日、証券会社向けの資金供給制度を拡大すると発表。ニューヨーク連銀は金融機関が資金を融通しあう短期金融市場に、米同時多発テロ直後の二〇〇一年九月一四日以来最大の規模となる総額七〇〇億ドル(約七兆三五〇〇億円)を供給した。また、シティグループなど欧米の金融大手一〇社は、市場の混乱に備えて、共同で計七〇〇億ドルの基金設立を発表。一社当たり七〇億ドルを拠出して資金繰りを支え合った。

 欧州中央銀行(the European Central Bank=ECB)も、〇八年九月一五日、短期金融市場に三〇〇億ユーロ(約四兆五〇〇〇億円)を供給した。リーマン破綻による金融不安の広がりから、欧州の短期金利が急上昇、銀行が資金を取りづらい状況となったため。資金供給には五一の金融機関が殺到、応募額は計九〇二億七〇〇〇万ユーロに達した。

 日銀は、〇八年九月一六日、総額二兆五〇〇〇億円の資金を供給した。国内でも金融機関の資金繰りが逼迫し、金利が上昇する恐れがあると判断した。ベア・スターンズ救済直後の決算期末だった二〇〇八年三月三一日(三兆円)以来の規模。日銀の白川方明(まさあき)総裁は一六日朝、「最近の米国金融機関を巡る情勢とその影響を注視しつつ、円滑な資金決済と金融市場の安定確保に努める」との談話を発表した(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080916-00000023-mai-bus_all)。
 それからわずか一週間後、各国中央銀行は、自国通貨ではなく、ドルを市場に放出した。これは、米系金融機関と米政府にとって、いかにドル調達が困難であるかを示すものであった。

 FRBやECB、日銀など六か国・地域の中央銀行は二〇〇八年九月一八日、米国発の金融危機に対応し、金融機関が資金をやり取りをする各国の短期金融市場に大量のドル資金を供給する協調行動をおこなうと発表した。市場では、リーマン・ブラザーズの破綻などによる信用不安から資金の出し手が不在となり、欧米金融機関が必要なドル資金を調達できなくなっている。「最後の貸し手」である中央銀行が資金を供給し、資金繰りの行き詰まりによる連鎖破綻を回避するのが狙いであった。

 FRBは、日銀、英、カナダとの間で、ドル資金を提供するため、相互の通貨を交換するスワップ協定を締結。すでに協定を結んでいるECB、スイスとは交換枠を拡大した。

 日銀は総額六〇〇億ドル(約六兆三〇〇〇億円)分の円とドルの交換協定を締結。このうち最大五〇〇億ドル(約五兆円)を市場に供給する。日銀がドル資金を供給するのは初めてである。供給先としては国内金融機関のほか、外資系金融機関を想定。資金繰りが悪化している欧米金融機関が、日本市場でドル資金を調達できるようにした。

 ECBなどの他の中央銀行も自国市場でドル資金を供給した。各行は、母国通貨で資金を供給していたが、危機の沈静化には調達が難しくなっているドル資金を協調して供給する必要があると判断したのである。

 世界の金融市場では、リーマンが破綻する一方、保険最大手のAIGが救済されたが、「次に破綻するのはどこ」という疑心暗鬼が広がり、資金の出し手がいなくなる「信用収縮」が深刻化した(http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080918/fnc0809182025018-n2.htm)。

 そして、日銀は〇八年九月二二日、米欧の中央銀行と協調した短期金融市場向けのドル資金供給を二四日に開始すると発表した。初回の二四日の供給額は三〇〇億ドル(約三・二兆円)で、供給を受ける金融機関への融資期間は一か月の予定。供給対象にはゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)やモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)など外資系二〇社を含む金融機関四〇社が選ばれた。

 日銀の供給予定総額五〇〇億ドル(FRBとの契約では上限六〇〇億ドル)の残りは、一〇、一一月に各一〇〇億ドルずつ供給された。ともに融資期間三か月と、年末の資金需要の増大期に備えるものであった(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080922-00000119-mai-bus_all)。

