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鉛筆、消しゴム、分度器などなど、学校生活を営む上で当たり前のようにお世話になった学用品やっ文房具。
だが、それがいつの頃から学校で使われるようになったのか考えたことがある人はそうは多くないだろう。ものによってはありえないくらい古い時代から存在していたり、ものによっては日本が起源のものもある。
それではそんな10の学用品の起源を見ていくことにしよう、そうしよう。
古代ローマで使われていた尖筆がえんぴつの起源だ。初期のものは鉛でできていた。それがグラファイトに変わったのは、1564年のイングランドである。
グラファイトはパピルスにくっきりと線を引くことができた。やがてグラファイトを保護するホルダーが登場する。最初はただ紐を巻いただけだったが、のちに中空の木製ホルダーに変わる。近代的なえんぴつが登場するのは、1662年、ドイツ、ニュルンベルクである。
また機械で製造されるようになったのは、イギリスとの戦争によって輸入が停止された1812年が最初だ。19世紀後半になると、アメリカで大量生産されるようになる。エンピツビャクシンという木から作られ、1890年には美しいフィニッシュまで塗られるようになる。その色は、良質のグラファイトの産地であった中国への敬意を表するため明るい黄色だった。
消しゴムが初めて登場する1770年よりも前の時代、えんぴつの書き間違えは小さなゴムやワックスの板で修正された。またインクの書き間違えはサンドストーンや軽石で削られた。日本の作家は柔らかいパンを使ったという。
初めて弾力あるゴムを使用したのはイギリスの技士エドワード・ネアーンである。当時それはラバーと呼ばれ、えんぴつの跡を消すことができた。彼はその効果に驚き、販売することにする。こうして1770~1778年にその物体はラバー(消しゴム)と呼ばれるようになった。
初期の消しゴムはすぐに崩れてしまうという欠点があった。また悪臭を放ち、天候によっても影響を受けた。しかしチャールズ・グッドイヤーが加硫を発明すると、問題は一気に解決され、耐久性も優れるようになる。えんぴつの反対側に消しゴムと取り付けたのは、これで特許を取得したハイメン・リップマンである。
1888年、なめし革工場で働いていたジョン・ラウドが革にマークをつけるために考案したのを皮切りに、350名もの発明家がそれぞれの設計で特許を申請したのがボールペンだ。だが、いずれも製品化されるには至っていない。インクの粘性の調整が難しかったのだ。粘性が低ければ漏れてしまうし、高過ぎれば詰まってしまう。しかも粘度は気温に左右された。
1935年、ジャーナリストのビーロー・ラースローは万年筆の性能に満足がいかず、弟とともにより使いやすいペンの開発に取り組む。重力でインクをボールの部分に送る構造を断念したあと、毛細管現象を利用した、インクが吸収されやすいスポンジ状のボールを開発。これによってペンに角度をつけて書くことができるようになった。
これをまずアルゼンチンで販売するが、それほど売れず、その特許は第二次世界大戦後に50万ドルでエバーハード・ファーバー社に売却された。だが同社は生産をためらい、そのうちに特許が切れた。
ビーローをアメリカで生産販売したのがシカゴのセールスマンだったミルトン・レイノルズで、彼はこれで大金持ちになった。やがてライバルまで登場し、一時期ブームにもなるが、製品にはいくつもの欠陥があることも判明した。
これを改善したのがパトリック・J・フロウレイと失業中だった化学者フラン・シーチである。開発されたペーパーマンは、ペン先が引っ込み、インクが滲まないことを売りにしていた。一方、市場に流通するペンを顕微鏡まで使って徹底的に研究したマルセル・ビックはポールポイント・ビックを開発。今、どちらの製品も学校でお馴染みである。
それまで教科書の重要な部分には傍線を引くのが常識であったが、1960年代にそれを変えるきっかけを作ったのがフェルトのペン先を発明した堀江幸夫(ぺんてる創業者)だ。
1963年、カーターズインク社はこれに似たハイライターを開発。どちらも毛細管現象でインクをペン先にまで浸透させる仕組みを採用していた。
1978年には蛍光色が導入される。以降、フェルトの代わりにポリエチレンビーズを用いた浸透性ヘッドに交換したタイプや、格納式のタイプ、香りのするモデルなどが考案された
分度器は500年間も角度を計り続けている。最も古い記録は、地図製作者トーマス・ブランドヴィルによる1589年の論文の中にある。しかし同時代の他の文献にも記載があることから、彼が発明者であるかどうかは分からない。
