~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

幸せと不幸

2014-10-16 18:55:32 | 日記

この歳になって、やっと気づいたのかと言われるような

気づきがありました。

毎年、息子の命日が近づくと何か大切な気づきが

与えられます。

きっと、天国の息子が「お母さん、少しは成長しろよ」

と、思ってくれているのかもしれません。

 私たちは、幸せになることを願って生きています。

不幸にはなりたくないって、誰もが思っています。

では、幸せってなに?と、自分に問うてみると

先ず思い浮かぶのが、健康で経済的にも困らず

ということです。

不幸はというと、その逆のことです。

でも、これって自分が設定した条件に過ぎない

のではないでしょうか。

幸せとか不幸って、感情なんですよね。

子どもを亡くした時、母は「あんたより不幸な人は

一杯いるんだよ」と言って私を慰めようとして

くれましたが、私は言葉にならないほど悲しく

死んだ方が楽だと思えるほど苦しかったけれど

不幸であるとは、一度も思えなかったのです。

支えられて生きているということを、感じていた

からです。

幸せや不幸が条件でなく、感情であるなら

どんな時でも、幸せを感じることが出来る筈です。

そのことに気づけば、版画家のボクネンさんが

言っているように、私たちは少しの不幸に

引っ張られてしまうけれど、しあわせの方が

遙かに多いんですよね。

幸せや不幸が感情だということ、

こんな簡単な事に、やっと気がつきました。

何だか、すごく心が軽くなりました。

これも天国の息子からの贈りものかな…

有り難う!創

あなたを想う時、涙もでるけど

母さんは、幸せです…

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青空を見上げて

2014-10-14 20:49:41 | 日記

今日は、何回空を見上げたことだろう…

朝の澄み切った空には、まだ月が出ていました。

見えないけれど、いつもあるんだよ。というように

朝の月が語りかけてくれた気がしました。

夕方の雲の美しさには、しばし見とれてしまい

ました。

空を見上げているだけで、生きてるっていいなーと

思えるようでした。

昨日のブログに「我」のことを書きましたが

「我」を意識すると、ほんの少しだけ「我」が

小さくなったような気がしました。

そして、気がつきました。

「我」がないと、生きるのが楽になると…

 

 

 

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「我」だったんだ…

2014-10-13 17:38:43 | 日記

講演会の準備をしていると、やってもやって

何か心配事があり、まるで喉に刺さった魚の骨の

ようにチクチクと気になるのです。

これって何んだろう…と思っていたのですが

初女先生のこれ以上出来ないくらいやって、後は

神さまにお任せするというお姿を思い出した時、

お任せが出来ず、心配するのはこれは自分の

「我」なんだ!と、気がついたのです。

今まで、私は大雑把な性格なのに心配性なんだ

と、思っていましたが、これは「我」だったんだ…

今の今まで気がつきませんでした。

先生が心に刻んでいる

「神の計らいは限りなく、生涯私はその中に

生きる」というお言葉は、「我」というものが

微塵もない世界です。

初女先生とのご縁を頂き、先生の生き方を

見て来たのに、自分の「我」にはまったく

気がつきませんでした。

人間は、この「我」に結構振り回されているのかも

しれません。

講演会をやるってことは、決して楽な事では

ないけれど、大変だからこそ大切な気づきが

頂けます。

この心配性は「我」だったんだ…

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豊かな時間(スーザン・オズボーン)