 欧米金融機関が日本での資金調達を活発化させる中、銀行間でドルの短期資金を融通する市場では金利が急騰し、FRBによる金融機関向け窓口貸出が過去最高水準に達した。

 これらのすべての現象は、もっとも流動性に富むはずの「基軸通貨=ドル」が不足していることを示した。銀行間でドル資金を貸借する短期金融市場では、取引相手の信用リスク(カウンターバーティー・リスク)が強く意識され、信用収縮が一段と進んだ。

 危ないものはもたない、という空気が金融界に充満し、極端な信用収縮が起きたが、危ないものの中にドルが入れられるようになったのである。

野崎日記(132) 新しい金融秩序への期待(132) 大きな国家(1)

2009-04-14 07:06:03 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 吹き飛んでしまった小さな国家


 はじめに


 アレキサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)(1)によって創刊され,、一度はメディア王、ルパード・マードック(Keith Rupert Murdoch)(2)によって支配されたこともある『ニューヨーク・ポスト』(New York Post)という老舗の新聞(3)によれば、ブルームバーグ(Michael Rubens Bloomberg)・ニューヨーク市長(4)が、「米国債を買うものが出てくるだろうか?」と同月一一日にジョージタウン大学(Georgetown University)で語った(5)。

 事実、二〇〇八年九月一三日、米政府が政府支援企業(GSE)(6)である連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ、Fannie Mae)(7)と連邦住宅金融抵当金庫(フレディマック、Freddie Mac)(8)への支援策を発表したことを受け、翌日の米国債の債務の保証料が上昇した。米国債の期間五年のクレジット・デフォルト・スワップ(CDS=Credit Default Swap)のプレミアムが、九月一一日の一六・五ベーシスポイント(bp)から一四日には約一七bpに上昇した(9)。

 フレディマックとファニーメイの総資産を合計すると七〇〇兆円もある(五〇〇兆円は金融派生商品、二〇〇兆円は社債)。米国のGDP約一五〇〇兆円の約半分程度の規模もある。両社あわせた七〇〇兆円のうち、仮にその二割が焦げ付けば、一四〇兆円もの救済資金が必要となる。これほどの巨額の資金、いかに議会で承認されたとはいえ、おいそれと出せる金額ではない(http://allabout.co.jp/undefined/tcm-foreignstock/rss/index.xml)。国債のプレミアムが跳ね上がったのも当然である。

 米国債は、これまではリスクのないもの(リスク・フリー)と受け取られていた。プレミアムも、二〇〇七年には、なきに等しい二bp以下であった。しかし、連邦準備理事会(Board of Governors of Federal Reserve System=FRB)が二〇〇八年三月一四日に投資銀行のベアスターンズ(Bear Stearns)に公的資金を注ぎ込んで救済すると発表したとたんに、米国債のプレミアムは約一二bp台に跳ね上がった(ロイター、二〇〇八年九月一四日)。政府が大恐慌以後、初めて商業銀行ではない投資銀行(証券会社)に公的資金を注ぎ込んだのである。それは、CDS市場の衝撃の大きさを物語るものであった(10)。

 そして、保険会社、AIG(American International Group)に対する空前の巨額の公的資金投入が決定された。一九九七~九八年のアジア通貨危機のさい、米政府は、資金不足の企業を救済しようとしているとしてアジア各国政府を非難した。だが、米政府は二〇〇八年九月、金融危機で経営破綻した自国の企業に対し救済措置をとった。FRBは、二〇〇八年九月一六日、資金繰りが悪化しているAIGの破綻を回避するため、同社の株式約八〇%を担保に八五〇億ドル(約九兆円)のつなぎ融資に応じると発表。同日の世界の株式市場は急落した。

 アジア通貨危機のさいには、国際通貨基金(IMF=International Monetary Fund)も、アジア各国の政府に対し経営不振企業を見殺しにするように指示した。九月一八日付の『ニューヨーク・タイムズ』(New York Times)は、アジア通貨危機当時、韓国に二〇〇億ドルを融資する条件として経営不振の銀行や企業を救済せず、そのまま破綻させるようIMFが指示したという話を伝えている(http://www.afpbb.com/article/economy/2519830/3360418)。

