消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(94) 新しい金融秩序への期待(94) 世界金融危機の構造(3)

2009-02-26 23:48:26 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

規制の行方

 金融危機が発生する都度、これまでいろんな国際的な会議がもたれました。そして、つねに、「規制」と「監督強化」というキーワードが焦点になっていました。

  「規制」というのは、文字どおり、権力によって金融市場を規制することです。それに対して、金融界の自主的な管理に任せてくれ、というのが「監督体制の強化」という言葉です。


  これまで、アメリカ側は、「監督体制の強化」を強調してきました。一九九九年まではヨーロッパと、不思議なことに我が日本が、「規制」という言葉を出していたのです。日本は、二〇〇〇年に入りまして、アメリカ流の「監督強化」というスタンスに変わりましたが、それまでは、つまり、少なくともロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻時とか、それからアジア通貨危機の暴風雨にさらされていたときには、我が日本当局は「規制」論でありました。

 アメリカは一貫してそれに対して反対して、「監督強化──情報の開示とリスク管理の強化──」論でした。国際会議においては、両者の対立点が明確にならないような形で共同声明が作成されてきました。そこのところを、私たちはおさえておかなければいけないと思います。

 一九九九年の四月、LTCMの破綻を契機に、クリントン大統領のもとで作業部会が作られ、ヘッジファンド、レバレッジの問題がLTCMとの関係で議論されました。アメリカの金融当局は、そこで初めて問題のあり方というか、金融の混乱の一つの要因として、秘密組織であるファンドとレバレッジが大変な問題を起こしそうだという認識を出してきました。このときには、アメリカの金融業界も「規制」に一時的ではあるが、傾いたのです。

 その後の、九九年六月のG8ケルンサミットでは、アメリカは防戦一方でした。その六月に、CDMPG(Counterparty Risk Management  Policy Group)報告が出されました。これは、金融業界のメンバーからなる作業部会です。後、三回の作業部会が開かれましたので、第一回のものをCRMPGⅠ報告と名付けましょう。第一回では、CDSを取り組むカウンター・パーティ(Counterparty)に不安があるという認識があめりか金融界から初めて出されました。ヘッジファンドとかタックスヘイブン、そして、短期資本移動などを規制すべきであるという、かなり厳しい見解が、業界内部で出されたのです。特にレバレッジに関しては、LTCMは二八倍もあるという危惧が、商業銀行の一四倍という対比の上で、表明されました。投資銀行についても、二七倍もあるという危惧が出されました。OTC(店頭取引)デリバティブというような金融資産取引は、圧倒的に投資銀行の独壇場になってしまっていたのです。

 最近のアメリカのメディアでは、投資銀行「シャドー・バンキング・システム」(shadow banking
system)という非難めいた言葉が飛び交っております。クルーグマンも使いました。「シャドー」という場合、影というよりも、何をやっているかわからない闇の中でうごめいている、という非難が込められています。

 
サブプライムローンも英語で 'NINJA Loan' と言われています。日本の忍者であります。何をやっているのかわからない、闇の中でうごめく組織によって交わされた契約であるという意味です。そういうものに対する警戒感が今回の金融危機で広まったのですが、以前にも、つまり、LTCM破綻直後のアメリカの金融界にはありました。

 ところが、歴史的な超金融緩和を迎えた二〇〇五年にはアメリカ金融界の雰囲気は一変してしまいました。そのときに、CRMPG報告Ⅱが出ました。パートⅡではパートⅠよりも規制という雰囲気が大きく後退してしまいました。

 
ただし、このときには、初めてシンセティックCDOの存在への危惧が表明されました。シンセティックCDOは、かなり危ない金融商品であり、クレジット・イベント(デフォルトの可能性を賭けにすること)が大きな問題になるだろうという不安感が表明されたのです。さらに先ほど申しました、さらに危ないCDO2──CDOスケアード(squared)と言うのですけれども──も蔓延しだしたことへの危惧も表明されました。そして、実際にCDSを組み込んだCDOをどういう組織が取引しているのかの説明もなされました。それによると、取引主体で見ると、銀行が圧倒的で、証券会社がその次でした。BIS規制から免れる手段としてCDS、それを組み込んだシンセティックCDOなどの金融商品が次々と開発され続けているが、これは、かなり危ない状況を生み出しかねないとの危惧が率直に表明されました。しかし、「規制」への傾斜は、このパートⅡでは影を潜めてしまいました。

 そして、二〇〇五年の九月一五日に、ニューヨーク連銀が一四の金融機関の代表を招集しました。そこで、ニューヨーク連銀は、OTCデリバティブの危険性を訴えて、何とか対策を練ってくれという注文を業界に出しました。しかし、CRMPG報告パートⅡでも、一四行の返答書簡でも、透明性を高めながら、OTCデリバティブは簡素化していきますという約束が出されただけで、立ち入った具体的内容は提出sれませんでした。問題は、あいまいなままに放置されてしまったのです。

 そして、二〇〇八年に金融が炎上してしまったのです。lSDA(International Swaps and Derivatives Association)が、〇八年七月三一日に、ニューヨーク連銀に宛て、システマテック・リスク軽減方策の提案を出しました。そして、八月六日には、CRMPG報告パートⅢが出されました。オフバランスを抑制し、なるべく、オンバランス化に努める。複雑な金融商品のリスク情報をなるべく詳しく開示するという従来からの「監督の強化」論に並んで、「規制」の雰囲気が強く滲み出た報告です。規制へのアレルギーが小さくなり、規制はやむを得ないという流れになったのです。そして、最終的なカウンター・パーティを設立する方向性が打ち出されました。少なくとも、情報を一カ所に集めて、透明性の確保を図るという方向で金融改革が進むことになるでしょう。

 会計手法も問題にされています。今後、オンバランスかオフバランスか、あるいは時価会計がどうか、そうした会計手続に照準が絞られていうようになるでしょう。私は規制に、賛成か反対かといえば、反対です。規制はいけない。規制する当局が信用できない。大事なことは、当事者が責任を持って自主管理をしていくことです。こういうことを決めました、こういう違反を我々の仲間がしましたから除名しました、と、権力の介入なしに、自分たちの機構の中で、自主規制といううシステムをつくっていくべきだろうと思います。アメリカはそういう方向に動いていくのではないかと思います。

 時間はかかるかもしれないけれども、一つの方向性は見えつつあるのではないか。楽観論だと言われそうですが、その方向にしか脱出口はないだろうと思います。だからシンセティックCDOのような、余りにも危ない金融商品は、今後、影を潜めていくのではないかと思います。 

 最後に金融資産に触れますです。

  ニワトリが先か卵が先かの類のものですが、確実に言えることは、預金銀行の資産が比率的に少なくなっていることです。我々は銀行といったらまだ預金銀行を考えますし、貸付というのは銀行が企業に貸すと思っていますが、少なくともアメリカにおいては、もうそうではない。これは仕方のないことです。資産が、年金とかミューチュアル・ファンドに移ってきていることは、数値によって歴然と示されています。こういう大きな流れ方が出てきますと、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、証券化ということを前提で物を考えなくてはしようがないだろうなというように思います。

地方の再生を

 冒頭で、一番考えなければならないのは、若者の雇用を守ることだとお話しました。グローバルな形で展開してくる企業とか、グローバルな形で展開している金融機関はもういい。どうぞ御自由にやってください。それよりも、若者の雇用を守るための地域の預金銀行──昔の頼母子講のような、無尽の装置みたいなもの──をつくり出して、地元のお金を地元で還流させていく。学生たちも巨大企業ばかり考えないで、地元の地場産業の中小企業を担ってほしい。地場産業に夢を持ってほしい。

