消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(257) 新しい金融秩序への期待(202) 日本の進むべき道(2)

2009-11-29 08:23:30 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 今回の金融危機は、われわれの購買行動を無視して、マーケット(市場)によってすべての物事が決まるんだという神話が崩れたんだと思ってください。そういう意味では、今の不況が回復するには正直、10年かかります。10年間、ずっとわれわれは苦しむわけですが、必ずその先にはものすごくやさしい社会が生まれているはずです。それを信じてなんとかがんばりたいと思います。

 それから大人には責務があります。私たちが20歳代のころは、飢えたオオカミのごとく「未来をつかみ取って見せるぞ!」という意気込みがありましたし、それを支えてくれる社会がありました。ところが今はどうでしょう。若い人にはほとんど就職先がなく、あったとしても3年間の非正規雇用。3年後に正規雇用されると思いきや、この不況を理由にバッサ、バッサと切られていく。若者の30%以上は非正規雇用です。こういう絶望的な社会をつくり出してしまったわれわれ大人の責任があります。われわれはこのまま死んだらダメなんです。若い人たちが希望をもてる社会にもう一度たたき直していくというのが、年寄りの責務であります。

 今回の問題を理解する上で私が日本的なものをもう一度見直せ、と言ういちばん大きなポイントは戦後の11年間にあります。終戦後(1945年)、日本は世界でもっとも貧しい国になりました。日本の明治維新からの歴史のなかで昭和17~19年(42~44年)というのは、平均身長がおちた唯一の年代です。つまり敗戦濃厚で、食べるものがなく、栄養不足が深刻だったということです。10歳下の私の弟は、私よりも15㌢も背が高い。いかに日本が貧困であったかを如実に示しています。

 戦争が終わり、私は広島の疎開先から貨車で30時間揺られて、三の宮に帰ってきました。貨車から降り、何もない焼け野原を見た驚きは今でも忘れません。世界の最貧国だったわが日本が、そこからわずか11年で5大工業国に復帰しました。

 つまり1945年に世界の最貧国、それから11年後の1956年、このときに経済白書が「もはや戦後ではない」というあの有名な言葉を出しました。昭和11年(1936年)、日中戦争前の日本の全盛時代に復帰したということです。たった11年です。私たちはこの11年間に何をやってきたのか。それをもう一度見直そうではないか。そして、小泉内閣以降からのこの日本の没落ぶり、体たらくぶりをあの戦後直後と突き合わせてみれば、おのずと見えてくるかと思います。

 最大の理由は金融機関です。現在のこの不況というのは金融機関の失敗です。戦後直後は少なくとも管理通貨体制でありました。お金はがんじがらめにしばられていました。学生時代、私は留学したいという夢を抱いておりましたが、当時は個人が海外に持ち出せるお金は年間500ドルでした。結局、私費留学できなかった。私の世代は情けないことに語学がダメなんです。

 一方、企業という企業は、稼いだ外貨は日銀に差し出さなければなりませんでした。貿易の決済にしかお金は使ってはいけないということでありました。

 これは日本だけではなくて、「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる世界的なルールで決められていました。IMF(国際通貨基金)の第1条は「資本の自由な動きは阻止する」でした。資本を自由に動かしてはいけない、取り締まる、ということです。だから私たちはその時代のことを管理通貨体制=マネージド・マネタリ・システムという言葉で表すのです。ルールとしては、外国のお金で支払うとき、マーケットから調達することはできません。

 ドルは政府がIMFからもらわなければなりません。それもIMFに預けている範囲でしか使ってはいけないのです。そして、そのドルは政府から支払ってもらわなければいけません。個人はすべて政府を通じてドルを調達する。ドルが不足するなら、自分たちの競争力を高めるために「もっと合理化しろ」ということをやってきたわけです。少なくともお金は自由に使えませんでした。ここを思い起こしてください。これが1971年まで続きます。以降、今のようなダメな状態になったのであります。

 お金をがんじがらめに取り締まっている管理通貨体制の時代と、自由奔放に動ける時代とを比べると、どちらが雇用を増やしたのかという点では答えは明らかです。お金を取り締まっていた時代のほうが、われわれの雇用は増大しておりました。お金が自由闊達に動き出すや否や、リストラが横行し、失業者が増加しました。すべてはお金なんです。このお金を取り締まるということが善です。にもかかわらず、そのお金を取り締まることが悪だと決め付けたのが少なくとも最近のアメリカの流れです。

 戦後直後の日本は、そこが見事にできました。当時の日本には、あらゆる種類の銀行があり、棲み分けをしておりました。大手企業には都市銀行、中小企業には信用金庫、鉄鋼などの基幹産業には政府系の日本長期信用銀行、というように、それぞれの産業の特質に合わせて金融機関が整備されていたのです。これが日本的金融制度の特徴なんです。日本の国民皆保険にならんだ最大の日本の強さだったんです。

  なぜこうした方法がとられたのかというと、儲かる産業と儲からない産業があり、不公平があるからです。例えば鉄鋼業を考えてみましょう。これは儲かりません。世界に冠たる技術をもっている新日鉄でさえ、粗利益率は8%程度です。日本の鉄の技術はすごいです。しかも大根よりも安い。ものすごく薄くて、軽くて、しかも丈夫で、これが日本の車を支えているのです。トヨタやホンダがえらそうにしているのもすべて新日鉄があるからなんです。にもかかわらず、トヨタからそっぽを向かれたら、新日鉄は何もできません。膨大な設備がある鉄鋼業は、多国籍化できません。日本にとどまるしかないがゆえに、われわれの自動車産業は繁栄しています。その最高の鉄の技術をもってしても、鉄は儲からないものなのです。その理由は、お客さんが私たち素人ではなく、トヨタやホンダなどプロを相手にしているからです。われわれ素人は、自動車の価格がどこまで適正であるのか分かりません。新日鉄はトヨタなどから粗利が8%にとどまるように価格設定をさせられてしまっているのです。