17世紀初頭には船乗りに普及するようになる。20世紀までには学校でも一般的に使用されるようになった。
円形、長方形、正方形、半円形のものなど、用途に応じて様々な形状がある。真鍮、鉄、象牙、プラスチックなど素材も様々だ。大きさや角度の目盛りもいろいろあり、また定規、雲形定規、ステンシル、サークルゲージなどと組み合わされたものもある。
1876年の世界博覧会で展示された日本の分度器は目盛り30度ごとに干支の動物が描かれていた。
こちらは古代から存在しており、ローマ時代に使用されていたものが大英博物館で所蔵されている。もともとはどちらの足の先端も鋭く尖っており、紙に傷をつけられるようになっていた。やがてインクで円を描くものに変わり、18世紀にはえんぴつが取り付けられるようになる。
素材は真鍮、洋銀、アルミ、スティール、木、プラスチックなど様々。中には装飾が施されているものもある。また足の部分にノブがあり、角度を調節できるタイプもある。小学校でお馴染みだが、数学者、機械工、エンジニアなどにも人気だ。
発明したのはドイツの発明家フリードリヒ・ゼネケン。1886年のことだ。のちにバインダーの両脇に8センチ離れた2つのリングが追加され、これが標準的な間隔となった。
1854年にルーズリーフが登場すると、米ロードアイランド州のヘンリー・T・シッソンが2リングと3リングのバインダーを発明するが、大量生産されるようになったのは1899年のことである。半世紀後にはDリングバインダーや4リングバインダーも考案されるが、今日最も一般的なのは3リング式だ。
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ルーズリーフが発明されたのは1854年のことだが、パンチ穴補強シールは1992年まで登場しなかった。
発明者はケネス・J・ルッソとジョージ・ブロックで、もともとは書類が擦り切れがちな病院などでの使用が念頭におかれていた。それ以前は布やプラスチックなどを糊付けすること補強されていたが、これは取り外すことが困難であった。
新しく発明されたものは取り外しがずっと楽で、やがて透明なものや半透明なものも登場する。当初はポリエチレン、ポリエステル、アセテート、ポリスチレン素材のものが標準的な3リングあるいは5リングバインダーに合うようロールに収められていた。
今ではシートの上に貼り付けられているタイプが一般的だ。製品自体は非常に薄いが、2.5センチ四方あたり、30キロの力に耐えることができる。
19世紀末に登場したランチボックスは当初、名前の通り、蓋つきのバケツのような外見だった。それから今度は金属のパン籠のようなタイプになり、蓋を留める留め金が装備された。子供はこれにお弁当を入れて通学し、お父さんはこれを持って出勤した。
初めて市販の弁当箱が登場したのは1902年のこと。ピクニック用の籠のような感じで、ターゲット層を意識したと思われる嬉しそうな子供が描かれていた。
ミッキーマウスの弁当箱が大人気となるのは1950年代で、その1つはスクールバスのような色合いにミッキーとピノキオ、ダンボ、グーフィーといった仲間たちのイラストが描かれていた。
またサーモス社によって大量に作られた弁当箱にはテレビ番組とコラボしたものもあった。『ガンスモーク』、『ロスト・イン・スペース』、『パートリッジ・ファミリー』などが特に人気であった。またバービー人形やビートルズの製品も作られた。
1950~1970年の全盛期には1億2,000万点もの弁当箱が販売されたが、最近の学生には断熱剤入りでバッグにも簡単に入るポリエステル製製品がお馴染みだろう。とはいえ、近頃昔ながらのお弁当箱にリバイバルの兆しが見えているようだ。
これが登場する以前、学生は教科書をストラップでまとめて持ち歩いていた。あるいはそのまま脇の下に抱え込んだり、女子学生なら子供を抱くように抱きかかえて運んだ。
1938年、アウトドア用品を扱っていたゲリー・アウトドア社が世界で初めてジッパー付きのリュックサックを開発する。当時、学生からは見向きもされず、主にキャンプをする人やスキーヤーなどに販売された。
1967年、同社はナイロン製のリュックサックを開発。やはり学生からの人気はそれほどでもなかったが、ジャンスポーツ社が軽量化されたタイプの製品を開発すると、ワシントン大学の学生たちの間でヒット。それから間もなく各地の学生たちの間に広まった。
最近では、スマートフォンやノートPCを入れるポケットが付けられた製品など、現代ならではのリュックサックが登場している。
via:Top 10 Intriguing Origins Of School Supplies
☆ほとんどのものが社会人になっても世話になっとるがな!
