友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

タニオカクニコのブログ

2007年11月19日 22時10分08秒 | Weblog
 一日中、ベランダで鉢の土の入れ替え作業をしていたら、腰が動かないほどに固まってしまった。まだ全体の7分の1くらいしかできていないのに、この様では先が思いやられる。しかし、なんとしても今月中にはチューリップの球根も植えてやらないと可愛そうだ。明日も朝から鉢の土の入れ替え作業を続けなくてはならないが、果たして腰が立つかと心配している。

 ところで、久しぶりに『タニオカクニコの政界の不思議体験』を開いたら、谷岡さんがブログを更新していた。
http://www.taniokachannel.com/fusigitaikenkil.html

 その中で、「大連立の問題」にも触れていた。結論から言えば、「全く知らなかったが、これで小沢一郎を中心に党の結束が図れる。自分も微力ながら努力する。」というものだった。民主党議員であり、小沢チルドレンの一人とすれば当然のことなのかもしれない。私は谷岡さんのように全面的に「よい結論だった」とは思わない。小沢さんは党首に戻ったけれど、「大連立は民主党にとって政権交代への近道であるとの考えは変らない」と述べている。この点に民主党は触れようとしない。

 谷岡さんは、小沢さんがあるいは民主党がハメられたという認識であるようだが、小沢さん自身は「お人よしの、誠実な人」であっても、大連立を目指している人には変わりない。ましてや、国連の決議の下で自衛隊の派兵を進めようと考えている人である。軍隊のない世界などは、彼には夢想としか見えないのではないか。谷岡さんがこれからどんな風に考え、活動するのか、私は期待をして見ている。
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『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』

2007年11月18日 21時48分25秒 | Weblog
 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の秋の合宿に参加した。バス旅行から帰り、直接合宿をしている場所へと向かった。タクシーの運転手さんも知らないような山の中の施設で、本当に辿り着けるのかと心配になったほどだ。着いた時は勉強会を終えて、夜の交流会に入っていた。もうすでに、コックリコックリと船をこいでいる人もいる。それぞれが抱えている問題をどのように解決していくのか、昼間の勉強会とは違って、ストレートな意見交換と自分の思いや考え方をぶつける場になっていた。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』は、きちんきちんとした積み重ねに弱い。目標を定め、それをどれだけ達成できたのか、点検し、問題を考察する、緻密さに欠ける。会員の一人のカミさんから会費を支払ったら「領収書をもらってくること」とのメモをもらった。私は昨年から会計を担当しているが、会員に会費の請求をしたことはないし、領収書を発行したこともない。振込みを原則にしてきたので、今回のように現金で支払われた場合はやはり領収書を発行しなくてはならないと改めに思った。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』は、互いの信頼に甘んじるやり方で通してきた。それは同時に極めてルーズなやり方であることは確かだ。会費については会則で決めてあるのだから、会員が自分で振込むのが当然である。振込みなのだから領収書も発行しない。私が代表を務めていた時、一番うるさく皆さんに求めたのは、「欠席する場合は必ず連絡すること」である。人の社会で当たり前のことができない人は議員の資格がないと思うからだ。実際、何度もそう言わなくてはならなかったのは、同じ仲間でありながら平気で無断欠席する人がいたからだ。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』では、意見の一致や考え方の統一を強要しない。互いの疑問をぶつけ合うけれど、意見が違うからと排除することはないし、仲間はずれにするようなことはしない。教える側と教えられる側という関係をとらず、討論はするが非難はしない。互いを尊重している。「そんなのはもたれあいのだらだらした、意味のない組織」と非難されそうだが、あえてこのままでいこうと私は思っている。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の昨日の合宿に、ドタキャンしたメンバーが一人出たことに私は腹を立て、危機感を抱いている。こうした無責任な態度がどうして取れるのか、私には理解できない。突然キャンセルすれば困る事態が生まれることは目に見えている。宿泊の申込みはしてあるのだから、当然欠席者の分も負担しなくてはならない。それに、問題提起者になっていたのだから、その時間の勉強ができなくなってしまう。互いの自治体の情報交換はできたようだけれど、問題提起者がどのようにレポートするかの部分がないため、議論は深まらない。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』で一番の欠陥は、こういう無責任な行動を無くすことができない点だと私は思っている。何らかの事情で出席できなくなることは仕方がない。けれども、その理由は明らかにしなくてはいけないし、欠席がもたらす代償は埋めなくてはならない。以前、突然に何の連絡もなく、例会に来なくなった若い会員がいた。2年ほど経て、また唐突に選挙に出るから例会に出席すると言う。そこで私は、人間社会の常識からすれば、なぜ2年前に突然に音信不通となったのか、なぜまた出席を希望するのか、きちんと説明しなさいと手紙を書いたがなしのつぶてだった。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』のメンバーは優しいから、まあいいじゃないですかということで、そのまま出席を認めてきたが、結局は選挙に勝てず、以来出席することはなかった。それにしてもやはり、余す甘すぎる結果ではないかと思う。一人ひとりを見ればとてもよい人ばかりで、皆でワイワイガヤガヤ議論するのは楽しい。でも、他の人から言わせれば、楽しいだけでいいのか、と確かに不安が生じる。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』に興味を抱き、ともに活動しようと思っていただける人たちを迎え入れるには、やはりもう少しきちんとしなくてはならない。あいまいさを長所としてきたけれど、長所はもちろん短所でもあるわけだから、できる限り、短所にしない手立てが必要だ。
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誤解だった

