思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

想念による顕在化

2014-02-02 17:14:01 | Weblog
人間の想念、声、歌などはその波動に応じたものを、共振によって顕在化する力を持っている。

もし、宇宙の進化の意志の波動に近い想念で声を出せれば、宇宙の進化の意志が顕在化するのだ。

人間の想念は、共振によってあらゆるものを顕在化させる力を持っている。


宇宙の進化の意志を顕在化させる合唱


鈴木 俊輔 の サトルの泉 より

2014-02-02 14:13:03 | Weblog
言霊量子論について

 

論者 鈴木の言霊講座で
参加者から大変いい質問を受けました。
それは鈴木の言霊量子論 
言い換えると言霊現象論に関連してなのですが、
想念、言霊、断言の実現化の違いという質問でした。



言霊は現象を誘引する、
実現するというお話をしたのですが、
そのどれもが同じような作用を
担当するのか,差はないのか
といった質問だったのです。




想念とは声に出さなくても、
心の中にさまざまな思いを浮かべ
た声に出さない意識とでもいえます。

ですが想念意識の単語のその一つ一つ、
それは言霊で規定されております。


例えば「京都に行きたい!」という想念意識は
「京都」「行く」という言霊で規定されます。




宇宙創成のはじめの初め、
ヨハネ伝 創世記では


「はじめに言葉あり コトバは神なり 光は神なり」


といいます。



およそ150億年前の宇宙創造神が、
人体の近いお姿の神が、その喉を震わせて
宇宙創成の要素をコトバで
規定していたとはどうも思えません。



おそらく神という宇宙生命意思の
想念波動で念じられたのだと思います。


超微細で強力な神の波動エネルギーは
見事に粒子化つまり万物育成の
物質へと創造されていったのでしょう。

また大宇宙創造神は様々な生命体も
おつくりになり、万物一切は
大生命意思の強大な意思から創られました。









ヒトもまた神の子ですから、その言霊から
現象をつくる能力が与えられているのです。


しかしヒトの想念は神の想念とその精妙な波動の質、
振動数が違うのです。



物質を細かくして、分子レベル(10のマイナス5乗~6乗cm)、
原子レベル(10のマイナス7乗cmレベル)
さらには素粒子レベル(10のマイナス9乗~12乗レベル)
さらに細かくして、
「プランク長さ」という10のマイナス33乗cm以下の
世界では粒子性はなく、波動性しかないことが
量子物理学の定説になっております。


つまりそこは「意識の海の世界」なのです。


意識は当然存在しますから、エネルギー状態なのです。
その意識エネルギーはプランク長さ
10のマイナス33乗cm以下の世界ですから、
その海には質量は無く波動性しかありません。


意識には重さが無く、
また過去にも未来にもいけますので
光速を超えているわけです。




また夢想は視神経を通さなくても
絵で書ける原図を見ることができます。
現代物理では光景とは光の認識といわれますから、
私達が通常見る睡眠中の夢も、
夢想する未来図の認識も
それは光で描かれているということになります。


意識こそ質量の無い光であり、
同時に高振動数の波動エネルギーだといえるのです。


一般的に物質には波動性と粒子性の
二面性を持つといわれます。
くどいようですが現代量子物理学では、プランク長さという
10のマイナス33乗cm以下の領域では
粒子性は無く、波動性
つまりエネルギー性しかないと決定しております。


つまり意識は質量のない波動エネルギーですから、
それが集中固定すると粒子を出現するのです。



アインシュタインの公式 E=m×C×C   

 【E:エネルギー  m:質量 C:光速】



ですからエネルギーEは 質量mと光Cに変化するのです。


正確に言うとエネルギーは時間の概念を必ず持ちますから


E(t)=m×C×C と認識すべきなのでしょう。



言霊とは嘘のない真我の領域から
意識波動と、人体の声帯を震わす有音のオトダマです。
真我という前提は、大宇宙と調和されている状態であり、
宇宙調和でない否定の認識では
言霊とは言えないからです。



仏教の声明や、神道の祝詞、
基教のゴスペルや祈りも全
て有音であるのは、
意識波動と空気振動という大気粒子を震わして、
粒子性を誘引させるきっかけを既に作っているのです。



したがって「想念」よりも
「言霊」のほうが実現の確率が高いのです。


とりわけ神道の祝詞は神への奏上であり、
神我一体となった有声音の
言霊でなければならないのです。




一方、「断言」とは、心の決定であり、
大断言とはもうそこで「必然」と同じな領域なのです。
心のなかで「これ必然!」と思ったのは、
それが実現しても当然で、びっくりするに当たらない、
当たり前のことなのです。



断言とは言霊を駆使しての「心の断言」ですから、
言霊よりもさらに実現の可能性が
ずっと高くなるのです。



たとえば、
『いつも言霊にしているけれど
なかなかそうならない。』
とおっしゃる方もいます。



しかしそうならないのは



① エゴなおもい
これは先に述べた宇宙生命意思の逆でありますから、
そうならないのです。
仮に少し実現すると、ネガティブな実現のその反動が
自らに帰ってまいります。


② 不信
不信はこころが確信状態にありませんから、
真我のレベルには到底及んでおりません。
うわべだけのコトバでは単なる「さえずり」でしかありえません。




・想念(20)

・言霊(30)

・断言(40)


完全な現象化が100とすると、
想念、言霊、断言の違いは、
括弧で書いたような重み付けです。


それぞれ現象化(粒子化)に向けて
想念でおおよそ20%。
想念と言霊の多用で、
50%くらいの実現化でありましょう。


想念と言霊の多用、
しかも断言という心の確信が入ると
90%くらいでしょう。
つまりそこはもう必然と同じくらいですね。



最後の10%はタイミングです。


そのかたにとって最も有用な時期
つまり神様だ最適として与えた時が
10%のタイミングとして残されているわけです。

それでトータル100%です。





音楽と言霊

2014-02-02 10:44:39 | Weblog



精神とは脳に集まった言霊が、脳神経と相互作用することで発生する複雑な場である。

言霊は互いに協調しあいながら、進化発展していく性質を持っている。

音楽も音が互いに協調しあいながら、進化発展していく現象である。

したがって音楽を聴くと、脳内の言霊は脳神経の活動と相互作用し

互いに協調しあいながら、進化発展していく波動現象を引き起こす。

これが自由と喜びと意味を生み出すのだ。