 新日鉄はまだまだ世界一の技術です。しかし、その新日鉄にしても儲かっていない。不況産業の代表であります。アルミもそうです。造船もそうです。銅もそうです。とにかくお客さまがプロ相手の商売は儲からました。事実、長銀はアメリカのファンドに買収されました。

 いま、皆さんが持っていらっしゃる多くの物はメード・イン・ジャパンです。これがあと10年もすると、ほとんど‘Made in Korea’‘Made in China’となっていくのだろうと思います。技術者はいなくなり、地場産業を支えている親方さんはみんな高齢です。この不況で「もう潮時や、やめよう」と考え、日本の宝である金型産業、地場産業が壊滅してきます。こっちのほうが恐ろしいです。これを守っていかなければいけない。日本の宝は地場の中小企業なんだということ、大企業はとにかく搾取しているだけのことなんだということを是非わかっていただきたい。

野崎日記(256) 新しい金融秩序への期待(201) 日本の進むべき道(1)

2009-11-28 07:16:13 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 ご紹介いただきました本山美彦です。仲間内の言葉でしゃべるのはラクですが、やさしくというのはものすごく難しいことです。なんとか皆さんの興味をひいていただけるようにやさしくお話ができたらと思います。私の友だちに皆さまと同じ歯科医師もございますので、皆様の窮状は認識しております。

  はっきり申しまして政府は保険医療をつぶすでしょう。日本の財産である国民皆保険をつぶして、民間医療保険に移行していくと方針だろうと思います。

 私は、オバマ政権に関してかなりクエスチョンマークを付けていますが、オバマ大統領は少なくとも国民医療保険を皆保険にしていく方向を出しました。幸いなことにアメリカの巨大保険会社AIGが国有化され、公的保険から民間保険へ移行する流れがひっくり返り、日本を襲う大危機に神風が吹いたということでしょう。

 このエアポケットの間に、医療保険を守るためになんとか皆さんの力で支えていただきますよう、よろしくお願いします。

 今は世界的大恐慌です。1929年の大恐慌を上回る大変な事態であります。テレビでごらんになったらわかりますように、この危機は「アメリカ発だ」と言われながら、アメリカの経済成長率はマイナス3%程度にとどまっています。わが日本は公式発表ではマイナス12.6%と、アメリカの4倍にも達しています。

 戦後、日本が1年間を通じてマイナス成長をしたのは3回だけです。でも3回ともマイナス1%台でした。ひと月だけでしたら15%というのがオイルショックのときにありましたが、それでも1年単位でみればマイナス1%台でした。それが今回はズバリ申し上げましてマイナス30%になるだろうと予測しています。いかに事は深刻かということがおわかりだろうと思います。

 この経済情勢の中で、まず切られていくのが人件費であり、橋下府政がやっているように社会福祉の切り捨てです。私たちはなんとかみんな力を合わせて、この問題に対する解決策を一所懸命話し合い、取り組んでいかなければなりません。皆さま方は医療保険の改悪という暴風雨に対して、なんとか立ち上がっていただきたいと思います。

 のっけからたいへん深刻な話から入りましたけども、話はわりと楽しくゆっくりとさせていただきます。

 参考のために私の研究についてちょっとふれておきます。この20年間ずっとアメリカの悪口を言い続けてきました。当時は、ただひとりたたかっていると思っていました。ところが今はテレビを見ても、新聞を読んでも、アメリカ批判のオンパレード。今まで“アメリカ万歳”と言っていた連中たちは急にどこへ消えてしまいました。私は、周りと同じようにまたアメリカの悪口を言うのはイヤですから、次は「日本のいいところは何か」ということを勉強し、もう一度日本を見直していきたいと考えています。

 わが日本の経済学は、人々に正しい理解をもってもらうことに失敗しました。言葉の伝達ができなかったのですね。私は大和言葉をきちんと理解し、そこから私たちの自信を復活させていこうという試みをやっているのです。

 結論から言いますが、日本人の日本人たるゆえんというのは何かと言えば、判官贔屓というのでしょうか。負けたものに心を寄せる心を持っていることです。平家物語など、日本で残っているあらゆる文学、歴史書には、成功者の陰に倒されていった連中たちへの切ないほどの思いが、いっぱい散りばめられています。これは、功成り名を遂げて立身出世した人を「万歳!」というアメリカ的文化では、まずありません。

 現代で言いますと、人の首を切る前に社長自らが給料を減らす。どんなに会社が苦しくても年越しのモチ代は出す。そんな経営者が昔はいっぱいいました。ところが今はご存じのように経団連の会長の企業が率先して社員の首を切っています。自分自身の給料を3分の1ぐらいにしてみたらどうなのかと思います。経営者はたんまり金をとって、あとのものは全部切り捨てる。こういう流れが今の世の中にはびこっています。これはひっくり返すには日本人が古来ずっと抱いてきた「心」に訴えていくしかないと私は思っているのであります。

 一例を申しますと、‘あわれ’という言葉がありますね。これは公家階級が発達させていったものです。そして、は武力が台頭する時代になってくると‘あわれ’が‘あっぱれ’になるのです。弱い者に味方して、自分を犠牲にしてでも救っていく“あっぱれなやつ”だということになるのです。こういった弱者に対する日本人の「心」をひとつ、ひとつ見つけ、自信を取り戻していきましょう。負けていくものに対するまなざし、これがいちばん大事であって、このことがわれわれの日本経済を支えてきたんだということをわかってください。

