友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私は黙々と土に挑んでいた

2020年05月21日 18時00分40秒 | Weblog

 朝、顔を洗ってすぐにルーフバルコニーへ出た。昨日は熱さと風のせいで、鉢の土作りを中断してしまったので、今日は何としてでもやる覚悟だった。幸いにも薄曇りで風は無く、作業するにはもってこいである。ブルーシートに古い土を出して、残っているチューリップの根を取り除く。

 しゃがみこんでひたすらスコップで土をひっくり返し、古い根を取り除き、まだ使える赤玉土をより分ける単純作業だ。朝の9時から、夕方の5時まで、黙々と続けた。昼飯を食べて、身体を休めた後、再び作業を開始する。見ているのは足元の土だが、お尻が痛くなるので、時々背伸びするために立ち上がる。

 こんなに丁寧に古い土をより分けなくても、そのまま植え込んでも花が咲かない訳では無いのに、どうしてこんな単純作業を黙々と続けるのだろうと思う。けれど、やり始めると途中で放棄することが出来ない。意味がない作業かも知れないと思いながら、やっぱり最後までやろうと思ってしまう。

 勉強もこんな風にコツコツと取り組んでいたのなら、もっといい成績だったのかも知れないが、勉強には強い意志で取り込むことが出来なかった。花を植えて育てたり、昆虫を幼虫の時から観察したり、工作や絵を描くことは、何時間やっていても飽きなかった。大人になってもというか、老人になっても変わらない。

 話題の人、黒川検事長が緊急事態宣言の最中に友人(?)の記者と賭け麻雀をしていたという。私の友だちも「賭けずに麻雀をやっても面白くない」と言うから、黒川検事長も自分の立場を忘れて熱中してしまったのだろう。「有能な検事を残すため」と言っていた森法務大臣や安倍首相は何と言うのだろう。そんな事態が起きていたのに、私は黙々と土に挑んでいた。明日も続ける。

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鬱状態の原因は…

2020年05月20日 18時18分24秒 | Weblog

 昼からルーフバルコニーで、チューリップが植わっていた鉢の土を出して、新しい肥料や赤玉土を加えて土作りをする予定だった。昨日の午後、巣ごもり生活が続いているので、「花でも買いに行く?」とカミさんが言い出した。肥料と土が欲しかったので、「ああ、いいよ」と車で出かけた。立派なサルビアが売られていたので、買って来てしまった。

 午前中はマンションの井戸のポンプのことでルーフバルコニーでの作業は出来なかったので、少しでも土作りをしようと思ったのに、いざ始めると、強い陽射しと風のために思うように進まなかった。暑いし風は強いしと理由をつけて、切りのよいところで中断し、続きは明日の朝にするからと自分い言い聞かせた。

 最近、夜が暑くて眠りが浅いせいか、昼間なのに眠くなってしまう。根気が無くて、投げやりになっている。心臓の辺りが時々チクチクする。身体がだるくて無気力になっていて、何もしたくない。こんな鬱状態になっているのは、新聞もテレビもコロナ、コロナばかりだからだろうが、年齢のせいもあるかも知れない。

 先日、セキセイインコの写真を探そうと思い、長女が残していった子どもの頃のアルバムを見ていて、家族でよく出かけていたことを思い出した。ニューファミリーと呼ばれた世代の私は、家族で出かけることが好きだった。子どもたちが喜んでいれば満足だった。そういう時は、鬱状態になることはなかったから、今はやることがないことが最大の原因なのかも知れない。

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雷が鳴り、猛烈な風雨が襲ってきた

2020年05月19日 17時21分50秒 | Weblog

 一気に蒸し暑くなった。「同級生新聞」を制作し、届けてくれた卒業生が今朝のNHKドラマ『エール』を観て、メールをくれた。

 「祐一さん苦労してますね。我々のデザインでも人と違う、独創性を追求して長い間悩んできました。同級生新聞を作ったことにより、自分以外の人生を知ってもらい、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは自分自身なので、同級生故みんな前を向いて歩いて行って欲しいです」と。

 この子たちと言っても、2年後には古希を迎える年齢だから、それぞれに山あり谷ありの人生を歩んできている。新聞を作ってくれた彼も脳出血で倒れれたが、「今、生かされてることに感謝して、より充実した人生を送りたいと常々思っています」と前向きだ。

 過去に拘り、他人の栄光を羨み、自分の不運・悲劇を恨んでも何も変わらない。「泣いて生きるも人生、笑って生きるも人生、なら笑って暮らした方がいい」と先輩の友だちは言う。私も私なりに充分生きてきたと思っているので、悔いはない。

 エホバの証人の女性が、「ウイルス騒ぎで伺えないが」と電話してきた。「これ(コロナ禍)は神の御意思の表れです」と言うので、「神の意思を勝手に人間が解釈してはなりませんよ」と私は突っ込む。すると彼女は、聖書にはこのように書いてあると並べ立て、「あなたは神の言葉を信じないのですか」と言う。

