Good Frlend!(motovlog)

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1990年代にあった過去のWGPチャンピオンマシン、ヤマハ・YZR500。(番外編VOL.3296)

2022-06-28 00:00:28 | 日記

1980年代は「機械的なパーツの飛躍」が凄まじかったこのヤマハ「YZR500」も、新たなな世代を迎える前年の1989年モデル(OW-A型)から「電子制御の飛躍」へとシフトしていく事となります。

で、迎えた1990年代、この時代のヤマハワークスと言えば、あの天才「ケニー・ロバーツ選手」が発掘したアメリカの秘蔵っ子で、天才&秀才ライダーの「ウェイン・レイニー選手」の存在ですよね。

彼の戦歴を振り返りますと、1988年よりチーム「ロバーツ・ヤマハ」でWGPに参戦し、1990年から1992年までの3年間、連続して「ワールドチャンピオン」に輝くと言う快挙をなし得ています。

とにかく、この「ウエイン・レイニー選手」を語ると、若い頃から「秀でた才能」を誇っており、性格的には非常に緻密にレース展開をするタイプで「慎重かつ速い!」と言うものでした。

さらに、この時代の「YZR500」と言えば、先ほど話した通り「電子制御が劇的に飛躍」した時代で、エンジンの吸排気からサスペンションの制御まで、全てが電子システム化される事となっていきます。

で、2ストからなる500ccエンジンに関してですが、ホンダが「112度」もバンクを掛けたV型エンジンに対して、ヤマハのV型は「70度」と非常に狭い角度になってた事も特徴だったりします。

また、ちょうどこの頃よりそれまでの「数字」で表してた「マシンの名称」を「アルファベット」で表す様に変更され、例えば「ウェイン・レイニー選手」が最初にタイトルを獲得した1990年モデルなら、

アルファベットの「C」からなる「OW-C型」とされ、また翌年の1991年モデルが「OW-D型」、そしてさらに1992年モデルが「OW-E型」と言う事になっていきます。

これ、最終となる2002年モデルで「OW-L型」まで行きますから、1年単位で飛び飛びになりますが、要するに世に出なかったモデルを含め「A型〜L型」まであったと言う事ですね。(笑)

さらに、この「YZR500」の特徴としては、1980年代の中盤からあった独自開発の「デルタボックフレーム」の進化と、他社よりいち早く開発を進めた「倒立フォーク」の導入があったりします。

残念ながら「ウェイン・レイニー選手」のチャンピオン以降、最後の最後までホンダやスズキに勝利を持っていかれる結果となるのですが、1990年代後半に向かってはストレートで速いマシンではなく、

マシンの特性として「コーナリング重視」で速かった事が、ボク個人の印象としては残っています。多分ですが、意図的にそうゆう仕様のマシン開発であったと思われます。(笑)

また、この時代に活躍する優秀な選手として、ホンダなら「マイケル(ミック)ドゥーハン選手」や、スズキだと「ケビン・シュワンツ選手」など、「ウェイン・レイニー選手」の引退以降、

彼らにまさる選手が「ヤマハワークスに存在しなかった」事が、この時代のヤマハにとっての敗因の1つと考えられ、そう思えば決してマシン性能が劣っていたと言う事ではなかったと思われます。

で、これもレースファンなら良く知ってる話ですが、1993年のイタリアGPの事故で「ウェイン・レイニー選手」が「下半身付随」と言う大怪我で、彼のレース人生が早々と終ってしまった事は、

その後のヤマハにとって「大きな痛手」となりましたし、何より彼の人生も含めて残念だどしか言いようがありませでした。

ただ、これはあくまでボクの想像の範囲でしかありませんが、その跡を追いかけていた天才ライダーの1人、アメリカ人ライダーの天才「ジョン・コシンスキー選手」が、

もっと大人の対応(チームに対してあまりに言動が良くなかった…)でレースに臨んでいれば、彼自身もヤマハワークスから解雇されず「ウェイン・レイニー選手」の次のヤマハ世代を背負って、

後にタイトルを獲得出来た可能性があった気がします。まぁ、これは完全にボクの主観からる、あくまでたらればで、そうならなかったかもしれませんけどね。(笑)

結果的には、1992年の「ウエイン・レイニー選手」のチャンピオ獲得以降、2002年の2スト500cc終焉まで、ヤマハワークスでワールドチャンピオンに輝く選手は1人も現れませんでした。

そして、2003年から「WGP」より「motoGP」への改定で、ヤマハワークスとしては次に登場する、4ストマシンの「YZR-M 1」へとシバトンタッチする事となり現在に至る経緯です。

昔から一般の市販車も含め、常にホンダに続く「ナンバー2」のポジションに甘んじるヤマハと言うメーカーですが、どうしても個人的には納得出来ない部分があって、

特にオートバイレースにおいては、もう1つ何かが足りてれば、この1990年代だって、もっと「素晴らしい戦歴」を残す事が出来たんじゃないかって、気がしてならないんですよね!(笑)





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