広辞苑の『品』 ②人や物にそなわる、好ましい様子。風格。くらい。ひとがら。
去年から入れてもらっている句会の先生。
なぁんか、品が無くて、この方が私の先生と思うのが内心はずかしいと思っていました。
(めったに同じ会の人が読むことはないので書いていますが、こんなことを思っている、そのことこそ、こちらの品の無さかもしれませんが)
多分、もう80歳は過ぎておられると思います。
上背もあって若々しい感じではあるのですが、言葉がまるっきりの河内弁。生まれ育って、それが当り前なのでしょう。むしろ、今どきの大阪の子は、え?どこの子、と思うくらい標準語に近いしゃべり方です。それにも抵抗を感じるのですけれども。
「へて、へてから」・・・それから 「おんた・めんた」・・・オス・メス
書きだそうとすると案外、思い出せません。
いえ、言葉だけじゃなく、履いてる靴がいつもズック靴、しかも安っぽい。
以前に習っていた先生は小柄でそれほど見栄えはしない方(なんて生意気な言い方、すみません、先生)でしたが、いつも上等そうな洋服を身につけていらっしゃいました。靴も革靴でした。品は洋服や靴の印象からだけでもないと思いますが、言葉づかいも丁寧でした。
再婚すると、死に別れた前夫(前妻)の良い思い出ばかり残り、生き別れの場合はそうでもない、とかいう話を思い出しました。
前の先生が亡くなられて、しばらくして今の先生に教わっているのですが、まるで再婚したみたいな感情!
先日の句会は吟行でした。
元市役所勤務、お仕事は何をなさっていたのか知りませんが考古学にとても造詣が深いです。吟行慣れしていない私は、なるだけ先生の話を聴くべく、くっついていました。好きだとか嫌いだとか言っている場合ではなく。
よう、おしゃべりになります。そして、質問すると、よく応えてくださり、なんでもご存じです。
新聞の悩み相談にとても面白い回答を上野千鶴子さんがしていました。
「私の心に関心ない夫」に対して、「そもそもひとりの異性から、生活の安心、安定から、関心や愛情、知的刺激から性的満足まで・・・何もかも調達出来ると思う方が間違いです。---だとしたらあとは用途別使い分けあるのみ。夫から調達できないものはよそに求めましょう。」
夫は毎日顔を突き合わせますが、俳句は月に1回だけです。なんだか、私の悩みも解けたような気がしました。