 正直に言いまして、私がいちばん勉強できたのは30歳代です。「今に見てみろ!」とあのころは一所懸命にやりました。当時は給料が少なかった。国立大学では、定年間際がいちばん高給なんです。しかし、60歳にもなるとほとんど研究能力はなくなっています。

 私が今、ここにあるのは自分が育てた優秀な若い連中たちに支えられているからです。「ちょっとこの資料探してくれ、俺、見つけられない」と言ったら、サッと送ってくれるのです。こういう若い人たちによって支のられているのが私の研究生活です。定年前は高い給料をもらって申し訳ないと思っていました。退職後、研究能力がなくなっている私に今の大学が声を掛けてくださり、雇ってくれました。本当にありがたいことです。いつも思うのは、自分が今、役に立っていないことを百も承知の上で大学は雇用してくれた。この大学のために命を捨ててもいいという思いです。
実は私が今いる大学は、今回の金融危機でかなりの損失を出してしまいました。なんとか窮状から脱出したいと願っています。

 われわれは勤めている組織に対して恩義があるのです。これまで若いときにがんばって貢献してきたけれども、今のようにダメなときでも雇ってくれている。だから、つらい時代でもなんとか一所懸命がんばろうじゃないか、という思いが日本経済を支えてきたのです。それがいつの間にか、2世、3世ばっかりが企業・政治のトップを占めるようになりました。貧乏人は学校さえも行けない世の中です。はっきり言って東大、京大に入ってくる学生の親御さんの所得水準はダントツに上です。こういう社会は無茶苦茶で、この社会をひっくり返すには私たちが支え合ってきた仕組みを常に考え、広めていかなければなりません。これが私のこれからの課題です。

 本というのは賞味期限がありまして、書店に入ったときに左側に平積みされていると売れるのです。棚に置かれたらもう終わりなんです。私が本屋に行くと、自分の本を棚から持ってきて入り口付近の目に付くところに置くのです(笑い)。30分ぐらい経ってから見に行くと、やはり売れているんです。

野崎日記(239) 新しい金融危機への期待(184)米国の倫理なき金融経済の破綻(3)

2009-11-27 07:45:42 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 おわりに

 米国は懐の深い民主主義社会である。ケネディ大統領は、FRBに対抗するために政府紙幣を発行したこともある。1970年代は米国の州法銀行は地元社会への貢献度が免許更新の条件であった。ところが、この30年間、この伝統が窒息させられていたのである。しかし、必ずや、金融権力への警戒感という伝統的なイデオロギーが復活してくるであろう。これによっても、世界は再度一変する可能性が高い。

 (備考)
 オバマ政権による公的資金散布の内訳については、以下の資料で分かる。U.S.Senate Committee on the Budget, The Budget and Economic Outlook: Fiscal Years 2009 to 2019.; Acting Director of  the Congressional Budget Officeの2009年1月8日の証言(http://www.cbo.govftpdocs/99kx/doc9958/01-08-Outlook_Testimony.pdf Appendix A).; FRB,"Federal Reserve Statistical Release-H4 1-F Factors Affecting Reserve Balances of Depository Institutions-January 2, 2009,"(http://fedralreserve,gov/release//h4 1/20090102/h4 1.pdf)。

引用文献

FDIC[2001], "Failures and Assistance Transactions," Table BF02, http://www2.fdic
          gov/hsob/index.asp
Goodman, Peter S.[2008], "The Reckoning: Taking Hard New Look at a Greenspan Legacy,"
          New York Times, October 8.
Greenspan, Alan[2002], "Regulations, Innovation, and Wealth Creation," Remarks before the
     Society of Business Economists, September 25.
          http//www.fedralreserve.gov/BoardDocs/Speeches/2002/200209252/default.htm)
Moss, David[2002], When All Else Fails: Government as the Ulitimate Risk Manager, Harverd
          University Predd.
Moss, David[2009], "An Ounce of prevention: The Power of Public Risk Management in
          Stabilizing the Financial System," Harvard Business School, Working Paper 09-087.
Testimony[2008], Testimony of Alan Greenspan, House Committee on Oversight and
          Government Reforms, U.S.Congress, October 23.
          http://www.oversight.house.gov/documents/20081023100438.pdf
U.S.Government[1975], Historical Statistics of the United States: Colonoal Times to 1970,
          Government Printing Office.


野崎日記(238) 新しい金融危機への期待(183)米国の倫理なき金融経済の破綻(2)

2009-11-26 07:39:01 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 2 現在のオバマ経済閣僚たちが推し進めた金融の規制緩和


 規制緩和は、「1999年グラム・リーチ・ブライレー法」(金融サービス近代化法)でピークを迎えた。これによって、グラス・スティーガル法によって禁止されていた銀行、証券、保険会社の統合が認められるようになったのである。

 1990年代後半になると、ロング・ビーチ・バンクなどの一群の銀行が住宅金融貸付に血眼になっていた。それまでは、住宅金融は比較的穏やかな推移を辿っていたのに、ロング・ビーチ・バンクがブームに火をつけたのである。

 そこに登場したのが、フィル・グラムである。彼は、銀行、証券会社、保険会社を同時に傘下に置く持ち株会社の設立を禁止するグラス・スティーガル法の廃絶に執念を燃やしていた。そして、彼は「グラム・リーチ・ブライレー法」を当時の財務長官、ルービンの後押しの下で成立させた。

 彼は、02年に上院議員をやめ、UBS・インベストメント・バンクに入った。この銀行の前身は、UBS・ウォーバーグであった。この銀行の代表者であった、ポール・ウォーバーグは、FRB創設者の一人である。グラムは、08年の大統領選において、07年夏から08年7月18日まで、ジョン・マケイン陣営の選挙対策共同責任者であり、最上級の経済顧問であった。しかし、「わが国民は、泣きごとを言う民になってしまった」と経済危機への対応策への不満を述べて、陣営から去っている。