鉛筆、消しゴム、分度器などなど、学校生活を営む上で当たり前のようにお世話になった学用品やっ文房具。
だが、それがいつの頃から学校で使われるようになったのか考えたことがある人はそうは多くないだろう。ものによってはありえないくらい古い時代から存在していたり、ものによっては日本が起源のものもある。
それではそんな10の学用品の起源を見ていくことにしよう、そうしよう。
10. 鉛筆
古代ローマで使われていた尖筆がえんぴつの起源だ。初期のものは鉛でできていた。それがグラファイトに変わったのは、1564年のイングランドである。
グラファイトはパピルスにくっきりと線を引くことができた。やがてグラファイトを保護するホルダーが登場する。最初はただ紐を巻いただけだったが、のちに中空の木製ホルダーに変わる。近代的なえんぴつが登場するのは、1662年、ドイツ、ニュルンベルクである。
また機械で製造されるようになったのは、イギリスとの戦争によって輸入が停止された1812年が最初だ。19世紀後半になると、アメリカで大量生産されるようになる。エンピツビャクシンという木から作られ、1890年には美しいフィニッシュまで塗られるようになる。その色は、良質のグラファイトの産地であった中国への敬意を表するため明るい黄色だった。
9. 消しゴム
消しゴムが初めて登場する1770年よりも前の時代、えんぴつの書き間違えは小さなゴムやワックスの板で修正された。またインクの書き間違えはサンドストーンや軽石で削られた。日本の作家は柔らかいパンを使ったという。
初めて弾力あるゴムを使用したのはイギリスの技士エドワード・ネアーンである。当時それはラバーと呼ばれ、えんぴつの跡を消すことができた。彼はその効果に驚き、販売することにする。こうして1770~1778年にその物体はラバー(消しゴム)と呼ばれるようになった。
初期の消しゴムはすぐに崩れてしまうという欠点があった。また悪臭を放ち、天候によっても影響を受けた。しかしチャールズ・グッドイヤーが加硫を発明すると、問題は一気に解決され、耐久性も優れるようになる。えんぴつの反対側に消しゴムと取り付けたのは、これで特許を取得したハイメン・リップマンである。
8. ボールペン
1888年、なめし革工場で働いていたジョン・ラウドが革にマークをつけるために考案したのを皮切りに、350名もの発明家がそれぞれの設計で特許を申請したのがボールペンだ。だが、いずれも製品化されるには至っていない。インクの粘性の調整が難しかったのだ。粘性が低ければ漏れてしまうし、高過ぎれば詰まってしまう。しかも粘度は気温に左右された。
1935年、ジャーナリストのビーロー・ラースローは万年筆の性能に満足がいかず、弟とともにより使いやすいペンの開発に取り組む。重力でインクをボールの部分に送る構造を断念したあと、毛細管現象を利用した、インクが吸収されやすいスポンジ状のボールを開発。これによってペンに角度をつけて書くことができるようになった。
これをまずアルゼンチンで販売するが、それほど売れず、その特許は第二次世界大戦後に50万ドルでエバーハード・ファーバー社に売却された。だが同社は生産をためらい、そのうちに特許が切れた。
ビーローをアメリカで生産販売したのがシカゴのセールスマンだったミルトン・レイノルズで、彼はこれで大金持ちになった。やがてライバルまで登場し、一時期ブームにもなるが、製品にはいくつもの欠陥があることも判明した。
これを改善したのがパトリック・J・フロウレイと失業中だった化学者フラン・シーチである。開発されたペーパーマンは、ペン先が引っ込み、インクが滲まないことを売りにしていた。一方、市場に流通するペンを顕微鏡まで使って徹底的に研究したマルセル・ビックはポールポイント・ビックを開発。今、どちらの製品も学校でお馴染みである。
7. 蛍光マーカー
それまで教科書の重要な部分には傍線を引くのが常識であったが、1960年代にそれを変えるきっかけを作ったのがフェルトのペン先を発明した堀江幸夫(ぺんてる創業者)だ。
1963年、カーターズインク社はこれに似たハイライターを開発。どちらも毛細管現象でインクをペン先にまで浸透させる仕組みを採用していた。
1978年には蛍光色が導入される。以降、フェルトの代わりにポリエチレンビーズを用いた浸透性ヘッドに交換したタイプや、格納式のタイプ、香りのするモデルなどが考案された
6. 分度器
分度器は500年間も角度を計り続けている。最も古い記録は、地図製作者トーマス・ブランドヴィルによる1589年の論文の中にある。しかし同時代の他の文献にも記載があることから、彼が発明者であるかどうかは分からない。
17世紀初頭には船乗りに普及するようになる。20世紀までには学校でも一般的に使用されるようになった。
