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サーティーワンアイス: アメリカ兵の2青年、フリーザー発見から 「コーンは目線で乗せる」

2011年09月10日 22時12分01秒 | 新聞
朝日新聞週末beに、「キミの名は サーティーワンアイスクリーム 戦場のアイスクリームが起源」という記事がありました。

保科龍朗さん(文化くらし報道センター)が、ユニークな名前の企業の起源を解説するコーナーです。

アイスクリームチェーンでは世界最大の「サーティーワン アイスクリーム」は、本家のアメリカでは「バスキン・ロビンス」なのだそうです。

第二次世界大戦中、ニューカレドニア島に派遣されたバート・バスキンとアービン・ロビンスが中古のフリーザーを見つけました。

2人は戦争中もフルーツアイスを作り、1945年にはカリフォルニア州で別々にアイスクリーム店を開業しました。

数年後、「ひと月31日、毎日違ったおいしさを楽しんでもらう」という経営理念を表す「サーティーワン」ブランドで合弁しました。

アメリカ本社で商品化された味は1千種類を超える、ということです。
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サーティーワンアイスクリームが最初に地元で開店したときの驚きと興味を思い出しました。

さっそく行って、真っ黒の「リコリス」を食べ、「うっへー、こんな味のアイスもありなの」。それでも懲りずに、今でも見かけると寄りたくなります。


アメリカ兵は、フルーツアイスを作ってもよかったのでしょうか。


「サーティーワンアイスクリーム」で見てみると、「サーティーワンアイスクリーム」のホームページが最初に出てきました。
(http://www.31ice.co.jp/参照)

トップページの中央に、「よくあるご質問」があり、そこに「ヒストリー」の項目がありました。

クリックすると、3種類の動画があり、「Baskin & Robbins物語」「アメリカでの31アイスクリーム」「日本での31アイスクリーム」があります。

「Baskin & Robbins物語」を見ると、2人は水兵で島でフリーザーを見つけ、島の様々なフルーツを使ってアイスを作り、兵士仲間に好評だったのだそうです。

終戦後、当時のアメリカではアイスといえばバニラ、チョコレート、ストロベリー程度だったところに、各種アイスを提供して人気が出たとありました。

日本では、1974年4月の東京・目黒店が第1号店なのだそうです。

現在では、世界40カ国5800店舗を展開している   とのことです。


「サーティワンアイスクリームで働いてるけど質問ある? : 社会生活VIP」というサイトもありました。
(http://minisoku.blog97.fc2.com/blog-entry-992.html参照)

サーティワンで実際に働いている方が、ネットでの質問に答えています。

「アイスを上手に乗せるコツ」は、「コーンに乗せるときは目線に持ってくるとやりやすい、あとは慣れ」とか

「6個パックを頼むときは、どう注文すれば分かりやすい」には、「リストちらしに○が助かるけど、口頭でももちろんいいです」

等、おもしろい回答も多くありました。


保科龍朗さんは、企業に詳しい方なのだろうかと検索したら、

「保科 龍朗 - 朝日新聞社 採用情報ページ」が最初に出てきました。

朝日新聞が就職したい方向けに、現場で働いている方の仕事を紹介しているサイトです。
(http://www.asahishimbun-saiyou.com/bumon_kisya17.html参照)

最初は警察を中心に一般紙面を担当していて、映画(日曜版)、AERA、週刊朝日を経て、現在は週末beのエンターテイメント担当なのだそうです。


兵士からアイスクリーム店経営者になったお2人、警察担当からを雑誌を経てbeを担当している記者の方、スタートからいろいろな変化があって今に至っていらっしゃるのだと思いました。


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