 いずれにせよ、彼の作った金融近代化法によって、国内はもとより、世界中の資金がウォール街に集まることになった。膨大な資金がサブプライム・ローン市場に流入したのである。これがスパイラルを生みだした。膨大な流入資金が資産価格を上げ、それが次の投資資金を生み出し、資金流入と資産価格上昇の相乗的効果が進行したのである。そして、バブルが崩壊した。

 金融大動乱の最中に米国新大統領が就任した。しかし、そこには、金融規制を緩和し、グラス・スティーガル法を廃止した当事者たちが同席していた。彼らこそが、米国の金融機関に巨額の利益をもたらし、実物経済を奈落に沈めた犯人であると言えなくもない。

 まず、ティモシー・ガイトナー。彼は、財務長官に就任した。彼は、クリントン政権時代の19989~2001年に国際問題担当財務省副長官を務めていた。ロバート・ルービン、ローレンズ・サマーズという二人の財務長官に仕えた。よく知られているように、サマーズはルービンの秘蔵っ子である。02年、ガイトナーは、財務省から外交問題評議会(CFR)の国際経済部門に上級特別研究員として移った。また彼は、01~03年にIMFの政策開発評価部門理事に就任している。03年10月、ニューヨーク連邦準備銀行総裁に指名された。ニューヨーク連銀総裁になるということは、連邦公開市場委員会(FRMC)副議長および、BIS理事になることを意味している。

 入閣しなかったが、サマーズ、ガイトナーの親玉であるロバート・ルービンは、第一次、二次クリントン政権時代の米国で70番目の財務長官を務めた。それまでは、ゴールドマン・サックスに26年間在籍していた。クリントン政権の閣僚を引退した後、ルービンは、自らが作った金融近代化法を受けて合併したシティグループの理事および上級顧問に就任し、07年11~12月、同社の会長を引き受け、09年1月、同社を退社している。オバマ政権からの救済資金を受けることが確定したので、責任をはたしたという意味であろう。シティグループに在任した8年間に、彼は現金と株式で1億2600万ドルもの報酬を得た。

 「マーケットウォッチ」(Marketwatch)という組織がある。市場で警戒すべき胡散くさい実務家を特定することをうたった組織である。この組織が、09年1月、ルービンを「ビジネス界でもっとも倫理のない10人」の一人として名指しをした。グラス・スティーガル法が廃止され、トラベラーズ・グループとシティコープの合併が実現したのは、ルービンが役職を辞任する直前のことであった。シティグループは、ルービンの指示によって、投資銀行業務、商業銀行業務、保険業務の兼営を可能にした。そして、このことが、サブプライム・ローン問題を引き起こした。マーケットウォッチは、ルービンを名指しにした理由をそう説明している。大統領選に勝利し、就任前に閣僚を指名しなければならなかったオバマ次期大統領がルービンを重要閣僚にと執拗に要請したが、ルービンは断った。オバマが経済アドバイザーに要請していたのは、他に、オースタン・グールズビーとポール・ボルカーであった。

 オバマの経済政策作成上の三番目の重要人物は、ローレンズ・サマーズである。彼は、FRB議長のベン・バーナンキの後継者に就任するようにオバマから要請されていた。1999年、サマーズは、ルービンの後を継いで財務長官に就任したが、その一年後、彼は、ルービン、アラン・グリーンスパンとともに、デリバティブ規制案を叩きつぶした。この規制案は、先物取引委員会のブルックズレー・ボーンによって提案されていたものである。サマーズは、クリントン政権下で株式の販売益(キャピタル・ゲイン)課税を大幅に減税させた人である。

 3 目もくらむ巨額の公的資金供与

 しかし、金融危機が起こってしまった。今度は、米国政府とFRBは危機克服のためと称して、無際限の公的資金を金融機関に注ぎ込んでいる。FRBは、未曾有の規模の資金を、投資銀行、MMF(短期金融市場で運用され、いつでも解約可能な投資信託)、CP(コマーシャル・ペーパー)市場に投与している。FRBはさらに、ベアー・スターンズ、AIG、シティグループ救済に懸命になった。財務省もまた、不良資産救済計画(TARP)の下で、金融組織全般にわたって資本注入をおこなっている。さらに財務省は、ファニー・メイやフレディー・マックへの支配権を拡大すべく資金注入をおこない、FRBにも資金を供給した。

 連邦預金保険公社(FDIC)は、一口座当たりの保証限度額をそれまでの10万ドルから25万ドルに引き上げた。さらに、保険制度が適用されていなかった、旧い金融機関の負債のすべての種類の保証をつけることにした。シティグループはその適用を受けた。連邦政府機関は、2008年を通して2兆ドル超を散布した。将来も散布すると約束した額は、10兆ドルを超える。

 Moss[2009](p. 6, Table 1)が収集した各種政府資料によれば、政府関係の公的資金散布予定額は、10兆7335億ドル、すでに散布した額は、2008年末で、2兆3299億ドルであった。うち、FRB関係予定額は、4兆3155億ドル、既散布額は、1兆7379億ドルであった。既散布額でもっとも大きかったのは、通貨スワップの5000億ドル、次がターム・オークション・クレジット(TAC)の4502億ドル、第3番目がコマーシャルペーパー買取プログラム(CPFF)3341億ドルであった。

 財務省の資金散布予定額は、FRBの次に多い3兆9120億ドルであったが、既散布額はFRBの3分の1でしかなかった。散布予定額はMMF保証額(GMMF)であるが、08年中に使われた額は不明である。既散布額で多かったのは、補完的融資勘定(SFP)の2590億ドル、次が不良債権救済勘定の2470億ドルであった。
 大項目では、連邦預金保険公社分が2兆1600億ドルの予定散布額、住宅・都市開発計画(HUDP)の予定散布額が3050億ドル、全米信用連合協会(NCUAP)の予定散布額が3050億ドルであった。