 例えば、東京や大阪の地下には、メタンガスなどの非炭素ガスがあります。高い石油なんか利用しなくても、これを使えばよい。あるいは日本には豊富な石炭があります。石炭の液化技術を開発すればよい。あるいは私が前に住んでいた福井には、芸術品のような豊富な農業用水があります。それで水車を回し発電すればよい。そうしたいろんな工夫をする余地がたくさんあります。そうした夢を持って、地元で、ローカルなところで仕事ができる。そこにお金が回っていく構造をつくるべきだと思うのです。

 国際舞台で活躍してくれる人はそれはそれでどうぞ。地元でシコシコと生きたい人間は、これだという形を生み出すことによって、私たちの社会は希望を持てるようになるのではないかと思います。

 大企業がひっくり返ったら、孫会社までがひっくり返るという構造を、今回の金融危機を奇貨として変えていく。念頭にありますのはヨーロッパであります。

 
ヨーロッパの地域主義というものを我が日本にも根づかそうではないかというのが私の具体的な提案です。首切りはやめてください、夢を持たせてください。夢を持つだけのプロジェクトをつくろうではないか、ということが大事です。そのキーワードは地元の再生にある。かなり情緒的な抽象的な話で終わりますけれども、私の報告とさせていただきます。


野崎日記(93) 新しい金融秩序への期待(93) 世界金融危機の構造(2)

2009-02-25 13:27:19 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


生活を奪う金融


 金融危機対策のために、ものすごい額のお金が企業や金融機関に注がれています。しかし、大きな政府を批判して、小さな政府を訴え、自己責任原則を主張してきた組織に、巨額の公的資金が注入されても、何らの自己反省がそうした組織から出てこないのはどうしたことでしょう。

 歴史上まれに見る大きな国家ができてしまったのに、ご都合主義的に猛々しい新自由主義的主張は引っ込められてはいますが、これまで小さな政府、自己責任原則を叫んできた人や組織にはなんらの矜恃は見られません。少なくとも、アメリカは八兆ドルのお金を注ぎ込んでいます。八兆ドルといえば、GDP一五兆ドルの半分です。自分たちがうまくいっているときには小さな国家がいい、危なくなったら大きな国家だという御都合主義的な理論とは一体何なのでしょうか。

 少なくとも、普通の生活をしている人間が、将来に夢を持って明るい顔で生きていけるために金融というのは使われるべきなのに、今は逆にモンスターのごとく金融が人々の生活を奪っていっています。そういうように私は今の金融を見ております。
八兆ドルをアメリカが使わなければいけない、GDPの半分を使わなければいけない。その八兆ドルをどういう形で調達できるのか。

 ニューヨーク市長のマイケル・ルーベンズ・ブルームバーグは、〇八年九月に『ニューヨーク・ポスト』で、「だれがアメリカ国債を買ってくれるのだろう」と発言しています。公的資金を散布することはやむを得ないとしても、その資金調達源は何か。初めの間は日本や中国などがドルを調達してアメリカを援助するという姿勢が見られましたが、今では、どこの国も自分の足元に火がついてしまって、自国通貨をジャブジャブ注がねばならない事態となっています。他国を助けるどころではなくなっています。この危機を脱出できたとして、そのジャブジャブ出したお金を、だれがどういう責任でもって、どういうルートで回収していくのかという問題は、依然として残されているのではないでしょうか。そういったことをきちんと説明しながら、現在の緊急事態は乗り切っていくべきであって、闇雲に危機だからといってお金を出せばいいものではないでしょう。

 将来は、より増幅されたバブルが来るということは確実であると私には思われます。一九八七年のブラックマンデー、九〇年代の新興国のデフォルト、我々が苦しんだ九七年のアジア通貨危機、そしてITバブルの崩壊、一九九九年にはロング・ターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)の破綻、そして今日の状況。理論的には何百年に一回しか起こらないようなことが、四~五年に一回の頻度で起こっているのです。そのたびに膨大なお金が注がれてきたのです。いまでは、金融を取り締まるということは禁句のごとく言われていますが、金融を取り締まっていた管理通貨体制であったらば、これほどの社会的維持コストはかからなかったでしょう。金融が自由化になった途端に数年に一回膨大なお金が注がれたことの社会的総コストはあまりにも膨大です。そのことが、結果的に社会全体の足腰を弱くしてしまっているのではないでしょうか。

 結局は、物づくりからお金がどんどん引き上げられ、雇用が奪われていく。何よりも深刻なことは、生産現場において、技術の伝承ができなくなっていることです。暗黙知と言う言葉があるように、人はお互いに酒をくみ交わし、雑談し、共有時間を持つことによって、年輩の技術や知識が若い人に受け継がれていくのです。それは、マニュアルなどによって継承されるものではないのです。そういう技術の伝承、職人の再生産を考えたときに、私たちはとてつもなく間違った政策をしているのではないか、そう感じざるを得ないのです。


 見えにくい「悪魔」の証券


一例を出させていただきます。

 シンセティックCDO──CDOとは、いろんな資産を裏づけとした請求権を証券にして、それをまとめてリスクごとに輪切りにして売るもの。シンセティックCDOというのは、そこにABSとか不動産担保とかそういうもの以外にCDS(Credit Default Swap )を組み込んだもの──というものがあります。もともとCDSというのは、人様が持っている手元の債券、証券が破綻し、無価値になったときに、かわって支払ってさしあげますという約束です。デフォルトのリスクを引き受けるけれども、そのかわりに保証料をくださいとか、デフォルトのリスクをお渡ししますから、そのかわり私は保証料を払いますとか、そうしたことが交換条件になるというスワップがCDSです。クレジット・デフォルトというのは、ある会社が、いきづまるおそれのことで、スワップとは、そのリスクを値段を決めて売買しましょうという契約のことです。それを組み込んだCDOがいかがわしいのです。

 つまりある会社が一六〇銘柄の七五〇億円のシンセティックCDOを買った。常識的に考えたら、その組み込まれているCDSは破綻すればかわりに払ってくれるはずなのです。ところが、七銘柄までの破綻であれば四五〇億円の損失で済むけれども、八銘柄、つまり一六〇銘柄のうちたった八銘柄がデフォルトすると、この七五〇億円のCDOはゼロになるという契約です。償還時には元本は支払われるが、このCDSは、デフォルト時での支払い処方ではないので、デフォルトしても支払われない契約です。なぜそんなやばいものを買うのか、ということも問題ですが、なぜそういう商品が売られていくのかということの方が大きな問題です。一六〇銘柄のうち八銘柄がデフォルトすると、債券のすべてがゼロになるのです。これは、どういう理論的説明をすれば、正当化されるのでしょうか。

 そもそもCDSというのは、人様の持っている債券の保証をしてあげますから、そのかわり保証料をくださいという契約です。だからその最初の契約のときには、その保証すべき対象、現物の債券があるのです。そして、デフォルトしたときには、CDSのプロテクション買い手は、その債券を売り手に対して差し出して、保証金をもらうというのがルールです。そこまではわかるのです。一種の保険ですから、保険をかけ、保険を売る、これは我々の常識範囲です。CDSの取引は、もう一つ別の彷徨に進んでしまったのです。現物がなくてもプロテクションの売買ができる。つまり現物の証券がない。だからデフォルトしても、その現物を渡すことがない。それでも、例えばそのデフォルトが一〇〇〇億円だったら、六〇〇億円ぐらいはかわりに支払ってさしあげますという契約のCDSが売れる。つまり現物の債券がなくても売られる。これは、エンベッデド・レバレッジ(enbedded leverage)です。埋め込まれたレバレッジです。現物がないのにプロテクションを買い、そしてそのプロテクションを買ったがために、保証料、プレミアムを払うということなのですが、しかし、プロテクションの買い手にとっては、対象となっているもの(手元にない債券)が、実際にデフォルトしなければ、そのプロテクションを買った意味がないのです。