2014-10-12 17:58:24 | 日記

昨日は、等々力のお寺でスーザン・オズボーンの

コンサートがありました。

私は、お寺でのコンサートだから本堂の畳に

座ってかと思い、一緒に行く友人に「お寺だから寒いと

思うよ」なんてメール送っていました。

行ってびっくり!コンサートホールになるような

素晴らしいお寺でした。

やっぱり都会のお寺は違うなーと…

スーザン・オズボーンのことは、初女先生から時々

伺っていたし、イスキアにはスーザンのサインが

額に入って飾ってあるし、近しく感じていましたが

実際に聴くのは初めてでした。

「赤とんぼ」や「もみじ」など、日本の唱歌を英語で

歌うのですが、情感が歌声から真っ直ぐに届いて

来るのです。

言葉がわからなくても、スーザンの想いが響いて

くるのです。

言葉を超えた歌とはこういうものだったのかと、

この歳になって知りました。

歌をこういうふうに歌えるスーザの人生を

思ってしまいました。

この人は、様々な思いをしてこられたんだろうな

だから、こんなに思いが深い歌となるんだろうな

と…

客席には赤ちゃんや幼児さんも数人いたのですが、

途中で赤ちゃんがちょっと泣いただけで、

子どもがいるとは思えない静けさでした。

子ども達の心にも、スーザンの歌はしっかりと

届いていたのでしょう。

心が支えられるような歌でした。

開場した時に配られたチラシの中に、

初女さんとランディさんの「深き森の語らい」も

入っていて「やっぱり、このチラシいいねー」と

仲間同士で自画自賛してしまいました。

スーザンも、きっとこのチラシを見て

初女先生のことを想ってくれた気がしました。

忙しい日々の中で頂いたご褒美のような

豊かな時間でした。

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古典に学ぶって…

2014-10-11 11:13:41 | 日記

今朝「サワコの朝」に、雅楽奏者東儀秀樹さんが

出演されてました。

雅楽を現代音楽とコラボさせて、独自の音楽の世界を

展開している東儀さんですが、その方が「古典は凄い

100人東儀秀樹が集まっても、出来ないと言ってました。

私は、やっぱりそうか!と思いました。

書もそうです。

私たちのお稽古は臨書といって、古典の書を見て

書くのですが、やっぱり永い時を経ても残って来たものは

凄いです。

墨は絵具と違い、墨の黒さ潤いが時間の経過の中に

埋もれていないのです。

王義之の書は、1本の線の中に、悠久の時が

流れているような気がします。

東儀さんが、古典の凄さを語っていましたが

書も同じです。

どうやってもかなわない古典をなぜ求めていくのか

私は、書を初めて日が浅いので、そのようなことを

語れるほど、古典と向き合っていないのですが

帰るべきべきところが、古典にあると思えるのです。

私たちのDNAの中には、筆の歴史が流れている

のは確かです。

筆は硬筆と違い、心のありようまでも伝えるものです。

今日、田口ランディさんのツイッターを見たら

筆で手紙を書いていると言ってました。

筆を持ち、自分の中に刻まれている筆の歴史を

体感することも、秋の夜長にお勧めします。

習字が大嫌いだった私が、書を始めたのは

きっとこの刻まれた歴史が、無意識の中に

存在しているからだと思います。

 

 

 