2007年11月16日 23時47分39秒 | Weblog
 昨夜はちょっと酔っ払って、パソコンに向かって打ち込んでいるうちに、どうも支離滅裂だと感じてアレコレやっていたら、気が付けば12時を回ってしまっていた。そうなると、もう今日は何もしなくてもいいのではないかという気分になる。しかし、明日は20人ばかりの友だちと近江路の散策と竹生島をメインとするバス旅行に出かけるし、また戻ったらすぐにその足で「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の秋期合宿に参加するので、明日はブログを書くことはできない。やはり今晩、やるしかないなと思った。

 そうなると、昨夜の私のブログに対する友だちの反論を期待したのだが、先ほど見る限り、まだ更新されていなかった。だからまた一方的に私が彼のことを書く以外にない。彼は照れ屋である。格好つける人でもあるが、そんなことを言えば、誰でも格好をつけたがる。私は男だから女のことはよくわからないが、私の知る男たちは皆、格好をつけたがる。中学高校以来の友だちがみんな揃って時間を共有したのは、大学に入ったばかりの時だった。昨夜、私がブログに書いている友だちは浪人していて、どういうわけか、彼は毎晩のようにやってきては「飲みに行こう」と言う。

 浪人して予備校に通っている奴に呼び出されれば、いやとは言えないのが残りの3人で、家庭教師のアルバイトが終わる頃、揃って出かけていた。私たちが金のない学生と知っている飲み屋の女給さんは、お店で残った食べ物を黙って持ってきてくれた。ビールだって何本飲んだかわからないが、支払うお金は知れていた。女性を相手に遊ぶというそんな経験も根性もなかったから、至って品行のよい客だったと思う。そんな中で、浪人中の彼だけはすぐに女の子の一人に熱を上げてしまっていた。

 彼にすれば、私たちよりも年の若い九州だったか四国だったかから出てきた女の子を不憫に思ったのかもしれない。彼は優しい。友だちも話し相手もいないそんな女の子が気楽に話せるのが彼だったのか、彼は女の子の相手をしていた。私たちは、そんな彼を初めは誤解していたと思う。彼は女の子とSEXしたいだけだろうと誠に情けない想像をしていた。しかし、いつでも、いつまでたっても、彼が女性に求めているものはプラトニックなものだ。下世話な私には想像できないほど、彼は純真な心の持ち主なのだ。

