~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

8月6日「生ましめんかな」を読む

2019-08-06 23:19:57 | 日記

今日は8月6日

広島に原子爆弾が投下された日です。

8月6日の8時15分になると、小さい頃から家族で

黙とうをささげていました。

それが、我が家の習わしとなっていました。

自分の子どもにも引き継ぎたいと思っていましたが

ここで黙とうしてどうするの?みたいな目で

息子は私を見ていました。

今朝、息子に「8時15分に黙とうしましょう」と

メールを送ったら、夕方になって

「部活の子たちとたちとテレビをつけて黙とう

しました。」という返信が来ました。

あ~伝わっていたんだ…

原爆資料館がリニューアルされ、遺品を通し

そこに生きていたひとり一人のことを伝える

展示になったそうです。

戦後74年経ち、近い将来に被爆者がいなく

なることは目に見えています。

その中で、どう伝えて行くかという大きな問題と

向き合い今までと全く違う展示になったそうです。

ご飯が熱で炭化したお弁当箱も、持っていた少年の

写真が展示されることにより、生きていた

その子が立ち上がって来る…そのような展示に

なっているようです。

資料館は何度か行ったことがありますが、

もう一度訪れてみたいと思いと思いました。

栗原貞子さんの詩「生ましめんかな」が

読んでみたくなりました。

 


生ましめんかな

 

壊れたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」というのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は 自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも  



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