思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

神道イストを自称したJ・メーソン

2014-02-13 14:22:56 | Weblog


http://www.25w.sakura.ne.jp/sekai-nihon/901-sekaigamitanihon.htm


■神道イストを自称したJ・メーソン
 ジョセフ・ウォーレン・ティーツ・メーソンは、アメリカ人でありながら、神道を信奉したアメリカ人でした。1879年生まれのメーソンは新聞記者となり、ロンドンに行って日露戦争の記事を書きました。それが、彼が日本に関心をもつきっかけとなりました。アジアの小国日本が大国ロシアを破ったことが、彼の心を揺さぶったのです。

 メーソンは、日本が急速に近代化できたという事実に驚きました。そして、その理由は、神道にあるのではないかと考えるようになったのです。昭和7年(1932)、満州事変の翌年に、彼は初めて来日しました。その年、30年間続けた新聞記者を退職すると、その後は晩年まで神道の研究に没頭しました。そして自分を「神道イスト」と規定して、神道への信奉を隠しませんでした。

 著書『神ながらの道』(たま出版)に、彼はこう書いています。

 「日本が有する永久的進歩の力は、日本民族の創造的精神に基づく。…人類と自然とを、全能の神によることなく、自ら物質的進歩を創造する神霊だと考える一つの原始的直観である。日本を知るには神道を理解する必要がある」


≪私見≫日本神道の本質

1) 神道のご神体である鏡・・・・・神道では鏡がご神体。そのご神体である鏡に映し出されている自分自身が神(創造主)であり完全円満であることを直感せしめている。創造の主体は人間を超越している「神」でなく、人間そのものが創造の主体である。

2) 教義(ドグマ)教典が存在しない神道・・・・・教義がないということは、物事の考え方(教義)などというものは、一人一人が自由に創造し得る自由裁量があるということが秘められている。神道以外の他の宗教には大なり小なり教義が存在するが、教義の存在自体がそれを信ずる人々に創造活動の自由裁量を制限することになる。つまりその教義(物事の考え方)の枠に縛られてしまうことになる。宗教の教義というものはえてして人々を一定の考え方(思想)にコントロールしようとする願望の表明とも言い得る。
※『日本待望論』でオリヴィエ・ジェルマントマは ≪神道とは、普遍的世界の広がりの浄化をもとめての、ドグマなき 「信」≫と定義している。

3) 万物を拝み大自然を神と観る神道・・・・・全ての存在にはそれぞれ自由な創造活動があり、それぞれの自由な創造活動は互いに尊重すべきものであるという他者尊厳の観方が自然に養われる。

4) 罪穢れを禊祓いで清浄化する神道・・・・罪穢れは水による禊、言葉による祓い祝詞で清浄化せしめるという考え方は、大自然と人間の本来の姿が清浄であり完全円満であることを人々に直感せしめている。水で洗い清めれば罪穢れが消えてなくなるのは、罪穢れが完全円満な本質の表面にのみ付着している付着物に過ぎないことを表しており、祝詞により罪穢れがなくなるのは、罪穢れなどというものは、簡単に言葉のみで消え去るものであり本来実在しないということを暗示している。

※※※当教えにおいても、教義が存在する。聖典といい、聖経といい、講習といい、教義と化す。教義はドグマであり、独断の要素を持つにいたる。そのドグマの中で教え学ぶ者たちは、いつの間にか「ドグマなき信」の生き方から自縄自縛されることになる。一種のドグマ、教義、教典に枠内に自らを縛りつける。人間本来の大らかさは失われ、自由なる創造活動はそこにはもはや存在しない。(2012/10/18感想)





『神ながらの道』に関する参考サイト

メーソンの神道解説



汎霊論
 メーソンは、神道は日本人が原始時代に発見した直観的真理であり、日本民族の創造活動の原動力であるととらえました。メーソンは、神道は一神論・多神論・汎神論ではなく、「汎霊論」であると主張しました。そして、一切は神霊であり、神霊は万物を離れては存在しない、万物そのものが神霊であり、物と神とは表裏一体であり、万物は神霊の自己表現である、と考えました。


日本型新世界秩序の構想 日本文明の時代

2014-02-13 11:54:20 | Weblog
物質と経済が中心で、人間が自然を支配するというユダヤ文明から

物質と精神が調和し、自然との共生を目指す日本文明に時代は移行していくのではないでしょうか。

そこで日本型新世界秩序というのを考えてみました。




日本型新世界秩序の構想と理念



物質と精神の調和 

神と人間の共存

自然との共生 

多民族多文化の共存共栄

自然を支配する道具としての科学技術から、自然と共存するための科学技術への転換