 女の子がいればすぐに馴れ馴れしく近づいていくから、彼を助平な男だと思っていたけれど、助平とは全く正反対の男だと、ブログを読んでいて気が付いた。彼は決して女性の身体に触れることはない。むしろ彼は、自分の言葉が彼女の心にどのように届くのか、彼女の言葉がどのように自分の心に溶け込んでいくか、二人の気持ちが融合していくことだけを願っているようだ。

 今、病気と闘っている4人のうちの一人は、一番格好をつける男で、「過去にこだわるなんてナンセンスだ」と言い切る。よくストリップを見に行きたがったから、私はこの男も助平な奴と思ってエロ小説を送ると、「より高い生き方をしたい」と手紙をくれた。元気付けるつもりで助平な小説を送りつけたことが恥ずかしく思った。

 人生の終末を迎える時期に来て、私たちはそれぞれに自分に忠実に生きることの意味を見出しているようだ。未熟なのは私だけなのかもしれない。今晩もお酒を飲みながら、パソコンに向かっているので、果たして正しい文脈なのか心配だが、明日の朝は午前5時には起きなくてはならないから、今日はここまでにしよう。
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甘えん坊な奴

2007年11月16日 00時01分26秒 | Weblog
 私の中学高校からの友だちが、最近ブログでおかしなことを書いている。彼は身体も大きく、がっちりした体型だが、私に言わせれば誠に甘えん坊だ。苦労している割には昔から人に、特に女性に甘えたがる。私の大学時代の友だちにも彼によく似た男がいた。頭もよいし、何でもできるのに、どうしてか甘えたがるのだ。「自治会の総責任者なのだから最後のところはあなたが結論を出し、あなたが指示しなくてはならないよ」と言うのに、もたれかかってきた。

 中学高校からの友だちは、昨夜のブログで「ボクはあなたを忘れない。ボクは死ぬまで忘れない。いいんだ あなたは忘れてもいいよ」などと書いている。どうしていつも、心と裏腹なことを口にするのだろう。私は彼に「自分が傷つきたくないからではないか」と言ったことがあったが、今もそう思う。

 詳しいことは何も知らない。彼が13年間も付き合っている女性がどういう人かも知らないし、付き合っているというのはブログの中であって、本当はどうなのかも知らない。だけど、彼のブログ上の「友だち以上恋人未満」「今一番大切な女友だち」に対して、「ボクは死ぬまであなたを忘れない」と言いながら「あなたは忘れてもいいよ」などというその言い方が私には気に入らない。素直でない奴だなと思ってしまう。

 彼は健康診断で肺に二つの腫瘍があり、医者から手術を薦められたことで、パニックになっているようだ。そこで彼は、大切な女友だちの方から愛想尽かしをしてもらい、離れていく算段をしているのだ。大切な女友だちの目の前で、かつて知っている他の女性と親しくして見せたりする。こういうことって、確か高校生の頃もあったような気がする。自分を嫌いになって欲しいというのは、裏返せばもっと自分を好きになって欲しいということだ。愛想尽かすだろうというのも、さらにいとおしくなって欲しいというものだ。

 彼はいつも自分から自分の望みを言い出さない。深刻な検査を受けたことのない私が言うのは間違っているかもしれませんが、検査の結果が悪性だったら、それが何だというのだ。すぐ翌日に死ぬのですか。私は、もしそうであったとしても、拒否することが出来ないことは厳粛に受け止めようと思います。死がはっきりわかることはありがたいことではないでしょうか。それならそれで、自分が何をするのか決めることができます。

 彼は「私が負担にならない道が、私が最後に取るべき道だという結論に達しました」と言います。本当にそれでよいと考えるなら、今度一切、大切な女友だちとの連絡を絶つことでしょう。ブログで女々しく、「ボクはあなたを忘れない」などと書かないことです。ひたすら奥さんや娘さんやお孫さんのことだけを書き綴ることです。どうせ私たちはいつか死にます。死んでしまえば、すぐに忘れられてしまいます。私たちがたくさんの人の死を忘れてきたように。それが人の世界、無常の世界でしょう。