 結局、政府金融当局が破綻させたのは、リーマン・ブラザーズだけであった。後は、大きすぎて潰せなかったのである。しかも、救済資金が無制限に投入されている。これでは、金融危機の病根を除去するどころか、モラル・ハザードを増幅させ、より大きな危機を生みだすだけである。 

 4 かつてはあった、金融権力に対する米国政治家の反感

 米国の政治家は、建国の父たちがその典型であるが、伝統的に金融権力と彼らが作ろうとしていた中央銀行に反感をもっていた。第29代大統領(在位、1881年3~9月)であったジェームズ・ガーフィールソは断定した。

 「どの国においても、通貨量を管理するものが、その国の法と商業の支配者である」。

 よく誤解されていることだが、米国のFRBは、中央銀行には違いないが、政府機関ではない。それは、一握りの力のある銀行や債券取引業者に所有されている民間組織である。それは、米国民によって所有されているのではなく、銀行業のエリートたちによって、カルテル的に所有され、支配され、利潤動機で運営されているものである。この寡頭支配の組織が、米国経済を駄目にしてしまうであろうと、多くの政治家たちは考えていたのである。

 1776年の「独立宣言」の起草者であり、米国第三代大統領(在位、1801~1809年)の建国の父、トーマス・ジェファーソンなどは、民間組織である中央銀行設立への警戒感を隠さなかった。

 「もし、米国民が、ともかくも民間銀行にわれわれの通貨に対する支配権を認めてしまえば、最初は、インフレーションによって、その後は、デフレーションによって、銀行は、・・・人々からすべての財産を奪い、子供たちを、その父たちが建国したこの大陸において、朝起きれば家なし児にしてしまう。・・・通貨発行権を、銀行の手から奪い返し、本来の所有者である国民に返還されるべきである」。

 建国の父たちは、通貨発行権を議会が持つべきであると考えていた。2年に一度の議会選挙によって、議会の通貨管理政策がチェックされる。さらには、銀行でなく、議会が通貨を発行する制度にしておけば、銀行倒産にとって通貨混乱に陥ることもない。銀行が通貨発行するシステムの下では、通貨混乱を収拾する手段など何もないのである。

 連邦銀行は、有力投資銀行や歴史的に由緒ある銀行家一門によってコントロールされている。今日、国民は公的な権力で金融をコントロールできない。連邦準備銀行の保有者に対して、国民は異議申し立てができないのである。現在の金融システムは、過去のいかなる勢力もはたそうとしてはたせなかった金融権力を支配し終わっている。

 奴隷を解放したエイブラハム・リンカーンは、北部の金融権力の方が、南軍より強力な敵であるとした。

 「金融権力は、平和時には国民を餌食にするし、混乱期には国民を騙すものである。金融権力は、君主国家よりも専制的であり、独裁国家よりも横暴であり、官僚よりも独善的である。彼らは、彼らの手法を批判するか、彼らの犯罪を暴こうとする、すべてのものたちに、社会の敵だと非難する。私の前には南軍と並んで金融権力という敵がいる」(各大統領の言葉は、"Public Central Bank - On Reclaiming Our Central Bank and Monetary Policy ", http://publiccentralbank.com/?ref=patrick.netより転載)。


野崎日記(237) 新しい金融危機への期待(182)米国の倫理なき金融経済の破綻(1)

2009-11-20 02:14:26 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 はじめに


 オバマ米政権の経済政策の司令塔であるサマーズ国家経済会議(NEC)委員長が政権入りする前の1年余りの間に、ヘッジファンドのD・E・ショーから総額約520万ドル(約5億2000万円)の高額報酬を得ていたことが09年4月3日、米ホワイトハウスの情報公開で明らかになった。ホワイトハウスは、主要スタッフの資産・所得状況の情報公開を開始した。それによると、サマーズは、顧問を務めていたD・E・ショーからの高額報酬のほか、経営破綻した証券大手のリーマン・ブラザーズ、公的支援で経営再建中の米銀大手シティグループを含む主要金融機関などから複数回にわたり講演料を得ていた。

 講演料の合計は約277万ドル。証券大手ゴールドマン・サックスは1回の講演契約で13万5000ドルを支払った。このほか教授を務めるハーバード大学からも08~09年分の給与として約58万7000ドルを得ている(日経ネット、09年4月4日)。最重要経済閣僚が、ことほどさように、切開されるべき当の金融機関から、このような高額報酬を得ていたことを見れば、オバマ政権が金融機関にいかなる制裁も与えずに、救済資金ばかりを湯水のように注ぎ込んでいる理由が分かる。

 1 根拠のなかった金融自由化のイデオロギー

 いま進行中の金融危機は、保護を政府に求めない自立的な組織こそがリスクに対処することができるといった、投資銀行のイデオロギーから生みだされたものである。政府からの規制を受けない金融組織ほどリスク対応力が強いというのがその内容である。このイデオロギーは、1980年代から危機が発生する2008年まで、世界の、とくに米国の金融政策決定に巨大な影響力を発揮してきた。

 しかし、このイデオロギーは、歴史的検証を受けたたものではなく、理論に依拠するだけのものであった。こうした考え方の破綻が明かになったのは、政府規制のもっとも少なかったノンバンクの不動産担保証券組成会社やブローカー・ディーラーのベアー・スターンズなどの組織からまず崩壊してからである。

 貸出機関の自己責任が結果的には預金者保護ができると見なしてきた人たちは、「自分も含めて」呆然自失状態にあるとの議会証言をしたのが、前FRB議長のアラン・グリーンスパンであった(Testimony[2008])。

