友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

曾孫が4番目の孫のように思えてくる

2021年02月18日 17時08分50秒 | Weblog

 朝、カーテンを開けると雪景色だった。今日は一日中、雪が降ったり青空が見えたりの繰り返しだった。小学校の運動場から子どもたちの元気な声がするので、雪が止んで体育でもしているのかと思ったら、雪を相手にみんなで戯れていた。子どもっていいな、寒さなんかにビクともしない。

 昨日、上の孫娘が4カ月になる赤子を連れて我が家に来てくれた。4カ月にもなるとこんなにも表情が変わるのかと感心する。おっとりと構えて、ジジババの動きを見つめてくれる。孫の時とは違うゆとりで接することができる。我が家には男の子がいなかったから、見ていると赤子の時から男の子はどこか違う気がする。

 茨城に移った次女とLINEでやり取りを始める。次女のところの、4月に小学1年になる孫娘が参加して、話があちらこちらに飛ぶ。鉄棒の逆上がりが出来たと言う。母親になった孫が、「ウチの人は逆上がりが出来ない」と言うと、どうしたらできるようになるかを真剣にアドバイスする。

 翌日は初めて「ピアノの教室に行く」と言うので、「どんな曲を弾くのか」と聞くと、「弾いてあげる」と言って見せてくれた。まだ、習ってもいないのに結構弾ける。ところが「猫ふんじゃったを弾くから、ママ歌って」と言ったことが躓きだった。ママの歌に合わせるとどうしても音階が乱れて弾けなくなり、泣き出してしまった。

 なかなかの頑張り屋さんだ。面白かったのは、上の孫が今度家を建てる話になったので、「お金貸してあげて」と言うと、「ダメ、小銭しか持っていない」と答えるので大笑いになった。「パパは小銭を持たないから、私が持っている」という家庭の事情もよく分かった。

 4カ月の赤子が大きくなると、どんな会話をするのだろう。曾孫が4番目の孫のように思えてくる。男の子はどんな風に成長していくのか楽しみだ。

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愛知県知事リコール署名の内実

2021年02月17日 18時42分38秒 | Weblog

 大村愛知県知事を辞めさせる「愛知100万人リコールの会」(代表:高須克弥)が集めた署名の中に、アルバイトを動員して書かせたものがあったと中日新聞が1面トップで報じた。佐賀市内の会議室で、愛知県民の名前が載った名簿をリコール署名簿に「書き写した」と、アルバイトに応じた人が話している。

 アルバイト代は時給950円で、絶えず人が入れ替わって作業したとある。リコール署名は当初100万人を目指したが43万5231人しか集まらず、しかもその8割が不正と報じられていたが、不正の中にはこんな悪質なものがあったのだ。

 私の住むマンションの郵便受けにも、「リコールのお願い」のハガキが入っていた。友だちは私に「署名してくれ」と言うが、「私は反対なので出来ません」と断った。「誰か適当に書いてくれる人はいないか」と口にしていたから、真面目に署名者を増やす気が無いようだった。

 『あいちトリエンナーレ 表現の不自由展』は、芸術活動がいかに不自由かを表現した展覧会だった。それにイチャモンを付けたのが、名古屋市の河村市長と高須クリニックの高須克弥氏である。大村知事をリコールさせるために何でもやった結果がこれである。「リコールの会は関与していない」と会の事務局長は弁明するが、いったい誰が愛知県民の名簿を持ち出したのか、アルバイトの人たちの報酬や会場費などの経費はどこから出ているのか、疑問が多い。

 高須代表も河村市長も「一切知らない」と言うが、「何が何でもリコールを成功させよう」と煽っていたではないか。リコール運動を後押しした文化人、百田尚樹氏、竹田恒泰氏、武田邦彦氏、有本香氏らはこの事態をどう受け止めているのだろう。

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萩原朔太郎と中原中也

2021年02月16日 17時17分13秒 | Weblog

 新聞の文芸欄に、「あなたは朔太郎、それとも中也?」という見出しで原稿募集の案内が載っていた。萩原朔太郎の詩も中原中也の詩も、高校の国語で出会ったと思うが、1篇の詩を見ただけでそれ以上に勉強した記憶はない。

 朔太郎の「光る地面に竹が生え 青竹が生え 地下には竹の根が生え 根がしだいにほそらみ 根の先より繊毛が生え かすかにけぶる繊毛が生え かすかにふえる」は、何を詩っているのかよく分からなかったが、何となく力強い生命力を感じた。

 中也の「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」は、鮮烈な印象だった。自分の心に小雪や風が吹きつけてくるように、寂しくて耐えられない気持ちになり、共感できた。