 「最期の決断は神様がなされます。私たちはただ受け入れるしかありません」と私が答えると、彼女は電話を切ってしまった。地球環境の変化か、ウイルスの蔓延か、隕石の衝突か、いずれにしてもいつか人類も滅びるだろう。それは仕方のないこと。それまでみんなが仲良く生きられるようにと祈るばかりだ。

 午後5時5分、雷が鳴り、猛烈な風雨が襲ってきた。

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キリスト教と仏教の違いはどこにあるのか

2020年05月18日 17時24分28秒 | Weblog

 子どもの頃、お寺で「地獄絵」を見せてもらったことがある。閻魔大王がいて、死んだ人の行き先を決める図に始まり、火あぶりや釜茹でなどが描かれた恐ろしい絵だった。父にその話をすると、「昔の人は文字が読めなかったから、誰でもわかる絵を見せて教えたのだ」と教えてくれた。

 お坊さんが我が家に来て、お経をあげてくれる時は、仏壇の前に座らされた。我が家は永平寺を本山とする曹洞宗で、「摩訶般若波羅蜜多心経」が読まれた。けれど、何を言っているのかさっぱり分からない。「羯諦 羯諦」と聞くと、もうそろそろ終わると分かった。

 父に「どうしてお経は分からない言葉なの」と聞くと、「お釈迦様の教えを漢字で表記したものを読んでいるからだ。庶民には分からない方が、ありがたく思われたんだろう」と言う。中学生になって、キリスト教の教会に通うようになり聖書を読むようになった。私でも分かる日本語である。

 大人になって、キリスト教と仏教の違いに興味があった。釈迦は神ではなく、現実の世界で悩む人であった。どうすれば良いのかと考えた末に辿り着いたのは、自分を変えることだったと思う。自分が何者か、この現実の中で生きるため、修行と瞑想を繰り返し、悟りを得る道を選んだ。

 キリストは神の子として生まれ、戒律を厳守できない、罪から逃れられない人々に、「私を信じなさい」と教えた。「右の頬打たれたら左の頬を差し出しなさい」と、逃げ出すことより「愛すること」を教えた。釈迦の教えは、万物は流転する世界で暮らす東洋人にはよく理解できたのにどうして分からない言葉をそのまま残したのだろう。

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我が家で暮らしたセキセイインコ

2020年05月17日 17時28分57秒 | Weblog

 孫たちに本を贈る話をしていた時、カミさんが新聞の『本の紹介』欄を見て、「これ、いいんじゃーない」と言う。5歳の孫娘の本はすぐ決まったが、小5の孫娘の本は「難しいかも、ちょっと読んでみて」と手渡され、「ハッピーのことを思い出すわね」と続ける。

 小5の孫娘に贈ろうとした本は『ある小さなスズメの記録』である。我が家には昔、ハッピーと呼んでいたセキセイインコがいた。長女が小6の時に友だちからもらってきた鳥だ。初めのうちは彼女が世話していたが、中学生になると自分のことが忙しくなり、インコの世話は私に回ってきた。

 ハッピーの写真が無いかと、長女が残していったアルバムを見てみたが、残念ながら写っていなかった。年賀ハガキに家族の一員として毎年描いていたから、先回作成した冊子『はがき絵』を見ると、1983年から93年までの11年間我が家で暮らしたことが分かった。

 『ある小さなスズメの記録』は、玄関先で巣から落ちてきたスズメを拾い上げ、介抱し育てていく話である。生まれつきの奇形のスズメは、元気に育っていく。演技をしたり、歌を歌ったり、著者はスズメの才能に感心するばかりか、甘えたり嫉妬したり不機嫌だったりとスズメを観察している。

 本を読みながら、ハッピーのことを思い出した。初めは鳥籠に入れたままだったが、手のひらでエサを食べたり、指を差し出せば乗ってきたりと馴染んできたし、自由に家中を飛び回っていてもやがて鳥籠に戻るので、外出する時はゲージを空けておいた。

 私が玄関ドアにカギを挿し込む音を聞くと、玄関まで飛んできて、中に入るとすぐ頭に止まり髪の毛をついばんだ。肩に乗ると首に近寄って耳たぶを咬んでくる。家の中でも私の頭が一番のお気に入りのようだった。どこでもフンをすることも、巣の中にフンをすることもなく、フンは止まり木でしてくれたから掃除は楽だった。

 12年目の連休前だった。止まり木から落ちるようになってきたから、おかしいなと思っていたら、巣の下で亡くなっていた。自然に返してやりたかったので、家族4人で霧ケ峰高原へ出かけて行き、目印の木の傍に埋めた。「ありがとう、ハッピー」。

