友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

長女の新車

2007年11月08日 22時41分05秒 | Weblog
 長女が自分の車を買った。これまではいつも私の車を使っていたが、私の軽自動車が11月で車検切れになることと、マフラーに穴ができて暴走族のような排気音がするので、いよいよ潮時だなと思っていたところ、長女の方から買いたい車があるからと言い出した。どんな車が来るのかと楽しみにしていた。長女が買った車はとても可愛い二人乗りのスポーツタイプの軽自動車だった。色はカミさんが始めてセダンタイプの普通車を買った時と同じ色だったから、無意識のうちに長女もあの車が気に入っていたのかなと思った。

 私が始めて買った車は、スバル360の中古車だった。長女が生まれて、カミさんの実家にこの子を預けるためにどうしても車が必要だったのだ。スバル360の手入れは同僚の物理の先生の手ほどきで、ブレーキなども分解して行った。工業高校の良いところで、そういうスペースはいくらでもあったし、工具も全て揃っていたから、車の手入れはおもしろかった。スバル360は通勤には不自由はなかったけれど、一度3人の同僚を乗せて、豊田市まで葬儀で出かけた時は坂道になると喘ぐような走りになるのには往生した。

 私が始めて買った新車はホンダの軽自動車だった。水冷式を始めて採用した軽自動車だったので、機械科の先生たちが車を見に来たことを覚えている。その次に買った車は普通車だったが、その頃は装備と言えばオプションだったので、一切何もつけなかった。富士五湖からの帰り、東名への乗り入れ口はかなり手前から渋滞していた。夏休みだったから茹だるように暑かった。子どもが「パパ、どうして隣の車は窓を開けていないの?熱くないのかな!」と言う。私の車はクーラーが付いていないが、隣の車はエアコン付の車だったのだ。

 あれから以後、私は自分名義の車を持つことはしばらくなかった。選挙で敗れた後、再び自分名義の車を持った。地域雑誌や地域新聞で働くための軽自動車だった。私は好んで愛用したのは赤いワンボックスの軽自動車で、どこへ出かけるにも便利だった。そのワンボックス軽自動車がとうとう寿命となったのだ。まだまだ綺麗な車で愛着があったけれど、自分でこれからどれだけ乗るのかと考えれば、カミさんが持っている車を借りることで充分に用を足すことができる。年金生活となっては、一家に一台でも贅沢すぎるくらいだ。だから廃車にすることにした。

 長女が買った車は二人乗りのスポーツカータイプだから格好はいいのだが、乗り降りはちょっとキツイ。「パパとママが乗るんだったら、とっても可愛いじゃない」と言ってくれるのだから、まんざらでもない。長女としても親孝行のつもりなのかもしれない。そう思うと、時々はこの軽スポーツカーを借りて、秋の街や野原を走ってみようかと思う。この頃、特に皮肉がグッサとくる長女の一言だけれど、長女の好意に素直に甘えてもいいような気がしている。
コメント
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