 少なくとも、戦後から1980年代に入るまでの期間は、銀行規制の厳しい時期であった。この間、銀行倒産はほとんどなかったのである。規制がなかた戦前、そして、規制が撤廃された1980年代以降、銀行の倒産は多かったのである(U.S.Government[1975];FDIC website)。

 戦後の米国金融機関の安定性は、主として、三つの金融関連法のせいであった。「1933年グラス・スティーがル法」、「1934年証券取引法」、「1935年銀行法」がそれである。通常の商業銀行は、こうした一連の法律による規制によって、少なくとも40年間は安定していた。

 1933年の大恐慌までに米国では、15~20年間隔で金融危機が発生した。時系列的に列挙すれば、1792年、97年、1819年、37~39年、57年、93~95年、1907年、29~33年である。しかし、第二次世界大戦を除けば、大恐慌以後、金融危機は発生しなかった。その要因は多数あるが、少なくとも、連邦政府による金融組織の効果的な管理が重要な役割をはたしたことは否定できないであろう。

 1933年のグラス・スティーガル法によって、連邦預金保険が作られ、連邦政府による銀行の監督領域が拡大され、商業銀行業務(預金受入・貸付)と投資銀行業務(証券)との分離が強制された。ニューディール政策の重要な支柱が、こうした銀行規制だったのである。

 グラス・スティーガル法による銀行と証券との強制的な分離は、米国金融機関を弱体化させる怖れがあるとの批判も当時には出されていた。1933年1月17日の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は強力な反スティーガル法キャンペーンを張っていた。

 グラス・スティーガル法への批判は、連邦預金保護制度の導入にも向かれていた。預金が保護されるのなら、預金はリスクの大きい銀行に殺到することになるだろう。なぜなら、リスクが大きいということは、金利が高いからである。こうした状態が続けば、良質の銀行が危険な銀行によって追いやられてしまう危険性が生じるというのが、1933年当時の批判者たちの意見であった(Moss[2009], p. 4)。

 しかし、この批判は誤解であった。1933年の法律にせよ、その後続の1935年銀行法にせよ、公的な保険をかける条件として、銀行監査を強化していたからである。そして、現実には、米国の金融機関のこのような安定性は、世界の羨望の的であった。ゴールドマン・サックスという投資銀行、J・P・モルガンという商業銀行も含めて、米国の銀行は、世界の一流巨大金融組織にまで成長したのである。

 ところが、こうした監督度合いが1980年代の規制緩和によって、急速に弱められることになった。それとともに、金融機関の倒産が激増した。これらの規制緩和を促した法律とは、「1980年預金金融機関規制撤廃および通貨管理法」と「1982年預金金融機関法」であった。預金金利に上限を儲けていたレギュレーションQを段階的に撤廃したのがこれらの法律であった(Moss[2002], p. 313)。

 1990年代から急速に拡大し続けたクレジット・デフォールト・スワップを規制しなかったことと、主要な投資銀行には規制をかけないとした証券取引委員会(SEC)の2004年の決定が、とくに失敗であった(Goodman[2008])。

 この法律によって、プロの投資家たちは、政府による規制を大幅に緩和され、自分たちが再大の利益を得るのに最適だと判断する投資行動をとることが可能になったのである。当時のFRB議長のグリーンスパンがそれを明言している。デリバティブ店頭取引市場(OTC)について、彼は2002年に次のように語った。

 「この市場は、熟達した専門的投資家たちの間での取引であることを想定し、政府による規制をほとんど受けないものとして設計されている。その意味は、専門家たちの取引市場において、専門家は、小口投資家たちの取引に設定されているような一般的な保護を必要としていないということにある。専門家たちの取引市場には、規制は必要でないどころか、潜在的な打撃である。規制とは情報開示を条件とするし、投資家がもつ情報を強制的に開示させることは、不動産市場でも同じことであるが、金融市場における技術革新を損ねることになる」(Greenspan[2002])。


野崎日記(236) 新しい金融秩序への期待(181) 変革のアソシエ(1)

2009-11-14 01:29:13 | 野崎日記(新しい世界秩序)
 社会の至る所でほころびが目立つようになりました。一握りの金融資本家が、公の富を私物化し、むさぼり食っています。強欲資本主義の先頭を進むアメリカでは、社会の全資産の半分が、人口比にして100万分の1でしかない、ほんの一握りの金満家の手にあります。彼らが世界を破壊してしまったのです。日本も例外ではありません。日本の所得格差を基準とする貧困度もOECD諸国の中ではビリから3番目です。アメリカはメキシコに次いでビリから2番目です。

 社会から倫理性・責任感・安全性・生き甲斐感が急速に失われてきました。その大きな要因は、想像を絶するこのような経済格差の存在でしょう。アメリカ型金融資本主義は、現代資本主義の究極の形です。このシステムこそが、私たちの生活と労働を破壊しているのです。

 サブプライム問題の深刻化に象徴されているように、金融恐慌の津波が世界を襲っています。資本主義は、断末魔の様相を呈しています。それは外的な力によってではなく、内部から自己崩壊しつつあるのです。これが、私たちを取り巻いている現在の様相です。資本主義が終焉を迎えつつあるなかで、いまや、スケールの大きな歴史の危機と転機とが共に訪れているのです。

 しかし、孤独な個人に分断されてストレスを内部にため込みながら、自らの内面にひきこもり、苦しむ人びとが増えています。日本では15分に一人が自殺に追い込まれているのです。なかでも、女性へのしわ寄せはこれ以上放置できないほどの過酷なものでしょう。民間企業で生涯働いても、自らの生活を支えるだけの賃金を得ることのできる女性は、比率からすれば、わずか一割そこそこです。現在、急速な高齢化と低出生率の問題が社会の関心をひいていますが、その多くは生産力的視点からのみ語られることが多いのです。現実に進行しているのは、私たちが共に生きていくことの絶望的な困難さであり、社会そのものの存立基盤の破壊なのです。

