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昨今は、専門家でない一般庶民でも写真技術が駆使できるようになり、超常現象やUFOだと言われるフェイク写真がたくさん出回るようになった。
こうした巧妙な写真は、万人の厳しい目にさらされる反面、直感的にフェイクじゃね?と思っても、ホンモノなのかどうかを即座に知るのはなかなか難しい。
フェイクか否かという話は、フォトショなどによって簡単に写真加工ができるデジタル技術が発達した現代の話だけのように思えるが、昔から人々がいかにもインチキな幽霊写真に騙されてきたことを知ったら、驚くかもしれない。
写真に手を加えてトリック写真を作り上げるという行為は古くからおこなわれており、その歴史は19世紀にさかのぼる。
1800年代に「交霊術」が爆発的に流行り始めると、とくに顕著にみられるようになり、トリックの対象が幽霊になった。
一般の人々が死後の世界という考え方を受け入れるようになり、幽霊や霊と交信する方法を積極的に探し始め、その存在の証拠をとらえようとした時期でもある。
それに乗じて、霊媒師たちが交霊会で自分の体を通して、壁やテーブルを叩くなどの合図で幽霊に話をさせ始めた。必然的に、目に見える媒体としての写真の世界が急成長することになった。
1860年代までにこうした心霊主義ブームが広まり、霊媒師が大流行り、一般庶民から社会のエリートまであらゆる人たちがのめり込み、町のいたるところで霊媒事業が雨後の筍の如く出現した。
そんな時期、ウィリアム・マムラーというアマチュア写真家が、ボストンにある自分のスタジオでセンセーションを引き起こした。
マムラーはプロの写真家ではなく、化学者、銀細工師だったが、まだ一般にはあまり知られていなかった新しい写真分野を手がけ、亡くなった人の幽霊の写真を撮る技術を開発したと主張した。
たまたま、死んだ自分のいとこの写真を撮ったときに、初めてその技術を発見したという。反響が大きいことを知るや、彼は死んだ親戚や有名人の"幽霊"写真をいつでも撮影することができると豪語し、証拠の写真を見せびらかした。
心霊主義が大流行りしていたこともあり、写真技術の仕組みもまだあまりよく知られていなかった時代のことだ。写真そのものが珍しかったところに、幽霊の写真を撮ったと言い始めたため、たちまちマムラーは有名人になった。
全国からマムラーのもとには、大切な人を亡くした客たちが押し寄せ、故人と一緒に写真を撮ってもらいたがった。
料金がとれるため、当然のことながらマムラーはホクホクだった。遺族たちは、自分の傍らや後ろに亡くなった家族や友人のぼんやりとした姿が現れるとたいそう驚き、畏敬の念を禁じえなかった。本来なら見えないはずの幽霊の姿がフィルムにとらえられたのだ。
今まで、こんなことをやった者は誰もいなかった。マムラーはこれでひと財産築くことができた。
写真を見た遺族は、どうしたらこんなことができるのか戸惑うも、たいていは思い出に浸りつつ、そのまま立ち去っていった。
実際には今日ではよく知られている写真上のトリックだった可能性が高い。カメラ技術が出始めの頃は知られていなかったが、二重露光と呼ばれているものだ。
この技術の発見は偶然の産物だったようだ。マムラーは、使用済みのネガを使って自分自身の写真を撮って現像した写真に、もうひとりべつの人物が写っているのを見て驚いた。
これが始まりだった。彼はすぐになにが起きたのかに気づき、この不思議な現象を巧みに利用して、心霊主義ムーブメントに乗じ、独立戦争の戦死者の遺族の悲しみにつけこんでビジネスにした。
死者の生前の姿が写ったガラスの感光板を、顧客の姿が写っている新しい板の上に置いて一緒に現像すれば像が重なって、いかにもな心霊写真ができあがる。
ほとんどの場合、マムラーは死んだ本人の写真ではなく、ぼんやりと不鮮明な赤の他人の写真を使って自分で心霊写真をでっちあげ、顧客にそれが死んだ家族だと信じ込ませた。故人に会えるのならなんでもするという人たちが簡単に騙されてしまったのだ。
この二重露光の原理は、マムラーが発見するずいぶん前から使われていたが、一般庶民はまだ知らなかった。
写真技術の新たな発明のうちでもかなり斬新なこの二重露光は、おもに写真を修正するのに利用されていたが、偽の幽霊写真を作るために使われたことはなかったため、ほとんどの人がまんまとひっかった。
もちろん、疑いをいだく人たちもいた。有名どころでは、ショーマンのP・T・バーナムだ。彼はマムラーのたくらみを知り、人々の悲しみにつけこんで詐欺を働こうとしていると考え、非難した。
だが、マムラーを知る多くの人は本物だと信じていたため、マムラーはずっとお咎めなしでうまいこと切り抜け、心霊写真家の元祖、有名な成功者として知られるようになった。
マムラーは、心霊写真撮影一回につき、5ドルから10ドルを要求したが、これは当時としてはかなりの金額だった。儲かる仕事だとして模倣する者が現れ、ネガの重ね焼きや二重露光などさまざまな技術で心霊効果を狙ったが、やはり元祖であるマムラーがもっとも安定した地位を築いていた。
マムラーがもう少し用心深かったら、その地位をもっと長く保っていられたかもしれない。味をしめた彼はさらに風変わりな心霊写真を作り始めた。