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「生きがい」とは…

2014-10-09 21:34:18 | 日記

今、一日があっという間に過ぎて行ってしまいます。

家に帰ってきて、夕食を作り自分の時間が出来ると

パソコンの前に座って、11月24日のお申し込みの

返信をして…気がつけば12時が過ぎている、という

生活です。

あまりに忙しいと自分が見えなります。

私は、講演会の準備で忙しくなると、必ず

初女先生の本を読むのです。

自分がぶれないためです。

昨日、再び『初女さんの心を結ぶ「分かち合い」』を

読みました。

一つひとつの言葉が心に降りてくるようです。

前に読んだ時には、読み流していた部分も

心に響いてきます。

生きがいについての初女先生のお言葉が

ずしんときました。

『人はいったい何のために生きているのか

私は「生きがい」というのは、自分の出来ることを

やっていくこと、そしてそのことが人様の喜びとなり

その喜びを自分で受けてお互いに喜び合い

その喜びを共感していくことだと思っています。

だから人さまのお役にたてるように自分も元気で

いるし、人との交流もまた感謝しながら行います。

そして、言葉ではなくやっぱり行動です。

言葉は便利ですが、行動はもっと深いものですから。』

この言葉を目にして、ハッとしました。

生きがいとは、何か高き目標のように自分に

掲げていものだと思っていたからです。

自分のできることをやっていくことだと…

そして、そのことが人様の喜びとなり、自分の

喜びとなることだと…

そして、そのために行動すること…

自分の人生を振り返ってみると、「生きがいとは何か」

という問いを何度問いかけてきたことだろう。

その度に、考えて考えて答えをひねり出してきました。

でも、頭で考えた「生きがい」は、言葉で終わっていた

のです。

初女先生は「やってみて初めてほんとうの自分が

わかってきますので、頭だけで考えないで、

ただやってみることだと思います。」と言われて

います。

頭で考えない「生きがい」の道を、ほんの少し

歩き始めている自分がいるのかもしれません。

人生の折り返し地点を、随分過ぎて知った

「生きがい」

それは、掲げるものではなく、行動するものでした。

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おむすび

2014-10-08 12:12:11 | 日記

梅干しを漬けるたびに、初女先生に食べて頂き

アドバイスをもらってきました。

先日、爽やかな秋風が吹いていたので、

再び梅を干しました。すると梅の赤が更に鮮やかに

なったのです。

今年の梅はプチ自信作!