 さらに地球温暖化、資源枯渇のおそれ、農村や山林の荒廃などから、人間の生存基盤となるべき自然環境破壊も深刻な問題となっています。いまや近代以降の資本主義市場経済の歴史的限界が人間と自然の深刻な荒廃・破壊に示されているとみなければならないでしょう。

 にもかかわらず、日本では、こうした忌まわしい時代に反抗する批判的知性の力が強くなっているとはいえない情況があります。新自由主義イデオロギーが猛威をふるったこの30年間で、資本主義の体制自体に批判的に対峙する思想、文化、理論の戦列からじつに多くの人々が離れてしまいました。新自由主義の重圧のもとでの労働運動、社会諸運動の内部分裂がそうした情況を生み出してしまったのです。

 いま必要なことは、社会変革の新しい基軸を早急に構築することです。資本主義に反抗し、新しい地平を開く批判的・創造的知性の舫(もやい)を生み出すことです。違いを結ぶ批判と創造の星座を作り出すことが喫緊に重要なことです。

 世界では、アメリカ流の資源略奪型グローバリズムへの抵抗が非常に強くなり、アメリカの軍事力で圧殺され続けてきた民族の尊厳回復を目指す運動が燎原の火のごとく燃えさかっています。世界の運動は、資本に対抗する労働者の抵抗も依然として大きな力を発揮していますが、資本主義システムに組み込まれていない、システムの外側にいる人々の反資本主義運動も資本・労働関係を上回る強靱な新しいうねりを形成しています。アメリカの帝国主義は急速に世界から孤立する様相を深めているのです。

 日本では、戦前には、脱亜入欧の近代国家形成がアジア人民の犠牲の上に遮二無二進められました。そして、戦後では日米安保体制の下で、日本の保守層は対米従属を国是としてきました。いま、その構造が行き詰まったのです。私たちは、いまこそ、政治的、経済的、文化的に脱アメリカの自治・生活スタイルを構築しなければならないときに立っているのです。

 世界に吹き荒れるこうした抵抗の風を、私たちもしっかりと受け止め、もっと大きな風を起こすべく、謙虚な自己反省を忘れずに、批判的・創造的知性を結集すべきでしょう。

  人間の尊厳を踏みにじる労働力商品化の深化に抵抗し、反安保・沖縄の解放を目指す従来からの反資本主義運動をもっと大胆に展開すべきことはもちろんですが、そうしたこれまでの基軸に加えて、被差別民・アイヌ民族・在日、等々と呼ばれている人々との相互理解・連帯という新しい基軸を私たちの運動の根底に据えましょう。差別と分断は、権力システムから打ち出されるものですが、私たちの心の中にも、そうした差別と分断に呼応する一面もあるのではないでしょうか。私たちは権力と戦わなければならないのは当然ですが、私たちの心の奥底に素食らっている差別意識という内なる敵とも戦わねばならないのです。資本主義の権力が、これらの人々を必ずしも、自己のシステムの中に組み入れてこなかったことが、これらの人々の貧困を累積させてきたのです。これらの人々との連帯を強化し、それぞれの違いを意識しつつも、可能性の絆でお互いが結ばれれば、そこには非常に強固な抵抗の地場が形成されるでしょう。

 こうした可能性の絆、新しい基軸の発見と構築という営為の上に、農漁村の崩壊・都市における貧困の累積、様々な格差、因習と無自覚が生み出した女性差別、等々を食い止める広範な人々のアソシエが形成されるのです。

 現在は、危機の頂点です。それは、古代ギリシャの哲人、ヒポクラテスが喝破したクライシスです。究極の危機を迎えたとき、人間は劇的な回復力を発揮するのです。そうした極限状態がクライシスと呼ばれているものなのです。

 資本主義そのものを克服し、新しい価値観に基づく新しい時代の創造を目指して、それぞれの生活空間・運動空間で苦闘している現場の知を尊重しつつ、広く世界の批判的知性との交流・協力も大切に、志を新たにさまざまな分野での課題や知的作業を重ねあい、歴史の危機を突破する希望を育みたいのです。
こうした私たちの願いに、協力し結集してくださることを心からお願いします。 
  
                     
                      2009年4月
                「変革の新アソシエ」(仮称)設立発起人
                            
                          足立 真理子                                                             伊藤  誠
                          大野  和興 
                           河村  哲二
                          高橋   順一
                          的場   昭弘
                                                        本山  美彦

野崎日記(254) 新しい金融秩序への期待(199) 倫理なき金融経済(1)

2009-11-11 10:56:49 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 アメリカでは、サマーズが国家経済会議のトップに就任しました。サマーズはゴールドマン・サックスで1時間1500万円の講演料を40回以上続けています。アメリカの金融危機ではゴールドマン・サックスがいちばんの問題会社なのに、金融を取り締まる総責任者がそこから多額の報酬を得ているところに、非常に恐ろしいものを感じます。連邦準備銀行こそが監査の対象となるべきだ、という議論も出てきました。

 オバマ大統領は、国家経済会議に対抗するような形で経済回復諮問会議をつくっています。サマーズやガイトナーなど規制緩和を推し進めてきた人たちを入閣させておいて、市場を規制しなければならないと言っている人たちには別の組織をつくるという点に、オバマの経済政策のダッチロールが現れています。

 ウォール街というと、ほとんどはゴールドマン・サックスです。アメリカの金融政策はゴールドマン・サックスに牛耳られていると言っても過言ではありません。財務長官が二代続けてゴールドマン・サックスから出ています。結局、アメリカでは業界関連の大臣は業界から出すのです。すべてが順調に行っているときなら良いけれど、業界のお灸をすえなければならないときに、果たしてそれで良いのか、となります。