 けれど、ふたりの詩人の他の作品を読んでみることはなかった。中也は荒れた生活の果てに、若くして死んだという一般的な知識はあったが、朔太郎については近代詩の父という程度の受験知識しかなかった。朔太郎は明治19年(1886)生まれ、中也は明治40年(1907)生まれで、詩人としての活躍も朔太郎の方が早い。中也は30歳で、朔太郎は55歳で亡くなっている。

 ふたりに共通しているのは、医者の息子であり、幾つもの大学や専門学校を転々とし、昭和初期のモダニズムの風潮を受けた。しかし家庭には恵まれなかった。中也は酒クセが悪く、小心な好青年の中也の写真からは想像できないが、150センチの小柄な身体にもかかわらず、誰かれ構わずケンカしたという。

 中也の詩に惹かれるのは、どうしようもなく満たされない、悲しさを感じるからなのだろう。「汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れっちまった悲しみに なすところなく日は暮れる」と詩は結んでいる。

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恋は欲望とともにある

2021年02月15日 17時09分42秒 | Weblog

 娘ふたりからバレンタインチョコが送られてきた。私にまで気を遣ってくれてありがとうと、感謝のメールをしておいた。夫婦だからまずダンナが一番大切な人、父親はその次でいい。14日の朝日新聞に『池田理代子さん 第1歌集』の記事が、紙面の半分に掲載されていた。

 読売新聞に掲載された池田さんの短歌を読んで、心惹かれた私の感性も捨てたものではないと思った。12日のブログで取り上げた、「悠然と25年遅れて来て 我を愛すとなど君のいう」の意味も分かった。池田さんは60歳で25歳年下のバリトン歌手と恋に落ち、4度目の結婚をしていた。

 恋多き池田さんから、中学からの友だちが14歳も年下の女性と10年以上も付き合っていたことを思い出した。彼のブログには恋路ガ浜や岡崎の椿の寺へふたりで出かけた記事がたくさんあった。私も後追いで、そんな名所へ行ってみた。それがある時から彼女の話題が無くなった。

 どうして別れたのだろうと、気になっていた。昨日のブログで、「もう会わないと心に決めた」理由を綴っていた。「手も握らない【友だち以上恋人未満】の関係を、10年以上続けてきたなどということは、むしろ恥ずかしいことで、ましてや純愛なんて種類のものでもなく、あなたにとっては勲章でも何でもない。そろそろ大人にならなきゃ」と、小料理屋の女将に説教された。

 さらに、「デートしたい気になったら、いつでも電話頂戴。【友だち以上恋人未満】の関係で、喜んで付き合ってあげるから」と強烈な一撃を浴びた。女将は彼の優柔不断さを叱ったのか、彼が女性にとって都合のいいだけの男になっていることが歯がゆかったのか、私には分からない。

 池田さんも「最後の恋」に有頂天になったというより、「猜疑心に苛まれ、いつ捨てられるかと、起きてもいない現実を想定しては相手を責め続けた」ようだ。恋は欲望とともにある。愛だけでいいなどと言うのは欺瞞でしかない。

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きっとこれからも続けることだろう

2021年02月14日 17時09分03秒 | Weblog

 我が家はマンションの高層階だから、よく揺れた。私は既に床に入っていたので、揺れが直に伝わってきて不気味だった。昨日午後11時8分、福島県沖を震源とする地震だった。10年前の東北大震災の余震だという。

 次女一家はあの時も茨城県に住んでいたが、今回も仙台から茨城に引っ越して、再び地震に見舞われた。カミさんが心配してメールすると、今朝になって「大丈夫」と返信があった。東北大震災の時は津波被害が凄かったが、今回は津波の心配はないという。

 東北での地震でこの地方の建物まで揺れるのだから、地震の伝わり方は半端じゃーない。地震や火山の噴火などが、太平洋の環で頻繁に起きている。宇宙空間の中の地球という球体は、いつも何らかの活動をしているようだ。その時間の単位は、1分が何百年とかなのか、私には分からないが、どうやら一定の周期で変わっているようだ。

 「万物は流転する」とは、紀元前のギリシアの哲人ヘラクレイトスの言葉だが、私たちの周りの自然は必ず変わっていくと見抜いたのだから凄い。硬い岩も砕けて石となり、さらに小さな砂になっていく。仏教には「諸行無常」という言葉がある。