 そして、二〇〇八年九月一九日の一〇年物国債のCDSプレミアムは、二七・九BP、五年物は二二・五bpにまで上昇してしまった(ロイター、九月一九日)。
 ちなみに、ドイツ国債のプレミアムは一三bp、フランスは二〇bpであった(http://www.telegraph.co.uk/money/main.jhtml?xml=/money/2008/09/18/ccambrose118.xml)。米国債が非常に危険なものと世界の金融界が意識しだしたのである。

 ブルームバーグが危惧するように、金融恐慌を避けるべく公的資金を米国政府が投入しようにも、肝心の資金が調達できなくなる危険性がきわめて高いのである。世界恐慌の不気味な地鳴りが聞こえてくる。


 一 九月一五日前後の大混乱


 米当局による金融市場安定化策などの施策は、米国の財政状況の大幅な悪化につながる。J・P・モルガンでは、二〇〇九年度の米国の財政赤字について、二〇〇八年度の四〇〇〇億ドルから六五〇〇億ドルに拡大すると予想した。しかし、この予測は、二〇〇八年九月に発表された安定化策に伴う財政負担を考慮に入れていなかった。財政赤字はさらに大幅に拡大してしまった(http://jp.reuters.com/article/forexNews/idJPnTK018805020080922)。米財政赤字の累積は二〇〇八年の一〇兆六〇〇〇億ドルから二〇〇九年には一一兆三〇〇〇億ドルに増えた。

 金融機関への支援だけではない。米財務省は二〇〇八年九月一九日、金融市場の混乱で清算などが相次いでいるマネーマーケットファンド(Money Market Fund=MMF)(11)について、払い戻しを保証する臨時の保険制度を導入すると発表した。期間は二〇〇九年まで。同制度の適用を受けるには、ファンドが手数料を支払う必要がある(http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/)。

 米国では、リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)(12)破綻の影響で一部のMMFが額面割れとなり、短期金融市場が機能不全に陥った。MMFの市場規模は三兆五〇〇〇億ドル。MMFは金融機関や企業の発行する短期証券に多額の投資をおこなっていたのである。

 米国有数の歴史をもつMMFのリザーブ・プライマリー・ファンド(Reserve Primary Fund)は、二〇〇八年九月一六日、リーマンが発行していた証券への投資で多額の損失を出し、額面割れとなった。MMFは安全な投資先とされていただけに、同ファンドの額面割れを受け、MMFから大量の資金が流出。MMF運用会社は、解約に備えるため、証券の購入を減らし、手元現金を増やさざるを得ない状況となった。
 米国政府の対策には、金融機関からの不良資産買い取りに七〇〇〇億ドル、MMFの保護に五〇〇億ドルを投じることが盛り込まれていた(http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-33871920080922)。

 金融機関の救済をしないでも、米国の財政の累積赤字は一一兆三〇〇〇億ドルあった。米国のGDPが一五兆ドルと推定されるから、対GDP比で七五%。日本の累積赤字は建設国債を含めて八〇〇兆円とすると、対GDP比は一四五%。日米比較でいえば、まだ米国のほうが健全なように見えるが、そうではない。国民の金融資産比でみると事態は異なる。日本の一五〇〇兆円の金融資産から見れば、日本政府の抱える累積債務は国民の資産の五三%。反対に米国は、消費優先、クレジットカードで借金している社会だから、担保がない。米国債は販売の二五%以上を海外投資家に依存せざるを得ないのである( http://jp.reuters.com/article/forexNews/idJPnTK018805020080922)。


