これは先に言っておきますが、これはあくまで武勇伝としての話ではなく、当時はこんな風だったと言うお話です。(笑)
時代は80年代中盤、当時のボクはまだ10代でよく言われる「峠小僧」、
正確な年号で言うと1984〜1986年頃だったのですが、とにかく「峠を責める」が大流行し始めた頃です。
ボクもそんなカルチャーに飲み込まれる形でオートバイの免許を取得し、
貧乏だったにも関わらず無理をしてオートバイ(ヤマハ-RZ250R)を購入し、
立ちゴケをするほど下手くそレベルの運転技術で初っ端から「峠」ばかり通ってました。(笑)
当時のボクは京都で専門学生だったのですが、
京都で走り屋の峠といえば太秦映画村よりちょっと西に行った「高尾山」か、滋賀と京都の境にあった「比叡山」でした。
そこで3年近く、学校もそこそこに毎日通って、気がつけば知らないうちに「峠仲間」が出来てて、
一緒にバトルしたり、オートバイを、アレコレいじったりしてたんですよね。
そんなある日、誰かが「六甲山に行こう」って言い出し、何台かで遠征する事になった訳です。
当時は西日本で最強のライダーが集まる聖地が「六甲山」だったので、ある意味「腕試し」の様な感じです。
なので、自分たちが「どれぐらいのレベルにあるのか?」知りたかったんですよね。
で、あの時の光景は今でもよく覚えていますが、とにかく六甲山を走る峠小僧の攻め方が凄かったです。(笑)
また、プロレーサーばりのライダーでごった返してて、中にはトランスポーターで運んできたプレート無しのバイクもいたほどです。
台数も凄くて各コーナーに何十台もオートバイが止まってる状態。
我々もギャラリーをしに来た訳ではないので、早速その人たちに加わって無我夢中で走りました。
結果は「後ろから煽られまくり」です。(笑)
走るコースをしっかり熟知出来てなかった事もありますが、とにかく周りが速すぎて波に乗れない状態でした。
結局、帰りは反省会の様な感じで夕食を食べて、京都まで逃げる様に帰りました。(笑)
ただ、1つ大きな思い出になったのは、その後モリワキでプロライダーになった「宮城光」さんを見かけた事です。
もう、既に六甲山の「カリスマ」になってて、大勢いた中でみんなが注目してたから直ぐに分かりました。
確か、ボクの記憶が確かならシルバーのホンダ「CB750F」に乗ってたはずです。
赤ならもろ漫画バリバリ伝説の巨摩郡ですね。(笑)
ほとんど休憩する事なく走りまくってましたが、すんげ〜速かったです。
ボクは、外コーナーから見てたのですが、とにかくバンク角が凄くてバイクと右足しか見えない…、
もしかしたらパフォーマンス的な部分もあったのかもしれませんが、あれは、既にマルケス状態に近かったです。(笑)
それでなくても中型バイクばかりの中に、大型バイクで攻めてる姿は目立ってましたしね。
これが、ボクにとって最初に行った「六甲山」の思い出です。
今日は、まぁ、若かりし頃オートバイに乗ってそんな事があったってお話でした。(笑)