 デフォルトしたときに、初めてプロテクションを相手に契約だからと言って実行してもらってお金をもらうのです。そうなってしまえば、クレジット・イベント、倒産するかしないという賭け以外の何物でもなくなるのです。それは、金融機関が倫理なき資本主義の次元に踏み込んでしまったことを意味します。もちろん、その中でプレミアムが各リスクの度合い(トランシュ)に応じて変わってきますから、トランシュの動きによって、ロングにしたりショートにしたりすることで利ざやを稼ぐという投資手法はわかるのだけれども、縮めて言えばクレジット・イベントを期待した一つの賭けに入ってしまったことが重要なのです。そもそも、デフォルトが怖いからCDSが開発されたのに、一方でデフォルトを望む勢力ができてしまいます。そうすると、倒産しなくてもいいのに、悪い噂が流され、結局は、倒産に追い込まれてくるということが、可能性として出てくるのです。そのうちにCDSが売れなくなってしまう。

 そうすると、次の第二段目の悪魔の取引──言葉がきついかもわかりませんが──をするようになってしまったのです。CDSを組み込むCDO、つまり実際にデフォルトしてもCDSを実行しません、支払い保証はしません。でも、そのCDSを組み込んだ証券を買ってください、利子は払いますという形で、プロテクションのないCDSを売る。デフォルト保証のないCDSが組み込まれたCDOを、買い手は、CDSの想定元本と同額で買わされる。しかし、CDSとは名ばかりで、プロテクションは他人のところにかかっているので、CDOに組み込まれている銘柄が実際にデフォルトしても、このCDOを買った人は支払いをしてもらえない。その支払いは別のところでなされているからです。このように、別のところの契約のプロテクションを対象資産として組み込んで、商品として売られるのがシンセティックCDOなのです。

 例えば、七五〇億円で売られたCDOは、一六〇銘柄のCDSから成り立っている。この商品の売り手は、別のところでプロテクションを実行してお金をはたいてしまったら、CDOにして売ったところに対しては、お金を払えるはずがない。結局は、一六〇銘柄のうち八銘柄がデフォルトすると、この一六〇銘柄全体の七五〇億円の償還は、なしにしてほしいという恐ろしい契約が交わされているのです。では、買う方は、そういう屈辱的な条件をなぜ受け入れたのでしょうか。高い利子が欲しかったこともあります。七五〇億円のシンセティックCDOを買うことによって、プレミアムが金利にスワップされているけれども、高い金利を手に入れることができる。しかし、高い金利を支払えるということは、CDOに、エクイティ部分が組み込まれていたからではないでしょうか。

 普通、CDSは、もっとも信用度の高いシニア、もっとも信用度の低いエクイティ、その中間の中二階の意味であるメザニンから成り立っています。信用度が低いほど保証料であるプレミアムが高くなるのですが、普通は、もっとも信用度が低く、したがって、プレミアムが高いエクイティ部分は、CDOには組み込まれません。しかし、金利を高くして売るために、手をつけてはならないエクイティ部分がシンセティックCDOに組み込まれたのではないでしょうか。メザニン部分が大体CDOとして売られているのですが、もしかすると一番危険なエクイティが組み込まれてしまったのではないのでしょうか。リスクが高いからこそ高い金利を出せる。一六〇種類銘柄のうちわずか八銘柄でも、シンセティックCDOが無価値になるという(これもデフォルトと称されます)のです。ですから、一口にCDS絡みのCDOのデフォルトと言っても二種類あることになります。

 最初に組まれたCDOのデフォルトと、CDSが組まれたシンセティックCDOのデフォルトがそれです。後者のデフォルト宣言をする権利を持つのは売った投資銀行の方です。さらにCDO2というのがあるのです。CDSを組み込んだシンセティックCDOを集めて、さらに別のCDOに組成されたものがそれです。こうして、際限なくレバレッジが拡大してしまうのです。そうすると、最初の破綻が物すごい勢いで次の破綻を呼び起こしてしまうのです。七五〇億円を買ったその会社は、別の負債を相殺するためにその資産を買ったのですが、CDOのデフォルトによって、急激に資金繰りが悪化するのです。

シンセティックCDOを買う動機は、高い金利と並んで会計操作ができるということもあります。このCDOの購入によって、買い手は、以前から継いだ負債である社債の元利払いを相殺して、社債という負債をオフバランスにすることができます。大きな負債項目をオフバランスできれば、会計帳簿上で健全な財務内容として模様がえすることができるのです。実際には脆弱な財務構造を、会計のテクニックで解消するために開発された商品の一つが、シンセティックCDOなのです。これが、疑心暗鬼になってだれも信用できないというような現在の信用不安の状況を作り出してしまったのです。


野崎日記(92) 新しい金融秩序への期待(92) 世界金融危機の構造(1)

2009-02-23 23:06:57 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


管理できなくなった危機──金融構造の推移


   本山美彦 大阪産業大学に勤めております本山美彦です。大阪産業大学は、大東市にありまして、昔は河内湖という大きな湖だったところです。その名残りの深野池(ふこのいけ)という池は、非常に大きな湖のような池でした。ルイス・フロイスの「日本史」によると、この池の周辺に、戦国時代はクリスチャンが多くて、四〇〇〇人ほどいたそうです。日本では一番クリスチャンの多いところでした。それが戦国時代にクリスチャンが虐殺されて一掃されました。湖のほとりに角堂(すみどう)という教会が立っていて、クリスチャンが一掃された後には、住道(すみのどう)という名前に変わり、それが地名になりました。

 そして、この地が大干拓地になりました。鴻池新田とか平野屋新田がそれです。そうした歴史的な場に大学が位置しております。


希望のない若者たち


  大学に身を置く私は、いま、辛い思いをしております。希望のない若者たちの顔が引きつっているからです。彼らの悩み、つらさは、就職先のなさからきています。

 
就職が決まっても、三年間はパート、非常勤社員の地位に苦しみます。今新聞紙上をにぎわしておりますように、内定取り消しが続出しています。これは、我々大人の責任であります。そういう若者たちの希望のない人生を我々が与えてしまっている。なんとかせねばと痛切に思います。今後、世界中で、まず貧しさからくる暴動というのが起こるでしょうし、我が日本も例外ではないでしょう。近い将来、私たち大人は、若者たちから、あなた方は何をしたのかと、突き上げられるだろうと思います。これから皆さんも交えてどうしたらいいのかを考えたいと思っています。

 今こその世の中ががらっと変わっていく、いい方向に進むチャンスだろうと思います。いたずらに恐怖心におののくのではなくて、時代がどういう方向に動こうとしているのかを見定めるのが、我々大人の務めであろうと思っています。



   プラトンは、一つの共同体の中で所得格差が八倍あれば、共同体はつぶれる、と言いました。六〇年代、七〇年代の高度成長ごろには、社長と平社員の給料差はせいぜいその程度だった。ドラッカーは、二〇倍ぐらいが限度だろうと言いました。今は天文学的な格差です。ボーナスだけで何億円も貰う人がいる、他方で、年収二〇〇万以下という非正規社員たちがいます。比較するだけでも嫌になります。この数値一つ見ても、、現在は、システムとして維持できないというように私は思っております。金融危機の真の原因はこの非人間的な所得格差、金融資産格差にあります。

  「シッコ(Sicko)」という医療保険の映画をつくったマイケル・ムーアは、自分のブログで、アメリカのトップ四〇〇人の持っている資産が、アメリカ人のビリから数えて一億五〇〇〇万人の資産に匹敵するのだ、ということを紹介しています。金融自由化を野放図にやり過ぎて、お金を扱うことにたけた連中たちと、物をつくっていく技術を磨くのに必死になっている連中との間には、物すごい格差ができてしまったのです。この格差の累積は、必ず大きな不満を生み出します。一緒に机を並べて仕事をしている隣の人が自分の一〇〇倍もの給料もらっていることを知れば、私などは、それだけで生きるのが嫌になります。世の中はそういうものなのだろうと私は思っています。