野崎日記(131) 新しい金融危機への期待(131) 金融危機の12段階

2009-04-12 07:14:27 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
  

(1) "the Emergency Economic Stabilization Act of 2008"。文字通り邦訳すれば、「緊急経済安定化法案」となるはずだが、日本のジャーナリズムでは、各自が異なった訳語を当てている。読売は、「緊急経済安定化法案」と「金融安定化法案」の二通りを併用し、朝日は、「緊急経済安定化法案」と「金融救済法案」を使っている。毎日、日経、時事、NHKは「金融安定化法案」で通している。米国のジャーナリズムでは「米国金融制度救済」(a bailout of the U.S. financial system)という表現が一般的に使われている。この名称は、財務省の最初のものでは、「財務省が住宅ローン関連資産を買い取るための法案」(Legislative Proposal for Treasury Authority to Purchase Mortgage-Relatede Assets)、それを短くした「不良資産救済法」(Troubled Asset Relief Act of 2008)であった。〇八年九月一九日にポールソン財務長官が声明で使ったTARP(Troubled Asset Relief Program) とか"bailout plan"という言葉が一般的に使われている。ブッシュ大統領は、"bailout"という用語より"rescue"を使って欲しいとしていた(New York Times, Sept. 28, 2008: Oct.2, 2008)。"bailout"には揶揄的な意味が含まれているからではないだろうか。本論では、EESAと表現する(詳しくは、鳥居[20081007])。

(2) 「ジングル・メール」とは、住宅の鍵を封筒に入れて、それを不動産ローンを供与してくれた銀行に送りつける、つまり、住宅を返還するという意味である。日本と異なり、米国ではローンは人に付くのではなく、担保に出した住宅に付くために、鍵を返却してしまえば、ローンの受け手は借金返済から免れる(BBC[20080212])。

(3) ピムコ(PIMCO)のアナリスト、ビル・グロス(Bill Gross)によれば、"Shadow banking system"という表現を最初に使ったのは、同じピムコのポール・マッコーレー(Paul McCulley)であった(Gross[20071127])。ピムコ(Pacific Investment Management Company LLC)は、 債券専門の運用会社として一九七一年に、カリフォルニア州にて設立された。安定した高いパフォーマンスが信頼を集め、設立以来三〇年を経て、世界最大級の債券運用会社に成長した。米国をはじめ、東京、シドニー、シンガポール、ロンドン、ミュンヘンに拠点を設け、グローバルにビジネスを展開し、世界中の投資家の資金を運用している(http://www.smam-jp.com/image/wn/about_pimco.html)。


野崎日記(130) 新しい金融秩序への期待(130) 金融危機の12段階(2)

2009-04-11 07:10:33 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 第九段階、「闇でうごめく銀行システム」(3)が崩壊する局面。米国の現段階がこの局面である。闇でうごめく金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかを絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという、旧い型の商業銀行であった。

  この種の商業銀行とは、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにするものであった。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものだったのである。もしも、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。救済されるという保証を得るために、銀行はすべての活動を表に出していた。そして、当局の監督に服していたのである。つまり、商業銀行は、影のない世界だったのである。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。これが、「プライベート」(private)である。このプライベート組織(投資銀行など)が破綻した。しかも、約束違反を冒して、当局による救済を求めた。救済資金を出す代わりに監督を開始するという意図をもつ当局と、救済はして欲しいが当局による介入はいやだという闇も組織とのせめぎ合いが〇八年の米国の金融状況であった。

 金は闇の金融機関に集中するようになった(Krugman[20080914])。つまり、金は非預金組織(nondepository  institution)に集まった。こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、真のリスクは隠され続けてきたのである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとしている。膨大な公的救済資金が注がれた。ファニーメイやフレデリックマックの救済は、米国の財政破綻を招くことになるであろう。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある。必要なことは、いかに、新しいルールを早急に作るかにある。それなくして、公的な資金を垂れ流しても意味がないであろうとクルーグマンは述べている(Krugman[20080914])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった(Roubini[20080228])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸し付けに対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる。

 この組織が輩出するようになってまだ一〇年そこそこしか経っていない(Tett & Davies[20071216])。彼らの手法は、ほとんど外部の人間には知られていなかった。SIVsにしても、CDOsという用語にしても、一般に知られるようになったのは、サブプライム・ローン問題が表面化した二〇〇七年夏以降のことでしかなかった。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである。

 第一〇段階はニューヨーク株式が大暴落する局面。そして、世界の株式市場の大混乱。モノラインの行き詰まりが引き起こす金融市場のパニック。世界は、この段階に入りつつある。