 自分がどう生きるか、生きているか、それに尽きるようですが、それも実は誠にあいまいだと私は思います。昨夜のミュージカルではありませんが、「生きている」ことでいいような気がしています。私が「生きている」ことは恥の上塗りばかりですが、それも死んでしまえばおしまいです。死んだ方が勝ちというものです。これだけけしかけても、きっと彼は変らないでしょうね。それが生きるということなのでしょう。
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名演「おれたちは天使じゃない」を観る

2007年11月14日 23時35分01秒 | Weblog
 80歳の私の友人が初めて、個展を開いた。彼女の友人が次々に訪れ、展示されている絵とともに彼女の人柄がうかがわれた。ギャラリーのオーナーは実におもしろい人で、ユーモア溢れる話し振りに思わず聞き入ってしまった。オーナーであるご主人は初めてお目にかかったが、ピアノを教えているオーナーの奥さんとは古くからの知り合いで、近くの喫茶店で1時間以上も二人で話したことがある。その話の中で、新婚旅行にヨーロッパへ出かけたことは聞いたが、ナポリでご主人が2曲も歌ったことは今日ご主人から始めて聞いた。

 先日の講演で、金美齢さんは「夫婦は違うタイプの方がいい。」と言っていたが、このギャラリーのオーナー夫婦も文学少女のような奥さんと自ら宴会部長というご主人の組み合わせがとてもいいなと思った。そんなご主人のお話をたくさん聞かせていただいた後、たまたま今度の誕生日会に温泉旅行に出かける件で、友人から家に来てという電話が入り、友人宅へと出かけた。1泊7800円の部屋は無いというので、それならもう少し奮発してよい宿に泊まろうということになった。日曜日の泊まりならまだ部屋はあるというので即予約し、インターネットでどんな宿かを調べた。

 不思議なことだけれど、まず出かけることが最優先しているので、泊まれるところが決まってから、その宿がどんな旅館なのかを見てみようということになったのだ。昔ならば、インターネットはなかったから、旅行代理店のパンフレットを見るまではどんな宿かもわからなかった。私たちは仲の良い4家族の7人だから、ざっくばらんに宿の予約をしてからその旅館のホームページを見るけれど、これが公にできない男女の秘密の旅行ならこんなふうにはいかないだろう。

 夕方からは名演で、ミュージカル『おれたちは天使じゃない』を観に出かけた。ミュージカルは何と言っても映画『ウエストサイド物語』を高校生の時に観て、目からうろこ状態だった。しかし、やっぱり日本語はミュージカルに向いていないのか、日本語のよいミュージカルには出会わなかった。今回の作品も、まだまだ洗練されていないという思いで観ていたけれど、なかなかおもしろくよくできた作品であることは間違いないと感じた。

 俳優の皆さんはとても声もよく出ていたし踊りもうまい、演出も見事だと思った。音楽はいずみたくが担当していたが、単調な感じがしたのは日本語の難しさかもしれない。たとえば、浪曲と浄瑠璃とかの方が日本語には合っている気がする。いや、これは逆だ。日本語を歌うと浪曲や浄瑠璃になってしまうということなのだろう。それで耳が慣れてしまっている人間には、ミュージカル仕立ては馴染めないのかもしれない。

 芝居の中で死のうとした人に対して、「今、生きていることが一番大切なこと!」というセリフは、このミュージカルのテーマであり、大合唱になっていくのだが、実に意味のある言葉だと感じた。それはまた、中学高校からの友だちが昨今、なにやら深刻にブログに書いていることを気にしていたからかもしれない。そのことはまた、明日書くことにしよう。
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父親の死は45年前