あのエイブラハム・リンカーン大統領が、妻のメアリー・トッド・リンカーンの写真に写り込んでいるものだ。まだ生きている人たちの写真に不気味な幽霊が写り込み始めたことで、却ってペテンが
目立つようになってしまった。
妻の写真の背後に写し出されたエイブラハム・リンカーン
マムラーは詐欺の罪で裁判にかけられた。天敵のバーナムがリンカーンと一緒にポーズをとる自分の写真を作ってみせたが、結局マムラーは有罪にはならなかった。
だが、その名声は地に落ち、二度と心霊写真ビジネスを手掛けることはなかった。
とはいえ、マムラーは、写真現像に使う化学の分野で成功したキャリアを築き続けた。初めて新聞に写真を掲載することのできる"マムラー法"を開発し、ジャーナリズム界に革命を起こした。
マムラーの心霊写真はでっちあげだったことが暴露されたにもかかわらず、驚いたことに心霊写真ブームは不動の人気として根づき、イギリスの心霊主義者で写真家のウィリアム・ホープのような第二のマムラーが現れた。
心霊写真ブームは相変わらずで、『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として知られる、あの有名なアーサー・コナン・ドイルでさえ、ホープを支持した。
多くの人が自分でカメラを持つようになると、心霊写真だと言われているものは徐々にありふれたものになっていった。
20世紀に入っても、相変わらず人気は衰えなかったが、フェイクやでっちあげがますます出回るようになるにつれてすたれていった。
だが、本当に心霊写真ブームは消えてしまったのだろうか? 現代でさえ、心霊写真を意図的にでっちあげようとする者はいるし、超常現象サイトにこうした写真には事欠かず、混乱と議論を巻き起こしている。
本物である可能性のあるすべての写真には、多くのニセモノもつきもので、必ずしも写真が決定的な証拠にはならなくなるほどだ。
その真偽を調べるために、我々人間のほうが心理テストをしなければならないのかもしれない。だが、こうしたことは今に始まった話ではない。
今でも、心霊写真だと言われるものを見て、"こんなのでっちあげだ"と叫ぶなら、その出どころを知るのが先決だろう。
References:The Strange Tale of the Father of Fake Ghost Photos | Mysterious Universe/
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こうした巧妙な写真は、万人の厳しい目にさらされる反面、直感的にフェイクじゃね?と思っても、ホンモノなのかどうかを即座に知るのはなかなか難しい。
フェイクか否かという話は、フォトショなどによって簡単に写真加工ができるデジタル技術が発達した現代の話だけのように思えるが、昔から人々がいかにもインチキな幽霊写真に騙されてきたことを知ったら、驚くかもしれない。
心霊写真捏造の歴史は19世紀から
写真に手を加えてトリック写真を作り上げるという行為は古くからおこなわれており、その歴史は19世紀にさかのぼる。
1800年代に「交霊術」が爆発的に流行り始めると、とくに顕著にみられるようになり、トリックの対象が幽霊になった。
一般の人々が死後の世界という考え方を受け入れるようになり、幽霊や霊と交信する方法を積極的に探し始め、その存在の証拠をとらえようとした時期でもある。
それに乗じて、霊媒師たちが交霊会で自分の体を通して、壁やテーブルを叩くなどの合図で幽霊に話をさせ始めた。必然的に、目に見える媒体としての写真の世界が急成長することになった。
1860年代までにこうした心霊主義ブームが広まり、霊媒師が大流行り、一般庶民から社会のエリートまであらゆる人たちがのめり込み、町のいたるところで霊媒事業が雨後の筍の如く出現した。
偶然、偽心霊写真の技術を発見したウィリアム・マムラー
そんな時期、ウィリアム・マムラーというアマチュア写真家が、ボストンにある自分のスタジオでセンセーションを引き起こした。
マムラーはプロの写真家ではなく、化学者、銀細工師だったが、まだ一般にはあまり知られていなかった新しい写真分野を手がけ、亡くなった人の幽霊の写真を撮る技術を開発したと主張した。
たまたま、死んだ自分のいとこの写真を撮ったときに、初めてその技術を発見したという。反響が大きいことを知るや、彼は死んだ親戚や有名人の"幽霊"写真をいつでも撮影することができると豪語し、証拠の写真を見せびらかした。
心霊主義が大流行りしていたこともあり、写真技術の仕組みもまだあまりよく知られていなかった時代のことだ。写真そのものが珍しかったところに、幽霊の写真を撮ったと言い始めたため、たちまちマムラーは有名人になった。
全国からマムラーのもとには、大切な人を亡くした客たちが押し寄せ、故人と一緒に写真を撮ってもらいたがった。
料金がとれるため、当然のことながらマムラーはホクホクだった。遺族たちは、自分の傍らや後ろに亡くなった家族や友人のぼんやりとした姿が現れるとたいそう驚き、畏敬の念を禁じえなかった。本来なら見えないはずの幽霊の姿がフィルムにとらえられたのだ。