   今是正すべきことはこの格差です。昔は会社の経営者は、「従業員の首を切らない」というのが誇りでした。どんなにつらいことがあっても従業員の首は切らないという倫理観が経営者にはありました。それがいつの間にか、リストラというカタカナ言葉が当然視されるようになり、従業員の首を経営者は平気で切るようになりました

  従業員を、資本ではなくてコストとして位置づけ、次々にその首を切っていくというのが決断力のある経営者という風に受け取られるようになってしまいました。そして、人を縮少させて企業の効率性を高めていくという風潮が一般化して、派遣労働が急速に拡大してきました。これが本当に歴史の進歩といえるのでしょうか。

   金融を問題にするときに、常に底辺で生きている人間にとって現在の金融システムがプラスに働いているのかという疑問をを失ってはだめだと私は思うのであります。


野崎日記(91) 新しい金融秩序への期待(91) 平成恐慌の序幕(13)

2009-02-22 16:37:32 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(22) 非正規従業員とは、期間を定めた短期契約で雇われた人たちである。期間を定めない雇用契約を結ぶ正規雇用の対義語である。日本では、非正規従業員には、パートタイマー、アルバイト、契約社員、派遣社員が含まれる。

 バブル経済崩壊後の平成不況では、コスト削減の圧力から正規雇用(フルタイム労働)である正社員の採用を抑制し、非正規従業員を増やすことで、業務に対応していくようになった。労働者数の推移をみると、一九八〇年代から雇用者に占める非正社員の比率は少しずつ増加していたが、一九九〇年代半ばから増加傾向が著しくなり、〇五年には約三割を占めるようになる。これは主に女子学生、中年女性のパート・アルバイトが増加したことと、男女(とくに女性)ともに派遣・契約職員が増加したためである。〇八年一~三月期平均データでは過去最高三四・〇%を記録し、三人に一人超を占めるようになる。また、〇八年版『青少年白書』では、一〇代後半の非正規授業員率は約七割と報告している。

 欧州には、正社員と非正社員の均等待遇(同一労働同一賃金)が原則になっている。フランスは一九八一年、ドイツは一九八五年に差別的取り扱いを禁止した。EUでは、一九九七年にパートタイム労働指令が発令された。これにより、パートタイムを理由とした差別の禁止と、時間比例の原則を適用することとなった。フルタイムとパートタイムとで賃金が違うということがなくなったのである。

 米国には、均等待遇という原則はない。これは、それぞれの雇用形態は企業と労働者の間の契約で取り決められたものだから、政府が法律で介入することはしないという考え方による。そのため、労働者が広域な労働組合を組織し、企業や地方自治体に待遇改善を図る方向で動いている。

 韓国では、二〇〇六年一一月三〇日に国会を通過・成立した「非正規職保護法」がある。雇用期間が二年を超えた有期雇用者は無期雇用とし、派遣労働者は直接雇用とすること。非正規社員を、賃金・勤務条件で正社員と不当に差別してはならないといった内容。韓国では、一九九七年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は五五%(二人に一人超)と日本の過去最高である三三%をはるかに超える高い状況だったこともあり、上記の法が成立したが、実際には非正社員が二年勤務の法実施の直前に大量に解雇される事例が増えている。平均月収八八万ウォン程度で暮らす若者を指して、「八八万ウォン世代(88ケフニミ チ8ウ

野崎日記(90) 新しい金融秩序への期待(90) 平成恐慌の序幕(12)

2009-02-21 01:35:46 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(21) 派遣とは、事業主(派遣元という)が自分が雇用する労働者を自分のために労働させるのではなく、他の事業主(派遣先という)に派遣して派遣先の指揮命令を受けて派遣先のために労働させることをいう。この雇用形態の労働者のことを一般に派遣社員といい、雇用関係は派遣元と派遣社員の間に存在するが、指揮命令関係は派遣先と派遣社員の間に存在するのが特徴である。労働者保護の観点から派遣できる業種、派遣期間の上限、派遣を業として行うための許認可制度など様々な規定が労働者派遣法により定められている。俗に人材派遣と呼ばれることがある。

 雇用形態について、通常は雇用するために契約を結ぶ場合、雇用者と労働者の二面的契約関係となるが、労働者派遣法によって認められた形態では「派遣元(派遣会社=実際の雇用者)と労働者(派遣労働者)」、「派遣先と労働者」、「派遣元と派遣先」という三面的契約関係となる。

 また、賃金の流れは、派遣元は労働者を雇用し賃金を支払い、労働者は派遣先の指揮監督を受け労務を提供し、派遣先は派遣元に派遣費用を支払う仕組みとなっている。

 労働者派遣法ができる以前は、このような雇用形態を「間接雇用」として職業安定法により禁止していた(労働者の労働契約に関して業として仲介をして利益を得ることの禁止)。

 派遣可能な業種や職種は、拡大している。当初はコンピュータ(IT=情報技術)関係職種のように、専門性が強く、かつ一時的に人材が必要となる一三の業種に限られていたが、次第に対象範囲が拡大し、一九九九年の改正により禁止業種以外は派遣が可能になった。

 業界ごとの動向を見ると、販売関係や一般業務の分野では、大手銀行や製造業、電気通信事業者などの主要企業が人材派遣会社を設立し、親会社へ人材派遣を行い業務をこなすケースがみられるようになった。製造業などでは業務請負として、一定の業務ごと派遣会社から人材を派遣してもらう場合も多い。

 日雇い派遣については、派遣元企業あるいは派遣先企業での違法行為が相次いで発覚したため、〇九年を目途に日雇い派遣事業を原則禁止する方向で厚生労働省が検討している。

 派遣期間は原則一年。延長は最長三年まで可能だが、労働者の代表(過半数により組織される労働組合、または過半数により選任された代表者)の意見を聴取する義務がある。 なお、派遣労働者・派遣事業者の交代の有無にかかわらず、期間は同一業務について通算される。 期間を越えて同一の業務を継続する場合、派遣労働者を直接雇用しなければならない。

 派遣社員の賃金(交通費、福利厚生費等を含む)は、派遣先が支払う費用の約六~七割となる。なかにはグッドウィル(〇八年七月末に廃業)のデータ装備費のように、派遣企業が様々な名目で派遣社員から賃金を徴収しているケースがあった。

 日本で初めて、現在の形での人材派遣業を採用したのは航空機業界である。

 一九八六年七月一日、労働者派遣法施行。 一九九九年十二月一日、労働者派遣法改正(派遣業種の拡大)。 二〇〇四年三月一日、労働者派遣法改正(物の製造業務の派遣解禁、紹介予定派遣の法制化など)。二〇〇六年三月一日、労働者派遣法改正(派遣受入期間の延長、派遣労働者の衛生や労働保険等への配慮)。

 一九八六年の労働者派遣法施行以前は、江戸時代以降におこなわれていた労働者派遣の劣悪な労働環境が深刻な問題となっていたため、職業安定法により間接雇用が禁止されていた。この環境が、派遣法によって破壊されたのである。

 派遣社員への給与は、固定費としてではなく変動費として計上することが可能となった。また、企業が派遣元へ支払う金銭は消費税法上「課税仕入れ」となる。その結果、国などに納める消費税等を安く済ませることができる。

 派遣に関する問題例は数多く発生している。

 「フルキャスト」は法律で禁止されている警備業務の派遣をおこなったとして〇七年一~三月にかけて家宅捜索と行政処分を受けてた。さらに、禁止されている港湾業務における荷役の労働者派遣をおこなったことにより、事業停止命令を受けた。
 グッドウィルは「データ装備費」と称して一回の労働につき二〇〇円を給料から天引きする形で派遣者から徴収していた。グッドウィルは「データ装備費」は派遣先での破損や事故の際の保険料や、備品調達のために使う金としていたが、実際にはこれら徴収された金を利益の一部として計上していた。また、禁止されている二重派遣により、これもまた禁止されている港湾業務における荷役の労働者派遣がおこなわれていた。