2007年11月13日 20時00分05秒 | Weblog
 知人のお母さんが亡くなった。明治44年生まれ、数えの97歳という。そうか、私の父親と同じ年の生まれかと思った。5歳の時にブラジルに渡り、勉強するために兄弟とともに帰国したが、戦争のためにブラジルに戻れなくなったそうだ。戦後は洋裁学校を開き、大勢の生徒を教える。しかし、夫を亡くし、女手一つで子どもたちを育て上げた。知人から子どもの時に小牧のキリスト教の幼稚園に通ったと聞いた。きっと苦労はあったであろうけれど、子どもにはよい教育を授けたいと考えていたのだ。

 知人は、キリスト教の幼稚園に通ったことが、美的なセンスを育て、後にファッションの世界で生きていく上で大いに役立ったとも語っていた。葬儀の最後のご挨拶で、喪主である知人の夫は「私が内臓を悪くしていた時、母親は、好きだったお茶を断ち、養子の私の身体を心配してくれた。そういう心根の優しさを私たちも受け継いでいきたい」と話された。「おばあちゃん」と呼んでいたが、その人柄をよく表すお話だった。

 私の父は、家業の材木屋を継がず、2歳年上の女性と結婚し、結婚しながらも自分の「夢」を追っていた人らしい。姉の話以外には父親がどういう人だったのか、その内面までは知らない。私が知る父親は、私たちには甘い父親だった。私が小学校の高学年になる頃には、父親と母親と妹の4人で1年に1度、揃って出かけていたことを覚えている。伊勢に行った時、今、問題になっている「赤福」の座敷で、女将さんが相手をしてくださって、赤福を食べた記憶がある。父親にとっては、自慢な場面だったのだろうが、校長に対する店の接待だったのだろう。

 父親が残した日記を読むと、姉が言うこともよくわかる。校長室の机の上の花びんに新しい花がいけてある。「あなたがいけてくれた花だと思うといとおしくてならない。運動場から聞こえるあなたの声が小鳥のように聞こえる」などとある。小説家になる「夢」と、自分が普通の校長でしかない現実が交差して、自分が作り上げた世界に入り込んでいる。まるで私は父親そっくりだなと、自分のことを笑ってしまう。

 父親は家にいる時は静かに本を読んでいるか、気に入った挿絵をスケッチブックに模写していた。滅多に大声を上げることもなかったし、怒りを表すこともなかった。一度、家族全員が食事をしている席で、祖父に食って掛かったことがあった。何が原因だったか全く覚えがないが、父親が怒った姿を見たのはこの時しかない。母親がガンで闘病生活に入るとずっーと付き添って献身的に看病していた。ガンということを母親が亡くなるかで、誰にも言わずに自分ひとりで背負い込んでいた。

 退職金で土地を買いながら、家業を継いだ兄が事業に失敗することがわかっていながら、その土地を売り、事業の再興のために費やした。最後には兄に代わって事業をしようとまで思っていたようだが、何しろ世間知らずだった。倒産を目前にしてこの世を去った。45年も前のことだ。父親が亡くなって10日目に、祖父も逝った。あんなに仲の悪い親子だったけれど、長男を失った祖父に生きる力はなかったのだ。

 祖父も父親も父親の身代わりに家業を継がされた兄貴も、幸せな人生だったのだろうか。幸せは他人がどうこう言うようなものではない。本人が幸せと思えば幸せなのだから。祖父も父親も兄貴も自分らしく生きたという意味では幸せな人生だったと私は勝手に思っている。いや、そうじゃーないと言うなら、3人はそれを見せて欲しい。多分、母親はそう言い出しそうな気もするが、逆に意外にあの人は一番肝が据わっているかもしれない。
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職務に忠実なこと

