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遺体防腐処理。エンバーミングに関する驚くべき10の歴史的事実

2016年12月16日 | 世界びっくりニュース
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 エンバーミングは、遺体に防腐処置を施して生きていたときのままの姿で長期保存するために行われる技術だ。遺体保存の理由宗教上、教育上公開葬儀など様々だ。土葬が基本の地域では、遺体から感染症が蔓延するのを防止する目的もある。

 これまで歴史の中で行なわれてきたエンバーミングには、込み入った事情が絡んでいるものもあり、それが現代のエンバーミング技術の発展につながることもあった。ここでは歴史的なエンバーミングに関する10の事実を見ていこう。

10. レオナルド・ダ・ヴィンチが取り組んだエンバーミング


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 15世紀、人体を解剖学的にとことん理解したいという欲望が高じて、遺体の保存という新たな試行錯誤の技術がもたらされた。この挑戦に取り組んだもっとも有名な人物のひとりが、レオナルド・ダ・ヴィンチである。

 彼は静脈にさまざまに調合した溶液を注入する方法を残している。ダ・ヴィンチが研究によって編み出した防腐保存液は、ラベンダーオイル、ロジン、ワイン、テレビン油、硝酸ナトリウム、硝酸カリウム、樟脳それに蝋だった。それから2世紀後、ピョートル大帝は、フレデリクス・ルイシの解剖人体の標本などのコレクション「驚異の部屋」“repository of curiosities”を手に入れた。

 注入されていた秘密の薬液(liquor balsamicum)の成分は、凝固したブタの血、紺青、酸化水銀だった。ピ
ョートル大帝は、ルイシのこの薬液の効力に驚いて、「余は4歳の少年少女たちの血管がよみがえり、目を開き、滑らかな体になっているのを見た。彼らはアルコール浸けにすらなっていないというのに」と驚きの声をあげたという。


9. 戦死した遺体を持ち帰るために発達したエンバーミング


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 アメリカでは南北戦争(1861年 - 1865年)のとき、戦死した兵士を遠路はるばる家に送り届けなくてはならない状況から、エンバーミングの必要性が急に高まった。

 リンカーン大統領の親友、エルマー・E・エルズワース大佐の戦死後、外科医のトーマス・ホームズがエルズワースの遺体のエンバーミングを任された。その後、ホームズの仕事はその特殊性ゆえに需要が増し、リンカーン夫人からも称賛された。

 ホームズは、独自の秘密の防腐保存液を1ガロン3ドルで売り始め、医療部隊の隊長の任命を引き受けた。将校ひとりにつき50ドル(当時の値段)、下士官は25ドルでエンバーミングを請け負ったが、その金額は80ドルと30ドルにそれぞれ値上がりしている。

 エンバーミングは儲かるという噂が広まり、外科医や薬剤師を始め猫も杓子も戦場にこぞって集まり、死んだ兵士の遺体を探し回った。遺族がありがたがって金を払うことがわかっていたからだ。エンバーミングが専門の軍人ではなく日和見主義の市民によって行われていたことに当惑するが、未来のエンバーミングのためには前進となった。


8. 166年間公開された歯科医の妻の遺体


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 マルティン・ヴァン・バッチェルはエキセントリックな歯医者だった。彼はしきたりにとらわれない型破りな生活を送った男で、立派な専門職に就いていたにもかかわらず、その社会的、職業的な作法は受け入れられないことが多かった。

 バッチェルの妻メアリーが死去したのは1775年。バッチェルは、クイーン・シャルロットの分娩を扱ったこともある、解剖学者として評判の高い友人のウィリアム・ハンターの助けをかりて、亡くなった妻の遺体を防腐処置した。

 さらにその遺体を自分の仕事場の窓辺に展示して一般に公開したのだ。モーニングポストは、エンバーミング工程の複雑さを説明し、生々しい詳細まで余すところなく伝えた。やがて、エアリーの保存された遺体はロンドンの王立外科医師会で展示されるようになり、1941年5月にドイツ軍の爆撃で破壊されるまで、166年間公開されていた。


7. 14世紀の人間の心臓


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 14世紀のフランスの修道院の地下から、保存状態のいい人間の心臓が5つ発掘された。興味深かったのはある騎士の心臓で、やはり保存状態のいい妻の遺体と共に埋められていた。

 当時心臓は魂のシンボルと考えられていた。中世後期、ヨーロッパの王族は、古代エジプトの技術を使って医師によってエンバーミング施された。16世紀になると、遺体は洗浄の後、ラベンダーやタイムのようなハーブやスパイスに浸して、パウダーや軟膏で水分を抜かれた。体全体または部分は、蝋のついた布で何重にも巻かれ、蜜蝋で封印されて、鉛の棺か壺の中に納められた。防腐処理のこうした手の込んだ工程が、死後は必ず腐敗する有機物を扱う異例な処置だとすれば、考古学者の夢でもある。


6. ブランデー漬けか?ラム漬けか?ホレーショ・ネルソンの遺体


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 イギリスでもっとも尊敬される英雄といえば、ホレーショ・ネルソン提督だろう。1805年10月、ナポレオン戦争のトラファルガー海戦で致命傷を負い亡くなった。

