~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

遺す言葉と「死後生」

2014-10-05 16:28:44 | 日記

新聞に、遺す言葉と「死後生」と言うタイトルで

柳田邦男さんが書いていました。

「死後生」というと、色々な事を考えてうさんくさい気が

してきますが、柳田さんの「死後生」に、まったくもって

頷いてしまいました。

柳田さんの文章は『「今の容体からは、一日単位で

考えないといけない状態になっていると思います」

医師から患者の身近な人々がこう言われた時、

どう対処すればよいのか。

この秋、私自信が体験したことを記しておきたい』

という言葉で始まっていました。

本当にそんな時、どうすればいいのだろう…

遺された時間が僅かな中で、一番大切なこととは

なんでしょうか…

柳田さんは、震災被災者の支援活動に新しい

取り組み方を切り開き、震災ボランティア活動の

指導的役割を果たしてきた黒田裕子さんの

ぎりぎりのところにある「生」の時間を

共にしたのです。

柳田さんは「黒田さんがやろうとしている活動は

その思いを知る誰かが継げます。

でも、黒田さんしか出来ないことが残されている」

と言い、生き方や人生など次の時代を生きる

若い世代へのメッセージなどを語り遺すこと

です。と言い亡くなる2日前に、2時間近く

黒田さんの語りを記録したそうです。

そして、最後に柳田さんが「人の精神性のいのちは

死後も、後を生きる人々の心の中で生き続け

それぞれの人生を膨らませる。

それを私は『死後生』と呼んでます」。と言うと

いい言葉だから、書いてほしいと言われ

柳田さんは、筆で大きめに「死後生」と書き

小さく「黒田裕子さんのいのちは永遠です」と

書くと、これをお棺に入れてあの世に持って

行きたい。と言われたそうです。

黒田さんのように、言葉に出来なかったとしても

人はその人の想いを、ふとした処に遺して

行ってくれるものだと思いました。

今日、お昼ご飯ににゅう麺をつくり、長いもを

すりおろしていた時、ふと主人の母のことが

思い出されました。

休みに福山に行った時、帰る前日になると必ず

「あー、長いもを食べさせるのを忘れていた」と

言うのです。

別に主人は長いもが好物というわけでもない

のですが、母は長いもは滋養があるから

食べさせなくてはと、思っていたようです。

若かった私は「長いもくらい、私が食べさせるから

大丈夫ですよ」と言っていました。

今日、長いもをすりながら、ふと母のことを

思い出し、母親としての愛情を感じました。

柳田さんは、少し難しい言葉で「精神性のいのち」

と言われましたが、こんなささやかなことであっても

人の愛は、心に残っていくものなんだなーと、

しみじみ思いました。

 

コメント
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