ももすけの日記

黙祷して平和を願ふ終戦忌
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

自由

2003年10月29日 00時06分00秒 | 日記
おねいちゃんもいないし、おとうさんも今日と明日、お出かけなんで、おかあさんはぼくと二人でお留守番です。
さぁて、どこに行こうかな、とあれこれ考えて楽しんでいました。
おともだちとのデートは不成立・・
じゃ、ちょっと足を伸ばして、曽爾高原(奈良県と三重県の県境にあるススキの原)まで、と今朝になっておかあさんはお姉さんに電話して約束しました。
だけど、それから出発までに、ごみをだしたり、お花の液肥をやったり(悲願のシュウメイ菊がやっとひとつ花をほころばせました!)お洗濯を干して、掃除機をさーっとかけて、で、あまり気乗りのしないぼくを車にのせて出発し、おばさんちに着いたのが遅くて、結局、曽爾高原までは無理ということで、近くのコスモス畑まで歩いていく事になりました。
一時はかなりの面積がコスモス畑になっていましたが、最近は縮小したようです。でも、全く無い年もありました。”入ってはいけません。農作業の妨害をすると警察に通報します”なんて立て看板がありました。
でも、コスモスは今をさかりと咲いていて、とってもきれいでした。空は青いのにザーっと通り雨がきて、近くの農家の納屋に雨宿りさせてもらいました。ふと見ると、ぶどう棚になっていて、あちらこちらに大きな房がたれていました。どんなお味か試してみたかったです。
法隆寺の管内は世界遺産になってから、この法起寺も土塀を塗り替えたりしてきれいになりました。
この前、車で通り過ぎただけだったので、きょうは思う存分に写真を撮りました。
法隆寺といえば柿。おかあさんはそんなのを買うのが大好き。ところが、おばさんはそんなところで買うたら高いよ、近所のスーパーで売ってるし、第一重たい、というのです。
でも、黒豆の枝豆とインゲン豆と柚子を買いました。そのお買い物をしたとなりのお店におじいさんが二人座っていて、目が合いました。
まぁ、座っていきなさい、と。ぼくは愛想よくしっぽをふってご挨拶したからでしょうか。
くたびれていたので、おばさんもおかあさんも野菜などを入れるプラスチックのカゴをひっくり返して、一服させてもらいました。
柿とナイフを出して、さあどうぞ、と。おかあさんは手の汚れも気にせず、くるくると皮をむきました。おじいさんが上手や、と誉めてくれたので、ちょっと得意げでした。内心、こうやってくるくる皮をむくことをしなくなってきたなぁ、と不安だったのでした。お買い物もしていないお店でひとしきりおしゃべりをして、そのおじいさんは今は78才で、奥さんは66才で癌でなくなったこと、”ぽっくりさん”で名を売っている近くの吉田寺の奥さんが長く寝付いている事など、など、、
鐘は鳴りませんでしたが”書き喰えば鐘が鳴るなり法隆寺”でした。
おばさんちで晩御飯もよばれて、お風呂も入れてもらって、さっき帰ってきたばかりなの。
さすがにぼくはくたびれて、もう、ぐったりなんだけど、おかあさんは元気でさぁて、今日撮った写真はどうだったかしら、と見てみるつもりみたい。
自由って、体は疲れても心は元気にしてくれるよね。


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