今まで、こんなことをやった者は誰もいなかった。マムラーはこれでひと財産築くことができた。
写真を見た遺族は、どうしたらこんなことができるのか戸惑うも、たいていは思い出に浸りつつ、そのまま立ち去っていった。
二重露光で赤の他人を写し出す
実際には今日ではよく知られている写真上のトリックだった可能性が高い。カメラ技術が出始めの頃は知られていなかったが、二重露光と呼ばれているものだ。
この技術の発見は偶然の産物だったようだ。マムラーは、使用済みのネガを使って自分自身の写真を撮って現像した写真に、もうひとりべつの人物が写っているのを見て驚いた。
これが始まりだった。彼はすぐになにが起きたのかに気づき、この不思議な現象を巧みに利用して、心霊主義ムーブメントに乗じ、独立戦争の戦死者の遺族の悲しみにつけこんでビジネスにした。
死者の生前の姿が写ったガラスの感光板を、顧客の姿が写っている新しい板の上に置いて一緒に現像すれば像が重なって、いかにもな心霊写真ができあがる。
ほとんどの場合、マムラーは死んだ本人の写真ではなく、ぼんやりと不鮮明な赤の他人の写真を使って自分で心霊写真をでっちあげ、顧客にそれが死んだ家族だと信じ込ませた。故人に会えるのならなんでもするという人たちが簡単に騙されてしまったのだ。
元祖心霊写真家として一躍有名に
この二重露光の原理は、マムラーが発見するずいぶん前から使われていたが、一般庶民はまだ知らなかった。
写真技術の新たな発明のうちでもかなり斬新なこの二重露光は、おもに写真を修正するのに利用されていたが、偽の幽霊写真を作るために使われたことはなかったため、ほとんどの人がまんまとひっかった。
もちろん、疑いをいだく人たちもいた。有名どころでは、ショーマンのP・T・バーナムだ。彼はマムラーのたくらみを知り、人々の悲しみにつけこんで詐欺を働こうとしていると考え、非難した。
だが、マムラーを知る多くの人は本物だと信じていたため、マムラーはずっとお咎めなしでうまいこと切り抜け、心霊写真家の元祖、有名な成功者として知られるようになった。
マムラーの失敗
マムラーは、心霊写真撮影一回につき、5ドルから10ドルを要求したが、これは当時としてはかなりの金額だった。儲かる仕事だとして模倣する者が現れ、ネガの重ね焼きや二重露光などさまざまな技術で心霊効果を狙ったが、やはり元祖であるマムラーがもっとも安定した地位を築いていた。
マムラーがもう少し用心深かったら、その地位をもっと長く保っていられたかもしれない。味をしめた彼はさらに風変わりな心霊写真を作り始めた。
あのエイブラハム・リンカーン大統領が、妻のメアリー・トッド・リンカーンの写真に写り込んでいるものだ。まだ生きている人たちの写真に不気味な幽霊が写り込み始めたことで、却ってペテンが
目立つようになってしまった。
妻の写真の背後に写し出されたエイブラハム・リンカーン
マムラーは詐欺の罪で裁判にかけられた。天敵のバーナムがリンカーンと一緒にポーズをとる自分の写真を作ってみせたが、結局マムラーは有罪にはならなかった。
だが、その名声は地に落ち、二度と心霊写真ビジネスを手掛けることはなかった。
とはいえ、マムラーは、写真現像に使う化学の分野で成功したキャリアを築き続けた。初めて新聞に写真を掲載することのできる"マムラー法"を開発し、ジャーナリズム界に革命を起こした。
第二のマムラーが登場。心霊写真ブームは不動の人気に
マムラーの心霊写真はでっちあげだったことが暴露されたにもかかわらず、驚いたことに心霊写真ブームは不動の人気として根づき、イギリスの心霊主義者で写真家のウィリアム・ホープのような第二のマムラーが現れた。
心霊写真ブームは相変わらずで、『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として知られる、あの有名なアーサー・コナン・ドイルでさえ、ホープを支持した。
カメラの一般化で心霊写真ブームは下火に
多くの人が自分でカメラを持つようになると、心霊写真だと言われているものは徐々にありふれたものになっていった。
20世紀に入っても、相変わらず人気は衰えなかったが、フェイクやでっちあげがますます出回るようになるにつれてすたれていった。
だが、本当に心霊写真ブームは消えてしまったのだろうか? 現代でさえ、心霊写真を意図的にでっちあげようとする者はいるし、超常現象サイトにこうした写真には事欠かず、混乱と議論を巻き起こしている。
本物である可能性のあるすべての写真には、多くのニセモノもつきもので、必ずしも写真が決定的な証拠にはならなくなるほどだ。
その真偽を調べるために、我々人間のほうが心理テストをしなければならないのかもしれない。だが、こうしたことは今に始まった話ではない。
今でも、心霊写真だと言われるものを見て、"こんなのでっちあげだ"と叫ぶなら、その出どころを知るのが先決だろう。
References:The Strange Tale of the Father of Fake Ghost Photos | Mysterious Universe/
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