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冊子『微笑仏に拝まされる私』

2020年05月16日 18時18分51秒 | Weblog

 市民講座を行ってきた先輩であり住職である仲間が、春彼岸の中日に倣木喰仏を勧請し開眼法要を予定していた。ところが、新型コロナウイルス禍の予想外の広がりでやむなく延期したので、その時に配布しようとしていた冊子を届けてくれた。

 『微笑仏に拝まされる私』と題したその冊子は、A4判60ページで木喰仏に魅せられた経緯が書かれてあった。小学校の校長を務められた先輩は、寺の子であったこともあるのだろうが、仏教の教えや信心について、悩み模索してきた過去を窺い知ることが出来た。

 先輩が若き頃に知った民芸運動との出会いが大きく影響しているようだった。この地方には円空仏が多く残されている。確か、先輩の寺にも円空仏があったと記憶している。先輩はそうした仏像や焼き物のなどの古物に関心があり、「趣味なのか礼拝の対象となる信仰なのか」と悩まれた。

 民芸運動のリーダーであった柳宗悦氏が木喰の地蔵菩薩を見て言った、「美醜不二に達している」に心動かされた先輩は、「私流に広げれば、趣味も信心も、言葉の世間的な意味から言えば背反する別種のものだが、じつは同じ物の表裏にすぎない。その二つは全くの別物ではなく、見る方向が違っているだけ」と悟られる。

 円空は江戸時代初期の人であるが、木喰は後期にしかも60歳を過ぎてから仏像を彫り始めている。円空と木喰に共通する作風は、1本の木から彫り出しているだけでなく、顔を見るとなんとなく微笑んでいるところだろう。おそらく一般庶民が親しみやすい仏像を意識したものだと思う。

 冊子の後ろの方に、「落語に見る江戸時代庶民の信仰(信心)」が掲載されている。そんなところにも先輩の仏教への理解というか思いやりのようなものを感じた。冊子に小島梯次氏の名前を見つけ、今から30年も前になるが、私が発行していた地域新聞に円空仏について寄稿してもらったことを思い出した。

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赤い色は情熱的な恋にぴったりする

2020年05月15日 17時45分59秒 | Weblog

 

 バラは第2波を迎えたようだ。我が家で最も古株のピンクのバラが盛りを過ぎると、赤い色のバラが咲き始める。写真のように若々しく健康的な赤いバラは、きっと「バラ色」と呼ぶのだろう。我が家のバラに赤い色が多いのは、私が好きだからだが、私はもっと赤い「深紅」とか「新紅」とか「唐紅」と呼ばれる濃い赤が好きだ。

 ちょっと妖艶でもある「深紅」のバラはカミさんには不評で、彼女の好きな淡い薄紫とかクリーム色のバラが増えてきた。私は、凛とした自己主張の強い赤い花が好きだが、アジサイのような淡い青やツユクサのような少し強めの青も好きだから、花の形や周りとのバランスなのだろう。今日、畑の淵で咲くアヤメを見かけたが、あれは在原業平が詠った「カキツバタ」だったのかも知れない。

 青は清楚とか誠実を連想させるが、赤は情熱とか決意が感じられる。「唐紅(からくれない)」と口に出した時、若い人なら倉木麻衣さんの「渡月橋」の歌詞を思い浮かべるかも知れないが、私は百人一首の中の在原業平の歌が出てきた。おそらく倉木さんの「渡月橋」はこの歌がベースになっていると思う。

 業平の歌は「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」と、唐紅のもみじが重なり合って流れていく情景を詠っただけなのに、かつて恋した人への想いが滲んでいる。倉木さんの「渡月橋」はもっとストレートに、「会いたいときに会えない 切なくてもどかしい から紅に水くくる時君との想いつなげて」「いつも君を探してる いつになったら優しく抱きしめられるのかな」。

 やっぱり赤い色は情熱的な恋にぴったりする。

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見かけで決めつけてはならないと思った

2020年05月14日 17時18分33秒 | Weblog

 鼻水が止まらない。ちょっと憂鬱だが、ティッシュで鼻をかめばいいので、生活に困ることはない。朝方、ルーフバルコニーで作業をしていたのが原因かも知れない。自分では気が付かなかったが、鼻を刺激する極小なものが入り込んだのかも知れない。

 新型コロナウイルスは生物の体内でしか存在できないという。絶滅は無理なので、うまく共存するしかない。緊急事態宣言が今日にも東京や大阪を除いて解除されるという。対策が遅れたとか、やり方が不十分だとか、人はいろいろ言うけれど、多分、誰が指揮を執っても不満は出ただろう。

 感染症の専門家に対して、立憲民主党の議員が非難めいたことを発言していたが、対策を決めたのは政府で、専門家は諮問に応えたに過ぎないから、批判は政府にすべきだろう。それでも、決して、これがベストということはないだろうから、国会で知恵を出し責任を持つことだと思う。