 第一一段階は金融市場から流動性が枯渇する局面。中央銀行による大量の短期資金散布もほとんど効果がないことが知られるようになる。

 第一二段階は恐慌の発現。損失の連鎖、資本の毀損、極度の信用収縮、強制的な企業整理、資産の投げ売り、等々が連鎖する。そして、世界恐慌の発現。ゴールドマン・サックスの試算によれば、金融機関の二〇〇〇億ドルの損失は、二兆ドルの信用収縮をもたらす。自己資本の一〇倍の貸出を金融機関がしているからである。

 こうした悲劇を阻止するには、政府の適切な機動性ある政策が不可欠であるが、現在の政府にそうした能力があるとは思われない。社会は最悪の事態の到来を覚悟しておくべきであるというのが、一二段階を想定したルービニの結論であった(Roubini[20080205])。


 三 「緊急経済安定化法」(EESA)が生むハイパーインフレーション

 大統領府の経済救済措置は、多くの問題点を抱えている。七〇〇〇億ドルの資金量で金融機関の不良債権を購入する権限を財務長官に付与したEESAは、多くの修正を加えられた。まず、最初に下院に提案された法案は、ブッシュ大統領とポールソン財務長官の連名によるものであった。〇八年九月に作成された最初の案は、わずか三ページの短さであった。これが、下院に提出されたときには様々の修正を加えられて一一〇ページにまで増やされた。しかし、〇八年九月二九日、下院で否決された(賛成二〇五票、反対二二八票)。今度は上院に提出するてめに、法案は、さらに預金保護や一五〇〇億ドルの予備費を加えた修正によって、四五一ページの大部のものになった。〇八年一〇月一日、賛成七四票、反対二五票で可決された。そして、同月三日、下院を通過したのである。この程度の救済策では、事態深刻さを打開できないとルービニは批判した("Nouriel Roubini: History shows the bail-out won't solve the banking crisis," Guardian, Oct. 2, 2008)。

 流動性を失った不良債権のモーゲージ証券(MBS=Mortgage Backed Security)を財務省が買い上げると言っても、実際の適正価格の算定は非常に難しい。適正な価格で購入した証券を適正価格で転売することは、値動きが激しい不良債権に関するかぎり、至難の技である。たとえば、メリルリンチは、突然に、自己の保有する二〇〇八年第二・四半期のMBS価格を二二%にまで下げた(Keon[20080729]).。下落幅を大きくする一方の不良債権を公的資金で安定化させることは現実的には不可能に近いのである。

 効果のほどが疑われるにしても、七〇〇〇億ドルは巨額である。米国の人口は三億五〇〇万人である。したがって、一人当たり二二九五ドルの負担となる。働いている人口は一億五一〇〇万人である。働き手一人について、四六三五ドルである。

 七〇〇〇億ドがいかに法外な大きさであるかは、国家予算との比較でも分かる。〇八年度の連邦政府予算は二兆九〇〇〇億ドルである。EESA予算はその二四%である。合計、三兆六〇〇〇億ドルは〇九年度予算規模、三兆一〇〇〇億ドルを大きく上回る。大統領府が金融機関救済のために用意する資金の総額は一兆ドルを超える。米国のGDPは一四兆円である(Reddy[20080928])。

 しかし、これだけの巨額の資金が散布されてしまえば、ハーパー・インフレーションを生み出す不安感が日々強くなっている。それは、ドル崩壊をもたらしかねない(Hudson[20080926])。


野崎日記(129) 新しい金融秩序への期待(129) 金融危機の12段階(1)

2009-04-10 07:12:05 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  底が見えない金融危機


 はじめに


 米国で、「金融経済安定化法案」(1)が〇八年一〇月三日に成立した。にもかかわらず、世界的な株価暴落が止まらない。連日、戦後最大の下げ幅を記録したのが、法案成立後の世界の株式市場であった(菊川[2008]、http://www.afpbb.com/article/economy/2435657/3375181)。

