3月11日、大地震がおきたとき、ぼくのおかあさんはぼんやり椅子に座っていて、ゆらりゆらりと、なんだか目まいのように感じましたが、何100キロも離れたところでと知ってびっくりしました。
それから以後、次から次へとものすごいことがおこって、ただただ、テレビに映し出される画面に釘付けでした。
こたつに入って、ぬくぬくとしていることが申し訳ないと思いつつ、何もできない。。
夜になって「関西地区にお住まいのみなさん、関西電力は東北電力への電力提供を始めました。少しの節電でも立派な支援になります。普段挿しっぱなしの電子レンジや炊飯器などのコンセントは抜き・・・」というメールが来た時、そうだそうだ、とすぐに転送。
次に来たとき、少しは冷静になっていたので、ヘンだな、と思いました。
こんなときにいたずらメールを、などと思いますが、節電は大切なこと。
ただし、非常時における流言飛語をおもしろがって発することは許せません。
その気持ちが理解できない。
命を守ること。
娘に対するいらいらや不満が鬱積していたおかあさんでしたが、悲惨な光景を見て、そんなものは吹っ飛んでしまいました。
関東大震災のとき、20歳の母は生まれて間もない長男を抱いて、外に飛び出した、と聞いていました。
奈良でもそんなに揺れたのかと、信じられない思いで聞いていたのでしたが、東北の揺れを感じて、今はいない二人を思い出しています。
揺れを感じて、日本はつながっていると。
早く、早く、被災地で避難している人たちのもとに食料や薬を、と思います。
早く、早く、がれきに埋もれている人を助けて、と思います。
早く、早く、原子力発電所をなんとかして、と思います。
テレビで報道されていないところででも、一生懸命、命をかけて仕事をしている人たちがいることを、決して見逃してはいけません。
何百人の遺体、という言葉に、それぞれ、お一人ずつの歴史と人格と尊厳があることを忘れてはいけません。
photo by momosuke2sei from OCNフォトフレンド
しばらく暖かかった大阪ですが、今朝は風がびゅんびゅん吹いて寒いです。
こんなときでも、気がつくとさくらんぼの花が咲いています。
そして、こんなときに、ぼくんちには、もう少ししたら、新車が2台も来ることになっています。
おねいちゃんが4月から新しい職場に通うことになっています。
うまくいくといいのだけれど。。
それから以後、次から次へとものすごいことがおこって、ただただ、テレビに映し出される画面に釘付けでした。
こたつに入って、ぬくぬくとしていることが申し訳ないと思いつつ、何もできない。。
夜になって「関西地区にお住まいのみなさん、関西電力は東北電力への電力提供を始めました。少しの節電でも立派な支援になります。普段挿しっぱなしの電子レンジや炊飯器などのコンセントは抜き・・・」というメールが来た時、そうだそうだ、とすぐに転送。
次に来たとき、少しは冷静になっていたので、ヘンだな、と思いました。
こんなときにいたずらメールを、などと思いますが、節電は大切なこと。
ただし、非常時における流言飛語をおもしろがって発することは許せません。
その気持ちが理解できない。
命を守ること。
娘に対するいらいらや不満が鬱積していたおかあさんでしたが、悲惨な光景を見て、そんなものは吹っ飛んでしまいました。
関東大震災のとき、20歳の母は生まれて間もない長男を抱いて、外に飛び出した、と聞いていました。
奈良でもそんなに揺れたのかと、信じられない思いで聞いていたのでしたが、東北の揺れを感じて、今はいない二人を思い出しています。
揺れを感じて、日本はつながっていると。
早く、早く、被災地で避難している人たちのもとに食料や薬を、と思います。
早く、早く、がれきに埋もれている人を助けて、と思います。
早く、早く、原子力発電所をなんとかして、と思います。
テレビで報道されていないところででも、一生懸命、命をかけて仕事をしている人たちがいることを、決して見逃してはいけません。
何百人の遺体、という言葉に、それぞれ、お一人ずつの歴史と人格と尊厳があることを忘れてはいけません。
photo by momosuke2sei from OCNフォトフレンド
しばらく暖かかった大阪ですが、今朝は風がびゅんびゅん吹いて寒いです。
こんなときでも、気がつくとさくらんぼの花が咲いています。
そして、こんなときに、ぼくんちには、もう少ししたら、新車が2台も来ることになっています。
おねいちゃんが4月から新しい職場に通うことになっています。
うまくいくといいのだけれど。。