 紀元前に、地域は違っているのに、似た言葉があるのが不思議だ。「諸行無常」は己の心に問いかけ、自己変革へと導きだす。欲望を捨ててしまえば、悩むこともなくなると。自然を観察しながら、自然へ働きかける思考と、己の心を無にする努力と、人は模索し続けてきた。きっとこれからも続けることだろう。

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他の人の評価を知りたい

2021年02月13日 17時28分26秒 | Weblog

 またまたパソコンの動きが悪くなった。「プログラムの更新」というメッセージが出てきて、無料ならばとクイックしたらパソコンが動かなくなったことがあったので、OKはしないようにしている。Antivirusのソフトが、問題の個所が何点あると警告してくれるが、それも同意しなかった。

 昨日、パソコンを終了する時、「更新してシャットダウンする」としたことがまずかったのだろうか。ブログを続けられるようなら問題ないので、しばらくは放っておくことにしよう。以前なら、すぐに持ち込んで見てもらうことができた電気屋さんが、店を閉じてしまった。

 スマホを持たず、ひたすらパソコンでブログを続けてきたが、続けることを誓い合った友だちもパソコンで四苦八苦しているようだ。4月になれば、県に提出するNPOの書類をこのパソコンで作らなくてはいけない。その時はスムーズに操作できますようにと祈るばかりだ。

 高齢だからとか、女性だからとか、子どもだからとか、そういう線引きはしたくない。子どもの頃、私が何か言うと、祖父は「子どもが理屈を言うな」と叱った。高校生の時、生徒規則を変えて欲しいと生徒指導の先生に言うと、「規則は君たちのためにある」と受け付けなかった。

 「誰が作ったのですか?生徒のためなら生徒も参加して作ればいいのでは」と食い下がったが無駄だった。大人はズルイと思っていたが、いつの間にか私も大人になっていた。ズルイ大人にはならないつもりだったが、他の人から見たらどうだったのかと思う。

 自分では間違っていないつもりでも、そうでは無いのかも知れない。森さんのような発言はしなくても、同席した人のように笑ってしまったかも。言葉や行動にその人の本性が出る。自分はどういう人間だったのか、他の人の評価を知りたいと思う。

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振り返ることが多くなった

2021年02月12日 17時23分37秒 | Weblog

 かかりつけの医師はいつも、「運動していますか?」と聞く。私は「ズーと巣ごもり生活です」と答える。医師は「戸外を歩くのは心配いりませんよ。出来るだけ家から出て、歩いてくださいね。まだまだコロナは収まりませんから」と笑う。

 コロナ禍になって、本当に外に出なくなった。同じ姿勢でいるからか、歩く姿が前かがみになっている。医師の言うように、背筋を伸ばし胸を張って、近所を少し速足で歩いてみた。気持ちがよかったけれど、階段上りまでやったら息が切れそうになった。

 体力は確実に落ちている。長生きはしたくないと願っているが、惨めな死に方はしたくない。どこまでも贅沢な自分勝手な己かと呆れる。読売新聞に池田理代子さんの短歌が掲載されていた。池田さんはマンガ『ベルサイユのバラ』の著者で、娘たちが夢中になって読んでいた。

 50歳を前にして音楽大学に進学し、声楽の勉強をされた才女と聞いたが、短歌も作られるのかと感心した。才能のある人はどんなことにでも興味を持ち、それをやり遂げてしまうのだから羨ましい限りだ。インターネットで調べたら歌集を出しているようなので、ぜひ読んでみたいと思う。

 歌集の帯に「この人を忘れてしまう日がくるのか いつか私でなくなる時が」とあった。どういう意味なのだろう。老いていく日々なのかと、何故か共鳴している。新聞に掲載された、「かかる恋 かかる君にぞ巡りあいて 還れぬ道にいま踏み入りぬ」と、「悠然と25年を遅れ来て 我を愛すとなど君のいう」が私は好きだ。

 池田さんはどんな恋をしたのだろう。私の中学からの友だちは17歳も年下の女性と10年も付き合っていたけれど、どんな恋だったのだろう。終末期にあるからなのか、最近、振り返ることが多くなった。

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これからも変わっていくだろう

2021年02月11日 17時34分50秒 | Weblog

 森さんが東京五輪・パラリンピック大会の組織委員会の会長を辞任する。女性蔑視の発言をしたのだから、辞めて当然である。「辞めてすむ問題ではない」と言った人もいたが、まずは辞めるべきだろう。菅首相も辞めさせられない立場の人なら、自らが責任を取るべきだ。

 日本はまだまだ未熟な国だった。民主主義は形だけになっていて、中身は熟していなかった。森さんの辞任を求める声が、女性からばかり上がるのも、マスコミが女性にばかり発言を求めるのも、よくない。男性から森発言を否定する声が上がらないと、体質が変わっていかない。