 世界を騒がせている金融危機は、一言で言って貸し手責任の不在ということです。日本の銀行の場合は貸した相手が焦げ付いてはたいへんなので、貸すことに大きな責任を持って、貸し先の企業を立て直します。アメリカ的なモデルはこれを否定しました。正しいのは直接金融だということで、貸した場合にそれを証券化して、転売した瞬間に貸し手責任はなくなります。金融工学を駆使して世界に売りまくる。貸し手責任が不在で、証券化した後に誰に責任があるのか分からないという状態が一般化してしまったことに問題があります。本来なら、怪しげな金融商品を作った責任者、そういう商品を売った人たちを逮捕しなければなりません。立派な金融犯罪です。しかし、張本人は誰一人逮捕されていません。ゴールドマン・サックスは自らのいろいろな金融商品を持っていますが、時価会計で完全に凍結しています。それで黒字になったというけれども、こんな粉飾決算が平気で通っていく現在のウォール街の堕落ぶりは目を覆うばかりです。

 3兆ドルを超すものすごく多くの公的資金が注がれています。歴史上これだけ「大きな国家」はありませんでした。「小さな国家」を主張していた人たちが「大きな国家」にぶらさがっています。この結果、空前のハイパーインフレーションになると思います。火が着きそうなのが国際大豆相場で、ガソリン価格もおかしい。投機資金が復活して、それがさまざまな資源に向かいます。

 アメリカ国債の半分近くを中国と日本が持っています。中国がものすごい勢いで米国債を買っています。そのためにオバマ政権は中国のいいなりです。

 少なくとも金融が自由化される前は、アメリカの銀行の倒産はほとんどありませんでした。1933年のグラス・スティーガル法により、銀行・証券・保険を同時には経営できなくなりました。この3つをいっしょにしていたために1929年の金融恐慌が起きたので、これらの垣根をきちんと分けたわけです。ところが、1999年にこのグラス・スティーガル法が廃止され、シティバンク、トラベラーズ、ソロモンブラザースが統合されてシティグループになったのです。

 ルービンは財務長官を辞めてすぐにシティグループの代表取締役会長に就任し、シティグループの救済資金をオバマからせしめます。このようなことがいつまでも続いているときに、果たしてアメリカ当局が金融機関を取り締まるのが可能なのかという絶望感が、世界を支配していくだろうと思います。もうアメリカと心中するのは嫌だという国がたくさん増えてくるでしょう。人脈から見てあまりに露骨な金融業界と政府との馴れ合いを、オバマ政権は果たして切開できるのか疑問です。

 マーケットウォッチという組織は、もっとも警戒すべき実務家の1位にルービンを挙げています。ビジネス界で倫理のない10人の中にサマーズ、グリーンスパンなども入っています。実はデリバティブがアメリカ経済のみならず世界経済を破壊するということを、先物市場のブルックスレー・ボーンという人が言ったことがありました。市場の規制の必要性を説いたのですが、そのときにグリーンスパン、ルービン、サマーズがウォール街の主な人たちを自分の執務室に呼んで、ボーンを威嚇しました。規制案は結局、撤回されました。

 1929年の大恐慌では、銀行と証券と保険が入り組んで、お互いに足を引っ張り合ったから金融恐慌が起きました。それで枠をつくって、アメリカも60年間安定してきました。それを再び1929年に戻してしまった瞬間にこんなことになってしまったのだから、何をしなければならないかは明らかなのです。この明らかなことに、アメリカの現政権は何一つ手を打てていません。

 ブルッキング研究所というシンクタンクが2006年4月にハミルトン・プロジェクトを立ち上げます。このこけら落としのときに、2番目にルービンが演説するのですが、最初の演説をオバマ氏がしてこのプロジェクトを絶賛します。まだ上院議員1期目です。それも1期目の2年で辞めている。ルービンは専門家だから、ウォール街がいずれひっくり返ることは分かっています。そのときに市場規制論者が出てきては困るので、時間をかけてオバマを説得したのではないかと思います。ルービンはクリントン政権のときにも、クリントンのNAFTA反対論を翻意させています。今回またもオバマに規制強化を言わせないために工作したのです。

 建国の父のアレクサンダー・ハミルトンはフェデラリスト、連邦主義者です。中央政府がもっとも強力で、州政府は力を落とさなければならない。中央政府が作る銀行に権力を持たせて州法銀行は廃止していく。これに対して、トーマス・ジェファーソンは共和主義者のリパブリカンで、州が大事で北部の金融はむしろ取り締まれという主張でした。この対立がアメリカ建国以来ずっとあったのです。リパブリカンは民主党、フェデラリストは共和党の流れです。民主党つまりリパブリカンの政権の中に、フェデラリストのハミルトンを持ってきたところにルービンの狙いがあります。連邦準備銀行の権限強化という方向を目指しているのだろうと思います。

 ミッシングマーケットという謎のような言葉があります。ミッシングリングから取ってきています。類人猿から人間が進化したといってもあまりに格差があるから、類人猿と人間との間に何かがあるはずだが、それはまだ見つかっていない。それがミッシングリングです。宗教国家アメリカではミッシングリングという言葉はタブーです。タブーであるミッシングリングにあやかったミッシングマーケットとは何か。たとえば環境問題はマーケットと合わないと言われているけれども、環境とマーケットを合わせるためには、排出量の取引を新しく作ったら良いではないか。こういう新しいマーケットを作れば、市場原理を守ることができる。市場原理の理想と現実のギャップを埋めるために、国家が作りだすマーケットがある。これがミッシングマーケットになっていきます。