円形、長方形、正方形、半円形のものなど、用途に応じて様々な形状がある。真鍮、鉄、象牙、プラスチックなど素材も様々だ。大きさや角度の目盛りもいろいろあり、また定規、雲形定規、ステンシル、サークルゲージなどと組み合わされたものもある。
1876年の世界博覧会で展示された日本の分度器は目盛り30度ごとに干支の動物が描かれていた。
5. コンパス
こちらは古代から存在しており、ローマ時代に使用されていたものが大英博物館で所蔵されている。もともとはどちらの足の先端も鋭く尖っており、紙に傷をつけられるようになっていた。やがてインクで円を描くものに変わり、18世紀にはえんぴつが取り付けられるようになる。
素材は真鍮、洋銀、アルミ、スティール、木、プラスチックなど様々。中には装飾が施されているものもある。また足の部分にノブがあり、角度を調節できるタイプもある。小学校でお馴染みだが、数学者、機械工、エンジニアなどにも人気だ。
4. 3リングバインダー
発明したのはドイツの発明家フリードリヒ・ゼネケン。1886年のことだ。のちにバインダーの両脇に8センチ離れた2つのリングが追加され、これが標準的な間隔となった。
1854年にルーズリーフが登場すると、米ロードアイランド州のヘンリー・T・シッソンが2リングと3リングのバインダーを発明するが、大量生産されるようになったのは1899年のことである。半世紀後にはDリングバインダーや4リングバインダーも考案されるが、今日最も一般的なのは3リング式だ。
<script src="http://karapaia.com/js/sp_karapaia_middle_300x250.js"></script>
3. パンチ穴補強シール
ルーズリーフが発明されたのは1854年のことだが、パンチ穴補強シールは1992年まで登場しなかった。
発明者はケネス・J・ルッソとジョージ・ブロックで、もともとは書類が擦り切れがちな病院などでの使用が念頭におかれていた。それ以前は布やプラスチックなどを糊付けすること補強されていたが、これは取り外すことが困難であった。
新しく発明されたものは取り外しがずっと楽で、やがて透明なものや半透明なものも登場する。当初はポリエチレン、ポリエステル、アセテート、ポリスチレン素材のものが標準的な3リングあるいは5リングバインダーに合うようロールに収められていた。
今ではシートの上に貼り付けられているタイプが一般的だ。製品自体は非常に薄いが、2.5センチ四方あたり、30キロの力に耐えることができる。
2. ランチボックス
19世紀末に登場したランチボックスは当初、名前の通り、蓋つきのバケツのような外見だった。それから今度は金属のパン籠のようなタイプになり、蓋を留める留め金が装備された。子供はこれにお弁当を入れて通学し、お父さんはこれを持って出勤した。
初めて市販の弁当箱が登場したのは1902年のこと。ピクニック用の籠のような感じで、ターゲット層を意識したと思われる嬉しそうな子供が描かれていた。
ミッキーマウスの弁当箱が大人気となるのは1950年代で、その1つはスクールバスのような色合いにミッキーとピノキオ、ダンボ、グーフィーといった仲間たちのイラストが描かれていた。
またサーモス社によって大量に作られた弁当箱にはテレビ番組とコラボしたものもあった。『ガンスモーク』、『ロスト・イン・スペース』、『パートリッジ・ファミリー』などが特に人気であった。またバービー人形やビートルズの製品も作られた。
1950~1970年の全盛期には1億2,000万点もの弁当箱が販売されたが、最近の学生には断熱剤入りでバッグにも簡単に入るポリエステル製製品がお馴染みだろう。とはいえ、近頃昔ながらのお弁当箱にリバイバルの兆しが見えているようだ。
1. リュックサック
これが登場する以前、学生は教科書をストラップでまとめて持ち歩いていた。あるいはそのまま脇の下に抱え込んだり、女子学生なら子供を抱くように抱きかかえて運んだ。
1938年、アウトドア用品を扱っていたゲリー・アウトドア社が世界で初めてジッパー付きのリュックサックを開発する。当時、学生からは見向きもされず、主にキャンプをする人やスキーヤーなどに販売された。
1967年、同社はナイロン製のリュックサックを開発。やはり学生からの人気はそれほどでもなかったが、ジャンスポーツ社が軽量化されたタイプの製品を開発すると、ワシントン大学の学生たちの間でヒット。それから間もなく各地の学生たちの間に広まった。
最近では、スマートフォンやノートPCを入れるポケットが付けられた製品など、現代ならではのリュックサックが登場している。
via:Top 10 Intriguing Origins Of School Supplies
☆ほとんどのものが社会人になっても世話になっとるがな!