 「男だから、女だからと言ってはいけないのよ」と、母親が小さな子から教えられたと新聞の投書欄にあった。母親は私の娘たちより若い団塊ジュニアだった。母親を教育してきたのは、戦後の教育を受けてきた私たちだ。男女平等は実現目標だったのに、言葉だけ中身が理解できていなかったようだ。

 18歳の女性のこんな投書もあった。「私には航空宇宙関係の研究者になる夢があります。(略)だから妻が中心的に働き、夫は『主夫』として洗濯や料理などの家事をするという組み合わせが普及してほしい。(略)男性の『主夫』の選択肢がもっと一般的になることを望みます」。

 家族は夫婦と子どもの形が定着してしまったが、この形も変わっていくのかも知れない。働き方が変わり、家族の形が変わり、社会の形も変わっていくのだろう。私が子どもの頃では想像も出来なかった社会になってきているのだから、きっとこれからも変わっていくだろう。

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緊急事態宣言下で美術館巡り

2021年02月10日 17時34分15秒 | Weblog

 緊急事態宣言の解除を待つ手もあったが、コロナ禍でも普通に暮らしたいと思って、今日は名古屋市美術館と愛知県美術館へ行って来た。名古屋市美術館は、この地方で活躍した写真家たちの作品を中心に展示したものだが、写真が小さくて困った。

 順路についても分かりにくい。戦後の日本を代表する東松照明氏の作品や名古屋の大学・高校の写真クラブの作品もあり、何故か懐かしさを感じた。地下では名古屋が生んだ現代アートの巨匠、荒川修作氏の特別展もあって、得した気持ちになった。

 ところが1階のレストランは閉まっていたから、科学館の方のレストランで昼食を取った。ここでも食事をする人は少なかった。この後、県美術館へ向かった。いつもより駐車している車は少ない。日展は満員が常なのに、やはり人出は少なかった。

 彫刻の部に出品していた甥っ子は、いつの間にか取りやめてしまったが、彫刻作品を見る限りでは彼の作品と大差ない気がした。日本画は洋画に、洋画は日本画に近づいていると思うのは、題材が入り乱れているからだろう。

 次に横尾忠則展を観て来た。横尾氏は荒川氏と同じ1936年生まれで、私が教員になった頃は既に有名だった。印刷技術の発展が無ければ、横尾氏の作品は生まれなかったと思っていたが、彼自身はデザイナーよりも画家になりたかったようだ。「滝」をテーマにした作品が凄かった。

 横尾氏の作る油絵は軌道を逸したものだが、それがまた彼が目指した作品のように見えてくる。荒川氏・横尾氏と私の青春時代を代表する作品に出会えて、出かけて行ってよかった。来週は三岸節子記念美術館へ出かけようと思う。

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森さん、二階さん、お辞めください。

2021年02月09日 17時11分47秒 | Weblog

 日本の国は面白いなと思う。日本以外の国で暮らしたことの無い私が言うのは論理矛盾だが、客観視して見ているところに面白いと感じている。東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森会長の発言問題だ。

 「辞任すべき」と言う人がいる。菅首相は「国益にとって芳しくない」と述べたが、辞任については「私の判断する問題ではない」と言う。どこが進退を判断できるかというと、組織委員会だというが、組織委員会は森氏が辞任を口にした時、「とんでもない。みんな納得しない」と説得した(中日新聞)。

 「森氏に代わってやれる人はいない」と言う人までいる。いったいどういう組織なのかと思ってしまうが、日本の男社会の典型なのだ。上の者が下の者を可愛がって引き立て、下の者が恩義を感じて忠誠を尽くす。会議では上の人が決めたことを受け入れ、自分から発言はしない。

 東京女子医大では、感染して休業となった看護師には給与は支払わないそうだ。この大学病院には、組合は無いのだろうか。感染の恐怖の中で必死に医療に従事しているのに、どうしてこんな指示が張り出されるのだろう。

 「今は大変だけれど、感染防止に全集中し、みんなで乗り切ろう」と、呼びかけてくれるなら頑張れるのに全く逆効果だ。医療現場が大変なことを充分承知していながら、看護師不足をますます生み出すような大学の経営者こそが癌である。

 二階自民党幹事長は五輪ボランティアの辞退について、「静かになったら、考えもまた変わる」と述べて顰蹙を買った。しかし、こういう人たちが日本を動かしているのだ。どうしていつまでも変わらないのだろう。沈黙は賛同と指摘された。森さん、二階さん、お辞めください。

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