 ネルソンの船に同行していた外科医のウィリアム・ビーティは、イギリスに戻る長い航海のためにネルソンの遺体をエンバーミングすることに決めた。

 1800年初期の防腐処置はまったく今とは違っていた。ネルソンの遺体はブランデーを満たしたドラム缶の中に安置されたのだ。遺体にどれだけアルコールが浸み込んだかに応じて、頻繁にブランデーが補充されたという。

 船がイギリスに到着したとき、ビーティはラムではなくブランデーを使ったことをこっぴどく批判された。ラムのほうが保存力が優れていると考えられていたからだ。しかし、ネルソンの遺体が死後2ヶ月たっても腐敗していなかったことをその目で確認した船員たちによってビーティの正当性が認められた。

5. 19世紀、遺体は遺族の目の前で処理されていた


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 19世紀になると、エンバーミングはたびたび行われるようになった。だが専門家が店をかまえるようなことはなく、エンバーミングのほとんどは死者が住んでいた個人宅で行われた。当然のことながら、処置の間にそばにいる遺族にとって、過酷なシーンを目の当たりにすることになった。

 エンバーマーは、携帯用のさまざまな道具や装置を運ばなくてはならなかった。遺体を寝かせる冷却テーブル(冷蔵機能はない)、口を閉じるためのマウスクランプ、外科用メス、排液チューブ、ガラスのシリンダー、防腐保存液の入った大型の壺、冷却テーブルを覆う掛け布、化粧品、カール用アイロン、カミソリ、砥石などだ。


4. 故人の遺志に反してエンバーミングの練習台に


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 信仰に従って、マデリーン・ポストは自分の遺体は火葬にするよう指示していた。ところが2000年11月、ポストはガンで亡くなったが、その遺体はフロリダのフォートローダーデールの火葬場ではなく、リン大学のエンバーミングを学ぶ学生の実習のために"貸し出された"。

 さんざん練習台にされてから、ポストの遺体はやっと荼毘に付された。ポストの夫ジェフリーが妻の遺体の扱いを知ったのは4ヶ月もたってからだった。当然、ジェフリーは遺体の運搬会社とリン大学と葬儀場を訴えた。大学と葬儀場は最終的に示談で和解した。

 アメリカでは経済的に苦しい家庭が、愛する故人を大学に貸し出すケースが年間600件以上あると言われている。


3. 墓地から流れ出すエンバーミング用のホルムアルデヒド


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 研究によってホルムアルデヒドに発ガン性の影響があることがわかり、エンバーマーはガンや心臓疾患、肺炎になりやすいと結論づけられた。

 その後エンバーマーが毒素にさらされるのを減らすための基準が定められたが、南北戦争時代の墓地や、1800年代から1900年代始めの墓地の近くに住む人は、飲料水が汚染されている可能性があるという恐ろしい事実に直面している。

 1900年より前の時代は、エンバーミング用の液には分解しない毒素である砒素がおもに含まれていた。2002年、アイオワシティの水には、法定制限レベルの3倍の砒素が含まれていることが判明した。研究者たちは、この毒素は墓から土壌に漏れ出していて、雨水や洪水で飲料水に入り込んでいる可能性があると主張している。人間がこの水を飲めば、皮膚、肺、肝臓、膀胱などのガンといった深刻な健康被害が出る可能性がある。


2. ついに正義がなされた


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 遺体がどれだけしっかりとエンバーミングされているかでその保存期間が決まる。例えば、防腐処置を強化すれば、従来のエンバーミングよりもそれだけ遺体のもちは長くなる。

 アフリカ系アメリカ人の人権活動家メドガー・エヴァーズの遺体は、完全にエンバーミングされていたので、暗殺されてから30年たっても、解剖を行うことができた。

 1991年、エヴァーズの遺体がアーリントン国立墓地から掘り起こされた。暗殺の重要な証拠が隠蔽されたという非難の嵐の中、ミシシッピ州の検察が捜査を再開したのだ。検察側はこの重要な証拠が出てくれば、白人至上主義者バイロン・デ・ラ・ベックウィズを有罪にできると信じていた。

 ベックウィズはエヴァーズ殺しの罪で1964年に2度裁判にかけられていたが、2度とも陪審員は全員白人男性で、事件は行き詰っていた。検察が4年の歳月をかけて立件した結果、ベックウィズは有罪となり、エヴァーズの暗殺後31年がたった1994年に終身刑を言い渡された。ベックウィズは2001年に80歳で獄死した。


1. 見世物にされた法王ピウス12世


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 1958年のローマ法王ピウス12世の死は、無神経なやり方でひどい見世物にされて、その尊厳がひどく損なわれてしまった。節操のない医師が、法王が死の床でひどく苦しむ姿を撮影してその写真を公開してしまい、それがイタリアの各新聞の一面に載ってしまったのだ。さらに事態を悪くしたのは、死後施されたお粗末なエンバーミング。このせいで、埋葬までに"エメラルドグリーンに変わるほど"法王の遺体はかなり腐敗が進んでしまった。

 日にちがたつにつれ、腐敗はひどくなり、法王の鼻がもげてしまった。遺体の放つあまりの悪臭に、警護にあたっていたスイス衛兵のひとりが気を失うほどだったという。次の法王ヨハネ23世は、皆に愛され1963年に亡くなったが、幸いなことにこのような運命はふりかからなかった。

via:Historically Riveting Facts About Embalming

☆これで、よみがえれるならええねんけど!

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