ある40代女性の生活

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ホラニ龍コリニアシさん: トンガの優等生→日本(シャイ、納豆)→日本語覚え、練習→ラグビー日本代表

2011年09月04日 09時53分41秒 | 新聞
今日の朝日新聞GLOBEに、「突破する力 ホラニ龍コリニアシ ラグビー日本代表 あこがれの国で待ちかまえていたのは納豆とみそ汁と孤独。練習と日本語習得が道を開いた」という記事がありました。

困難な状況を突破した方にお話しをうかがうコーナーです。

ホラニ龍コリニアシさん(ラグビー日本代表)は、トンガでは優等生でしたが、日本に来てラグビーを始め、友だちもいなかったのを日本語学習と練習で、日本代表になったのだそうです。

ホラニさんは、トンガで生まれました。

ラグビーが盛んな国ですが、お母さんは「トンガ人はラグビーに熱中すると、ほかのことがいい加減になる」という考えでした。

吹奏楽部でトロンボーンを吹き、勉強は中学でトップクラスでした。

15歳のときに、日本の高校から「ラグビーをしないか」と声がかかります。
180cmを超える体を見込んでのことでした。

お母さんのお兄さんの、ノフォムリ・タウモエフォウラさんは、元ラグビー日本代表であこがれの人です。
埼玉工大深谷高(現・正智深谷高)に行くことにしました。

日本では、シャイな性格なうえ言葉も分かりません。
同級生が寮の部屋に来てくれても、黙って音楽を聴いているような青年でした。

納豆や味噌汁・ご飯の食事にもなじめず、試合では相手チームから「でくの坊」「ただの外人」と言われます。

このままではだめだ。

友だちを作るため、日本語を必死で覚え、日本人の集まりに顔を出し、監督の「で~」という口癖をまねして笑いを取りました。

練習では、ランニングの先頭を走り、早朝に1人で練習もしました。

「誰よりも必死に練習していた。それに、僕らを厚く信頼してくれたから、みんなも彼を信頼した」(同級生だった神尾卓志選手)

3年生で主将に選ばれ、全国高校大会では準優勝します。

埼玉工大進学後、三洋電機(現パナソニック)に入社。

2006年に結婚し、2007年に長女誕生を機に日本国籍取得。
三洋電機でレギュラー、2008年に日本代表に選ばれた   ということです。
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すごいなぁという感想です。

高校に来たときに、シャイで友だちもできず、食事になじめなかったとき、帰るという選択肢もあったのです。
それを練習と日本語を覚えることで打開しようと決意し、1年2年と続けることで事態が好転したのでした。

2、3日とか1週間で結果が出るものではありませんので、その間はつらい状況のまま、頑張り続けてみるしかありません。

その頃のホラニ選手に「がんばれ」と応援したい気持ちになりました。

一番大変なのは、どん底にいるときに、上へ向かうために行動を起こし、成果が出るまで試行錯誤しつつ何とか続けることではないでしょうか。

「こうすればうまくいく」というコツがつかめれば、後は工夫しつつ続けることができます。


ホラニ選手のことを知らなかったので、「ホラニ龍コリニアシ」さんで見てみました。

「ホラニ・龍コリニアシ - Panasonic」というパナソニックのサイトがありました。
(http://panasonic.co.jp/sanyo/social/rugby/member/h_coriniasi.html参照)

趣味は、音楽、料理、読書
宝物は、家族

バイスキャプテンで、No.8、フォワード  とありました。


「【「桜」のキーマン】(3)ホラニ龍コリニアシ トンガ生まれ、日本仕込みのラガーマン」という産経ニュースの記事もありました。
(http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110903/oth11090318250017-n1.htm参照)

ラグビー日本代表は、30人中10人が外国出身者が占めるのだそうです。

名前の「龍」は、亡くなった高校時代の後輩の戒名に「龍」の字があり、「彼の分まで生きよう」と日本国籍取得の際に入れた

ともありました。


15歳の少年の努力に心を動かされました。

記事には、「身についた日本人としての礼儀正しさや義理堅さを誇りに感じている」とも書かれていました。


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