2007年11月12日 23時37分46秒 | Weblog
 今朝早く、役所から電話があった。とても丁寧な口調で、「金美齢講演会の看板がまだ立ててあるので、撤去してください」というものであった。高圧的な言い方ではなく、親切から連絡してくださったと思った。そう思ったのに、しばらくしてなぜ、電話をかけてきたかと思った。職務に忠実な若い職員は、上司から「まだ看板が出てるぞ!」と言われ、電話をかけてきたのかもしれない。それはありがたいことではあるが、看板が出ていては困るという事態でもないのに、急がせる理由があるのだろうかとも思ったのだ。

 看板の設置も撤去も役所の仕事をよく引き受けている業者にお願いしている。業者といっても従業員二人の自営業だから、仕事の段取りというものがあると思う。それによく出入りしている業者だから、納入時に撤去のことも話しているかもしれない。受付の窓口でもない職員が、わざわざ電話をかけてくれたことに、感謝ではなく疑問が湧いてきてしまった。

 体育館を管理するこの担当課は、貸した者への管理を厳しく行っているのだろう。行事が終わればすばやく撤去し、次の人が気持ちよく使えるようにしておくことは鉄則だ。貸すことで、体育館の管理費をできる限り賄っていきたいとする自治体の姿勢はよくわかる。

 ところが昨日、体育館を貸してもらって気が付いたことがある。一つは、入り口に壊れて使い物にならない傘立てが放置されていること。これは長い年月、そのままになっていることがはっきりわかるほどひどいものだ。二つ目は、ホールの天井の照明の電球が切れたままになっていること。これも長い間点検されていない様子だ。三つ目は、ホールの裏には壊れた机がそのまま置いてあること。使えないものは処分してもよいのではないかと思った。

 管理する上で、こうしたことはたいしたことではない。それでも私は、仕事場を愛して欲しいという気がしている。道路の歩道にはところどころに植木があり、草花が植えられている。自分の家の前のこうした草木が枯れていたり、雑草が茂っていても気にならないだろうか。私は草木に水をやったり、雑草を抜いたりして可愛がって欲しいと思う。商売をしている店の前の草木が雑草で覆われていたら、その店は商売に熱心ではない気がする。仕事場をキレイに掃除したりするのは、仕事を愛する人ならばできると思う。

 職務に忠実なだけではなく、それ以上の「愛」が人には必要な気がする。
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金美齢講演会を終えて

2007年11月11日 21時48分28秒 | Weblog
 土曜日の朝から下痢だった。金曜日の夜に食べたものがよくなかったのかと思いながら、とにかく一日様子を見ることにした。今日は大事な「金美齢講演会」である。私は総括責任者であり、講演会では司会をしなくてはならない。下痢状態ではこの大事な役割が果たせない。昨夜は、お酒も飲まず、できるだけ何もしないで早めに寝ようと思っていたのに、友人は「お酒の飲み方が足らないね」と言うし、カミさんは「少しなら身体のためにはいいのじゃない」と言うので、じゃー少し飲もうかということにした。

 ところが、カミさんは飲むとすぐに眠ってしまい、コックリコックリと始める。私はと言えば、まだ今日の準備ができていない。ブログもまだ書いていない。あれこれとやっているうちに12時近くなってしまった。いかん、早く寝て明日の英気を蓄えなくてはと焦る。実は朝、百草丸を飲んだのだけれど、いっこうに良くなっていなかった。食べるとすぐにトイレに駆け込む、そんな状態が続いていた。寝る前にもう一度百草丸を飲む。

 夜中に2度も起きた。寝ていても熱い。苦しくなって目が覚める度に、汗でパジャマがびしょ濡れになっていた。身体は熱いのに寒気がする。これは風邪か、風邪から来る下痢かと考えた。とにかく明日までは元気でいなくてはいけない。これだけ汗をかいたのでは水分不足で脳卒中とか心筋梗塞とかにならないとも限らない。ガブガブと水を飲み、とにかく汗をかこうと頑張った。今朝の食事はコーヒーとパンだけにした。お昼は皆さんとお寿司の予定だったが、食べ物は一切口にしないと決めた。