初女先生に食べて頂くのが楽しみです。

このところ忙しくて、おむすびを作って

いませんでしたが、ご飯が好い加減に炊けたので、

おむすびを4個作り、一つは自分で食べてみました。

何と、自分で作ったのに「おむすびって、こんなに

美味しかったっけ?」と、思うほど美味しく出来ました。

初女先生が「ご飯の炊き方が一番!」と、いつも

言われているので、今朝のご飯はおむすびに

ぴったりに出来たのでしょう。

 去年の上野の書展の受付をしていた時

静岡から来られ手伝って下さった方に

お弁当に作ったおむすびを差し上げました。

今年の9月、京都展でその方にお会いすると

私の顔を見るなり「あの時のおむすびが

とても美味しかったです」と言われました。

私は、なかなか思い出せなかったのですが

1年前のおむすびが、心に残っていたなんて

私の方が感激してしまいました。

初女先生は、食べ物ほど心が伝わるものはないと

言われ、おむすびはシンプルだからストレートに

伝わると、言われていました。

美味しい!って思えるおむすびは年に何回も

作れませんが、それでもおむすびのチカラは

凄いなーと感じます。

初女先生は「おむすびを握る時は、どんな気持ち

ですか?」という質問に「今日も美味しく握りたいな

と思うけれど、握る時は何も考えないで、

ただ一生懸命やります。」と言われています。

そこにあるのは『おむすびの祈り』ですね…

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小さな喜び

2014-10-06 21:22:16 | 日記

台風がまともに直撃している中、息子が夜行バスに

乗って被災地から帰ってきました。

昨日から私は、何度も「台風が来ているからお金が

かかっても、電車で帰ってきて!」と、メールをして

いました。

息子からは「大丈夫」の短い返信

でも、疲れて爆睡している息子を見て、大きくなっても

やっぱり子どもだな、何てどこか嬉しくなる私が

いました。

ランディさんのツイッターを見たら「台風で子どもの

学校が休みになったから、親もつい朝寝坊

ご褒美のような朝 」と書いてありました。

ランディさんも、母をやっているんだなと、

嬉しくなったり…

友達から、「嫁いだ娘が帰って来た時、黄色い蝶々が

来たの」というメールが来ました。

Mちゃんは、亡くなった息子の幼馴染だから

きっと、創が会いに行ったんだと思い、

「その蝶々、絶体 創だよ!」と言ってしまいました。

こんな、他愛もないささやかな喜びに

日々の暮らしは支えられているのかなと思うと

何だか何もかもが愛おしくなります。

ちょっと風邪をひいたかなと、言ったら息子が

「早く寝なよ、お母さんはいつも遅いんだから

茶碗は洗っとくから」と、家事免除となり

ランディさんではないけれど、ご褒美のような

夜です…

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遺す言葉と「死後生」

2014-10-05 16:28:44 | 日記

新聞に、遺す言葉と「死後生」と言うタイトルで

柳田邦男さんが書いていました。

「死後生」というと、色々な事を考えてうさんくさい気が

してきますが、柳田さんの「死後生」に、まったくもって

頷いてしまいました。

柳田さんの文章は『「今の容体からは、一日単位で

考えないといけない状態になっていると思います」

医師から患者の身近な人々がこう言われた時、

どう対処すればよいのか。

この秋、私自信が体験したことを記しておきたい』

という言葉で始まっていました。

本当にそんな時、どうすればいいのだろう…

遺された時間が僅かな中で、一番大切なこととは

なんでしょうか…

柳田さんは、震災被災者の支援活動に新しい

取り組み方を切り開き、震災ボランティア活動の

指導的役割を果たしてきた黒田裕子さんの

ぎりぎりのところにある「生」の時間を

共にしたのです。

柳田さんは「黒田さんがやろうとしている活動は

その思いを知る誰かが継げます。

でも、黒田さんしか出来ないことが残されている」

と言い、生き方や人生など次の時代を生きる

若い世代へのメッセージなどを語り遺すこと

です。と言い亡くなる2日前に、2時間近く

黒田さんの語りを記録したそうです。

そして、最後に柳田さんが「人の精神性のいのちは

死後も、後を生きる人々の心の中で生き続け

それぞれの人生を膨らませる。

それを私は『死後生』と呼んでます」。と言うと

いい言葉だから、書いてほしいと言われ

柳田さんは、筆で大きめに「死後生」と書き

小さく「黒田裕子さんのいのちは永遠です」と

書くと、これをお棺に入れてあの世に持って

行きたい。と言われたそうです。

黒田さんのように、言葉に出来なかったとしても

人はその人の想いを、ふとした処に遺して

行ってくれるものだと思いました。

今日、お昼ご飯ににゅう麺をつくり、長いもを

すりおろしていた時、ふと主人の母のことが

思い出されました。

休みに福山に行った時、帰る前日になると必ず

「あー、長いもを食べさせるのを忘れていた」と

言うのです。

別に主人は長いもが好物というわけでもない

のですが、母は長いもは滋養があるから

食べさせなくてはと、思っていたようです。

若かった私は「長いもくらい、私が食べさせるから

大丈夫ですよ」と言っていました。

今日、長いもをすりながら、ふと母のことを

思い出し、母親としての愛情を感じました。

柳田さんは、少し難しい言葉で「精神性のいのち」

と言われましたが、こんなささやかなことであっても

人の愛は、心に残っていくものなんだなーと、

しみじみ思いました。

 

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おめでとうの日

2014-10-03 19:54:41 | 日記

今日、10月3日は初女先生のお誕生日!

そして、田口ランディさんのお誕生日!

初女先生は93歳になられました。

先生がお元気でいて下さるということに、有難くて

それだけで、胸が一杯になります。

田口さんに初めてお会いした時に、「お誕生日が

初女先生と一緒ですね」と、言ったら満面の笑みに

なって「そうなの~、初女さんと一緒なの~」と

言われたお顔が忘れられません。

お誕生日が同じということは、当たり前のこと

ですが、同じ日に歳を重ねるということです。

それだけで、繋がっている気がするのは

私だけでしょうか…

初女先生、ランディさん、

お誕生日おめでとうございます。

11月24日の「深き森の語らい」は、

どんな語らいとなるでしょうか…

お二人の再びの出会いの場に、いられる

幸せを感じながら、心を込めて準備を

して行きます。

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