 アイラインは、キヤノン宇都宮工場で偽装請負をおこなっており、偽装請負に対し労働局が指導をおこなった(Wikipediaより)。

 「偽装請負」というのは、ある企業が、業務の一部を下請け企業などに委託するという契約(請負契約)という形をとりながら、その実態は、派遣である違法行為のことである。労働の指揮系統は、労働者うぃ派遣した企業にあるのではなく、受け入れた企業にある。違法行為にもかかわらず、各業界d、慢性的に繰り返されている。〇四年度に労働局が実施した調査で発覚した事例では、偽装請負を繰り返すことで6重にも企業を介して技術者が派遣されていたものもあった。

 たとえば、ソフト開発業界は慢性的に人材不足であり、派遣会社一社だけでは顧客の求める人材を揃えることができない。好不況の波に対応するために自社では余剰な人材を抱えたくないということもある。偽装請負はそうした問題を解決する格好の手段として業界に蔓延し、業界全体がこれを容認するというか表面化しないよう包み隠してきた。

 厚生労働省の東京労働局が〇四年度に実施した調査で、業務請負関係事業所一四一社に対し個別調査・確認をおこなった結果、一〇八の事業所に偽装請負等是正指導をおこなった( -->

野崎日記(89) 新しい金融秩序への期待(89) 平成恐慌の序幕(11)

2009-02-20 17:33:45 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(15) スロバキア(Slovak Republic)。首都はブラチスラヴァ(Bratislava)。北西にチェコ(Czech)、北にポーランド(Poland)、東にウクライナ(Ukraine)、南にハンガリー(Hungary)、南西にオーストリア(Austria)と隣接する。古代にはサモ(Samo)王国・モラヴィア(Moravia)王国として独立を保った期間もあったが、一〇〇〇年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあった。第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国(The Austro-Hungarian Empire)からチェコと合併するかたちで独立し、その後、いくつかの変遷を経て、一九九三年一月一日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。スロバキアの語源はスラヴ (Slav) であり、これはスロベニアと同じである。そのため似たような国名になっている。

 一〇世紀になるとマジャール(Magyar)人の侵入を受け、ハンガリー王国に組み込まれた。第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。一九一八年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリク(Tomáa Garrigue Masaryk)は、単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。さらに、ハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから奪取した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。

 一九三九年三月一四日、ナチス・ドイツ(Natis Deuche)によってチェコスロバキアが解体され、スロバキアは独立宣言。ドイツの保護国「スロバキア共和国(独立スロバキア国)」となった。

 共産党体制下のチェコスロバキア(一九四五年~一九八九年)、そして、一九九三年、チェコとの連携を解消して(ビロード離婚、Velvet Divorce)、スロバキア共和国が成立。二〇〇四年、EU加盟国となった。〇一年の国勢調査による民族構成は、スロバキア人が八五・八%、マジャール人が九・七%、ロマ(Roma、ジ)が一・七%、チェック人が〇・八%である。この他に、チェック人ではなくモラヴィア人、シレジア(Silesia)人としてのメンタリティを持っているもの、ルテニア(Ruthenian)人・ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、クロアチア(Croatia)人がいるがその総数はおおよそ二%である。現代のスロバキアは比較的スロバキア人均一性が高い国民国家としての性格を有している。ただし現在のような民族構成がほぼ固まったのは第二次世界大戦以降である。ユダヤ人のコミュニティーも多かった。スロバキアのすべての町村にスロバキア語以外にハンガリー語の名があり、また多くの町がドイツ語の名前を持っているのはこのためである。

 〇四年の調査によるとカトリックがもっとも多く六〇・三%を占める。次いで宗教的メンタリティを持たないものが九・七%、プロテスタントが八・四%、ギリシャ・カトリックが四・一%、東方正教会が四・一%等である(Wikipediaより)。

(16) 一九九九年一月一日のユーロ発足時は一一か国。オーストリア(Republic of Austria)、ベルギー(Kingdom of Belgium)、フィンランド(Republic of Finland)、フランス(French Republic)、ドイツ(Federal Republic of Germany)、アイルランド(Ireland )、イタリア(Republic of Italy)、ルクセンブルグ(Grand Duchy of Luxembourg)、オランダ(Kingdom of the Netherlands )、ポルトガル(Portuguese Republic)、スペイン(Kingdom of Spain)であった。〇一年一月一日、ギリシャ(Hellenic Republic)で導入、〇二年一月一日、ユーロ紙幣、硬貨が導入される。〇七年一月一日、スロベニア(Republic of Slovenia )で導入、〇八年一月一日、キプロス(Republic of Cyprus)、マルタ(Republic of Malta)で導入、そして、〇九年一月一日 スロバキアで導入。二〇〇九年一月一日現在、ユーロ圏は、一六か国(Wikipedeliaより)。

(17) 二〇〇九年一月一日現在、ユーロを導入していないEU加入国は一一か国。デンマーク(Kingdom of Denmark)、リトアニア(Republic of Lithuania )、ラトビア(Republic of Latvia )、エストニア(Republic of Estonia)、英国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )、スウェーデン(Kingdom of Sweden)、ポーランド(Republic of Poland)、チェコ(Czech Republic)、ハンガリー(Republic of Hungary)、ブルガリア(Republic of Bulgaria)、ルーマニア(Romania)。ユーロ導入した国としていない国を合わせたEU圏は、二七か国である(Wikipedeliaより)。

(18) 英政府は二〇〇八年一〇月八日、世界的な金融危機にさらされていた国内銀行への救済措置として、主要八行の一部国有化を含む、総額最大五〇〇億ポンド(約八兆八〇〇〇億円)の公的資金の注入に踏み切った。英財務省によると、この資金で政府が主要銀行の優先株を買い取るとしており、対象にはロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)、HSBC、バークレイズ(Barclays)、HBOS、ロイズTSB(Lloyds TSB)、スタンダード・チャータード(Standard Chartered)、アビー(Abbey)、ネーションワイド(Nationwide Building Society)の大手八行が含まれている。同救済策ではまた、銀行間融資の流動性を確保するために、二〇〇〇億ポンド(約三五兆一五〇〇億円)の特別供給枠を設けた(http://www.afpbb.com/article/economy/2526306/3409266)。

(19) 日本でも人気が高い、高級洋食器、ウェッジウッドで知られるアイルランドの大手陶磁器メーカー、ウォーターフォード・ウェッジウッド(Waterford Wedgwood )が、〇九年一月五日、経営破綻した。負債総額は、四億ユーロ(五〇〇億円)を超えると見られる。ウェッジウッドは、二五〇年前の一七五九年に英国で創業、王室も愛用する「女王の陶器」として、世界的に人気を集めていた。一九八七年には、アイルランドのクリスタルメーカー、ウォーターフォードと合併したが、近年、売り上げが伸び

野崎日記(88) 新しい金融秩序への期待(88) 平成恐慌の序幕(10)

2009-02-19 01:32:50 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(11) SUV(Sport Utility Vehicle)は、自動車の形態の一つで、「スポーツ多目的車」と訳される。一般の自動車に比べて車高が高く、視界が広く、運転しやすいことから、運転に自信のない人や初心運転者に人気が高い。しかし、重量が大きいことから、交通事故発生率も高い。車高が高いから、駐車場に駐車できないことが多く、SUVは路上駐車を助長する要因の一つにもなっている。