 おかげで、トイレに駆け込むことはせずに一日を終えることができた。金美齢さんの講演会は用意したイスが足りなくなることもなく、かといって余るということもなく、不思議なことだけれど準備した席はほとんど満たされた。2時間も前から来てくださった方があったから、どうなることかと初めは本当に心配した。もし、開演の午後2時前までに来たのに、中に入れない方が生まれたらどのように謝ろうかと、そんなことが心に過ぎった。

 結果としては、心配することなく大成功のうちに大和塾1周年記念「金美齢講演会」は終わることができた。やはり大和塾の塾生の皆さんの気持ちが一つになっていたこと、そして私たちを支援してくださる方々が多くいたこと、さらには何よりも、金美齢さんが山田栄久さんの気持ちを汲んで、むしろ金先生の方が感激して、応えてくださったことにあると思う。

 私は体調不良で、思うように動けなかったけれど、その分みんながアレコレと気を配り、一つのことを成し遂げることができた。人の力の偉大さを痛感するとともに、金先生の言葉ではないが、出会いのありがたさと言うか大切さを身にしみて思う。人は一人ではできないことも、もう一人あるいはもう一人さらにもう一人と、一緒にやってくださる方があるとどんなことでもできる。信頼と信用がそんな人のつながりを作る。

 金先生、ありがとうございました。
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明日は金美齢講演会

2007年11月10日 23時12分00秒 | Weblog
 いよいよ金美齢さんの講演会が明日に迫った。亡くなった山田栄久さんは悔しい思いと安堵な気持ちで今日を迎えていることと思う。私たち塾生全員がそう思っているのだから。山田さんが金美齢さんのどこに魅了されたのかわからないが、金さんの本を何冊も買い求めていることから推察すれば、山田さんが「日本が失ったものがたくさんある」とよく口にしていたけれど、その失ったものを金美齢さんが言い当てていることにあると思う。

 私は金美齢さんの指摘が間違っているとは思わない。ただし、そうした現象を挙げるだけでは何も解決しないと思っている。そのような現象が生まれてきた根拠については違う見方をしている。したがって解決についての考えも違う。明日の演題は「チャンスの女神はあなたの前を通っている!」である。私は知識がないので間違っているかもしれないが、どこかの国のことわざで、“チャンスの女神に後ろ髪はない”というようなものであったような気がする。多分、そんな話も明日は聞けるのかもしれない。

 何人かの方から問合せの電話をいただいた。中には豊橋から電話をかけてくださった人もみえる。そんなことから明日はかなりの人が入場してくださるのではないかという雰囲気を感じている。一番怖いのは、余りにも多くの人に来ていただき、入場できない状態になることだ。せっかく出かけてきたのに中に入ることもできないくらい腹の立つことはない。願わくば、皆さんが満足していただける講演会になるようにと祈っている。

 それにしても最近の日本はどうなっているの?ということが多い。ミートホープや赤福に代表されるような表示の改ざん、防衛省を巡る疑惑、小沢代表の辞任劇、どれもイヤな気分にさせられるものばかりだ。学識が高く、常識と優しさに満ちていた国家とは思えないほどの低落な有様である。民主党の小沢代表は「誘われたら断らない」人だそうだが、相手が何を求めて誘ってくるのかがわからない若造ではないはずだ。小沢さん自身に誘いに乗る要素があり、それを許す基盤が民主党にはあるということだろう。

 アメリカの大統領選挙まではまだ1年もあるのに、早くも候補者についていろいろと報道されている。最有力候補のヒラリーさんの自伝を読んで、私はこの人が大統領になったならいいなと期待していた。彼女は革命家ではないし、下層階級の味方でもない。彼女は「はっきりと中流階級の利益を守る」と言っている。新聞で読む限り、彼女は以前よりもはるかに保守的になった。こんな人なら他の誰でも同じではないかと思えるくらいだ。