 極限状態になるとどうしても他人に責任を求め、さらには袋叩きして、「自分が正義」のように錯覚する人が出る。「自粛警察」はその典型で、みんなと同じことをしない人を見つけてやり玉に上げ、そうすることで正義を実行した気になっている。多数派のうちは傲慢な態度でいられるが、果たして少数派になった時はどうするのだろう。

 郵便局へ出かけた時、ステーキハウスから1組のカップルが出てきた。男はヨタヨタと歩く老人で、女は派手な服装で背筋が伸びていた。車の運転は女だろうと思ったが、倒れそうに歩く老人が運転席に座り、300グラムのステーキを食べてきたような女は助手席に座った。ドイツの高級車は急発進して駐車場を出ていった。

 見かけで決めつけてはならないと思った。

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トヨタ自動車、来年の営業利益は8割減

2020年05月13日 17時13分54秒 | Weblog

 トヨタ自動車は来年3月の営業利益が、今年よりも8割減るという。新型コロナウイルス禍の影響で車が売れない作れないためらしい。豊田章夫社長は「コロナショックはリーマンよりもはるかにインパクトがある」と述べていた。8割減となれば大赤字なんだろうと思ったが、「黒字は確保できる」と予想している。

 凄いね。15年前にアメリカを旅行した時、ベトナム人の運転手が、「来年はトヨタがGMを抜いて世界一になる」と言った。日本人客へのリップサービスだろうと思ったが、翌年には確かに世界一になった。アメリカでもトヨタ車をよく見かけたし、日本車の評価は高かったが、それでもGMを抜くとは思ってもいなかった。

 私は刈谷で生まれ育ったから、「トヨタ」とは縁が深い。小学校は刈谷城の跡地にあったが、家康の母が生まれたとか育ったとかいう屋敷跡があって、そこにトヨタ中興の祖と言われた石田さんの家があった。私の大学の先生の兄もトヨタの重役であったし、小中高の同級生の父親はトヨタに勤めている人が多かった。大学を卒業してトヨタに勤め、重役になった同級生も何人もいる。

 「トヨタ」はベルトコンベアー方式の大量生産で安価に車を造り、「いつかはクラウン」を謳い、車を持つことがステータスの時代を築き上げてきた。当時は「トヨタ様々」で、下請けの業者がトヨタ以外の車で会社に行けば追い返されたし、車のデザインに携わっていた私の教え子は、イスズベレットに乗って行き、門から中に入れてもらえなかった。

 豊田章夫社長は自動車に固執せずに、新しい分野を開こうとしているようで、そんなことも報道されていた。企業が生き残るためには、常に先のことを考えていなくてはならないからだ。新聞販売店の社長が、「購読者は減る一方で、折り込みチラシも少なくなった」と嘆いていたが、新聞業界も転換期を迎えているようだ。

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コロナで世の中はどうなっていくのだろう

2020年05月12日 17時05分31秒 | Weblog

 午前中はルーフバルコニーで、鉢からチューリップを抜き取る作業をした。日陰での作業だから気持ち良いくらいだったが、だんだん陽が上がって来たので午前中で止めた。昨年はチューリップの球根を1個も買わなかったが、やはり大きな花を咲かせてくれた球根は大きい。さて、来年はこのうち何個植えることが出来るのだろう。

 午後は自室で県に提出するNPOの事業報告書に取り組んだ。どこのNPOもこのめんどい報告書を作成しているのだろうか。私たちは事業規模が小さく、年間の売り上げも百万円に達しないが、市などの委託事業を請け負っているNPOは何千万円にもなるから、当然だが会計事務所のような専門の人がかかわっているだろう。

 NPOは行政ではやりにくい事業を民間が請け負うことから出発したが、今では行政の下請け機関のような存在だ。行政からすれば、職員を増やすことなく事業を行うことが出来るから便利な団体と言える。初めはボランティアのような雰囲気だったが、今では事業であるから営利を目的としなくても生活できる収入が無くては働き手が困る。

 私たちのような年寄りばかりと違って、若者が多いNPOは給与が上がらなければ「結婚できない」と嘆くのも当然だろう。役所を見ても、非正規の職員が増えた。「同一労働、同一賃金」であるべきなのに、非正規の働き手は軽んじられている。生産が過剰になれば、労働時間は少なくなるはずだったのに、どうしてそうはならないのだろう。

 新型コロナウイルス禍は、私たちの働き方、賃金や労働時間、待遇や昇進も大きく変える契機となるのだろうか。カミさんは言う、「テレビを見ていないとコロナのことを忘れている」と。忘れないために、あんなに熱心にテレビを見ていたのか。コロナで世の中がどう変わっていくのか、ぜひ、教えて欲しい。

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