 米国では、この種の車のオーナーは、舗装されていない場所に山荘を所有していて、週末を過ごす人々というイメージがあり、都会においてこの種の車を所持することがある種のステータスとなっている。

 欧米諸国では、燃費が悪く地球温暖化を助長するとして、一部の環境保護団体が大型SUVの乗り入れ規制や増税を求め、ときには破壊活動すらしている。最近では相次ぐガソリン価格の高騰にともないSUVをもじってSuddenly Useless Vehicle(突然使い物にならなくなる乗物)とも呼ばれる(Wikipediaより)。詳しくは、ブラッドシャー[2004]。

(12) 一九二八年の選挙で「どの鍋にも鶏一羽を、どのガレージにも車二台を!」というスローガンを掲げて圧勝した共和党のフーバーは、一九二九年三月四日の就任式の大統領就任演説で「今日、われわれ米国人は、どの国の歴史にも見られなかったほど、貧困に対する最終的勝利日に近づいている……」と語った。しかし、就任直後に世界恐慌が起きてしまった。しかし、政府による経済介入を最小限に抑える政策を継続した。その一方で、対外的にはスムート・ホーレー法(Smoot-Hawley Tariff Act of 1930)の下で保護貿易政策をとった。このことが、世界恐慌を深刻にさせた一因とも指摘される。

 恐慌脱出にむけての道筋が見いだせない中、彼が発表した政策として有名なものが第一次世界大戦で英仏に融資した戦債の返済を一年間猶予する「フーヴァーモラトリアム」(Hoover Moratorium)である。次のフランクリン・ローズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882~1945)大統領がニューディール(New Deal)政策で民間経済にも積極的に介入したのに対し、フーヴァーは政府や国家レベルでの対策しか講じなかった。これが、結果として景気をさらに悪化させたと一般には受けとられている。一九三三年の任期満了をもって大統領職を退き、政界から引退した。なお、在任期間中の一九三一年三月三日にフーヴァーは、「星条旗」(The Star-Spangled Banner)を米国の国歌として正式採用する法案に署名した。よく国歌と間違われる「星条旗よ永遠なれ」 (Stars and Stripes Forever)は、行進曲であり、全く別の曲である。こちらは、一九八七一二月に「国の行進曲」 (National March)に制定された(Wikioediaより)。

(13) 政策金利のことを指す。政策金利とは、中央銀行が、一般の銀行(市中銀行)に融資するさいの金利のこと。

 一九九四年九月まで民間銀行の金利は公定歩合と連動していて、日銀は公定歩合を操作することで金融政策をおこなうことができた。しかし、一九九四年一〇月に、民間銀行の金利は完全に自由化されたので、公定歩合を利用して民間銀行の金利を操作することはできなくなった。日本の景気は悪化し続けていたから、従来であれば公定歩合を下げて金利を下げるべきであったが、日銀は一九九五年九月から二〇〇一年二月まで公定歩合を下げず、〇・五%のままであった。

 民間銀行の金利が完全に自由化された後、公定歩合を操作する代わりに、短期金融市場の金利(無担保コール翌日物の金利)を操作することで金融政策を続けた。短期金融市場は、民間銀行が借り入れをするのに通常用いる市場である。具体的には公開市場操作により、日銀が民間銀行から国債や手形を買い取る買いオペレーション(買いオペ)をして、金利を下げる操作を続けた。これにより、従来もっとも低い金利は公定歩合であったが、現在では短期金融市場の金利がもっとも低い金利となった。

 現在の日本の政策金利は、無担保コール翌日物となっており、公定歩合は政策金利ではない。現在の公定歩合は、短期金融市場の金利の上限の役割を果たしている。日銀は二〇〇〇年八月にゼロ金利政策を解除したが、金融不安が高まるのを防ぐために、〇一年三月に、ロンバート型貸出制度を導入したのである。

 ロンバート型貸出制度とは、金融機関が、日本銀行から公定歩合(基準金利)で短期資金を借りられるという制度で、金融機関の資金調達を、低金利で安定的におこなわせる仕組みである。ロンバート型貸出制度では、日本銀行は、金融機関の申し出に応じて必要額を、金融機関が予め差し入れた担保の範囲内で機動的に貸し出す。ロンバート型貸出制度は、翌日返済を原則とし、連続五日まで公定歩合での借り換え(ロールオーバー)が認められている。ただし、六日以上借りる場合には、公定歩合に二%上乗せした金利が適用される(http://www.findai.com/yogo/0197.htm)。つまり、公定歩合は、いまでは、短期金利の上限になっている。

 経営が不振な民間銀行は信用が低いため、短期金融市場で借り入れできなくなったり、借り入れできたとしても非常に高い金利で借り入れることになる。このことで金融不安を招く恐れがあった。これを防ぐために、担保さえあれば、日銀は制限なく民間銀行に公定歩合で融資をすることにした。担保があれば、民間銀行はどんなに高くても公定歩合の金利で借り入れが保証されるので、金融不安を押さえることに成功した。日銀は、この後、少しずつ公定歩合を下げていった。二〇〇一年九月一一日の米国同時多発テロ事件で金融不安が高まったために、日銀は公定歩合を、史上もとも低い〇・一%まで下げた。〇六年七月一四日に、〇一年三月より再実施されていたゼロ金利政策が解除され、公定歩合は〇・四%となり、その後〇七年二月二一日には、公定歩合は〇・七五%まで引き上げられた。

 日本銀行は、〇六年八月一一日に「公定

野崎日記(87) 新しい金融秩序への期待(87) 平成恐慌の序幕(9)

2009-02-18 01:31:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(8) 「非連動」、「切り離し」を意味する「デカップリング」(decoupling)という用語が、世界経済に使われれると、「世界経済の米国からの切り離し(デカップリング)」ということになる。米国経済が減速しても、中国などの新興諸国や欧州が世界の経済成長を引っ張り、世界経済の拡大が継続するという説である。世界経済が米国依存から脱却し、多極化するというパラダイム・シフトを表現する言葉として使われた。

 デカップリングという言葉が経済に適用された初期には、経済成長が環境への圧迫に結びつかないようにすることの意味で使われてきた。農業政策では、自然環境を守るという考え方に基づいて、農業生産と切り離し、農家に直接所得補償する政策を意味する言葉として使われてきた。

 「世界経済の米国からの切り離し」という意味で「デカップリング」という言葉が使われ出したのは米国経済が減速の兆しを見せ始めた二〇〇六年あたりからである。IMFが二〇〇七年四月に発表したWorld Outlook(世界経済見通し」は”Decoupling the Train? Spillovers and Cycles in Global Economy”(列車は切り離せるか?世界経済における波及効果と景気循環)と題する章を設け、デカップリング論を支持するニュアンスの内容になっている(IMF[2007])。 

 「デカップリング」論を支持しないことを明言している米投資銀行のモルガン・スタンレー・アジアの会長、スティーブン・ローチはIMFの経済見通しについて同社のGlobal Economic Forum(二〇〇八年四月九日)で"Spillovers versus Linkages"(波及と連関)と題し次のように述べている。 

 「統合とグローバリゼーションの長所を称えながら、他方でデカップルした世界の活気を称賛する経済予測の内在した矛盾に、私は、かねて驚いていた。現実を甘く見てはいけない。世界の成長を引っ張っている列車の先頭機関車が脱線したら、残りの世界は直ちに後に続いて脱線するであろう。これまでのところ、それは起きていない。そのことは、世界的デカップリング論は大きな試練をまだ受けていないという私の基本的な結論をはっきり示している。試練があるかどうかは米国の消費者にかかっている」。

 サブプライム・ローン問題が二〇〇七年夏以降、拡大していくと、デカップリング論の形勢が悪くなってきた。ロイター通信(二〇〇八年八月三〇日)は"Subprime saga strains economic decoupling theory"(サブプライム問題、デカップリング論に打撃)という見出しのEmily KaiserとKevin Plumbergによる分析記事を流した。 