 無党派市民派を名乗る私の友人にも「自民党と仲良くやって、首長の座を射止める」と言う人もいる。政治はそんなに甘いものではないし、仮に彼が望むように保守層の応援をもらって首長になったとして、それで彼が目指す政治を実現できるかといえば、無理な「夢」だと私は思っている。自分が何をしたいのか、それを隠して首長になどなれないし、なったところで何ができるというのか。それでは市民を甘く見ている小沢代表と同じだ。

 国民の前で、市民の前で、堂々と自分の考えを述べ、それで多数を得るまで、ひたすらやる以外に、市民と政治家が一体となることはない。権力が欲しいだけなら、それはこれまでの政治と少しも変らない。
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思い込み

2007年11月09日 23時08分59秒 | Weblog
 孫娘を迎えに行ったら、「どうしてこんなに遅いの?45分と言ったでしょう。」と言う。確かに彼女は45分と言った。けれども私の頭の中では「いつものとおり」とインプットされてしまった。「45分なら、何時に家を出たらよいのかわかるでしょう。」となおも畳み掛ける。「そうなんだけで、いつもと同じと思っちゃったんだね。」「45分と言ってるのに?」と孫娘はまだ納得できないと言わんばかりだ。「いつもと違うよね。」と確かめればよかったのに、勝手に思い込んで、45分が過ぎてしまったのだ。

 それでも間に合ったのだから、そんなに怒ることはないじゃーないかと思いながら、ジジイは孫娘には甘くて「ごめんね」なんて、自分の方から謝っている。確かに待たせられたのだから、孫娘としてはどうなっているのかと腹立たしく思ったのだろうが、アッシーをやってもらっているのだから、ここは大目に見てもらいたいところだ。時間を間違えたのは悪い。けれども、それを許してあげる心の広さがほしいと私は思う。

 孫娘がこんな風にキツイのは母親似なのだろう。その母親の両親は私たちなのだから、結局は私たちが生み育てたものともいえる。今晩は夜勤で出かけるという長女に「晩御飯はどうするの?」と聞いた。長女は「食べなくてもいいよ」と答える。そんな言い方はないだろうと思い、「そうじゃなくて、食べるのか食べないのか」と私はムッとして聞き直す。「食べない」と長女は言い放す。「夜勤だから、少しだけにしておく。」とか、「ごめん、今日は夜勤だから晩御飯は食べずにおく。」とか、まだ言い方はいくらでもあるはずだ。

 カミさんに言わせると、私は「外では気配りの人かもしれないけれど、家では全く気配りができていない」人なのだそうだ。多分、当たっていると思う。家族に対してはストレートに要求してしまうからだ。長女が看護学校に通っていた頃、遅刻するからというので(本当にそんな理由だったのか、わからないが)私は何度か彼女を学校まで送っていった。彼女の授業の作品作りも手伝った。ところが長女は「送ってもらったのはパパが言うほど多くない」と言い切る。

 不思議なことだけれど、自分の印象と他人の印象では随分違うもののようだ。そう書いて、ハタと思い当たることがある。自分にとってはとても大変なことだと思うことでも、同じことが他人にとってはそれほどのことではないことは多い。「あなたは何でも自分勝手に思い込んでる」とカミさんの言うとおりで、そういうことは私には多い気がする。話が全然違うかもしれないが、初恋の人から「あなたはあなたが描いた私を追い求めているのよ」と言われた。あの時から、私の勝手な思い込みは始まっていたのだ。

 娘たちもそういう私の性質にはウンザリしていて、私が酔っ払ってきて、ゴタゴタ言い出すと決まって反論してくるようになった。小沢一郎さんには私のような娘はいないのだろうか。娘たちがいたなら、あんな無様な醜態をさらすことはなかっただろうと思う。誰が画策したのかはわからないが、私には完全にハメられたとしか考えられない。田中角栄総理が葬られた時のことを思い出す。田中角栄総理の弟子である小沢さんも同じように政界から葬り去られる運命にあるのだろう。
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