 金融崩壊と実物経済の縮小がスパイラルを描き始めた。世界は、未曾有の失業率の増大に苦しんでいる。


 一 心肺機能が停止した米国金融市場


 金融機関が心肺の停止に陥りつつある。金融工学の計測値によれば、三・四%超の一日当たりでの株価下落は、八八年間に五八日程度のわずかな日数だけで(実際には一〇〇一日)、四・五%以上の下落は六日程度(実際には三六六日)、七%超は三〇万年に一日しか起こらない(実際には四八日)とされてきた。ところが、金融経済安定化法案(EESA)が上院を通過した〇八年一〇月一日の翌日のニューヨーク市場の株価は四%、下院を通過した同月三日には三%、六~七日には、ピークから三〇%も下げた。それこそ、計算上は何十万年に一回、歴史的実績からしても数十年ぶりの大暴落が続いたのである(計測値と実勢値については、東洋経済編集部「2008]、三九~四〇ページ)。

 〇八年一〇月の第一週は、MMF、インターバンク、クレジット、CP等々のすべての金融市場の崩壊現象が見られた。まさに、心肺機能停止寸前にまで金融システムは追い込まれれていたのである(Roubini[2008a])。

 三〇〇社を超える不動産貸付業者が倒産した。SIVは毀損した。SIVブローカーの主要五社のうち、二社が破綻し(ベアとリーマン、残り三社は、FRBの監督に服する商業銀行に衣替えさせられた(メリル、モルガン・スタンレー、ゴールドマン)。巨大なヘッジファンドから出資者が資金を急激に引き揚げた。モルガン・スタンレーは、〇八年一〇月二日時点で、顧客のヘッジファンドからの預かり金の三分の一を解約された。しかも、投資銀行だけではなく、商業銀行からも預金が流出した。眼前に展開しているのは、「闇でうごめく銀行システム」(shadow banking system)の音を立てての崩壊である。

 金融機関だけではない。企業も、CP市場が崩壊してしまっているために、通常の運転資金の調達に困難を覚えている。金融システムの崩壊が資金調達の重要な手段であったCP発行を阻止している。CPによる企業の資金繰りの悪化が続けば、金融の混乱が実物経済の崩壊を生み出してしまう。〇八年九月、一年以内に満期になり、借り換えが必要な資金は全米で五〇〇〇億ドルあった。しかし、九月中にCP市場の縮小幅は二〇〇〇億ドルになった。市場規模の縮小率は毎週八・七%のスピードで進んだ。

 大恐慌の足音が確実に近づいている。預金者の資金が銀行を通じて間接的に企業に融資される間接金融システムに比べて、資金市場から証券を発行して資金を調達するという直接金融システムは、金融崩壊時にははるかに脆弱なものであったことが、〇八年の金融危機が示した。金融の構造変化を果敢に遂行するのではなく、短期資金を市場に放出するだけの救済(bailout)手段では、米国発の金融恐慌のグローバル化は阻止できないのである(Roubini[2008b])。


 二 金融危機の諸段階


 ヌーリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)は、金融危機が進行する局面を一二段階に分けている(Roubini[2008c]。その段階区分からすれば、〇八年一〇月の金融危機は第九段を過ぎ、第一〇段階に突入していたことになる。そして、最終段階の恐慌の発現は目前なのである。

 第一段階は住宅価格の下落局面。住宅価格は、〇七年二月時点でピーク時の価格の二〇~三〇%下落し、それだけで家計の損失額は四~六兆ドルとなった。三〇%の住宅価格下落とは、一〇〇〇万世帯が「ジングル・メール」を出すということである(2)。

 第二段階は安易な貸付行動の付けが回る局面。頭金なし、所得証明なし等々の安易なローンがサブプライムローン問題を深刻化させた。しかし、ルーズな貸付は、プライムローンにも波及していた。これを忍者ローン(NINJA loans)という。すべてのローンの六〇%がそうした貸付競争に起因するものであった。〇八年二月段階で、ゴールドマン・サックスは、米国が住宅ローン取引で四〇〇〇億ドルの損失に見舞われたと推計した。当然、銀行の財務内容は悪化した。

 第三段階は、デフォルトが一般の消費者金融にも波及する局面。クレジット・カード、自動車ローン、学資ローンなどでデフォルトが多発する。

 第四段階は、モノライン会社の資金繰り悪化の局面。ローン証券の支払いを保証していたモノラインが支払い不能に陥る。モノライン自体の格付けも下げられる。そうすれば、購入した証券価格も暴落する。金融システム内で相互警戒感が高まる。