 「サブプライム問題は、米国が世界経済のエンジンとしての地位を明渡しているというよく知られた説に不利な影響を与え、世界の成長が米国の景気後退に耐えることができるかどうか疑問が投げかけられている」(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712192336293)。

(9) WTO(世界貿易機関=World Trade Organization)は、一九八六~九五年のウルグァイ・ラウンド(Uruguay Round)交渉の結果、一九九五年一月一日に設立された国際機関。一九三〇年代の不況後、世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが、第二次世界大戦の一因となったという反省から、一九四七年にガット(関税及び貿易に関する一般協定、GATT=General Agreement on Tariffs and Trade)(ガットとは文書のこと)が作成され、ガット体制が一九四八年に発足した。日本は一九五五年に加入した。ガットは、貿易における無差別原則(最恵国待遇、内国民待遇)等の基本的ルールを規定した。ガットは国際機関ではなく、暫定的な組織として運営されてきた。しかし、一九八六年に開始されたウルグァイ・ラウンド交渉において、より強固な基盤をもつ国際機関を設立する必要性が強く認識されるようになり、一九九四年のウルグァイ・ラウンド交渉の妥結のさいにWTOの設立が合意された。

 内容的には、新しい分野のルール策定として、物品の貿易に加え、サービスの貿易に関する協定を作成、貿易に関連する知的所有権や投資措置に関する協定を作成。紛争解決手続の強化として、貿易紛争に対してWTO紛争解決手続によらない一方的措置の発動を禁止、パネル(小委員会、Panel)報告の法解釈につき再審査をおこなう常設の上級委員会を設置など、加盟国の権利義務関係を明確化した。本部は、ジュネーヴに置かれている(http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/wto/2.html)。

(10) 「ラウンド」とは、「多角的貿易交渉」と訳されることが多く、貿易についての世界ルールを各国が一堂に会して話し合い決定していくことをいう。二〇世紀まではGATTを舞台におこなわれてきた。一九六〇年代のケネディ・ラウンド(Kennedy Round)では関税一括引き下げに成功、七〇年代の東京ラウンドでは非関税障壁撤廃のルールができ、ウルグアイ・ラウンドでは農業の例外なき関税化、つまり農産物の輸入受入原則をルール化した。一九九五年のWTO設立後、ラウンドの舞台はWTOに移る。農業分野のさらなる自由化や、ウルグアイ・ラウンドで扱われたサービス貿易・知的所有権などの分野のルール整備を求めて、二〇〇一年ドーハ(Doha、カタール)で開催された第四回WTO閣僚会議でドーハ・ラウンドの開始が決定された。正式名称は「ドーハ開発アジェンダ」(Doha Development Agenda)。貿易を通じて途上国の経済開発を目指そうとしている。

 しかし、ドーハ・ラウンドは難航している。〇三年のWTO第五回閣僚会議(カンクン、
Cancún、メキシコ)は、先進国と途上国との対立から交渉は決裂した。その後、〇四年二月の一般理事会で各分野交渉会合の議長を決定、三月から交渉会合が順次再開された。〇五年一二月のWTO第六回閣僚会議(香港会議)では、〇六年中に最終合意に到達することで合意、香港閣僚宣言として採択されていた。しかし、その後、農業分野の交渉は中断、そして、全分野の交渉が一時中断されるなどして、結局、〇七年中の合意は断念せざるを得なくなった。

 ドーハ・ラウンドを難しくしている大きな原因が、農業分野での対立である。日本を含めたG10とよばれる「食糧輸入国グループ」とEUは、「市場アクセス」つまり農産物輸入のさらなる自由化に反対している。一方、大農業輸出国である米国や、オーストラリアなど先進農産物輸出国からなる「ケアンズ・グループ」(Cairns Group)は、「市場アクセス」の拡大に賛成している。ケアンズ・グループ内にも対立がある。米国は、国内農業分野への補助金削減には反対しているが、補助金制度をとっていない諸国は、補助金削減には賛成している。

 インドや中国、ブラジルなどG20と呼ばれる有力途上国グループは、「市場アクセス」の拡大に賛成し、補助金については撤廃を要求しているものの、先進国から非農産物の輸入拡大を迫られていて、強く抵抗している。

 そして、ドーハ・ラウンドが難航している背景として、機能しないWTOはもはや重視せず、個別のFTA(自由貿易交渉、Free Trade Agreement)を重視する、という各国の姿勢がある。世界各国は、EU(欧州連合、The Euopean Union)やNAFTA(北米自由貿易協定、North American Free Trade Agreement)のような集団的なFTA、あるいは日本がアジアやラテンアメリカ各国と個別に締結・または締結を目指しているFTAのようなもので貿易を促進しようとしている状況である(辻雅之「よくわかる政治」;http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20071124A/ )。

野崎日記(86) 新しい金融秩序への期待(86) 平成恐慌の序幕(8)

2009-02-17 17:19:18 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
 
  (7) 財務相・中央銀行総裁会議であるG7(Conference of Ministers and Governors of Seven)は、元々、各国の首脳会議(サミット、summit)の別働隊で、財務長官と中央銀行総裁が年三回、非公式に集まって経済問題を協議する機関であった。一九七三年のオイル・ショックとそれに続く世界不況にその端を持つ。これらの混乱を解決しようと、米国でに非公式に、米、日、フランス、西ドイツ、英の五か国の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議が開かれるようになった(G5)。

 首脳会議についていえば、一九七五年が第一回である。フランス大統領、ジスカール・デスタン(Giscard d'Estaing)が、上記五か国にイタリアを加えた六か国の国家首脳をフランスのランブイエ(Rambouillet Summit)に招待し、初めての首脳会議を開催した。この六か国で、今後も主催国を交代しつつ年一回会議を持つことに合意した。ただし、イタリアはオブザーバーの立場であった。それでも、このときの体制はG6と呼ばれている。翌、一九七六年のプエルトリコ・サミット(Puerto Rico Summit)で、米大統領、ジェラルド・フォード(Gerald Ford)の要請によりカナダが、オブザーバーとして参加した。翌、一九七七年のロンドン・サミット(London Summit)からは、EC(欧州共同体、European Community)の委員長が参加するようになった。そして、一九八六年に、カナダとイタリアが正式に参加することになり、G7となった。

 冷戦終結後の一九九一年には、サミット本会合の後、ソビエト連邦(現ロシア)が枠外で会合に参加し始め、一九九四年のナポリ・サミット(Napoli Summit)からは、ロシアが首脳会合のうち政治討論に参加するようになった。以降、P8(Political 8) または、G7+1と呼ばれるようになった。一九九八年のバーミンガム・サミット(Birmingham Summit)からG8と呼ばれるようになった。そして、二〇〇三年のエビアン・サミット(Evian Summit)以降、ロシアは世界経済に関するセッションを含め、完全にすべての日程に参加するようになった(Wikipediaより)。

 別働隊の財務相・中央銀行総裁会議についていえば、これは上記先進七か国の財務相・中央銀行総裁が一堂に会して国際的な経済・金融問題について話し合う会議のことである。会議には、G7、G10、G20がある。G7は、日、米、英、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス。G10は、G7に、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスを加えた一一か国で構成。G20は、G8(G7とロシア)と、主要国以外で経済規模が大きい一一か国(アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ、韓国、トルコ)と、ヨーロッパ連合(EU)議長国の二〇か国に加え、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)、ヨーロッパ中央銀行(ECB)の三機関の代表が参加。単に「財務大臣・中央銀行総裁会議」といわれる場合は、G7のことを指す場合が多い(wikipediaより)。

 これら各種の財務相・中央銀行総裁会議の実績を簡単に記しておく。

 G10は、国際通貨制度および世界経済の諸問題の長期的課題について意見交換をおこなう会合で、年一回開催される。一九六二年に締結された「一般借入取極め」(GAB)に参加する先進一〇か国がその起源である。そのときには、スイスは参加しておらず、文字通り一〇か国であった。GABとは、参加国がIMFから引き出しをおこなう場合に、IMFの資金が不足することに備えて、ほかの参加国が自国の約束額の範囲内でIMFに対して貸し付けることをあらかじめ約束したものである。なお、スイスは一九六四年から準参加国に、八四年から正式に参加することになった。

 このG10は国際金融協力の協議の場となっている。ブレトン・ウッズ協定後の体制下で世界経済の拡大に応じた国際通貨量の供給を図るべく、準備資産創出のための公式の検討をおこなった。その結果、一九六九年のIMF協定第一次改正により、翌年にSDR(特別引出権)が創出されることになった。

 一九七一年八月、米国のニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表し、これを機に国際通貨危機がおこった。そのため、G10は変動為替相場から固定為替相場への復帰を模索、七一年一二月にワシントンで開催されたG10において、米ドルの対金切り下げと各国間の通貨調整、上下各一%から各二・二五%への為替変動幅の拡大などが合意された(スミソニアン合意)。しかし、この合意は実効できず、七三年には多くの国が変動制に移行し、固定相場制は崩壊した。

 一九八〇年代前半、米国の経常収支が大幅に悪化し、一九八五年には純債務国に転落した。一九八五年六月、G10は変動相場制の問題点を指摘したうえで、その改善のためには経済政策および為替市場における主要国間の緊密かつ継続的な努力が必要である旨の報告書を作成した。

 こうした中で、同年九月、日、米、ドイツ、英、フランスの五か国の財務相・中央銀
行総裁会議(G5)が、ニューヨークのプラザ・ホテルで開かれ、ドル高是正のために各国が協調的政策運営をおこなうことが合意された。この合意をプラザ合意(Plaza Accord)という。

 ついで、一九八六年五月に開かれた東京サミット(主要国首脳会議)で、政策協調推進の重要性が確認されるとともに、サミット参加国の財務相と中央銀行総裁からなるG7の設置、および政策協調の手段を強化するためにサーベイランス(surveillance)の導入が合意された。サーベイランスとは、実質GNP成長率やマネーサプライ増加率などのいくつもの経済指標を用いて、G7各国が相互に各国経済を監視する手続きをいう。各国は政策についての最終決定は自国がおこなうという原則を守りつつも、サーベイランスの結果を考慮して、政策協調を図ることになっている。この手法は、一九八七年二月のG7

野崎日記(85) 新しい金融秩序への期待(85) 平成恐慌の序幕(7)

2009-02-16 02:30:56 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(4) FTSE一〇〇種総合株価指数(Financial Times Stock Exchange 100 Index)はロンドン証券取引所(LSE=London Stock Exchange)における株価指数であり、欧州を代表する株価指数でもある。LSEに上場する銘柄のうち時価総額で上位一〇〇銘柄で構成されている時価総額加重平均型株価指数。なお、この一〇〇銘柄でLSEに上場する企業の時価総額の約八割を占めている。発表はLSEとフィナンシャル・タイムズ(Financial Times)との合弁企業であるFTSEグループから発表されている。一九八四年一月三日の算出開始時を一〇〇〇としている。過去最高値は一九九九年一二月三〇日の六九五〇・六である(Wikipediaより)。

(5) 株価収益率(PER)=Price Earnings Ratio)は、株価を一株当たり当期純利益で割ったものである。時価総額を当期純利益で割って算出される。PERは日本の呼び方である。米国では、PERでなく、P/EとかPEと表記されている。株価収益率は、株主の側から見れば、「利益が全て配当に回された場合に何年で元本を回収できるか」という指標として見ることができる。企業の側から見れば、PERの逆数は、「株主からの出資をどれくらいの利回りで運用しているか」という指標と見ることができる。株価収益率には、決算により確定した純利益を元に算出される数値(前期実績PER)と、期末で予想される純利益を元に算出される数値(予想PER)がある。

 株価収益率の標準値は一四~二〇の間が適正とされるが、当該企業の成長性に楽観的な場合は高PERまで買われ、将来に不透明感が高い場合は低PERで取引される。また石油や鉄鋼、海運など国際商品市況に業績が大きく影響をうける業種は、低PERで取引されることが多い。日本ではバブル景気が崩壊する一九九〇年代頃までは、四〇~六〇もの相当割高な株価で推移してきた。また新興市場では成長性を期待した取引が中心となることから、NASDAQでは六〇~八〇程度をコアとした株価収益率の推移が見られる。 

 株価純資産倍率(PBR=Price of Book-value Ratio)もよく使われる指標である。企業の資産面から株価の状態を判断する指標である。このPBRという略称も日本のものであり、米国では、P/Bと表記するのが一般的である。PBRは、一株あたり純資産額に対する株価の倍率(状況)を測る指標である。一般にPMRが一倍であるとき、株価は解散価値と等しいとされ、それ以下だと割安株として扱われる。一倍以下の水準では会社が保有する純資産の額より株式時価総額のほうが安いことを意味しており、継続的に事業をおこなうより解散した方が株主の利益になる可能性がある。魅力的な事業・資産を持つにも関わらず低PBRで推移している企業は絶好の買収対象になる。PBRの計算の元となる純資産は、各会計時期(半期・四半期等)における決算で、すでに確定した数値が使用される。そのため当該企業の業績や資産内容に対して重大な懸念が発生している場合は、来期以降の純資産が減少する可能性があり、この場合はPBR一倍を大幅に下回る株価が形成されることがある。財務面で社債や長期借入金などの他人資本を中心に経営をおこなっている企業では、自己資本比率が小さく、PBRが高くなっている場合がある。連結会計をおこなう企業の場合、純資産には連結純資産と個別純資産があり、いずれの数値を元にを算定するかによってPBRの数値にズレがでる。

 自己資本利益率(ROE=Return On Equity)という指標も重要なものの一つである。それは、株主資本(払込資本金と内部留保との和)に対する当期純利益の比率である。ROEという表記も日本国内でも用いられているものである。かつては株主資本利益率とも呼ばれていたが、〇六年五月の会社法制定とこれに前後する会計基準の改正において、「株主資本」と「自己資本」とが異なる値として明確に定義されたことで、現在では「自己資本利益率」が正確な呼称として位置づけられる。ある企業が、一年間の企業活動を通じて、「株主の投資額に比してどれだけ効率的に利益を獲得したか」、を判断するのに用いられる指標で、当期純利益を、前期及び当期の自己資本の平均値で除したものである。なお、分子として経常利益を使用する場合もある。

 一株当たり当期純利益(EPS)と一株当たり純資産額(BPS)を用いても表現可能である(ROE=EPS÷ BPS)。自己資本について会社四季報では「株主持分」と表記されているので注意が必要である(Wikipediaより)。

(5) 「グループ・トゥエンティ」。二〇か国の財務相・中央銀行総裁会議。日、米、英、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイス、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ、韓国、トルコ。

(6) CPとは、コマーシャル・ペーパー(Commercial Paper)のこと。短期の無担保約束手形。金額と満期日を特定して発行されるもの。譲渡が可能な証券の一種で、ほとんどのものは無記名式である。運転資金調達の手段としては譲渡性預金(CD=(negotiable)Certificate of Deposit)と類似している。CPでもCDであっても同様の利回りを生み出すことから資金コスト面では大差がない。一般的にコマーシャル・ペーパーは、譲渡性預金市場との競合を避けるため、償還期限が三〇日以内となっているものが多い。発行は割引方式となっており、金利分を額面から割り引いて販売される。発行体は、通常、優良企業に限定されている(http://www.finance-dictionay.com/2008/03/cp.html)。