 第五段階は商業施設への波及局面。商業施設の新規建設も停止してしまう。

 第六段階は中小の銀行が破綻。米国ではFHLB(the Federal Home Loan Banks=連邦住宅貸付銀行)による住宅金融会社への支援が広がっていた。 すでに、〇七年一一月には、カントリーワイド(Countrywide)という住宅ローン会社がFHLBから五五〇億ドルの支援を受けていた(Salmon[20071127])。

 第七段階は、レバレッジによる損失の巨額化が表面化する段階。

 第八段階は実物経済への危機の波及。金融危機の直撃を受けて、実物経済を担う企業の倒産が激増する。米国の企業のデフォルト率は、一九七一~二〇〇七年平均では三・八%であった。〇六年と〇七年の二年間は非常に低かった。

  しかし、〇八年に入って、一〇%を超えるようになった。デフォルト率が高くなると、支払い保証をデリバティブとして売買するCDS市場が打撃を受ける。五兆円の証券額に対して、CDS取引は名目でその一〇倍の五〇兆ドルもあるという異常な事態が存在していた。このことによる損失は二五〇〇億ドルは下らない。


野崎日記(128) 新しい金融秩序への期待(128) 恐慌(14)

2009-04-09 07:34:34 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

(22) 非正規従業員とは、期間を定めた短期契約で雇われた人たちである。期間を定めない雇用契約を結ぶ正規雇用の対義語である。日本では、非正規従業員には、パートタイマー、アルバイト、契約社員、派遣社員が含まれる。

 バブル経済崩壊後の平成不況では、コスト削減の圧力から正規雇用(フルタイム労働)である正社員の採用を抑制し、非正規従業員を増やすことで、業務に対応していくようになった。労働者数の推移をみると、一九八〇年代から雇用者に占める非正社員の比率は少しずつ増加していたが、一九九〇年代半ばから増加傾向が著しくなり、〇五年には約三割を占めるようになる。これは主に女子学生、中年女性のパート・アルバイトが増加したことと、男女(とくに女性)ともに派遣・契約職員が増加したためである。〇八年一~三月期平均データでは過去最高三四・〇%を記録し、三人に一人超を占めるようになる。また、〇八年版『青少年白書』では、一〇代後半の非正規授業員率は約七割と報告している。

 欧州には、正社員と非正社員の均等待遇(同一労働同一賃金)が原則になっている。フランスは一九八一年、ドイツは一九八五年に差別的取り扱いを禁止した。EUでは、一九九七年にパートタイム労働指令が発令された。これにより、パートタイムを理由とした差別の禁止と、時間比例の原則を適用することとなった。フルタイムとパートタイムとで賃金が違うということがなくなったのである。

 米国には、均等待遇という原則はない。これは、それぞれの雇用形態は企業と労働者の間の契約で取り決められたものだから、政府が法律で介入することはしないという考え方による。そのため、労働者が広域な労働組合を組織し、企業や地方自治体に待遇改善を図る方向で動いている。

 韓国では、二〇〇六年一一月三〇日に国会を通過・成立した「非正規職保護法」がある。雇用期間が二年を超えた有期雇用者は無期雇用とし、派遣労働者は直接雇用とすること。非正規社員を、賃金・勤務条件で正社員と不当に差別してはならないといった内容。韓国では、一九九七年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は五五%(二人に一人超)と日本の過去最高である三三%をはるかに超える高い状況だったこともあり、上記の法が成立したが、実際には非正社員が二年勤務の法実施の直前に大量に解雇される事例が増えている。平均月収八八万ウォン程度で暮らす若者を指して、「八八万ウォン世代(88만원 세대)」という語が流行語となるなど、ワーキングプアは韓国でも大きな社会問題である。

 日本では、非正規雇用から正規雇用への転換については、制度自体がない企業も多く、制度がある企業でも適用例はさらに少ないのが実情である。また多くの会社が非正規雇用に対する差別や冷遇は当然という認識があり、正社員と同様の収入になる事は難しい(Wikipediaより)。